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new brave history

 先日ある文章に、「ニュー・ブレイヴ・ヒストリー」というサブタイトルをつけたら、編集者の人にわかりにくいと言われました。確かに意味が分かりにくいですね。英文では、New Brave History。 これなら英文の読者にはわかるところがあるのではと思います。ハックスレーの New Brave World (翻訳タイトル『素晴らしき新世界』)をもじったものであることがわかるからです。 
 『素晴らしき新世界』はいわるるディスト―ピア的な科学的空想小説です。テーマは未来には、現在と同じようなかたちでは人類は文化的にも、あるいは生物的にも存在していないというものです。したがって、そうした人類から見た歴史は、現在の人が考えるような歴史とは異なるものとなります。
 人類は未来において現在とどう異なるものとなるのか。その一つの例示はサイボーグです。痛みと感情をめぐる本でも、攻殻機動隊を例にとって、未来人類にとって痛みという感情はどのようなものなのか、どのような意味を持つのかという問題がふれられています。しかし、そこで問題となるのは、痛みや感情を感じる器官である脳は、将来にわたって生物的(有機的)なものにとどまるのか、それとも無機的なものによって置き換えられるのか、さらには無機的なものを有機的なものに転換したものを移植するかたちで脳が合成されていくのかという問題です。
 最近、碁や将棋で人工知能(AI)が職業的棋士を打ち負かす例がさかんに報道されるようになりました。コンピューターのほうが、人間より高い能力を持つということです。歴史研究でもそうした流れは生じています。だとすると問題は、人間がコンピューターをどのように上手に利用するかだというような議論が、よく行われています。果たして問題はそこにとどまるのでしょうか。
 そうした議論は、機械と人間を別のものとして考える、つまり前者を無機的なものとして、後者を有機的なものとして考えるということに根拠を置いています。しかし、機械は本当に有機化できないものでしょうか。今は機械的要素の多い、人工の手足や内臓を有機化することはそれほど難しいことではないかもしれません。しかし、皮肉なことにこのことはあまり必要なことではありません。無機的なもののほうが有機的なものより、持続性などに関して高い性能を持っているからです。同じように人工知能を有機化することができれば。たとえばそうした有機化された知識を人間の脳に嵌め込めば、最強の棋士が生まれることになります。あるいは最高の思想家や歴史家が生まれるかもしれません(あくまでも現在と比較すれば最高という意味ですが)、。
 こうした考えは実際には実現しえない空想なのでしょうか。自分はそうは考えてはいません。そのことは文明が形成されて以来の人間の歴史(わずか3千年程度です)を5百年程度ごとに区切って考えるとわかるところがあります。紀元0年から見れば紀元5百年位起きていたことはまったく想像のつかなかったことでした。紀元5百年から千年、千年から千五百年、千五百年から二千年についても、同じことが言えるでしょう。そう考えれば、五百年後の世界は現在とはまったく異なる、想像力の及ばない世界である可能性はきわめて高いということになります。それが「歴史」から得ることができる合理的な判断です。及ばない想像力をあえて働かせて想像すると、AIがもつ膨大な情報を有機化して自らの脳内に取り入れた人間が生きている時代かもしれません。そうした人間が考える歴史は、現在の人間が考える歴史とはまったく異なったものでしょう。
 New Brave History というのは、そうした時代における歴史のことです。現代の社会に生きる私たちから見れば、「奇想天外」な話ですか。

# by pastandhistories | 2017-06-25 13:57 | Trackback | Comments(0)

言語論的転回を超えて

 予定では今日は飛行機に乗っていたかもしれない日。25日からスウェーデンのウメオで「感情史」をテーマとした国際文化史学会があるからです。早い時期から参加するつもりでホテル探し。限定50%割引というホテルを見つけて、予約までしていましたが、帰国して2週間で再度ヨーロッパ、場所もやや不便なところで日程的にもきつい。プログラムを確認したところ、個々の報告はすでにかなり専門的な段階に入っている感じで、準備も間に合わないということでキャンセルしました。割引価格であったので、ホテル代は全額没収、このあたりは予約の仕方の難しさです。
 ところで感情史についてですが、先週そのセミナーがありました。内容的にも充実していて、とくに若い人の発言には感心しました。ただ会でも、二次会でも感じたのは、言語論的転回からの流れの理解に、やや混乱したところがあるのではということです。このブログでも、「水が100度で沸騰する」ということと「サッカーの試合の予測」「競馬の予測」(余談ですが、今年のダービーは当たりませんでした)ということを対比的に取り上げて説明しました。前者のように、「科学」的なものとしてその因果関係に法則として定立可能なものがあることを、否定する必要はありません。そうした因果的説明は効用性を有していて、実際に有益に運用されています。しかし、「複雑系」に属する後者において用いられる因果関係は、結果を断定的に予測できないという点で、前者とは質的に異なります。はたして前者のような例を、対象に真理や法則が内在しているという点で本質主義的な議論の根拠、後者のような例を、認識の相対性を論じているという意味で、構築主義的な議論であると大別してよいのかは議論の余地がありますが、いわゆる構築主義的な議論の批判の根拠としては、しばしば前者のような事例が用いられます。
 相対主義的な構築論のおおきな根拠を提供したのは、言語論的転回です。言語論的転回にもっとも大きな影響を受けたのは、歴史です。言語を媒体としているという意味では、哲学や文学のほうがより大きな影響を受けたとすべきですが、言語の組み合わせによって歴史的に構成されてきた哲学や文学に関しては、前者は同種の議論がその形成以来ずっと基本的な議論の一つであったこと、後者はもともと言語によって生み出される虚構性に基づいていたわけですから、事実性を根拠として、史料に関しても、叙述においても、その基本的媒体を言語としていた歴史ほどには、深刻な影響を受けなかったわけです。
 もっとも歴史がもっとも大きな影響を受けたといっても、実際にはその意味を深刻なものと考えたのは、ごく一部の歴史研究者だけでしょう。日本では遅塚忠躬さんや二宮宏之さんなどです。海外ではもう少し大きな影響がありました。実はこのあたりは、今日のタイトルがサブタイトルとなっている長谷川貴彦さんの『現代歴史学への展望』を借りての議論となりますが、その中で生じたのが、文化史への着目です。しかし、この間の会でも議論となりましたが、文化史には、構造や表象の問題が前面化しているのではないか、またシンクロニカルな理解が先に立って、歴史の重要な要素であるダイアクロニクルの理解を欠如しているのではないかという批判が生じます。こうしたなかで歴史の主体である人間の行動を本来的に規定しているものを、構造的与件ではなく別のものに求めていこうというディープヒストリーへの関心が生じているのだと思います。感情史への関心もそうした流れの上にあるものだと自分は理解しています。つまり「言語論的転回を超えた」その延長に生じたものとして理解することができます。
 以上のような整理、当たっているかは正直自信がありませんが、現在の段階ではこうした流れが、最近の歴史研究の流れの一つだろうと自分は考えています。

# by pastandhistories | 2017-06-24 10:48 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリーについてのメモ⑥

IFPH では会の報告内容として、ホームページへのアクセス数の各年ごとの推移の報告がありました。順調な増加傾向があって、今後の可能性を予想させるものでした。実はそこで報告をされたアクセス数の割合にして5分の1くらいのアクセス数が、このブログにはあるかもしれません。IFPHのホームページは、英語で全世界に発信されているわけです。統計の読み取り方の間違いなような気もしますが、それにしてもこの間のこのブログへのアクセス数は、多い感じです。まだあまり聞きなれていないパブリックヒストリーというテーマが、どのように議論されるのかについて、関心をもつ人が多いからだと思います。
 ということなので、少し記録を確認していたら、昨年パブリックヒストリーをめぐる研究会で簡単な講演をすることを依頼され、それにあわせて作成した原稿があることを思い出しました。さっそく確認してみたら、400字原稿用紙40枚程度で、ここでメモ的に書いていることとも重なる点があるようです。量が多すぎてここにアップするのは難しそうなので、それならば以前英文原稿については行っていたように、ホームページを作成してそこにアップしようかなと考え午前中に少しトライしましたが、うまくいきませんでした。また時間を見てトライをします。
 詳しくはその原稿をとおしてでということで、今日はパブリックヒストリーについての最後のメモを記します。IFPHでもさかんに議論された博物館の問題です。「さかんに議論」されたように、博物館をめぐる議論はそれ自体としてすでに十分と議論されていて、また最近では歴史研究者によるアプローチも盛んになっています。自分からは専門外のことであって、あくまでもここでの議論は、パブリックヒストリー論からみた感想的メモとなりますが、今回の会での議論で感じたのは、博物館や記念建造物のイデオロギー性ということです。それが近年は増加する傾向にあるということです。
 もちろんこうした議論は、博物館や記念建造物のナショナルな枠組みとの関係を強調した議論であって、視野を広げれば、博物館や記念建造物は、むしろ数としてはローカルなものが圧倒的に多く、またその内容も多ジャンルにわたっていて、私的な要素を含むものも少なくありません(一例をあげると落合博満記念館。こうした芸能・スポーツはもちろんのこと、その他の文化的ジャンルや郷土史に関わるものなど実に多様な記憶装置が、実際には全国的に散在しています)。したがってその政治性やイデオロギー性を過剰に論じるべきでないことも事実ですが、他方ではエラノ・ゲイ論争、対する原爆記念館、そして今回の会のように、少女(慰安婦)像や共産主義犠牲者博物館、といったものをめぐる議論が絶えず提示されるように、記述される歴史以上に固定化される記憶装置には、それがイデオロギー的な議論の対象となるという面があります。記述が相対性を許容するのに、モノ自体にはそうした側面が少ないからでしょう。
 歴史は確たる証拠にもとづいた事実を表象するものだということは、常識的に論じられています。しかし、確たるものを提示することに、イデオロギーが強く内在するというパラドクスが、歴史にはあります。おそらくはそうした問題をどう考えるかが、「記憶」と「和解」、そして「忘却」をめぐって最近では行われているのだと思います。
 以上いつもながらまとまりませんが、これでパブリックヒストリーに関する記事はひとまず停止いたします。なおこのテーマに関しては、ここで紹介した論者の誰かを招いての招聘セミナーを計画中で、現在その日程の調整をしています。実現できるようでしたら関心のある方は是非参加してください。

# by pastandhistories | 2017-06-23 15:43 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリーについてのメモ④

 自分が参加していたプロジェクトによる招聘で日本に来てもらい、Consuming Public History というペーパー(このペーパーは今年2月に出されたプロジェクトの報告集である The New Development of Historical Studies and Global Citizenship に他の報告とともに収録されています。まだ残部があるのではと思うので、希望者は 03-3945-7492 に問い合わせてください)を読んでもらったジェローム・デ・グルートは、2013年に編集・刊行した論文集のタイトルを、Public and Popular History としています。  
 この本は、もともとは歴史の脱構築論の立場に立つ Rethinking History での特集に基づくものです。タイトルにパブリックとポピュラーが並行してもちいられているように、パブリックヒストリーが、同時にポピュラーヒストリーとして、いわゆる民衆自身の中にある歴史として理解されています。このように脱構築論的な歴史論は、いわゆる民衆史と対立するものではなく、その問題意識においてはむしろ共通性があります。そのことは、いくつかの書物やこのブログをとおして繰り返して指摘してきました。
 しかし、かつて日本で流行った民衆史、あるいは下からの歴史を論じる歴史研究者は、必ずしもそうした捉え方をしていません。おそらくその理由は、「科学的」とされた進歩主義的な学問的な歴史を補完するものとして民衆史、一般の人々にある歴史が措定されていたためでしょう。逆の見地に立てば、最近のパブリックヒストリーへの関心は、学問的な歴史がパブリックな場での影響を失ったことによって生じたという側面があります。別の言い方をすれば学問的な歴史に対して、パブリックな場での歴史が自律性を持つようになった、具体的には歴史修正主義をめぐっては、きわめて保守的な主張がネットサポーターという人々によって擁護され、それが学問的な歴史とは相いれないものとなっているという問題です。
 こうした問題を前提とすれば、パブリックヒストリーの意味は、新しい学問的トレンドであるという点にだけではなく、現在の歴史学の危機をどう考えていくのかという点にもあるということになります。自分が、パブリックヒストリーを論じることが重要だと考えるのは、後者の観点からです。歴史研究者が執筆・編纂した教科書、それに基づいて行われる歴史教育が一般の人々によって当然のものとして受容されるという平和共存、実はそれはナショナリティの枠組みによって強固に統御されるものであったわけですが、そうした共存がパブリックな場の歴史の自律性が高まるについて失われた、もちろんそうした自律性は学問的な歴史に対する自律性ではあっても、ナショナリティに対する自律性ではないわけですが、そうした問題を考えていくためには、パブリックな場における歴史のあり方や意味を、肯定的な意味でも、否定的な意味でも考えていかなければならない、と自分は考えています。そのさい、歴史家が自らの立場を擁護するものが、たんに事実性にとどまっているだけでいいのだろうか、そうした議論がかつては持っていたように思われた説得力を持ちうるものなのか、ということがパブリックヒストリーを考える際には重要です。

# by pastandhistories | 2017-06-22 10:05 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリーについてのメモ③

 IFPH の大会への参加を機に、パブリックヒストリーについてその現況や自分の考え方をメモ的に記したら、戸惑うほどの反響がありました。自分はこの問題は重要だと早くから考えていて、その点で国際的な学会組織化が進んだことに大きな関心を持っています。しかし、まだ国際的にも全体としてはこれから議論が整理されていく段階。あくまでもここに記すことは、現在的な段階での自分のメモです。
 すでに記したように、おそらくはパブリックヒストリーは発展するに伴って、かなりの広い内容をその中に含みこんでいくのではと思いますが、現在では IFPH の議論内容からもうかがえるように、博物館が議論の対象の一つになっています。
 ここで着目してよいことは、なぜ博物館が重視されるようになったのか、あるいは軽視されてきたのかということです。おそらく重視されるようになったことの一つの理由は、インターネットの発展によって、博物館が「定置」しているだけではなく、ネットを通してその展示内容が広く参照されるようになったためかもしれません。展示内容は、「モノ」としての具体性、直接性を持っていますから、文字的なものより、はるかにネットを通しての訴求力を持ちます。そのことが博物館への関心を高めたということが一つには言えそうです。
 逆になぜ軽視されてきたのかというと、その「定置」性から、従来は参観者数や参観時間が限定的であったからです。このことは学校教育と比較することによって論じることができます。多くの「国民」は学校を通しての「歴史教育」をとおして歴史に対するかなりの認識を得ています。そのことは歴史博物館を通しての認識と比較するとよくわかります。まず物理的に、時間の絶対的な違い。博物館に行く時間は平均すれば、1年で数時間でしょう。これに対して学校での歴史教育を受けさせられる時間は圧倒的に多い。さらには普段の試験、入試などで学校教育を通しての歴史への知識は強制されます。歴史博物館にはそのような強制力はありません。そもそも学校教育を通しての歴史は、時間の配分までが定められていますが、博物館は、どの博物館を選ぶかも、また入館後何を見るのかということも参観者の自由です。
 そうした学校教育の優位性にもかかわらず、なぜ博物館を通しての歴史という問題が次第にクローズアップされるようになったのかというと、それはパブリックヒストリー全体の問題とも関わりますが、教育を通しての歴史が次第に影響力を後退させたからだと自分は考えています。

# by pastandhistories | 2017-06-21 10:41 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリーについてのメモ②

 パブリックヒストリーのついてのメモということで、昨日はその基本的ないくつかの整理の仕方について書きました。その整理に基づいて、いくつかの理論的問題や、 IFPH でも大きな時間が割かれた博物館をめぐる問題などを書いていく予定ですが、その前にメモとして簡単なことを今日は取り上げてみます。
 それは歴史の配布・流通(distribution, currency)という問題です。これも普段あまり気づきませんが、なぜ印刷術の発展とともに、historiography (記述された歴史)が一般化し、とりわけ近代国民国家においてそれが歴史の共同化に重要な役割をしたのかというと、それはそうした歴史が「配布」「流通」に適していたからという側面があります。このことは、たとえば記念物のような建造物、あるいは heritage というような言葉で呼ばれるものが自ら移動はできず、それを認識するためには認識者の移動(たとえば巡礼やお参りのようなかたちでの)が求められたのと対照的です。
 そうした移動する歴史は、基本的には印刷技術の発展によって促進されていきますが、近代国民国家の形成とともに、その中においてパブリックな場における歴史認識に意外なほど大きな役割を果たしたのが、紙幣や切手です。紙幣や切手に印刷されたきわめてシンプリファイされた「図像的表象」は、偉人であれ、歴史的遺産であれ、あるいはそのほかの文物であれ、象徴として国民の意識の共同化に大きな役割を果たしました。それがほとんど意識されることはなく、「国民」の間で絶えず distribute され続けたからです。あるいは文字通り currency するものであったからです。もちろん古くから貨幣がそうした役割を果たしていたわけですが、紙幣や切手の果たした役割は、量的にも、質的にもはるかに大きなもとであったと断じていいでしょう。
 「動く歴史」、トランスポータブルな歴史です。パブリックヒストリーというと、つい「固定的」な博物館や記念建造物、あるいは遺産に目が行きがちですが、シンプルで軽便であるがゆえに移動性が高いものが、意外なほど歴史認識の共同化に重要な役割を果たしたということにも注意しておいた方がよいでしょう。

# by pastandhistories | 2017-06-20 10:13 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリーについてのメモ①

 IFPH に参加したさい記したことを材料に、パブリックヒストリーにつてのメモを書こうと思いネットを検索していたら、 weblio がすでにその定義を定めていることを知りました。その内容は、The broad range of activities undertaken by people with some training in the discipline of history who generally work outside of specialized academic settings というものです。今後こうしたものとしてパブリックヒストリーという言葉がもちいられていくかは、これからの IFPH における議論や、今年の後半に相次いで刊行される予定の著作、論文集などによって定められていくと思いますが、おそらくもう少し広い意味でこの言葉は使用されていくはずです。
 自分はすでに記したことがあると思いますが、パブリッククヒストリーを、history among the public, history by the public と history to the public, history for the public とまずは考えています。こう考えると、人々の日常文化にある歴史、オーラルな伝承や、習俗的な文化、あるいは映画や、ゲームなどの知識をもとにした歴史は前者に、一方で歴史教育や博物館は後者に属することになります。しかし、そのさいにこの二つを過度に二分しない方がいいでしょう。両者にはレシプロカルな関係があると考えた方がよいからですi。たとえば映画には作品としては、history to the public, history for the public という面があリます。
 もう一つ、パブリックヒストリーには、public history in the past と public history in the contemporary age という整理の仕方があります。前者は民俗学や人類学の手法を取り入れながら、過去のパブリックな空間にあった歴史を考えていくものです。後者は現在的なパブリックな文化空間に様々な媒体によって存在している歴史、その中には映画やゲームや漫画などを媒体とした歴史も含まれますが、そうした歴史のあり方を考えていくものです。
 これらと重なると言えば重なる、異なると言えば異なりますが、パブリックヒストリーの範疇化としてもう一つのわかりやすい方法は、history in academic place との対比で、history in public place を取り上げるという方法です。このアプローチは『開かれた歴史』のなかで試論的に試みられています。

# by pastandhistories | 2017-06-19 12:50 | Trackback | Comments(0)

科・学

 本当はIFPHのまとめを書くべきですが、昨日ある会に出ていたら議論が少し混乱しているような感じがしたので、それについて書きます。それは歴史が科学かという議論をめぐること。科学が science の訳語として、いつからどのように用いられるようになったのかについては、いま手元にありませんが、柳父章さんなどがきちんと論じているのではと思います。しかし、ヨーロッパ語で用いられている science あるいはそれに対応する言葉に関して、いつの時期からの用例を科学と訳すのかについては、異なった考え方があります。たとえば上村忠男さんは、ヴィーコの著作を『新らしい知」と訳しています。つまり18世紀に入る頃までは、science は現在の日本語でいうところの「知」に近いものであって、19世紀以降その訳語として用いられるようになり、現在では一般化している科学とは区別されるものであったという考え方です。
 意外なほど論じられないことですが、科学は「科」と「学」の合成語です。「科」は漢和辞典によれば斗(マス)によって穀物の量を計ったことに由来した語で、基本的には分類・区別を示す言葉です。科・学という語には、学が「科」に分けられるものとして理解されているということが含意されています。つまり「自然・科学」、「社会・科学」ではなく、「自然科・学」、「社会科・学」であり、「歴史・科学」ではなく「歴史科・学」であり「政治科・学」「経済科・学」なわけです。そうした分類・細分化を前提としているわけですから、しばしば誤解されるように「学」一般に通有する普遍性・一般性を含意しているわけではなく、「科」として分類された個別の「学」において成り立つ、一般化されうる法則性を定立していくということが「科・学」という語には含意されています。近代以降細分化されディシプリン化されるようになった学においては、ある方法的手続きを踏まえれば、一般性や法則性を定立しえるという考え方です。
 このように考えると、しばしば議論される歴史は科学かという問いは、法則性や一般性の定立においてそれが広く確立され、効用性をもった「自然科・学」の方法を「歴史」という「科」にどの程度適用できるのか、あるいは、「政治学」にしても、「経済学」にしても、あるいは「社会学」「心理学」にしてもそうした「科」において成立した法則や定理が、どの程度「歴史」という「科」に応用できるのかという問いであることになります。人間や社会を一般的、普遍的なものとして抽象的な形で論じるのではなく、「学」を「細分化」して、その中で具体的な実例に基づいて(しばしば用いられる言葉を使用すれば経験主義的に、実証的に)論じられうることを「学」として確立していくという考え方が、「科・学」という言葉の本来的な意味だからです。
science を科学と訳すべきかは今後も論争があるかもしれませんが、この言葉が「科学」と訳された、そしてそれが広く受け入れられたことには、学を細分化してその中で確認していけることを共同の知としていこうという合理的な思考が、当時の日本の社会に存在していたことを意味しているのだと思います。歴史は科学であるという議論が、しばしばこうした合理的な思考とは異なるかたちで議論されてきた、あるいは今でも時折議論されることがあるのは、残念なことです。

# by pastandhistories | 2017-06-18 07:07 | Trackback | Comments(0)

IFPH⑩

 今日は IFPH の五日目(最終日)のセッションについて。この日参加したのは二つ。最初は、Studying Public History というセッション。タイトル通りパブリックヒストリーを学んでいる院生の報告が中心。報告者の知名度、さらには時間が最終日の朝早くということもあって、報告者以外の参加者は10人程度と少し淋しいところもありました。しかし、内容自体は結構参考になるものでした。少しづつではあるけど進みはじめているパブリックヒストリーの学問化(ディシプリン化)、つまりコースや大学院の設置の現状が、現場の学生の立場から報告されたからです。 
 四つの報告があって、うち二つは2人の共同報告だったので、発表者は合わせて6人。最初はケルン大学の二人の学生が、ドイツで試みられているパブリックヒストリーのマスターコースの現状を報告、つづいて東パリクレテーユ大学の二人の学生が2015年から設置された同大学のコースの状況を説明しました。つづいて同じ大学の学生がそのマスターコースが10人の院生と10人のインターンシップの学生によって成されているという内容をさらに詳しく説明。それぞれ問題意識は新鮮で、本来学問的世界の外部に位置していたパブリックヒストリーを、専門的研究の中に位置づけることの是非や意義が論じられました。
 議論の中で面白いと思ったのは、クレテーユ大学の Domain Duplan が指摘したパブリックヒストリーにあるトップダウン的な性格。たとえば中世の宗教画などはその例で、受容者であるパブリックの間に宗教的意識を喚起するために、過去が図像的なかたちで表現をされていたわけです。このことは現在の映像メディアにも通じる問題。パブリックの間にいきわたっている過去認識は、必ずしも自律的なものではないという議論にもつながります。このセッションの最後のまとめをしたのは、報告者では唯一の現職の大学教員である Barbara Silva (Pontifia Universidad de chile)。学問的歴史とパブリックヒストリーの二分化に疑問を提示し、パブリックヒストリーもまた厳密性が必要だと論じました。ディシプリン化を反映した議論です。
 最終日に次に参加したのは、History , Memory and Acts of Public Commemoration というセッション。これに参加したのは、すでに紹介したデイヴィッド・ディーンや、オックスフォード大学出版局から出るパブリックヒストリーの論文集の編集者である Paula Hamilton (シドニー工学大学)が発表者として予定されていたからです。参加者の多さを見越して早めに行って席を確保、これが正解。予想通り満席。しかし、内容は意外なものもあって、随分と考えさせられました。
 最初の発表者はハミルトン。タイトルは Failed Commemorative Acts: The Politics of Forgetting というもの。自分はこのタイトルからは予想していなかったのですが、内容は例の従軍慰安婦問題をめぐる少女像について。それが国際的に設置されつつあることを紹介しながら、歴史的事実への記憶を無視しようとする日本政府に対して徹底的な批判が行われ、天安門事件をも例示しながら、そうした事件の記憶をトランスナショナル化していくことの必要が主張されました。もちろん会場から異論はなく、この問題への理解を逆転化させている日本の状況が国際的には深刻な事態であることを感じさせられました。
 次のヨーク大学の Geoff Cubbit の報告(British Regimental Museums as 'Memory Places': Regiments, Narratives, and Identities)は、別の意味で考えさせられる報告。イギリスの各地にある連隊記念博物館についての報告で、そこに展示されている兵士の記録や武器、勲章などの展示の紹介。しかし、兵士たちがたとえば帝国の拡大に伴ってそうした兵器を用いてどのような殺戮を行ったの、そのことによってどのように顕彰されたとのかということについての批判的意識はほとんど感じられず、残念な内容でした。
 ディーンの報告( Monumental Failures: Historical Memories and Commemoration in Canada) も内容は予想外のもの。カナダで東欧共産主義群の崩壊の後に建てられた「共産主義犠牲者博物館」の紹介。おそらく東欧からの亡命者や、あるいは体制崩壊後の移住者が多く、それが建設の背景にあるのだ思います。こうした博物館が世界各地にこれから作られていくことの意味はどのようなことにあるのかを考えさせられました。
 最後の Indira Chowdhary の発表( Can Museum Objects Have a Second Life?: Creating a Commemorative Volume for Asia's Oldest Museum ) の面白かったことは、インドでの博物館が最初はイギリス人の主導によって作られ、その陳列物が hybrid な性格を持つものであったことを指摘したことです。
 最終日に出たセッションは以上ですが、この日はいろいろなことを考えさせられました。特に博物館、それと関連しますがコメモレ-ション装置の問題には本当にいろいろな問題がある。今回は会ではそのことがパブリックヒストリーというテーマとの関連で議論されたわけですが、そうした問題について思ったことを一連の記事の最後のものとして書くつもりです。


# by pastandhistories | 2017-06-16 09:55 | Trackback | Comments(0)

IFPH⑨

 IFPHの紹介が随分と手間取っています。いろいろ考えたことがあるけど、それは一応の紹介を終えてからということで、今日は4日目(8日)に参加したセッションについて。一つは、The Roles of Public Historians in the Maintenance of Civil Society というもの、もう一つは、シンプルなタイトルで Commemorations。最初のものの発表者は、J.A.M.Florez(メキシコの El Colegio de Michacan), Aleisa Fishman(アメリカのホロコースト記念博物館), Alix Green(エセックス大学), Tmmy Gordon(ノースカロライナ州立大学)の4人。
フロレスの発表は、日本に来てもらったベルベル・ビーヴェルナージュの和解と記憶をめぐる議論と同じテーマ。コロンビアを素材に、内戦終結のための国民投票を契機として生じた、和解に伴う過去の記憶の取り扱い方がテーマ。Expression of hatred を歴史の表象から分離することができるかという問題です。
フィッシュマンが扱ったのは、第二次大戦中にホロコーストがアメリカの新聞でどう報道されていたのかという例。地方新聞を素材として、そうしたものを citizen historians が発掘する作業を citizen history であると論じました。
 グリーンとゴードンはともに、ネット空間でのブログやツイッターを通しての歴史の試みについて。ここでもゴードンはそうした試みを citizen history という言葉で呼んでいました。この言葉は、歴史認識の一つのあり方を指す言葉として、一般的に用いられているという印象を受けました。
 つづいて参加したセッションの報告者は一人キャンセルがあって二人、Steven Franklin (ロンドン大学ロイヤルホロウェイ校)と Rosanna Farbol (オルフス大学)、二人とも若く学位取得段階。
 フランクリンの発表は、マグナ・カルタの扱われ方の流れをたどったもの。過去の事実の認識のされ方の変遷を、とりわけ大衆的空間において明らかにする作業はかなり難しい作業ですが、おそらくそうしたことが今後は「パブリックヒストリー」の一つとして論じられるであろうということを示すものでした。
 ファーブルの発表は、冷戦終了後にデンマークで作られるようになった冷戦期についての資料を展示した博物館についての報告。それを専門とする博物館がかなりの数が作られているということにも驚かされ、そうした意味でも面白いものでした。起きえたかもしれない第三次世界大戦に対する counter factual memory として、そうした記憶化が行われているというアイディアがあり、その点も評価されてよい発表でした。
 以上少し羅列的になっていますが、明日は第五日目について内容のを紹介し、明後日以降、最後に総括的に今回全体として感じたことを記していきます。

# by pastandhistories | 2017-06-15 12:27 | Trackback | Comments(0)

IFPH⑧

 IFPHに関してはもう8回目の記事になるのに、あまりまとまった内容になっていなくて申し訳ないと思う所があります。出発前にも書いたように、他の原稿があってあまり準備ができなかった。来てみると日程がハードで内容も盛りだくさん。ということで、うまくまとめられません。 
 順番も前後していますが、三日目の最初に参加したのは、Visual Story Telling: Cinema, Murals and Graphic Novel というセッション。Philip Lewis(ジョージア州立大学), Muriel Laurent(ロス・アンデス大学), Thomas Hippler(ノルマンディー・カ-ン大学), Raina Zimmering(リンツ大学)の4人の若い研究者による発表。これはそれぞれが具体的な方法的問題を論じて面白く聞けました。
 ルイスの発表は映画を通して歴史がどう表象されているかということへの分析、そうした表象が実際に起きたであろうことに近似的な形態をとっている(たとえば仕草や衣装、あるいは筋書)ことを通して、過去のデテイルを見る側に伝えるという有用な役割を果たしていることを指摘しました。
 ロラン(司会者はそう発音しました)はgraphicな形で伝えられている歴史についての分析。パスカル・オリーという人の分析を借りて、それをタイムフレームが過去を用いている historical fiction と、歴史をグラフィカルに描くものであるcomic of history(言ってみれば小学館漫画日本歴史)に分け、そうしたグラフィックな歴史の機能として、過去をあるコンテクストにおいて説明していることなどをあげました。そのほかメモを見るとかなり盛りだくさんの試論的議論を展開したことになっていますが、不正確になってはいけないので、今回の紹介はこの程度にとどめておきます。
 ヒプラーは勤務はフランスの大学のようですが、もともとはドイツ出身。「ダウントンアビー」を紹介して、それがどの程度事実に沿っているのか、いないのかという話。実は暇のある同居人はこの作品をすべて見ていたのですが、自分は残念ながらほんの一部しか見ていないので、何が事実で何が事実でないのかと言われても戸惑うところがありました。というより、こうした連続ドラマ(大河ドラマもそうですが)をとりあげて、その話のどこが過去の事実に合致していて、どこが事実に合致していないかということになると、いくらでも議論ができることになってしまう。そのあたりが歴史と映画、あるいはテレビ、さらには歴史小説もそうですが、そうしたものを取り上げて論じていく際の一つの難しだということだと思います。
 最後のツィマリングの話は、メキシコでサパタがどのようなかたちで壁画をはじめとした絵画的なものをとおして象徴化されたかという話。かならずしも本人が直接そう論じたわけではないけど、民衆世界は文字的なものより図像的なものの方が有効に機能するという議論を強調しすぎるとすると、そこにはやや疑問も生じますが、着目点としては興味深い内容でした。この話は、最近はやりの emotion 論も、話に取り入れていました。
 この後はすでに紹介した博物館をめぐるセッション。午後には歴史とヴィデオゲームという興味深いセッションもあったのですが、市内観光の時間と勘違いして宿に戻ったので、残念ながら参加し損ねてしまいました。
 

# by pastandhistories | 2017-06-14 11:16 | Trackback | Comments(0)

IFPH⑦

 昨日の午前便で帰国しました。ラヴェンナでは時差の関係で多少対応できないところに会の進行が早く、報告も前後が混乱してしまったようです。量的にも全部を報告できないので、記憶に残っていることをメモ的に記していきます。 
 二日目に関しては、すでに紹介したワーキングループによるパネルディスカッションの前にあった、Getting the Story Sraight: Public History for a Challenging Present という会が、それぞれの報告もまとまっていて参考になりました。タイトル通り、ポストモダニズムの議論への対応を意識したもの。まず司会者(Liz Sevcenko)が基本的問題を提示。現代は post-truth の時代であると位置づけ、その中においては四つの truth が問題であると指摘しました。1. forensic truth, 2. normative truth, 3. dialogical trith, 4. community truth です。そのことを前提として、どのような歴史を作るかがパブリックヒストリーの問題点だということです。報告者は3人。それぞれよかったけど、発言に説得力を感じたのは、この会のもっとも中心的な人物の一人であるセルジュ・ノワレ(European University Institution)です。EUの流れの中で歴史はこれまで abuse されてきたナショナリズムの枠を超えなければいけないということなのですが、だとすると、ではヨーロッパの共同の歴史とかトランスナショナルメモリーというもの、別の言い方ではヨーロッパにおける有用なパブリックヒストリーとは何かということが彼が論じたことです。すでに触れたように、ヨーロッパを単位とした統合的なものであればいいというわけではない。とりわけ近現代史は非ヨーロッパの外因的な要素を考えないでヨーロッパ内でのまとまりだけを考えるなら、それは反省のないものになってしまう。これはナショナルヒストリーにもあった問題です。パブリックな場でのナショナルヒストリーというのは、常識的なものとしてかなりのまとまりをもっています。しかし、その常識にそったまとまりに、大きな問題を生じさせる要素があったわけです。
 セルジュ・ノワレは三日目の午前中にあった Should History Museum Foster Identities? という会の司会もしました。この会は実際の博物館の内容についての若い研究者や博物館員の報告。それぞれヨーロッパの共同博物館のプロジェクト、ドイツとアメリカの現代史関連の博物館の比較、第一次バルカン戦争についての博物館いついて、そして旧ユーゴスラヴィアにおける博物館のあり方についての報告でした。これらの報告を聞いていて一番感じたことは、博物館の展示がとりわけ現代史についての戦争の記憶と関わっていること、別の言い方をすると、ナショナリズムやイデオロギーと深くかかわっていることです。
 博物館には歴史記述よりも直接性という点では優れた面があり、そのことがパブリックヒストリーの重要な要素として今回の会でも議論されていました。しかし、同時に共同記憶の装置化という面が博物館にはに抜きがたくある。そうしたことをどう考えるかが、次以降の記事でまた触れますが、やはり大きな問題だということを、このセッションでも、会全体を通しても感じました。

# by pastandhistories | 2017-06-12 15:13 | Trackback | Comments(0)

IFPH⑥

IFPHは今ほぼ終わりました。後はイタリアパブリックヒストリー学会のセッションがいくつか、それからキースピーチがあるけど、それらはパスするので自分の仕事は終わり。まる5日間朝から晩までということで、なかなかメモを見ても思い出せないようなところもだいぶ出てきたけど、順を追って報告します。

二日目の6日には教育とパブリックヒストリーを議論した会に集中的に出ました。そもそもパブリックヒストリーというのは教育されるべきものなのか、教育されるとしたらテキストはどのようなものとなるのか、さらには生徒とジェネラルパブリックはどう違うのか、といった問題がしばしば議論されました。この問題を体系的に議論しあったのがすでに少し触れた19人によるパネル。トマス・コーヴィン(ルイジアナ大学)が司会をしたワーキンググループによる議論です。

テーマを四つに絞って議論。最初は言語的問題。歴史がパブリックな空間に置かれればそこでは言語的多様性が出てくる。余談ですがラヴェンナでは土産物屋でも英語は通じない。パブリックな場ではそういうレベルで歴史が認識されているわけです。逆に会では英語でこの問題を議論したわけですが、あえて言えばそうした歴史はよくてインターナショナルミドルクラスの歴史、アイロニカルに言えばホテルマンズヒストリーです。歴史がパブリック化すれば、逆にナショナルな要素やローカルな要素が強まります。それをどう考えるかという問題。

第二はパブリックヒストリアンズにとってのスキルの問題。ここではサーヴェイが重要であるということが論じられました。三番目は教育方法について。学生と院生による違い、理論と実践の問題、プロジェクトと課題、国際的なシラバスは可能か、有用かというとについて担当者から簡単なコメント、対して司会のコーヴィンは、パブリックヒストリーはコースなのかディシプリンなのかとコメント、さらにパブリックヒストリーは単純であって、それを歴史教育で修正するという意見もある(歴史研究者が好む議論です)とコメントしました。

最後はエシックスの問題。ここでは当然のように、それはプライヴェイトなものとしてあるのか、コミュニティにあるのかという発言がありました。

こうやって書いていても意味がとりにくい。19人もが次々に発言してその立場も多様なので、全体としてまとまってはいないようですが、教育とパブリックヒストリーというテーマでの議論を聞いて感じたのは、パブリックヒストリーのイメージが大別して二つあるということです。一つは、teaching history to the public、つまりある程度専門的知識を持った教師や博物館員が歴史を一般の人々に伝えるというものとして, もう一つは、history among the public、つまり大衆的空間にある歴史として、イメージされているということです。多分この二つの理解はこの会で今後も議論されていくのではと思います。


# by pastandhistories | 2017-06-09 22:27 | Trackback | Comments(0)

IFPH⑤

 國際パブリックヒストリーの大会は早くも4日目が終わりました。今日の夕方は年次総会、会の現状が報告されました。年2冊の雑誌を刊行する準備が進んでいることが明らかにされ、また会員状況や財政状況についての報告。会員はまだ半分がアメリカで、それを今後は広げたいとのことです。
 そのことと少し関連しますが、今度の会で感じたのは転校生の気分。国際的な学会に参加するとどうしても最初は知り合いは少ない。そうした中で向こうから声をかけてくれるとほっとするところがあります。ザクセンマイヤーはその一人。オーストラリアでの国際歴史学会で、昼休みに中庭で一人でサンドイッチを食べていたら、向こうから声をかけてきました。専門が中国史なので中国人だと思ったのでしょうが、それ以来付き合いが始まりました。
 最近は海外の仕事も多いので、だいぶ知り合いができました。時間潰しの話し相手にあまり苦労することはない。と思っていたのですが、今回は知り合いがいない。どうしてなのかと考えていたのですが、発表を聞いていて気付くようになりました。それは、パブリックヒストリーのパブリックが、たとえば博物館にしても、学校にしても、あるいは文化空間にしても、そこに存在しているのはナショナルパブリックだということです。本来は広がりがあるものとして考えられたはずのパブリックが、実は限定されたものになっている。
 やや図式的ですが、現状ではパブリックヒストリーをめぐる議論にはこうした問題があるかもしれません。明日はもう最終日、今回は従来のように、細かく個々のセッションを紹介していませんが、明日からは、そして帰国後は、思い出せる範囲で、印象が残ったセッションや発言に絞って、会の内容を紹介していけたらと考えています。

# by pastandhistories | 2017-06-09 02:23 | Trackback | Comments(0)

IFPH④

 きのう書いた初日のセッションについて補足すると、タイトルは A Museum is not a Book: the Historical Museums of Narrative and the setting up of the Exhibition Spaces というもの。このタイトルからも理解できるかもしれないけれど、博物館には表象内容(material sources, artifacts)が実物であるという点で、構築性のあるnarratives を伴った歴史記述に対しては、事実性においては優位にあるけど、それでは展示において物語要素はどう付け加えるべきか、あるいは加えるべきではないのか、ということが議論されました。もっとも基本的な問題だけど、結構議論が難しい問題です。 
 二日目の朝は Public History Textbook というセッションに出ました。これは内容がありました。すでに紹介したようにパブリックヒストリーの現在の中心的推進者であるトマス・コーヴィン、デイヴィド・ディーンらが発言者で、現在のパブリックヒストリーの基本的方向が説明されたからです。
 昨日紹介したこの二人の本に加えて、8月にはオックスフォード大学出版局からも論文集が出るということで、パブリックヒストリーのディシプリン化が進んでいる。しかし、パブリックヒストリーにはもともと history among the public という面があるわけで、人々の間でプラクティスされている歴史をどう考えるかという問題が、一つにはあります。この領域はカルチュラルスタディーズや、メディアスタディース、さらにはメモリースタディーズとオーヴァーラップします。もう一つは、専門的歴史研究の存在を前提としたうえで、歴史をどのように一般に提示していくかという問題、history to the public , history for the public という問題があります。こちらの問題は、歴史教育や博物館に関わります。
 もちろんこの両者には重なり合うところも少なくなく、いろいろな議論が可能です。そのあたりが続々と出される本によって明らかにされていくだろうということが、報告からはわかるところがありました。

# by pastandhistories | 2017-06-08 01:43 | Trackback | Comments(0)

IFPH③

 いつもと同じでパソコンのネットへの接続が不安定だけど、日程がハードで内容を忘れてしまいそうなので、記憶のあるうちに国際パブリックヒストリー学会で気づいたことを書きます。今日は朝8時半から夜の7時まで。さすがに朝は早すぎると思ったけど、最初のセッションに無理して出たのは正解でした。司会は別の人だったけど、議論の中心はThomas Cauvin(ルイジアナ)とDavid Dean(オタワ)という二人の人物。それぞれ2016年と2017年にパブリックヒストリーというタイトルが付された本をラトリッジとブラックウェルから出版。正確に言うと、後者は未刊で例のコンパニオンシリーズの一冊として出される予定です。歴史理論に関しては定評のある出版社から仕事を委ねられたことからもわかるように、この二人はバランスよく問題点を理解していて、おそらく今後とも海外のパブリックヒストリー論の中心になっていくと思います。最後の会は、今度はコーヴィンが司会して19人によるパネル、問題が手際よく整理され飽きさせない、そうしたところにもコーヴィンの力を感じました。
 そこでは理論的な問題が主でしたが、初日の最初のセッションは博物館について。すでに一部紹介したけどたぶん百人以上が参加、女性が6~7割。イギリス、ベルギー、リトアニア、イタリアの博物館の事例が紹介されました。最後のイタリアについての報告(Michelangela Di Giacomo)はかなり理論的にもまとまっていて発表者の力量を感じさせました。テーマ的にも面白かったのは、ブリュッセルの博物館計画を扱ったEtienne Deschamps のもの。EUに伴った共同歴史博物館をどう考えるかということが議論の対象。当然EUに属する「諸国民」の受け入れるものでなければならない。しかし、それだけでいいのか、つまりヨーロッパを単独のものとして歴史をヨーロッパの人に受け入れられるような展示をしていけば、それもまた奇妙なものになってしまう。確かにこの議論では、歴史叙述をクリティカルに書くことはそれほど難しくはないけど、パブリックな場を対象とする博物館の展示の場合はそれは意外と簡単ではないという問題があることに気づかされました。

# by pastandhistories | 2017-06-07 04:48 | Trackback | Comments(0)

IFPH②

 正直今回は日程がハードなところがあって、内容紹介は大変だけど、書ける範囲で時間のある時に書きます。参加者が多いのはたぶん今回の会が本当の意味での最初のヨーロッパ開催であるからのような気がします。一応これまでもオタワ、アムステルダムで会はあったとされているけど、準備的なものらしく、また国際歴史学会のアフィリエーションのセッションを第二回大会としているけど、これもまたアフィリエーションであくまでも小規模なもの。したがって前回、今回が本格的な最初の会ということではと思います。
 にもかかわらず大変な参加者。パブリックヒストリーがそれだけ関心を集めているということですが、それとともに大きな理由は、参加者もテーマの内容も博物館関係がかなりを占めていること。多分これに歴史教育関係が加わっているので、それだけで参加者が多くなっているところがありそうです。歴史教育に関しては、日本では歴史科学協議会、アメリカでは世界史学会などをはじめとして随分と関心もあり、組織化が行われてきました。なんといっても歴史教育に携わる人も多く、その在り方を論じることは、議論しやすいテーマだからです。
 歴史博物館に従事している人たちも実はかなり多い。一つの例を挙げると、自分も地方国立大学にいたけど、そこの歴史研究者は教育学部を含めて多くて20人、他に私立大学のない地域も多い。しかし、実は各県に県立博物館はあるし、他にも郷土史を展示している公立博物館も少なくない。したがって、そうした博物館において歴史研究・展示に従事している関係者の数は、実際には大学に在籍する歴史研究者と称する人より多いということがあります。
 そうした博物館関係者が国際的に組織されることは少なかった。どうしても展示内容とその対象とする人たちが、ナショナルかつローカルであったためです。ここでも紹介しましたが、国際文化史学会には博物館で歴史に従事している人々がかなり組織されました。印象では2~3割くらい、あるいは5割近くかもしれませんが、国際文化史研究会の構成員を占めているのではと思います。しかし、この会は本来的には文化史をめぐる理論的な問題を議論する場。いわゆる「歴史研究者」の理論が支配的です。対してパブリックヒストリーというのは、博物館をめぐる議論を行うのに適したところがあります。
 しかし、まだ第一印象だけですが、今回はそのことに問題を感じました。その理由は、パブリックヒストリーが議論されるようになったのは、もう少し広い意味でパブリックというものが考えられているからです。たとえば教育の空間、さらにはメディア、日常的な文化空間、などです。プログラムを見ていると今回もたとえばヴィデオゲームとパブリックヒストリーというテーマもあるようですが、きわめて限られていて、博物館関連が圧倒的に多いようです。
 学会を組織することの難しさかもしれません。テーマが新しくても、やはり既存の枠組みが中心とならざるを得ない。これからどのように発展していくかはわかりませんが、パブリックな歴史に関心を持つ他の研究者組織との交流を図りながらテーマをどれだけ広げられるかが、この組織の発展を左右するような気がします。

# by pastandhistories | 2017-06-06 12:38 | Trackback | Comments(0)

IFPH①

 国際パブリックヒストリー学会に参加していると書いたら、大きなアクセス数。会議の内容を知りたいということだと思うけど、正直誰かに代わってほしい。と思って会場を探したけど、他に日本人らしい人は見つかりませんでした。もっとも時間的にはちょうど今が開会式。会はすでに始まっていて3時からの最初のセッションには出たけど、今日は一日大変だったし、これからが大変そうなので開会式はさぼりました。今回は自費参加。自費参加のいいところは、基金提供者に報告義務のないことです。自由に観光もできる。
 場所がラヴェンナということで、日本からだとローマ経由でボローニャに、夜10時過ぎ着なので、ボローニャに一泊し、電車でラヴェンナに来ました。とにかく暑い。陽射しも強力。いくら水を飲んでも汗が出るだけ、疲れます。「イタリアらしく」という言い方はよくないけど、やはりイタリア開催らしいところがあって、メールで登録しようとしたらリンクがはっていない、仕方なくメールを出してペイパルで払えるかと問い合わせたけど、なしのつぶて。くわえてネットに掲載されていたプログラムには時間が載っていないので、一体何時に始まるかが来るまではわからず。
 ということで念のために午前中に行ったら3時からセッション、しかしなぜか開会式は夜。プログラムをもらって初めて時間がわかったけど、「イタリア」なのに、朝8時半から、さらには夜まで。明日は夜の10時までやっている。基調講演。これを聞いていると大変なので多分今回はこれは全部パスするつもりです。しかも日程は5日間。いろいろ学会に出たけど、国際歴史学会はともかくとして、フルに5日間の学会は珍しい。
 たぶんその理由は第一回イタリアパブリックヒストリー学会と共催のため。多分今行っている開会式でそういう挨拶が行われていると思うけど、パブリックヒストリーをそれぞれの国での組織化をしていくことが今後の方向性になっている感じです。暑いけど、熱気もあります。学会は通常は初日は人が揃わないことが多いけど、最初のセッションはほぼ満席でした。参加者の6~7割程度が女性という印象。ネットで登録できなかったので会場で参加申し込みをしようとしたら、なかなか受け付けてもらえなかった。要するに配布セットがもうなくなっていたかららしい。結局一番最後の申し込みなのに、なぜかアーリーバートの最低会費で受け付けてくれた。多分予想を超えた参加者だったためのようです。
 そうしたことの理由は明日書きます。でも繰り返すけど、誰か他に日本人がいたら本当に助かります。
 なおこの学会は来年はまた南米、今度はサンパウロになります。

# by pastandhistories | 2017-06-06 02:21 | Trackback | Comments(0)

あったことをなかったとは言えない


「あったことをなかったとは言えない」。最近ある人が記者会見で述べた言葉です。このブログでも何度も触れてきたけど、この言葉はジョージ・オーウェルがスペイン内戦を経験するなかで、以後の結果的には残り少なかった人生の、そしてその間に書かれた作品のモティーフにしたことです。『カタロニア讃歌』『動物農場』『1984年』はいずれもこのモティーフのもとに書かれました。
 たとえ記録が抹消されても、あるいは改竄されても、あったことへの記憶は個人のなかに残されている。そしてその記憶が語られ、そしてその記憶の内容が「あったことであること」であることを他者が認めさえすれば、それは「資料」とは異なるものであっても、事実としての権利を辛うじて保ち続けていくことになる。
 したがって問題は、そうした記憶の権利を認めるかです。でも史料が意図的に消去されたり、改竄されていたら、その根拠は?。異なった記憶を語る人が登場したら?それに対して今日はここで改めて繰り返しておきましょう。「あったことをなかったとは言えない」と。そして彼の発言は真実であると他者である自分は判断していると。そしてその記憶を受け継いでいくと。なぜ?それはむしろこのブログを読んでいる人に、その答えを教えてほしいと自分は考えています。
 話変わって、明日からイタリアです。ラヴェンナである第4回国際パブリックヒストリー学会に参加するためです。この学会(パブリックヒストリー学会)はもともとはアメリカで始まったもので、最近になって国際化が進められるようになりました。昨年はコロンビアで大会があったようですが日程的に参加ができず残念でした。今年はイタリアということで行くことにしました。あまり準備ができていないので、ここでその報告ができるかあまり自信がありませんが、可能であれば少し報告のようなものを書けたらと思います。
 それからここで紹介した History and Theory の編集長であるイーサン・クラインバーグを招いての9月13日、14日の歴史理論・史学史についてのシンポジウムに関しては、イーサンが切符を予約してくれて最終的に日程が決まりました。自由参加で報告者を募りますので、我と思う人は発表を持ち寄ってくれればと思います。帰国後、他の人とも相談して正式の内容告知をする予定です。

# by pastandhistories | 2017-06-02 15:49 | Trackback | Comments(0)

数量的データに裏付けられた結論

 今日は「比較史」の続きを書こうと思っていたのですが、ネットサーフィンをしていたら、おおいに笑わせられる、かつ同時に考えさせられる記事が出ていたので、今日はそれにつぃて。
 内容はきわめてシンプルなもの。「犯罪者の95%は男なので、男がいなくなれば犯罪はなくなる」というものです。なるほど。統計的な事実、それも覆すことができないような有史以来の豊富なビッグデータに基づく議論。クリオメトリックスで様々な数量的統計を持ち出して、結構恣意的な結論が出されるけど、この議論ほど確実な統計的根拠に基づく議論はありません。この議論に基づけば、目指すはプロレタリア革命ではなく、アマゾネス革命ということになります。自分は犯罪者ではありませんが(正直数々の犯罪歴はあると思うけど)そうした時代に生き延びるためには、あるいは革命に参加するためには、性転換が必要かもしれません。
 という揶揄的なことではなく、この議論には統計を根拠に何を論じるのか、実証とは何かを考えていくための重要なヒントがあるような気がします。大学の小論文の問題によいかもしれません。あるいは中学の入試問題にも。本当に様々な回答がありそうですが、どのような答えが本当に正しいのか、事実から議論を論理的に組み立てるとはどういうことなのか、いいろいろなことを考えさせてくれそうです。

# by pastandhistories | 2017-05-31 17:04 | Trackback | Comments(0)

比較史①

 マルク・ブロックなどを援用するかたちで、歴史の基本は比較史であるということがよく言われます。これを厳密に議論するのは意外と難しい。基本的には比較史は、現在と過去の比較、過去同士の比較、の二つに類別できます。 
 前者の場合は比較の一方の対象は現在ですから厳密には比較「史」とは言えないかもしれません。しかし、歴史は比較史であるいう主張は、比較の根拠の一方が現代であるから不正確というのではなく、むしろ現在におかれていることによって根拠づけられています。その理由は、人間が現在に関して持っている知識や情報が過去に持っている情報に比較して、量的にも質的にも比較にならないほど大きく、かつ正確だからです。「実証」のレベルで、現在についての知識・情報と過去についての知識・情報を比較することは、問い自体がナンセンスです。現在に生きていて、現在より過去の情報のことをよりよく知っているのは、浦島太郎くらいなものです。多くの人は、歴史研究者も含めて、より正確で豊富な現在についての知識・情報に基づき、それを残された史料をもとに推測された過去についての乏しい知識、情報と比較しているわけです。あらゆる歴史は現代史であるというような考えが、コリングウッドのような懐疑主義的な歴史家によって唱えられたのは、彼が現在と過去につての知識にあるそうした差異を認識していたためでしょう。
 やや似たところがありますが、歴史は比較史であるという考えが受け入れられやすいのは、こうした時間的な差異だけではなく、空間的な差異、つまり場の違いからこの問題が議論されるからです。わかりやすく言うと、「日本」の歴史研究における日本と欧米との違い、あるいはアジア・アフリカとの違いといったような議論。つまり歴史認識の場が、自らが育った、あるいはそこで生きているものとして措定され、当然量的にも質的にもより大きな、正確な知識を持つそうした場に対する認識を基準として、相対的には知識や情報が不足している社会が比較されるという問題です。つまり日本史と外国史の比較といったような議論です。
 どちらの場合にも言えることは、比較の対象が、知識・情報の量的・質的内容において、パラレルではないということです。パラドキシカルに言うと、パラレルでないがゆえに、メタフォリックなものとして成立している、今日論じたような比較史にはそうした側面があります。

# by pastandhistories | 2017-05-27 11:48 | Trackback | Comments(0)

政治と知

今日は日本西洋史「学会」。それにちなむことを書こうと思っていたのですが、話題を変えて政治的な事柄について。現在起きていることが、日本の社会の政治的劣化が激しいことを象徴するような事件であることは、多くの人が同意していると思います。何度か書いてきたけど、政治的劣化が進んでいるのは事実だけど、自分の知は新しい時代の状況に応じてますます進歩しているとするのは、批判的な精神さえあれば、議論としては両立しないということに気づくはずです。ましてや、現在話題になっていることは、教育の内容や、大学の設置に関する事柄。竹林の七聖人ではなく、現在の事件に象徴されるような、政治的コントロールがますます強化されている大学に籍を置いているわけだから、そうした大学における学問がますます進歩していると考えているとすれば、そこにあるのは自らを客観化する自省の欠如です。
 このことと関連して痛感させられるのは、知的社会層の劣化です。大学関係者も残念ながらそのなかに入る。しかし間接的には権力との一体性を強めているとはいえまだ消極的な段階。それに比較すると、知的な能力を持つことを根拠に、官僚やメディアに職を得た人々の劣化は本当に酷い。平然と虚偽を語り、事実を隠ぺいする。悪意を持った恣意的な情報操作・管理で社会をコントロールしようとする。本来は社会に対してもう少し誠実であるべき知的社会層の劣化には本当に慄然とさせられます。
 他山の石かもしれません。知的能力を根拠に一定の地位を得ている研究者が同じように劣化してはいないか、そのことをつねに考えていくべきでしょう。このブログは、基本的には歴史に対する考え方へのアイディアを提供し、少しでも前向きな理解を進めていくことへのヒントを提供できればということを目的として書かれています。しかしいくら前向きに考えようとしても、そうした考えは後ろ向きな社会では結局は排除されてしまいます。その意味で政治のあり方は、当たり前すぎることですが、人文系や社会系の知にとっては、あるいはそこで得られた知を教育することにとって、きわめて重要な関係があります。今日この記事を書いたのもそのためです。

# by pastandhistories | 2017-05-20 06:47 | Trackback | Comments(0)

史学科の区分方法

今週末は日本西洋史学会です。随分と人の集まる会ですが、その一方で多くの人がある種の違和感をこの会には感じ始めているのではと思います。一つは、「日本」西洋史学会であることに、もう一つは、いわゆる三史区分がなお継続していることにです。歴史研究者がそうした枠組みで組織され続けていていいのだろうかという疑問です。 
 人文学・社会科学の危機という問題に関して、哲学・史学・文学というより上位の三区分に対して圧力がかかるようななったのは随分以前からです。学会組織はなおそうしたかたちで継続していますが、実際の学部・学科組織に関しては、多くの大学が再編を余儀なくされました。文学部が廃された大学もありますし、哲・史・文という学科区分を廃した大学も少なくはありません。史学科に関しては、高校教育において日本史、世界史が科目として立っていることもあって、受験生にもなじみやすく志願者が多いので、私立大学などでは幸いにしてなお学科継続が認められています。
 もっとも三史区分の継続に関しては、歴史研究者のなかにも異なった意見があります。自分は一貫して継続には反対の立場です。しかし、史学科内ではほとんど同調者はいませんでした。自分の史学科の編成に関しての意見は、その編成区分を、社会史、文化史、経済史、政治史、などのような研究方法の違いを基準とするものにすべきだというものです。
 その最大の理由は、現状のような区分では、個別実証を盾にした研究の停滞が促進される傾向がますます強まっている感じがあるからです。現状では、日本史研究者は日本史だけをすればよい。東洋史研究者も西洋史研究者もそれぞれの領域だけをすればいいだけです。しかし、方法による区分をすれば、多くの研究者は日本と外国の異なる領域をともにカヴァーしていくことになります。歴史研究の基本は比較史だということが随分と主張されますが、もしそうであるなら、こうした区分の方がよりベターな研究方法です。最低二つの異なる地域を研究することが、当然化するからです。またこうした区分をとれば、歴史研究者は当然のように、それぞれの専攻に関わる方法論的な問題、たとえば、社会学、文化理論、経済学、政治学が理論的に提示している問題を、海外での最新状況をふくめて十分に理解していることを、専門的研究者であることの必須条件として要求されます。そうした領域の専門的研究者との学際的な国際的な議論を行う能力を持つことを求められます。歴史が科学であるというのなら、そうしたことは研究者の最低の義務です。
 正直に評価すると、そうした能力を有する歴史研究者は、現在では皆無といっていいかもしれません。大学での歴史研究がそうしたレベルにとどまっていていいのでしょうか。あえて言えば、大学での歴史研究は文書館や史料館における歴史研究とは異なるべきものだ、と自分は考えています。文書館や史料館での歴史研究が不要というわけではなく、そうしたものを土台としたより高度なレベルの実証研究と理論的展開が大学に属する研究者には求められるということです。また学生に提示されるべきものは、そうした質の高いものでなければならないということです。
 今日書いたことには大分反論がありそうです。しかし、人文学の危機を感じるなら、重要なことは自分を被害者の立場に置くだけではなく、自分に課せられた義務を前向きに考えて、それに立ち向かっていくことです。アイロニカルに言えば、現状の歴史研究はただちに過去の遺産となってしまうようなものを次々と生み出しているようなところがあります。過去の遺産を研究する歴史研究が、自ら歴史遺産になるものでしかない。そうである限り、人文学の有力分野の一つであった歴史学の危機はさらに進行していくような気がします。

# by pastandhistories | 2017-05-15 15:54 | Trackback | Comments(0)

世界史の「研究」へ

 実際的には時期的にやや並行したところがあったけど、以前『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013年)という本を編集した時に参考にしたのは、アラン・マンズローが編集した Authoring the Past です。歴史研究者が自分が歴史研究者となる過程の記憶を振り返りながら、それが自分の歴史研究の内容にどういう影響を与えたのかを記した文章を集めたものです。それぞれの筆者の自省をとおして、脱構築論的な視点からの歴史研究がなぜ生じたのかが理解できるところがあって、興味深く読める本です。 
 世界史の研究や教育が対象なので、ややテーマは異なりますが、Kenneth R. Curtis & Jerry H. Bentley eds, Architect of World History、Wiley Blackwell. 2014 も似たようなコンセプトで編集された本で、現代の歴史研究・教育の問題を考える参考になります。ジェリー・ジェントリーが共編者とされていますが、実際には世界史学会(World History Association)のもっとも中心的な組織者であったジェントリーの死後に、彼の追悼論文集として出されたという側面のある本です。
編者をはじめとしてマクニール、ポメランツ、クリスチャン、ザクセンマイヤー、さらにはベントン、ウォードらの現在を代表する世界史論者が、自らが研究者としてその研究対象を切り開いていく過程を回想したこの本が参考になることは、それぞれが最初は院生として学位取得のために、それに必要とされるきわめて詳細な実証研究を従事していたこと、しかし機会を得て最初は若手教員として何らかの教育機関での教育職の仕事に就くにしたがって、そこで要求されるきわめて包括的な、概説的な歴史教育に従事するようになり、その過程でそれまで自分を枠づけていた研究の枠組と、一般的な学生というオーディアンスを対象とした歴史の関係を考えるようになったということが論じられていることです。その過程で、執筆者の多くがたんなる「世界史」のパートタイム的な教育者にとどまらず、さらには「世界史」の研究の可能性を考えるようになった。専門的「研究」には必ずしも位置づけられていなかった、世界史を研究として位置付け、自らがそうした立場に転じたことが論じられています。
 専門的な実証にますます特化する傾向のある現在、とりわけ若手研究者に対しそのことが学位取得の絶対条件として強要されている時代、そして多くの研究者がそのことが自明であるかのように考えている時代にあって、この本で行われている議論は参考になります。若手研究者は、院生時代は個別研究に特化することを強いられ、運よく就職できた場合は(運悪く非常勤職についた場合はさらにいっそう)、一転してかなり幅広い領域を教育することを強いられる。教育者としての義務に忠実であろうとする誠実な人物なほど、そのギャップに苦しめられる。逆にそうしたギャップを感じない研究者の講義は、今度は圧倒的多数の学生を、たとえ彼らが史学科の学生の場合であっても、自分たちの関心と教員の関心の違いのギャップによって苦しめているというのが、歴史教育の現実の場で生じている問題です。
 歴史研究が実証を基本とするものであるということは、あえて近代以降と言う必要はなく、古くから繰り返し論じられてきたことです。近代以降大学においてそれがディシプリン化されて以降そのことはいっそう強調されるようになりました。さらにそうした実証のための様々なツールの進展によって(広義に言えば外国史研究の場合は、留学機会の飛躍的な増大によって)、さらにその傾向を拡大させています。そのこと自体は否定されるべきではありません。しかし、歴史研究者は同時に大学という場において歴史教育者として在する限りは、その場との関係から歴史がいかなるものかを考える義務をもちます。そうした義務の自覚から大きな歴史への関心が生じたことを Architect of World History からは理解することができます。

# by pastandhistories | 2017-05-14 10:42 | Trackback | Comments(0)

未来のイメージとしての過去

 明確な根拠に乏しいはるかな過去にさかのぼって、現在を正当化する。そのことを明治憲法を例に説明しました。別にこれは現状肯定的な保守的なイデオロギーに限定されているわけではなく、変革的な主張もまたそうしたロジックを用います。たとえば、「自然に還れ」とか、「原始、女性は太陽であった」というような主張の仕方です。現状への根底的批判をするにあたっては、こうしたロジックはきわめて有用だからです。しかしそれはロジカルな主張であっても、過去の事実に基づくといった意味での歴史的な主張ではありません。
 発展段階論において初期的な段階として設定された原始共産制という考えは、厳密にはあまり単純化しない方がよいかもしれませんが、基本的には人類が始原的には平等な共同生活をしていたということを措定しています。しかし、人類が始原的には平等な生活を行っていたというのは、動物の行動や生態への分析が進んだ現在ではかなり無理のある主張です。
 たとえば進化論に従うとすると、人類は類人猿もしくはそれに類する種から進化したものです。だとすると、原始人類は平等であったとすると、それと主としては近親関係にある類人猿も平等な社会生活を送っていて、人類は誕生した時にそれを継承したということになります。あるいは人類に近い種である猿も平等な社会を営んでいるということになってしまいます。猿の社会にそんなことはないわけですから、猿が知性を持って人類になった時、ボス猿支配を解体する革命が行われて、共産主義的社会が形成されたということになってしまいます。いくらなんでも、この考えには無理があります。
 今日こうしたことを書いたのは、急進的な社会批判的な思考を、その根拠にさかのぼって批判するためではありません。現状批判的な思想においては、来るべき未来のイメージがしばしば過去に結び合わされて説明されたという「歴史的事実」を示すためです。

# by pastandhistories | 2017-05-13 21:22 | Trackback | Comments(0)

根拠としての歴史

 憲法問題が話題になっているので、今日はそれに関連することを簡単に。
教育勅語に対する対応のように、保守派が論拠にしようとしていることは明治体制への回帰。ではいわゆる明治憲法(大日本帝国憲法)はどのようなことを根拠としていたのかというと、それは憲法発布勅語の「朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス」という言葉に象徴されています。この文章の少し後に、「光輝アル国史」という言葉が続いています。
 ここで理解できることは、天皇制を前面に押し出した戦前の政治体制が根拠としていたことは「歴史」であったということです。当たり前すぎることですが、歴史はこのようにネガティヴにも利用されました。
 いずれにしても、「教育勅語」にしても、「軍人勅諭」にしても、明治憲法の基本的枠組みであった天皇大権との関連において、その役割を果たしたものです。そのことへの自覚が欠如した議論が平然と行われている。あまりにも奇妙です。

# by pastandhistories | 2017-05-09 10:22 | Trackback | Comments(0)

プロフェショナリズム

 スポーツの世界に関していつも思うことは、徹底したプロフェショナリズム。激しい競争での選抜が徹底しているけど、それもまた一時的な評価を受けるにすぎないということです。よく昔の選手と今の選手のどちらが優れているかという議論があるけど、記録を基準とすればこのことはほとんど意味がない。現在の選手の方が、過去の選手に比してすぐれているのは、データ的にはあまりに明らかなことだからです。そうしたこともあって、いかなる名選手であってもそれが評価されるのは、たとえば当時に相手に対してどのような対戦上のデータがあるのかという点においてだけです。
 研究者の世界もまた同じようなプロフェショナリズムに基づいているところがあります。日本人研究者によるものもそうですが海外の研究者の論文を読むと、ジャンルによって多少の違いがあるといっても、20年以上前の論文が参考文献にあげられたり、引用される例は驚くほど少ない。おそらくそういう指導を受けているからだと思いますが、あくまでの現在の研究者同士の対戦(論争)だけが意味あるものとされています。
 プロフェッショナルが求められていることの一つは、同じジャンルで競合する対戦者に勝利して観客の喝采を得ることです。スポーツや碁や将棋、チェスの場合はそうなります。では社会科学や人文学の研究者の場合はどうなるのか。多くの研究者は自分をプロフェッショナルと考るけど、自分の意味をそうした限定的なものとは考えていない。自らの残すものが、もう少し長期的な継続性を持つものと考えている人が圧倒的でしょう。しかし、そうしたことがありうるのは、競争が少ないからかもしれません。層の厚い研究領域では次から次へと新しい成果が出されていて、特定の業績が継続的に評価されることは少ない。プロフェショナリズムの原則に照らせばそのことは当然のことなのかもしれません。歴史理論の最近の動向を追っていると、そんな気がします。
 時々ツイッターの動きなどを検索することがあるのですが、研究者が忘れられるスピードの早さには、残念に思うところがあります。

# by pastandhistories | 2017-05-08 22:55 | Trackback | Comments(0)

事実のレベル

 昨日書いたことを少し補足すると、基本的には関心のある人は誰でも自由に参加し、発表できるようにしたいと考えています。そういうことですので、発表を希望する人は連絡してください。ペーパーは読み手を広げ、海外へ日本の歴史理論の現状を紹介するという点で将来的には英語でということになりますが、会での発表は日本語で構いません。イーサンには通訳をつければいいだけで、一人の参加者のために、参加者全体の間口を狭める必要はないからです。何度か書いてきましたが、横文字でペーパーを読んだり書いたりするのは、より幅広いオーディアンスを対象とすることによって、自らの思考を相対化していくためです。横文字で書かれたものが、閉ざされた仲間だけに占有されるものであり、閉ざされたオーディアンスだけに向けられるものであるなら、それは進歩ではなく、むしろ学問的とされるものをさらに後退させていくだけでしょう。 
 話変わって、最近つくづくほっとすることは、入試なるものとの縁が切れたことです。多くの人がそうであるように、精神的に本当に疲れました。その一つの理由は、教科書についての疑問にありました。多くの教科書で、過去の事実がきわめて並列的に記されていることに対してです。たとえば、古代も中世も、現代も、個々の事柄が同じような確定的事実として書かれています。そのために正誤問題の選択肢の一つとして「イクナートンは一神教を導入した」という文章が出題されたりします。
 しかし、こうした問題を出題することは適当でしょうか。たしかに古代史研究者の間では定説化しているかもしれません。しかし、古代史研究者の間で定説化していること、中世史研究者の間で定説化していること、近代史研究者の間で定説化していること、そして現代史研究者の間で定説化していることは、それほど厳密に考えなくてもレベルがまったく異なっています。根拠とする史料の量、質的内容が基本的にはまったく異なるからです。碑文史料あるいは口承史料しか残されていない時代、わずかの写本しかなかった時代、パピルスや木簡が用いられていた時代、紙が使用されるようになり文書による記録が本格化した時代、印刷された文献が流布するようになった時代、そして音声や映像によって記録が保存されるようになった時代では、「過去の事実」が認識される手続きはまったく異なったものだからです。
 教科書からは、とりわけそれを使用している中学生や高校生にとっては、こうしたことはほとんど読み取れません。きわめて並列的に古代から現代までが、同じように確たる事実であるかのように、固有名詞を中心に、一定の解釈を交えながら教科書では叙述されています。それを事実として覚えなければよい点がとれない。とりわけ正誤問題はそうした強迫観念を増進させています。
 いつも思っていたことですが、教科書が歴史研究者によって執筆されたものであるならば、歴史において事実とされているものはけっしてフラットなものではなく、個々のレベルにかなりの違いのあるものだということがきちんと伝わるようなものとすべきでしょう。そのことが中学生や高校生の間でより正確な歴史への理解を生み出すものとなるはずです。

# by pastandhistories | 2017-05-02 21:29 | Trackback | Comments(0)

日本の歴史理論、史学史

 3月は1回、4月は2回しか書かなかったのに、アクセスし続けてくれる人がいるようで、申し訳ない感じです。一番の理由は、何度か書いてきたけど他の原稿を執筆中のため。テーマの重なることは書きたくない。他にこの間いろいろ思いつくことはあるけど、それを書き始めると、原稿の仕事が止まってしまう。そういうジレンマ状態です。今月中には仕上げるということで、今日から再点検しようと思うけど、この間量的な処理に追われてほとんどノートを取らなかったので、その点が心配。特に欧文を見直す時間があるか少し不安です。
 というのが個人的な現状ですが、それとは別に、History and Theroy の編集長であるイーサン・クラインバーグに日本に来てもらうということで計画を進めています。以前から考えていたことですが、多忙な人物でかなり難しいところがありました。なんとか日程の都合がついて、今年の9月の上旬から中旬ということで実現できそうです。
 今回の計画は、クラインバーグに講演をしてもらうだけではなく(編集者として最近の歴史理論について考えていることを話してもらうつもりです)、もう一日を日本の研究者による発表に充てる予定です。テーマは「日本の歴史理論、史学史」。それが実際に掲載されるかは別として(当然査読があるので)、日本の歴史理論の状況を可能であれば History and Theroy などを通して海外に発信したいので、英語でのペーパーとなります。原文が日本語であっても必要な場合は翻訳することも考えていますので、この計画に関心のある人は是非論文を準備してもらえればと思います。
 日本における歴史理論は固有の問題意識に支えられ、それなりの質的に高い成果を生み出してきたとは思うのですが、残念ながら海外にはその内容が伝わっているとは言い難い。そうしたギャップを少しでも埋められればということが今回の計画の趣旨です。

# by pastandhistories | 2017-05-01 11:42 | Trackback | Comments(0)

墓場にはもっていけない

 書くという仕事が他に入ると、どうしてもそちらに集中するので、ブログは書きにくくなります。でも少しづつかたちができています。二つともテーマが大きすぎて大変だったけど、一つは手堅くまとめる見通しがつき始めました。こちらの方が締め切りも遅いので、英文だけど何とかなりそう。しかしもう一つは、テーマが自分の能力をはるかに超えている。いましばらく、手がかかりそうです。
 ということですが、月曜日の朝は、なんとなくすがすがしい。この1週間どう過ごそうかという気分になれます。というなかで、あるニュースが入りました。お金を墓場まで持っていけないということはよく語られるけど、同じように権力も墓場まで持っていけないと感じました。総理大臣にしても同じこと。いかに最高権力者であっても、ピラミッドでも建てない限り(あるいは建てても)権力を墓場には持っていけません。それは権力に追随して生涯を過ごす小権力者にとっても同じです。権力に追随して得たものを、墓場には持っていくことはできません。
 そんなことは、歴史に証明してもらう必要はありません。自からが判断すればよいことです。 

# by pastandhistories | 2017-04-24 10:01 | Trackback | Comments(0)

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