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19世紀的な形式

 昨日少し長く書きました。この記事には多分こんな反論があると思います。「資料自体が映像を媒体としたより事実的なものである以上、現代史を対象とした再現前化・表象を行う場合は、文字的ではなく映像的なものですべきだという議論はわからないでもない。でもその場合、封建制とか資本主義、あるいは上部構造や下部構造、歴史の発展法則というようなことは、どうやって論じることができるのか」という問題です。
 実はこのことは現在ではすでに「折衷的」に行われています。歴史を「教育」している人は、そのことに自覚的であったか、非自覚的であったかはともかくとして、パワーポイントなどを駆使しながら、図像的な、あるいは映像的な資料を媒介として、「言語的」な論述を行ってきているからです。啓蒙的な一般「書」において現在図像的資料が用いられていないものはまずは見当たりません。最近ではもちろん「図像論的転回」というように、図像的資料をもちいた学術的論文も出現し始めています。
 しかし、そうした「折衷的」な方法で事足れりとしていいのかというと、そこには大きな問題があります。実はそうしたさいにもなお使用されている概念の多くは、19世紀的な歴史、つまり文字的なものを媒体として成立していた歴史にあったイデオロギーや論証の形式を多くは継承したものだからです。とりわけ歴史叙述の一部が歴史学としてディシプリン化されるにともなって生み出されてきたものを継承したものだからです。
 ホワイトが批判しているのはそのことです。20世紀に入ってからいわゆる近代的技術の発展、さらにはそれに伴った人々の意識の変化によって芸術においても、科学とされるものにおいても、大きな変化が生じました。たとえは小説を例にとれば、意識の流れやアンティストーリーといった形式、そのことは小説というジャンルを例にとった一つの例なわけですが、芸術一般においては対象を忠実に模写するのではなく、直観的な、抽象化した表象を通しての対象をむしろ解体・分解していくという表象形式がとられるようになりました。ホワイトが19世紀的なリアリズムに対してモダニストというかたちで論じているものは、そうした形式をもつ芸術や、あるいは科学のあり方です。あるいは人々の意識のあり方です。
 おそらくそうした技術的・知的革新を受けて生ずるべきものは、別の言い方をすると、形式の変化を受けて生じるべき、内容(歴史の場合は過去の実在)への理解は、これまで支配的なものであったものに代わる幅広い可能性を持つべきものだ、というのがホワイトの主張です。ホワイトの議論をめぐって、それでは事実はどのように認識できるのかと議論することも、重要なことかも知れません。しかし、自分がそこだけに議論を集約してはならないと思うのは、そうした議論は結局は問題を「学者」の間の議論にとどめてしまうからです。ではなくて、普通の人々の間にある過去認識のことをもう一度考えてみる。自分が最後に『歴史実践」ということを提起したのもそのためです。ホワイトが「歴史学的過去」(historical past・・・この訳語は佐藤啓介さんが付けてたものですが名訳だと思います)に対して、広く人々の間にある実用的な過去に立ち返ることを主張しているのもそのためだと自分は考えています。

# by pastandhistories | 2017-10-10 09:43 | Trackback | Comments(0)

歴史の一部

 おとといの会で出版社の人に『メタヒストリー』の初刷りの部数を聞いて少し驚きました。価格が高いので部数を限定したのかと思ったのですが、予想を超えた数でした。今どき人文系の学術書でそんなに刷っていいいのかと思うところもあるけど、かなりの勢いで捌けているようです。
 でも買ったはいいけど読者はどう読むのでしょうか。最初が面倒くさいですね。喩法「トロウプス」の説明。多分以前からあったメトニミーを換喩、シネクドキを提喩と訳すのはこれで定着していくと思いますが(今パソコンで入力したら一発で変換してくれました。すでに十分に定着していたということかもしれません)、いったいなぜそのことをホワイトは問題とするのか。これまでも多くの解説でそれが「誰の考え」に「依拠」しているのかは、説明されてきているわけですが、「どうして」という問題は意外と説明されていないような気がします。自分はこの問題はシンプルに考えています。部分が全体を代表するとして、残りの部分を無視するのはおかしいし、恣意的に選び出された部分をつなぎ合わせれば全体が形成されるという考えも論理的には厳密さを欠いている。逆に全体が措定されれば、それが部分を代表しうるとするのも、飛躍があります。ホワイトの発想の起点となっているのは、そうした安易な立論への批判なのでしょう。
 少し議論がずれますが、ホワイトの歴史学への批判は、部分が全体であると称していることに対するものだと自分は考えています。ホワイトを議論すると、歴史は事実かということに、あるいはどうしてフィクションが事実になるのかというところへ議論が向かってしまう。おとといの議論にもそんなところがありました。こうした議論の仕方は、もっと大事なことを見落としているのではと自分は考えています。
 歴史とされるものもその一部ですが、人々の過去認識には多様な形態があります。そのことは自分がどのようなものを媒体として過去を認識しているのかを考えれば、すぐに理解できることです。現在大学をはじめとする研究機関で行われている歴史研究が事実性を根拠としていることは確かなことです。相当に恣意的な内容が含まれるようになったとはいえ、学校教育における歴史はなお事実性をその根拠としています。その点では一定の虚構を許容するとされる小説や映画とは違いがある、それも確かなことです。
 これからも大学などの研究機関や、専門的な歴史研究者とされる人々の間では、事実性に根拠を置くかたちで歴史が論じられていくはずです。そのことは人々の過去認識を助けるはずです。また文書間や資料館での資料の収集や保存も行われていくでしょう。そのことも人々の過去認識を助けるからです。そうした営為自体を否定する必要はありません。しかし、大学のような本来は開かれた真理の追究の場であるところの歴史が、そのようなかたち限定化されることには大きな問題があります[「文書」館であれば、本来の目的からして、それでも構わないのですが)。
 なぜなら、そうした作業は広く歴史とされるものの一部、広く人々がもつ過去認識の一部にしか過ぎないからです。その一部が歴史研究の可能性を阻害すべきではありません。たとえば現在では圧倒的多くの歴史研究者は、歴史を文字で表象している。ほとんどの大学では、卒業論文を「書かなければ」史学科を卒業できない。歴史研究者になろうとするなら、博士論文を書かなければ歴史研究者になれない。なぜならそうした研究の場を支配している「権威ある」歴史研究者は、それだけを「事実的」な歴史と考えているからです。しかしよく考えればすぐにわかるように、歴史「叙述」というのは、本来的にありうる歴史のほんの一部に過ぎません。事実に沿ったより正確な表象をしようとすれば、映像や音声が伴わなければいけないということは自明のことです。なによりも現代史を対象とするなら、より正確に過去を伝える史料自体が、圧倒的に記録・保存された音声や映像なわけだからです。事実をより正確に表象することが歴史研究の成果であるべきだというのなら、学生や大学院生に課せられるべきは、卒業論文ではなく、卒業映像であるべきでしょう。
 つまり歴史は事実であると主張する現在の歴史学は、文字的な歴史を絶対化している「一部」によって支配されている。したがってそのことに根拠を置くかたちで人々に強いられている過去認識もまた「一部」によって支配されているものでしかありません。「歴史の事実」ではあっても「過去の実在」とはほど遠いものということになります。ホワイトが批判したのはそうしたことだったのだと思います。ホワイトが「過去の実在」自体を否定しているわけではないと繰り返しているのもそのためです。こうした意見は極端でしょうか。自分の経験を振り返りながら、よく考えてください。たとえばテレビニュースと新聞は、どちらがより事実的なのか、どちらがより構築的なのかというようにです。実はそのどちらも構築的です。そう考えた時、フィクショナルなるなものとされる映画や小説から、ある種の現実の社会についての認識を、あるいは過去の実在についての想像的理解を、私たちが作り出していることに気づくはずです。

# by pastandhistories | 2017-10-09 21:54 | Trackback | Comments(0)

昨日について

 昨日の外語大の会はテーマとしては一般的なものが設定されていたわけですが、「メタヒストリー」の翻訳出版に開催を合わせたという部分があったので、自分としては「日本では」これまでほとんど論じられてこなかった、ホワイトの思想的経歴や議論の基本的な枠組みを紹介することに中心を置きました。しかし与えられた時間は短いということで、いくつかのインタビューを翻訳紹介したわけです。翻訳は自分のために以前作成していたノート的なもので、今回は正式には二週間前の依頼ということで、点検する時間も全くなかったのですが、参加したとりわけ若い人が(若い人が多かったことには随分と力づけられました)参考にしてくれればと思います。
 ホワイトが日本に来た時も、実は事前に自分の手元には5本のペーパーが送られてきました。同時に、未発表であったものが多いペーパーを添付したメールには、「お前が自由に誰に対しても配布してよい」と書かれていました。何度かここに記してきましたが、ホワイトは学問に対してそうした考えを持っている人です。自分も研究会での発表者や質問者の役割は、自分の正しさを論じることではなく(それが絶対に、誤っているというわけではありませんが)、限られたものではあっても参加者にとって有益なものを提供することだと考えています(このブログもそうしたものとして書いています)。不十分なものですが、多少でも役に立ててもらえばと思います。
 ただ予想されたように時間が全然足りなくて、実際の歴史研究に対するホワイトの影響という問題を、具体的な形で紹介することはできませんでした。会が終わってからイム・ジヒョンが話かけてきて「ホワイトのバイオグラフィとして知らなかったことを知ったので有益だった」と言ってくれましが、そうした印象を多くの人に与えるのにとどまってしまったのは少し残念でした。
 そのイムジヒョンの発表と質問については少し残念なところがありました。イムがホロコーストを映画(フィクション)のあり方にホワイトの議論を結びつけたのは、イムらしいシャープな問題提起でしたが、その後の質疑はやや一般的なレベルにとどまっていました。一番残念だったのは、そこで議論されたような内容は、すでにポストモダニズム的な歴史論の系譜な中での重要な人物であり、『リシンキング・ヒストリー』の創立編集者としてポストモダニズムの立場からの歴史のあり方を議論する場を作ってきた、ロバート・ローゼンストーンが「映画と歴史」「映像と歴史」という問題としてすでにきちんと議論してきた問題だからです。
 イムヒジョンも自分の報告でそのことに気付いたようで、後でローゼンストーンは読んでいなかったのでこれから読んでみると言っていました。自分の責任だとも思いますが、ローゼンストーンの議論に関しては、『歴史を射つ』のなかで彼がこの本のために書いてくれた要約的な文章が翻訳されていますし、自分の『開かれた歴史へ』でも紹介論文が掲載されています。またテッサ・モリス・スズキの『過去は死なない』でもローゼンストーンは紹介されていたはずです。
 ローゼンストーン以外にも Marnie Hughes-Warrington, History Goes to the Movies (2007), ジェローム・デ・グルートの一連の著作、など方法論的に優れたものも随分とあるし、何よりもインデアナ大学を中心とした Film and History や、ここでも紹介したことのある IAMHIST などの活動(すでに1980年代から始まっていた)をとおして映像と歴史の問題は随分と議論されてきました。日本の歴史研究がそうした歴史の方法に対する関心をほとんどたどれていないために議論が基本的なことの繰り返しにとどまっているのは、本当に残念です。

# by pastandhistories | 2017-10-08 10:45 | Trackback | Comments(0)

10月7日

今日は昨日の続きのようなことを書こうかとも思ったのですが、もう日にちもないので、今週の土曜日の予定を書いておきます。ヘイドン・ホワイトのいくつかのインタビューの紹介をとおして、彼の考えの一端を紹介する予定です。今日からはその準備をします。

    国際シンポジウム「『メタヒストリー』の射程で考える歴史叙述と記憶の問題系」

時間:2017107日(土)13時~17時半

場所:東京外国語大学(府中キャンパス)、本部管理棟、中会議室

趣旨説明 岩崎稔(東京外国語大学教授・訳者代表)13:00-13:15

第一部 《ホロコーストと表象の限界》 13:00-14:45 モデレーター:岩崎稔

「『メタヒストリー』とアウシュヴィッツのアポリア」林志弦〈韓国・西江大学教授〉

「ホロコーストをどう表象するか――「実用的な過去」の見地から」上村忠男〈東京外国語大学名誉教授〉 

第二部 《思想家、ヘイドン・ホワイト》 15:00-15:45

「インタビューのなかのヘイドン・ホワイト」岡本充弘〈東洋大学名誉教授〉

第三部《『メタヒストリー』論争の現在》 16:00-17:30 モデレーター:成田龍一 

「物語論的転回2.0 『メタヒストリー』と現代歴史学」長谷川貴彦(北海道大学教授)


# by pastandhistories | 2017-10-04 06:27 | Trackback | Comments(0)

政治の逆説的転回

 ある時期からやたらに研究領域の自己規定を求められるようになりました。結構面倒くさいけど、自分の場合はイギリス史・歴史理論あるいは政治史だけで済ましていましたが、次第にグローバリゼーション論が入るようになりました。さらに細かく求められる時には、社会運動史、議会制度史、グローバルヒストリーと記したりしています。
 というように、自分の本来的専攻は議会改革を求めた民衆運動の歴史。したがって政治理論の本は随分と読みました。可能なら、とりわけ退職後はそうしたことについて書きたいとは思っていたのですが、残念ながら歴史理論関係の注文が先行していてしまい、なかなかそこには手が回りません。このブログもタイトルは「歴史の諸問題」。でも基本的には自分が関心を持つ続けていることの一つは、政治の理論的分析(そして実際的な改善)です。
 そこで今日は現在の政治状況についてコメントしておきます。昨日今日の最大の問題は、民進党からのリベラル派の離脱。簡潔に言えば保守・保守・革新[あるいはリベラル)の三極体制が、少なくとも今回の選挙では成立したということです。この問題について、一部には民進党の分裂は安倍政権に利するという報道・分析がありますが、これは虚偽です。むしろすでにとられた世論調査が示すように、安倍首相の支持率は再び後退しました。
 なぜこのようなことが起きるのか。それは1960年代以降の日本政治を考えるとわかります。1960年代以降の日本に生じたのは野党の多党化現象です。民社党の形成、公明党の成長、共産党の支持拡大、中選挙区制度のせいもあって、このことは加速化され、ついには自民党の過半数割れという現象が生じました。実はこの時この現象を引き起こしたのは、中道保守としての新自由クラブの結成です。しかしこののち進行したのは、新しい補完的な保守政党の形成です。小池都知事や前原議員が参加していた日本新党、小沢議員が率いた新進党、後は限りがないのですが、みんなの党、維新など多くの新しい保守党が出現したわけです。しかし、そのことによって起きたのは自民党の衰退ではなかった。逆に社会党、社会民主党の後退に象徴される革新政党の衰退です。さらにもう一つの現象が同時に進行します。それはかつての自民党の指導者であった長老たちが嘆いているような、自民党の超保守化です。その象徴が安倍首相です。
 なぜそのような現象が起きたのか。それは保守の分極化が逆に中間層を引き寄せ、自民党のさらなる保守化を可能にする働きをしたからです。政治の逆説です。このように考えれば、今回の民進党の分裂は、実際にはきわめて保守的な内容の政党の出現ですが、形式的には反自民党という選択肢を拡大したという点で、安倍首相への支持をさらに下げる役割を果たすはずです。そのままでは安倍首相が退陣する可能性が生じたとはいえ日本政治の危機はさらに進行する可能性もあったわけですが、リベラルな部分が新党を立ち上げ第3極への流れを作ったことによって、補完的保守政党の形成による政治全体の保守化というこれまでの動きとは異なる現象が起きるかもしれません。政治学的に見ると、政治はしばしばそうした逆説的な転回を示すことがあります。

# by pastandhistories | 2017-10-02 18:26 | Trackback | Comments(0)

ロジックとゲバルト

 大学では最近クリティカルシンキングという議論が話題となることがある。授業の目的の一つとして、議論されることが多い。欧米の大学での試みを取り入れようということらしい。しかし、欧米での流行だからそれを導入するというのでは、まさにアンクリティカルな思考だろう。といっても、物を考えることを生業とするのなら、クリティカルな思考は大事。現状肯定的な思考はどうしても、イロジカルなものとなりがちだからである。
 その大きな理由は、現状は基本的にはゲバルトによって支えられているからである。欧米中心的な現在の世界のあり方は、歴史的には数多くのゲバルトによって生み出されてきた。したがって、現状肯定的な多くの思想もまた、その背景にあるのはゲバルトが生み出した力関係である。したがって、いくら非論理的であっても、その存在は許容されている。それどころか、しばしば、多数派として勝者の地位にある。しかし、いくら勝者の地位にあるからと言って、純粋に論理的に考えることを生涯の道として選んだのなら、そうした場に身を寄せることは虚しい。
 専攻の選択の時に、結局は西洋史を選んだのはそんな理由からだったかもしれない。ここでも何度か書いてきたように、実証というレベルであれば、日本史の方が歴史研究者の進むべき道であり、さらには人文学を科学として考えるならば、歴史学より社会学を選ぶのが、より確かな道であることを否定することは難しい(絶対に否定しえないというわけではないが)。しかし、自分が欧米の研究を選んだのは、圧倒的なゲバルトに裏付けられた欧米の思考的枠組みを批判し、解体していくためには(それは近代以降の日本を批判し、解体することにもなるはずだが)、欧米に内在化してそれをロジカルに批判する必要があるだろうと考えたから。
 歴史批判にもそうした問題がある。歴史批判には大別すると二つの立場がある。外在的批判と内在的批判。外在的批判というのは、たとえばテキスト論・言語論のような議論を媒介として、歴史哲学的な立場から歴史学や歴史叙述を批判するものである。厳密な批判も多く、議論としては優れているものもある。しかし、この批判は実際の歴史家からはほとんど無視されている。対して内在的批判というのは、具体的な歴史研究や歴史叙述をとおしての批判ということになる。自らを同じ立場においての批判ということになる。
 この両者では内在的批判の方が、歴史家に対しては有効性があるかもしれない。それは欧米に対する批判としても、内在的批判のほうがそれを論理的に批判しうる可能性を持つのと似ている。しかし、残念ながらその可能性は実際には限りなく小さい。それは歴史にしても、欧米にしても、それらがある種の暴力的関係によって生み出され、そして支えられているものだからである。しかし、だからこそ、それを内部から論理的にも、実際的にも打ち破っていく方向性を考えていくことは「楽しい」。
(このブログはなるべくやさしい文体を心がけていますが、時々文章の流れで別人のものみたいな文体になってしまうことがあります。今日はそんな感じかな)。

# by pastandhistories | 2017-09-26 16:55 | Trackback | Comments(0)

デジタライゼーションの30年間

 デジタル技術の発達について、自分の経験にもとづいて前回の記事に少し補足して書いておきます。歴史研究者、とりわけ西洋史研究者は、元号表記に好意的ではないけれど、現在のように世代的な変化を示す場合は多少便利なところもあります。平成も来年でおしまい。30年が一つの区切り。
 ではこの30年で起きた大きな変化、それはパソコン使用の急速な拡大です。オアシスの親指ソフトと言っても、もう若い研究者は何の事だかわからないかもしれません。同じように88シリーズも。しかしすぐに消え去るこれらが出現したのは今からわずか30年前。平成元年の頃の話です。この年は、自分が地方の国立大学から、東京の私立大学へ移った年。経済的にはバブルがつぶれ始めた年。
 実は自分は地方の国立大学でずっと(教授会の選挙で選ばれて)学部の予算委員をしていました。予算の分配案の作成と特別予算の申請が主たる仕事。何か特別に予算を請求する名目はないかということで考えたのが、教員定員48人の文系学部の教員の全研究室にパソコンを配備するという文部省への特別予算請求。当時1台100万円で総額4800万、当時学部全体に配布される予算が、事務経費など一切を含めて年間4000万円だったので、それを超える額。したがって1年に16台づつ配置して、3年で計画完了というもの。これが確か平成63年の話です。
 普通はこうした予算請求は絶対に通らない。たかをくくっていたところ、なんとモデルケースとして満額承認。それからが大変。今では考えられないけど、最初の年度の16台の使用者が集められない。使ったことがないから。あるいはそんなものは不要と言い張る人も多かったから。仕方がないので、経済学科を中心に本当に何とか頼み込んで、やっと使用者を確保しました。30年前は、研究者とパソコンの関係は、そうした状況であったわけです。
 さらに予算付与につけられた条件にも困りました。何かデータベースを作成するということだったからです。ところが送られてきたすでに全国の大学の文系学部で作られているデータベースの一覧もまた今では考えられないもの。全部で200程度。それも初歩的な文献目録も含めて。当時のデジタル技術の利用状況は本当にそんな程度だったわけです。翻訳技術の発展はそれほど遠くない将来に、それぞれの母国語でのコミュニケーションを可能にするだろうと書いたのも、そうした変化の急速さを本当に毎年のように経験してきたからです。
 このことに関連して思い出すもう一つのことは、コピー技術の発達。院生時代に研究室に当時100万円程度のジェット噴射式のコピーが入った時のことです。たまたま自分が毎日使用していたマイクロリーダーの横に置かれた。ということで、なぜか教員の前でメーカーの技術者とともに、自分が最初のコピーをトライアルさせられました。その時にある教員が発言したことは今でも忘れられません。「これで学生はますます勉強しなくなりますね」。文献や資料の筆写が基本的な勉強の一つと考えられていたからです。もちろんより重要なことは、処理する情報量の拡大。いまどき雑誌論文を筆者することなどありえないでしょう。文書館に行っても、デジカメではいおしまいです。あるいはオンライン化で文書館に行く必要もかなり減ってきました。
 今日はここまでにしておきます。考えなければならない問題は山ほどあるのですが。 

# by pastandhistories | 2017-09-19 22:58 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH補遺

 ENIUGH については、あまり目新しいことは書けませんでしたが、自分が驚いたことは二つ。今日はそのことを補遺として書き、それにかかわることを少し書き足します。
 その一つは、以前このブログで紹介したホブズボームの対談者であったマイケル・イグナティーエフが三日目からの会場であった中央ヨーロッパ大学の学長になっていたことです。もう一つは、そのヨーロッパ中央大学の建物は、昨年完成したもののようですが、それぞれの部屋にプロジェクターはなく、その代わりに黒板ほどの大きさの大型液晶ディスプレイが置かれていて、それにメモリースティックさえ差し込めば、そのまま指タッチで操作できたことです(つまりタブロイドが超大型化したと考えればよいでしょう)。携帯やパソコンでも同じことができるわけだから、原理的にはそれを超大型化すればいいだけ。ただそれだけのことですが、これは本当に便利。デジタル的なシステムの変化の速さには本当に驚かされました。
 このことに関連して思ったのは、グローバルヒストリーのあり方です。というより国際的な学会のあり方、そして日本の[というよりそれぞれの国や社会の)人文的な学問の向かう方向性です。
 グローバルヒストリーと限らず、国際的な歴史学会で最近つねに議論されることは、欧米中心主義、それをどう克服していくのかということです。しかし、そうした議論はますます英語だけで行われるようになっている。それでは欧米中心主義が克服できるわけはない。あまりにも自明なことです。たしかにアジアを含めて「研究者」は英語ができる。しかし、そのアジアでは国や地方で違いがあると言っても、学問的な会議で厳密な議論を不自由なく英語でできるのは人口のわずかな部分であって、一般の人がそうしたの能力を持っているわけではありません。それどころか、日本の日本史研究者でそうした能力を持つのは、現在でも限られた人でしょう。こうした状況で、グローバルな歴史、下からの歴史、普通の人の歴史と言っても、その議論自体はかなり空虚なものです。その一方で、グローバル化がもたらした留学機会の増大から、研究者の英語能力が上昇したことも確かで、そうした意味での「国際化」[というより欧米への同調志向)は、急速に進行しています。
 何度も書きてきましたが、自分はそのこと自体は「現在の段階では」専門的研究者の職業的・倫理的義務であると考えていて、一概には否定はしません。個人的なことを言えば、もう20年度ほど前になりますが、研究室人事を委ねられた時に、自分が建てた基本的方針は「海外での学位取得者」ということでした。日本の西洋史研究はおそらく将来はそのことが基本となるだろうと考えたからです。しかし、この人事には本当に苦労しました。時代を限定すると、海外での学位取得者は当時はほとんどいなかったからです。そこで多少強引な引き抜きをして、その事後処理でいろいろ苦労することになりました。
 ただ最近の海外学位の絶対化や英語主義には多少の疑問も感じています。それはおそらくそうした流れはデジタル的技術の進展の中では、一時的なことかもしれないと考えているからです。その理由は以下のようなことにあります。それは中学時代の数学の教師に教えられたことです。
 この数学教師は本当に厳しい人でした。途中までできていても最後に計算ミスなどがあると絶対に点をくれない。0点です。しかし、同時にこの教師は、つねに「ちからわざ」に頼る生徒は必ず伸びが止まるとも言っていました。つまり受験勉強の蓄積から高い筆算や暗算の能力を持ち、それが数学的能力だと思っている生徒は必ず限界にぶつかるということです。なぜ。「そんなものは計算機」が「より早く、正確に」「将来は(この当時からはですが)」はやってくれるだろうからです。したがって、この教師が何よりも力説したことは、足し算より引き算、掛け算より割り算の重要性ということです。なぜなら前者が数を大きくするのに対して、後者は数を小さくするからです。後者の方が圧倒的に誰にでも処理しやすい。こうした考えからこの教師は、数学にとって重要なのは、素数や因数であり、また「代数」は物事をやさしく考えるための方法であるとして、力技に頼る「算数」から抜け出ることの必要を教えてくれました。中学生当時は理解できなかったのですが、大学受験の時期にこの教師から教わった考え方は、本当に自分の助けになりました。
 なぜこんなことを今日は書いたのか。それはパソコンの翻訳能力を笑う人がいるけど、おそらくそれはあと数十年、長くて100年のことだと思うからです。デジタル技術がさらに進展すれば、それぞれがそれぞれの言語を話して国際会議をしても、それを機械が正確に翻訳してくれる時代が来るでしょう。いくら自分の語学能力が「他人」より少し優れていると言っても、それぞれが天才であるわけがありません。本当に数少ない限られた「天才」の能力を、碁や将棋ではすでにパソコンが乗り越えています。「語学」でもそうした時代が来るはずです。そしてそうした時代にこそ、本当のグローバルヒストリーや人文学の研究の国際化が生じていくでしょう。誰もが国際会議で、というよりも誰もが、普通の人々が、自分の歴史理解を平等なものとしてグローバルな世界に提示できるからです。
 こう考えれば、自分たちの中にある錯覚に気づくことができるはずです。今の国際化の中にある歪みにも。そして本当に目指さなければならないものは何かということを改めて考えることができるのではと思います。
 

# by pastandhistories | 2017-09-17 21:32 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH-4

13,14日のイーサン・クラインバーグを招いての会は無事終わりました。日本の研究者の日本語での報告を、外国研究者が英語でコメントをするという試みで心配したのですが、それぞれの発表内容にヴァリエーションがあって、それにイーサンが本当に丁寧に対応してくれたので十分な成果があったと思います。ただ時間配分が難しく、さらにまた通訳の不在ということで即席の対応になったことも重なり、初日は十分な質疑時間が取れませんでした。
 初日が質疑時間が少なかったので、二日目は思い切って質疑にかなりの時間をとりました。そのためにイーサンの報告の後半の翻訳紹介がかなりはしょられましたが、質疑はそれなりだったと思います。イーサンの良さを引き出すのは、一方的な講演より質疑に時間を割いた方がいいと考えたからです。合計まる十時間も(二次会を含めると二十時間近く)付き合ってくれたイーサンには本当に感謝しています。参加した人は理解してくれたと思いますが、本当にシャープな議論ができる人です。忙しい人ですが、ぜひまた日本に来たいとも言っていたので、そういう機会があればと思います。
 さて中断していた ENIUGH に関してですが、かなり記憶も薄れてきましたが、最後に自分が一番期待していた、三日目の というラウンドテーブルのことを紹介しておきます。World History and Global History- Next Step to Go? というもの。期待は同じであったらしく、今回の会では珍しく、満席で立ち見状態でした。参加したのは、この会の事実上の創始者であるマテイアス・ミデル、それからスヴェン・ベッカート、アムステルダムからマルセル・ファン・デア・リンデン、それから地元の女性研究者であるスーザン・ツィムマーマンなどです。
 スーザンが女性研究者の立場からジェンダーを取り入れたグローバルヒストリーという主張を論じ、マルセルはやや図式的にグローバルヒストリーをたとえば、比較・相互関係・統合というようなかたちで論じたけれど、なんといっても会を圧倒したのはベッカート、とりわけ後半の質疑は彼の独壇場でした。いろいろ興味深い議論提示があったけど、印象的だったのは、グローバルヒストリーは結局は研究者間の協同が必要になるだろうという議論に対し、歴史研究はあくまでも個人の視点という要素があると論じたこと、およびネオリベ的なものを補佐するものであってはいけないと論じたことです。自分とも考えが近く、共感させられました。ミデルは非常にバランスのとれた思考をする人で、会場から出される議論にはあまり深入りせず、今後の他の地域における同種の組織活動との連携を提案していました。

# by pastandhistories | 2017-09-16 22:12 | Trackback | Comments(0)

9月13日、14日

 本来は ENIUGH の続きを書かなければいけないのですが、今日は明日・明後日の会の告知。今頃になってということもありますが、帰国後はその準備(主としてペーパーの翻訳)に追われていました。コメント並びに報告をしてくれるイーサン・クラインバーグとは昨日会いました。大変シャープな人物で、期待できると思います。会の内容は以下の通りです。

【公開セミナー】

日時  2017913日(水)13時~17時半

場所  東洋大学白山キャンパス5号館5104教室(奥の側の正門から入って、坂を上がった正面の建物)

報告

長野 壮一(フランス社会科学高等研究院) 「二人の革命史家、網野善彦とフランソワ・フュレ」

山野 弘樹(東京大学)  「過去」を物語り直すということ

池田 智文(龍谷大学)   近代「国史学」の展開と歴史理論

中西 恭子(東京大学)   歴史と文藝のはざまで

コメント: イーサン・クラインバーグ(History and Theory 編集長)

会:道重 一郎(東洋大学) 岡本 充弘(東洋大学)

【公開シンポジウム】

日時  2017914日(木) 13時~17時半

場所  東洋大学白山キャンパス5号館5104教室 

報告  イーサン・クラインバーグ(History and Theory 編集長)

歴史理論・史学史の現在的問題 ※通訳あり

会:道重 一郎(東洋大学) 岡本 充弘(東洋大学)



# by pastandhistories | 2017-09-12 13:46 | Trackback | Comments(0)

eniugh5-3

ブダペストでの第5回 ENIUGH に参加して、フィンランドでカレ・ピヒライネンのところにより、昨日帰国しました。飛行機の中で少し寝られたので、昨日は12時に寝て、今朝は5時過ぎに起きました。多分時差の問題は、今日で解消するでしょう。
 ENIUGH のことはブダペストに滞在中いくつか書きました。フィンランドではカレといろいろ話をするのに忙しく、書く時間がありませんでした。ブダペストで書いた最後の記事は(ー5)となっていますが、これは(-3)を入力し間違えたもので、(-3)、(-4)が削除されたわけではありません。そこで今日は(-3)として記事を書きます。そこで第三日のベッカートを中心としたラウンドテーブルの話は後(-6の予定)にして、今日はENIUGHについて、少し一般的な話を補足しておきます。
 まず今回気づいたことは、タイトルが Fifth European Congress on World and Global History となっていたことです。前回が同じタイトルとなっていたかは、見落としていましたが、組織の正式名称に取り入れられている Universal History がここからは消えています。組織の正式名称は、the European Network in Universal and Global History だからです。したがってその略称が、ENIUGH なわけです。
 Universal History という考えは、最近の日本ではあまり論じられていないので、その点が自分には少しわかりにくいところがありました。それが、そうしたテーマで本を書いている Herve Inglebert に、前回大会後日本に来てもらった理由でした。そのユニヴァーサルヒストリーではなく、ワールドヒストリーが今回のタイトルには採用されていたわけです。
 だとすると、グローバルを含めてこれらのヒストリーズの違いは何なのかということは当然議論されるべきですが、そのあたりは十分には議論されていない感じでした。ワールドヒストリーに傾斜しつつあるのは、ラウンドテーブルでこの組織の実際の生みの親の一人であるマティウス・ミデルが言っていましたが、同じワールドヒストリーという名称を付けた付けた組織が、アメリカ、アジア、さらにはアフリカなどでも進行しているので、その協力関係を作っていきたいという方向があるからのようです。世界歴史家会議と訳されているCISHに対抗するというわけではないかもしれませんが、各地域でのワールドヒストリーの組織化を前提に全世界的な組織化を可能であれば推進したいということのようです。CISHの現状にやや不満があるのかもしれません。
 そのCISHは、実は組織の名称に、scientific という言葉が入っています。そもそもこれはフランス語からの略称で、最近はISHC(the International Scientific Historians Congress)という言葉の方が、だんだんと一般化しているようです。実はそうしたことは大会の流れにもあって、2000年のシドニーの時は、マグレブを中心としたフランス語圏からの参加者も多く、フランス語が公用言語の一つとなっていて、同時通訳がありました。アムステルダムでも自分がパネルをしたラウンドテーブルでもアフリカ系の研究者から直接フランス語で質問されました。しかし、前回の済南ではほぼ英語に一般化されていて、アジアでの開催なのに、アフリカからの参加者は残念なことに、あまり目立ちませんでした。なおCISHと同じ scientific という言葉を付けた国際的な歴史家の会議で最大のものは、毎年4月ごろローロッパで開催されているものです。参加者の質も良く、これは現在の国際的な歴史家の会議ではかなり高い評価を受けているようです。
 世界史学会には、北京開催の時と、昨年のゲントに参加してみました。この組織は世界史論(あるいは世界史教育)とともに、エリアスタディーズ、言い換えるとアメリカにおける外国研究の流れも引いていて、現在は会長がデヴィッド・クリスチャンの協力者であるクレイグ・ベンジャミンなので、世界史論の一つとしてビッグヒストリーへの流れも取り入れていますが、日本でいう「外国史研究」、あるいは「外国史教育」についての、各国の研究者を組織し始めている感じです。
 こうした国際的な歴史研究の流れが、どのような形で折り合っていくかが、これからの歴史研究のあり方を決めていく感じです。

# by pastandhistories | 2017-09-08 06:23 | Trackback | Comments(0)

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ひょっとすると雨が降るかもしれないので、今急いで宿に戻ったけど、たぶん日本は深夜ということだと思います。三日目の今日は午前は「長い1960年代」というパネルに。こうした表現はこのブログでも一つの考えとして大事だと書いたことがあるけど、会でもそうしたパネルがあるということで参加してみました。 多くのパネルと同じように、ここも参加者は報告者を含めて10人程度。しかし自分としては十分楽しめました。
母体はライプチヒ大学のプロジェクトのようで、司会はライプチヒ。報告者もまずはライプチヒから二人。ミハエル・エッシュ(ドイツ人だとすればミハエルのはずですが、皆はミッシュルと呼んでいたのでフランス系の人かもしれません)が音楽史的視点からの報告。ジャズ・ロックの変容が1960年代にどのように行われたかについて。もう一人のディートリント・ヒューハッカーという女性はフェミニストの視点から、キンゼイ報告などの影響を受けた性的な問題についての変化を論じました。質疑では共通しているのは、ミュージックインダストリーやセックスインダストリーによる商品化からの離脱が現象したというところで議論がまとめられたけど、この辺りはやや図式的な感じ。出来事が「歴史化」されることに伴う問題です。
誰も知らないベイルート大学の女性研究者の報告は本人が欠席。代読されたけど、そのテーマはアフリカの解放運動における女性の表象。かなりの数のポスターを映し出して、女性が(銃を持つ)ミリタントとして表象される一方で、他方では同じ女性が赤ん坊を抱いた形でも表象されたという二面性の指摘。こうした表象化はスペイン内乱、レジスタンスにもあったということもあわせて報告されました。ヴィジュアルヒストリーで分かりやすく、興味を引く内容です。ただし、「銃後の女性」という表象は、ドイツにも日本にもあったわけで、というより全世界的にも見られるわけで、そのあたりはかなり難しい問題もありそうです。
最後はイギリスの大学(ブルッカーとセントアンドリューズ)に勤めている男女のインド系研究者によるジョイントの報告。その理由は、男性が運動の参加者、女性がその運動がどのように表象されているのかということの研究者だからです。これは面白かったですね。正直言って、ライプチヒの二人は、1960年代の継続性を主張はしたけど、長髪でもないし、ミニスカートも履いていない。あまりプロテスト感はなかったのに対し、この二人は一人はマオイストであった(現在はアナキストに近いのかもしれません)ことを堂々と主張、女性のほうも会が終って道路に出ると煙草を吸い始めるということで、結構アクティヴ。しかしそのことよりはるかに関心を持たされたのはサンジタ・センという女性の発表内容。1960年代を取り上げた映画を紹介するものだったからです。なんといっても驚かされたのは、セミドキュメンタリーを含めて実に多くの作品が作られていること。かつ運動にシンパシーも持ったものも少なくないこと。日本との違いに本当に驚かされました。
午後は総括的なパネルでいよいよスヴェン・ベッカートが登場。午前の会の人たちから食事に誘われてレストランまでいったけど、午後のパネルは混むと思ったので、結局注文はしないで早めに予定された部屋に言って席を確保。これが正解で、最初は席が足りなくなり、立ち見もでることになりました。この会については、次回に書きます。、

# by pastandhistories | 2017-09-03 02:01 | Trackback | Comments(0)

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昨日は二日目。パネルの数が多すぎて、どれに参加していいか迷う。しかし、そのこともあって参加者数はパネルによってかなりのばらつきがあります。結果的には参加したのは、いずれもそれほど参加者の多くなかったパネル。
最初は、初期的な資本主義形成の比較を世界史的に論じたパネルということだったのですが、発表者の一人とし手予定されていたドミンク・ザクセンマイヤーは風邪で休み。もう一人も不参加で結局発表者は二人。ノルベルト・ファビアンという人が司会兼発表者。ボーフム大学の人で何度もあ会ったがあります。実は一昨日に少し話をして、その時名前のとおり漸進主義者だと冗談をいったのですが、基本的には封建制から資本主義への移行はその両者を折衷した形で漸進的に進んだという考え方です。混合経済論。ここでは書きませんが、それを5つに整理した説明を試みました。もう一人の発表者は、現在はリューベックに属している台湾出身のアンジェラ・ヒュアンという人、名前の通り台湾出身でハイブリッドの人のようです。ハンザ同盟を素材にプロト資本主義を論じました。このあたりは自分の専門ではないのですが、レベル的に安定した感じでした。
その次に参加したのは、囚人の植民地への移動がどのような役割を果たしたのかというパネル。これは前回のパリでもあって、その時はレスター大学のプロジェクト。同じものかはわかりませんが、やはりレスター大学から何人かが参加。前回の発表が面白かったので、今回も参加しました。今回はアンダマン諸島、北海道、そしてフィリッピン(アメリカによる植民地化のあと)についての発表。最もテーマに即していたのは、アンダマンの事例。囚人労働の問題や、土着民への対応と、植民地支配の関係がわかりやすいテーマだからだと思います。北海道の話は日本人研究者によるもの。やや設定テーマに合わせすぎた感じはしたけど、その分だけ日本ではあまり行われていない「北海道」の説明の仕方で、興味を引くところがありました。
最後はイム・ジヒョンが司会をし、秋田茂さんがコメントをしたアジア系研究者による比較史的なグローバルヒストリー。中国系・韓国系の研究者が、ビルマ、資本主義、中国系移民というそれぞれのテーマを論じました。コンセプトはいずれも欧米の大学での教育経験があるということのようです。欧米系の学生や研究者を対象に研究成果を発信する場合は、どのような形で行われているのかという点で、「日本人」研究者も今後参照すべき議論なのかもしれません。


# by pastandhistories | 2017-09-02 13:42 | Trackback | Comments(0)

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今ブダペストです。最近ではウィキペディアなどでもブダペシュトと表記されていますが、現地に来るとハンガリーの研究者もブダペストと発音しているのでb、ブダペストと書いておきます。
以前パリで大会があったことをここで紹介したことのある、ヨーロッパ・グローバル・アンド・ユニヴァーサル・ヒストリー学会に参加するため。前回が面白かったので、今回も来てみました。パリだったということもあって、それなりにメンバーの揃った前回ほどではないけど、今回もかなりの人が参加。初日は午後からで、パラレルパネルとレセプションとキースピーチ。キースピーチがレーニン論であるというのには驚かされましたが、たぶんロシア革命百年にちなんだのだと思います。その紹介はいずれとして、パネルはボーダーランド論についてのものに出ました。
発表者は4人。うち3人が論文提出予定者。アイデンティティという視点からボーダーランドを分析するちう手法。対象は、ラトガル、バッサラビア、セクラーランド。それぞれ丁寧に言語・宗教・文化を取り上げ、帰属する国家の変化に対して、どのような地域的なアイデンティティがあったのかを説明しました。
感想としては、アイデンティティという形で論じると、逆に視点が固定的になるということです。性格的にボーダーランドは、地理的には固定されていても、人々の流出入のフロウは大きく、またハイブリッド化も進行しがちという地域でもあるからです。そのあたりが逆に論じられないということを感じました。もう一つは、ナショナルな枠組みへの囲い込みの中でマジョリティ化が進行する中で、マイノリティをどう論じるかということはわかるけど、そこから先の問題をどう立てるのかという重要な問題の議論の仕方が、それほど鮮明でないということです。
もう一人はスティーヴン・シーゲルという人。ベラルーシの地理学者でもあったスモーリッチ(1931年逮捕、1937年粛清)を取り上げ、地理学がナショナルな枠組みを作り出す、またそれに保護された学問であることを論じました。地理的境界や、経済的文化的枠組みに国民を位置させるという志向を持つわけだから、当然そうした性格を持つわけです。そのことがベラルーシとソ連という二つの枠組みの間にスモーリッチを置き、彼を粛清の対象に追いやったということです。この発表は問題設定が明確で、力量を感じさせました。歴史学も同様なわけで、そのことは近代的学問を理解するときに重要なことです。
このパネルに参加していて気づいたことは、征夷大将軍というのはもともとはボーダーランドを軍事的に管轄する役割であったということ。それがいつの間にか、中央の統治者になった。つまり関東地方はもともとはボーダーランドであったということです。それが中央になったということになります。ボーダーと中央はそのような形で歴史的に変移してきたわけです。

# by pastandhistories | 2017-09-01 13:19 | Trackback | Comments(0)

時間の均質性

 分類上は西部劇に入れられることの多い古典的な作品にゲーリー・クーパーが主演した『真昼の決闘』があります。西部劇といってもネイティヴ・アメリカンは登場しない。時計と機関車を象徴的にもちいた作品ですが、時計がなぜ象徴的に登場するのかというと、この作品がリアルタイムで進行するからです。そうした形式を用いたということでも、古典的な作品です。
 しかし、この形式は映画の手法としてはきわめて例外的なものです。映画のほとんどは話の展開に応じて、時間を短縮したり、逆に大きく引き伸ばしたり、あるいは同時間に起きたことを、映画の進行の中では継起的に描きます。実はこれは歴史の叙述においても同じでです。historical time、つまり歴史叙述においては時間の経緯はリアルタイムではなく、叙述の必要において短縮されたり、引き伸ばされたりというきわめて随意的な形式をとります。これは伝統的な散文の形式に倣ったものです。そもそも映画のような上映時間という拘束がないわけですから、たとえば小説においても時間の進行はリアルタイムなかたちをとることはありません。
 構築されたものにおいてはこのように時間は不均質なものですが、現実の時間の進行はきわめて均質的なものです。誰もが平等に同じ時間を経験しています。時間が同じということですから、個人個人が経験することは量的には差異がありません、あるとすれば質的な差異です。自分がいつも思うことはこのことです。誰もが時間は平等に与えられているわけですから、何かをすることは、何かをしないことを意味します。ながら族は別として、サッカーをするということは、その時間は麻雀はしていないということです。研究に時間を割けば、趣味には時間を割けない。専門的知識は圧倒的だけど、AKBの一人一人の区別はできません。
 今日こんなことを書いたのは、このブログはかなり理論的なことを書いていますが、理論的なことへの関心は、実証へのリスペクトと当然並行していくべきだということを確認しておきたいと思ったからです。実際には時間の割り振りに難しいところもありますが、関心を一方だけに集中すべきではないでしょう。それは歴史と現実との関係についても同じです。過去にのみ時間を集中すれば、現在の問題を理解する時間は相対的にはどうしても失われてしまいます。

# by pastandhistories | 2017-08-23 05:44 | Trackback | Comments(0)

look at, look into

 やっとアクセス数は落ち着いてきて、分相応ということでほっとするところがあります。この間記事が途絶えたのは、以前ここでも何回が記したことがある書き下ろしの結論部分を書いていたためです。着手は随分と以前でしたが、結論部分がなかなか書けない。結論として書こうとしたことが、いつの間にか個別論文として発表されてしまう。そのうちにプロジェクトや別の本の出版計画が相次いで、そのままほったらかしになっていました。
 今回その結論部分の下書きをやっと書きました。まだ全体を見直してはいませんが、結局全部で400字詰め500枚強。下旬に出版社の人と会うので、大枠はこれでよいということになったら、もう一度見直して年末までには書き終えようというのが、今日段階での計画です。もっとも枚数も多いし、現在の出版状況ですので、出版に至るかはわかりません。内容は歴史論。本当の自分の関心は他の所にあって、時間ができるようになったらそれに取り組みたいと思っていたので、やっとそうしたことにも時間が割けるようになりそうです。
 歴史論と言えば、9月13日、14日のイーサン・クラインバーグを招いて会は、随分とネットに情報が流れているようです。まだそれほど宣伝をしていないのに、助かります。歴史理論、史学史の会ということですが、これについて今日は一言書き添えると、たしかフランク・アンカースミットは、歴史へのアプローチを、look at と look into に整理していたと思います。look at というのは歴史という形をとって著されているもの(書かれたものにとどまりませんが)を検討するということです。look into というのはそうした歴史によって表象されているもののを、内在的に見ていくということです。歴史理論、史学史というのは基本的には前者ということになります。いずれにせよ、過去は、そうしたものを look at することによって、look into しているものです。 

# by pastandhistories | 2017-08-18 14:07 | Trackback | Comments(0)

ボーダースタディーズ

 先週参加したのはボーダースタディースをテーマとした研究会。会での報告の具体的な内容に関してはそれぞれの報告者によって行われていくと思うので、ここでは自分の感想を書くにとどめます。個々の発表については内容的にも細かいことがあるのでそれは避けて、最後の総括的なパネルについて書くと、報告者はクリス・ロレンスとイム・ジヒョン。ロレンスは自分の問題関心からボーダースタディーズということでそれと関わるナショナリズムの問題を取り上げたのですが、本人も認めていたように、参加者の関心とはややマッチしないところがあり、あまり議論は進みませんでした。イムもこのテーマが専門ではないでしょうが、議論は巧み。問題を五点に要約したけど、まずはつかみの議論で南半球と北半球では季節が違うという話から。普通に南北問題と言ってもいいわけだけど、季刊雑誌の「季節」を取り上げてそれを最初の持ち出したのには、彼らしいところがありました。またアイデンティティをアイデンティフィケーションという言葉で置き換え、アイデンティティは固定的なものではなく、つねに過程的に構築されているものだと論じたけれど、このあたりにもイムらしい議論の巧みさを感じさせました。もう一つ彼が指摘した重要なことは、ボーダーをアクターから捉えるということです。
 この問題はこのブログでも論じたことがあります。確認してみたら、2012年3月の「境界の形成、越境者の増大」、同じ年の9月2日の「野ばら」という記事でした。読み直してみると意が足りないところもあるようですが、そこで論じたようとしたことは、そもそも「ボーダー」というのは「国家」が構築されるに伴って同じように「構築」されたものであるということです。構築された「中央」から見れば「周縁」となるけど、歴史的にはそれ自体として主体です。したがってこうした地域をボーダーとして扱うのは、現在的な視点であっても、歴史的な視点ではありません。歴史的にはそうした地域はあくまでも主体として理解されるべきだからです。
 シュテファン・バーガー(彼の呼び方についてはこのブログで彼を最初に紹介して時に、ドイツ人なわけなのでベルガ―と書くべきかという記事を書いたことがあります。今回本人に確認したら、基本的にはそうだと言っていました。しかし、会ではすべての人がバーガーと呼んでいたので、バーガーと書いておきます。ボーダーレス化した人々に通有するインターナショナルネイミングです)も最初のキースピーチやその後のコメントで、ボーダーは(つねに構築され、変更されるものであり、またゾーンであったりラインであるという点で)プロセスであることを強調していました。
 その通りだと自分も考えています。たとえば16世紀までは大西洋がヨーロッパとアメリカ大陸のナチュラル・ボーダーであったわけですが、18世紀には13植民地がイギリスとネイティヴ・ステーツのアーテフィシャル・ボーダーゾーンであったわけです。国家を欧米のみに存在したものとはせず、アメリカンネイティブが保持していたシステムをステートとみなせばそうなります。ルイジアナ地域はある時期までイギリスとフランス、ネイティヴズのボーダーゾーンであったわけだし、テキサスもカリフォルニアもボーダーゾーンであったわけです(この二つは、考え方によれば今でもボーダーゾーンかもしれません。だからこそ人為的に壁を構築するという考えが生じたわけです)。
 どうしてもボーダーには国家、それも近代国民国家や大国が前提とされるところがあり、ボーダースタディーズにそのことは反映されがちですが、やはり歴史的には、そして現在的にもそう呼ばれている地域に住む人々を主体として考えていくことが当たり前のことだけど、必須です。

# by pastandhistories | 2017-08-09 11:48 | Trackback | Comments(0)

今週の予定、今後の予定

 今日から三日ほど研究会で東京を離れます。今回は、シュテファン・バーガー、モリス・テッサ・スズキ、クリス・ロレンス、イム・ジヒョンらが参加するとのことで、楽しみです。ただ自分のプロジェクトではなくエキストラ参加、内容についての報告などは主催者側によって行われると思うので、多分ここでは紹介できないのではと思います。少し残念です。
 自分が関係しているプロジェクトでは、すでに記してきたように、9月13日、14日に『歴史と理論』誌の編集長であるイーサン・クラインバーグを招いての会が、9月13日、14日にあります。13日に日本の研究者による4本の報告があります。イーサンがコメントしてくれますが、彼には英語のサマリーを事前に渡しますので、発表は日本語です。14日はイーサン自身が報告してくれます。ほぼポスターを作成してあるので、その発送作業に入れるのではと思います。それぞれ面白いと思いますが、13日は若手の研究者、14日はイーサンとディベートをしたいという人は参加をしてください。
 もう一つは11月26日に、近刊の Companion to Public History のこれも編集者であるデイヴィド・ディーンを招いて、パブリックヒストリーの現況と今後についての議論をする予定です。ややフライトの切符の手配にややこしいことがあって調整にもう少し時間がかかりますが、多分この日程で開催できるのではと思います。
 二つの会の報告者はともに編集者として、現在の歴史研究の状況についての幅広い理解を持っている人たちなので、いろいろ参考になることが聞けるのではと考えています。自由な討論形式で行う予定なので、多くの人が参加を期待しています。

# by pastandhistories | 2017-08-02 09:12 | Trackback | Comments(0)

プロフィール②

 何気なく始めたブログが随分と積み重なってしまいました。最近は一日平均三ケタ前後のアクセスがあって、それだけの数の人に何を書いていいのか戸惑うところがあります。「そもそも」誰が読んでくれているかがわからない。「いわば」暗闇に向かって書いているような感じです。
 ネットへの発信ですが、匿名というかたちをとらず確か最初の頃にプロフィールとして執筆者の名前を明らかにしたことがあったはずです。その時、時々は個人的情報を書いていくということも明らかにしてそれに類する記事をいくつか書きました。その後も多少は書いていますが、基本的には自分が参加しているプロジェクトなどの情報が中心となっています。歴史研究者であれば、その内容で執筆者が誰かはわかっているとは思いますが、格別歴史研究者ではない人や、新しい読者もいると思うので、今日は改めて執筆者のプロフィールを書いておきます。
 名前は岡本充弘です。職業は、現在は庭園管理、果樹栽培、ママチャリ自転車ロードレーサーですが、そこから収入があるわけではありません。東洋大学の史学科に教員として勤務していましたが、現在は退職しています。ただ歴史理論のプロジェクトには参加していて、主としてその企画を手伝っています。他人が自分をどう理解しているのか、それはわかりません。ただ自分が一番気に入っているのは、ある人からもらった「人格温厚、思想極端」という評価です。実際には、「人格極端、思想温厚」のような気がしますが、そうであるがゆえにこの評価は嬉しいところがありました。
 結構宣伝の多いブログですが、今日も宣伝をしておくと、このブログの内容に関わる出版物としては、単著である『国境のない時代の歴史』(近代文芸社、1993年)、『開かれた歴史へ』(御茶の水書房、2013年)、共編著としては『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013年)、『歴史を射つ』(御茶の水書房、2015年)があります。今年の初めの頃、これらのアマゾンでの販売状況の関して、ここで宣伝的な記事を書いたことがあります。
 『国境のない時代の歴史』はアマゾンでの古本価格が安いので誰か買ってほしいと書いたら売れたらしく、現在では在庫がないようです。実はこれは自分の手元にもありません。この本の内容は自分では気に入っていて、自画自賛ですが「幻の名著」と呼んでいます。
『開かれた歴史へ』は版元ではほぼなくなっているようですが、アマゾンでは中古品が安く出回っているようです。『国境のない時代の歴史』に関しても書きましたが、機会があればサインをしますので(普段は献本にも絶対にサインをしないのですが)、値下げを食い止めてくれる人がいると、嬉しいところがあります。
『歴史として、記憶として』は一時品切れでしたが、現在ではアマゾンに在庫があるようです。これも自画自賛ですが、この本は豪華執筆陣で、貴重な証言も含まれていて、有用ではと思います。
『歴史を射つ』は版元では完売になったようです(返本が多少あるかもしれないけれど)。新刊の値段が高くて自分では心苦しいところがありました。古書としても妥当な価格であってほしいと考えています。
 最後になりますが、自分はフランクな性格で、老若男女誰に対しても分け隔てなく付き合えるのではと思います。最初にも書きましたがブログの不便なところは、誰が読んでいるのかがわからないことです。いくらでも個人的なコミュニケーションには応じますので、気兼ねなく連絡してください。メールは tsyokmt@hotmail.com です。メールのアドレスを公開すると、年齢のせいかヴァイアグラの宣伝が毎日のように入ってきます。もっとも最近は養毛剤の宣伝はまったく入らなくなりました。

# by pastandhistories | 2017-07-30 10:10 | Trackback | Comments(0)

比較史②

 昨日は少し落ち着いたけど、相変わらずアクセス数は減らず、先週は一日平均が3ケタ。随分と多くの人がアクセスしてくれるようです。そうした期待に応えるほどのことは書けませんがませんが、今日は一回で中断した比較史の続きを書きます。
 ①で書いたことは、ユルゲン・コッカも指摘している「比較史の非対称性」という問題です。歴史家は自らが現前する時間的な、空間的な場に対する認識を前提に過去を論じる。同時にその論じられた過去が提示される場もまた彼が現前する時間的な、空間的な場です。そうした彼が現前する場に対する知識は、歴史家が議論の対象としている過去についての知識と比較すると、質的にも量的にも非対称的なものです。もちろんオーディアンスは、歴史家以上に非対称的な知識しか持っていません。
 逆説的なことですが、そうした非対称性のうえに、比較史は成り立っているという部分があります。しかし、比較史には歴史家の拠って立つ時間的な、空間的な場をともに離れた二つの対象を設定するという方法もあります。たとえば19世紀の南米と、13世紀の中東との比較というようなテーマ。もちろんそうしたテーマでも同一性と差異は論じられますし、歴史家から見れば対象はともに自己に疎遠であり、知識の質も量も似たようなであるという点でパラレルなものとなります。実はこの場合でも、歴史家の問題意識が前提とされていて、その意味では非対称性は内在していますが、外見的には比較される対象そのものは対称性を留保していることになります。しかしこの場合は、テーマの随意性がかなり高まることになります。
 比較史の問題は、結論が前提的に措定されがちだということです。結論は二つ、もしくはも三つ。比較するものに、①同一性あるいは類似性がある。②差異がある。そして③同一性・類似性もあるが、差異もある、という結論です。それほど単純ではないという批判があるでしょう。検討の結果、当初の措定とは異なる結論が導き出される場合も多いという議論の仕方です。しかし、そうした議論もまた、最初の予測とは異って、「意外にも」同一性があるとか、差異があるという議論をしているわけで、やはり結論は前提的な措定から導き出されたものです。

# by pastandhistories | 2017-07-25 10:18 | Trackback | Comments(0)

周縁と歴史

 昨日はプロヴァイダーの点検作業ということで、自分からはアクセスできませんでしたが、アクセスが3ケタを超えたようです。おとといもということで、この間アクセスが高止まりの傾向にあるようです。期待してこのブログを開いてくれる人がいるということでしょうが、正直そうした期待に応えられるかと思うと、気持ちが重くなります。ただ読んでくれる人にとって参考になればということで、今日も思いつくことをメモ的に書いておきます。最初に断っておきますが、あまりまとまった話ではありません。
 その一つは以前授業で自分が用いた史料についてです。「歴史は史料に基づく実証である」ということで、大学の史学科には「史料購読」「史料研究」のような科目が置かれています。自分が担当していた西洋史の場合、この授業のためのテキスト選択には以前は結構苦労しました。しかし、ネットはその改善を随分と助けてくれました。海外の史料が学生にも直接利用できるようになったからです。その一つとして用いたのが、ダクラス・リンダ―という人が作成した Famous Trials (http://famous-trials.com/legacyftrials/ftrials.htm)というサイトです。あくまでもアメリカの学生向けという点で、欧米中心で英文が中心となりますが古今東西の有名な裁判の記録が、そのアウトラインについての説明とともにアップされていて、便利なサイトです。
 もちろん、裁判資料などの公的資料を中心として歴史を組み立てることには、批判があります。史料そのものが本来は社会の統制を目的として作成されたものでしかないからです。しかし、そのことを逆用して斬新な歴史研究が、ミクロヒストリーとしてナタリー・ジーモン・デイヴィスやギンズブルグによって試みられたことも事実です。これらが評価されたのは、従来は歴史の周縁に置かれていた人々を取り上げることを通して、その時代の社会のあり方を合わせて論じたからです。
 厳密には論じていることの意味内容は異なりますが、歴史の周縁という問題をテーマに鋭い指摘をしているのが、今年に入ってから翻訳出版されたラナジット・グハの『世界史の脱構築』(原題は、History at the Limit of World-History )です。欧米に起源をもつ World-History が植民地支配とともに南アジアに入ってきた、そしてそのことを前提として「歴史となりえるもの」は何か(このことは逆に「歴史になりえたもの」は何で、「なりえていないもの」何かという議論でもあるわけですが)を論じたものです。
 面白く読める本ですが、そのタイトルの訳に関してに訳者の竹中千春さんは興味深い指摘をしています。それはタイトルの訳として採用された脱構築という言葉は、原書の中では一度しか登場しないということです。しかし、竹中さんがこの訳語を採用したのは明確な理由からです。グハはサバルタンやポストコロニアリズムの立場に立って、そうしたものを排除するかたちで機能してきた世界-史を脱構築する立場に立っている、と竹中さんが考えているからです。
 今日の話はあまりまとまりませんが、無理に結論すると、同じ周縁に議論を立脚させていても、ギンズブルグとグハは立場を異にしています。ギンズブルグは周縁から歴史を構築することが可能だと考えているわけですが、グハは周縁から歴史そのものへの疑問を提示しているということです。これは重要な論点だと自分は考えています。

# by pastandhistories | 2017-07-19 10:56 | Trackback | Comments(0)

セミ・グローバリゼーション

 気づいた人があるかもしれませんが、昨日書いたことは過去に生じた事実を踏まえていないという点で、きわめて非歴史学的な文章です。最大の誤りは、今後の300年の予測として、一家族についての子供数を二人、一世代を30年としていることです。この推定は、歴史的事実に照らして、明確に誤りです。たとえば、日本で出生者数が一カップルあたり二人を切ったのは、20世紀後半に入ってからであって、それ以前は一カップルあたりの出生者数ははるかに大きいなものでした。これは外国でも歴史的には同じで、また現在でも高い出生者数がある地域が存在しています。さらに、一世代が30年というのも固定的なものではありません。はるかに速い世代交代が行われた時代、地域が歴史的にはありました。そればかりか、DNA操作の医療技術が飛躍的に発達して人間の老化が制御されるようになれば、平均寿命が200歳というようになり、人口を調節するために、出生者数を極端に制限するという社会が、意外なほどの近未来に生じるかもしれません。その意味では、人間の社会が同じような文化的枠組みで維持されつづける考えるのは、きわめて不正確な予測です。
 またグローバル化がさらに促進されるというのも、傾向性としてはかなり確実な予想に思えますが、本当にそうなっていくかについては、なお議論の余地があります。そうした問題を論じたものとして、少し興味深いのは、Pankaj Ghemawat が World 3.0: Global Prosperity and How to Acieve It (2011) で論じた現代の世界を 'semi-globalized' という段階にあるものとして捉える考え方です。実はこの本はまだ入手してはいませんが、その紹介はダグラス・ノースロップが編集した Companion to World History (2012) に、ノースロップ自身が付した最後の要約的文章で紹介されています(同書、500~1頁)。
 Ghemawat の主張の要点は、ノースロップによれば、セミグローバライズドという言葉にも示されているように、現在の世界をグローバリゼーションが全面的に行きわたった社会とは考えてはいないということにあります。そしてネオリベラリズムのようにそのさらなる進行を擁護するのではなく、そこから生じる問題を制御する有効な手段が現在の段階では明確ではない以上、国家による規制を支持する立場から Ghemawat は、現在の世界の状況をセミ・グローバリゼーションとして捉えているようです。
 その具体例として Ghemawat は、たとえば現在でも出生した国で死亡する人は人口の90%を占めることをあげています。またネットを経た情報も、国家的枠を超えて流失しているのは20%以下に過ぎないことを指摘しています(ネトウヨが出す情報はまさに国内限定的なものです)。トレンディ化したグローバリゼーション論に釘を刺した主張としてやや興味深い主張です。普通の人々の日常的生活や言語的な制約を考えれば、グローバリゼーションがさらに進行していく場合でも、それは全面的なものとはなりえずに、ローカリティやナショナリティが残されていくということは、大いにありうることでしょう。それがネガティヴなものではなく、いかにポジティヴなものとして機能していくかが大事です。

# by pastandhistories | 2017-07-15 17:38 | Trackback | Comments(0)

未来の歴史

 昨日は旅券の更新に行きました。身分を証明する書類はもちろん(現在の旅券があるので)、戸籍抄本も住民票もいりません。どうしてかなと思っていたのですが、受付でその理由がわかりました。その場で一瞬にして住民票のコピーが出てきたからです。
 考えてみれば当たり前の話ですね。各市町村にある原簿を大型のコンピューターに入力してあれば、それがどの端末からも出力できるからです。現在では住民票や戸籍のある特定の市町村にだけ、(かつては文字的な形で保存されていた)データがあるわけではないからです。 
 このことで気づいたことは、ある世代以降の戸籍はすでにビッグデータの一部になっているということです。それが今後も延々と累積していく。つまり自分も含めて戸籍制度のある現代社会に生きている人間の子孫については、たとえば300年後には、子供が平均二人、一世代が30年とすると2の10乗である1000人程度存在しているわけですが、データが消失しない限り、そのすべてがわかるということになります。別の言い方をすると、300年後の人間は300年前にいた1000人近い祖先のすべてを記録上は認識できます。
 おそらく今後の300年というのは、グローバル化の進展に伴い、人々の流動化、それに伴う混血化が一層促進されていく時代でしょう。そうした社会にあって、個々の人々は自らにあるハイブリディティを、明確な記録をとおして認識しえるわけです。そこでは、歴史をナショナルな単位で論じるべきだとする考えは、きわめてナンセンスなものとなるはずです。カーが論じたように歴史を未来から見るという考えが正しいのだとするなら、ナショナルヒストリーから歴史を語り、それを永続的なものとして絶対化しようとすることは奇妙です。未来に生きる人々は、自らに関して残された史料を踏まえて、自らのハイブリディティを認識していて、ナショナリティに帰一化されるような歴史観を抱いてはいないだろうからです。
 このことが示していることは、もちろん相対的には現在のような流動性の高い社会ではなかったことは事実かもしれませんが、ナショナルな枠組みに歴史がある時期まで画一化されがちだったのは、300年前に生きていた1000人ほどの祖先が可視的なものではなかったからです。そうしたものを丹念に可視化していけば、現在の歴史のあり方も少しは変わっていくかもしれません。繰り返し指摘してきましたが、ファミリーヒストリーの意味はそうした点にもあります。

# by pastandhistories | 2017-07-14 12:25 | Trackback | Comments(0)

いくつか

 7月に入りました。日本の大学はまだまだ授業が続きますが、海外ではすでに休みに入りかけているところが多く、この時期には海外の研究者からのメールが結構来ます。返事をほおっておくとあっという間に溜まってしまう。ということで、今日は朝からその返事書きをしていました。自分に問い合わされてもとは思うのですが、いろいろな問い合わせがあります。
 その一つに、日本でのファミリーヒストリー研究の現状について教えてほしいというものがありました。普段はあまり意識したことがなかったけど、早速ネットで検索してみたら、いくつか本はあるようですが、この領域についての専門的研究者による論及がほとんどないことを知りました。少なくとも、それを専門的課題としている大学所属の研究者は見当たらないようです。だとしたら本当に驚くような話で、日本の歴史学のあり方を考えさせられる話です。 
 この問い合わせとは別に、インドの女性研究者から、インドではかつては男系も女系も含めて個々の人の先祖を樹形図的にたどることが行われていたが、それは現在ではなくなってしまった。日本でも同じだとしたら、それは何故だと思うかという問い合わせがありました。単純化すればナショナリティや共同性が近代国民国家の成立以降は歴史の重要な要素になったというのが自分の考えなので、かつてそれについて書いた英文を添付で送りました。
 カレ・ピヒライネンからはヘイドン・ホワイト論を中心にした論文集のインデックス作成が終わって、7月10日から印刷に入るという連絡が来ました。ラトリッジから出版されます。そのホワイトからは、版権についての問い合わせを出版社に依頼されその連絡をしたら、簡単な内容の返事がすぐに来ました。元気なようです。この翻訳出版は10月頃ということで予定されているようです。
 それから9月13日、14日に予定されているイーサン・クラインバーグを招いての研究会に関して、7月5日締め切りで発表予定者を公募していましたが、数的にも質的にもバランスのよいかたちで応募がありました。研究会はなるべく「開かれた」ものとして行うというのが自分の考えですが、せいぜいこのブログと研究所のホームページで宣伝しただけなのに、こうした形での応募があるとは考えていませんでした。いろいろ調整しながら、月末までには具体的な内容をつめていく予定です。
 なお予算が少しありそうなので、パブリックヒストリーの中心的メンバーを招いての研究会を企画していますが、この件に関してはその一人から11月末頃に滞日したいのでどうかという問い合わせがありました。この時期で開催が可能か、これから検討していく予定です。

# by pastandhistories | 2017-07-07 09:53 | Trackback | Comments(0)

7周年

 昨日は97件、おとといは104件のアクセスがありました。歴史に対する映像的・図像的表象の意味を随分と強調しているこのブログは、アイロニカルなことに一切図像や映像を用いず、文字だけで構成されています。いまどきのブログとしてはあり得ない作り。さらにツイッターのような短文ではなく、数えたことはありませんが、多分それぞれの記事が1000~2000字程度で書かれているのではと思います。 
 読み手を無視したとっつきにくい形式。さらに内容的にも基本的には歴史研究者を対象としたもの。それでも一日に百件近いアクセスがあるということに対しては、読んでくれている人には感謝しています。もっともアクセスが多いのは、誰かがブログかツイッターにリンクをはって紹介してくれているためのような気がします。
 読み手が増えた時に、時々このブログが書かれ始めた由来を説明しています。もともとは、2010年にサンディエゴのアメリカ歴史学会に参加した時に、時差で朝早く起きたのでその時間を利用して書き始めたもの。その後同じ年のアムステルダムでの国際歴史学会議に参加した時に、またその準備でロンドンに滞在していた時に、同じような理由から本格的に書き始めました。それまでいろいろ考え、メモを記していたことや、国際会議の動向、あるいは最近の国際的な歴史研究の流れで注目しておいてよいことを気ままに書いています。ブログということで、自分が関連している研究プロジェクトの紹介や、自分がその時々に取り組んでいる原稿の内容などについても。まとまったものでなく、あくまでも自分のためのメモというかたちで書いてきましたが、今年で7周年ということになります。書いた記事数は途中までは数えていましたが、最近では面倒くさいので数えていません。多分600記事から700記事程度。合計するとかなりの量になってしまいました。
 このブログには月間記事別アクセス数がわかる機能があって(一日毎のアクセスもわかります)、それを見るとどのような記事が読まれているかがわかるようになっています。不思議なことは、どうしてそのことがわかるのかなとという、自分でもそれなりにわかりやすく書かれているなという昔の記事が、よく読まれているようです。「魔女の実在」「アーサー・ペンと小さな巨人」「明示性と構築性」「複雑系の考え方」「COM」「全世界」「生きていたことへの不安」「ノンフィクションと歴史」「I knowed」「死者の権利」「オバマは最初の黒人大領領?」「二時間ドラマの構造」「民主主義への憎悪」「想像する」「御用学者」「世界史教科書の写真」といったような記事です。これらの記事が必ずしも歴史研究者だけを対象とするものではなく、一般的な内容を含んでいるためかもしれません。

# by pastandhistories | 2017-07-02 06:32 | Trackback | Comments(0)

new brave history

 先日ある文章に、「ニュー・ブレイヴ・ヒストリー」というサブタイトルをつけたら、編集者の人にわかりにくいと言われました。確かに意味が分かりにくいですね。英文では、New Brave History。 これなら英文の読者にはわかるところがあるのではと思います。ハックスレーの New Brave World (翻訳タイトル『素晴らしき新世界』)をもじったものであることがわかるからです。 
 『素晴らしき新世界』はいわるるディスト―ピア的な科学的空想小説です。テーマは未来には、現在と同じようなかたちでは人類は文化的にも、あるいは生物的にも存在していないというものです。したがって、そうした人類から見た歴史は、現在の人が考えるような歴史とは異なるものとなります。
 人類は未来において現在とどう異なるものとなるのか。その一つの例示はサイボーグです。痛みと感情をめぐる本でも、攻殻機動隊を例にとって、未来人類にとって痛みという感情はどのようなものなのか、どのような意味を持つのかという問題がふれられています。しかし、そこで問題となるのは、痛みや感情を感じる器官である脳は、将来にわたって生物的(有機的)なものにとどまるのか、それとも無機的なものによって置き換えられるのか、さらには無機的なものを有機的なものに転換したものを移植するかたちで脳が合成されていくのかという問題です。
 最近、碁や将棋で人工知能(AI)が職業的棋士を打ち負かす例がさかんに報道されるようになりました。コンピューターのほうが、人間より高い能力を持つということです。歴史研究でもそうした流れは生じています。だとすると問題は、人間がコンピューターをどのように上手に利用するかだというような議論が、よく行われています。果たして問題はそこにとどまるのでしょうか。
 そうした議論は、機械と人間を別のものとして考える、つまり前者を無機的なものとして、後者を有機的なものとして考えるということに根拠を置いています。しかし、機械は本当に有機化できないものでしょうか。今は機械的要素の多い、人工の手足や内臓を有機化することはそれほど難しいことではないかもしれません。しかし、皮肉なことにこのことはあまり必要なことではありません。無機的なもののほうが有機的なものより、持続性などに関して高い性能を持っているからです。同じように人工知能を有機化することができれば。たとえばそうした有機化された知識を人間の脳に嵌め込めば、最強の棋士が生まれることになります。あるいは最高の思想家や歴史家が生まれるかもしれません(あくまでも現在と比較すれば最高という意味ですが)、。
 こうした考えは実際には実現しえない空想なのでしょうか。自分はそうは考えてはいません。そのことは文明が形成されて以来の人間の歴史(わずか3千年程度です)を5百年程度ごとに区切って考えるとわかるところがあります。紀元0年から見れば紀元5百年位起きていたことはまったく想像のつかなかったことでした。紀元5百年から千年、千年から千五百年、千五百年から二千年についても、同じことが言えるでしょう。そう考えれば、五百年後の世界は現在とはまったく異なる、想像力の及ばない世界である可能性はきわめて高いということになります。それが「歴史」から得ることができる合理的な判断です。及ばない想像力をあえて働かせて想像すると、AIがもつ膨大な情報を有機化して自らの脳内に取り入れた人間が生きている時代かもしれません。そうした人間が考える歴史は、現在の人間が考える歴史とはまったく異なったものでしょう。
 New Brave History というのは、そうした時代における歴史のことです。現代の社会に生きる私たちから見れば、「奇想天外」な話ですか。

# by pastandhistories | 2017-06-25 13:57 | Trackback | Comments(0)

言語論的転回を超えて

 予定では今日は飛行機に乗っていたかもしれない日。25日からスウェーデンのウメオで「感情史」をテーマとした国際文化史学会があるからです。早い時期から参加するつもりでホテル探し。限定50%割引というホテルを見つけて、予約までしていましたが、帰国して2週間で再度ヨーロッパ、場所もやや不便なところで日程的にもきつい。プログラムを確認したところ、個々の報告はすでにかなり専門的な段階に入っている感じで、準備も間に合わないということでキャンセルしました。割引価格であったので、ホテル代は全額没収、このあたりは予約の仕方の難しさです。
 ところで感情史についてですが、先週そのセミナーがありました。内容的にも充実していて、とくに若い人の発言には感心しました。ただ会でも、二次会でも感じたのは、言語論的転回からの流れの理解に、やや混乱したところがあるのではということです。このブログでも、「水が100度で沸騰する」ということと「サッカーの試合の予測」「競馬の予測」(余談ですが、今年のダービーは当たりませんでした)ということを対比的に取り上げて説明しました。前者のように、「科学」的なものとしてその因果関係に法則として定立可能なものがあることを、否定する必要はありません。そうした因果的説明は効用性を有していて、実際に有益に運用されています。しかし、「複雑系」に属する後者において用いられる因果関係は、結果を断定的に予測できないという点で、前者とは質的に異なります。はたして前者のような例を、対象に真理や法則が内在しているという点で本質主義的な議論の根拠、後者のような例を、認識の相対性を論じているという意味で、構築主義的な議論であると大別してよいのかは議論の余地がありますが、いわゆる構築主義的な議論の批判の根拠としては、しばしば前者のような事例が用いられます。
 相対主義的な構築論のおおきな根拠を提供したのは、言語論的転回です。言語論的転回にもっとも大きな影響を受けたのは、歴史です。言語を媒体としているという意味では、哲学や文学のほうがより大きな影響を受けたとすべきですが、言語の組み合わせによって歴史的に構成されてきた哲学や文学に関しては、前者は同種の議論がその形成以来ずっと基本的な議論の一つであったこと、後者はもともと言語によって生み出される虚構性に基づいていたわけですから、事実性を根拠として、史料に関しても、叙述においても、その基本的媒体を言語としていた歴史ほどには、深刻な影響を受けなかったわけです。
 もっとも歴史がもっとも大きな影響を受けたといっても、実際にはその意味を深刻なものと考えたのは、ごく一部の歴史研究者だけでしょう。日本では遅塚忠躬さんや二宮宏之さんなどです。海外ではもう少し大きな影響がありました。実はこのあたりは、今日のタイトルがサブタイトルとなっている長谷川貴彦さんの『現代歴史学への展望』を借りての議論となりますが、その中で生じたのが、文化史への着目です。しかし、この間の会でも議論となりましたが、文化史には、構造や表象の問題が前面化しているのではないか、またシンクロニカルな理解が先に立って、歴史の重要な要素であるダイアクロニクルの理解を欠如しているのではないかという批判が生じます。こうしたなかで歴史の主体である人間の行動を本来的に規定しているものを、構造的与件ではなく別のものに求めていこうというディープヒストリーへの関心が生じているのだと思います。感情史への関心もそうした流れの上にあるものだと自分は理解しています。つまり「言語論的転回を超えた」その延長に生じたものとして理解することができます。
 以上のような整理、当たっているかは正直自信がありませんが、現在の段階ではこうした流れが、最近の歴史研究の流れの一つだろうと自分は考えています。

# by pastandhistories | 2017-06-24 10:48 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリーについてのメモ⑥

IFPH では会の報告内容として、ホームページへのアクセス数の各年ごとの推移の報告がありました。順調な増加傾向があって、今後の可能性を予想させるものでした。実はそこで報告をされたアクセス数の割合にして5分の1くらいのアクセス数が、このブログにはあるかもしれません。IFPHのホームページは、英語で全世界に発信されているわけです。統計の読み取り方の間違いなような気もしますが、それにしてもこの間のこのブログへのアクセス数は、多い感じです。まだあまり聞きなれていないパブリックヒストリーというテーマが、どのように議論されるのかについて、関心をもつ人が多いからだと思います。
 ということなので、少し記録を確認していたら、昨年パブリックヒストリーをめぐる研究会で簡単な講演をすることを依頼され、それにあわせて作成した原稿があることを思い出しました。さっそく確認してみたら、400字原稿用紙40枚程度で、ここでメモ的に書いていることとも重なる点があるようです。量が多すぎてここにアップするのは難しそうなので、それならば以前英文原稿については行っていたように、ホームページを作成してそこにアップしようかなと考え午前中に少しトライしましたが、うまくいきませんでした。また時間を見てトライをします。
 詳しくはその原稿をとおしてでということで、今日はパブリックヒストリーについての最後のメモを記します。IFPHでもさかんに議論された博物館の問題です。「さかんに議論」されたように、博物館をめぐる議論はそれ自体としてすでに十分と議論されていて、また最近では歴史研究者によるアプローチも盛んになっています。自分からは専門外のことであって、あくまでもここでの議論は、パブリックヒストリー論からみた感想的メモとなりますが、今回の会での議論で感じたのは、博物館や記念建造物のイデオロギー性ということです。それが近年は増加する傾向にあるということです。
 もちろんこうした議論は、博物館や記念建造物のナショナルな枠組みとの関係を強調した議論であって、視野を広げれば、博物館や記念建造物は、むしろ数としてはローカルなものが圧倒的に多く、またその内容も多ジャンルにわたっていて、私的な要素を含むものも少なくありません(一例をあげると落合博満記念館。こうした芸能・スポーツはもちろんのこと、その他の文化的ジャンルや郷土史に関わるものなど実に多様な記憶装置が、実際には全国的に散在しています)。したがってその政治性やイデオロギー性を過剰に論じるべきでないことも事実ですが、他方ではエラノ・ゲイ論争、対する原爆記念館、そして今回の会のように、少女(慰安婦)像や共産主義犠牲者博物館、といったものをめぐる議論が絶えず提示されるように、記述される歴史以上に固定化される記憶装置には、それがイデオロギー的な議論の対象となるという面があります。記述が相対性を許容するのに、モノ自体にはそうした側面が少ないからでしょう。
 歴史は確たる証拠にもとづいた事実を表象するものだということは、常識的に論じられています。しかし、確たるものを提示することに、イデオロギーが強く内在するというパラドクスが、歴史にはあります。おそらくはそうした問題をどう考えるかが、「記憶」と「和解」、そして「忘却」をめぐって最近では行われているのだと思います。
 以上いつもながらまとまりませんが、これでパブリックヒストリーに関する記事はひとまず停止いたします。なおこのテーマに関しては、ここで紹介した論者の誰かを招いての招聘セミナーを計画中で、現在その日程の調整をしています。実現できるようでしたら関心のある方は是非参加してください。

# by pastandhistories | 2017-06-23 15:43 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリーについてのメモ④

 自分が参加していたプロジェクトによる招聘で日本に来てもらい、Consuming Public History というペーパー(このペーパーは今年2月に出されたプロジェクトの報告集である The New Development of Historical Studies and Global Citizenship に他の報告とともに収録されています。まだ残部があるのではと思うので、希望者は 03-3945-7492 に問い合わせてください)を読んでもらったジェローム・デ・グルートは、2013年に編集・刊行した論文集のタイトルを、Public and Popular History としています。  
 この本は、もともとは歴史の脱構築論の立場に立つ Rethinking History での特集に基づくものです。タイトルにパブリックとポピュラーが並行してもちいられているように、パブリックヒストリーが、同時にポピュラーヒストリーとして、いわゆる民衆自身の中にある歴史として理解されています。このように脱構築論的な歴史論は、いわゆる民衆史と対立するものではなく、その問題意識においてはむしろ共通性があります。そのことは、いくつかの書物やこのブログをとおして繰り返して指摘してきました。
 しかし、かつて日本で流行った民衆史、あるいは下からの歴史を論じる歴史研究者は、必ずしもそうした捉え方をしていません。おそらくその理由は、「科学的」とされた進歩主義的な学問的な歴史を補完するものとして民衆史、一般の人々にある歴史が措定されていたためでしょう。逆の見地に立てば、最近のパブリックヒストリーへの関心は、学問的な歴史がパブリックな場での影響を失ったことによって生じたという側面があります。別の言い方をすれば学問的な歴史に対して、パブリックな場での歴史が自律性を持つようになった、具体的には歴史修正主義をめぐっては、きわめて保守的な主張がネットサポーターという人々によって擁護され、それが学問的な歴史とは相いれないものとなっているという問題です。
 こうした問題を前提とすれば、パブリックヒストリーの意味は、新しい学問的トレンドであるという点にだけではなく、現在の歴史学の危機をどう考えていくのかという点にもあるということになります。自分が、パブリックヒストリーを論じることが重要だと考えるのは、後者の観点からです。歴史研究者が執筆・編纂した教科書、それに基づいて行われる歴史教育が一般の人々によって当然のものとして受容されるという平和共存、実はそれはナショナリティの枠組みによって強固に統御されるものであったわけですが、そうした共存がパブリックな場の歴史の自律性が高まるについて失われた、もちろんそうした自律性は学問的な歴史に対する自律性ではあっても、ナショナリティに対する自律性ではないわけですが、そうした問題を考えていくためには、パブリックな場における歴史のあり方や意味を、肯定的な意味でも、否定的な意味でも考えていかなければならない、と自分は考えています。そのさい、歴史家が自らの立場を擁護するものが、たんに事実性にとどまっているだけでいいのだろうか、そうした議論がかつては持っていたように思われた説得力を持ちうるものなのか、ということがパブリックヒストリーを考える際には重要です。

# by pastandhistories | 2017-06-22 10:05 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリーについてのメモ③

 IFPH の大会への参加を機に、パブリックヒストリーについてその現況や自分の考え方をメモ的に記したら、戸惑うほどの反響がありました。自分はこの問題は重要だと早くから考えていて、その点で国際的な学会組織化が進んだことに大きな関心を持っています。しかし、まだ国際的にも全体としてはこれから議論が整理されていく段階。あくまでもここに記すことは、現在的な段階での自分のメモです。
 すでに記したように、おそらくはパブリックヒストリーは発展するに伴って、かなりの広い内容をその中に含みこんでいくのではと思いますが、現在では IFPH の議論内容からもうかがえるように、博物館が議論の対象の一つになっています。
 ここで着目してよいことは、なぜ博物館が重視されるようになったのか、あるいは軽視されてきたのかということです。おそらく重視されるようになったことの一つの理由は、インターネットの発展によって、博物館が「定置」しているだけではなく、ネットを通してその展示内容が広く参照されるようになったためかもしれません。展示内容は、「モノ」としての具体性、直接性を持っていますから、文字的なものより、はるかにネットを通しての訴求力を持ちます。そのことが博物館への関心を高めたということが一つには言えそうです。
 逆になぜ軽視されてきたのかというと、その「定置」性から、従来は参観者数や参観時間が限定的であったからです。このことは学校教育と比較することによって論じることができます。多くの「国民」は学校を通しての「歴史教育」をとおして歴史に対するかなりの認識を得ています。そのことは歴史博物館を通しての認識と比較するとよくわかります。まず物理的に、時間の絶対的な違い。博物館に行く時間は平均すれば、1年で数時間でしょう。これに対して学校での歴史教育を受けさせられる時間は圧倒的に多い。さらには普段の試験、入試などで学校教育を通しての歴史への知識は強制されます。歴史博物館にはそのような強制力はありません。そもそも学校教育を通しての歴史は、時間の配分までが定められていますが、博物館は、どの博物館を選ぶかも、また入館後何を見るのかということも参観者の自由です。
 そうした学校教育の優位性にもかかわらず、なぜ博物館を通しての歴史という問題が次第にクローズアップされるようになったのかというと、それはパブリックヒストリー全体の問題とも関わりますが、教育を通しての歴史が次第に影響力を後退させたからだと自分は考えています。

# by pastandhistories | 2017-06-21 10:41 | Trackback | Comments(0)

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