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ホブズボームについて

 いつまで続くかはわかりませんが、毎日記事を書いていて思うことは、ある程度テーマに継続性を持たせたほうがよいのか、それともその日その日によってテーマを変えたほうがよいのかということです。なるべく読んでいる人のヒントとなるようにということでは後者の方がよいということがありますが、書きやすさ、読みやすさという点では前者がよいということになるかもしれません。
 ということで、昨日ホブズボームに少し触れたので、ホブズボームについての話題を書きます。彼に関しては、まだ院生の頃になぜか彼の著作の訳書の書評を書くという役割が何度か自分に回ってきました。『原初的反抗者たち』(Primitive Rebels)などです。それまでの「制度化」された「労働」運動史から、地域的にも形態的にも周縁的な民衆の運動への着目、という点で、こうした彼の視点はいくつかの彼の代表的な大部な著作以上にその後の歴史研究に影響を与えるようになったわけで、そうしたものの書評者という役割を与えてもらえたことは、書いた内容はともかくとして今考えるとよかったのではと思うことがあります。
 ホブズボームには直接話をしたというわけではありませんでしたが、研究会で二度ほど見かけることがあります。最初は彼が来日した時で、東大の社研で講演をした時です。まだ大学院に入ったばかり(あるいはまだ学部の学生だったかもしれませんが)の頃で英語もよく聞き取れなかったので、この時の講演はテープにおさめてそれをまだもっています。この時のことで印象にあるのは、質問の時間になった時に、会場から講演の内容とは直接は関係のない「公害をどう思うか」という質問が出たときのことです。当時は環境汚染の問題が大きく社会問題化していたためにこうした質問が出たのだと思いますが、質問者がpublic pollutionという言葉を使用したのに対し、ホブズボームがpublicはいらないと返答したからです。「公」害という言葉は日本のメディアが作り出した言葉では、英語ではそういう言い方はしない、ということでなるほど思ったのですが、実はYahooでpublic pollutionという単語を検索すると日本人研究者の英文論文をはじめとして、現在では英語として使用されている多くの例が掲載されていて一般的な言葉となっているようです。そのあたりのことは英語学者にまかせることとして、少なくとも言えることは、pollutionにpublicという言葉を冠してそれを必然的なものとするような思考に対しては、ホブズボームは批判的であったということです。
 二度目に見かけたのは、ブライトンで行われたLabour History Society(労働運動史研究会)の大会です。1990年代の話ですが、この大会が印象にあるのは、階級、ジェンダー、エスニシティが議論の対象となったからです。労働史研究会の大会でしたが、すでに「階級」という視点から歴史を捉えることが「時代遅れ」だと批判され始めていた時代でしたから、この会議ではある女性歴史研究者が勢いよく、「階級という視点から歴史を説明してきたのはおかしい、抑圧されてきたのは人口の半分を占める女性であって、そうした女性の視点からこそ被抑圧者の歴史は語られなければならない」と主張しました。理のある話ですが、この議論をさらに批判したのが、親が旧植民地からイギリスに移住してきたというカラードの研究者でした。「階級とか女性などより、もっと抑圧されてきたのは帝国の支配下におかれた立場の人々であって、自分のような人間が属しているグループは、少数派であるがゆえに、女性よりももっと大きな抑圧の下におかれている。そうしたエスニシティの視点に立つことが被抑圧者の歴史をよりよく説明することになる」という議論です。これもまた理のある話です。
 ホブズボームについて感心したのは、彼はこのとき会場の後ろのほうに遠慮がちに座っていたと思いますが、こうした原則的な議論に対して挙手をして発言を求め、あらためて階級という視点から歴史を見ていくことの意味を誠実に説明しようとしたことです。
 このブライトンの大会での議論にも象徴されているように、ホブズボームの主張は時代から外れたものとなりつつあるという批判は可能です。しかし、ホブズボームという歴史家をどのように位置づけていくのかということは、イギリス近代史研究者にとってはなお重要なテーマとして現在でももう少し議論されていいような気がします。そうした問題については、渡辺雅男さんが本屋で偶然見かけて翻訳することになったというリン・チュン『イギリスのニューレフト - カルチュラル・スタディーズの源流』が優れています。ホブズボームという歴史家を媒体として、その後のイギリスの歴史研究がどのように変化してきたのかということを、副題にあるカルチュラル・スタディーズとの関連だけではなく、ホブズボームのもっとも優れた後継者となると目されていたギャレス・ステッドマン・ジョーンズがなぜ批判的マルクス主義という立場から言語論的転回という議論に関心を向けることになったのかということとあわせて説明していて、現在の歴史研究の流れを理解するのに役に立ちます。
by pastandhistories | 2010-10-21 10:52 | Trackback | Comments(0)
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