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歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

他者についての知

 歴史研究の論文を読んだり、発表を聞いたりしていて最近とくに感じるのは、歴史は「他者」について語るものなのか、「自己」を語るものなのかということです。ある意味では新鮮な視角をもった研究がとりわけ若い研究者によって試みられていますが、ともすれば「自己」の研究の目新しさのみが語られすぎていて、歴史は基本的には「過去」に生きていた「他者」についての「知」であるということが忘れられているのではないのか、という疑問を少なからずもつことがあります。
 E.P.トムスンが『イングランド労働者階級の形成』でこの本を書いたことの基本的な意図は、従来の歴史の中で無視されてきた靴下工をはじめとする様々な人々を「後世の大きな見下しから救い出す」(rescue from the enormous condescension of posterity)にあると説明したことは、多くの研究者によってしばしば引用されています。トムスンは彼らの状況や行動や思想を、poor、utopian、obsolete、deluded、あるいはdying、backward-looking、fantasies、foolhardyという言葉で形容しながら、現在的視点からはそのような言葉によって否定的に評価されがちな他者を、彼らの歴史を記述することをとおして救い出すことを試みたわけです。
 本当のところを言うとcondescensionをここでのコンテクストのなかでこのような意味にとっていいのかはあまり自信はありません。辞書を引くとcondescensionの意は、目下のものに対して威張らないこと、優越感をもったわざとらしい親切(『研究社新英和』)へりくだり、親切(『ランダムハウス』)とされていて、字義通りに取れば「後世」の側の「優越性」や「親切」が前提とされていて、そこから救い出すというのは奇妙な感じがするからです。トムスンに対して批判的な視点に立つなら、後世にいるのはトムスン自身ですし、また出自的にはトムスンは文字通りcondescendしているわけですからこの文章はおかしいという議論が成り立ちます。それでもトムスンがあえてこの言葉をもちいたのは、自らはcondescension of posterityには立たないという(自己への)批判的意識と強い自信があったからでしょう。
 前提としたことと議論が少しずれたかも知れませんが、別にトムスンでなくてもよいのですが、読んでいて面白い歴史書のひとつの条件は、他者がどれだけ熱意をもって語られているのかということです。気の利いた歴史研究者の視点というのも、確かに一時的には関心をもたれることがあるかもしれませんが、やはり大事なことは歴史は基本的には他者についての知であって、他者を語る叙述であるということのような気がします。「それほど自己のことを語りたいのなら自己のことだけを語ればよい。あえて歴史を語る必要はない」とつい言いたくなるような研究が必ずしも少なくないのは、少し残念です。
by pastandhistories | 2010-12-29 20:48 | Trackback | Comments(0)

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