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マクロ的な議論

 この間思うことは、どうしてマクロ的な議論ばかりするのだろうかという疑問です。原発事故をめぐって行われている議論を見ていて、そう思うことがあります。「原発がなくなると、電力が不足する」というのはそうした議論の極ですが、他方では「水力や風力、地熱などの自然エネルギーに転化すれば総電力量はまかなえる」というのも、ある種のマクロ的な議論です。
 もっともこうした議論は、マクロ的な議論に意外なほど内在する要素ですが、「一人一人が電力使用を節約しよう」という超ミクロ的な議論な結び合わされています。そうした結合は、共同性を支えるためにもちいられつづけてきた伝統的な政治的レトリックです。
 大事なことはそうした共同性を分節化していくことです。「国全体の電力供給」さらには「人類とエネルギー」というような議論をするから議論がマクロ化してしまうわけで、もう少し議論の単位を小さくする、たとえば地域とか家庭とか単位として電気の製造・使用を考えれば、議論はだいぶ異なるものになるはずです。地域や家庭を単位に原発を作れという人は現在ではいないでしょうし、発電や送電についてもこれまでとは異なるアイディアが生じるはずです。
 繰り返すことになりますが、マクロ的な議論はしばしばミクロ的な議論と密接に結合して政治的なレトリックを形成しています。ミクロ的な議論をする場合に必要なことは、それが接合されるより上位の単位が過剰にマクロ的なものであってはならないということのような気がします。
 時事的なことを書くと変なコメントが来たりするということでコメントを閉じていましたが、だいぶ時間もたったので、現在ではコメントは開けてあります。
by pastandhistories | 2011-05-02 07:22 | Trackback | Comments(1)
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Commented by 伊豆川 at 2011-05-02 22:33 x
人間に関心や理解を促す語法をレトリックとすれば、ミクロとマクロを両面とした語法もレトリックであるし、中間的な項目を重視した語法もレトリックだと言えるでしょう。問題は、使用するレトリックが、相手の関心や理解を促し、深めるための有効性を持っているかということだと思います。例えば、マクロとミクロを両面としたレトリックに慣れ親しんでいる人に、中間項を強調したレトリックを用いて議論を展開しても、「問題点をずらしているだけではないか」と思われる可能性が高いでしょう。相手に対して異なるレトリックをただぶつけるのではなく、多様なレトリックを用いて問題を考察する重要性を論じることが大切だと、私は考えます。

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