歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

プロフィールを見る
画像一覧

narrativeと歴史

 昨日クリックミスで消してしまったPihlainenの議論に関することを、あらためて書きます。それは、歴史は「欠損のあるナラティヴ」(disturbed narrative)であるという指摘です。Pihlainenは歴史にhistorical textという言葉をあてやや包括的に論じていますが、この問題は(学問的)歴史と映像との関係を例にとるとさらに理解しやすいところがあります。
 学問的歴史が史料にもとづく事実性に根拠を置いているとすると、歴史映画はそれとはまったく乖離したものとなります。19世紀以前に関してはは動画的な映像史料などまったくないわけですし、画像的な資料もまたその正確性はきわめて疑わしいものです。最近ではしばしば指摘されるように、聖徳太子や源頼朝、足利尊氏はもちろんのこと、西郷隆盛ですら、肖像画が実物を正確に模写したものであるかは疑いがあります。またかろうじて何枚かの肖像画が残っている織田信長や豊臣秀吉についても、それは彼らの人生のうちのほんの一瞬をとらえたものでしかありません。少年期や青年期に彼らがどのような容貌をしていたのかを示す画像的な史料はありません。
 したがって映像で信長や秀吉の生涯を事実に忠実に描こうとすると、それを証明する史料がないわけですから、その顔は黒く塗りつぶされなければならないことになります。そればかりか登場人物のほとんどすべては塗りつぶされえ、同じように史料がないという意味で、音声も使用できず、背景の多くもまたぼやかされなければならないことになリます。さらに言えば、どう「動いた」のかという史料もありません。もちろん歴史映画はその意味では事実に忠実なものではありません。作り手の想像力が史料の欠損を補い、またそれに観客の想像力が同調していて、そうしたことを前提とした映画の手法があるからです。そうした手法に従うことが、もちろんそのことに問題は含まれていますが、映像をreality likeなものとします。
 歴史とナラテイヴの関係もそうしたものです。もし(学問的)歴史が事実にのみ忠実なものであるのなら、歴史記述のほとんどは、批判されることの多い「にあり」「とあり」論文的なものか、単なる史料集とその解題でなければならないということになってしまいます。もちろん多くの歴史研究者は学問的な業績として、さらには啓蒙的著述として、そうした歴史を記述しているわけであありません。ナラティヴの手法を借りて、歴史を記述しているわけです。
 しかし、史料に忠実であろうとする映画が、映画としてはきわめておおきな欠損を持つものであるように、歴史記述もまた本当に史料によって示される事実のみに忠実であろうとすれば、それが逆にreality likeではないという意味で、きわめて大きな欠損を持つものとなります。書き手と読み手のコミュニケーションを可能にするナラティヴの手法を歴史記述者が取り入れているのはそのためです。しかし、歴史のパラドクスは事実性に依拠しようすれば、それは「にあり」「とあり」論文のようにナラティヴとしては大きな欠損をもつものとなり、ナラティヴの手法を取り入れれば、想像的要素を多く含むものとなるということです。ナラティヴとして不十分なものは、映像についてもそうしたことが言えるように、realityを欠如させますから、読み手とのコミュニケーションを困難にします。ナラティヴを構成する様々な要素が歴史記述の中で重要な役割を果たしているのはそのためです。
 ナラティヴが自らをreality likeに見せかけている手法を(すべてのナラティヴが自らをreality likeに見せせかけているわけではありませんが)、歴史記述もまた採用しているということです。
by pastandhistories | 2011-10-23 11:18 | Trackback | Comments(1)
トラックバックURL : http://tsyokmt.exblog.jp/tb/13863752
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by 伊豆川 at 2011-10-24 20:53 x
先日、ヘイドン・ホワイト先生の「実用的な過去」を読みました。歴史的作品の文学性を手がかりとして、読み手が真実性を経験するという議論を、興味深く読みました。ですが、ホワイト先生の議論は、歴史的作品の科学性を批判するために、歴史的作品の文学性を強調しすぎていると思いました。
pastandhistories先生は、歴史的な記述が物語り(ナラティブ)に依拠していることを強調していますが、物語り(ナラティブ)が真実性を経験するための手がかりとしてのreality likeなものとして機能するためには、なるべく物事を正確に把握するための科学性や実証性による裏づけがあることが大切だと、私は考えます。

カテゴリ

全体
未分類

以前の記事

2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 01月

フォロー中のブログ

最新のコメント

先生は、「「民主主義」擁..
by 伊豆川 at 19:57
先生は、「歴史が科学であ..
by 伊豆川 at 17:18
『開かれた歴史へ 脱構築..
by 伊豆川 at 13:28
3月18日の会に参加させ..
by 伊豆川 at 08:33
セミナーで配布・訳読され..
by 伊豆川 at 14:44
先生の議論には、大筋で同..
by 伊豆川 at 17:10
私も今回のセミナーに参加..
by 伊豆川 at 18:55
先生が制度化された「真実..
by 伊豆川 at 00:29
先日、ヘイドン・ホワイト..
by 伊豆川 at 20:53
人間に関心や理解を促す語..
by 伊豆川 at 22:33

メモ帳

最新のトラックバック

「変化する可能性」
from 右近の日々是好日。
プラグマティズム
from 哲学はなぜ間違うのか?

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

目次②
at 2017-12-14 20:03
目次①
at 2017-12-05 23:40
エピソード
at 2017-11-12 20:09
短期主義への批判
at 2017-11-05 21:08
1月13日
at 2017-11-02 16:57

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

歴史
哲学・思想

画像一覧