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過去認識の諸類型

 「夢は起きた時に見る」という主張をしたのは、大森荘藏さんです。たとえ夢が「就寝中」に経験されたものであったとしても、あくまでもどのような夢を見たかは想起されることによって確認されているに過ぎない。想起は起きた時に行われるわけだから、夢は起きた時にはじめて見ていることになるはずだ、という主張です。また大森さんは、美味しい食事をしたという経験とその記憶を例にとって、いくらあの食べ物は美味しかったと想起しても、想起によって過去のことが実際のものとして再現前化するわけではない(美味しい食事が目の前に再び実際に登場するわけではない)。その意味で、過去に経験したことをいくら想起しても、それは厳密に言えば構築的な作業でしかない、とも主張しています。
 この指摘は、歴史の問題を考えるにあたって、経験と記憶の問題をどのように考えていくのかという点で、ヒントになるところがあります。昨日も少し書いたように、経験の問題に焦点を当てると、結局は記憶の問題と結びついていく。そうなると記憶と歴史の関係はどうなるのかという問題がどうしても生じます。この問題は最近では随分と様々な角度から論じられていますが、この間少し紹介したP・アイクの本は、この問題についてのひとつの議論のあり方を提示している部分があります(結論部分、とくにp.156)。その点についてはまた明日にでも紹介することにして、今日は過去認識の手順について、簡単に整理していきます。
 自分は認識の手順に基づいて、過去を以下のように区分しています。oral past, literal past, visual past, そして digital past の四つです。それぞれを visualized, digitalized というようにしてもいいのですが、英語的には最初のような整理の仕方の方がシンプルでしょう。
 digital past は20世紀後半までは出現せず、visual past も、とりわけ写実的なかたちで動画化されたものは20世紀に入るまでは存在していなかったわけですから、 図式的にはこの四つは通時的な変化の過程として整理できる部分もありますが、むしろ共時的に混在するものとした方がよいでしょう。とりわけ、oral past と literal past はそう考えるべきですし、また現在でもなおoral past と literal past は visual past, digital past とともに混在し、人々の過去認識に重要な役割を果たしています。
 問題はその混在の程度です。ここで一番重要なことは、literal past が人々の過去認識のなかで「一般化」したのは、19世紀以降の国民国家の形成と識字化(国民の形成)にともなったものであって、それ以前は圧倒的に多くの人々の過去認識で重要な役割を果たしていたのは、literal past ではなかったということです。19世紀以降の近代歴史学の形成にともなって(それは近代国家の庇護下におかれた大学において強力に推し進められました)、かつては支配的エリートの政治的、文化的、あるいは経済的支配の道具であったliteral なものが「史料」として掘り起こされ、あたかもそれが古代以来多くの人々に通有していたものであるかのような神話が形成されたというのが、近代以降の歴史の問題を考えるにあたっては、より正確な理解でしょう。
 別の言い方をすれば、近代以降の支配の媒体となったliteral なものを統御したエリートが、literal なものを媒介とした歴史を構築し、それを一般化したということです。この議論を進めれば、テレビや映画を見させられていればわかるように、こうした統御と支配のシステムは20世紀のある時期からはvisual なものへと、そして現在ではネットの世界に日々アクセスしていれば理解できるように、digital なものへと移行しています。したがって過去認識にもまた、visual なもの、digital なものが浸透しつつあります。そしてさらに言えば、歴史研究においても、visual なもの、digital なものが大きな意味をもちはじめています。
 多くの歴史研究者がパソコンを抜きにしてもはや歴史研究と取り組むことができないように、歴史研究のデジタル化は抗うことのできない流れです。しかし、私たちが忘れてならないことは、それはかつてのliteral なものと同様に、現在の社会において、visualなものとともに人々を統御する支配技術のもっとも重要な媒体でもあるということです。その意味でかつてのliteralizedされた歴史がそうであったように、そして現在のvisualized された歴史がそうであるように、digitalized された歴史に、人々を支配し、統御していくにあたって、より大きな役割を果たしていく可能性があることは否定できません。
 Those who rule the present rule the past ではなく、Those who rule the technology of the present rule the past ということです。
by pastandhistories | 2014-03-21 11:02 | Trackback | Comments(0)
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