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アフター・ホブズボーム④―短い20世紀、長い21世紀

 「アフター・ホブズボーム」の会で感じさせられたことに、1960年代、とりわけ1968年の捉え方が最近では歴史を考える際の一つの重要な点として議論されているということがあります。会の最後に行われたイリーの講演もこの点にかなりを割きましたし、Protest and Rebels in Modern Times というセッションでのIlaria Favretto の報告も、1968年の運動に見られたシャリヴァリ的な要素を指摘し、運動の(伝統の)共通性・連続性を指摘するものでした。なぜこうした問題が(1968年の運動には必ずしも同調的ではなかった)ホブズボームを議論する会で論じられたのかには、興味深いところがあります。
 その理由は、19世紀論、20世紀論と関連しているようです。もちろん1901(00)年も2001(00)年も単なる暦上の区切りでしかなく、その点から「19世紀」「20世紀」という言葉を用いる場合でも、それに「短い」とか「長い」という言葉を加えることが、歴史研究者の間では一般化しています。ホブズボームの4冊の大著も、「長い19世紀」を扱ったThe Age of Revolutionをはじめとした3冊と、20世紀を扱ったAge of Extremesに分けられ、後者には『短い20世紀』という副題がつけられています。
 本当に大雑把に整理すると、前者では、啓蒙の時代をうけて、近代的な社会制度と思想が発展し(市民革命)、科学知識・技術の発展にともなう工業化(産業革命)が進展し、内的・外的矛盾(階級対立と帝国主義)はあったが、にも関わらず進歩が自明のものとして理解されていたのが長い19世紀であったという枠組みから、全体的な流れが叙述されています。後者では、そうした漠然たる進歩への信仰が膨大な殺戮を伴った二つの大戦によって失われたことが論じられています。冷戦もまた20世紀前半の枠組みを継承したものであったが、その解体は必ずしも進歩への新しい可能性を切り開くものではなく、短い20世紀のオルタナティヴと考えられていたものが失われ、さらに未来を不透明なものとしているとホブズボームは考えているようです。
 こうした考えをある程度は前提としながら、なぜ1960年代、1968年の意味が論じられているのかというと、それは「短い20世紀」を、ホブズボームとは異なって、1914年~1945年に限定することもできるからです。「国民国家」による「全体主義的な大衆動員」をふまえた大量殺戮が生じた時代を、「短い20世紀」として限定し、第二次大戦後に生じた諸価値を「長い21世紀」の始まりとして位置させる、その一つの結節点として、1960年代や1968年を位置づけるという考え方です。たとえば女性の政治参加は、多くの国では第二次大戦後からですし、本当の意味での性的平等が社会的・文化的枠組みにおいて目指されるようになったのは、フェミニズムの運動が本格化する1960年代になってからです。人種差別の問題にしても、これと深く関連する植民地支配が世界的に終焉を迎えるのはアフリカの年であった1960年以降、こうした流れと呼応するかたちで起きた公民権運動によって黒人差別がやっと解消され始めたのは1960年代です。21世紀にアメリカで「黒人」大統領が誕生する(注・・こうした表現の問題については、2016,5,8の記事で追記しました)、そうした「長い21世紀」の始まりであったのは、1960年代です。
 ジャック・アタリが『21世紀の歴史』で予測したような、21世紀がそうした世紀であるかはまだわかりません。しかし、1960年代を「長い21世紀」の始まりと考えれば、現在の世界になお存在している対立は、とりわけ最近の日本の政治のなかに出現している枠組みは、異常な結果を生み出した「短い20世紀」と、それを超えた「長い21世紀」の対立として見ることができるような気がします。もともと1960年代や1968年の運動にはそうした意味がありましたし、最近の歴史研究でそうしたことの意味が論じられるようになっているのもそのためなのだ思います。
by pastandhistories | 2014-05-10 21:38 | Trackback | Comments(0)
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