1940年代生まれの歴史家
昨日入力に失敗したことを思い出しながら書いていきます。書いたことは、16日に行った話の内容についての補足。この日の集まりは、自分が赴任した1989年以降の大学への入学者を中心にしたもの。つまり東欧社会主義国家の崩壊の時期以降 に大学に入った人たちとなります。その人たちを対象に、現在なぜ「立憲主義」(constitutionalism) という言葉が問題になっているのかということについて、「民主主義」(democracy)という言葉との関係をまじえて話すことを試みました。
しかし、こうした話題を1970年以降に生まれた人たちに、説得的に語るのは本当に難しい。その大きな理由は、その前提として必要な、なぜある時期までマルクス主義が学問的な世界、とりわけ歴史学において大きな影響力を持っていたのかということや、そればかりでなく広い知的空間、さらにはパブリックな空間で影響をもちえていたのかを理解してもらうのが難しいからです。
この前提がわからないと、いわゆる「擬制」としての「民主主義」、「議会制」民主主義とか、さらには「ブルジョワ」民主主義に対する批判が上述のような思想的な流れにおいては常識的なものとされていて、社会民主主義はそうした括弧つき「民主主義」を補完するものとして批判されていたことや、「戦後民主主義」が保守的な立場からだけでなく批判の対象となっていたことが理解できない、さらには「民主主義」擁護に代わって「立憲主義」擁護という言葉が語られるようになっていることの意味、その問題の深刻さが理解できないからです。そしてイギリス社会運動史の最大の研究テーマであるチャーティスト運動研究史の中で、なぜ言語論的転回という議論が、「立憲主義」や「急進主義」という言葉をキータームの一つとして用いるかたちで登場したのかを理解できないからです。
本当に大雑把なかたちで結論的に言えば、こうしたマルクス主義の影響の大きな根拠となったことは、もちろんマルクスの思想にそうしたものが内在していたこともその一つですが、具体的には第一次大戦期に「社会民主主義的」な運動の思想の多くがナショナリズムと結合したこと、そして大戦後、既存の国家機構にかわる対抗的な過渡的権力の行使を主張したロシア革命が革命権力の維持という点では成功し、対して社会民主党の指導の下にこれと異なる道を選んだドイツ革命が、結果的にはナチスの支配を生み出したということにあったとしてよいでしょう。実際、1930年代以前に生まれた「左翼的」な、あるいは「批判的」な思想家、研究者の多くはそうした立場から、マルクス主義のフェロウトラヴェラーであったわけです。Past and Present がマルクス主義にシンパシーを抱く研究者によって組織されたのは、その代表的な事例です。そしてこの流れは、1956年のスターリン批判・ハンガリー事件まで継続しました。
対して自分もそうですが、1940年代生まれの世代の人々は、これとは少し異なるものを自らの思想的出発点とします。中でも大事なことは、マルクス主義の思想的影響を受けたとしても、それは正統マルクス主義ではなく批判的マルクス主義であったということ、さらには1960年代の運動の経験です。そうした人々を例示していくと、チャーティスト運動研究に言語論的な議論を取り入れたギャレス・ステッドマン・ジョーンズ(1942年生まれ)、すでに紹介したことのあるジェイムズ・エプシュタイン(1945年生まれ)、ギャレスの議論を継承して言語論的な立場から「階級」論を重視した歴史理解へ疑問を提示したパトリック・ジョイス(同じ1945年生まれ)、そして言語論的転回を歴史の脱構築論を結びつけたキース・ジェンキンズ(1943年生まれ)とアラン・マンズロウ(1947年生まれ)、そして女性史研究に言語論を取り入れたジョーン・スコット(1941年生まれ)、それを個人史的方法へと発展させたキャロライン・スティードマン(1947年生まれ)、同じ女性歴史研究者であるリン・ハント[1945年生まれ)、さらには実証史家であると同時に歴史理論への考察を行っているゲイブリエル・スピーゲルも多分同じような年だと思います。晩年の著作が「社会民主主義的」な視点に立つとして翻訳・紹介されたトニー・ジャットも1948年生まれです。
以上のような1940年代生まれの歴史家が、歴史研究の流れのなかで、どのような役割を果たしたのかを同世代の歴史家として記録しているのが、ジェフ・イリー(1949年生まれ)の、A Crooked Line: From Cultural History to the History of Society (2005) です。タイトルにあるように、文化史への、文化史からの流れを中心に現在の歴史研究の問題を論じたもの。History of Society という言葉は1971年の発表された有名な論文のタイトルとしてホブズボームがもちいたものであって(本文の結論部では、histories という複数形がもちいられています・・p.203)、そのことからもわかるように、歴史研究の「発展」の流れを、単純に直線的に論じたものではありません。しかし、この本からはギャレスの議論がなぜ社会運動史研究と交錯するかたち(というよりギャレスはもともとは社会史的な立場に立つ研究者でした)で生じてきたのかという問題や、社会史と文化史の関係がわかるところがあります。少し長くなりすぎたので、そのことはまた次の記事で紹介します。
しかし、こうした話題を1970年以降に生まれた人たちに、説得的に語るのは本当に難しい。その大きな理由は、その前提として必要な、なぜある時期までマルクス主義が学問的な世界、とりわけ歴史学において大きな影響力を持っていたのかということや、そればかりでなく広い知的空間、さらにはパブリックな空間で影響をもちえていたのかを理解してもらうのが難しいからです。
この前提がわからないと、いわゆる「擬制」としての「民主主義」、「議会制」民主主義とか、さらには「ブルジョワ」民主主義に対する批判が上述のような思想的な流れにおいては常識的なものとされていて、社会民主主義はそうした括弧つき「民主主義」を補完するものとして批判されていたことや、「戦後民主主義」が保守的な立場からだけでなく批判の対象となっていたことが理解できない、さらには「民主主義」擁護に代わって「立憲主義」擁護という言葉が語られるようになっていることの意味、その問題の深刻さが理解できないからです。そしてイギリス社会運動史の最大の研究テーマであるチャーティスト運動研究史の中で、なぜ言語論的転回という議論が、「立憲主義」や「急進主義」という言葉をキータームの一つとして用いるかたちで登場したのかを理解できないからです。
本当に大雑把なかたちで結論的に言えば、こうしたマルクス主義の影響の大きな根拠となったことは、もちろんマルクスの思想にそうしたものが内在していたこともその一つですが、具体的には第一次大戦期に「社会民主主義的」な運動の思想の多くがナショナリズムと結合したこと、そして大戦後、既存の国家機構にかわる対抗的な過渡的権力の行使を主張したロシア革命が革命権力の維持という点では成功し、対して社会民主党の指導の下にこれと異なる道を選んだドイツ革命が、結果的にはナチスの支配を生み出したということにあったとしてよいでしょう。実際、1930年代以前に生まれた「左翼的」な、あるいは「批判的」な思想家、研究者の多くはそうした立場から、マルクス主義のフェロウトラヴェラーであったわけです。Past and Present がマルクス主義にシンパシーを抱く研究者によって組織されたのは、その代表的な事例です。そしてこの流れは、1956年のスターリン批判・ハンガリー事件まで継続しました。
対して自分もそうですが、1940年代生まれの世代の人々は、これとは少し異なるものを自らの思想的出発点とします。中でも大事なことは、マルクス主義の思想的影響を受けたとしても、それは正統マルクス主義ではなく批判的マルクス主義であったということ、さらには1960年代の運動の経験です。そうした人々を例示していくと、チャーティスト運動研究に言語論的な議論を取り入れたギャレス・ステッドマン・ジョーンズ(1942年生まれ)、すでに紹介したことのあるジェイムズ・エプシュタイン(1945年生まれ)、ギャレスの議論を継承して言語論的な立場から「階級」論を重視した歴史理解へ疑問を提示したパトリック・ジョイス(同じ1945年生まれ)、そして言語論的転回を歴史の脱構築論を結びつけたキース・ジェンキンズ(1943年生まれ)とアラン・マンズロウ(1947年生まれ)、そして女性史研究に言語論を取り入れたジョーン・スコット(1941年生まれ)、それを個人史的方法へと発展させたキャロライン・スティードマン(1947年生まれ)、同じ女性歴史研究者であるリン・ハント[1945年生まれ)、さらには実証史家であると同時に歴史理論への考察を行っているゲイブリエル・スピーゲルも多分同じような年だと思います。晩年の著作が「社会民主主義的」な視点に立つとして翻訳・紹介されたトニー・ジャットも1948年生まれです。
以上のような1940年代生まれの歴史家が、歴史研究の流れのなかで、どのような役割を果たしたのかを同世代の歴史家として記録しているのが、ジェフ・イリー(1949年生まれ)の、A Crooked Line: From Cultural History to the History of Society (2005) です。タイトルにあるように、文化史への、文化史からの流れを中心に現在の歴史研究の問題を論じたもの。History of Society という言葉は1971年の発表された有名な論文のタイトルとしてホブズボームがもちいたものであって(本文の結論部では、histories という複数形がもちいられています・・p.203)、そのことからもわかるように、歴史研究の「発展」の流れを、単純に直線的に論じたものではありません。しかし、この本からはギャレスの議論がなぜ社会運動史研究と交錯するかたち(というよりギャレスはもともとは社会史的な立場に立つ研究者でした)で生じてきたのかという問題や、社会史と文化史の関係がわかるところがあります。少し長くなりすぎたので、そのことはまた次の記事で紹介します。
by pastandhistories
| 2016-01-29 10:36
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Comments(1)
Commented
by
伊豆川
at 2016-01-31 19:57
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先生は、「「民主主義」擁護に代わって「立憲主義」擁護という言葉が語られるようになっていることの意味」と論じていますが、若い世代で外国人に対するヘイトスピーチを行う人間が存在するように、若い世代の全てが立憲主義を擁護している訳ではありません。世代の問題意識について論じる場合には、世代という言葉の意味内容を吟味することが大切だと、私は考えます。
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