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self, subject, agent,

ization という語尾を例にとって、グローバリゼーションをはじめとするいくつかの言葉が過渡的な過程を表すものであることを指摘してきました。何故そうしたことを論じたのかというかというと、それらが過渡的な過程を示すものであるなら、少なくとも現在の段階では、全体的なものでも、普遍的なものでもないということを示すためです(究極的な到達段階では全体的な・普遍的なものとなりうるとしてもです)。
 自分の基本的な思考の枠組みを構成しているのは、そうした考え方です。学生時代には『過渡期の意識』(現代思潮社)を書いた梅本克己の文章を時々読みました。梅本克己に関しては、丸山真男、佐藤昇と行った鼎談『戦後日本の革新思想』(河出書房新社)を読んだ人がいるかもしれません(佐藤昇については今では知らない人がいると思うので説明すると、岐阜経済大学の教員であったマルクス主義理論家で、構造改革論が提起されるにともなって共産党を離れ、後社会党内で構造改革論をめぐる理論闘争が生じたときに、それを推進したある人物の文章を代筆したとして、そのことが社会党内で大きな問題となったことなどで、戦後の革新運動史に一定の役割を果たした人です)。
 梅本克己が一連の執筆活動で問題としていたことは、仮に所与のものとして全体を把握した理論があるとしても、過渡的な存在である個人がどうしてそれを認識することができるのかという問題です。戦後のある時期まで、マルクス主義が全体的理論として措定されていた時代に、この問題を議論したのが文学者をまじえて行われたいわゆる主体性論争で、梅本克己の議論は、そのなかで一定の役割を果たしました。
 はたして論点が同じところにあるとしてよいのかは迷いますが、最近海外では歴史研究において、「主体」を重要な論点として設定すべきだという議論がかなり一般的になりつつあります。あえて「主体」と日本語で書きましたが、実は英語的には、self, subject (subjectivity), agent (そして agency) ということになりそうです。おそらく一般的には agent を (「構造」structure ) に対して「主体」と訳し、self を「自己」または「自我」、subject の訳し方は難しいところがありますが、subjectivity を「主観性」と訳すのでは思います。
 となると「主体性論争」の英訳は debate (controversy) on agency だったのかな思って、『岩波哲学・思想事典』(1998)を確認してみたら、なんと英訳が掲載されていませんでした。戦後からほど遠くない時期だったとはいえ、かなりの議論をよんだはずの、また国際的にも類似の議論があったはずの、「全体」と「個」に関する論争の英訳がないというのは、随分と不思議です。
 と思ってさらに『岩波哲学・思想事典』をたどっていたら、いろいろなことに気づきました。なんといっても驚いたのは、agent が項目にも、英文索引にも登場しないことです。「構造」(structure) のところでも言及がなさそうです。「主体性」は項目にありますが、この英訳が subjectivity です。だとすると「主観性」は何処に行ってしまったのかなと思って調べると、 項目として立てられておらず、「主観主義」が subjectivism とされ、これに対応するかたちで「主観」が subject とされています。 素直に subjectivity を objectivity 「客観性」に対して、「主観性」とし、agent を項目として立てた方がよかったと思うのですが、どうしてこうした項目選定が行われたのかはわかりません。
今日こうした文章を書いたのは、権威あるとされる事典のあら捜しをするためではありません。ただ膨大な知を集積した事典をみても、権威づけられた所与の知に対して、その行為・認識主体である個の側の問題は驚くほど軽視されてきたということができるかもしれません。、
by pastandhistories | 2016-11-15 10:52 | Trackback | Comments(0)
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