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歴史の地位

 おととい歴史研究に関する小さな会合があり、少人数ということで気楽に色々なことを話しました。その時話題として提示したことの一つは、歴史(学)の地位という問題です。
 ヘイドン・ホワイトの初期の有名な論文は「歴史の重荷」(The burden of history・・・「歴史の負荷」と訳してもよいかもしれませんが)) というタイトルです。このタイトルは、この論文が書かれた頃(1966)に歴史が人々の「重荷」であるほどの高い地位にあったことを示唆しています。ちょうどこの頃自分は学生で、学友会という名称であったサークル連合の仕事を手伝っていました。9人の理事によって運営され、サークル連合の組織ということですから、文化系サークルから3人、運動部系から3人、くわえて一般学生からの代表ということで各クラスから選挙人を選び、その選挙人によって選ばれる3人、のあわせて9人が理事です。完全学生自治の時代ですから、各サークルに分配される予算の作成権やサークルが使用する施設の利用割り当てなど、現在の大学では考えられないような強い権限が、わずか9人の学生によって構成される理事会にありました。
 実はこの理事に関して、文科系サークルから選ばれる理事の3人のうち2人は、歴史学研究会と社会科学研究会からということがなかば恒常化していました。運動部も一つは、これは伝統もあり、予算がかかるということで、ボート部からの選出が慣例となっていました。それくらい「歴史学」と名のつくものは、権威があったということです。当然のことのように、各大学(さらには各高校)の「歴史学研究会」「社会科学研究会」の集合体である「全国歴研」「全国社研」という組織もあったはずで(今はもうないかもしれませんが)、そのの知的権威はかなりのものであったはずです。
 これはその当時の政治運動にも反映されていました。このブログで法学部学生であった山田洋次監督が学生時代には歴史学研究会に所属していたことに触れたことがありますが(本人自らが時々語っています)、また同じくこのブログで触れたことのある『されど我らが日々』も作者の柴田翔さんは文学研究者ですが、扱われているのは歴史学研究会です。なによりも歴史学研究会は、たとえば東大ではそこから運動の実質的な最高指導者(その当時では共産党学生細胞の指導者)が輩出する組織でした。ここでは名前を上げることを避けますが、その中から後に高名な歴史研究者となった人もいます。したがって学生歴研での議論の対立は、しばしば左翼的運動の分裂の契機ともなりました。それくらい歴史学には権威があったわけです。そうした権威を支えるために、歴史学は「全世界の発展法則」を問題とせざるをえませんでした。同時に歴史学は文化的領域の中では、そうしたビッグテーマを議論しようとする、あるいはすることのできるもっとも優秀な人材が競い合う場所でした。
 はたして現在の歴史学がそういうものものであるかというと、そうではないと断言できます。歴史学が人文的分野で占める地位はおおきく後退しました。正直言って中堅若手研究者に関しては、社会学分野の方がはるかに優秀な人材を要しています。彼らがそれなりの対社会的発言権を確保しているのに対して、現在の歴史研究者の役割は、個別的な事件に対してせいぜいエピソディックな解説を加えることだけでしょう。こうしたなかで、「歴史学」の歴史のなかで占める地位も後退しています。そのことは教科書問題などをとおしても明確です。
 自らを権威化することは必ずしも望ましいことではありません。しかし、歴史に関わる人々は、やはり社会の中における自らの地位の後退にもう少し自覚的であるべきでしょう。そしてそうした後退が、自らに内因したものかどうかを考え、もしそれが自らに内因しているものなら、その克服する方法を考えていくべきです。
by pastandhistories | 2016-11-27 10:22 | Trackback | Comments(0)
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