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「喩」について

 23日のホワイトの会の前に、ホワイトの基本的な考え方について思うことを本当にメモ的に書いておきます。ただ他の仕事も多く、今日は当日のピヒライネンの報告の翻訳をしました。半分ほどの草稿を何とか作成、なんとか当日まで間に合わせるつもりです。
 翻訳もそうですが、自分のためのメモであるならある程度大雑把なかたちでもよいわけですが、会場配布となるとやはりそれなりの精度が必要とされます。あくまでも参加者への補助なわけですが、かならずしもそうした「好意」が「好意的」に受けとられるとは限らない。そのあたりのことは、いつも苦労します。
 このブログも基本的には自分のためのメモですが、公開している以上色々な反応があり、そうしたことを前提に書くことには、やはり難しいことがあります。とくにホワイト論となると本当に難しい。そうしたことを前提としながら、ホワイトの基本的な思考の枠組みについて、本当にメモ的に今日は書きます。
 ホワイトについては難解に論ずる人が少なくありません。その大きな理由は、活動が長期にわたっていて、リチャード・ヴァンが指摘したように、ホワイトを論じる際には、 which White という問題があることがあります。また造語的なものを含めてかなり語彙を自由に使用するので、その点でも難しい。もちいられている基本的タームが、歴史的な、本来的意味で使用されているのか、他の学問分野で使用された際と同じ意味内容のものとして使用されているのか、あるいは独自のコンテクストの中で意味を与えられているのか、ということの判断が難しいという問題もあります。
 しかし、ホワイトがもちいているもっとも重要な用語は何かと言えば、初期・中期の論文集でタイトルとしてもちいられた、つまり、The Tropics of Discourse (1978), The content of the Form (1987), Figural Realism (1999) にもちいられている tropes, discourse, content, form, figure, realism (reality) であると言えそうです。
 このうち、form と content は比較的わかりやすい。日本語でも基本的には形式、内容と訳されていて(外形、内実と訳したほうが意味が取りやすい場合もありますが)、歴史が形式、過去が内容にあたるということになります。ホワイトは現前しているのは、歴史という形式であって、過去はそうした形式をとおしてしか見ることができない、したがってそうした形式を分析することが重要だとして、その分析を進めたわけです。
 またreality は古くから議論されていたことであって、 言説と訳される意味での discourse も相対的には新しいとしても、最近ではきわめて一般化しています。しかし、tropes と figure には難解なところがあって、翻訳にも多少の混乱があるようです。この点はホワイトも認めていて、たしか tropes に関しては、この言葉をもちいた原稿を読んで編集者が地理的な概念( tropic 回帰線・熱帯地方 )と取り違えたというエピソードを、ホワイトがどこかで書いていたはずです。
 このことからも理解できるように、tropes はそれほど一般的な言葉ではありません。その意味では日本語で、「喩」もしくは「喩法」と訳すのもそれほどおかしくはなく、おそらくこうした訳語が定着していくはずです。そしてヴィーコの考えなどにしたって、ホワイトはこれを、metaphor(隠喩)、metonymy(換喩)、synecdoche(代喩)、irony(反語)に分類しているわけです。metaphors という言葉を、比喩一般を総称するものとして使用してもよいわけですが、そうするとこうした分類において「隠喩」を指すものとして区別される metaphor との間に混乱が生じるので、議論を厳密にするために tropes という言葉をもちいたのだと思います。
こうした分類法の正確さ、あるいはそうした分類法をもちいてホワイトが行った議論が正確なものであるかは、今後とも議論されていくことになるでしょう。しかし、自分が関心があるのは、ホワイトはなぜ比喩(ここでは日本語で一般に使用されている総称的な意味でもちいます)の問題が歴史を考える際に重要だと考えたかということです。もちろんそれは比喩が、物語という形式をもちいた歴史の重要な要素となっているからです。そして何故そうなのかというと、現在のオーディアンスに現在とは異なる時代であった過去を説明するためには、現在のオーデイアンスが了解できることを媒介にして、それを喩えの材料として使用することが、過去の理解を容易にするからだということになります。もちろんそうした喩えの媒介物は、現在において了解可能なものであっても、過去にあったものとは「異なる」ものです。過去の実在ではありません。比喩は比喩であって、説明されるもの相互の差異を前提とするものであって、厳密な同一性を根拠として成立しているわけではありません。厳密に同一なものなら、そもそも比喩は必要とはされないからです。
 つまり物語という形式をとおして、比喩をもちいて叙述される過去は、つまり歴史は、論理的に考えれば過去実在とは厳密に一致したものではないということが、ホワイトの論じた一つの問題だということになります。

by pastandhistories | 2016-12-21 00:14 | Trackback | Comments(0)
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