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二つのホワイト論

 ヘイドン・ホワイトもけっして自分の専門ではないけれど、次に入っている仕事も必ずしも自分の専門ではないので負担が少なくありません。ただ多分それでも注文があったのは、「批判的」にということからでしょう。そのことも重要だと思うので、頑張っていこうと思います。
 逆にホワイトに関しては、ある時期まで一面的に「批判」されることが多く、また一見「好意的」な紹介も、「歴史研究」をしている立場からは随分と違和感がありました。なによりも、ホワイトをめぐる多くの議論の現状がほとんど踏まえられていないということに対してです。23日の会でも少し触れましたが、すでに3ケタにおよぶホワイト論が欧米では出ています。欧米ばかりかこのブログでも紹介しましたが、今年ブラジルで行われた The Practical Past と題された歴史理論、歴史哲学者の集まりには250人もが参加して議論しました。そのことからもわかるように、南米でも、そしてアジアでもホワイトについては多くの議論がなされてきました。そうした議論がほとんど踏まえられず、一面的・図式的な批判が多いのではということへ疑問が、ホワイトを自分の理解の範囲内で紹介したいと思ったことの大きな理由です。
 今回の23日の会も基本的にはそのことが目的でした。あくまでも司会という立場ですので、多くを紹介することは差し控えましたが、ホワイトについては紹介した特集号を含めて本当に多くの議論がなされています。力量のある執筆者が多く、優れた視点を含むものも少なくありませんが、現在の段階でホワイトの考えの全体的流れを簡潔に整理したものとしては、Nancy Partner と Sarah Foot が編集した既に定評のある歴史理論集である、The Sage Handbook of Historical Theory (Sage, 2013) に所収された Robert Doran の 'The Work of Hayden White Ⅰ: Mimesis, Figuration, and the Writing History' とカレ・ピヒライネンの 'The Work of Hayden White Ⅱ: Defamiliarizing Narrative' が一番よいと思います。その大きな理由は、この二人はともに最近出されたヘイドン・ホワイト特集の編集をしていて、ホワイト自身の著作はもとより、様々なホワイト論にも目を通しているからです。
 ドランの論考は『メタヒストリー』から始まって、tropes から emplotment, narrative, mimesis, historical representation, figuralism, そして facticity, discursivity にいたる議論の流れをたどったものです。 最初にヴィーコとの関係が語られ、人間の作り出したものであるがゆえに歴史が人間によって認識されうるものとされたというところから議論が始まりますが、基本的には『メタヒストリー』における議論(喩などの分類)はあくまでも出発点であるとして、そこに強く拘束されることなくその後の考えの流れを説明しています。そのなかで一つのポイントとなっているのは、ホワイトの相対主義は、ニーチェ的なものではなく、あくまでもランケ的な歴史理解の相対化を目指したものであるということです。ここから議論されていることは、ホワイトは歴史が実在に根拠を置くとすることを否定したわけではなく、歴史言説がフィクショナルなものとファクチュアルなものの混在させていることを指摘したのだということです。つまり歴史のハイブリディティの指摘です。その意味で歴史は厳密には科学的ではないと論じたということです。この理解はそれほどおかしなものではないと思います。ホワイトが『メタヒストリー』において喩だけではなく、プロット、イデオロギー、そして議論のあり方といった、必ずしも「科学」とは厳密に対応するものではないものが歴史叙述の要素となっていることを指摘したものはそのためです。にもかかわらず、人々を拘束しさらには抑圧するものとなっているのではないのかというのが、ホワイトの「学問的」な歴史と、それによって支えられている大きな歴史への批判であり、その後の議論のモティーフであり続けたものです。
 ピヒライネンもまたよくある「歴史家」からの批判、会への報告でも触れられていましたが、ホワイトの考えは「歴史修正主義」に組する「相対主義」であって、anything goesであるという「一面的」な議論への批判から議論を進めています。しかしピヒライネンは、近年のホワイトの議論、もちろんホワイトが強く主張するようになった問題は、practicality of the past ですが、そうした議論を重視し、そうした議論が柱としていることは、歴史を rescue することにあると論じています(これもホワイトに対するこれまでの一面的な批判から見れば驚くようなことかもしれません)。何から?。もちろんモダニティとナショナリティと一体化した「歴史学」が作り出した、抑圧的な、一面的な歴史からです。そのことは、128頁から始まるこの論考の後半部分、History goes public という部分で明確に論じられています。この部分では、public history, visual form, audience, practical purposes , という言葉でこうした流れが説明され、客観性を根拠に現実への批判的意識を失っている学問的歴史の歴史的な、かつ現在的なあり方への疑問が提示されています。ここで興味深いのは、批判的な歴史として学問的に受け入れられている女性史、文化史、ミクロヒストリーに対しても、Where 'alternative' histories have found institutional acceptance - cultural, feminist and microhistorical ones, for instance - they have largely done so only by first marginalizing themselves in terms of their subject matter, by directing attention to themes and materials that do not threaten 'history proper' というコメントが加えられていることです。
 こうした理解からピヒライネンは、ホワイトの目指しているものは、(White's goal) then , can be understood as a history that emulates the kind of lived experience we have in our habitual - non-literary and ( I would argue) non -totalizing - engagements with the world であるとし、そのリヴド・エクスペリエンスに関しては、The creation ( or simulation ) of lived experience would, on the other hand, permit the historian to address the private and subjective of the reader: history would, in practice too, begin to communicate with rather than simply to its readers. And in this sense, the need for an author (as authority) would properly disappear という説明を加えています。
わかりやすい説明だと思います。二人の説明からわかることは、ホワイトは過去の実在や歴史そのものを否定したわけではなく、政治や学問に寡占されている歴史を、普通の人々の日常に取り返していくべきだと主張したということです。難解とされてきたホワイトの仕事がようやく翻訳として紹介されるようになったのは望ましいことですが、そのさいに忘れてほしくないことは、ホワイトは自らがそうであったように、普通の人々の立場にたって、そうした人々の経験から歴史を考えることを何よりも重視したということです。その意味ではホワイト自身もまた「学者」の占有物であってはならないと自分は考えています。ホワイトを論じる人は、ぜひ誰にでもわかるようにホワイトを論じてほしい、それが自分の希望です。

by pastandhistories | 2016-12-26 11:49 | Trackback | Comments(0)
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