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19世紀的な形式

 昨日少し長く書きました。この記事には多分こんな反論があると思います。「資料自体が映像を媒体としたより事実的なものである以上、現代史を対象とした再現前化・表象を行う場合は、文字的ではなく映像的なものですべきだという議論はわからないでもない。でもその場合、封建制とか資本主義、あるいは上部構造や下部構造、歴史の発展法則というようなことは、どうやって論じることができるのか」という問題です。
 実はこのことは現在ではすでに「折衷的」に行われています。歴史を「教育」している人は、そのことに自覚的であったか、非自覚的であったかはともかくとして、パワーポイントなどを駆使しながら、図像的な、あるいは映像的な資料を媒介として、「言語的」な論述を行ってきているからです。啓蒙的な一般「書」において現在図像的資料が用いられていないものはまずは見当たりません。最近ではもちろん「図像論的転回」というように、図像的資料をもちいた学術的論文も出現し始めています。
 しかし、そうした「折衷的」な方法で事足れりとしていいのかというと、そこには大きな問題があります。実はそうしたさいにもなお使用されている概念の多くは、19世紀的な歴史、つまり文字的なものを媒体として成立していた歴史にあったイデオロギーや論証の形式を多くは継承したものだからです。とりわけ歴史叙述の一部が歴史学としてディシプリン化されるにともなって生み出されてきたものを継承したものだからです。
 ホワイトが批判しているのはそのことです。20世紀に入ってからいわゆる近代的技術の発展、さらにはそれに伴った人々の意識の変化によって芸術においても、科学とされるものにおいても、大きな変化が生じました。たとえは小説を例にとれば、意識の流れやアンティストーリーといった形式、そのことは小説というジャンルを例にとった一つの例なわけですが、芸術一般においては対象を忠実に模写するのではなく、直観的な、抽象化した表象を通しての対象をむしろ解体・分解していくという表象形式がとられるようになりました。ホワイトが19世紀的なリアリズムに対してモダニストというかたちで論じているものは、そうした形式をもつ芸術や、あるいは科学のあり方です。あるいは人々の意識のあり方です。
 おそらくそうした技術的・知的革新を受けて生ずるべきものは、別の言い方をすると、形式の変化を受けて生じるべき、内容(歴史の場合は過去の実在)への理解は、これまで支配的なものであったものに代わる幅広い可能性を持つべきものだ、というのがホワイトの主張です。ホワイトの議論をめぐって、それでは事実はどのように認識できるのかと議論することも、重要なことかも知れません。しかし、自分がそこだけに議論を集約してはならないと思うのは、そうした議論は結局は問題を「学者」の間の議論にとどめてしまうからです。ではなくて、普通の人々の間にある過去認識のことをもう一度考えてみる。自分が最後に『歴史実践」ということを提起したのもそのためです。ホワイトが「歴史学的過去」(historical past・・・この訳語は佐藤啓介さんが付けてたものですが名訳だと思います)に対して、広く人々の間にある実用的な過去に立ち返ることを主張しているのもそのためだと自分は考えています。

by pastandhistories | 2017-10-10 09:43 | Trackback | Comments(0)

歴史の一部

 おとといの会で出版社の人に『メタヒストリー』の初刷りの部数を聞いて少し驚きました。価格が高いので部数を限定したのかと思ったのですが、予想を超えた数でした。今どき人文系の学術書でそんなに刷っていいいのかと思うところもあるけど、かなりの勢いで捌けているようです。
 でも買ったはいいけど読者はどう読むのでしょうか。最初が面倒くさいですね。喩法「トロウプス」の説明。多分以前からあったメトニミーを換喩、シネクドキを提喩と訳すのはこれで定着していくと思いますが(今パソコンで入力したら一発で変換してくれました。すでに十分に定着していたということかもしれません)、いったいなぜそのことをホワイトは問題とするのか。これまでも多くの解説でそれが「誰の考え」に「依拠」しているのかは、説明されてきているわけですが、「どうして」という問題は意外と説明されていないような気がします。自分はこの問題はシンプルに考えています。部分が全体を代表するとして、残りの部分を無視するのはおかしいし、恣意的に選び出された部分をつなぎ合わせれば全体が形成されるという考えも論理的には厳密さを欠いている。逆に全体が措定されれば、それが部分を代表しうるとするのも、飛躍があります。ホワイトの発想の起点となっているのは、そうした安易な立論への批判なのでしょう。
 少し議論がずれますが、ホワイトの歴史学への批判は、部分が全体であると称していることに対するものだと自分は考えています。ホワイトを議論すると、歴史は事実かということに、あるいはどうしてフィクションが事実になるのかというところへ議論が向かってしまう。おとといの議論にもそんなところがありました。こうした議論の仕方は、もっと大事なことを見落としているのではと自分は考えています。
 歴史とされるものもその一部ですが、人々の過去認識には多様な形態があります。そのことは自分がどのようなものを媒体として過去を認識しているのかを考えれば、すぐに理解できることです。現在大学をはじめとする研究機関で行われている歴史研究が事実性を根拠としていることは確かなことです。相当に恣意的な内容が含まれるようになったとはいえ、学校教育における歴史はなお事実性をその根拠としています。その点では一定の虚構を許容するとされる小説や映画とは違いがある、それも確かなことです。
 これからも大学などの研究機関や、専門的な歴史研究者とされる人々の間では、事実性に根拠を置くかたちで歴史が論じられていくはずです。そのことは人々の過去認識を助けるはずです。また文書間や資料館での資料の収集や保存も行われていくでしょう。そのことも人々の過去認識を助けるからです。そうした営為自体を否定する必要はありません。しかし、大学のような本来は開かれた真理の追究の場であるところの歴史が、そのようなかたち限定化されることには大きな問題があります[「文書」館であれば、本来の目的からして、それでも構わないのですが)。
 なぜなら、そうした作業は広く歴史とされるものの一部、広く人々がもつ過去認識の一部にしか過ぎないからです。その一部が歴史研究の可能性を阻害すべきではありません。たとえば現在では圧倒的多くの歴史研究者は、歴史を文字で表象している。ほとんどの大学では、卒業論文を「書かなければ」史学科を卒業できない。歴史研究者になろうとするなら、博士論文を書かなければ歴史研究者になれない。なぜならそうした研究の場を支配している「権威ある」歴史研究者は、それだけを「事実的」な歴史と考えているからです。しかしよく考えればすぐにわかるように、歴史「叙述」というのは、本来的にありうる歴史のほんの一部に過ぎません。事実に沿ったより正確な表象をしようとすれば、映像や音声が伴わなければいけないということは自明のことです。なによりも現代史を対象とするなら、より正確に過去を伝える史料自体が、圧倒的に記録・保存された音声や映像なわけだからです。事実をより正確に表象することが歴史研究の成果であるべきだというのなら、学生や大学院生に課せられるべきは、卒業論文ではなく、卒業映像であるべきでしょう。
 つまり歴史は事実であると主張する現在の歴史学は、文字的な歴史を絶対化している「一部」によって支配されている。したがってそのことに根拠を置くかたちで人々に強いられている過去認識もまた「一部」によって支配されているものでしかありません。「歴史の事実」ではあっても「過去の実在」とはほど遠いものということになります。ホワイトが批判したのはそうしたことだったのだと思います。ホワイトが「過去の実在」自体を否定しているわけではないと繰り返しているのもそのためです。こうした意見は極端でしょうか。自分の経験を振り返りながら、よく考えてください。たとえばテレビニュースと新聞は、どちらがより事実的なのか、どちらがより構築的なのかというようにです。実はそのどちらも構築的です。そう考えた時、フィクショナルなるなものとされる映画や小説から、ある種の現実の社会についての認識を、あるいは過去の実在についての想像的理解を、私たちが作り出していることに気づくはずです。

by pastandhistories | 2017-10-09 21:54 | Trackback | Comments(0)

昨日について

 昨日の外語大の会はテーマとしては一般的なものが設定されていたわけですが、「メタヒストリー」の翻訳出版に開催を合わせたという部分があったので、自分としては「日本では」これまでほとんど論じられてこなかった、ホワイトの思想的経歴や議論の基本的な枠組みを紹介することに中心を置きました。しかし与えられた時間は短いということで、いくつかのインタビューを翻訳紹介したわけです。翻訳は自分のために以前作成していたノート的なもので、今回は正式には二週間前の依頼ということで、点検する時間も全くなかったのですが、参加したとりわけ若い人が(若い人が多かったことには随分と力づけられました)参考にしてくれればと思います。
 ホワイトが日本に来た時も、実は事前に自分の手元には5本のペーパーが送られてきました。同時に、未発表であったものが多いペーパーを添付したメールには、「お前が自由に誰に対しても配布してよい」と書かれていました。何度かここに記してきましたが、ホワイトは学問に対してそうした考えを持っている人です。自分も研究会での発表者や質問者の役割は、自分の正しさを論じることではなく(それが絶対に、誤っているというわけではありませんが)、限られたものではあっても参加者にとって有益なものを提供することだと考えています(このブログもそうしたものとして書いています)。不十分なものですが、多少でも役に立ててもらえばと思います。
 ただ予想されたように時間が全然足りなくて、実際の歴史研究に対するホワイトの影響という問題を、具体的な形で紹介することはできませんでした。会が終わってからイム・ジヒョンが話かけてきて「ホワイトのバイオグラフィとして知らなかったことを知ったので有益だった」と言ってくれましが、そうした印象を多くの人に与えるのにとどまってしまったのは少し残念でした。
 そのイムジヒョンの発表と質問については少し残念なところがありました。イムがホロコーストを映画(フィクション)のあり方にホワイトの議論を結びつけたのは、イムらしいシャープな問題提起でしたが、その後の質疑はやや一般的なレベルにとどまっていました。一番残念だったのは、そこで議論されたような内容は、すでにポストモダニズム的な歴史論の系譜な中での重要な人物であり、『リシンキング・ヒストリー』の創立編集者としてポストモダニズムの立場からの歴史のあり方を議論する場を作ってきた、ロバート・ローゼンストーンが「映画と歴史」「映像と歴史」という問題としてすでにきちんと議論してきた問題だからです。
 イムヒジョンも自分の報告でそのことに気付いたようで、後でローゼンストーンは読んでいなかったのでこれから読んでみると言っていました。自分の責任だとも思いますが、ローゼンストーンの議論に関しては、『歴史を射つ』のなかで彼がこの本のために書いてくれた要約的な文章が翻訳されていますし、自分の『開かれた歴史へ』でも紹介論文が掲載されています。またテッサ・モリス・スズキの『過去は死なない』でもローゼンストーンは紹介されていたはずです。
 ローゼンストーン以外にも Marnie Hughes-Warrington, History Goes to the Movies (2007), ジェローム・デ・グルートの一連の著作、など方法論的に優れたものも随分とあるし、何よりもインデアナ大学を中心とした Film and History や、ここでも紹介したことのある IAMHIST などの活動(すでに1980年代から始まっていた)をとおして映像と歴史の問題は随分と議論されてきました。日本の歴史研究がそうした歴史の方法に対する関心をほとんどたどれていないために議論が基本的なことの繰り返しにとどまっているのは、本当に残念です。

by pastandhistories | 2017-10-08 10:45 | Trackback | Comments(0)

10月7日

今日は昨日の続きのようなことを書こうかとも思ったのですが、もう日にちもないので、今週の土曜日の予定を書いておきます。ヘイドン・ホワイトのいくつかのインタビューの紹介をとおして、彼の考えの一端を紹介する予定です。今日からはその準備をします。

    国際シンポジウム「『メタヒストリー』の射程で考える歴史叙述と記憶の問題系」

時間:2017107日(土)13時~17時半

場所:東京外国語大学(府中キャンパス)、本部管理棟、中会議室

趣旨説明 岩崎稔(東京外国語大学教授・訳者代表)13:00-13:15

第一部 《ホロコーストと表象の限界》 13:00-14:45 モデレーター:岩崎稔

「『メタヒストリー』とアウシュヴィッツのアポリア」林志弦〈韓国・西江大学教授〉

「ホロコーストをどう表象するか――「実用的な過去」の見地から」上村忠男〈東京外国語大学名誉教授〉 

第二部 《思想家、ヘイドン・ホワイト》 15:00-15:45

「インタビューのなかのヘイドン・ホワイト」岡本充弘〈東洋大学名誉教授〉

第三部《『メタヒストリー』論争の現在》 16:00-17:30 モデレーター:成田龍一 

「物語論的転回2.0 『メタヒストリー』と現代歴史学」長谷川貴彦(北海道大学教授)


by pastandhistories | 2017-10-04 06:27 | Trackback | Comments(0)

政治の逆説的転回

 ある時期からやたらに研究領域の自己規定を求められるようになりました。結構面倒くさいけど、自分の場合はイギリス史・歴史理論あるいは政治史だけで済ましていましたが、次第にグローバリゼーション論が入るようになりました。さらに細かく求められる時には、社会運動史、議会制度史、グローバルヒストリーと記したりしています。
 というように、自分の本来的専攻は議会改革を求めた民衆運動の歴史。したがって政治理論の本は随分と読みました。可能なら、とりわけ退職後はそうしたことについて書きたいとは思っていたのですが、残念ながら歴史理論関係の注文が先行していてしまい、なかなかそこには手が回りません。このブログもタイトルは「歴史の諸問題」。でも基本的には自分が関心を持つ続けていることの一つは、政治の理論的分析(そして実際的な改善)です。
 そこで今日は現在の政治状況についてコメントしておきます。昨日今日の最大の問題は、民進党からのリベラル派の離脱。簡潔に言えば保守・保守・革新[あるいはリベラル)の三極体制が、少なくとも今回の選挙では成立したということです。この問題について、一部には民進党の分裂は安倍政権に利するという報道・分析がありますが、これは虚偽です。むしろすでにとられた世論調査が示すように、安倍首相の支持率は再び後退しました。
 なぜこのようなことが起きるのか。それは1960年代以降の日本政治を考えるとわかります。1960年代以降の日本に生じたのは野党の多党化現象です。民社党の形成、公明党の成長、共産党の支持拡大、中選挙区制度のせいもあって、このことは加速化され、ついには自民党の過半数割れという現象が生じました。実はこの時この現象を引き起こしたのは、中道保守としての新自由クラブの結成です。しかしこののち進行したのは、新しい補完的な保守政党の形成です。小池都知事や前原議員が参加していた日本新党、小沢議員が率いた新進党、後は限りがないのですが、みんなの党、維新など多くの新しい保守党が出現したわけです。しかし、そのことによって起きたのは自民党の衰退ではなかった。逆に社会党、社会民主党の後退に象徴される革新政党の衰退です。さらにもう一つの現象が同時に進行します。それはかつての自民党の指導者であった長老たちが嘆いているような、自民党の超保守化です。その象徴が安倍首相です。
 なぜそのような現象が起きたのか。それは保守の分極化が逆に中間層を引き寄せ、自民党のさらなる保守化を可能にする働きをしたからです。政治の逆説です。このように考えれば、今回の民進党の分裂は、実際にはきわめて保守的な内容の政党の出現ですが、形式的には反自民党という選択肢を拡大したという点で、安倍首相への支持をさらに下げる役割を果たすはずです。そのままでは安倍首相が退陣する可能性が生じたとはいえ日本政治の危機はさらに進行する可能性もあったわけですが、リベラルな部分が新党を立ち上げ第3極への流れを作ったことによって、補完的保守政党の形成による政治全体の保守化というこれまでの動きとは異なる現象が起きるかもしれません。政治学的に見ると、政治はしばしばそうした逆説的な転回を示すことがあります。

by pastandhistories | 2017-10-02 18:26 | Trackback | Comments(0)

ロジックとゲバルト

 大学では最近クリティカルシンキングという議論が話題となることがある。授業の目的の一つとして、議論されることが多い。欧米の大学での試みを取り入れようということらしい。しかし、欧米での流行だからそれを導入するというのでは、まさにアンクリティカルな思考だろう。といっても、物を考えることを生業とするのなら、クリティカルな思考は大事。現状肯定的な思考はどうしても、イロジカルなものとなりがちだからである。
 その大きな理由は、現状は基本的にはゲバルトによって支えられているからである。欧米中心的な現在の世界のあり方は、歴史的には数多くのゲバルトによって生み出されてきた。したがって、現状肯定的な多くの思想もまた、その背景にあるのはゲバルトが生み出した力関係である。したがって、いくら非論理的であっても、その存在は許容されている。それどころか、しばしば、多数派として勝者の地位にある。しかし、いくら勝者の地位にあるからと言って、純粋に論理的に考えることを生涯の道として選んだのなら、そうした場に身を寄せることは虚しい。
 専攻の選択の時に、結局は西洋史を選んだのはそんな理由からだったかもしれない。ここでも何度か書いてきたように、実証というレベルであれば、日本史の方が歴史研究者の進むべき道であり、さらには人文学を科学として考えるならば、歴史学より社会学を選ぶのが、より確かな道であることを否定することは難しい(絶対に否定しえないというわけではないが)。しかし、自分が欧米の研究を選んだのは、圧倒的なゲバルトに裏付けられた欧米の思考的枠組みを批判し、解体していくためには(それは近代以降の日本を批判し、解体することにもなるはずだが)、欧米に内在化してそれをロジカルに批判する必要があるだろうと考えたから。
 歴史批判にもそうした問題がある。歴史批判には大別すると二つの立場がある。外在的批判と内在的批判。外在的批判というのは、たとえばテキスト論・言語論のような議論を媒介として、歴史哲学的な立場から歴史学や歴史叙述を批判するものである。厳密な批判も多く、議論としては優れているものもある。しかし、この批判は実際の歴史家からはほとんど無視されている。対して内在的批判というのは、具体的な歴史研究や歴史叙述をとおしての批判ということになる。自らを同じ立場においての批判ということになる。
 この両者では内在的批判の方が、歴史家に対しては有効性があるかもしれない。それは欧米に対する批判としても、内在的批判のほうがそれを論理的に批判しうる可能性を持つのと似ている。しかし、残念ながらその可能性は実際には限りなく小さい。それは歴史にしても、欧米にしても、それらがある種の暴力的関係によって生み出され、そして支えられているものだからである。しかし、だからこそ、それを内部から論理的にも、実際的にも打ち破っていく方向性を考えていくことは「楽しい」。
(このブログはなるべくやさしい文体を心がけていますが、時々文章の流れで別人のものみたいな文体になってしまうことがあります。今日はそんな感じかな)。

by pastandhistories | 2017-09-26 16:55 | Trackback | Comments(0)

デジタライゼーションの30年間

 デジタル技術の発達について、自分の経験にもとづいて前回の記事に少し補足して書いておきます。歴史研究者、とりわけ西洋史研究者は、元号表記に好意的ではないけれど、現在のように世代的な変化を示す場合は多少便利なところもあります。平成も来年でおしまい。30年が一つの区切り。
 ではこの30年で起きた大きな変化、それはパソコン使用の急速な拡大です。オアシスの親指ソフトと言っても、もう若い研究者は何の事だかわからないかもしれません。同じように88シリーズも。しかしすぐに消え去るこれらが出現したのは今からわずか30年前。平成元年の頃の話です。この年は、自分が地方の国立大学から、東京の私立大学へ移った年。経済的にはバブルがつぶれ始めた年。
 実は自分は地方の国立大学でずっと(教授会の選挙で選ばれて)学部の予算委員をしていました。予算の分配案の作成と特別予算の申請が主たる仕事。何か特別に予算を請求する名目はないかということで考えたのが、教員定員48人の文系学部の教員の全研究室にパソコンを配備するという文部省への特別予算請求。当時1台100万円で総額4800万、当時学部全体に配布される予算が、事務経費など一切を含めて年間4000万円だったので、それを超える額。したがって1年に16台づつ配置して、3年で計画完了というもの。これが確か平成63年の話です。
 普通はこうした予算請求は絶対に通らない。たかをくくっていたところ、なんとモデルケースとして満額承認。それからが大変。今では考えられないけど、最初の年度の16台の使用者が集められない。使ったことがないから。あるいはそんなものは不要と言い張る人も多かったから。仕方がないので、経済学科を中心に本当に何とか頼み込んで、やっと使用者を確保しました。30年前は、研究者とパソコンの関係は、そうした状況であったわけです。
 さらに予算付与につけられた条件にも困りました。何かデータベースを作成するということだったからです。ところが送られてきたすでに全国の大学の文系学部で作られているデータベースの一覧もまた今では考えられないもの。全部で200程度。それも初歩的な文献目録も含めて。当時のデジタル技術の利用状況は本当にそんな程度だったわけです。翻訳技術の発展はそれほど遠くない将来に、それぞれの母国語でのコミュニケーションを可能にするだろうと書いたのも、そうした変化の急速さを本当に毎年のように経験してきたからです。
 このことに関連して思い出すもう一つのことは、コピー技術の発達。院生時代に研究室に当時100万円程度のジェット噴射式のコピーが入った時のことです。たまたま自分が毎日使用していたマイクロリーダーの横に置かれた。ということで、なぜか教員の前でメーカーの技術者とともに、自分が最初のコピーをトライアルさせられました。その時にある教員が発言したことは今でも忘れられません。「これで学生はますます勉強しなくなりますね」。文献や資料の筆写が基本的な勉強の一つと考えられていたからです。もちろんより重要なことは、処理する情報量の拡大。いまどき雑誌論文を筆者することなどありえないでしょう。文書館に行っても、デジカメではいおしまいです。あるいはオンライン化で文書館に行く必要もかなり減ってきました。
 今日はここまでにしておきます。考えなければならない問題は山ほどあるのですが。 

by pastandhistories | 2017-09-19 22:58 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH補遺

 ENIUGH については、あまり目新しいことは書けませんでしたが、自分が驚いたことは二つ。今日はそのことを補遺として書き、それにかかわることを少し書き足します。
 その一つは、以前このブログで紹介したホブズボームの対談者であったマイケル・イグナティーエフが三日目からの会場であった中央ヨーロッパ大学の学長になっていたことです。もう一つは、そのヨーロッパ中央大学の建物は、昨年完成したもののようですが、それぞれの部屋にプロジェクターはなく、その代わりに黒板ほどの大きさの大型液晶ディスプレイが置かれていて、それにメモリースティックさえ差し込めば、そのまま指タッチで操作できたことです(つまりタブロイドが超大型化したと考えればよいでしょう)。携帯やパソコンでも同じことができるわけだから、原理的にはそれを超大型化すればいいだけ。ただそれだけのことですが、これは本当に便利。デジタル的なシステムの変化の速さには本当に驚かされました。
 このことに関連して思ったのは、グローバルヒストリーのあり方です。というより国際的な学会のあり方、そして日本の[というよりそれぞれの国や社会の)人文的な学問の向かう方向性です。
 グローバルヒストリーと限らず、国際的な歴史学会で最近つねに議論されることは、欧米中心主義、それをどう克服していくのかということです。しかし、そうした議論はますます英語だけで行われるようになっている。それでは欧米中心主義が克服できるわけはない。あまりにも自明なことです。たしかにアジアを含めて「研究者」は英語ができる。しかし、そのアジアでは国や地方で違いがあると言っても、学問的な会議で厳密な議論を不自由なく英語でできるのは人口のわずかな部分であって、一般の人がそうしたの能力を持っているわけではありません。それどころか、日本の日本史研究者でそうした能力を持つのは、現在でも限られた人でしょう。こうした状況で、グローバルな歴史、下からの歴史、普通の人の歴史と言っても、その議論自体はかなり空虚なものです。その一方で、グローバル化がもたらした留学機会の増大から、研究者の英語能力が上昇したことも確かで、そうした意味での「国際化」[というより欧米への同調志向)は、急速に進行しています。
 何度も書きてきましたが、自分はそのこと自体は「現在の段階では」専門的研究者の職業的・倫理的義務であると考えていて、一概には否定はしません。個人的なことを言えば、もう20年度ほど前になりますが、研究室人事を委ねられた時に、自分が建てた基本的方針は「海外での学位取得者」ということでした。日本の西洋史研究はおそらく将来はそのことが基本となるだろうと考えたからです。しかし、この人事には本当に苦労しました。時代を限定すると、海外での学位取得者は当時はほとんどいなかったからです。そこで多少強引な引き抜きをして、その事後処理でいろいろ苦労することになりました。
 ただ最近の海外学位の絶対化や英語主義には多少の疑問も感じています。それはおそらくそうした流れはデジタル的技術の進展の中では、一時的なことかもしれないと考えているからです。その理由は以下のようなことにあります。それは中学時代の数学の教師に教えられたことです。
 この数学教師は本当に厳しい人でした。途中までできていても最後に計算ミスなどがあると絶対に点をくれない。0点です。しかし、同時にこの教師は、つねに「ちからわざ」に頼る生徒は必ず伸びが止まるとも言っていました。つまり受験勉強の蓄積から高い筆算や暗算の能力を持ち、それが数学的能力だと思っている生徒は必ず限界にぶつかるということです。なぜ。「そんなものは計算機」が「より早く、正確に」「将来は(この当時からはですが)」はやってくれるだろうからです。したがって、この教師が何よりも力説したことは、足し算より引き算、掛け算より割り算の重要性ということです。なぜなら前者が数を大きくするのに対して、後者は数を小さくするからです。後者の方が圧倒的に誰にでも処理しやすい。こうした考えからこの教師は、数学にとって重要なのは、素数や因数であり、また「代数」は物事をやさしく考えるための方法であるとして、力技に頼る「算数」から抜け出ることの必要を教えてくれました。中学生当時は理解できなかったのですが、大学受験の時期にこの教師から教わった考え方は、本当に自分の助けになりました。
 なぜこんなことを今日は書いたのか。それはパソコンの翻訳能力を笑う人がいるけど、おそらくそれはあと数十年、長くて100年のことだと思うからです。デジタル技術がさらに進展すれば、それぞれがそれぞれの言語を話して国際会議をしても、それを機械が正確に翻訳してくれる時代が来るでしょう。いくら自分の語学能力が「他人」より少し優れていると言っても、それぞれが天才であるわけがありません。本当に数少ない限られた「天才」の能力を、碁や将棋ではすでにパソコンが乗り越えています。「語学」でもそうした時代が来るはずです。そしてそうした時代にこそ、本当のグローバルヒストリーや人文学の研究の国際化が生じていくでしょう。誰もが国際会議で、というよりも誰もが、普通の人々が、自分の歴史理解を平等なものとしてグローバルな世界に提示できるからです。
 こう考えれば、自分たちの中にある錯覚に気づくことができるはずです。今の国際化の中にある歪みにも。そして本当に目指さなければならないものは何かということを改めて考えることができるのではと思います。
 

by pastandhistories | 2017-09-17 21:32 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH-4

13,14日のイーサン・クラインバーグを招いての会は無事終わりました。日本の研究者の日本語での報告を、外国研究者が英語でコメントをするという試みで心配したのですが、それぞれの発表内容にヴァリエーションがあって、それにイーサンが本当に丁寧に対応してくれたので十分な成果があったと思います。ただ時間配分が難しく、さらにまた通訳の不在ということで即席の対応になったことも重なり、初日は十分な質疑時間が取れませんでした。
 初日が質疑時間が少なかったので、二日目は思い切って質疑にかなりの時間をとりました。そのためにイーサンの報告の後半の翻訳紹介がかなりはしょられましたが、質疑はそれなりだったと思います。イーサンの良さを引き出すのは、一方的な講演より質疑に時間を割いた方がいいと考えたからです。合計まる十時間も(二次会を含めると二十時間近く)付き合ってくれたイーサンには本当に感謝しています。参加した人は理解してくれたと思いますが、本当にシャープな議論ができる人です。忙しい人ですが、ぜひまた日本に来たいとも言っていたので、そういう機会があればと思います。
 さて中断していた ENIUGH に関してですが、かなり記憶も薄れてきましたが、最後に自分が一番期待していた、三日目の というラウンドテーブルのことを紹介しておきます。World History and Global History- Next Step to Go? というもの。期待は同じであったらしく、今回の会では珍しく、満席で立ち見状態でした。参加したのは、この会の事実上の創始者であるマテイアス・ミデル、それからスヴェン・ベッカート、アムステルダムからマルセル・ファン・デア・リンデン、それから地元の女性研究者であるスーザン・ツィムマーマンなどです。
 スーザンが女性研究者の立場からジェンダーを取り入れたグローバルヒストリーという主張を論じ、マルセルはやや図式的にグローバルヒストリーをたとえば、比較・相互関係・統合というようなかたちで論じたけれど、なんといっても会を圧倒したのはベッカート、とりわけ後半の質疑は彼の独壇場でした。いろいろ興味深い議論提示があったけど、印象的だったのは、グローバルヒストリーは結局は研究者間の協同が必要になるだろうという議論に対し、歴史研究はあくまでも個人の視点という要素があると論じたこと、およびネオリベ的なものを補佐するものであってはいけないと論じたことです。自分とも考えが近く、共感させられました。ミデルは非常にバランスのとれた思考をする人で、会場から出される議論にはあまり深入りせず、今後の他の地域における同種の組織活動との連携を提案していました。

by pastandhistories | 2017-09-16 22:12 | Trackback | Comments(0)

9月13日、14日

 本来は ENIUGH の続きを書かなければいけないのですが、今日は明日・明後日の会の告知。今頃になってということもありますが、帰国後はその準備(主としてペーパーの翻訳)に追われていました。コメント並びに報告をしてくれるイーサン・クラインバーグとは昨日会いました。大変シャープな人物で、期待できると思います。会の内容は以下の通りです。

【公開セミナー】

日時  2017913日(水)13時~17時半

場所  東洋大学白山キャンパス5号館5104教室(奥の側の正門から入って、坂を上がった正面の建物)

報告

長野 壮一(フランス社会科学高等研究院) 「二人の革命史家、網野善彦とフランソワ・フュレ」

山野 弘樹(東京大学)  「過去」を物語り直すということ

池田 智文(龍谷大学)   近代「国史学」の展開と歴史理論

中西 恭子(東京大学)   歴史と文藝のはざまで

コメント: イーサン・クラインバーグ(History and Theory 編集長)

会:道重 一郎(東洋大学) 岡本 充弘(東洋大学)

【公開シンポジウム】

日時  2017914日(木) 13時~17時半

場所  東洋大学白山キャンパス5号館5104教室 

報告  イーサン・クラインバーグ(History and Theory 編集長)

歴史理論・史学史の現在的問題 ※通訳あり

会:道重 一郎(東洋大学) 岡本 充弘(東洋大学)



by pastandhistories | 2017-09-12 13:46 | Trackback | Comments(0)

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