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社会歴史

 「社会思想史」という一般教育の講義が学生時代にありました(多分いまでもあるのでしょう)。「社会」思想という言葉自体は古くからあり、戦前にも『社会思想』という雑誌が東京帝大新人会の出身者たちによって出されていました(その一部を神田の古本屋で入手してもっています)。また社会思想社という名前の出版社もかつてはありました。授業は結構人気があって大教室にいっぱいの聴講生がいて、それなりに大学の新入生程度の初学者には面白かったのですが、内容的には残念ながら、思想家から思想家へと思想が継承され発展していくという部分が強調され、その「社会的」な枠組みはあまり丁寧に説明されることはありませんでした。時代的にも「思想史」がそういう枠組みにとどまっていたことを反映していました。
 当時知りあいだった編集者が担当するかたちで、彼に言わせれば本来は河合栄治郎の流れをひく社会思想社から季刊『社会思想』が刊行されたのは1971年です(~1974年まで)。編集委員の一人が柴田三千雄さん(というより自分の指導教員ですから先生なのですが)で、その柴田先生がやはり加わるかたちで社会思想史学会が作られたのが1976年です。会の目的は「思想史の社会的性格への関心を核とした学際的研究」というものです。別に深い対立があったわけではありませんが、いわゆる柴田門下のほとんどは「思想」より「運動」だということで『社会運動史』に寄稿していくことになりますので、自分も『社会思想』に文章を書くこともありませんでしたし、社会思想史学会に加わることもありませんでした。
 当時からそう思いましたが、「社会」という形容語、英語ではsocialという言葉をつけた場合、それをどのように理解するかはかなり幅があります。たとえばsocial historyという言葉は、社会全体にかかわる歴史、とする場合と、社会学(科学)的な歴史というような整理が可能です(ホブズボームもこうした整理をしていたと思います)。あるいはsocial sciences というのは社会についての諸科学ですが、social disease というのは社会的コンテクストによって生じる(結核などの)病気ということになります。
 おそらく1970年代以降日本で用いられるようになった研究対象を示す「社会思想」という言葉は、諸社会(人文)科学を学際的に取り入れるという側面もありましたが、同時に思想を思想に純化せず、社会的コンテクストのなかから捉えていく」という方向性を含んでいました。そうした思想の社会的コンテクストについて決定的な研究視角の転換をもたらしたものは、もちろん「読書空間」への着目です。文字的な史料をテキストとして絶対化するのではなく、それが誰によってどのように読まれていて、その読書空間がどの程度の広がりがあったのかを、発行部数なども含めて実証的に研究していくというものです。その代表的研究者がシャルティエです。
 これから「歴史」の問題を歴史的に考えていくために、こうした考えはきわめて重要な役割を果たしていくはずです。これまでも随分と、かつ分厚な歴史の歴史(history of historiography)が出されてきましたが、そのほとんどは(たとえば日本で出されている「史学概論」のほとんどすべては)歴史理論が理論としてどのように継承・発展してきたのかを説明しているだけで、歴史がそれぞれの時代の中でどのようなコンテクスト、つまり限定的に言えばそれらが対象としている「文字的な歴史」がどのような「歴史の読者空間」にあったのかをほとんど説明していないからです。
 あえて言えばいままで歴史の歴史について行われてきたほとんどの説明は、歴史の純粋に思想史的な説明であって、「社会歴史」の説明ではないということです。今ここでもちいた「社会歴史」という言葉は「社会思想」をもじったものです。思想を社会的なコンテクストのなかで学際的にとらえるのがより学問的な発展であるとするのなら、思想のひとつの領域である「歴史」もまた社会的なコンテクストの中で学際的にそのあり方を歴史的に捉えていく必要があるということです。具体的にはどういうことかは、明日また書いていきます。
by pastandhistories | 2010-12-31 11:44 | Trackback | Comments(0)

歴史知のハイアラーキー

 歴史研究者は「史料と直接向き合っている」ので、そうした史料と通して正確な「事実」を知っているけれど、歴史研究者の書いた叙述の読み手は「史料に直接触れてはいない」ので、「事実」を正確に知っているわけではない、という議論は成り立つのだろうかということを時々考えることがあります。確かに成り立ちそうな気がします。というよりこうした考えは多くの歴史研究者がもつ自負です。
 しかしこうした議論は、ある意味ではアンフェアな議論です。というのはこうした考えに基づけば、歴史研究者以外の一般的な読み手は、彼らは「事実」であると思って歴史研究者の叙述に接しているにも関わらず、読み手と事実の間には常に主観や、解釈や、説明の技法をもつ歴史研究者が介在していて、読み手は決して「事実」には直接は近づき得ないということになるからです。当たり前の議論のようですが、ここにあるのは史料を媒体とした事実に対する歴史研究者の読み手に対する特権的地位です。多くの人が「平等に有しているはず(?)」の過去への知は、そうした枠組みのなかでは厳然たるハイアラーキーの元に置かれています。そうしたハイアラーキーを支えているものが、歴史研究者が自ら書く多くの歴史の方法論に共通する史料・事実・叙述というものを媒体としたロジックです。
 こうした知のハイアラーキーは日常的には事実・記者・記事、そして読者の関係に似ています。事実を一般読者より知りうる立場にある記者は、ある記事を「事実」として記しますが、もちろんその記事が叙述されるに当たっては叙述に伴うルールがあて「事実」のすべてを書くわけではない。したがって「記事」を事実と思って読んだ読者の事実への知識は、常に記者より不十分である。つまり読者は「事実」を正確に知っているわけではない。「事実」を読者は正確には知らないがゆえに、つねに事実を正確に知っている記者の存在が意味を持つ、という関係です。
 こうした関係が「歴史学」という世界の中で「歴史研究者」の地位を保全してきました。史料を占有しているがゆえに、事実もまた占有しているとことです。しかし歴史について考える時大きな問題とすべきことは、歴史の事実とはどのようなもので、誰がどのようなかたちで持っているものなのかということです。少なくとも何らかのかたちで表象されて事実とされているものを事実であるとしなければ、史料ではなくそうした「表象された」事実にしか接し得ない普通の多くの人々は、歴史の事実を正確に認識していないということになってしまいます。歴史の事実を占有しているのは、歴史研究者だけになってしまいます。
 自分は過去の実在性とか史料批判の重要性という問題を批判したことは一度もありません。しかし「歴史研究者は史料にきちんと依拠している」ということのみでは、自らの特権的な地位を語っているだけで、現在問われていることへの答えとはならないような気がします。普通の人々が誰でも持っている、持つことのできる過去の事実への認識、それが歴史というものが存在し続けるなら歴史のもっとも基本的な要素でなければならないからです。
by pastandhistories | 2010-12-30 11:33 | Trackback | Comments(0)

他者についての知

 歴史研究の論文を読んだり、発表を聞いたりしていて最近とくに感じるのは、歴史は「他者」について語るものなのか、「自己」を語るものなのかということです。ある意味では新鮮な視角をもった研究がとりわけ若い研究者によって試みられていますが、ともすれば「自己」の研究の目新しさのみが語られすぎていて、歴史は基本的には「過去」に生きていた「他者」についての「知」であるということが忘れられているのではないのか、という疑問を少なからずもつことがあります。
 E.P.トムスンが『イングランド労働者階級の形成』でこの本を書いたことの基本的な意図は、従来の歴史の中で無視されてきた靴下工をはじめとする様々な人々を「後世の大きな見下しから救い出す」(rescue from the enormous condescension of posterity)にあると説明したことは、多くの研究者によってしばしば引用されています。トムスンは彼らを状況や行動や思想を、poor、utopian、obsolete、deluded、あるいはdying、backward-looking、fantasies、foolhardyという言葉で形容しながら、現在的視点からはそのような言葉によって否定的に評価されがちな他者を、彼らの歴史を記述することをとおして救い出すことを試みたわけです。
 本当のところを言うとcondescensionをここでのコンテクストのなかでこのような意味にとっていいのかはあまり自信はありません。辞書を引くとcondescensionの意は、目下のものに対して威張らないこと、優越感をもったわざとらしい親切(『研究社新英和』)へりくだり、親切(『ランダムハウス』)とされていて、字義通りに取れば「後世」の側の「優越性」や「親切」が前提とされていて、そこから救い出すというのは奇妙な感じがするからです。トムスンに対して批判的な視点に立つなら、後世にいるのはトムスン自身ですし、また出自的にはトムスンは文字通りcondescendしているわけですからこの文章はおかしいという議論が成り立ちます。それでもトムスンがあえてこの言葉をもちいたのは、自らはcondescension of posterityには立たないという(自己への)批判的意識と強い自信があったからでしょう。
 前提としたことと議論が少しずれたかも知れませんが、別にトムスンでなくてもよいのですが、読んでいて面白い歴史書のひとつの条件は、他者がどれだけ熱意をもって語られているのかということです。気の利いた歴史研究者の視点というのも、確かに一時的には関心をもたれることがあるかもしれませんが、やはり大事なことは歴史は基本的には他者についての知であって、他者を語る叙述であるということのような気がします。「それほど自己のことを語りたいのなら自己のことだけを語ればよい。あえて歴史を語る必要はない」とつい言いたくなるような研究が必ずしも少なくないのは、少し残念です。
by pastandhistories | 2010-12-29 20:48 | Trackback | Comments(0)

商業道徳

 モラルエコノミーという言葉について昨日は書きましたが、この言葉で「自分」が思い出すのは「商業道徳」という言葉です。実際には意味内容が随分と異なった部分があって、この二つを結びつけるのことには批判もありそうですが、「自分」は「個人的」にはモラルエコノミーという言葉から「商業道徳」という言葉を連想するということです。というのは、父がしばしば自分に伝えていた言葉だからです。
 父は繰り返しこの言葉を自分に伝えましたが、文章に残すことはしなかったでしょうからもちろんこの言葉を父が語ったということは、今日まではいかなる史料としても残されていません。いかに優れたデータ検索を用いても、ヒットすることはなかったはずです。しかし、今日からはネットで検索すれば、使用例としてヒットされていくことになります。歴史の一つの史料となるということです。といっても父はこの言葉を誤用していたようです。この文章を書くに当たっていちおういくつかの辞書を確認しましたが、そこに示されている意味とは異なる意味で父は用いていたようだからです。もちろん語源的な意味も父は知らなかったでしょう。それが厳密には誤用であるということを、聞いていた自分も知りませんでした。
 薬屋を生業としていた父の商業道徳は、基本的には「薬は売らない」ということにありました。もっともそれでは生活はできませんから、実際には「高い」「新薬」は売らない、あるいは新聞やテレビなどで「宣伝」している薬は売らないということです。とくに気嫌いしていたのは大衆保健薬やドリンク剤で、実は利益率はきわめて高いのですが、そうした商品を置くことに抵抗し、最終的には店に置くことにはなりますが、宣伝につられて買いにきた客に対して「こんなものは効かない」として追い返すこともよくありました。自分も時々手伝いで店番をしましたが、そうした父の考えに従いました。薬は(副作用があるのだから)宣伝をして大量に売るものではない、というのが父が商業道徳として自分に伝えていたことです。
 そうした父ですから同じように気嫌いしていたことが、ビラ入れによる値引き競争でした。「そんなことをするのは薬屋ではない」というのも父の口癖でしたし、滅多に安売りビラを作ることはありませんでした。競走上仕方のない場合は他店のビラに合わせて原価をふまえて価格を直せばよい、というのが父の考えであったということです。
 「商業道徳」というより「職業倫理」といったほうがよいような事例かもしれません。残念ながらこうした父の「モラルエコノミー」は、制度品(定価のある商品)を値引き価格で大量販売するスーパーやチェーン店の出現によって淘汰され、「薬屋」はチェーン店に吸収されるかスーパーの一角に収まることになり、せいぜい現在では三丁目の一角にその残滓を残しているにすぎません。もちろんこのモラルエコノミーは、「民衆の戦い」として歴史家の関心を集めることすらできませんでした。 
 今日このブログでこんなことを書いたのは、やはり「個人」の中にある歴史というものを書いてみたかったからです。それからもう一つ、「赤ん坊は数百回聞いてから一つの言葉を覚える」とよく言いますが、一つの言葉が書かれて文字的な記録、エクリチュールとして一回残されるためには、それが数百回にわたって話されたというパロールの世界の広がりがあるということです。歴史研究にとって必要なことはそうしたことへの想像力です。
by pastandhistories | 2010-12-28 13:10 | Trackback | Comments(0)

言葉の理解

 歴史研究のひとつに、ある事実の始原を探求し説明するというものがあります。例としては何をあげてもよいのですが、たとえば相撲の起源は神事にある(正確に言えば大陸の同種の格闘技に始まるというべきでしょうが)とか、歌舞伎は出雲の阿国に始まるといったような説明です。事典では、というより現在ではウィキペディアのほとんどの項目は、興味深いことにある事実をその始原にさかのぼって「薀蓄」をこめて説明しています。物事の始原を知ろうとすることは、人間の知的活動の一つの要素です。その意味では歴史研究の重要な構成要素の一つですし、なによりも人間のの知的作業の最も基本的な要素である言語研究の重要な要素となっています。エティモロジーが文法研究とともに言語研究の柱となっているのはそのためですし、また字典や辞書の重要な要素となっているのもそのためです。こうした研究が豊富なデータの収集・分析が可能になったコンピューター出現以後の時代に従来とは比較にならないような飛躍的な発展を遂げていくだろうということも、昨日書いたように十分に予想されることです。
 しかし仮に始原がそういうものとして説明できるからといって、力士はすべて「日本人」でなければならないとか、歌舞伎役者はすべて「女性」でなければならないとするのなら、それはきわめてナンセンスな主張です。旅団という言葉の使い方からもわかるように、「旅」という文字が本来は軍隊、軍隊の移動を示す言葉であるからといって、現在用いられている旅行という言葉にも軍事的な移動が含意されているとか、旅には常に武器を携行すべきであるという議論をするなら、これもまたきわめてナンセンスな議論となります。
 こうしたことはある意味では常識的なことなのですが、それでも自分が歴史研究者としてショックを受けたのは、以前このブログでも記しましたが言語学者であるソシュールの「共時態は通時態に優先する」という主張です。通時的に物事を説明することを基本としていた自分から見ると、そうした手法をとるエティモロジーをその基本的要素としているはずの言語学のなかでそうした議論への批判が早くから行われていたことを知ったことは、随分と意外なことでした。そのことが通時的説明の持つ権威性、たとえば自分はヨーロッパの民主主義や社会主義に大きな関心があったわけですが、そうしたものを始原的な基準として、「日本」の社会の「変革」を論ずるというような議論に大きな疑いを抱かせることになりました。こうした考えが自分のものだけではなく、同じ時代の多くの人々に共通したものであったということです。
 話を近藤さんのモラルエコノミー論に戻すと、モラルエコノミーという言葉へのエティモロジカルな研究をIT的な手段をとり厳密に進めていくべきであるという議論はその通りですし、またその萌芽的な研究の実際的な提示に対しても自分にはほとんど異論はありません。こうした研究が今後の緻密化された、まさに厳密に「実証的」な歴史研究の重要な要素となることは事実です。しかし、E.P.トムスンや、彼が依拠したとされるブロンテール・オブライエンがその厳密な語源的意味を知らず「誤用」していたという議論(もちろん近藤さんがそうした議論をしているわけではありませんが)は自分はとりません。というのはオブライエンがモラルエコノミーという言葉をポリティカルエコノミーという言葉と同時に用いたのは、モラルとか、エコノミーとか、ポリティカルという言葉がその厳密な語源的な意味においてではなく、当時の言説空間の中でかなり広がりのある意味で日常的にもちいられていて、そうした共時的空間に対する主張として語られた言葉であったからです。それは1960年代から70年代にかけてこの言葉をもちいたE.P.トムスンについても言えることですし、1980年代の日本の民衆運動史研究においてそれをもちいた安丸良夫さんなどについても言えることでしょう。その意味では言葉の通時的な研究も大事ですが、同時にそうした言葉が語り手とオーディアンスのなかで特定の意味を持ち合う共時的な空間でそうした言葉がどのような言葉としてもちいられていたのかという実証的な研究もまた必要だということでしょう。
 今調べなおす余裕がありませんが、多分自分はモラルエコノミーという言葉をもちいていないのではと思います。流行り言葉を使用するのは好きではないというのがその理由ですし、「言葉の権威性」というものに常に疑問があるからです。近藤さんが『民のモラル』という著作でモラルエコノミーをあえて使用しなかったのも同じ理由からなのだと思います。
by pastandhistories | 2010-12-27 10:02 | Trackback | Comments(0)

電子的な研究

 先週末にはいくつか研究会があってかなり充実した週末でしたが、それから一週間たちました。おととい転部・転科試験という年末の最後の仕事があって、やっとお休みです。もっとも書き残してある書類の整理がありますし、年賀状も当然まだ手付かずです。年が明けると1月は5日からボストンのアメリカ歴史学会に行きます。本当は授業は5日からですので、帰国後は補講をしなければならず自分で使える時間は本当に少ない感じです。
 ところでこのブログですが、連続して書くのをやめてから2ヶ月たちました。その間は基本的には日曜日毎に更新していましたが、その間アクセスの数がどんどん増えて毎週その前の週を更新し続けています。それならということで、自分としてはまだしなければならない仕事もあり、準備も十分でないので迷うところもありますが、休みに入ったこともあるのでまた少し書き始めようと思います。連続して書けるかはわかりませんが、その時々に考えたことで、読んでいる人の参考になるようなことが書ければ思います。
 今日はその初めということで先週の研究会の感想を書きます。その理由は実を言うと何人かの若い世代の研究者から会の後で、先週の近藤和彦さんの発表についての意見を求められたからです。会で直接発言すればと思うのですが、やはり質問するには重い部分があって発言しにくかったのでしょう。しかし本人が不在の場で自分の見解を述べることは、behind his backになりますので、質問に対して自分の考えをその場で述べることはしませんでした。幸いにしてその後近藤さんと電車で偶然会う機会があり、この話をして自分の考えを明らかにしてよいかと訊ねたところ快諾を得ましたので、そのことについて自分の考えを記していこうと思います。
 まずそのひとつは近藤さんの発表のひとつの枠組みとなっていたネット空間において電子化された史料の操作という問題です。この点についてはこのブログでも書いてきましたが、多くのとりわけ若い研究者は異論をもたないでしょう。自分も演習や史料研究はコンピュータールームでしています。まだ技術的問題も随分とありますが、ここをネグレクトしたら「新しい」歴史研究は成り立たないでしょう。近藤さんはそうした探求をもとに「モラルヒストリー」という言葉を一例としてOEDの記述の不正確さを指摘しましたが、これもまた異論のないことです。膨大な情報が電子化された時代において、OEDの不正確さが露呈したのは、各種の権威化されていた百科事典がウィキペディア「など」に取って代わられつつあるのと同じことです。問題は百科事典の場合はウィキペディアがそうであったように誰でも書けるというこれまでは大きくコンセプトの異なるものが優位となるのか、それともOEDが膨大な電子的データを集積するかたちで自己革新して権威を保持し続けていくかという問題でしょう。この件についてはこれも以前書きましたが、OEDに準拠してワードでは誤用として赤字であらわされるものでも、YAHOOやGOOGLEなどの検索機能をもちいると実際の生きた使用例が豊富に見出されるという問題があって、そもそも「辞書」とは人間の言語的活動においていかなる役割を果たすものなのか、ということ自体が問われなければならないのかもしれません。
 その辞書の重要な役割に、OEDはそうしたものの権威付けとしてこれまで用いられてきたわけですが、語源学(etymology)的な説明があります。近藤さんの発表もそうしたものだったわけですが、エティモロジカルな視点をどう取り入れていくのかということは、歴史研究にとってはかなり重要な問題を含んでいます。この問題は少し丁寧に議論する必要があると思うので、このことはまた明日続きを書くつもりです。
by pastandhistories | 2010-12-26 09:26 | Trackback | Comments(0)

歴史への回帰

 かたちの上では週末ですが、昨日は朝から研究会が二つ、イギリス女性史研究会とイギリス史研究会。今日は午後から「歴史と人間」の研究会ということで休みなし。「歴史と人間」の会は都心からみて自宅からは逆なので延々1時間以上電車に乗っていかなければなりません。もっとも最近は本当に忙しく、電車に乗ると本を読む時間ができるのでほっとするというような生活です。ということで、今日も本当に時間がないのですが、昨日の研究会の感想などを出かけるまでになんとか書いていきます。
 昨日の研究会にかんしては発表は「知らない人がいたらモグリ」という人たち(長谷川貴彦さん、近藤和彦さん)の発表で、午前中は「言語論的転回とパーソナルナラティヴ」、午後は「ITリソースをもちいたエティモロジカルな研究の具体例」というテーマについて行われました。正直いって学会や研究会の発表には二つの形態があって儀礼的・形式的なものと、内容にきちんとした問題提起があるものがありますが、先週のものもそうでしたが、昨日のものも問題提起が多様かつ明確で、参加者を満足させたものだったような気がします。その意味ではこうした場ではあまり軽々には議論できない部分もあるというのが正直なところです。したがって提起された問題についてはこれからも機会をみて丁寧に議論していきたいのですが、午前のものに関しては午後の会で長谷川さんと席が隣でしたので、発表の際には伝えることのできなかった感想のいくつかを直接提示する機会がありました。そのあたりのことを今日は書いていこうと思います。
 発表の要旨は、言語論的転回が(パフォーマティヴターンなどをへて)現在ではヒストリカルターンへと回帰している、その理由は言語論的転回には「史料の軽視」ではなく「史料の厳密な読み」という意味が含まれていたということと、そのことが歴史研究を研究のさらなる緻密化という内容をもつパーソナルナラティヴという方向に大きく転換させているというものです(歴史研究のパフォーマティヴターンというテーマは、3年ほど前に自分が同席した上海の会で『思想』8月号でホワイトとのインタヴィユーを紹介したエヴァ・ドマンスカが報告したことがあります。この報告はかなり面白く、プロジェクトの報告書で紹介したことがあります。ヒストリカルターンへの回帰という問題は、このブログの最初に取り上げたサンティエゴのアメリカ歴史学会で「historiographical turn」として議論された問題です。
 議論としては非常に考え抜かれていて、このあたりのことはまとめられた形で発表されていけば今後の歴史研究に与える影響は少ないないと思います。ただその後の質疑応答を聞いていて残念だったのは、「言語論的転回」がそれまでの歴史研究にたいしてきわめて重要な批判を提供したということが議論の前提となっているわけですが、現実の課題としては「パーソナルナラティヴ」という歴史研究が具体的に提示されたために、その具体的な内容や方向性、史料操作の問題に質問が終始してしまったことです。そのため長谷川さんの問題提起の前提となっていることが、ほとんど議論されなかったことです。長谷川さんの目配りが周到なこともありますが、そのあたりのことを対等に議論できるような若い研究者がいてほしいと感じました。
 自分として長谷川さんに直接伝えたことは、「パーソナライゼーション」という問題についてです。おそらく自分と長谷川さんにある共通の問題意識は、「歴史のパーソナライゼーション」という問題だと思いますが、ここで一番問題になることはこれまでの「歴史」のなかで暗黙の前提とされてきた共同性が、「人間の過去認識」にとって本当に前提的なことになりうるのかという問題であるような気がします。そのあたりのことを長谷川さんは「主体」と「構造」といった考え方をはじめきちんとして理論的な整理をふまえて説明しました。いずれにせよ、これまでの歴史の共同性のありかたを批判し、「パーソナライゼーション」や「プライヴァタイゼーション」という議論を立てた時、どうやって歴史に回帰していくのか、あるいは歴史に回帰していくことが可能なのか、ということは歴史研究者にとっては理論的にはかなり重要なことだと自分は考えています。
 後もう一つ長谷川さんに伝えたことは「伝記」と「パーソナルナラティヴ」はどう違うのかが参加者にはわかりにくかったのではということです。もしこの二つが区別されるものであるとするなら、図式的に言えばその区別は、伝記はある共同性が前提とされていて(大は人類・国家から、様々な社会的集団)、それをもとにしばしばハギオグラフィックなものとして記される(最近では映像化される)のに対して、パーソナルナラティヴはそうした共同性を批判するものとして、あるいはその外延部にある人々の記録として描かれる場合が多いということのような気がするのですが、そうした整理でよいのかということも含めて今後議論が行われていくような気がします。
 
by pastandhistories | 2010-12-19 11:11 | Trackback | Comments(0)

国語とナショナルヒストリー

記事数というところを見たら今日が100件目のようです。といっても集中的に書いたのは、8月から10月までで、その後は事実上は中断しています。にもかかわらずアクセスは増え続けていて、先週は先々週より、そして今週は先週よりさらに増加しました。それだけ読んでくれる人がいるなら、もう一度それなりに問題提起になることや情報的なことを書いていこうと気持ちもありますが、まだ8~10月のように毎日書いていくには時間的な余裕はないというのが現状です。
 もっとも今週は事態は少し好転しました。11月に書いてあった原稿を見直す時間が先週末にできたので、二日ほどかけてそれを見直し、編集部に送りました。ということで、来週からは次の仕事に入れそうです。もう一つは、今年の大きなイヴェントであった酒井直樹さんを招いた「ナショナルヒストリーと国語の形成」というセミナーが昨日無事に終わりました。いつもそうですがセミナーは始まるまではいろいろ心配が多いのですが、正直言って昨日のセミナーはそうした不安を吹き飛ばすものでした。準備が本当に遅れてポスターが作れたのもギリギリでしたし、日程的にも一番研究会などが立て込む時期ですから参加者数が心配だったのですが、参加者は予想していたより多く面識のない人もいて、このブログを見て参加してくれた人もいたようです。内容的にも酒井さん、下田さん、渡辺さんの報告は設定したテーマとかみ合っていましたし、また非常に丁寧なもので、「公開された」研究会として十分な成果があったのではと思います。配布されたレジメを研究室においてきてしまったのでその内容を正確にここに記すことができませんが、国語の構築性という問題が常識的なものとして、さらにはそれがどのように構築されたのかという具体的内容が事実をたどりながら論じられたという点で、参加してくれた人の役に立った部分があったのではないかと思います。
 議論としてはそうした国家や国語の構築性が基本的には議論されたわけですが、フロアから網野善彦さんの指摘を例にとって、「構築性」を原則的に論じても、それで批判できるほど「甘くはない」というものがナショナリティの根拠となったものにはある、という発言があったのが印象的でした。それから「われわれ」という言葉の使い方も議論となりました。全体として議論が「言語」問題に集中したところがあったので、自分からは、「近代国民国家によって構築されたものとしてナショナルヒストリーと国語はともに批判されている。しかし、ナショナルヒストリーについてはその上位にあるものとしてグローバルヒストリーやトランスナショナルヒストリーが「科学」的なものとして措定されているのに対して、言語のグローバル化・トランスナショナル化はエスペラントやクレオールにように試みられたことはあるが実際性をもたなかった。これは「科学」と「文化」の違いなのだろうか。またそうした言語的状況の中で、歴史を「科学」として表現する手段は「翻訳」を借りなければ、現実的には帝国主義的な言語である「英語」世界にスリップインするか、あるいは相変わらず「日本語」という言語空間にあるオーディアンスを対象とするしかない。そのあたりのことをバイリンガルな表現技術や空間を持つ酒井さんや下田さんはどう考えているのか」という問題を提起しました。
 このあたりのことは酒井さんや下田さんが先駆的にアプローチしてくれたわけですが、これからの若い研究者の大きな課題となっていくことだと思います。これも下田さんや鹿島徹さんが提起してくれましたが、国家とそれを批判するもの、近代とそれを批判するもの、というバイナリーが結局はそのバイナリーの前提である国家や近代に包摂されている議論であるという問題を含めてこれから考えていかなければならないことは多いわけで、そのあたりの議論を含めて本当に有用な会でした。
 久しいぶりにのんびりできたのでつい長い文章になりましたが、今日は午後から「歴史知」研究会があってそれに行かなければなりません。
by pastandhistories | 2010-12-12 11:13 | Trackback | Comments(0)

文化の複層性

 普段は夜中に原稿を書くことはあまりないのですが、昨日は2時過ぎまで原稿を書いて、今日も朝起きて今まで原稿を書いていました。とにかく仕事がつまってしまいセミナーのある11日から22日までは一日も休みがなく、おまけにその間最低5回は忘年会や打ち上げの夜の会合もあるということですので休みの日がどうしても原稿書きということになります。このブログに関しては、今週もまた「信じられない」という言葉を使いますが、先週のアクセス数が、その前の2週間よりさらに増加しました。ということでブログを中断する時にいちおうその数を控えたのですが、それから一ヶ月、中断している間のアクセス数が300を越えました。それだけの人が読んでくれるのならもう一度まとまったものを続けて書いていきたいという気持ちはもちろんあります。しかし、それにはもう少し時間が必要な感じです。
 ということで今日は酒井直樹さんに参加してもらう11日の「ナショナルヒストリーと国語の形成」というセミナー(11日午後1時半開始、東洋大学白山校舎6号館6408教室)の宣伝をあらためて書いておきます。司会は自分がしますが、報告は渡辺賢一郎さん、下田啓さん、酒井直樹さんにしてもらいます。酒井直樹さんについてはあらためて紹介する必要はないと思いますが、残りの人を紹介すると渡辺さんは実質的にこのプロジェクトの運営をキリモリしてくれている人で、言語統一と民族主義の問題をロシアタタールに関してその媒体となった知識人やその教育論をテーマとして研究している人です。幅広い議論のできる人で一昨年は「少女マンガにおける人称(語りの構造)」というを問題をとりあげ、マンガにある場面ごとでの人称の転換について面白い話を取り上げてくれました。マンガでは論文はもちろんのこと小説などとも異なって、場面場面ごとの必要にしたがって、人称の転換が随意に行われ、それがマンガという表現形式にとってきわめて重要な要素となっているという話です。
 下田さんは現在はアメリカのヴァッサー大学に勤務していますが、ハーバードで学位をとった人で明治維新を前後とする日本史を研究している人です。井上ひさしの『国語元年』の引用から始まり明治期のnational languageの形成とdialectとの関連を論じた論文をこの夏にでたAmerican Historical Reviewに掲載しています。実証のレベルでも理論的枠組みでも「英文」で書かれた「日本史」についての論文としてきわめてレベルの高いものです。この論文で面白いのは、近代以降の言語の歴史をnational languageへの一面的な統合としては必ずしも捉えていないということです。dialectもまた近代以降あらためて構築され、national languageと並存したということが指摘されていることです。この論文で取り扱われているのは会津方言ですが、たとえば関西弁のことを考えるとそのことは理解できる部分があります。おそらく関西弁は江戸時代に江戸をはじめそのほかの地域に居住していた人々はまったく理解できなかった言語のはずです。しかし現在では、自分もそうですが関西弁についての文法的知識などを学校で習ったことはありませんが、ある程度は関西弁を理解することができます。実は現在の日本の社会に標準語とされるものと方言とされるものが同時に並存していて、それが当該地方ばかりか他の地方の人にも理解できるという構造があるからです。普段は気がつくことは少ないことですが、表面的には画一化されたもののように見える文化に、実はそうした複層的な要素が内在しているということです。
 ということで今回のセミナーに関しては酒井さんをふくめて内容にはかなりの自信があります。例によって宣伝が立ち遅れて(海外から人を呼ぶ時にはどうしても日程の調整や、経費の事務的手続きで準備が遅れてしまいます)参加者数に不安があるのですが、基本的にはラウンドテーブルの自由な議論の場として運営していますのでこのブログを読んでいる人で関心のある人は参加してくれればと思います。
by pastandhistories | 2010-12-05 12:07 | Trackback | Comments(0)

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