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1830年代

 連休に入って束の間ですが時間ができます。例年この時期は4月の授業内容を整理し、夏休みまでの内容の計画や予習に使います。今年も大体そんなことで時間は過ぎていくでしょう。
 ところで一ヶ月ほど前にヘイドン・ホワイトからメールが来ました。その内容は、フェースブックで自分の名前が語られているけど、それは偽物であるので注意してほしいという内容でした。実は多分同じ頃からなのでしょうが、自分と同一の名前の人物もフェースブックに登場しているようです。自分はこのブログで手一杯でフェースブックには関心がありませんし、また同名異人だと思い気にも留めていませんでしたが、二、三日前にMSNからその同名のフェースブックはSPAMであるというタイトルのメールが添付つきで自分のところに来ました。これもまた怪しそうなのでそのまま開かずに廃棄しました。ホワイトはともかく自分の偽物が登場するわけなどないと思いますが、いちおうそうした事実をここに記しておきます。
 授業の話に戻ると特殊講義では先週はピータールー事件(1819年)の話をしました。しばしば指摘されるようにこの呼び方はワーテルローをもじったものです。つまりナショナルメモリーとして共同化されるようになっていた事件になぞらえるかたちで、急進的運動やそれを支持した労働者層が、この事件への記憶をナショナライズし、そのことがこの事件が現在でも「歴史的」に重要な事件として位置づけられる根拠となっているということです。
 チャ-ティスト運動はこうした過去の集団的な記憶化を媒体としながら1830年代の後半に形成された運動で、この時期は日本で大塩平八郎の乱(1837年)が起きた時期と重なります。しかし大塩平八郎の乱は教科書には出てきますが、現在の日本で共同記憶化している事件とは言い切れません。現在の日本で共同記憶化されているのは、幕末期の運動や思想のほうです。その理由は幕末期の運動はナショナリティやモダニティに結び付けることのできる要素があるとされているのに対して(もちろんこのことに疑問を抱いてもよいのでですが)、大塩平八郎の乱はそうしたものとしてはとりあげられていないからです。
 これに対してチャーティスト運動はナショナルな統合性を高めた近代国家に対してオルタナティヴな対抗性を提示した運動として歴史的には扱われています。その意味では以前書きましたが、ナショナルな要素を含みこんだ運動です。そうした運動のナショナルな統合性の媒体の一つとしてピータールー事件への記憶も運動の中では使用されました(これも以前書いたと思いますが、この他にキリスト教に基づく共同性、フランス革命、そして「イギリス」史、さらには「ローマ史」を基軸とした「世界史」も運動の統合性の媒体となりました)。
 問題はそうした運動がオルタナティヴな可能性をもつものであると同時に、またそうしたものであるために、ナショナリティやモダニティの要素をも包摂していたということです。そのことがそれ以前の運動とは区別されるかたちでチャーティスト運動が歴史的な対象として重視されていたことの一つの理由です。もちろん現在ではナショリティやモダニティに根拠を置く歴史への疑問は一般的なものとなっています。そのことが研究の見直しだけではなく、テーマとしての有効性そのものへの疑問が生じるようになっている大きな理由です。このことはフランス革命史研究やロシア革命研究などにも言えることなのだと思います。
by pastandhistories | 2011-04-30 16:02 | Trackback | Comments(0)

世界史教科書の写真

 昨日写真のことを書きましたが、以前授業で「世界史の教科書に最初で写真が掲載されている人物は誰だと思うか」と質問したことがあります。その時の答えの一つはマルクスです。もっとも使用頻度があるとされる山川出版の『世界史B』(1998年検定・2002年印刷)や『高校世界史』(1998年検閲・2002年印刷)ではそれぞれマルクスがエンゲルスとともに写っている家族写真が掲載されていました(p.240,p.197)。マルクスはともかくとして家族は別に世界史的人物ではありませんから「なぜ家族写真」なのかと思うところもありますが、どの教科書かは忘れましたがもう一つの答もナポレオン3世で、これもまた家族写真です。
 全部を調べたわけではありませんが、教科書会社によって使用される写真は異なっていますし、時代による変化もあります。山川の次に使用されている東京書籍の『世界史B』で最初に登場する写真はパリコミューン(p.235)で、清水書院の『詳解世界史B』(平成6年検定・平成14年印刷)でも最初に登場する写真はパリコミューン(p.238)で、これにアメリカの移民生活(p.242,244)が加わります。後者の撮影年代は明記されていませんが、おそらく時期的にはパリコミューンより早いもののはずです。実は山川出版社の新しい『詳説世界史』(2006年検定・2008年印刷)ではマルクスの家族写真は除かれて、アメリカの大陸横断鉄道の写真が使用されています(p.252)。ある人からみれば学問的な進化を反映したもの(?)となるかもしれませんが、別の立場から見れば政治的反動化の反映である(?)と議論できるかもしれません。
 世界史教科書の写真ということに関して興味深いのは、19世紀後半から20世紀初めにかけての非西洋社会を写し出したものを初出写真として掲載しているものもあることです。アフガーニーとウラマー(帝国書院『新編高等世界史B』平成10年検定・平成14年印刷、p.270)、パーム油商人と奴隷(三省堂『世界史B』1998年初版、p.215)などです。オリエンタリズムへの問題意識からでしょう。西洋社会が絵画や肖像画ととおしてある種のデフォルメをとおして捉えられているのに対し、非西洋の側は西洋の目からのリアリズムの対象とされているということかもしれません。
 普段はあまり気がつきませんが、世界史教科書のなかで写真がどう扱われているのかにも、ある種の思考の枠組みがあります。
by pastandhistories | 2011-04-24 12:07 | Trackback | Comments(0)

visual,oral,written

 今年行う授業の一つはチャーティスト運動史です。テーマとしては自分では面白さを感じていますが、現在の状況ではそれについて新しく書くという時間がなかなかないのが実情です。以前このブログで書いたことがあると思いますが、「ここに一枚の写真がある」という書き出しで書き始めた書下ろしが中断してからもう10年以上になります。
 この書き出しは気に入っています。ようするにヴィジュアルなもの、とりわけ写真が人々の共同性にある機能を持ちはじめた時代に運動が起きていたということを象徴する文章だからです。正確に言うとこの写真は運動の後期のもので、運動のまとまりに強い影響を与えたということではありません。運動についての記憶がヴィジュアルなものとをとおして共同化されていくような時代が19世紀中頃に始まったということであって、チャーティスト運動の終わる頃は時代的にはそれと合致していたということです。
 チャーティスト運動の歴史として最初に出されたものは、1854年にある新聞に連載され、その後出版されたR.G.Gammageという中間的な指導者の手によるものです。その後、もう少し中心的な指導者であった人物や、逆に周辺的な参加者による色々な回想録が出されますが、「運動の歴史」を書くことを意図して出されたものであるという点で、この本はそれなりのまとまりがあり運動の概要を理解するのに便利な本です。しかしこの本への「史料的」な評価は、Gammage が最も影響力のあった(現在では歴史的にも高く評価されている)オコナーに対し、そのライヴァルであったオブライエンに近い人物であったということなどからも、必ずしも高いものではありません。
 ただこの本を読んでいて気がつくのは、代表的指導者の素描について、「風貌」だけではなく、「演説のスタイル」や「声の質」などがしばしば強調するようなかたちで描かれていることです。そうしたことが「演説の理論的な内容」よりも重視されている部分がこの本にはあります。
 チャーティスト運動の歴史的研究が盛んなのことにはいろいろな理由がありますが、その一つは活字的な史料が豊富なことです。ある意味ではこの運動は「書かれた」ものをとおして民衆の世界がナショナルに統合されていった最初の運動ということができます。しかし当時の一般の民衆のすべてが現在の歴史研究者のように文字を読むことができたわけではありません。文字は多くの研究者が指摘するように、口伝えの、さらには象徴的な、あるいは演劇的手段をもちいたコミュニケーションと並存するかたちで存在していました。その意味ではチャーティズムは、「民衆文化が広くオーラルなものから主として印刷に基づくものへと移行していくその接点に位置していたと認められてよいだろう」(M.Chase, Chartism: A New History, 2007, p.45) となります。
 ここからチェイズはそうした過渡的な状況を体現した指導者としてオコナーを評価しています。そうした評価はパフォーマンスや象徴を重視する最近の研究の流れとそれほど食い違うことはなく妥当なものです。なによりも当時の民衆世界と指導者の関係を正確に捉えています。しかしwritten sources をとおして読むことのできる「理論的」な議論、たとえばオブライエンの議論にも注目すべき少なくありません。異なる時代に生きている歴史研究者である自分が考えているのは、そうした問題でもあるということです。
by pastandhistories | 2011-04-23 09:58 | Trackback | Comments(0)

屍を直立させよ

 自分の勤務する大学は多くの首都圏の大学とは異なって予定通り始まっていますが、今朝大学のホームページを見たら、「大学の社会貢献」ということで、夏期の電力不足問題に協力するために、夏休み開始を昨年よりは早めることを計画しているようです。ということは大学の授業はあまり「社会貢献」をしていない、ということになってしまいそうです。個人的には自分の授業が「反社会」的という烙印を押されるのは、悲しいような、嬉しいような気がします。
 その授業ですが、昨日の授業では田村隆一さんの詩を紹介しました。
「わたしの屍体を地に寝かすな
 お前たちの死は
 地に休むことはできない
 わたしの屍体は
 立棺のなかにおさめて
 直立させよ」
という詩です。第二次大戦への怒りを表した詩です。この詩はイラク戦争が始まった時に、「天声人語」に紹介されていました(現在の「天声人語」と比較すると、本当に時代が変化してまったことを感じます)。
 死者を寝かして弔ってはいけない。死者もまた生きているものと同様の権利を持ち続けているからだ、ということなのだと思います。歴史を記すことには色々な意味がありますが、「屍」を「立棺」のなかで「直立」させることが、歴史の重要な機能の一つであることは確かです。
by pastandhistories | 2011-04-19 12:18 | Trackback | Comments(0)

概説的知識の共有

 春休みにいくつか書いてみた簡単な abstract についてのもう一つの返事がこの間来ました。ということでこの夏(および来年の夏)の計画がかなり見えてきました。最終的に確定していくためにまだいくつかの作業が必要ですが、少し期待していた再来年の会についてはセッションの計画案が自分も含めた発表予定者のabstracts とともにオーガナイザーから送られてきました。もっともそのセッションそのものが採択されるかは、先の話ですのでまだわかりませんし、自分が最終予定者になれるかもまだわかりません。今回も面識のないオーガナイザーですが、そのほうがかえって刺激になるところがあります。
 それ以外に今年は7月に World History Assiciation の会に参加してみます。以前にこのブログでもアメリカ歴史学会大会の話を書いたときに紹介したことがある会ですが、その時に誘われ、場所が近い(北京師範大学)ので参加することになりました。別にペーパーなどは読みません。もしこの大会の前後に日本に立ち寄るような人がいたら、そうした人にレクチャーでもしてもらえたらと考えていますが、現在のような状況では難しそうです。
 大学は授業が始まって講義としては今年は「西洋史概説」と「特殊講義(チャーティズム史)」を担当しています。特殊講義はよいのですが、「概説」は本当に何を話してよいのか、迷います。各国史別のノートはあるのですが、そもそも自分はそうしたナショナルなものを単位とした歴史や「事実認識の共有」ということを批判しているわけだからです。ということでナショナルヒストリーへの批判や、事実認識を共有することの問題点から授業は始めましたが、1年生の必修の講義としてはどうしてもかなり理解しにくい部分があるのではというのが正直なところです。近現代史の概説ということで古典的な映画をどのくらい知っているのかということで『國民の創生』『戦艦ポチョムキン』を見たことがあるかと学生に質問したところ、150人ほどの参加者のうち、見たことのある学生はそれぞれ一人づつでした。
 知識が世代を超えて共有化されてはいないという一つの例です。この間授業に備えていくつかの概説を読んでみましたが、当然その内容の変化も激しい。読み直してみて自分はジェイムズ・ジョルの『ヨ-ロッパ百年史』の問題設定に自分と共通するものを感じましたが、おそらく研究者でも学生でも、ジョルの問題意識に共感を感じる人は残念ながら現在ではほとんどいないのではと思います。
by pastandhistories | 2011-04-18 22:08 | Trackback | Comments(0)

三史区分の選択

 学期が始まって一週間たちました。自分の勤務する大学の史学科は三専攻区分(日本史・東洋史・西洋史)がいまだに採用されていて、入学時に新入学生が自由に選択できます。自分としてはいわゆる三史区分には批判的で、学科の再編などの議論では三史区分を廃止し、指導教員のゼミ制としたほうがよい、そうすれば学生が地域的区分だけではなく、たとえば政治史、経済史、社会史、文化史、とか文献史学・非文献史学といったような区分でも教員を選べると主張するのですが、当然のことながら少数派で受け入れられることはありません。
 ということで新学期最初の仕事は、教員が三史区分にもとづいて自分の研究内容を紹介して、学生が専攻を選択する手助けをするということになります。そこで生じていることは、おそらくそうした自由選択制度をとっている多くの大学の史学科で共通して今生じていることだと思いますが、東洋史を志望する学生が極端に少ないということです。歴史的な、現実的な、実態を離れたところでこの十年くらいに特に進行している、ナショナリスティックな「政治」が生み出した「国民」の意識操作による惨禍です。この件についてですが、おそらく歴史研究者であれば誰でも知っている同僚の高名なイスラーム研究者がこの件に付いて今年は実に巧みな話をしました。他の人の話ですが、このブログでも紹介しておこうと思います。
 内容は、日本史・東洋史・西洋史と区分されているけれど、もしこうした区分をもちいるなら、日本史というのは現在では人口1億2千万人の歴史だということです。西洋史は威張っているけれど、せいぜい人口7億人の歴史です。世界の現人口が60億人を超えているとすると、残りの50億人以上の歴史が東洋史であるということになります。つまり圧倒的多数の、そして重要な歴史は、東洋史とされている領域にある。それが無視されていて、人気もない。さらにいえば、現在がそうである以上に、歴史的にみればこうした人口比率や重要度ははるかに「非西洋」の方が大きかったということです。ヨーロッパや、あるいはアメリカの人口の増大は、19世紀以降の帝国主義の時代に急速に進んだものだからです(ヨーロッパでは20世紀には入ると人口拡大が停止していきますが)。
 そのとおりの話です。もちろんこうしたトレンドは根深い政治的要素(経済的・文化的要素を加えてもいいのですが、やはり政治的要素を強調することの方が、批判的な意識を交えた見方でしょう)に起因するもので、それを是正することはほとんど不可能であると言ってもよいかもしれません。しかし、政治に規定されたそうした流れに唯々諾々として「日本史」研究者や「西洋史」研究者が安閑として自らの地位を保全しようとしているのなら、それは残念なことです。
by pastandhistories | 2011-04-16 10:55 | Trackback | Comments(0)

科学と知

 おとといテレビに出ている原子力研究者に関して、「専門的な研究と世俗的なレトリックが強い一体性を持っていて、本当は政治的なものときわめて密接にかかわっているということが、専門的研究者の示すロジックを聞いていると本当によくわかる」という文章を書きましたが、もちろんこの文章は現在の歴史のあり方を含意したものです。いわゆるacademic space にある歴史と、public space にある歴史の関係です。
 歴史研究者はこの両者の関係を、「事実性」を媒体とした上下関係として一般的には認識していますが、この二つが冒頭の文章にも示唆されているように同じコンテクストの中で強い一体性を持つものであるということは看過しがちです。同一の文化的枠組みにあるという一体性、形式的な一体性というような問題、フーコー的に言えば、同じエピスティーミーの中に存在していて、その点で同様の政治的機能を果たしているという問題は、歴史研究者によって自覚的に議論されることはあまりありません。しかし、現在の「日本」の歴史は、academic space にあるものも、public space にあるものも、同じようにナショナリティやモダニティに基づいている、その意味ではそうしたものが生み出している「政治的」レトリックと深い関係があリます。それは原子力についての言説とあまり変わることはありません。
 今回の原発事故は、「科学性」を媒体として保護されていた原子力科学を、事故によって認識のあり方が変容した新しい言説空間に投げ込むことになりました。そうした場でにおいても自らを正当化することが必要なことが、専門的研究者がテレビに出ている大きな理由なのだと思います。世俗的なレトリックをもちいて、自己が従事している「学問」を正当化して、そのことによってあらためて社会的な認知を獲得していくためです。「原子力発電所」ばかりでなく、「原子力学」が学問的に廃棄されることがあってはならないと彼らは考えているからです。
 多分彼らは「ものを燃やす」(酸化=元素と元素の結合)などということは、猿でもできるとは言いませんが(できるかもしれませんが)、野蛮人でも知っていたと考えているのだと思います。これに対して核分裂技術(元素の破壊)は、まさに科学的知識の発展によって生み出されたものです。その意味では「部分的な弊害」や「事故」を根拠に「原子力科学」の発展をとめてしまうことは、野蛮に立ち返ることになってしまうと考えているのでしょう。前近代的な知にとらわれた人々に対して「科学的認識」を切り開いたとされるガリレオに自らをなぞらえているのかもしれません。彼らは「世俗」に対して上位にある「科学的認識」を、こうした一時的な困難に立ち入った状況の中でこそ守っていくべきだと考えているのでしょう。
 このブログでこうした文章が書かれたことを意外と思う人があるかもしれません(あるいはポストモダンにある相対的思考の本来的な保守性という馬脚が示されたと考える人がいるかも知れません)。もちろん自分は学生時代から一貫して「いかなる国の核実験」にも反対してきましたし、原発にも反対してきました。その考えはおそらくは将来も変わらないでしょう。しかし、「科学」と「知」の問題をつねに相対的に考え、「科学」の言い分を認めながらそれに対する本当に有効な批判を行うことが「知」には必要なことだと自分は考えています。「知」の立場からの「科学的」な歴史に対する批判もそうした立場から行われなければならないからです。
by pastandhistories | 2011-04-12 09:47 | Trackback | Comments(0)

欲望と復讐

 今日も書類作り。科研の書類を作ろうとしたのですが、何度やっても印刷になると失敗。結局データも研究室に置いてあるので、明日大学で作りなおすことにしました。
 午前中は本当に久しぶりにテレビの報道番組を見ました。地震と津波、原発がテーマ、他のを見てないのでわかりませんが、原子力の御用学者を揃えた他の番組とは違って、姜尚中さんと東京新聞の長谷川幸洋論説委員が出ていて、スポットに東京電力やJCが入っていましたが、ある程度きちんとしたコメントをしていました。この番組で印象に残ったのは、気仙沼で牡蠣などの養殖をしている人の、一時期海が排水で汚染されて漁業が成り立たなくなった時に、山で植林をして生物が住める海を取り返したという話です。その人の「陸が海を汚したことに海は時々仕返しをする」という言葉です。この話を聞いて思い出したのは、子供の頃に読んだ小川未明の「赤い蝋燭と人魚」という童話。人間の欲望に対する自然の復讐によって海辺の町が滅びてしまうという話です。小川未明がアナキズムと思想的かかわりがあるということを知ったのはずっと後のことですが、子供心に随分と大きな印象がありましたし、今でも好きな話です。
 今度の原発事故に関してはどうしてもこの話を思い出します。原発を正当化する言説に群がった人間の無責任な欲望が惰性的に拡大され、結局は取り返しのつかない事態を生み出してしまった。気仙沼の人が希望をもって語っていましたが、津波をもたらした海は、またそれ自体の力で必ず生物が住むことのできる海を取り返してくれるでしょう。しかし、人為的に作り出されて自然のなかに拡散してしまった放射性物質は、着実に人間に復讐をしていくということです。
 今回の事件についてニュースを見ていて思うことは、いわゆる専門的な研究と世俗的なレトリックが強い一体性を持っていて、本当は政治的なものときわめて密接にかかわっているということが、専門的研究者の示すロジックを聞いていると本当によくわかるということです。無責任な欲望とまでは言いませんが、アカデミックな世界における上昇欲の意味を、研究者はつねに自省的に考えていくべきでしょう。
by pastandhistories | 2011-04-10 23:36 | Trackback | Comments(0)

安政の大地震

 昨日と今日は一日書類作り、この時期はどうしてもそうした仕事が多くなります。このブログに関しては考えていることを書きたい気持ちはあるのですが、他の仕事との兼ね合いでなかなか時間がとれません。ということなのですが、書かなくてもアクセスが続くという状況はあまり変わりません。検索などをとおして新しくアクセスしてくる人がいるためのようです。
 先週はその一人であるある新聞の文化部の記者からインタービューをされました。コメモレーションで検索していたらこのブログがヒットし、内容に関心をもった、この間の地震などに関して、コメモレーションをどう考えるのかという内容でした。話の内容は多岐にわたりましたが、メディアがそれほど発達していなかった時代には、あるいはそうしたものがなかった時代には、記憶が共同化されるあり方は、現在のように一つのニュースが映像や活字メディアをとおして一般化しているような時代とはおおきく異なっているはずだということを話しました。
 その時は話しませんでしたが、「地震」をとりあげた歴史書として面白く読めた本は、野口武彦さんが書いた安政の大地震の話です。ペリー来航の翌年から翌々年(1854年から1855年にかけて)それぞれ死者が数千人に達したとされる東海大地震、南海大地震、そして江戸大地震が立て続けに起きたわけですが、野口さんはとくに江戸地震を中心に、そのことが人々の中の不安を拡大し、人々の中に生じたそうした不安が幕末の政治変動・体制の崩壊と少なからず関連していたと指摘していたと思います。
 この本を面白いと思ったのは、幕末というと人々に不安を抱かせ体制崩壊の原因となったのは黒船来航であるということが教科書などを通じて一般化しているわけですが、それら以上に人々の日常的な生活を大きく混乱させた地震のほうが大きな役割を果たしたのではという問いが示されていたからです。
 ある意味では歴史を論じる時に大事な問いです。確かに黒船は「開国・近代化」と重ね合わせるかたちで歴史のなかでシンボライズされていますが、すべての人が浦賀や下田まで見に行ったわけではない。不安を生み出す流言があったかもしれませんが、黒船が来たからといって親類縁者が死んだわけではありません。人々がそのことによって直接財産上の被害を受けたわけでもありません。衣食住に大きな困難をきたしたわけでもないでしょう。その意味では人々が共同に経験し、その経験をコメモライズしたのは人々の生活へ直接的な影響を与えた地震のほうですし、そのことが全国的にほぼ時を同じくして起きたということが日常を不安なものとし、通常はあまり感じることのない政治への不満を人々の間に生み出していったということは、むしろありうることかもしれません。
 しかし、そうした当時の人々の共同の経験、共同の記憶はいつの間にか歴史の場からは排除されています。黒船がシンボライズされ、それが当時の人々にとってもより重要な、日常的な経験であったかのように、しばしば描かれています。少なくとも教科書でならった歴史では、ペリーの来航が重要な事件であったとして、現在の日本ではコメモライズされているわけです。
 もちろんこうした議論のどちらがより正しいものであるかは一般の人々の当時の事件に対する認識のあり方にたいするきちんとした研究によって解明されていくべきことですが、野口さんのような議論の立て方は歴史研究者にとって参考になる部分があります。もし地震が人々の間の不安や不満の形成に大きなかかわりがあるとするなら、日本でも今回の地震が大きな政治的変革のきっかけになっていくかもしれません。それが望ましい方向に向かうといいのですが。
by pastandhistories | 2011-04-09 22:45 | Trackback | Comments(0)

春休みの終わり

 明日から大学が始まります。来週から授業も開始します。春休みの間はいくつか仕事をしたかったのですが、地震・原発もあってあまりはかどりませんでした。今朝なんとか頑張って日本語の原稿の下書きを書きました。途中からまったくつかえてしまいましたが、何とか34 枚ほどで最後まで書きました。締め切りは9月、出るのは来年です。この原稿は一般的な内容ということもあって途中からあまり気がすすなくなって集中できませんでしたが、二年ほど前に書いたものよりかは少しはましだと思うので、時間をかけて手を入れていきます。これにあわせてもう少し具体的な内容のあるものを英文のものと合わせて準備していく予定です。
 英文といえば夏に参加しようと思っていた会に送ったアブストラクトの結果の連絡がありました。同じ時期にある二つの会に応募してみたのですが、どちらかといえば二次志望的なほうからペーパーとして採用すると伝えてきました。日程的なこともあって少し悩むところがあるので、ペーパー作成が間に合うかも含めて少し考えてみようと思っています。
 結局春休みは原稿書きに使ったので、このブログの方は基本的には日記的なことしか書けませんでした。毎日多少は違うテーマで理論的なことを考えていくことと、流れのある原稿書きを並行するのはやはり難しいところがあります。学期が始まれば授業準備と会議で忙しくなりますが、原稿の下書きがいちおう終わったので、その意味では余裕ができるかもしれません。
 4月からは火曜日の夜が歴史理論の大学院の授業です。ポストモダニズム関連の論文を読んでいく予定です。参加してくれる人がいると嬉しいですね。プロジェクトの計画も早めにたててこのブログで内容を伝えるようにしますが、この騒ぎですので招聘に関しては少し時間がかかりそうです。
 それから今はコメントができなくなっています。原発関連のことを書いた時に多少の不具合が生じたので、そうしてあります。落ち着いたらコメントを開けるようにします。それまで何かあるようでしたらメールで連絡してください。
by pastandhistories | 2011-04-03 12:52 | Trackback | Comments(0)

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