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普遍性・複合性

 昨日は「身体検査」、これから受けに行くと同僚の女性教員に言ったら「身体検査は毎年身長が増加する子供が受けるもので、あなたが行くのは健康診断」と笑われてしまいました。「毎年体重は今でも増加している」と反論しましたが、そのとおり体重はまだまだ成長中であるという結果が出ました。もっとも「検査」という言葉は戦前的なもので、「診断」という言葉は最近使用されるようになったのではという感じもしますが、そのあたりのことはいずれ日本現代史の研究者に聞いてみます。
 ところで昨日は一日としては多分今までの最高のアクセス数がありました。書いたテーマに理由があったわけではなく、誰かのブログにリンクされたためでしょう。アクセスが増えた時には時々書いていますが、このブログでは昨年の8月から10月にかけての時期に基本的な主張は書かれているので、もし時間があるようでしたら、その部分を読んでもらえればと思います。
 昨日は授業で学生が現代ギリシアの国家形成の話を報告したので、それにちなんで民族問題・言語問題についてこんな話をしました。以前このブログでも紹介したことのあるイスラム史の高名な同僚の話を借りたものです。
 この同僚とは現在に大学に勤務する以前に、地方大学でも10年ほど同僚でした。離任は彼が一年前になりましたが、その離任のさいに彼は「これから自分の出身地の東京に赴任するけど、東京は田舎である。というのは地方の人は、地方と田舎のことを知っているけど、東京の連中は東京のことしか知らない。知識という点では彼らは田舎者に過ぎない」という趣旨の文章を書きました。
 欧米や、その欧米の思想に根拠をおくことをとおして自らを価値づける日本の思想のありかたへの批判を含意した指摘です。言語の問題をとっても、中央とされる地域はモノリンガルで、地方はバイリンガルです。標準語と方言、そして帝国主義国家と旧植民地社会との関係もそうしたものです。日本人が英語が苦手なのは、イギリス人がヒンズー語、フランス人がヴェトナム語を話せないのと同じに、帝国主義国家として言語を他民族に強制する側に歴史的にはあったからで、強制される側ではなかったためです。皮肉をこめて言えば、保守的なナショナリズムの立場からはむしろ誇るべき事実でしょう。
 批判されるべきことは、「中央」にあるそうした片面性です。「片面性」に同化することによって自らを「普遍的」なものであるとする錯誤です。そうした普遍性の強制です。思考の根拠として大事なことは、強制を常に志向する普遍性ではなく、複合的な視点だからです。
 もちろんこうした議論はアナロジカルな議論です。別のアナロジーを立てれば、東京は地方からの出身者によって構成されたという点で「田舎者の集まりです」。そうした田舎者によって、地方や辺境と呼ばれる場よりもはるかに複合的な視点が形成されている場であるともいえます。それはヨーロッパやアメリカについても言える問題です。
 重要なことは普遍的か複合的かということだけではなく、複合性の具体的なあり方です。
by pastandhistories | 2011-05-26 03:27 | Trackback | Comments(0)

社会学と歴史学

 いくつかの大学では文学部の中に社会学科と史学科が今でも置かれています。そうした大学で史学科にとっての問題となっていることは、進学の振り分けのさいに社会学科に優秀な学生が殺到して、史学科には優秀な学生が進学してこないことです。いわるる論壇で活躍する若い社会学者が多いのに対して、そうした場に登場する若い歴史研究者が少ないのは、そのためかもしれません。もっとも多くの歴史研究者は、社会学者の意見は表層的、現象論的なものでしかないとしてそれを軽視する傾向があります。
 しかし、歴史学と社会学の関係という問題についての自分の考え方は、理論的には歴史学よりも社会学のほうが優れたものとなりうる可能性が高いというものです。その根拠は常識的なものです。歴史学でもそのことは問題となりますが、理論の精緻さを根拠づけるものは、その材料として用いられるデータの量と、その正確性です。そう考えれば、取り上げられうるデータと、その確実性という点で、現実に観察可能なデータを基礎とする社会学の方に圧倒的な利点があります。つまり「科学」性という点では歴史学は残念ながら劣位にあります。その意味では歴史研究が理論的であろうとするなら、その一つの有力な方法は、確実な豊富なデータの分析によって根拠づけられた社会学的な理論を、その応用が可能である近過去へと適用していくということです(時代が遠ざかればその適用は、コンテクストもまた異なったものとなるわけですから、理論的にはより不正確なものとならざるをえません)。歴史学が実証を重視するのなら、常識的に導き出される論理的な結論はそうしたものです。その逆に、過去の時代を対象として得られた乏しいデータをもとにして組み立てられた推論を現在の社会の分析に援用するというのは、本当はきわめて非科学的な議論です。
 「実証」は用いることのできるデータの正確性を確認していく歴史研究の基本的要素ですが、そうした作業によって捕捉できる史料は量的には大きな瑕疵がある以上、それは「理論」の正確さを保証するものではありません。このように考えると、歴史の唯一の優位性は理論的厳密性ではなく、対象とする時間的スパンの広がりにあるという議論が生じることになります。多くの歴史研究者が社会学研究者の議論を表層的、現象的論なものとするのはこのためでしょう。
 しかしこうした「時間性」は実証によってよりも、想像的なものによってその多くを支えられています。実証性を根拠としているはずの近代歴史学が、想像的なものを根拠に社会学を批判しうるとするのは、論理的には奇妙なことです。
 
by pastandhistories | 2011-05-25 12:19 | Trackback | Comments(0)

public history

 今年は大学院の授業では近年出版された歴史理論・実際的研究の論文集の序文を読んでいますが、その一つがHistory beyond the Text (2009) に寄せられたS.Barber とC.M.Penison-Bird のものです。この文でとくに強調されているのは、creator, created, audience の三者関係( tripartite) です。言語論の影響を受けたもので、この文の中では当然のように「著者の死」といった問題についての言及もありますが、こうした問題についてしばしば疑問に思うことは、この三者関係に関して、creator, created が単数的なものとしてイメージされ、audience は複数的なものとしてイメージされがちなことです。作家とか作品を限定的なものとして、読み手を多数とするという考え方です。
 しかし、こうした考えは批判されるべき点があります。というのは、作者も作品も多数であると考えるべきだからです。たとえば歴史の主体(過去に生きていた人)は無数なわけですから、それが作り出したもの(史料)も多数であるということです。History beyond the Text という本の意図もそうした点にあって、この本が方向性として示しているのは、created (史料)をテクスト以外の多様なものとすることをとおして、それを create した多様な人々へのアプローチを可能なものとしていく方向です。特定の作家や作品を重視する文芸批評とは異なって歴史研究が問題とすべきことは、解釈の多様性という問題だけではなく、作られたものの多様性から作り手(歴史の主体)の多様性を明らかにしていくことだということです。こうしたアプローチが歴史を開かれたものにします。
 こうしたアプローチはHistory Workshopなどの試みをとおしてイギリスで拡大しました。その影響を受けた若い世代の研究者によって書かれた Seeing History (2000)という本は小冊子という形態をとっていますが、意外と面白く読むことができる本です。とくに父親が残した写真から、父親ばかりでなく母親(普通の女性)を含めた家族のナラティヴを組み立てたS.J.Morgan(この人物は編者の一人として序文も共同執筆しています)のMy father's photograph: the visual as public history という文章は、自らにもっとも関連する普通の人々の歴史の記述を図像分析を媒介として試みたものとして参考になる点があります。
 この論文にもpublic history という言葉が使用されていますが、実は本全体の副題も Public History in Britain now というものです。もちろんこの public history という言葉は「公共の歴史」と訳すよりも、「(誰に対しても)開かれた歴史」「(誰もが)参加できる歴史」と訳したほうがわかりやすいでしょう。こうした「開かれた歴史」にとって必要なことは、多様な created にアプローチしていくことです。
by pastandhistories | 2011-05-22 18:38 | Trackback | Comments(0)

hagiography

 歴史が great events や great men についての叙述にとどまってはならないということが常識的なものとされるようになってから随分とたちます。とりわけ後者に関して、いわゆる聖人伝( hagiography) 的な叙述は、現在では歴史研究のとるところではありません。
 しかしこのことと関連して最近疑問を感じるのは、great men を軸とした歴史に対する批判が「学問的」に一般的なものとなっているにも関わらず、研究史(というより研究者史)に関して随分と hagiographic な記述が見られることです。その領域の研究を学問的に確立した研究者がいて、それを革新的に再検討した研究者がいて、自分の研究はそれを継承・発展させた本格的な研究である、というような記述です。
 研究史がそうした枠組みを取りがちなのは仕方がない部分もありますが、あえて批判的に言えばこうした記述は、hagiographical な歴史を前提的に組み立てることをとおして、そうした聖人列伝のの末尾に自分を位置づけているわけです。厳しく批判すれば、自分もまた「聖人」であるという主張にすぎません。
 great men の歴史を否定するようになったはずの歴史が、歴史研究者だけを聖人として列伝化するというのはきわめてアイロニカルなことです。過去については特定の個人ではなく「人々」を問題としながら、現在については特定の個人(=歴史家)が権威化されてしまうということは本当はおかしなことです。過去が個々の人々によって構成されていたとするのなら、そうした過去への認識である歴史もまた個々の人々によって構成されてきたものであって、聖人のみが作り出してきたものではありません。
by pastandhistories | 2011-05-20 09:07 | Trackback | Comments(0)

制度としての時代遅れ

 概説の参考に石井進『国際政治としての20世紀』(2000年)を読んでいたら、「制度としての『戦争の時代遅れ』が第一次世界大戦時に起こった」という文章が出てきました(p.82)。アメリカの国際政治学者ジョン・ミューラーの言葉です。にもかかわらず第二次世界大戦は生じたが、基本的にはそのように「戦争が時代遅れ」なことが、東西対立にもかかわらず第二次世界大戦後には大国間戦争が避けれられたことの理由であるというコンテクストのなかで紹介されています。
 ある意味では常識的な議論です。高度に集約化された都市型社会で現在のような技術的レベルにある兵器をもちいた戦争は、アメリカはなおそのことが可能であるように、相手方の反撃が全くないようなかたちでしか行うことは不可能です。日本では無理です。日本のような高度な都市型社会では、相手の反撃を受ければ直ちに広域にわたる停電が生じ、電車も流通・通信システムも完全に機能停止してしまうからです。多くの郊外の居住者は、毎日片道8時間かけて徒歩で職場に通うことはできません。そのことは今度の原発事故はあらためて教えてくれました。原子力発電所を作るのなら、その前提として「制度としての戦争の時代遅れ」を認め、社会をそうした方向へと向けるべきだということでしょう。
 そのことはともかくとして、節電問題で教室の使用も制限されるという話も生じ、研究会の予定などにも多少の支障が出てきはじめましたが、プロジェクトは計画通りすすめていくつもりです。この件に関してですが、3月14日に予定されていた会の報告者であったハーヴァードのスヴェン・ベッカートからメールが来て、彼の方からあらためて9月末か10月初めに来日するという予定を考えているがどう思うかという連絡がありました。
 であるならそれを機にいくつかの会を催してはと思い、この週末はいろいろな人と相談しようと考えています。忙しい人物ですので日程などの調整が最終的にできるかまだわかりませんが、せっかくの機会ですので、とくに若い研究者との会といった企画があるようでしたら連絡をもらえると助かります。
by pastandhistories | 2011-05-19 09:50 | Trackback | Comments(0)

戦後思想批判

 随分以前のこととなりますが、ある時自分の書いた文章がテレビで紹介されたということを知人から聞いたことがあります。自分は見たわけではないのですが、紹介されたのは「いわゆる団塊と呼ばれる戦後生まれのの世代には、(戦争を20歳前後で経験した)戦中派に比較して、経験の重さとかリアリティが決定的に不足していて、思想的により優れたものを生み出しえることはない」という趣旨の文章でした。
 自分のなかにある一つの思考のモティーフです。戦争に対峙して、自らを守るために他者を殺すことを強いられた、その意味で他者や自己の不条理な死への予測を日々のリアリティとして経験せざるをえなかった世代に対して、そうしたものを「遊び」や「虚構」のなかの擬似的なリアリティとしてしか経験できなかった世代とでは、経験の重さがあまりにも違うからです。その意味では自分たちの世代は、自分がもちいる技術的な新しさや自分が内在しているコンテクストの新しさは主張できたとしてもは(そんなものは次の世代が主張する新しさに取って代わられるものでしかありませんが)、思想とその表現の本質的深さという点では戦中派を凌駕するものは生み出しえないのではということです。
 「リアリティの深さ」なんて、思想や芸術には不要だという反論を受けそうですが、それに対してはある時期から次々と生み出されてきた「新しい」思想や芸術がどれほどの実態を時間的にも空間的にも持ち続けるものであったのかと反論しておきましょう。さらに「プラクティカル」なレベルで、どれほど社会を肯定的なものとして変革するものであったのかという反論を加えておきましょう。現在の思想や学問が「戦後思想」より本当に優れたものであったのなら、社会は、そして大学も学問もこんな酷いものとはならなかったでしょう。そうしたことへの批判すらかつてのようには生じていないという社会は、思想的な「リアリティの深さ」の欠如から生み出されたものだと自分は考えています。
 戦争の体験に加えて「リアリティの深さ」ということでもう一つ思うことは植民地体験です。反省的には「正当化することのできないコスモポリタニズム」。アルジェリアでの在住体験をもつ人が戦後フランス思想に大きな役割を果たしたように、満州や朝鮮での在住体験もまた戦後の思想や文化に少なからぬ意味をもっていました。
 「戦後歴史学」もその対象の一つかもしれませんが、戦後思想を批判する時に必要なのは、こうしたことへの前提的な理解であるというのが、自分の考えです。 
by pastandhistories | 2011-05-14 06:30 | Trackback | Comments(0)

電気を見てから

 しばらく前に触れたJ.ジョルの『ヨーロッパ100年史』は、現代史の思想史的な側面についてもよく書けた部分があります。たとえばジョルは、若くから革命運動に参加し後に自殺した未来派の詩人マヤコフスキーのことを「(マヤコフスキーの)父は森林警備官だった。彼は若者らしく田舎の生活に反発し、未来主義の主張を受け入れた。『電気を見てから、私は自然に対する興味を失った。もう全くの時代遅れだもの』」と書いています(翻訳、vol.2, p.91)。
 電気がこの時代の革新性を象徴するものであったことを示す文章です。この文章からも理解できるように、ロシア革命の時代はまた電気をもちいた表象技術が発展し、大衆性を確立した時代であったということです。チャップリンが1889年生まれ、エイゼンシュタインが1898年生まれ、マヤコフスキーはその間の1893年生まれです。
 以前少し書きましたが、自分はもちろん「原発がないと、電気が足りなくなって困る」という意見には組しません。しかしこのマヤコフスキーの文章を読んで思うことは、電気があまりにも日常的になっていて、電気が人々の間にもたらした衝撃性が現在ではすっかり忘れさられていることです。電気が、社会を根底的に変えていくものとして理解され、すべての領域での全面的革新を目指す人々の感性に大きな影響を与えたものであったということは、電気が日常的なものとなった現在ではなかなか想像できません。
 キューブリックの『バリーリンドン』という映画でもそのことが試みられていたと思いますが、電気のなかった過去と同じ光量で個々の場面を撮影するという試みが映画ではしばしば試みられています。しかし、それが成功することはほとんどありません。そのようなかたちで構成された場面は、現代に生きている人々がもつ感性的な構造には受け入れがたいからです。
 電気の革新性を理解することが意外と難しいように、電気のなかった時代と現在の差異性は想像することさえも意外なほど難しいところがあります。
by pastandhistories | 2011-05-12 22:15 | Trackback | Comments(0)

writing history

 今日は連休明けの久しぶりの授業。大学によっては今日から新学期というところもあるようですが、自分の勤務先は今日が4回目の授業でした。今日の担当は概説と史料研究。史料研究という授業では共通の史料を読むという形式ではなく、各参加者が自分で史料を探してきて、それを訳すという形式を何年も前から試みています。この形式をとると授業運営で難しいことがいくつか。その一つは各自のレポートの添削が大変なこと、くわえて自分の担当以外の史料を学生が読むのは大変で、どうしても授業への集中度が薄れてしまうことです。
 しかしこうした方式が可能になった大きな理由は、近現代史に関してはネットをとおして一次史料へのアクセスが容易になったことです。「アリアドネ」など学生にも利用しやすい色々な便利なポータルサイトがありますし、The History Highwayといった便利な本も出ています。
 その前提として前期ではW.K.Storey,Writing History,3rd ed. 2009を使用しています。Harvard Writing Project にもとづき1999年に初版が出た本。体裁が薄っぺらくこの本を大学で使用してもいいのかとさえ思わせますが、立派な史学科学生向け入門書。読んでみると文章の論理構成や使用される言葉の選択もきわめて丁寧に組み立てられています。
 なかでもこの本の大きな特徴は、これまでの歴史研究書とは大きく異なって第3版ではネットの使用法が重視され、最初の部分で言及されていることです。そうしたこともあって現在の学生にはとっつきやすいもとことがあります。これがハーヴァードでOxford University Press なのと思わせるような平易さがありますが、平均的な英語力の学生でも十分読むことができる本で、入門書としてかなり便利なものです。
by pastandhistories | 2011-05-09 19:42 | Trackback | Comments(0)

レーニン?

 3月のプロジェクトで話してもらう予定だったハーヴァードのスヴェン・ベッカートからメールが来て、秋(9月か、10月)に日本に行こうと思うけど、考えはどうかと伝えてきました。他大学の人たちとも相談してからと返事をしておきました。もちろん完全に確定した話ではありませんが、せっかくの話ですので前向きにすすめていこうと考えています。こうした話は閉鎖的なものとはしないといのうが自分の考えですので、もしその時期にグローバルヒストリーについての研究会などの計画があるようでしたらtsyokmt@hotmail.comに連絡してください。可能であれば、彼と打ち合わせながら日程を作っていこうと思います。
 この連休は本当にリフレッシュできました。仕事も少ししましたが、久しぶりに大工仕事をしたのがよかったようです。昨日もトイレの工事をしました。ウォッシュレットの漏水の補修です。原発への対応よりかなり簡単でした。休みに入って植えた枝豆も今日芽が出始めたようです。種の袋で気づきましたが、こんなものも中国産でした。早成もので70日くらいで食べられそうです。希望があるようでしたらこれもその頃にtsyokmt@hotmail.comに連絡してください。可能であれば、お送りします。
 授業はあすから西洋史概説(近現代)がロシア史になります。概説の担当は3年に一回で、前回と同じにロシア革命を中心としたロシア史からはじめます。この順序が妥当かはもちろん議論のあるところでしょう。社会主義国家の形成・冷戦を軸に現代史を捉えるという(政治史的な)視点に対しては、現在では批判があるからです。しかし自分のおおきな問題意識は、権威主義的な国家体制への、あるいは思想や運動への批判ですから、いろいろ考えたのですが、時間的な都合もあって今回もこうした枠組みになりました。
 もっともここから授業を始めると、学生にはかなりわかりにくいようです。現在ではレーニンを知らない学生も少なくないからです。しかし学生時代から自分はマルクスよりレーニンのほうに関心がありました。もちろんマルクスも、レーニンも過剰に権威化する必要はありません。マルクスおじさんの考えていたこと、レーニンおっさんの考えていたことという程度に理解していけばいいだけです。今は少なくなりましたが、マルクス主義経済学者が(あるいは歴史学者も)大学にゴロゴロいて、レーニンの政治学が大学のなかでは「学問化」されていないとということは、本当は奇妙なことです。マルクスが学問的な精緻さがあって?、レーニンにはない?、ということがその理由だったのでしょうか。
 ではなくてマルクスが権威化されたのは、ロシア革命の結果であったということでしょう。ロシア革命という(それ以前的にはドイツ社会民主党の発展)というリアルポリティックスがマルクス・エンゲルスの思想を、ある時期から、そして第一次大戦後に、さらには戦後の日本においては学問的にも権威化したのであって、純粋な学問的論理性のみによって影響が確立されたわけではありません。その意味ではリアルポリティックスを左右したレーニンの政治的リアリズム、さらには革命の実現という現実を媒体として、それまで影響力をもっていた社会民主主義的な思想・運動をナシナリティやモダニティとの結合という問題を媒体として激しく批判し、資本主義に対する対抗的な思想・運動の一つの枠組みを作り出したレーニンのほうに自分は関心があったということです。
 こうしたことを書くと多分二つの批判を受けると思います。一つは純粋な学問論理性の存在を認めていないのではという批判です。もう一つはレーニン主義的なアイディアを擁護しているのかということです。
 前者の疑問に対してはまた書いていきますが、後者についてはそうではないと今日は答えておきます。自分のなかに一貫してあるのは、前衛主義的な考え方への批判です。そうした批判が、レーニン主義的な政治的リアリズムに対してより優位にある政治的リアリズムを確立できるかということです。古いアイディアですね。こんなことはレーニンも知らない学生にとっては迷惑な課題かもしれませんが、明日からの授業はそこから始まることになります。
by pastandhistories | 2011-05-08 11:22 | Trackback | Comments(0)

生け捕り?

 ビンラディンがアメリカの特殊部隊によって殺害されたと報じられています。この報道に関して違和感を抱いたのは、時事通信が配信した「生け捕りにした後、殺害」という記事です。
 フセイン元大統領に関して「生け捕り」という表現が使用されたかは憶えていませんが、「生け捕り」という表現は動物に対して用いられることが多く、自殺を図った東条英機元首相が「生け捕り」にされたという言い方はあまり聞いたことがありません。まさに日本の社会に根強くある「オリエンタリズム」的な表現だということなのでしょう。
 最近は地上波のニュースはほとんど見ませんので、この言葉をテレビのキャスターがそのまま用いたかはわかりませんが、事件についてオバマ大統領が声明をだしたことは新聞でも報じられました。人種的なことをことさら論じるのは本来は避けるべきですが、初めての黒人大統領が西欧的な価値の擁護者、非西欧的なものへの対抗者として自らを位置づけているのは、やはり考えていくべき問題です。
 このことについて思ったことは、いつからアメリカ黒人はそうしたものとして自らを位置づけるようになったのか、あるいは白人社会からもそうしたものとして受け入れられたのか、そのことが「歴史」の表象とどう関係しているのかということです。
 自分の記憶ではアメリカ映画で黒人が重要な位置を獲得するようになったのは、スタンリー・クレイマーの『手錠のままの脱獄』(1958)からだった思います。この映画でスターとなったシドニー・ポワチエは1960年代に黒人刑事役を演じ、現在ではありふれている役柄の先鞭をつけました。事実として黒人刑事がアメリカの社会にいつから存在していたのか、自分はアメリカ史研究者でははないのでよく知りません。アメリカの騎兵隊として黒人が映画に登場するようになったのは、コマンチ討伐に参加したとされる「バッファロー大隊」あたりからではと思います。ローゼンストンが日本に来た時に取り上げた『グローリー』の素材となったマサチューセッツ連隊に代表されるように、南北戦争を契機にアメリカの軍隊に大量の黒人が参加するようになったからです(10万人を超えたとされているようです)。
 最近では騎兵隊の扮装をした黒人兵士というのは映画でよく見かけますが(モーガン・フリードマンの役柄の一つです)自分の記憶では1960年以前のいわゆる西部劇のなかで、それが南北戦争後の「インディアン戦争」を扱ったものであっても、騎兵隊員として黒人が登場していた映画は少なかったような気がします(歴史的事実としてはすでに存在していたはずですが)。そのかわりに登場していたのはプアホワイトの兵士で、その多くがアイルランドの出身者というキャラクター設定となっていたはずです。
 今回の作戦名が「ジェロニモ」と名づけられていたというのも、本当であるのならアメリカ社会が歴史への自省を欠いてることを示すきわめてアイロニカルな話です。ある意味ではそうしたことをとおしてアメリカ社会の現在の歴史意識や政治的レトリックのあり方が理解できます。今日はあくまでも自分の心象の中にあることを書きました。時間があればきちんと調べて書くべきことでしょうが、そうした時間はほとんどないのが残念です。
by pastandhistories | 2011-05-05 10:37 | Trackback | Comments(0)

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