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ISCH③

 夏休みにもかかわらず昨年のようには記事を書いていませんが、その理由は今月中に読み終えたい本があってそれに気持ちを集中しているためです。これが終われば9月は今度は原稿に気持ちが切り替えられると思うので、何とか終えようということです。
 ということで、ISCHについては今日を含めて後二度ほど簡単に内容を紹介しておきます。前回History and Conflict というセッションを紹介しましたが、前回紹介したのLintunenの議論もそうであったように、ここで報告者たちが取り上げたことは、記憶のありかたが時代や場所において異なる(対立する)という問題です。その報告のなかで新鮮さを感じたのは、年齢的な感じからみてこの人もまだD.phil candidateのような気がしましたが Omaira Herrero (Centro de Ciencias Humanas y Sociales Albasanz) の、711-2011: Conflicting Memories in the Commemoration of the Muslim Conquest of Spain という報告です。
 711年はウマイヤ朝がイベリア半島で確立された年、つまり今年が1300周年ということですから、その記念行事が行われている。当然イスラームの進出を否定的に考えるための記憶の創出と、少数派ではあるけれどそれを望ましいものとして記憶するための試みが行われ、その双方がどのような記憶を作るかで対立しているということが議論の下地、それは当然の話です。しかし、この報告が面白かったのは、本人もそのようですが、問題を今なおイベリア半島に居住しているSpanish Arabian の立場から論じたこと。さらにはとりわけ現在の、というよりレコンキスタ以降のアンダルシアをアルアンダルシアという側面を持ち続けている地域として理解し、そうした地域の中に混住している人々がどのように過去を記憶していこうとしているのかを論じたことです。711年と1492年を歴史の切断点として、その前後でまったくその地域が全面的に異質なものになってしまったかのような教科書的な理解の仕方は随分と非歴史的なものですが、そうした図式的理解への批判として印象の強い報告でした。
 このセッションで自分としては関心をもてたもう一つの報告は、Chris Dixon (The University of Queensland) の、Contested Memories and the Politics of History: (Mis-) Remembering the 1968 Tet Offensive というものです。
 タイトルどおりヴェトナム戦争をめぐる話。Dixon は前回オーストラリアで大会が行われた当時ののISCHの会長、といってもヴェトナム戦争をテーマとしているように、それほどの年配の人ではないようです。いまだに、というより今だからこそあるとも言える、ヴェトナム戦争の記憶の仕方における対立を、テト攻勢の報道のされ方に焦点をあてて論じ、この事件についての批判的な報道のされ方が、結局はアメリカの政策転換を当時はもたらすことになったということを論じました。
 自分にとっては歴史というより、今も生々しく記憶している当たり前の話なのですが、この話を聞いて考えたことは二つです。その一つは、1993年にある文章で書いたことがありますが「ヴェトナム戦争がアメリカ帝国主義に対するアジアの民衆の解放のための戦いであったいう常識は、既に現在(1993年)の若い人々にとって共通するものではない」ということが、現在の日本ではさらに一般化しているだろうということです(アメリカではなお論争の対象であるにもかかわらずです)。もう一つは、同一の認識主体の中での「記憶」と「歴史」の混在という問題です。つまり自分にとっては、1960年代は記憶の対象でもあり、歴史的認識の対象でもあるということです。
 この二つの問題について個人的に確実に言えることは、事実認識としての「記憶」の「歴史」に対する優位性ということです。このことは、劣位のあるはずの「歴史」がいつの間にか事実認識として「記憶」に対しての優位性をもつようになっている、その根拠を作り出しているものは何なのか、という重要な問いを生み出すことになります。
by pastandhistories | 2011-08-29 22:33 | Trackback | Comments(0)

ISCH②

 この前の記事で紹介したcultural memory という考えは、この間かなり議論になっているようで、昨日もネットを検索していたら今年7月にコペンハーゲンで開催されたIAMHST(International Association for Media and History)の大会テーマも、'Media and Cultural Memory'というものであったようです。コペンハーゲンの大会がそうであるように、メディアや、既に紹介したような博物館での展示との関連で、このことはかなり議論されはじめているようです。
 ISCHでも前回紹介した認識論のセッションの後半で、この問題が議論されました。問題をわかりやすく論じたのが、Andrea Zittlau(Rostock University)の報告です。この報告は、現在共有されている過去への「集団的」記憶は、もちろんその記憶の現在の保有者が経験したことではなく、それを経験した個人の記憶が何らかの過程で集団化され継承されているものであるという点について、ホロコーストなどの例をとりながら、議論を整理しました。議論の核はやはりアシュマンの考えのようですが、事件のオーソリティである目撃証人の記憶が共同化され、集団的なアイデンティティとして形成される、その過程では記憶が伝達されるpublic memory space が作り出されていくこと、そうしたものとしてテレビなどのメディアや博物館での展示が役割をはたしているということが議論の内容でした。こうした報告からもわかるように、このブログでもたびたび指摘してきたような過去認識の共同化ということが、最近ではかなり議論の対象になっているようです。またこの結論は、オーウェルをもじった、He controls material traces of it controls the memory(メモはこうなっていますが、これだとit が何か文法的には内容がよくわかりませんが)というものでした。
 またこうした記憶の共同化ということを批判したものとして面白かったのは History and Conflict という午後から始まった別のセッションでおこなわれた Tiina Lintunen(University of Turku) の、Never shall it happen again? The past justifies the means. という報告です。これは本当に挑戦的なもので、自分にとっては少し内容的に驚くところがありました。聞いていると本当に常識的な議論なのですが、それを常識としないもう一つの歴史認識の常識に、多くの人は意外ととらわれているということかもしれません。
 内容は、第一次大戦後に起きたフィンランド内戦と、その後の歴史の捉え方についてです。白軍側の勝利に終わったこの内戦では、赤軍側は3万5000人が死亡、さらに7万5千人という刑務所に入りきれないほどの人たちが戦後裁判にかかり、そればかりが家族にも迫害が加えられた。そして「再び内戦を起こさせないために」という理由で、旧赤軍派への監視、市民的自由の抑圧が行われ、そしてやはり昔の歴史を繰り返さないためにということで、敗者を一面化する歴史のナラティヴが形成されたというのが彼女の主張です。さらに言えば、こうしたナラティヴは1989~91以降、強められることはあっても弱められてはいない。現在フィンランドで語られている歴史は、過去の(旧赤軍派への)圧制の事実が取り上げられていない。内戦にはその双方に根拠があったし、さらにはロシア革命直後という状況であるなら、それを支持する勢力がフィンランドに形成されたことは当然であったにも関わらず、過去についての記憶が一面化してよいのか、ということが彼女の論じたことです。
 社会主義国家群の崩壊という状況の中で敢えてこうした主張をすれば、歴史修正主義の一つであるという批判の対象となるかもしれません。でも第一次大戦後という多元的な可能性があった状況の理解が、その後勝者が作った枠組みの中で、さらには現在主義的なかたちで一面化されてよいのかという指摘は、意外と常識的なものかもしれません。
 当然いくつかの質問は出ましたが、それに対してもひるむことなく答えていて、この報告は内容的には意外でしたが、考えさせられることがありました。
by pastandhistories | 2011-08-25 22:15 | Trackback | Comments(0)

ISCH①

 すっかり記事が遅れていますが、オスロのISCHの内容はかなり多岐にわたっていて、それを紹介しているだけで夏休みが終わってしまいそうですが、最初に参加したセッションはTemporarity and Theories of Memory というもの。報告者は、Anton Froeyman(Ghent University), Kalle Pihlainen(Turku University),Marek Tamm(Tallinn University) の3人でした。
 Froeymanはまだ博士論文を準備中のようですが、そのせいかかなりまとまった報告。アンカースミットとイエルコ・ルニアの歴史論を対比させながら、彼らとホイジンガ、ラカン(アンカスミットはホイジンガ、ルニアはラカンの影響を受けたという整理です)、ホイジンガ、レヴィナスとの考えの違いを提示しました。多分アンカースミットとルニアは同じ大学(フローニンヘン)だったはずですから、やや内輪的な話なのですが、アンカースミット論としてはかなりまとまりのあるものでわかりやすい話でした。アンカースミットの転換点を2001年に求めて、この時期から彼がトラウマとサブライムという問題を強調するようになったという指摘です。アンカースミットやルニアの考えの基礎にある倫理的な側面を指摘しつつ、レヴィナスに比較すると他者的なものへの取り組みが弱いという議論で、なぜレヴィナスだけを対比するのかという質問も出ましたが、議論としては整理されていて活字になるのを期待してよいと思います。
 Pihlainenは、自分は参加しませんでたが2008年にアテネであったICHTHの会にも参加してた人です。事前のアブストラクトでは、Froeymanの話の補足的な内容になっていましたが、実際に話をしたのは歴史の現象学的な説明(果たして正確な紹介かはあまり自信はありません)。例のhistorical pastやoractical pastの問題や、presentist 的な歴史記述の集団性、といったことに言及して、かなり自分の考えに近いという印象を持ちました。結論的には文化史やミクロヒストリーも結局は過去を現前化する認識論上の優位性を持つことはないという主張でした。
 Tammは自分は実証研究を行っている歴史研究者であると断った上で(実際には中世史研究をしているようです)、フェーブル、ベンヤミン、ガダマー、ノラらの歴史論にあるpresentist な枠組みを整理・紹介しながら、ヤン・アシュマンによって提起されたmnemohistoryという考え方を紹介しました。この報告は内容的には随分と参考になりました。多様な記憶の一つのあり方として歴史を理解するという言い方でよいのかはわかりませんが、この言葉は日本でもこれから紹介されていくかもしれません。Tamm自身こうした考えをHistory as Cultural Memory(Journal of Baltic Studies, 12, 2008)という文章で書いているようですし、こうした考えを簡潔に要約したCultural Memoryという記事を、トロント大学のページをとおしてネットで見ることができるので、関心をもった人は参考にするとよいかもしれません。
 
by pastandhistories | 2011-08-22 22:23 | Trackback | Comments(0)

博物館

 原稿の一つは大体の下書きが終わりました。一気に書いたので結論が問題提起というより大分過激になってしまったような感じがするので、時間をかけて修正していきます。締め切りは12月で、刊行は4月で随分先の話ですが、一つ仕事が片付いたということです。ということでオスロの国際文化史学会(ISCH)の話の続きに戻ります。
 オスロで最初に聞いたのはトニー・ベネット(西シドニー大学)の基調報告です。ベネットはイギリスのオープンユニヴァーシティに長く在籍していた人で、植民地支配問題や博物館論などをテーマとしている人、ポストモダニスト的なカルチュラルスタディーズに属するとされることのある人物です。報告のタイトルは、Time, Habit , Memory and Colonial Governmentarities(というものだったと思います)。内容は、フェリックス・ラヴェッソン、テオデュール・リボー、ベルグソンらの本能論、記憶論、習慣論、意志論などをふまえて(ここでは条件反射的(本能)なものと、一定の時間を経ての反応である意志や習慣が議論として区別されたことや、逆に自発的な運動が習慣によって本能的な運動へと変化するという議論があることが紹介されました)、それがJ・S・ミルやウォルター・バジョットらの自由主義的な思想家の政治理論や、文化人類学者であるエドワード・バーネット・タイラーのprehistoryとかsavageの理解の仕方にどう関連しているのかが説明されました。正直言って論理的に組み立てられているといえばそうなのですが、このあたりをきちんと読んでいないと難しい部分がありました。さらにこれが自由主義的な思想と植民地統治の関係、さらにはアボリジニに対する対処のありかたと関連させるかたちで批判的に論じられたのですが、具体的な統治のありかたへの言及は少なく、そうした問題を特定の思想家の議論だけを選んで議論されてもというところもありました。ベネットをはじめとする大会での一連の基調講演は、参加者には映像がメールで送られてきていて(2週間くらいで消すようです)、それを見直してみても意図はわかるのですが、議論に少し無理があるような感じがしました。
 ただ彼の報告に関連して言えることは、これはアテネでもそうした傾向がありましたが、他の基調報告者や大会の参加者に博物館(学)関係の人が随分と多いなという印象があったことです。このことは大学を中心とした活字での歴史の記述から、歴史(研究や表象)の流れが、そうしたものに確実に移りつつあるということを示しているのだと思います。
 歴史の目的が、過去の実在の表象、というよりその再現前化にあるのなら、それがより具象的なものを目指すのは当然のことです。その意味では「展示」という表象のあり方は、「記述」という表象より、歴史の目的に合致している。しかし、学問としての歴史というヒエラルヒーにおいては、なぜか大学に所属するhistoriographersが上位に位置している、これは本当は奇妙なことです。
 なぜそうした現象が起きるのかというと、その一つの理由は、実際には博物館がたとえ過去の事実の忠実な再現前化を行っていても、費用の問題や、公的施設であるという制約から、きわめて限定された「展示」を観覧者の認識を共同にするかたちで行っているからです。これに対して歴史記述を主とする歴史研究者は、実際には個々によって大きく異なる過去の再現前化を試みているからでしょう。
 ここにあることは、記述的歴史はそれぞれが異なったものであるがゆえに、その「事実性?」をむしろ学問的に評価されているという逆説です。この問題は歴史にあるかなり重要な問題を指し示しています。もちろん、事実性を重んじた「展示」を主とする歴史研究者が、しばしば構築性が大きく内在する「記述」を主とする歴史研究者に対して「学問的」な地位がはるかに低いという問題は、それはそれとして問題とされていかなければならないことなのですが。
by pastandhistories | 2011-08-19 16:25 | Trackback | Comments(0)

この一週間

 このブログは本格的には昨年の夏の間は毎日書かれていました。時間的な余裕は今年の方がありそうだと思っていましたが、オスロから帰国して数日後から更新が止まっています。オスロのISCHはとても興味深い内容があり、その紹介をしていく予定だったのですが、帰国後は秋以降のプロジェクトの準備のためのメールのやりとりや人と会うことと、ヨーロッパにいた時にメールで依頼を受けた原稿の執筆に追われていました。明日もプロジェクトについての相談で人に会う予定が入っています。プロジェクトについては、秋以降主だったものとして招聘を1件、他に公開の会を2件予定していますが、その事前調整を今のうちにしないといけないので、それに結構時間を取られています。 
 原稿のほうは、締め切りが12月末、刊行は4月とまだ先の話です。時間のあるうちに全体的なアウトラインを早めに用意しておこうと思ったのですが、アウトラインを作ってみたらかなり枠組みができたので、それなら下書きを一気に書いてしまった方が早いのではということになりました。本文の8割くらい(原稿用紙20枚強)を完成させました。ある程度の読み手が予想されるものなので、かなり問題提起的なものとして書いています。多分今週末か、来週初めには下書き全体を書き終えると思います。
 この下書きを急いだのは、今年の夏は和文、欧文と他にいくつかの原稿があるからです。いずれもほぼ下書きはできていて、後は本を読み直しながらまとめていくという作業が残されています。随分と貯めたものもあるので、いいかげんに時間のある時に整理しておきたいということです。
 ということなのですが、それでも学期中より時間は取れるので、できるだけ読んでいる人たちの参考になるようなかたちで、ブログも書いていくつもりです。
by pastandhistories | 2011-08-18 00:22 | Trackback | Comments(0)

オスロ着

 オスロの会は実質的には3日の2時からということで、アテネの出発は乗換え便の都合で朝の5時、飛行場へは3時までということにもかかわらずタクシーはストライキ続行、夜中でもバスはあるのですがバス停まで歩いて深夜に待つのは大変。ということでホテルが手配してくれた白タクで夜中の2時に空港へ、80ユーロという散財。アムステルダムで乗り換えてオスロに。
 珍しく事前にしっかりと調査して得ていた情報では、飛行場からは街中に便利なエクスプレスがあるということ。安心しきって切符売り場へ。ところがなんと途中は工事中で不通。夏のピークに工事、しかし代替バスがあるから乗りつけばよいという話。ところがアテネでパソコンがネットにつながらなかったので、ホテルの正確な位置がわからない。日本で得ていた情報では、なにやら覚えにくいカタカナ名の駅。早速そのカタカナを発音してみたけど、まったく通用しない。徹夜ということもあってやはりホテルの名前を伝えてタクシーの方が便利だろうということで、代替バスには乗らず、不通箇所からタクシーへ、これが500クローネ。また散財。ついたホテルは別の場所。そこからまたタクシーでやっとホテルへ。なんとオスロ中央駅の真ん前、日本で言えば中央郵便局みたいな場所。ようするに変なカタカナはノルウェーの地元の呼び方。それなら最初からセントラルステーションという言葉をつかってくれれば間違えない。地元の人も外国人にはほとんどそう呼んでいる。これって日本の翻訳によくある話。分かりやすく訳せばいいのをもったいぶって難しい言葉をもちいて読み手を混乱させる。それと同じです。
 ともかくやっとのことでホテルについて、会場へ。場所はオスロ大学。これも事前に調べた情報では駅から歩いて15分。つまりホテルから15分。徹夜で疲れていたけど参加登録くらいはと思い大学へ、大学は立派な建物、そこには文化史博物館というこれもまた立派な建物。ここだと思い受付に、ところがそんなものは行われていないという話。受付のパソコンを開いててもらい確認したら要するに別のキャンパス。地下鉄で15分でいけるという。しかし、ここで体力・気力は限界。セッションも初日は一つということで、ホテルに戻り休むことにしました。結局は夜中までパソコンと格闘することになったのですが。
 ということでISCHの会は翌日から参加することになりました。でも苦労して参加した分だけこの会は参考になる部分が随分ありました。いくつか興味深い話もあり、新鮮なテーマもありました。全部を紹介するのは大変ですが、明日からいくつかに参考になりそうなものを紹介していこうと思います。ただあまりこの会のことだけを続けると、書く側も読む側も単調になると思うので、他のテーマも混ぜながら少しづつ紹介していきます。
by pastandhistories | 2011-08-12 10:37 | Trackback | Comments(0)

政治と世俗のレトリック

 パソコンがアテネで動かなかったせいか、このブログは「三日後れの便り」みたいなタイムラグが生じてしまいました。海外での出来事ばかりを書いても飽きるところがあるので、今日は別のことを書いておきます。
 それは自分が日本にいない間に日本経済新聞に掲載された原発事故にともなう吉本隆明に対するインターヴュー記事です。ネットなどでも一部でだいぶ話題になっているようです。一応確認するとその内容は、
「この事故によってによって原発廃絶論が出ているが。―
原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬いものを透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いに安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防禦装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」
というものです。
 こうした言説が今回の原発事故にともなって必ず出てくるだろうということは、このブログでは早い段階から予想していました。4月12日に、このブログの読み手にとっては意外に思われるところもある「科学と知」という文章を書いたのは、やがて登場するであろうそうした言説への批判を前もって行っておくためでした。この文章自体は、その二日前に書かれた「専門的研究と世俗的なレトリックが強い一体性を持っていて、本当は政治的なものと密接にかかわっている」(「欲望と復讐」)という文章を受けて書かれたものです。
 吉本隆明にはいろいろな読み方が可能でしょう。しかし自分にとって忘れられないのは、自分が大学に入った直後(1964年)に当時「ノンポリ」(ノンセクトではありません)と呼ばれていた立場に立つややシニカルな友人が語っていた、「吉本は闘う前から、闘いが終わった時に日和る口実を説明している」という言葉です。
 いずれにせよこうした主張は知識人とされる誰かがするだろうと考えていました。それが吉本であったということは、意外な感じもしますが、また「政治と世俗的なレトリックの一体性」を見事に語るものであるような気もします。
 
by pastandhistories | 2011-08-11 09:44 | Trackback | Comments(0)

ATENER④

 約10日間で6回飛行機に乗って、便の都合で実質的には徹夜に近い状態が3回。年齢を考えると無茶苦茶なスケジュールですが、昨日の朝戻りました。夜10時に寝て、今朝は7時に起床、通常通りの生活です。というより、今回は変な日程のためだったせいか、滞在中は夜は11時ごろ寝て6時に起きるという時差ボケのない生活、今も普通の感じです。
 と思ったのですが、今違った場所をクリックしてしまったらしく、最初の記事が送信されてしまったようです。アテネの会の様子について残りの部分を書くと、前回紹介したもの以外で中心的だったのは、若手の研究者の報告、そののなかにはテーマ設定もあって非西欧的地域の研究者によるものも少なくありませんでした。順を追ってその中のいくつかのものを紹介していくと、古代のフェミニシティを扱ったもの(T.Howe, St.Olaf College), インドにおける女性教育、とくに科学教育を論じたもの(R.Chaklabourty, University of Calucatta、この人は教授なのでそこほど若くはないと思います)、中世以降の心理学の歴史の紹介(C.Bartolucci, University of Rome), やはり女性教育を論じたもの(Y,Ahmed, UAE University この人も教授です)、ユダヤ人の科学・哲学の形成をアトテレスやイスラームとの関係で論じたもの(Professor, University of Haifa ), インドのポリガミーの歴史を7世紀から13世紀にかけて論じたもの(A.Verma, NSCBM Govt. Degree College), communalism という観点からガンディーを論じ、ムスリムの分離主義への批判的な議論を紹介したもの (A.K.Bortakur, Tinskia College), 南アフリカを対象にメディアガ歴史のコメモレーションにどう影響しているのかを論じたもの(professor, North=west Universtiy, South Africa) などがありました。会の雰囲気では一部の参加者同志は知り合いらしいところがありましが、自分には初対面の人ばかりで、評価については口頭の発表だけでは即断できませんが、普段は接することのない話が多く、その意味では参考になる部分もありました。
 またこの他にも会では建築物や図像分析に関する報告も多くありました。場所柄考古学的なテーマが少なくなかったこともありますが、なんといってもパワーポイントでそうした報告がしやすいということのためです。しかし、あまり知らないものをスライドショーされても、正直言ってわかりにくい。歴史研究の大事な方向性ですが、同時にこうした研究を本当に説得的に議論することは難しいとも思うところがありました。
 自分は二日目の Historiography というセッションで発表しました。最初の発表者は入れ替わりましたが、自分は予定通り二番目、S.Miles (Ph.D. Student , Glasgow University ), R.Abadia ( Researcher, University of Lisbon )という人たちの組み合わせになりました。予定通りアムステルダムの続きを発表、ペーパーは読みきれないので、ハード化したものを配り、要旨をパワーポイントで読み上げましたが、場慣れしてきたせいか、うまくできたと思います。後をひきついだMilesが、自分の報告は前の発表者の考え方と基本的に類似するものだと受けてくれて、この点も助かりました。その Miles はツーリズムなどにも関心があり、現在では博物館での歴史の展示や歴史のheritage化の問題点をテーマにしている人物。出身はウェールズらしく、その彼は現在での歴史のコメモレーションの問題を、いくつかの事例を例に記憶の共同性の単位を示して説明しました。Abadiaもまたブラジル出身で、現在はポルトガルにいるという人物。彼女も地方博物館を例に地域的なアンデンティティの形成を話しましたが、この二人に共通していることは、自らが移動をとおして多重的なアイデンティティをもっているということ、そうした立場から地域を単位とした歴史の共同性への問題意識を持っているということです。この二人と組めたことにはよい部分がありました。
 質問は真っ先にグレバーゾン(カナダのヨーク大学)がしてくれました。彼の発言は質問というより、総括的なもの。OKAMOTOの問題提起はとても大事だ、そうしたことをもっときちんと議論していくべきだという趣旨の発言をかなりの時間を使ってしました。そのせいか自分への直接的な具体的な質問はなく、時間がなかったせいもありますが、セッションは無事終わりました。全体の会が終わってロビーに出たらそこにいたインド人の研究者が(名前は聞きませんでしたが)、the best presentation と声をかけてくれました。社交的なニュアンスもあると思いますが、やはり嬉しいところがありました。
 大会はexcursionを含めて4日間予定されていたようですが、二日目のセッションが終わるとあっという間には参加者は急減(当然のことですが)、自分はディナーには出ましたが参加者は少なく、その日の深夜にオスロへと向かうことになりました。
by pastandhistories | 2011-08-10 10:17 | Trackback | Comments(0)

ATINER(3)

 こうした会に参加したのは初めてでしたが、ATINERについていえることは、多分これは最近の多くの(国際)学会にも言えるのではと思いますが、参加者が基本的にはかなりの年齢に達した人物と、準教授や博士論文提出予定者といった若い人たちによって構成されていることです。おそらくその理由は、エイジフリーでも毎年業績評価はあるわけですからそれに対する業績が必要であることと、まだテニュアや学位が確保できていない若手研究者にとってはの一定の会での業績が必要であるということのようです。加えて必ずしも英語圏とは限りませんが、(今回の自分もそうですが)非欧米圏の研究者の英語での発表の場としても利用されているようです。
すでに紹介したように、一部は今後刊行、もしくはネットで公表されていくようなので詳しくはそれで見られるようになると思いますが、そのいくつかを簡単に紹介していくと、第一の部類いに入るのが、Gleberzon(York University), Tolmacheva(Washington State University), Pretorious(University of Pretoria), Harrison(University of Louisville)といった人たちの報告で、それぞれ知識人の役割の変化、アメリカにおけるアフリカ史研究の流れ、古代社会から現代に至るアフリカ認識、アメリカの外交政策を支えた自己意識といったようなテーマを論じましたが、やはり一定のキャリアを持っていることもあって、話の内容はそれぞれまとまっていました。とくにトルマチェワのアメリカにおけるアフリカ研究史の整理は、いわゆる50年ほど前の独立国家が叢生するようになったアフリカの時代から、冷戦とその解消を経た今日までの状況を手際よく説明してた明快なものでした。またプレトリアスの報告は、ヨーロッパから見たアフリカは、その主たるものである地中海諸国と北アフリカという関係と、とりわけ近代以降に南アフリカがイギリス帝国の支配下に置かれるというふたつの地域的要素からみらレルことを指摘しましたが、南アフリカはすでにヘロドトスによっても認識されていたことをかなり強調しました。またハリソンはいかにも老学者という話し方をする人ですが、アメリカの外交政策とそれを支えたナショナルアイデンティティはたとえばマニフェストデスティニーのようなMYTHに支えられていて、記憶・人種・神の定め・例外的国家というある種の宗教的なアイディアに支えられたものであることを要領よく話しました。
 それぞれに印象とは違った結構批判的な内容があって、ディナーでもその話がでましたが、アメリカのリベラルという言葉が、もちろんこれはニューリベラルではなく(この言葉はコンサーヴァティヴをさす言葉であると何人の人が言っていました)、ジャッドについても書きましたが社会民主主義的な方向性で使われていて、それを支えている1960年代世代の強固さを「老教授」たちの話は感じさせるところがありました。
 しかしもちろんより新鮮な視点があったのは、若い研究者や非欧米からの参加者の話の方です。
by pastandhistories | 2011-08-08 06:15 | Trackback | Comments(0)

ATINER(2)

 今回の訪問地はアテネとオスロ、日本での報道によればヨーロッパでも問題のあるところ(現在ではロンドンが問題地の一つに加わりましたが)、普段はしないホテルの位置などの確認を事前にきちんとして、これもまた普段は改めて加入することのない旅行保険に入って、万全の体制で現地へ、と向かったつもりだったのですが、空港についたらいきなり大事件。二ヶ所を周遊しなければいけないということで入手したKLMのチケットはアムステルダムで6時間も待ち合わせたしたうえで、深夜の12時過ぎに空港へ到着するというもの、それでもタクシー代は50ユーロ程度であり、またホテルも人生初めての5つ星ホテルであるという事前情報をしっかり得ていたので、安心して入国出口へ。さてタクシーに乗ろうと思ったら黄色い車はあれど運転手はいない、大ストライキの真最中。日本時間に換算すればもう完全な徹夜状態の後ということで立っていても眠ってしまいそうな状況。インフォーメーションに聞いたら、「安心してよい。バスは24時間動いている。ヒルトンホテルの近くの停車場で降りてそこから15分ほど歩けばつく」ということ。慌てて超満員のバスにとび乗って、指定された停車場へ。問題はここから、問題のホテルは幹線沿いではなく、はるかに小高い丘の上。次の日に気づいたけど、昼間でもすぐにはたどり着けないようなところ。悪戦苦闘して夜中の2時にホテルに到着(と思ったのは間違いで、アムステルダムで時計を現地時間に合わせていたので、アテネは実際にはそれより1時間後の3時だったということです)。日本の現在では考えられないエアコンの温度が15度に設定してあっ部屋でそのままバタンキュー。
 翌日(1日)は9時からのセッションということで余裕をもって指定された部屋にいったらもうとっくに発表は始まっている。もう書いたように時差に気づかなかったということ。その理由の一つは部屋には時計がなく、またテレビはどこを回しても朝でも時間表示がない。とにかくここはアテネ。悠久の時間の経過する場所。それも気を取り直してプログラムを確認。事前にも伝えられていたけど、発表者は36人。ということで、セッションは分かれず、基本的にはローマ史、ギリシャ史、思想史、アフリカ史、中近世地中海史、古代近東史、一般、インド史、歴史理論、宗教史という順番で、自分は二日目の歴史理論で発表するということになっていました。結局その二番目のセッションから自分は本格的に参加することになりました。 
by pastandhistories | 2011-08-07 17:00 | Trackback | Comments(0)

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