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繁忙期の中断

 卒論の審査、試験の採点、予算の処理、という私立大学の教員にとってはもっとも忙しい時期に入りました。昨年はこのブログはどうしたのかなと思っ確認してみたら、やはりアメリカ歴史学会から戻ってきてから、飛行機で読んだものを紹介し、「繁忙期」という記事を書いて、その後は休んだことを思い出しました。昨年は一月下旬にアメリカ大学協会の会の参加し、その紹介記事を少し書きましたが、基本的には卒論審査が終わるまで休んでいたようです。
 今年度はこの後海外には出かけませんが、上記の仕事に加えて3月のプロジェクトの準備や英文の原稿、アブストラクトの作成があるので、ブログの記事を書く時間的余裕は昨年同様なさそうです。ということで、2月の初めまで休みます。読んでくれている人がこのブログの流れを理解しているためだと思いますが、実は年明けからAHAの記事を中心に、ほぼピーク時に近いアクセス数がありました。多少の参考になっているようでしたら、それはうれしいですね。
 アメリカ歴史学会に関しては、今年も日本の「アメリカ史研究者」の発表や参加がほとんどなかったことは残念でした。グローバルヒストリーとか比較史については「常連」の人の参加があったようですが、それ以外は「福島」問題についての報告程度で、毎年のことですが日本の外国史研究のあり方を考えさせられました。最近では海外での若い世代の研究者の学位取得が常識化しているわけですが、その先の研究者としての位置が結局はrepatriateされていることは残念です。若い研究者はそれほど長い期間でなくても構いませんが、expatriationを一つの目標としてほしいですね。expatriationとrepatriationのはざまでのbiculturalな立脚点に立つというのは、異なる文化と接触した多くの人々によって常に繰り返されてきた古典的なテーマなわけですが、heterogeneousなオーディアンスを持つことができるということは異文化研究が生み出す最大の長所だと自分は考えています。
 まとまりませんがまた2月の初めまでは休みます。その間はもし時間があるようでしたら、以前の記事に目をとおしてくれればと思います。
by pastandhistories | 2012-01-15 11:52 | Trackback | Comments(0)

1994年

  時差15時間、飛行時間13時間というシカゴから今日帰ってきました。さすがに頭がホワッとします。明日からは貯めてしまった来年度シラバス作成をはじめとする各種書類、さらには学年末試験とその採点、そして卒論審査、さらには予算の処理、ということに忙殺されます(これに英文原稿と3月プロジェクトの準備も加わります)。
 しばらくはなかなか本も読めないでしょうが、今回飛行機で読むために持参したのは、Lubomir Dolenzele(トロント大学名誉教授)のPossible Worlds of Fiction and History:The Postmodern Stage(2010)と、ランシエ-ルのLes Noms de L'histoireの英訳本(1994)です。
 飛行機の中ですからそれほど丁寧に読んだわけではありませんが、前者はポストモダンを扱った4章までより、counterfactual historyを扱った最後の第5章が面白く読めました。counterfactual historyには決定論的歴史への批判という面もありますが、逆に因果関係から歴史を論じるということとも強くかかわっています。あること(原因)が生じなかたら、あること(結果)は起きなかったであろう、異なっていたであろうことするわけですから、実はきわめて因果論的な論理がその前提になっています。与件となったことが起きなかったらとするという点で自由な想像に基づくように見えますが、実はある種の決定論的な思考とも結びつくものです。与件が必然であると仮定すれば、結果もまた必然であったとする議論が生じてしまうからです。難しい問題でですが、そのあたりのことについてこの本は色々な角度から議論していて参考になりました。
 後者は序文をヘイドン・ホワイトが書いています。念のために最近されたものを含めてホワイトの論文集を確認しましたが、インデックスにはランシエールはありません(Herman Paulの本はこの翻訳本序文を一か所だけ言及しています)。このランシエール論を現在ホワイトがどう考えているのかはわかりませんが、この序文は内容とともにそれが1994年に書かれたものであるという点で少し興味深いところがあります。
 というのは、この序文の中でホワイトはランシエールの主張を媒体としながら当時のフランスの歴史学に批判的に言及し、アナール派とマルクス主義、さらにはフュレとコバンの当時の議論を全体として批判しているからです。
 その根拠としてホワイトが主張していることは、マルクス主義はもとより、社会史から歴史修正主義への学問的な歴史学の流れは、新しい言語的概念を構築することをとおして(言葉による名づけをとおして)結局は民衆(people)を歴史から排除している、つまり歴史を過去の事実とは異なるものとしているということです。
 「民衆」という言葉もまた記号表現ですからホワイトの議論としてはおかしいと思うかもしれませんが、おそらくホワイトはそうした言葉を通してメタフォリックなもののほうにこそ事実性はあると考えているのでしょう。
 いずれにせよ1994年という時点でホワイトがこうした文章を書いていたということは、1970年代以降の歴史論、あるいは思想的流れにたいしてランシエールやホワイトがとったスタンスを示すものとして、またそうしたスタンスがマルクス主義史学や戦後史学を超えて歴史研究が大きく発展したとされる日本では生じなかったことも含めて、興味深いところがあります。
後記:見落としていましたがこのホワイトの序文は『思想』866号(1996年8月に「歴史知の詩学―ランシエールの修正主義」として翻訳されていました。
by pastandhistories | 2012-01-09 22:04 | Trackback | Comments(0)

big history

AHAは三日目ということでセッションのラッシュ、今日は昼休みにもきちんとしたセッションが入りました。朝も9時から。ということでbig historyのセッションと、Radical Enlightenmentと題されたMargaret C. Jacob(リン・ハントらとTelling the Truth about Historyを書いた人)の記念集会と、このブログでも以前紹介したトニー・ジャットのThinking the Twentieth Century というタイトルの追悼集会に参加しました。
 意外と収穫があったのがbig historyのセッション。昨年7月の北京のWHA(世界史学会)でも同じことをテーマとしたセッションがいくつかあったのですが、報告内容に今一つ説得力がなく、その時は少し批判的に紹介したと思います(時間がないので確かめていません)。International Big History Associationの結成が進んでいることを紹介したはずですが、今回はなぜbig history研究の組織化が必要だという議論が生じたかがよくわかるところがありました。その理由はbig historyの必要性を論じたCraig Benjamin(グランドヴァリー州立大学)のHistoriography of Big Historyという報告がきわめて整理されたものであったからです。
 議論の柱は二つ。一つは史学史的にはbig historyと共通したuniversal history,つまり包括的な単一のナラティヴとして過去を認識するというのは、古代ギリシャに始まり、ヘーグル、マルクス、ウェルズ、トインビー延々と行われてきたということです。
 もう一つは、world historyとbig historyはどう違うかという問題です。違いはbig historyの方がはるかに大きなスケールのあることです。その理由は、world historyに対してbig historyは、天文学や地理学や、環境論や、生物学などの自然科学を含みこんだものであって、時間的には宇宙の開始から、つまり伝統的な歴史学から見た時のprehistoricalなものを含むということです。
 気宇壮大な大風呂敷という感じがしないでもありませんが、この議論がこれまでの歴史にあった盲点を気づかせてくれる点は、たとえば一時期「学際」化ということが随分言われましたが、それは経済学・社会学・人類学・文学etc. などのいわゆる社会科学・人文科学を基本的には意味していました。また「科学」的歴史といっても、それは自然科学的方法を類推的ともいえるかたちで援用したものでしかありませんでした。つまり天文学や地理学や、環境論や、生物学などの自然科学との本当の意味での学際化を計ったものではなかったわけです。
 このことは人間の歴史認識を人間中心的なものにしてきました。それでよいのだろうかというのかbig history論が成立しつつある根拠の一つです。人間をもっとコズモロジカルなものの中においてみる、そうすれば宇宙や生物がどのように形成されてきているのかという枠組みの中に人間を置いて考えていく歴史が成立するということです。
 また大事なことは、こうした議論の根拠にあることが、過去を歴史として教育するということの有用性とは何かという問題であることです。(big history論は、研究より教育をめぐる議論として成立している部分があります)。そう考えれば人間にとって重要な過去認識は、人間社会が成立してきてからの過去としてしばしばイデオロギー的な要素を内在させながら語られたこれまでの歴史(その一つの形態がworld historyであったわけです)よりも、宇宙とか自然のなかに人間を位置づけたものであるべきだとという議論が成立するわけです。手塚治虫の『火の鳥』で扱われているような歴史(かつ未来)感覚です。この議論にはあえて言えば伝統的な宗教意識や哲学的な議論を超えるような要素も含んでいます。
 このセッションで二番目の報告をしたのは、WHAの記事を書いたときにも取り上げたCameron Gibelyouという物理学を専攻する弱冠25才のミシガン大学の院生。明晰さがはっきりわかる報告で、自らもそうしたコスモロジーを前提とした歴史を学生に教えているようですが、この人物の話は聞く価値が十分にあります。自分がNHK教育テレビのプロデューサーだったらこの人物を出演させて番組を作りますね。サンデルよりよほど面白いかも知れません。
 もっとも具体的な研究、さらには教育ということになると、big history論が成熟していくにはまだまだ時間はかかるかも知れません。今回も3番目の報告は生物学的な視点を取り入れたものでしたが、批判的に言えば、進化論と行動科学・比較生物学を折衷したもの、7月のWHAでも具体的な議論になるとそうした部分にとどまるところがあって、そのあたりが今後の発展を左右していくでしょう。
ジェイコブとジャットに関するセッションはアメリカ史学会の会長であるトニー・グラフトンがともに司会。前者の参加者は60人前後でしたが、後者は100人を超えてジャットのアメリカでの評価の高さをうかがわせました。これも以前書きましたが、この二つの会でもアメリカの急進的なリベラリズムや歴史研究に対するマルクス主義の影響が議論の対象となりました。
by pastandhistories | 2012-01-08 12:06 | Trackback | Comments(0)

The Oxford History of Historical Writing

 AHAは本格的な議論が始まって二日目、ということだったのですが午前中はこの秋にプロジェクトで招聘する人が向こうから時間をとってくれて、その打ち合わせを30分ほどしました。このブログの流れから誰だかはわかるところがあると思いますが、来日する時のテーマとして依頼したことは文化史と社会史の関係をどう考えていくのかということ。違うのか、違わないのか、区別されるするとどういう点でその違いが論じられるのか、というようなことです。その理論的整理。自分としては、そうした問題を流行として論じるつもりはありませんが、きちんと議論を組み立てて考えていくことが必要な時期に来ているような気はします。そうした機会を作りたいというのが自分の考えで、そのことを相手に伝えました。
 今回のAHAは会場が二つあって、一つは自分のいるシェラトン(本部もこちらです)、もう一つは10分ほど歩いたマリオット、当初の予定では今日はマリオットで行われるセッションに午前も午後も出る予定でしたが、時間が中途半端になってしまったので、急遽予定を変更してアジア史研究者によるセッションをかねた昼食会に参加しました。カリフォルニア大学のステファン・田中さんが中心に組織しているもの。日本研究者を中心に中国・韓国研究者が30人近くが集まっていて、報告ではシカゴ大学に滞在している梅森直之さんが江藤淳を取り上げました。江藤淳は自分が学生の時にある取り上げられ方をされた人物(入試にもよく出題されたりしました)、最近では自分とほぼ同じ世代の加藤典洋さん(学生時代から知っています)取り上げているわけですが、梅森さんの世代がこうした場で取り上げたのには少し驚きがありました。後で聞いたら梅森さんは江藤淳がアメリカに来た1962年の生まれだそうです。
 この会合に向かう途中にエスカレーターのところでばったりDaniel Woolfに会いました。出版社のブースで彼が書いてケンブリッジから出したHistory of Historiographyは見つけられたけど、オックスフォ-ド大学出版会から5巻本で出る予定とされていたものがなかったと伝えると、それはもう出ているはずだという話。実はこの本に関しては原稿の締め切りの後に執筆者たちを集めた会議が当時Woolfがいたカナダのアルバータ大学で行われた時、なぜか執筆者でもないのに自分にも招待状が来て、参加したという経緯があります。どうしても内容的には多少のばらつきはありますが、豪華な執筆陣。これほどのメンバーを集めて原稿の報告を兼ねた読みあわせをする(多分100人以上が参加していました)、OUPの経済力には本当にびっくりしたという思い出があります。
 ということで結局Woolfに誘われたので、彼がchairのHistorigraphy and Empire in the Early Modern Atlantic World というセッションに午後は参加しました。大航海時代以降のヨーロッパの拡大に伴って16~17世紀にどのような歴史叙述が行われるようになったのかというコンセプトは悪くはないのですが、多分発表者の知名度もりゆうでしょうが、参加者は10人をやっと越える程度、すこしさびしい会でした。
 終わってから再び本屋のブースに。Woolfが編集したOUPの本を見つけることができました。The Oxford History of Historical Writingというタイトル。彼の言っていたとおり予定通り2010年から3冊ほどがすでに出ていて、アルバータの会には来ていなかった著名な執筆者も書いています。重たそうなので、日本に帰ったら早速注文する予定です。
by pastandhistories | 2012-01-07 16:29 | Trackback | Comments(0)

ベッカートとバーク

 AHAの大会は初日。昨日は午後に開催されたWriting Global Historyというセッションと、夜に開催されたHow to Write a History of Information : In honour of Peter Burkeという会に参加しました。
 最初の会は100人を越える参加者。テーマへの関心の高さがわかります。しかし、自分にも少し反省がありますが、グローバル・ヒストリー論は「そもそもグローバルヒストリーは」という議論をしていても議論は繰り返しになってしまう。その意味では最初の会で議論が実際的なものとして組み立てられていたのは冒頭報告をおこなったスヴェン・ベッカート。自分のプロジェクトで発表してくれる予定であった議論( Empire of Cotton)をさらに発展させて議論を展開しました。彼が強調したことの一つは、労働の多様性という問題。もちろん労働をめぐっては数多くの研究が行われてきたが、伝統的な歴史研究のなかでは、工業化と過程の中で奴隷的な労働や、農業労働が、工業的な労働に転化したという側面が強調され、そうした労働の変化が、たとえば労働運動史のように、ナショナルな枠組みで説明されてきた、しかしこうした理解には不足があるというのが彼の主張です。その理由は、こうした転換がたとえばイギリスのような地域で行われてとしても、一方では原料生産のような労働は、アメリカにおける奴隷制度として、あるいはその他の地域においても異なった労働形態として行われていた。つまり世界をグローバルな視点から捉えれば、一部の地域での労働の変化は、異なった地域での労働によって補完される形で進められた。つまり多様な労働がグローバルな資本主義とのかかわりの中で形成されていたわけで、そうした点に目を向けることが重要だというのが彼の指摘です。
 明解な立論で、説得力のある主張です。ベッカートはそうした問題を世界商品としての役割を果たすことになるcottonの問題を例にとり、南北戦争後にそれまで原料生産をになっていた奴隷制度や分益小作制度が後退すると、その次には労働の形態や場所の移転(原料生産地の移転、あるいは加工地の移転)がどのように生じていくのかということと関連付けて議論しました(この部分は時間的には今回はあまり論じませんでした)。
いずれにせよ彼の話を聞いて思ったことは、多様性という議論が、ただミクロスタディーズに向かうなら、それはいかに精緻であっても、欠けるところがあるということです。図式的な主張かも知れませんが、個別的なものは、今回のベッカートの議論では具体的な労働ですが、とりわけ近代以降はグローバルな資本主義のあり方と結びついている、そうした視野は失ってはいけないということです。かなり大事な論点です。
 夜に開催されたバークの会の参加者は昼の会をさらに上回って200人近く、同じように歴史研究の現在的なトレンドということでしょう。実はあまりよく聞き取れない報告があって慌てて録音メディアに入れたのですが、とれたかどうかはわかりません。最後にバークが議論をまとめましたが、全体としてはタイトル通りINFORMATIONという言葉を歴史研究の視角として取り入れることが議論されました。知(KNOWLEGDE)という言葉や言説(DISCOURSE)という言葉を使うよりも、より具体的にコミュニケーションのあり方がイメージできます。この議論はかなり一般化していくかもしれません。
by pastandhistories | 2012-01-06 20:04 | Trackback | Comments(0)

シカゴ

 このブログを書き始めるきっかけになった正月のアメリカ歴史学大会に参加するためにシカゴに来ました。ホテル(シェラトン)が会場でそこに泊まっています。今回の目的の一つは何人かの人と会うためですが、その一人から早速メールが来ていて、明日会うことになりました。ある人からシカゴのホテルは日本人に親切と聞いていましたがそのとおりでホテルの部屋割りもよく、パソコンも順調に動いています。
by pastandhistories | 2012-01-05 07:48 | Trackback | Comments(0)

言語の共同性

 昨日紹介した高田明典さんの『現代思想のコミュニケーション的転回』一気に読み終えました。問題の設定もはっきりしていて参考になりました。昨日も紹介しましたが、カントを起点として、言語論的転回によって提された問題が、解釈学-コミュニケーション論という流れをとおしてどのように議論されているのかを扱ったものです。
 言語が指示対象に対する厳密な対応性を持たないとしても、言語は孤絶したものとして個人が使用するものではなく、つねにそれが通有しあう一定の共同性を前提しているものである以上、そうした共同性を成り立たせるコミュニケーションを根拠とすることによって、言語とそれを指示するものについての一定の了解は可能になるはずだし、そのことを前提に真実、あるいはそれに近いものも語りうるという議論です。
 無理のない主張で、それなりに説得力のある議論です。ただ自分の考えからすると、もちろんそうした一面的な議論がされているわけではありませんが、言語がメタ言語的なものであるのなら、それに対応する超絶的な普遍的な真理も論理的には成り立ちえますが、実際には言語は個々のコミュニケ-ションの場や目的によって多様なものであって、その意味では特定のコミュニケーションを媒体として成り立つ目的遂行的な間主観的な合意、あるいは真理もやはり断片的で、相対的なものと考えた方がよいような気がします。
 もちろん科学の普遍的な真理性という議論が近代以降受け入れられてきたことの理由は、自然科学的な真理はメタ言語的なものとして成り立っているのではという了解です。しかし、自然科学が普遍的な真理として成立しているのかというと、そのpracticality,つまりapplicationにおいてはけっしてそうではありません。そのことは原子力の問題や、環境問題のことを考えればすぐに了解できることです。その意味ではコミュニケーション論という議論からカント的な議論に回帰できるかというと、それは難しそうです。結局その中間のどこかに、どのようなかたちで真理的なものを設定できるのかが、議論になっていくのだと思います。
 このあたりのことはこれからも議論されていくでしょうが、高田さんの本で感心したのは議論のしなやかさです。たとえばウキペディアのカント論を評価したコメント、これ以外にもネットを利用したアプローチに積極的で、その意味でも面白く読めました。
by pastandhistories | 2012-01-02 10:29 | Trackback | Comments(0)

コミュニケーション的転回

 新年になりました。今年は年賀状に少し苦労しました。仙台に10年近く住んでいたので、東北に知人が多いためです。今日は部屋の整理をして今年の予定を立てていきます。まずは時間のできる数少ない時期である3月末までに書けることの計画を立てようと思います。この間の今年の大きな仕事はStefan Bergerを呼んでのプロジェクトの会合、この間3通ほどメールが来て、正式に飛行機の時間を伝えて来ました。滞在日程が固まったので、それに合わせて会の予定を決めていきます。他の参加者や部屋の予約の都合もありますが、現在のところでは東洋では3月16日(金)、もしくは17日(土)に行う予定です。
 暮れは多少のんびりしました。普段は見ないテレビも結構見たりして、昨晩はボクシングを見ました。ボクシングの試合は子供の頃から随分みています。しかし昨日の試合はびっくりしました。いい加減なマッチメークによって選ばれた相手ではなく、豊富なキャリアと実力のある相手を、左のショートフック一発で倒した。あれほど見事なパンチはこれまでほとんど見たことがありません。なぜキャリアのある相手がそれを予知できなかったのかということには伏線はあるのですが、左ボディを打つと見せかけて、ガードが下がったところを至近距離から左フックを打った。ボクサーのパンチは凶器だということをまざまざと見せつけた試合でした。街中での喧嘩なら相手は確実に死んでいたでしょう。
 というわけで仕事もこのブログも少し休んでしまいましたが、今読んでいる本は昨年出た高田明典さんの『現代思想のコミュニケーション的転回』という本。平易な文章で簡単に読めると思ったのですが、意外に時間がかかってまだ3分の一ほど。この間自分が考えてきたことや書いたことと重なるテーマなので読んでいます。最近はこうした哲学や心理学や社会学などの自分の専攻以外の本は、時間ができた時に近くの市民図書館から借りて読んでいます。買うともう部屋に収まりませんし、3か月借りられる大学と違って3週間で4冊という制限があるので、かえって期限の間に読みやすいのでそうしています。内容的には、超越論的転回から書き起こして、言語論的転回-解釈学的転回-コミュニケーション的転回への流れをたどった本です。哲学専攻の人が書いたもので、参考になるところがあります。
 このブログは歴史理論について自分が考えていることを中心に書いています。加えて自分が参加した海外の会の内容や、気づいた海外の新著などを紹介していますが、基本的には日本で出された歴史書の論評はしていません。このブログを読んでいる人にとっては、ことさら新しい情報ではないと思うからです。ただ歴史以外の専門領域の本で理論的なことを考える時に参考になる本は時々紹介することがあります。高田さんの議論はそういう意味で参考になるところがあります。
by pastandhistories | 2012-01-01 08:44 | Trackback | Comments(0)

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