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コンセプトと利用法

 コンスタントにアクセスはあるようですが、今月はほとんど新らしい記事が書けませんでした。なるべく日記ではなく問題や情報を提示するというコンセプトでこのブログは書かれていて、なかなか整理したことをか書けないためです。もともと外国でそうしたことを考える時間がある時に書き始められたものですが、今日から4日ほどソウルで開かれるAsian Association of World Historians に参加するために出かけます。いつも同じですが、宿で時間があって、かつパソコンがうまくつながれば記事を更新できるかもしれません。といっても、結構海外では時差ボケで夜中に時間ができたりした時にブログを書く時間ができるわけで、ソウルではあまりそうした時間は生じないかもしれません。
 新しい記事を書かないのにコンスタントにアクセスがあるのは、新しく読む人がいるからかもしれません。いつも書いていますが、このブログにもっとも集中的に記事が書かれたのは2年前の夏にイギリス、オランダにいた時で、その時はかなり体系的に書くようにしました。もし時間があるようなら最近の記事より当時の記事の方が参考になるのではと思うので、このブログは前の方から順に読んでもtらえればと思います。基本的には歴史を研究している大学院生位を対象としたブログです。
by pastandhistories | 2012-04-26 07:07 | Trackback | Comments(0)

社会史と社会運動史

 今日は日曜日でしたが、学生を引率して史料館見学、毎年の行事です。というように忙しくてこのブログもすっかりタイムラグが生じて、3月17日の「再び戦後史学と社会運動史について」というセミナーの記憶もすっかり薄れてしまいました。というところに、当日の録画記録が送られてきました。こうした記録を再確認しながらそれぞれの人が原稿を書いてくれるのではと思いますが、自分として二度ほどの会合で感じたことは、やはり社会「運動」史というコンセプトの意味です。「現在的」には社会運動史と社会史は概念的に区別されているので、会でも社会運動史研究会のメンバーのかなりが(その後の)の社会史という流れを形成するという理解が論じられましたが、この議論にはやや「現在的」なところがあります。というのは1970年代における社会史という言葉の使われ方には、現在と異なるニュアンスがあるからです。
 一つの例をあげると当時かなり話題になったホブズボームの「社会史から社会の歴史へ」という論文では(この論文が発表されたのは社会運動史研究会が発足されたとされる同じ1970年です)、社会史は三つの意味で取り上げられていて、まず第一に「(社会史は)貧しいものたち、つまり下層階級の歴史を指し、貧しいものたちの運動(いわゆる「社会運動」)の歴史を指した。その名称はさらに特殊化されて、労働の歴史や、社会主義者の思想と組織の歴史を指すこともありえた」(『ホブズボーム歴史論』ミネルヴァ書房、102頁)と記されています。
 このホブズボームの主張が正確なものかは議論の対象となりますが、1970年代初めにはまだ社会史と社会運動史には未分化な部分があって、ホブズボームのような人は両者を一体のものとしても捉えていたということです。1970年代の思考の枠組と現在的な理解のありかた、そのあたりのことをどう考えるのかも、社会運動史研究会をめぐる議論の一つのポイントになるような気がします。
by pastandhistories | 2012-04-15 22:58 | Trackback | Comments(0)

Popularizing National Pasts

 なんとなく忙しかった春休みはあっという間に終わってしまい先週は入学式、ガイダンスと立て続けの仕事、今日は明日から授業ということで授業用の本箱整理と新学期の書類書き、せっかく桜が咲いたのでということで4時半からは2時間ほど花見、食後はメールの整理で一日が流れました。
春休みは結局は『戦後史学と社会運動史』にけっこう時間を使いました。今日書類を書いていて、これは「トランスナショナル・カルチュラルヒストリーの今後」というプロジェクトのセミナーから生まれたことに気づき、書類上このタイトルにこれをどう位置づけるのか、困ってしまいました。といっても反響が大きかったのは事実、今年度も一つのテーマとして続けていきますが、どう説明づけたらよいのでしょうか。
 そのことはともかくとして、このブログもプロジェクトの本題であり、3月16日に予定されていたBergerの紹介が止まっていたので、その紹介を今日はしておきます。セミナーで紹介されたのは、以前に送られてきていたPopularizing National Pasts, Routledge( 2012年5月刊行予定)の序文で、Bergerと、Chris Lorenz, Billie Melmanによるものです。本自体はまだ刊行されていませんが、この序文はかなり興味深いものです。一番のポイントは、タイトルに示唆されているように、ナショナルな歴史を一般の人々の視点から捉えていく、具体的には比較史を普通の人々によって行われている文化の相互的な影響・浸透(あるいは反発)といった移動・転移(transfer)からとらえていく視点にたっていることです。たとえばドイツ文化とか日本人の民族性というような視点に立って、つまり文化をナショナルなものとして統合されたものとし比較するのではなく、それを構成する個々の多様な要素がどういうかたちで相互的に影響しあっているのかという点から比較史的な考察は行うべきだという視点に立っていることです。
 この文章でも指摘されていますが、こうした考えはBenedict ZimmermannとMichael Wernerが唱えたhistoire croiseeを継承したものであり、従来の比較史に比べると、国家や国民による差異(これはまさにナショナリスティックな視点によって強調されがちなものですが)よりも、個々の人々の間の文化の共通性や雑種性を重視するものであるといえます。一言でいえば下からの文化的視点に立つ比較史的な考察によって、ナショナルな歴史や歴史のなかに過重にあったナショナルな要素を解体していくということです。
 全体としてhistory culture, historical culture, culture of historyという言葉が繰り返され使用されているように、歴史を広い意味の文化の一翼としてとらえていく、その意味でpopularizing していく、したがってナショナルな歴史や学問的な歴史は相対化される、あるいは歴史という言葉より記憶という言葉をとおして過去認識の問題を論じていく、という現在的な歴史論の流れがこの文章からある程度読み取れるところがあります。もう少し時間をかけてきちんとした文章でこのあたりのことは紹介したいのですが、いずれにしてもこの文章に示唆されることは多く、その意味で今回の企画が実現できなかったことは残念でした。
by pastandhistories | 2012-04-08 21:12 | Trackback | Comments(0)

自らの対象化

 別に健康を害したわけではないのですが、連続セミナーが終わってほっとしたのと、原稿書き、「戦後史学と社会運動史」関連の連絡業務でブログがとまってしまいました。原稿書きは書き下ろしの結論、もうずっと以前に400枚以上を書きあげていますが、結論的部分を書くたびにそれが単独の論文として先に発表されてしまうということの繰り返しで、なかなか書き終わりません。この春休みも結局はいったりきたりで苦戦してしまいました。結論というよりその前の部分ですが、この部分はどんな原稿でも一番難しいところかもしれません。ただそのスピンオフした原稿は2点ほど活字になりました。研究所の『紀要』と『歴史評論』の5月号です。今回もまたかなり問題を提起する形で書いたつもりです。
 「戦後史学と社会運動史」の方は補完的な、興味深い史料が出てきました。おそらくこの資料の内容をめぐっては何人かの人が計画されている書物のなかで論じてくれると思うのでここでは内容的な議論を差し控えますが、本当のところを言うとあまり人に読んでほしくはないところもあります。いちおうは歴史研究者がこんなことを言ってはいけないのでしょうが、歴史の対象となるということは、けっこう不都合な部分もあります。でもそのように自らが対象化されるという経験が、歴史研究をする立場にとって、もっとも重要なことの一つかもしれません。
 このことと関係するかもしれませんが、サイードがこんなことを言っているようです。「その中で専門的に成長し、教育を受ける立場から雇用される立場へ、さらに雇用のなかで昇進する立場へ、経歴の階段をのぼっていくと、ひじょうに意識的に抵抗しない限り、次第に自分を制限され、さまざまな方法で過去の経験から切り離されてしまうことを私は学びました。この過程を強いられることすらあります」(レイモンド・ウィリアムズ『モダニズムの政治学』九州大学出版会、2010、に掲載されているウィリアムズとの対話、227頁)。サイードはこのことを一面的にネガティヴに論じいているわけでなく、その肯定的な要素も論じていますが、社会運動史研究会にもこのことは当てはまるかもしれません。
by pastandhistories | 2012-04-03 18:41 | Trackback | Comments(0)

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