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パーソナルなナラティヴ

 この間このブログへのアクセスがまた増えているようです。多分理由は、『立ちすくむ歴史』を紹介したためでしょう。どのくらい売れるかわかりませんが、読みやすい本ですし、反響を呼ぶに足る内容があることは事実です。
 何度か書きましたが、このブログは書かないとかえってアクセスが増える、アクセスが増えると逆にそのことがプレッシャーになってますます書かなくなるという変な悪循環を繰り返しています。要するに読み手が多少増えると、「書きすくんで」しまうわけです。
 西洋史学会のパーソナルナラティヴの小シンポについても何か書こうと思っていたのですが、書きすくんでいました。問題の整理はわかりやすかったですし、3人の発表も提起された問題を詳細な実証研究によって受け止めることを目指したものでした。ただ自分が感じたことは(おそらく会場のリアクションもそうだったのではと思いますが)、それぞれの発表、戦争期の一般兵士の手紙の集合的分析、地域社会に特定したオーラルヒストリー、さらにはミクロヒストリー的なアプローチが、普通の人々の実際の生活・意識・感情・記憶のあり方への関心に支えられたものであったとしても、そうしたことだけならこれまでの歴史研究においても無視されているわけではないという反論を招きやすいものだったのではということです。つまりあえて言語論やパーソナルナラティヴ論を持ち出すまでもないという批判です。
 こうした批判に答える力は少し弱かったかなというのが正直な自分の印象です。おそらくそのことは、今後の研究の方向性を現実の実証研究を借りて理論的に提示しようとした長谷川さんと、自分の関心から個別的な実証的研究を進めてきた報告者との間のズレから生じたものでしょう。
 それからこれはかなり議論としてはずれますが、日本文学の中で根強く継承されている私小説的手法は、パーソナルなナラティヴであるともいえるわけです(もっともその多くは基本的にはエリート主義的な自己認識・表現であって、歴史研究としてのパーソナルナラティヴの目指しているものとは、むしろ背反する側面もあります)。そうしたことを考えるなら、これもさらに議論が飛躍することになるかもしれませんが、文字的なものではなく、映像的な表現のなかにあるパーソナルなナラティヴなどを歴史研究の中で考えていくとよいかもしれません。でもこうした問題を「学会」で議論するのにはまだ相当な時間がかかりそうな気がします。
 今日は前半と後半に飛躍があって、なんの説得力のない文章で申しわけありません。もう少し「すくんでいる」時間が必要であったのかもしれません。
by pastandhistories | 2012-05-31 10:25 | Trackback | Comments(0)

立ちすくむ歴史

 おととい『立ちすくむ歴史』(せりか書房)が送られてきました。『歴史とは何か』から50年ということで、喜安朗さん、成田龍一さん、岩崎稔さんが行った鼎談を書物にしたものです。
 このブログは基本的には日本で出された本の紹介はあまりしていませんが(書評的なブログやツイッターは多くありますし、また大所・高所からの批評のようなことはあまり好まないからです)、いずれの方もこの間のプロジェクトに報告者として参加してもらった人ですので、やはり多少のコメントはしておこうと思います。
 多くの読者がそう思うでしょうが、歴史研究の流れについての理解として随分と参考になります。とくに印象が深いのは、理論的な理解を自己目的化せず、実際の書き手として喜安さんや成田さんがどのようなことを問題としてきたのかが、議論の軸となっていることです。それが言語論的な議論を受け止めるかたちで展開されています。
 重要なことは、繰り返すことになりますが、いつの間にか自分がその紹介者に数えられるようになってしまった言語論的な議論が、「具体的な歴史叙述」との関係で論じられていること。西洋史学会で長谷川貴彦さんがオーガナイズした小シンポジウムや自分が『歴史評論』に書いた文章と重なる部分があります。これらがほぼ同じ時期に重なったことに、批判を含めて多少の反響が生じるなら、さらには今後の歴史研究・叙述に生かされていくならそれは嬉しいですね。他にもホワイトの議論の整理、通史についての問題の整理などもわかりやく論じられています。それから「社会運動史研究会」にも議論は及んでいます。
 来週の6月3日(日)はその社会運動史研究会についての公開セミナーを行います。 
by pastandhistories | 2012-05-26 12:50 | Trackback | Comments(0)

chronozoom

AAWHの会で一定の役割を果たしていたのは、以前もWHA(Word History Association)に関して紹介したことのあるbig history論。その理由は、歴史教育論にも重点を置いているWHAとAAWHのメンバーに重複があるためのようです。今回の会でも、基調報告に先立って Big History Assiciation の David Christian (Macquarie University、開催地の梨花女子大校でも教えているようです) が挨拶し、また三つの基調報告の一つである李ソウル大学名誉教授(現在の肩書はNational Institute of Korean Historyの会長となっていました)の報告も宇宙的現象(隕石の落下など)に伴う気候的変化(天変地異)が16世紀から18世紀前半にかけての社会的な変動の一因であるというものでした。Big Historyで行われている議論に共通性を持たせた議論です。報告はそれなりのデータを背景とはしたものでしたが、それなりの地位にある歴史研究者がこうした報告を行なったということで、日本との違いにやや驚きはありました。
大会でのBig History論のセッションは、二日目の午後の最後の会。参加者は10名少し、日本からの参加者はいないのでは思っていたのですが、意外な人とここで会うことになって食事をすることになりました(このブログのルールとして、海外で日本人の誰とあったかはあまり記さないようにしています)。そのことはともかくとして会ではChristian, それから以前WHAでの報告を紹介したことのある Craig Benjamin がbig history の推進者として発言し、それに対して梨花女子大校の金教授と、北京師範大学の孫教授が、それぞれアジアでのbig history論の現状を、とりわけ孫教授は中国ではほとんど受け入れられていないということを報告しました。議論となったことは、たとえば人類誕生以前の地球の歴史なら自然科学的知識として高校生や大学生に教えられていて、その意味では人文学としての歴史とは教育の場では区別されてきたわけで、その両者を接合して歴史として教育の場でもあるいは学問的に一元化することの意味です。以前も書きましたが、この問題をどういうかたちで理論的に整理できるかが、コズミックな人間観、あるいは長期持続とか環境史・気候史などといったもの関係なども含めて、今後の big history 論の課題になっていくような気がします。
 なおこの会議に関してもう一つ紹介しておきたいことは、最後に行われたレーン・ジョンソンという女性の報告。MSNのスタッフとしてインターネットで ChronoZoom というプロジェクトを推進している人によるそのサイトのプレゼンテーションです。宇宙の始まりからの膨大な年代記。コンセプトはネットの特性を生かして、どんな時代にも瞬時的にアプローチでき、かつクリックひとつで、マクロ的な説明も、ミクロ的な事実・関連資料にもアクセスしていけるというものです。今年の3月中旬にひとまず完成したということです。確認したらネットも紹介され始めているようですが、なんといってもまだ英語が中心(当然翻訳プロジェクトもあるようです)。膨大な量のデータを英語では読み切れないというのが、日本人のネットサーファーの正直な反響のようです。学校教育の補助的なものとして作成されたという面があるようですが、その意味でも日本で教育の現場で使用するのは難しそうです。しかし、英語圏では歴史教育の材料としてそれなりに便利で、かなり影響を持つのではないかと予想させるところがあります。
 紹介を受けて思ったjことは、膨大な過去に瞬時的にマクロ的にもミクロ的にも関心に応じてアクセスできるという利点です。過去への随意的なランダムアクセスです。しかし他方ではタイトルにも示されているように、クロノロジカルな過去認識を整序的なものとしてますます画一的なものとして促進していくという面もあります。このプロジェクトそのものがどの程度オーディアンスを獲得していくかはまだわかりませんが、予想されることは、登場以来情報認識のかたちを変化させたように、ネット空間は人々の歴史認識のかたちもまた大きく変えていくということです。ネット空間が作り出しているのは、研究の便益さの向上だけではありません。
by pastandhistories | 2012-05-13 10:20 | Trackback | Comments(0)

二つの会の予定

 連休といっても今の大学は前半は休みの日でも授業。後半の4日間だけが休みでしたが、多少は時間ができてブログにも久しぶりに続けて記事を書きました。もっとも来週からは休みなしの授業、土日もほぼ予定が入ってきます。色々の会合がありますが、自分にとって大きな出来事は6月3日に予定されている会合。昨年やった「戦後史学と社会運動史」の第3弾として「社会運動史の時代」という公開シンポジウムを13時~17時半の予定で行います。これは現在同じテーマで計画されている論文集ともタイアップした企画で、自分で言うのはとも思いますが、かなり期待できる内容ではと思います。この日に企画されたのは前日の東外大での二宮シンポに合わせたから。重なる出席者もいますが、歴史理論について関心のある人が参加していただければと思います。少し気になっているのは広い部屋が今の段階では取れていないこと、反応が大きいようならそのあたりの調整が必要かもしれません。
 また今年のプロジェクト(「トランスナショナル/カルチュラルヒストリーの今後」)での招聘講演の日程もほぼ固まり始めました。来日の確約はすでに昨年してもらい、今年初めに本人と直接会って了解をえました。それなりの反響を呼ぶことのできる研究者だと考えています。講演の日程はほぼ10月14 日(日)になりそうなので、関心のある人は予定を空けておいてください。6月の会が終わったら十分な準備に入って、内容を充実したものにしていければと思います。その前に一、二度小さな会をしたいのですが、こうしたテーマについて報告してくれる人がいると助かるのですが。
by pastandhistories | 2012-05-06 16:35 | Trackback | Comments(0)

シンクロニカルな結合と歴史

  globalization という言葉が一般的なものとなった理由は簡単です。人々の間に世界的(地球的)な同質性が進行したからです。食べているものや、着ている服、まったく同じではないにしてもそうしたものの均質化が進んでいるのは確かです。
 しかし、その意味合いは変化しています。明治の初期であれば豚カツを食べることは civilization あるいはは modernization であったわけですが、現在ではスターバックでコーヒーを飲んでも、それは modernization でも、もちろん civilization でもありません。あるいはもはや westernization とも呼びえないでしょう。人々の日常の行動形態において、グローバルな同質化を示す現象の一つと考えた方がよいからです。コーヒーを飲むという行為がグローバルなコミュニケーションの拡大によって生じた文化的なフュージョンから生み出されたものであることに代表的なように、そうした同質化はきわめてentangled なフュージョンによって進行しています。
 重要なことは、今の世界ではそうした人々のシンクロニカルな同質化・結びつきがきわめて強いということです。同時にそれは entangled なものであるということです。ナショナルヒストリーがそうであったように、歴史はシンクロニカルな共同性(commonality)を過去に遡行させていく(そうした点で過去の実在とは大きく乖離しているということが自分の最近書いてきたこです)という面があるわけですが、だとすると現在のグローバルなシンクロニシティを前提にどのような歴史が可能なのか、あるいは必要なのかということを考えていくことが、歴史研究の現在的な重要なテーマのような気がします。
 グローバルな均質化が進行しているがゆえに、逆に自らの政治的統一体のアイデンティフィケーションのためにナショナルヒストリーを維持していこうとする流れがむしろ保守的な立場から強固化しているのは世界的にみられる現象でしょうが、そこにはかなりの無理があります。しかし、シンクロニカルな結合がグローバルな規模で進んだ世界で、それを単位としてダイアクロニカルに過去に遡行し、過去を意味あるものとして現在と結びつけるというのは、本当はそれ以上に困難な課題かもしれません。
by pastandhistories | 2012-05-04 09:15 | Trackback | Comments(0)

proto-modernities

久しぶりに続けて書きます。昨日書いたmodernity,modernitiesに関して、アイゼンシュタットなどが論じたとされる multiple modernities という単語をネットで検索したら、6万件以上のヒットがありました。かなり一般化しているようです。
 AAWHでもいくつかのセッションでこの言葉は引用されていて、日本の研究者にとってもかなりなじんでいるという感じがしました。しかし少し気になったことは、中国・韓国・日本を素材としながら、modernities がアジアにも存在しているという議論が行われていたことです。
 もちろんこうした議論は、かつてのようなアジアで日本だけが(先行的に)近代化したというような、学問的にも一般的にもナショナリスティックな思考を支えた議論よりかは多少前進したものですが、批判的にいえば中国も韓国も経済的には日本と同様の、それ以上の地位を占めるようななったという議論を前提とした、現状追認的な、別の言い方をすればかつての日本特殊論を(北) 東アジアに拡大した議論であるということもできるような気がします。つまり近代化論的な発展段階論と問題意識においてさほど変わりのない議論であるということもできます。
multiple modernities ということを議論するときに重要なのは、もっと幅の広いパースぺクティヴです。現在の世界においては、 modenity は別に欧米や北東アジアだけではなく、インドにも、タイにも、ヴェトナムにも、マレーシアにも存在している、もちろん南米や中東、さらにはアフリカにも存在しているという思考です。だからplural modernities というだけではなく、multiple modernities なわけです。
 こうした立論が生み出したものは、近代社会の諸制度や文化価値、資本主義といったものを、欧米に起源をもちそれが拡大・普遍化していったものととらえるのではなく(日本の西洋史研究の一つの大きな根拠だったわけですが)、現在の modernities の根拠をそれぞれの地域に歴史的に存在していたものに求めるという思考です。いってみれば多様なかたちであった proto-modernities の探索。東アジアにおける現在の経済発展の根拠を儒教的倫理に求めるといったような議論です(資本主義の根拠をプロテスタンティズムに求めるよりはるかに「合理的」な議論のような気もしますが)。
 こうした議論の問題は、一時期議論された江戸ルネサンス論のようにナショナリスティックな議論と交差しやすいことです。日本の近代化の根拠を江戸時代に求める議論は、明治以降の日本の政治支配をイデオロギー的に支えた江戸=封建論への批判としては妥当なものですが、ミイラ取りがミイラになる、同時にそうした近代以後の支配的イデオロギーと同じナショナリスティクな土壌に立ちやすいという問題です。
 多分この問題は、世界的にもかなり普遍的な問題なのではと思います。しかし modernization論に基づく linear narative から modernities 論にもとづく、multiple narratives に向かっていることは、それ自体としては評価してよいのではと思います。
by pastandhistories | 2012-05-03 14:56 | Trackback | Comments(0)

modernity,modernities

 このブログはもともと海外滞在中に書き始められたもの。ということで、AAWH(the Asian Association of World Historians)でソウルに滞在していた4月26日から4月29日にはまた多少の時間を利用して記事を書けると思ったのですが、ホテル事情で断念。据え付けのパソコンはあったのですが日本語入力に戸惑い、またLANの差し込み口が隠されていて持参したパソコンも使用できませんでした。
 会議そのものは2009年の前回会議が大阪大学で開催されたのに続いて二度目、テーマはGlobal Exchange Network of Asia: Alternative Modernities in Asiaというものでした。このブログトは自分の人とは異なる考え方や、あまり知られていない情報を伝えるということに多少の力点が置かれているので、その意味では日本から50人を超える報告者・参加者があった今回の大会をここで紹介する必要はあまりないかもしれません。ただ会に参加してあらためて思ったこともあるので、そうしたことを連休を利用しながら連続的に書いていこうと思います。
 その前提として一言。スポーツの解説を聞いていて、用いられる言葉の混乱を感ずることがあります。たとえば野球の解説。ピッチャーの投げる球種の説明についての混乱です。ストレート、スライダー、シンカーあるいはカーブ、ドロップというのは実際のボールの軌跡のこと、これに対してフォーク、スピリット・フィンガー、ナックル、パームというのはボールの握り方の説明です。最近用いられるツーシーム、フォーシームは縫い目への指の掛け方です。ファーストボール、スローボールは球の速さを示します。しかし実際にはこれらが重なりあったり、他とは区別される独自なものを示すものとして使用されている場合もあります。
 同じような問題は今回の会議でも感じました。たとえばmodernizationとglobalization。前者は中世から自らを区分することによって一般化し、とりわけ19世紀以降の時代意識を作り上げたもの、後者は1970~1980年代から急速に世界的に一般化し、現在では多くの人の意識の中に一般化していますが、前者は本来は時間的な区分であるのに対して後者は空間的なことがらを示すものです。
 しかし、最近ではmodernizationに代わって(?)、globalizationという言葉がむしろ一般化しています。何人かの人が指摘していましたが、その大きな理由は、modernizationという言葉が発展の時間的なズレを示すもの(ロストウの議論はその代表例です)であったのに対して、globalizationという言葉は空間的な同一性を示すという点で、現在の世界を示すのにより適合的だと考えられるようになっているからです。またmodernizationよりもglobalizationという視点が強調されるようになっているもう一つの理由は、前者が単一の、その意味では普遍的な(そしてヨーロッパ中心的な)modernityを措定し、そうした方向への(時間的ずれはあるにしても)共通の進歩をイメージしたものであるのに対して、(批判的な意味での)globalizationという考えは、同一の空間の中に多様なmodernitiesを想定しているからです。
 こうしたmodernityとmodernitiesの問題、試論的にですが、明日からもう少し書いていきます。うまく説明できなければ、削除すればよいだけですから。
by pastandhistories | 2012-05-02 12:31 | Trackback | Comments(0)

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