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教科書のアジア

 「は」「が」と「では」というテーマでいくつか試みに書いてみました。ややこしい部分があって説得力があるかは疑問ですが、最後に同じ主題で欧米が進出した時期のアジアについての記述に触れます。
 結論的に言うと、ここでは(歴史的事実といえばそれまでですが)圧倒的に欧米が主語として、アジアは動作を受ける客体として説明されています。また意外なことに、必ずしも一貫してはいませんがアジアは基本的には現在の国家を単位として書かれています。
 具体的な例をとると、まず176頁には「インドシナ半島では」という文章につづいて「南北に分裂していたベトナムでは」「ミャンマーでは」「タイでは」というかたちでそれぞれの地域の流れが説明され、文章は「19世紀の初めには、今日のインドシナ半島の諸国家に大体かさなる形で国家の枠ぐみが定まってくる」と結ばれています。今ある国家を単位として過去は説明されています。
 また主語を欧米とする記述は、266~269頁に典型的で、「オランダはジャワ島の大半を直接支配下においた」「ベトナムにはフランスが介入した」「「ベトナムの植民地化に成功したフランスは、カンボジアとあわせてフランス領インドシナ連邦を成立させ、ラオスも編入した」と記されています。もっともこの部分は「東南アジアの植民地化」という部分であって、これに対する自立の動きを示した「東南アジアでの民族運動の形成と挫折」(295~297頁)では、「いずれの地域においても植民地支配に抵抗する運動が見られた」という文章を受けて、「フィリピンでは」「ベトナムでは」として各地域の状況が記されています。こうした説明形式はやや後の「東南アジアでの民族運動の展開」(318頁)でも踏襲されていて、「フランスが統治するインドシナでは」「アメリカが統治するフィリピンでは」という文章がもちいられています。
 興味深いのは、前述の文章の少し前の「インド」についての叙述です(316頁)。イギリスの統治期ですから主語は「イギリスは」「イギリスが」ですが、これに対して「インド」の側は「インド人」という言葉が頻用され、さらに「インド民衆」「全インド的な民衆運動」という言葉が使用されています。長くなるのでこれ以上書きませんが、教科書で「インド」が古代からどのようなものとして記されているのかは興味深いところがあります。しかし言えることは、言語、民族、文化の多様な構成にも関わらず、高校生が教科書を読むと「インド」は超歴史的な実体として存在し続けてきたというイメージを持つだろうということです。
 前回も断ったように、こうした議論は一冊の本を通して論じるような大きな問題ですし、教科書執筆者はこうした問題を十分前提としたうえで、与えられた制約の上で教科書を執筆しているわけで、一面的な批判は避けるべきでしょう。それでもこうした教科書の叙述にもとづく歴史教育が、そしてそれを受けたセンター入試問題に典型的な画一的思考の強制が、日本の社会にある偏った歴史認識の形成にある程度の役割を果たしていることに、歴史研究者はもう少し批判的であってよいのではと自分は考えています。
by pastandhistories | 2012-06-24 11:00 | Trackback | Comments(0)

ロシアでは、ロシアは

 ここで書くようなことは、本来一冊の本のテーマとしてすべての教科書全部を点検して丁寧に書くべきことです。また教科書執筆には一定の制約があるわけで、その意味では執筆者を批判するという意図でこの文章は書かれているわけでもありませんが、『詳説世界史』(山川出版社)を例に挙げると、「ロシア」という言葉が世界史教科書に最初に登場するのは、ノルマン人の移動に関してです。全文引用ではありませんが「(ルーシ)は、スラヴ人地域に進出、9世紀にノヴゴロド国を、ついでキエフ公国を建設し、これがロシアの始まりとなった」(135頁)という文章です。ルーシがその呼称の由来はともかくとして本当にノルマン起源かは論争の対象ですが、ルーシと呼ばれる人たちが建国したとされるキエフ公国は後代の呼称であって、史料的にはルーシが当時の呼称であって、キエフを首都としていた国家です。
その次に「ロシア」が出てくるのは140頁から141頁にかけて、すでに引用した文章と重なる部分もありますが「ドニエプル川中流域に展開した東スラヴ人(ロシア人、ウクライナ人など)が住むロシアでは、9世紀にスウェーデン系ノルマン人がノヴゴロド国、ついでキエフ公国を建国、まもなく先住民に同化してスラヴ化した。10世紀末、ウラディミル1世は・・ギリシア正教に改宗しビザンツ風の専制政治をまねたので、以後ロシアは西欧とは別の文化圏に入ることになった」という記述です。この頁のやや後にはいわゆる「タタールのくびき」後のモスクワ大公国の勢力拡大が、イヴァン3世、イヴァン4世の統治などを紹介するかたちで説明されています。
実はこの記述は、202頁では「ロシアでは、16世紀にイヴァン4世が貴族を抑えて専制政治の基礎を固めた」という文章で受けられていて、さらに同じように210頁で「ロシアでは、17世紀に・・・帝位を継いだピョートル大帝が・・改革をすすめた・・ロシアは東方の大国としての地位を固め、ヨーロッパの強国の一翼をになうようになった」と述べられています。つまり16世紀と17世紀に関してはロシアではと記されていて、最後の部分でロシアはという記述になっています(おそらく1721年のロシア帝国の成立以降、ロシアはという主語的表現を使用するということでしょう)。
このように「ロシアでは」とか「ロシアは」と記されているわけですからロシアという実体があったということなのですが、それが国家を示しているのか、場所なのか、それとも民族的な共同体、あるいは超歴史的な実体なのかは、こうした記述ではよくわかりません。少なくとも10世紀以前にルーシ(キエフ公国)があったとしても、それはモスクワ大公国やロマノフ朝(ロシア)とは場所的に異なるものです。現在の国家で言えばキエフ公国と位置的に近いウクライナは、17世紀末の分割まではポーランド・リトアニアに属していたわけで、その後ロシア帝国に併合されたとはいっても、第一次大戦後は独立し、その後はロシア(ソヴィエト連邦社会主義講和国)とともに連邦国家の一員としてソヴィエト連邦(ロシア連邦ではありません)を形成し、現在は独立国家であり、言語的にも現在のロシアとは異なる社会です。
 だとするなら「9世紀に現在のウクライナの首都であるキエフにキエフ公国(当時はルーシと呼ばれた)が建国された」と書くのがより正確ではないかと思いますが、教科書にはそう書かれていません。このことと関連しますが、実はウクライナは『詳説世界史』ではソ連の形成と解体に関して登場するだけです(304頁、363頁)。
 あらためて書くと、このようなかたちで教科書に書かれているロシアは今のロシア国家ではない(ウクライナは含まれていません)のだとすると、一体どんなロシアなのでしょうか。もし18世紀に成立したロシア帝国をなぞらえたものだとしたら、「帝国」時代を本質的な実体として超歴史的に措定しているという点できわめてエッセンシャリスト的な、かつ保守的(さらには帝国主義的)な議論です。誰が書いたのかはわかりませんが、今回の記事を書くにあたってウィキペディアの「キエフ大公国」を確認したら「国民国家史観を中心とした研究史においては、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの三国の共通の祖国とされる。」と書かれていて、「教科書」と「ウィキペディア」の意外な違いに気づかされました。
by pastandhistories | 2012-06-23 22:41 | Trackback | Comments(0)

疑問

20年前ほどになりますが突然韓国出張を命じられ、4日間で8大学(校)を訪問し、帰国後報告書を作成し、うち2校と交流計画を締結しました。韓国語の話せる同僚と二人で行き交渉は基本的には英語で、しかし一部の大学の学長クラスは年齢的に日本語が話せるということで、日本語でも行いました。言語能力は政治的関係のなかで構築されたもので、必ずしも本質的なもの(essential)として備わっているわけではないということです。日本人の英語(その他の外国語能力)もまたそうしたもの。近代以降構築されてきた文化的な、あるいはインテレクチュアルラダーのどの位置に自らがいるのかをしばしば示します。
 構築主義的な議論を明確に提示し、ナショナリティが必ずしも社会や地域に本質的なものとして存在しているわけではないと論じたベネディクト・アンダーソンとホブズボームに共通しているのは、イギリス帝国の影響下にあった地域で過ごしたという経験。そうした地域に支配的な文化や言語の構築性を認識することを通して、彼らは自らの社会を構成する諸要素の構築性をも論じるにいたりました。
 昨日は人と会う予定が入ってしまい続きを書けませんでしたが、おととい例にあげた教科書の主語の問題に話を戻すと、下線で示したところからもわかるように、「は」「が」の前に置かれ主語となっているのは、国王を含む有力者、王朝、有力な社会層、戦争を含む事件、制度、そしてイギリス、フランスという国名(?)などとなります(これだけでも教科書の叙述はきわめて偏ったものであり、批判的に言えば「国民」の歴史意識に悪影響を与えていることがわかります)。そして「では」の前にあるのはイギリス、フランスとなります。しかしフランスについてはわからないこともないのですが、このイギリス「では」のイギリスとは何のことなのでしょうか。イングランドという国名の別表記なのか、ブリテン島のことか(だとするとウェールズ、スコットランドを含むのか)、それとも超歴史的な実体としてあるイギリスなのかという問題です。これは教科書に(そうした名称の近代国民国家が形成される以前から)しばしば登場する「イタリア」とか、「ドイツ」についてもいえることです。特定の地域なのか、民族的なあるいは言語的な共同性なのか、よくわかりません。それ以上に疑問に思うことは、おそらくは教科書を執筆している研究者の多くは、「国家主義者」ではなく、おそらくはアンダーソンやホブズボームの構築主義的な議論のほうがより科学的な分析視角だという立場に立っていると思われることです。にもかかわらず教科書とはいえ、なぜこうしたエッセンシャリスト的な叙述をするのか本当に不思議です(影響力の大きい教科書であるからこそ、きちんとした批判的な問題意識が重要でしょう)。
 こうした問題は教科書にあるロシアを例にとるとよくわかるところがあります。その点については、記事をあらためて書いていきます。
by pastandhistories | 2012-06-21 10:49 | Trackback | Comments(0)

「は」「が」と「では」

 久しぶりに個人的なことを書くと、自分の本籍があるのは神保町。父親が少年時代に過ごした町だからです。父親には神保町周辺への愛着があって、死を覚悟して最後に入院したのが日大病院、 本郷に住むようになってからもよく「人生劇場」にタクシーで通っていました(神保町で過ごした人は、「人生劇場」のことは知っていると思います)。
 ということで自分も神保町には愛着があります。学生時代は本当に歩きました。神保町で買わないと「本」という気がしない。知的な感じがしない、そんな感じです。残念ながら最近はあまり通っていません。職場は近いけど、目が悪くなって本棚の本を追うのが結構大変で時間がかかってしまう。それでも時々立ち寄った時には店先の均一価格の本を何気なく買うことがあります。
 クリストファ・バーナード『南京虐殺は「おこったのか」:高校教科書への言語学的批判』筑摩書房、1998年は随分以前にそうしたかたちで購入した本。主タイトルだけだと修正主義的な議論だと錯覚してしまいますが、実際にはサブタイトルにあるような視点から、日本の歴史教科書についてのテキスト分析を行った本で、参考になる部分があります。
 おとといあった高校生向けの公開授業で話をしたのは、こうした歴史教科書についてのテキスト分析です。歴史の問題を考えるのには、実際に使っている教科書を例をするのがよいと思ったからです。例として取り上げたのはもっと使用頻度のある『詳説世界史』山川出版社、2008年、その百年戦争についての以下のような記述などを例にして説明しました。
「フランス国王毛織物産地として重要なフランドル地方を直接支配下におこうとしたが、この地方に羊毛を輸出して利益をあげていたイギリス国王、フランスこの地方に勢力を伸ばすのを阻止しようとした。カペー朝断絶してヴァロア朝たつと、イギリス国王エドワード3世、母がカペー家出身であることからフランス王位継承権を主張し、これをきっかけに両国のあいだに百年戦争はじまった。」(152頁)
「戦争フランスの勝利に終わった。この長期の戦争のためにフランスでは諸侯・騎士没落し、シャルル7世大商人と結んで財政をたて直し、常備軍を設置したので、中央集権化ますます進展した。一方、戦後のイギリスではランカスター・ヨーク両家による王位継承の内乱おこった。これをバラ戦争という。イギリスの諸侯・騎士両派にわかれて激しくたたかったが、その結果彼ら没落した。結局内乱をおさめたランカスター派のヘンリ7世1485年に即位し、テューダー朝をひらいた。彼星室庁裁判所をおいて王権に反抗するものを処刑し、絶対王政に道を開いた。」(153頁)
  問題としたのは、下線の「は」とか「が」を受けている主語の問題、教科書では何が歴史の主語(動作主体)として扱われているのかということです。もう一つは「では」で受けられている空間の問題。テーマとしては大きすぎて本1冊でも書ききれないようなことが含まれていますが、どんなことを話したのかを、明日から多少時間ができるので、ここで少し書いていくつもりです。 
by pastandhistories | 2012-06-19 14:29 | Trackback | Comments(0)

コンテクスト的理解

 アナクロニズムという言葉は、歴史学では通常は現代的な基準を過去に過剰に持ち込むことへの批判として、否定的な意味合いで使用されます。しかしアナクロニズムにはもう一つの意味があって、現代においてもなお過去の価値に固執することへの批判としても使用されます。
 前者的な立場から歴史にかんしてしばしば論じられることは、過去を内在的に捉えるという視点です。別の言い方をすればコンテクストに即して過去の人々のあり方や考え方を理解していくということです。
 その通りといえばその通りですが、こうした議論に立つと織田信長の比叡山焼き打ちのような残虐な行為はあまり批判されなくなります。織田信長がナショナルヒストリーにおけるgreat manであり続けているのはこのためでしょう。織田信長ばかりでなくこうしたコンテクスト的理解は、多くの国におけるナショナルヒストリーの重要な要素となっています。さらに言えばヨーロッパの世界的な進出を肯定するものとしてもコンテクスト的理解は便利です。コロンブスをはじめとする多くのgreatmenがこうした歴史の中では役割を与え続けられてきました。
 コンテクスト的理解にとって重要なことは、コンテクストそのものへの批判性です。16世紀のヨーロッパの進出への批判的視点を持てば、当然コロンブスは批判の対象となります。戦国時代も当然そうです。あれだけの殺戮と暴力的支配が一般化していた時代に批判的なことは、別にアナクロニズムとして批判されるようなことではありません。当然の歴史理解のあり方です。白土三平は『カムイ伝』や『忍者武芸帳』という漫画をとおして、過去の時代に内在するかたちで、殺戮と暴力的支配を批判しました。
 それ以上にコンテクスト的理解にとって重要なことは、現在の自らを規定するコンテクストに対しての批判を留保し続けることです。何度かここでも書きましたが、これほど問題のある事態が生じても批判らしい批判がきちんと語られることのない大学で行われている研究が、学生が自由にビラをまき議論をしていた40年前の大学における学問より単純に進化したものだと考えられるとしたら、それは現在的なコンテクストに対する批判的意識をあまりに欠落させているといえるかもしれません。
by pastandhistories | 2012-06-10 21:57 | Trackback | Comments(0)

暴力と抵抗

 「『社会運動史』の時代」が終わりました。ポスターに入っていなかった人も含めて総勢17人が報告、現在の段階では18人が執筆予定者ですから、それぞれ忙しい時期によくこれだけのメンバーが集まったと思います。おそらくその理由は前日の二宮シンポに日程を合わせたため、どうせだから2日つづけて参加しようということになったのでしょう。自分の知らない地方からの参加者がいたのもそのためでしょう。もっともそのせいかさすがに疲れ気味、二次会には参加せずそうそうと帰った人も少なくありませんでした。
 会の成果としては、旧メンバーに関してはそれぞれの過去と(今の)考え方の差異がかなりはっきりとでたことです。シンポジウムにまとまりを与えるためには事前に全体的な会合をして報告内容を調整し、それから公開の会をした方がよかったのかもしれませんが、報告が多様であったjことが、逆に「社会運動史研究会」というものの性格を浮き彫りにできたところがありました。またなによりも収穫は、それぞれの今回の企画へのイメージがお互いに多少は理解できたことです。原稿執筆に生かされていくと思います。
 「歴史」としては非メンバーの人の発言の方が整理されていて、面白かったかもしれません。過去そのものより歴史の方が整序化されていて理解しやすいいという逆説です。何人かの人の発言にありましたが、歴史という暴力の力強さ、そして論理性です。その逆説に対していかに「死者の権利」を回復するのかが現在の歴史を巡る議論で問われていることの一つ。その意味では「死にぞこないの抵抗」を示すことにも多少の意味があったのではと自分は考えました。
 会で確認できたことの一つは、「政治」を捨象することによって、むしろ社会が(異論があるかもしれませんが権力関係)がより可視的になるという問題。政治・経済史から社会史へという学問的変化はそうした流れから生じたもので、そのはざまに社会運動史というアイディアがあったということです。そのことが一部の参加者の発言から見えてきた部分がありました。
 ただここから先は本当は難しいですね。自分には政治に回帰して(あるいは権力論を軸にして)こうした問題を考えていきたいということが、つねに個人的にはあるのですが。 
by pastandhistories | 2012-06-04 06:27 | Trackback | Comments(0)

土曜日

 昨日は東京外語大学での二宮さんをめぐるシンポジウムだったわけですが、こちらは卒業論文発表会で残念ながら参加できず。と思ったら今日は6月30日(土)に中野忠さんが報告する会を行うということがイギリス史研究会から来ました。これも所属する大学の学会(白山史学会)の大会日でバッティング。さらに7月7日(土)には基本的には毎回参加ししている歴史知研究会がありますが、これも大学院入学希望者説明会と重なってアウトです。この日はこれ以外にもいくつかの会合の連絡がありましたがすべて参加できません。
 ということで最近は土曜日に日程が詰まります。どの大学でもそうだと思いますが、学期中の授業コマ数が厳密化して休みが短縮され予定がなかなか取れない。学期中の土曜日に会が集中してしまいます。
 イギリス史研究会の連絡でそのことが告知されましたのでここでも記しますが、今年のプロジェクトで招聘が予定されているのは、ピーター・バークです。すでに飛行機の便も確定していて、来日に合わせて新しいペーパーを3点(1点は関西での報告に使用します)用意してくれるようです。こちらでは10月14日(日)。10月20日(土)の青山学院大学での会と調整しながら内容を詰めていく予定です。教室の都合もあったので、あえて土曜日を外して日曜日に日程を組みました。招聘はそれが実現するまで本当に気を遣いますが、バークからは先週ポスター用にということで写真が送られてきました。来日は久しぶり(前回は20年ほど前)ということですが、その後の彼の活躍は周知のとおりですし、またそれらの翻訳も相次いで出ているので、それなりの反響はあるのではと思います。なぜ自分がピーター・バークを招聘するのかということの意味は、副題が「言語論的転回から文化史へ」という『歴史評論』の原稿で少し書いておきました。とにかく無事に実現してくれればと考えています。
 今日の午後はいよいよ「『社会運動史』の時代」という会。予定報告者は総勢14名、さらにポスター作成の時は日程が確認できなかった人も何人か参加するので、大変な会になりそうです。基本的には予定されている論文集を方向付けるために開くものです。会場から出された意見が原稿執筆の参考になることを期待しています。昨晩はその準備のために懇親会を中座して帰宅し、配布する予定の資料を整理しました。今日は午前中が打ち合わせ、昼は実際の会、夜はまた打ち合わせとなるでしょう。しかし、この仕事は今日で一段落、明日からはやっと他のことに時間が使えそうです。もっとも次は招聘の準備や打ち合わせ、それから書類書きなどの仕事が入ります。
 いずれの会合もこれからの歴史研究に多少の意味を生むものであれば、多少忙しくてもそのことはあまり気になりません。
by pastandhistories | 2012-06-03 05:20 | Trackback | Comments(0)

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