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グローバルな視点から見たグローバルヒストリー

 授業は終わりましたが(というより終わったので)無茶苦茶時間に追われています。最大の理由は、論文集の点検・整理、論文集の最後の詰めです。夏休みいっぱい時間をかけてもいいけど、夏の間にできればもう一冊も終えてしまいたいし、横文字も準備したいということで、連日追われています。これに加えて『戦後史学と社会運動史』の準備、昨日メインな文章を書く予定の一人の人から、ほぼ原稿を準備し終えたという電話がありました。この件については明日編集者が集まる予定です。夏に入ればかなり進捗していきそうな感じで、そちらも少し時間をとられることになりそうです。
 という感じでここでなかなかまとまったことを考えたり、書く時間がありませんが、相変わらずのアクセス。というより少し増えている感じ。レポートや試験の時期なので、学生が参考に見ているのかもしれませんが、正直言ってこのブログを参考にしてレポートを書いても、教師にもよりますが、よい成績はもらえないでしょう。そうしたかたちでは利用しない方が無難です。
 忙しさに紛れて書きそびれたことが貯まりがちですが、アジア世界史学会について話を戻すと、この時に出たセッションの一つが、ドミニク・ザクセンマイヤーが昨年出した新著Global Perspectives on Global History, Cambridge Univ. Press, をめぐるものです。コメンテイターを除くと参加者は自分も含めて僅か6人、同じ内容で4月にグラスゴーのヨーロッパ科学・歴史会議(European Social Science History Conference)で行ったときは65人集まったそうですが、やや淋しい会でした。
 ザクセンマイヤーは2005年のシドニーの国際歴史会議で、自分の書いた原稿を手渡したところ、その日に読んで翌日にすぐに感想を伝えてくれて時以来、色々な会で同席しました。ドイツの出身で、以前はデューク大学でしたが、今年からドイツのブレーメンに移ったようです。北京の世界史学会の時の記事で紹介したように、中国語が完璧、新しい本もアメリカ、ドイツ、中国のそれぞれの歴史研究の流れを、グローバルヒストリーに焦点をあてながらバランスよく説明したものです。
 基本的な議論の内容は、結局のところグローバルヒストリー論も、それぞれの国際的地位を反映した歴史研究の流れや、それを支えるnational institutionに基づくものだというものですが、もう一つ彼が強調していることは、歴史研究そのものの国際的な枠組みも、欧米中心のハイアラーキーが厳然として存在しているということです。アジアやその他の地域の歴史研究は、コンピーティティヴな国際的な歴史学の世界では従属的な地位に置かれているという指摘です。
 以前ベッカートもこうした議論をしていることを紹介したことがありますが、当然すぎる議論です。グローバル化といっても、欧米化に一面化されるべきではもちろんない。その意味では日本の歴史研究者は、日本史研究者であれば漢文史料は必須なわけですし、また歴史的・地理的からいっても欧米研究者でも中国語がこなせれば随分と研究への視点がグローバルなものとして広がるような気がします。
 もちろん中国語だけでなく、アラビア語もという議論もありそうですが、何度も書いていますが、歴史が「社会科学」であるというのなら、日本史・東洋市・西洋史といった区分を問わず、歴史研究者は母国語だけでなく、欧米とアジアの言語を一つづつは使いこなすべきでしょう。「グローバル」という言葉を使いたいのなら、これからはそのことは必須になると思います。
by pastandhistories | 2012-07-27 08:46 | Trackback | Comments(0)

夏の予定

 今月は毎日のように原稿をいじっていたので、このブログも随分と書いたという錯覚がありました。実際には3回しか書かなかったことに今気づいてびっくりしました。アクセス数を記事で割ると3ケタ以上、重複もあるのでしょうが、随分の人が立ち寄ってくれているようです。もっともそのことがわかると、読んでくれている人の期待にそって書かなければならないという義務感と、逆に変なことは書けないというで気持が出て、筆が重くなります。もともと思いつきで気軽に始めたものなので、思いついたことを書いていくというコンセプトなのですが、それでも安定してブログを継続していくのは、けっこう大変です。
 来週はまだ授業があって、週末はその準備、一般教養のレポート返却があるので、時間はそれと英文テキストの訳で使われると思います(今年は講読的な授業はなるべく訳を作成して学生に渡しています)。ということで今のうちにということでブログを書き始めたのですが、この時間だと最初に予定していた理論的なことは大変そう。この夏の予定に合わせていくつかの情報を書いておきます。
 この夏の海外は色々迷いましたが、9月にリンツであるITH(International Conference of Labour and Social History)に行くことにして、今日飛行機の切符を予約しました。最大の理由は、Stefan Berger がkeynote speakerとして参加することになったからです。昨日メールをしたらすぐに返事が来て、向こうで会おうということになりました。元気になったようです。10月のセミナーの打ち合わせをかねてイギリスにもよれるような日程を作りたかったのですが、今は夏でも小刻みに日程が入る、8月中旬がオープンキャンパス、下旬が院生の研修旅行への同行、9月初めが院入試、そして人事の会議、それから更なる雑用、ということで、長期には時間が取れません。リンツも9月11日出発、16日朝帰着という強行軍です。
 ということで今年の夏は基本的には日本で仕事をするつもりです。貯めていた仕事を一つづつ片付けます。今日は久しぶりに完全な日記になってしまいました。
by pastandhistories | 2012-07-21 00:20 | Trackback | Comments(0)

相対主義のパラドクス

暦の上では3連休、それがあけて最後の授業が終わるとやっと時間が取れるはずの夏休みに入ります。ということですが、無茶苦茶に忙しい。もっとも大きな理由は、今年中には出す予定の論文集の点検・校正に入ったからです。最初に個々の文章を書いた時もいろいろな仕事と重なって、内容的にも文章的にもいまいち。引用・参照文献との照合もあって、かなり時間がとられています。また『戦後史学と社会運動史』の締切もまじかで、その連絡作業もしなければなりません。加えてすっかり忘れていた30日締め切りの原稿が一つ、さらにこの夏は採用人事もあって、そちらを読むのも大変です。ゆっくり仕事をしていってもいいのですが、予定としては月末までにこれらを終えて、別の仕事にすすみたい。なんといっても色々本を読みたいし、次の原稿(英文・欧文)も準備したいので、本当に時間がありません。しかし、このブログに関しては気づいたことをメモ代わりに書くにも便利なので、なんとか記事を書きていくつもりです。
 今日はその一つ。徹底した相対主義を主張したはずのヘイドン・ホワイトの議論の後退の例としてよく持ち出されるのが、ホロコーストをめぐる『表象の限界』をめぐるセミナーでの発言です。「ホロコーストはcomedyとしては語りえない」というものです。つまりどのように記されるかはやはり過去の事実の側によって規定される面があって、現在に書き手の恣意には完全には委ねられないということを認めたとされる議論です。
 しかし、ポストモダニズムをめぐるこうした議論のしかたには問題があると自分は考えています。そのことをホワイトも同席した台湾大学のセミナーで発言したことがあります。たとえばヒロシマへの原爆の投下です。無辜の民間人の大量虐殺、「日本人」はもとより、ヒューマニズムの立場に立てば「悲劇」として説明されるべき事件でしょう。しかし、この事件はおそらくは半数ほどのアメリカ人にとっては、戦争を終結した望ましいプロットの一部として、つまりcomedyに組み入れられています。かつての西部劇でまったく無反省に取り扱われたアメリカインディアンの大量殺戮も、「正義の実現」「文明化の使命」というプロットをとおして、つまりcomedyを構成するものとして説明されていました。そうした現在の説明の仕方を定めているのは、やはりけっして過去自体の属性ではないということです。
 この文章を読んでいて気づいたことがあるでしょう。それは「「虐殺」は倫理的立場からは本質的に批判されなければないないという立場に立っていることです。相対主義的な議論が、倫理的には本質主義に立っているということです。「正義」や「文明」を掲げた「近代の語り」、イデオロギーとして強力に近代に根付いているメタナラティヴを批判し、徹底的に相対化していくという議論が、ある種の本質主義を起点としているという矛盾です。そのことはホワイトもつねに考え続けている問題なのだと思います。
by pastandhistories | 2012-07-15 17:15 | Trackback | Comments(0)

二本立てへの疑問

 以前から考えていたことを、6月中旬から教科書を例にとって何度かに分けて書いてみました。歴史叙述で主語的なかたちの叙述と、副詞的な叙述がどのように使い分けれているかという問題です。歴史叙述のさいに主体として扱われるのも、(しばしば主体としてのニュアンスを含みながらも)場として示されるもの、という問題です。具体的には「は」「が」そして「では」の前に置かれるもの、さらには「でも」の前に置かれるものです。
 結論的に言うと、日本で書かれている世界史教科書では、日本は「は」として古来以来の本質的な連続体であるかのように示される一方で、「でも」という既述のように東アジアの周辺としてある時期まで位置づけられ、そして近代世界の形成に対応するかたちで、「は」の前に置かれるものとして示されている、つまり明確な主体国家として示されています。いわゆる「脱亜入欧」論的な意識がここには典型的に反映されています。
 問題はこうした認識が、歴史研究にばかりでなく、(教科書などをとおした歴史教育をとおして)、広く「国民」(そうした「国民」を作り出した一つの媒体が歴史教育です)に遍在していることでしょう。そうした歴史観は、歴史教育が、さらには歴史研究が、「日本史」と「世界史」あるいは「外国史」という二本立てで行われていることからも醸成されています。このような区分を立てるかぎり、「日本」という単位は古代以来の統合された本質的な実態であるかのように、常識的なものとして想定されてしまいます。
 絶対そうしなければいけないならないというわけではありませんが、こうしたことを批判していくために必要なことは、時々学科内での将来計画についての議論でもそうした主張をしますが、日本史・外国史という区分をやめて、歴史研究のコスモポリタン化を計っていくということです。歴史がもし「科学」だというのなら、そうしたことが必要なのではと思います。歴史研究者は「専門化」に名を借りた「分業」に安住していてよいのでしょうか。実証に名を借りた分業は、本当に「科学」的な歴史を生み出しているのでしょうか。むしろナショナリティを擁護する大きな要素ではなかったのではないのかというのが、自分の疑問です。
by pastandhistories | 2012-07-08 10:52 | Trackback | Comments(0)

日本は、日本では、日本でも

 またしばらくお休みしてしまいました。その最大の理由は表題のようなタイトルで書いた記事が最後の入力ミスで消えてしまったこと。結構長文だったので、がっかりして気を取り直すのに時間がかかりました。これから改めて書き直します。
 歴史教育論の専門家でないので詳しく調べたわけではありませんが、歴史ないし世界史の教育には基本的には二つの枠組みがあります。一つは、自国を中心に、その周辺にあるものとして他国を位置させるものです。歴史(もしくは世界史)と自国史は混然としたものになります。欧米の大国をはじめとして自国が世界史の中心であったとするところでは、こうした説明の仕方が可能です。もう一つは、自国を世界史の流れの周辺に位置させるもの。この場合は、世界史と自国史は截然と区別されます。日本で行われている歴史教育は後者です。
 したがって日本の世界史教科書には、近代以前は驚くほど日本が出てきません。出てくる場合でも、あくまでも「中国」を中心とした東アジア世界の周辺としてであって、それも(地理的にも、あるいは文化的にも当然ですが)しばしば朝鮮半島にあった国家よりも次位に位置するものとして登場します。客観的評価といえばそれまでですが、「自虐史観」を批判する人がこのことをなぜ批判しないのか、不思議です。
 『詳説世界史』では「日本」が最初に登場するのは「東アジア内部の周辺地域との交流もさかんになり、その首長に国王などの称号を与えて皇帝秩序のなかに位置づけることがおこなわれるようになった。倭人(日本人)の使者が光武帝から「漢委奴国王」の金印を受けていることは、その一つの例である」(79頁)という文章のようです。その次が「日本3世紀にはなお多くの小国に分かれていたが、そのなかで有力な邪馬台国の女王卑弥呼が三国の魏に朝貢使節をおくり、「親魏倭王」の称号をあたえられた。」(86頁)という文章です。ここで注意すべきは、古代につぃて既に「日本人」という言葉が実体であったかのように用いられ、「日本は」という主語的な表現がとられていることです。
 その次は当然律令政治の形成期、「朝鮮や日本、聴講制度をつうじて律令体制・都城の制、仏教文化などを導入し、自らの国家制度の整備に役立てた」「「日本でも遣隋使・遣唐使を送って中国文化の輸入につとめ、大化の改新をへて律令国家体制をととのえていった」(90頁)とされ、これを受けるかたちで、やや間をおいて、「唐から宋にかけての動乱時代、日本では平安朝が続いていたが、9世紀末に遣唐使を廃止した後には・・・日本独特の国風文化がさかえ、律令体制の崩壊が進行した」(93頁)と記されています。この同じ頁には「日本有力者」という表現もありますが、注目してよいのは「日本では」という記述のされ方が用いられていることです。
 元の時代は「日本」は受動的に(かつ他と集合的に)、「日本・・・にも」「日本などに」「日本にも」(107~109頁」と記されています。明の時代に関しても、「日本」についての記述は、「日本では」「日本でも南北朝の合一がおこなわれ」「日本でも・・・中国への朝貢が復活し」というものです。気が付くことは、「も」という表現です。つまり中国の周辺の社会の一部ということが含意されています。
 戦国末期から江戸初期については、ヨーロッパ文化が「日本などにも伝えられた」という文章につづいて「「織田信長・豊臣秀吉が・・・日本の統一をすすめた」とされ、「秀吉の死とともに日本軍は撤退した」「日本人は東南アジアに進出して日本町をつくった」(169頁)という記述、さらには「日本と中国との間の・・・貿易」」(171頁)、「日本では、1630年代の鎖国の後、江戸幕府は対外関係を厳しく統制した」(176頁)という記述がみられます。調べてみようとは思いますが、「日本軍」「日本町」というのは、当時用いられた言葉だったのでしょうか。
 邪馬台国に関する箇所で「日本は」という言葉が用いられて以来、統一的な政治主体である(その意味では主語的な要素を持つ「日本」という表現はしばしば用いられていますが、今回チェックした限りでは「日本は」という主語的表現がはっきりと再登場するのは、ある意味では予想通り「「日本でもペリーの来航を受けて」という文章につづく明治維新以後の状況にかんしての、「日本、ロシアと樺太・千島交換条約を結んで」(274頁)という文章です。以後「日本、1975年に江華島事件をおこして」(275頁)というように、明確な政治的主体(国家的統一体)としての主語的表現がさかんに用いられていきます。近代以降日本は明確に主語的なものとして扱われるようになっています。にもかかわらず、邪馬台国以来、「日本」、「日本人」が本質的な実体であるかのように想定されているということです。
 歴史研究者の苦渋がわかると言えばそれまでですが(あるいは無意識に行なっていることかもしれませんが)教科書の表現には興味深いところがあります。
by pastandhistories | 2012-07-05 16:27 | Trackback | Comments(0)

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