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リアリティと想像力

26日にあった「社会運動史について」の会は、自分として成功したと思います。今回は日程的にも本の執筆予定者による、予定原稿をめぐる議論でしたが、相良匡俊さんの3部(基本的には社会運動史研究会のメンバーでなかった人が中心)の内容についての紹介と議論は的確で、谷川さんのコメントを含めて内容的には整理された議論が進行したと思います。その前に行われた執筆者の打ち合わせでも、ほぼ今後の予定が確定し、3月か4月の出版を目指して編集を進めていくことになりました。ということで、昨日と今日はその編集作業、それぞれの原稿をチェックして入稿準備のための校正を依頼するという段階に入ります。
 昨日はこれに加えて年賀状書き、正月はすぐにアメリカ史学会参加のための渡米ということになるので、明日はいろいろな年内の仕事の整理があります。あまり時間はないのですが、今日はこの間気になっていることを書こうと思います。それはたしか二、三週間前に朝日新聞い掲載された書評についてです。実は本を読んでからと思っていたのですがその時間がない間にだんだん時間が経っていくので、記憶のあるうちに要点だけを記しておきます。  内容は、「自らの生き死に」といったような戦争の「リアリティ」を認識するためには、兵隊体験というような問題を避けるべきではない、その方が若い人のリアルな認識の形成を助ける、というような議論を、若い研究者がしているということの紹介だったような気がします。こうした文章に限らず、リアリティという議論は、一般論的な理想論に対置されるものとして、常に繰り返されている、あるいは新しさという装いをもって常に登場する議論です。
 しかし、こうした議論の方が、しばしばリアリティを認識する想像力を大きく欠如させていることも、少なくありません。例えば、自らの生き死を実際の戦争が兵士にリアルに経験させるかというと、現在ではそのことには大きな疑問があります。そもそももう70年近く前に原爆を投下したパイロットは、自らの「生き死に」をはるか安全な上空において「リアル」なものとして経験したでしょうか。彼にとって必要だったことは、地上で10万人もが一瞬にして死亡するという「リアリティ」への「想像力」だったはずです。自分は安全であるという「リアリティ」への認識ではなかったはずです。
 現在の戦争においては、兵士たちは安全な遠隔の基地や、さらに安全な地下や潜水艦の中にいて、自らの生き死にのリアリティをほとんど感じることなく、大量殺戮の準備をしています。このように考えれば大事なことは、自らの経験の「リアリティ」ではなく、他者の「リアリティ」への「想像力」だということは自明なことでしょう。 なぜ想像力が問題とされるのかというと、リアリティとされる自己中心的な閉鎖的なイデオロギーを批判し、他者を交えた本当のリアリティを認識していくことに、それが欠かせないものだからです。歴史認識にとってもそれは同じです。
by pastandhistories | 2012-12-29 21:15 | Trackback | Comments(0)

本の読み方

12月になったらブログを書くことができるともったのですが、逆に長い中断になってしまいました。社会的な状況も含めて書きたいことが随分と出てきて、逆に何から書いてよいのかということで書きづらくなったのと、宣伝ばかりしていて申し訳ありませんが、単著の論文集が1月25日に出ることになる、それから「社会運動史研究会」についての論文集の準備が最終段階に入ったからです。そのための準備として最後の公開セミナー(26日・東洋大学甫水会館、15時より)を行なうのと、その前に行われる執筆者会議の準備をしているからです。
 論文集に関しては執筆予定者全員が原稿を間に合わせてくれました。出版時期は3月か4月ということで準備を進めますが、内容的には本当に多くの人に読んでほしいですね。またそれだけの内容だとも思っています。構成が最終的に決まったら、ここでも紹介しますので、ネット空間や口コミで是非宣伝してください。
 読者の便のために、また史学史的な整理を兼ねて、この本には本のコンセプトに合わせたかたちで年表や索引を予定しています。この数日はずっとその作業をしていました。この作業は夢中にさせるものがありました。それぞれの論文において、どのような言葉を媒体して書き手のコンテクスチュアライズがされていて、そのことをとおしてどのようなアイデンティフィケーションが行われているのかが、対比的に理解できるところがあるからです。
 史料に関しては歴史研究者はしばしばそのことを試みますが、本とか論文に関しても自分で索引作りをすると、随分と違った読み方ができます。そうした’楽しい’作業に追われていて、このブログや世間のことをすっかり忘れていました。ということなのですが、「クリスマス・イヴ」という「国民の祝日」にもかかわらず、間もなく1時からなんと3コマも授業を行わなければなりません。
by pastandhistories | 2012-12-24 12:25 | Trackback | Comments(0)

歴史とテレビ

 先週の木曜日に論文集が閲了、印刷に入ることになりました。出版社の都合もあるでしょうし、この時期ですから出るのは来年でしょうが、大きな仕事だったのでほっとしました。昨日今日は書類作り、来年が認定評価だとかでその書類、他にもいくつかあって結局週末はつぶれました。といっても少し時間ができたので久しぶりに記事を書いたら入力に失敗、また書き直しです。
 仕事としてはこの後は、『戦後史学と「社会運動史」』の編集に入っていきます。18名の執筆予定者のうち15人が書き終えていて、残りは3人、どんなに遅れても今日明日のはずなのですが、これがそろわないと次の作業に入れません。明日は催促の電話ということになるでしょう。
 この件に関しては26日に原稿の点検がてらセミナーをすることになりました。12月26日15時から東洋大学白山キャンパスの向かいの甫水会館(5階建ての茶色の建物)の4階で公開で行います。明日・明後日に簡単なビラを作り、またこれまでの参加者にはメールをする予定です。基調報告は相良匡俊さん、コメントは谷川稔さんです。
 ということで結局あまり暇はなさそうですが、本を読みたいというムードになってきたので、いくつか本を注文しています。おりしもCambridge Scholars Press から12月いっぱいのディスカウントということで Remembering Television というタイトルの本の宣伝メールが来ました。副題が、Histories, Technologies, Memories で、 Our memories of television are crucial components of our sense of personal history, and one of the ways we experience our national histories. In this rich and exciting collection, some of our leading scholars examine the relationships between television, histories, and memory という紹介文がついています。2010年にメルボルン大学で行われたシンポジウムをまとめたもので、ニュージーランドの歴史研究者が中心のようです。自分としては面白そうなので取り寄せるつもりです。このこととも少し関連しますが、プロジェクトの予算が少し余ったので Film and History のバックナンバーを創刊号から取り寄せることにしました。
by pastandhistories | 2012-12-09 21:53 | Trackback | Comments(0)

レトリックと事実への想像力

  まだまだ忙しいところもありますが、やっと少し自分の時間が持てるようになりました。このブログも少し書けそうです。この間は書いていた原稿に即して歴史のグローバル化についていくつか考えたことがありますが、発表前の原稿内容と重複してはいけないので、それとは異なることを書いていきます。
  少しのんびりできたので、 昨日は成蹊であった歴史学会に行きました。参加したのは初めて、会長の松浦義弘さんから、「『戦後歴史学』とわれわれ」というシンポジウムをするので、参加してくれないかというメールが来たからです。発表者は小谷汪之・須田努・池田嘉郎さんの三人、コメントは奥村哲さんというメンバーでした。
  それぞれに自分にもなるほどと思うところがあり、とくに池田さんは自分の同僚であった田中陽兒さんの50年代から60年代の仕事を取り上げてくれて、ある意味では大変感激しました。田中さんについては自分には個人的な思いも多いので、この仕事には期待したいです。また小谷さんは本当に若い時から自分にとっては問題意識を共通する人で(30年以上前に前任校に集中講義ををお願いしたことがあります)、今回のマルクスや大塚久雄さんへの言及の仕方は、改めて自分との近さを感じさせました。また戦後思想における科学論を再確認しながら3・11問題を論じた点にも、彼らしい明晰さを感じました。小谷さんが論じた二宮宏之さんの位置づけ、その二宮さんと西川長夫さんが参加した歴研大会のエピソードについての須田さんの言及からも、この時点が歴史研究の大きな転換点であったことが確認を出来る部分がありました。
  こうした意味では収穫のあった会ですが、自分が行った発言を紹介して、ここでは多少の問題点を提起しておきます。自分が発言したことは、ある院生と話していて気づいたことですが、戦後歴史学という言葉は自己意識なのかということです。つまり自らが戦後歴史学と名乗っていたかという問題、これを自己意識でもあった戦後民主主義という言葉と対比して考えていくと、わかることがあるのではと論じました。このことは戦後レジームという言葉と重ね合わせてもわかる部分があります。つまり「戦後」という形容詞は、現在では特定のものを他者としてネガティヴに捨象していくためにレトリカルにもちいられているということです。つまりこの言葉だけを過剰に論じることは、基本的にはレトリックの問題で、事実の問題ではないということです。
  批判的に言えば、その時代の歴史研究者の主張(確かにこれは史料として残されてはいますが)を取り上げても、事実がなぜそうしたレトリカルな認識へと議論のなかで集約されてしまうのかというと、研究者が主張していた議論だけをたどっているからです。当時の歴史研究者の主張は、文字づらにだけ存在していたわけではなく、戦後という大きな社会状況が作り出したあるコミュニカティヴな空間に存在していたものです。一つの例をあげると、「民族」という言葉を教室で普通の高校生に話をしても、その言葉に共感する高校生が当たり前のように存在していたという、そうしたリアリティとの往還の中で「書かれていた」主張であったということです。民主主義という言葉もそれは同じです。
  歴史研究にとって重要なのは、そうしたリアリティへの想像力です。史料として残されたものだけから、その論理的脆弱性を指摘することだけなら、それをレトリカルに論じていくことはそれほど難しいことではありません。しかし、字面だけをもとにしたレトリックだけに頼るならば、それは過去に対する想像力ばかりか、現在に対する想像力を大きく欠落させていくことになります。より問題とされ、批判されて行かなければならないのは、本当は過去の歴史学ではなく、むしろ自分たちが作り出している現在の歴史学のあり方です。戦後歴史学への批判も、それが現在の歴史学とどういう点で共通性・連続性を持っているのかという点において、初めてそのことを批判的に議論していく意味があるということです。
by pastandhistories | 2012-12-03 19:45 | Trackback | Comments(0)

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