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連続性による拘束・無限遠からの視点

 数日前に、『朝日新聞』が一面を割いて安部公房の特集をしました。活動の拠点を海外に移し、仕事を劇作に純化していたら、おそらくは20世紀において国際社会で最も高い評価を得ることのできた「日本人」。(英語ではなく)クレオールに強い興味をもつという本当の国際性が、彼の可能性をむしろ狭めてしまったのは皮肉なことです。
 その彼が代表作の一つである『第四間氷期』の後書きとして残した文章が、「未来は日常的連続感へ、有罪の宣告をする。・・・残酷な未来、というものがあるのではない。未来は、それが未来だということで、すでに本来的に残酷なのである。その残酷さの責任は、未来にあるのではなく、むしろ断絶を肯んじえようとしない現在の側にあるのだろう。」というものです。
 「日常性という現在の微視的な連続感への埋没」という言葉と組み合わされたこの言葉の一つの解釈の仕方は、以前書いた本のなかで論じましたが、現在のグローバリゼーション論やあるいはグローバルヒストリー論への疑問は、グローバル化という大きな枠組みを論じているようで、実際には「日常性という現在の微視的な連続感」の延長に議論が成立していることです。言い換えれば『開かれた歴史へ』で論じたような、ナショナリティやモダニティという日常性の上に立つ微視的な連続感の上に、安易に成立していることです。18日の会で、ビッグヒストリー論などを紹介するような、思わぬところへ議論をすすめたのも、それが理由です。
 会でも紹介したように、グローバルヒストリー論(決して自分の専門ではありません)については『歴史と地理―世界史の研究』で読書案内というかたちを借りて小論を書きましたが、そのなかで整理したグローバルヒストリーの4つのトレンドのうち、従来の世界史・ナショナルヒストリ-への批判や、ネットワーク論は基本的には「(モダニミティという)現在に対する微視的な連続感」に成立しているものです。それはそれで意味はありますが、歴史学や人間の歴史認識を根本から変えていくようなものでありません。グローバルヒストリーを本格的に論じるなら、やはり議論として進行しているグローバリゼーション理論に本格的に取り組む必要があるし(歴史研究者の側からのそうした努力は、残念ながらきわめて不十分です)、「グローブ」を単位とした歴史の意味を考える必要もあるでしょう。
 そのうちとりわけ「グローブ」を単位とした歴史という視点から生じたのが、環境や他の生物体(家畜化・栽培されたものだけでなく、細菌のような微小生命体を含む)の関係を含めて「人類」の歴史を構想していくという視点です。こうした視点は、文明の開化・記録の誕生から書かれていた歴史の起源をさらにさかのぼらせ、さらには歴史の中心に置かれていた人類を相対化するという側面がありました。それをさらに進めたのが、「グローブ」ではなく、「宇宙」的視点をも取り入れたビッグ・ヒストリーです。いわば無限遠(竹内啓さんの使用した言葉です)からの視点。
 正直言ってビッグヒストリ-というのは雲をつかむような話(というよりイスカンダルをつかむような話)ですが、大事なことは時間的・空間的ななパースペクティヴを広くとることが、最初に紹介したような安部公房の指摘のように、現在的な議論を制約しているものへの批判の契機となりうるということです。現在的な連続感の上に成立した議論にも有用な部分は多くありますが、同時にそれはより広いパースペクティヴをとる議論との間の相互性の上に成り立つべきでしょう。
by pastandhistories | 2013-03-26 10:14 | Trackback | Comments(0)

COM

 18日の会が終わりました。報告をしてくれた成田さん、長谷川さん、重要な、そして丁寧なコメントをくれた喜安さん、鹿島さん、岩間さん,神谷さんに、さらには期待通り集まってくれた若い参加者に感謝しつつ、自分の議論(用意)の不十分だったところ、それに関連して「歴史学のゆくえ」として議論していくべきことを書こうと思ったのですが、明け方に前回の記事に関係して思いついたことがあったので、今日はそれを書きます(18日の会に関係することは、明日以降書きます)。
 それは手塚治虫に関連する話。COMといえば現在ではメールのアドレスに使用される言葉として一般化しましたが、COMという言葉で自分が思い出すのは、『COM』という雑誌です。基本的には1967年から1971年に出されていた月刊漫画雑誌。一般的には『火の鳥』が連載されていた雑誌として知られているでしょうが、自分にとってそれ以上に印象にあるのは、小野耕世や草森神一の本格的な漫画批評・紹介が掲載されていたこと、そして何よりも毎月応募作品を紹介する(落選作の一部を含めて)新人賞応募の頁です。この雑誌は全号を保管していたのですが、一つの号を友人に貸したところ欠号が出てしまい、さらに実家に残しておいたものを単なる漫画雑誌と思い親が処分してしまったために、今では手元にありません。本当に残念なところがあります。
 それはさておき発行時期が1967年~1971年ということは、『社会運動史』の創刊の少し前、社会運動史研究会の創生記と重なります。世代的にはきわめて近似的なもの。漫画家希望者の方が、大学院生を中心とする歴史研究者より年齢的には若い集団となるということが、雑誌の刊行時期のずれに反映されているのでしょう。
 『火の鳥』という作品にもそうした面が少しありましたが、この漫画雑誌が目指したことの一つが、漫画の方法的革新。その事例が石森章太郎が『リュウの道』という原始時代を素材としたセリフ吹き出しのない作品を書いていたことです(まだ無名に近かった松本零士も、未来世界を素材に似たようなコンセプトで『銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト』などの原型となる作品を書いていたと思います)。さらには永島慎二が若者集団を描いた『フーテン』という先駆的作品を連載していました。
 しかしなんといっても印象深いのは、新人賞応募作。結果的には応募者の中から安達充、竹宮恵子という著名作家が育っていきます。そうした人たちをさしおいてその最初の新人賞を獲得したのが、岡田史子と宮谷一彦です(宮谷一彦は準新人賞であったかもしれません)。宮谷一彦は漫画批評について適切な批評眼を有し、現在は学習院大学大学院教授になってしまった夏目房之助がもっとも影響を受けたと高く評価する漫画家です。コマとコマの転換に独特の間合い(スピード感)があってその点でも高い才能を有していた漫画家ですが、同時に応募作でその才能を示したのが「ストーリー」の構成力。『眠りにつく時』というタイトルではなかったかと思いますが、レーサーとして這い上がろうとする野心をもった若者と耳の聞こえない少女、そして小鳥の死(さらには若者の死)をかみあわせることによって、「映像化」しても面白そうだという作品を新人賞の応募作品としていました。
 自分もこの作品が一番面白いと思ったのですが、選者でもあった手塚治虫がより高く評価したのは、「ストーリー性」に優れた宮谷の作品ではではなく、「まったくセリフのなかった(つまり言語的な説明のなかった)」岡田史子の作品の方でした。早くに亡くなったこの人が実際にはどういう人だったかは知りませんが、少女の心象の微妙な変化をコマの流れをとおして文字的な説明を排除して表現していくというのが、この人の作品のコンセプトでした。
 ストーリー構成、言語的な説明が作品の重要の要素になっているというのは、手塚治虫の自らに対する批判的意識だったのでしょう。宮谷一彦の作品に対して「ストーリーのたくみさが目立ってしまっている」という批判を寄せた手塚治虫は、自らも言語的説明を省いた作品をたとえば短編のアニメーションとして試みますがそのことに成功せず、そのことがそうした実験的手法を『COM』において試み、一定の読者の支持を得た石森章太郎との間の確執の原因ともなったとも言われています。
 一方手塚から巧みすぎる「ストーリー」には疑問があると指摘された宮谷一彦は、それがトラウマとなったのでしょう、ゴダールが試みていたようなアンチ・ストーリーを枠組みとした実験的作品を一部の読者の支持を得ながら試みていきますが、そのことが彼の作家的な才能を中途半端なものにとどめ、いくつかの佳作(『性触記』)などを残しながら、漫画家としては大きな成功を収めることなく、次第に忘れ去られていきます。
 『社会運動史』が試みられる時代に漫画家を目指した、ほぼ似たような世代の若者たちがぶつかった問題は、そうした制作上の問題、そして作品性が漫画の場合は商業性とどう結びついていくのかという問題でした。その両者のはざまに、たとえば青年期の性意識の問題を素材として「私小説」的手法を漫画に取り入れた青柳裕介の作品など、多くの実験的作品がCOMが輩出した若手漫画家によって試みられていきます。1970年代前後はそうした時代であったわけです。
 やや強引な説明ですが、歴史研究としての『社会運動史』の時代的背景を、書き手も読者も異なるカルチャーである漫画世界と結びつけるとこんなふうになります。『社会運動史』が『COM』ほどの革新的内容を持っていたかというと、そこまで言い切るのは無理でしょうし、歴史からスト-リーを排除しようとすることは、宮谷がかかえた以上の難問を歴史家に課していくくことになるでしょう。しかしこうした問いは、1970代前後には様々なカルチャーの中で、それぞれのかたちで生じていました。
by pastandhistories | 2013-03-20 08:39 | Trackback | Comments(1)

ジェット推進十万馬力

昨日は卒業判定教授会。それに合わせていろいろな仕事を片付けました。一つは「認証評価」の書類書き。この手の書類書きは本当に空しさを感じますが、現在の大学はそういう状況に置かれているということでしょう。後はバークを呼んだ「トランスナショナル・カルチュラルヒストリーの今後」というプロジェクトが来年度も継続採用された(最終年度)のでその書類の作成。ある程度の日程と計画を作りました。いちおう招聘セミナーは7月、10月に予定し、最終年度なので、できればなんらかのかたちで成果を残しておきたいと計画書には書いておきました。
 昨日はこのプロジェクトからスピンオフした社会運動史研究会についての論文集の原稿を出版元(御茶の水書房)に手渡しました。タイトルは『歴史として、記憶として―「社会運動史」1970-1985」、執筆者はもう宣伝をかねて明らかにしてよいでしょうが、掲載順に、喜安朗、加藤晴康、北原敦、藤本和貴夫、木村靖二、山本秀行、相良匡俊、木下賢一、福井憲彦、近藤和彦、谷川稔、石井規衛、石塚正英、原聖、小田中直樹、長谷川貴彦、山根徹也、成田龍一、岡本充弘、となります。営業的には豪華執筆陣ということになるのでしょうが、問題は内容ですね。研究者として出発点に立ち返って丁寧な原稿を書いてくれた各執筆者に感謝しています。バークについても出版物の準備があって、研究プロジェクトとしては、それなりの結果を出せたのではという感じがします。
 またバーガーからメールが来て、彼が主宰する会でペーパーを読むことになりました。準備がそれなりに必要だけど、今年のよい目標ができました。準備といえば悩みの種は18日、人前で話すのは得意ではないし、準備もほとんどできていない。ストレスでおなかの調子が悪くなってしまいました。人の話を聞くのは楽しいけど、 自分が話をするのは苦手ですね。
 人の話を聞くといえば、おととい高橋哲哉さんが勤務先に来て、「福島以降の哲学」というテーマで話をしてくれました。いろいろ共感しましたが、そのさいに出た鉄腕アトムにちなむ話(以前にもこのテーマで書きましたが)を今日は書いてみようともいます。
 鉄腕アトムといえばもちろん名前で示唆されていることは原子力。兄がコバルトで、妹の名前もウランです。したがって手塚治虫は原子力利用に無批判であったという議論が、福島以降随分となされているところがあります。
 しかし、自分はこの主張とは別の考え方をしています。鉄腕アトムの主題歌を憶えているでしょうか。アニメでは有名な「行くぞ、アトム、ジェットの限りー」と歌われています。実はその前に実写版の鉄腕アトムがあって、この主題歌も「ジェット推進10万馬力、僕は鉄腕アトム」という句が入っています(これは手塚治虫自身が作詞したものだという記憶があります)。
 いうまでもなくジェット機関は燃焼エネルギーによるもの、「酸素のないところ」、つまり大気圏以外では利用できません。あえて言えば地球上にその使用は限られています。つまり鉄腕アトムは人間と同じ地球的存在として設定されているわけです。しかし、初期の作品である「火星探検の巻」において既に示されていたように、アトムは海水パンツ一枚で宇宙空間を飛びまわります。多くの読者がその矛盾に気がつき、そのことによって手塚治虫は子供に誤った科学的知識を伝えているという批判を受けたけれど、そんなことは百も承知でありながら手塚治虫がアトムに含意していたことは、人間が地球的限界を越えようとするなら、それは燃焼エネルギーに代わるエネルギーを用いなければならないということです。サルでもわかる燃やすという行為ではなく、それを越えた「知」の利用。福島以降、吉本隆明がよって立とうとした議論です。
 おそらく手塚治虫はそのことの問題性を強く自覚していたのでしょう。未来をテーマとしたSF的な作品の場として絶対的に求められる極大な宇宙空間をしばしば作品に登場させながら、彼は人類はやはり地球上という限定的な場に未来永劫にとどまるべきかもしれないと考えていたのかもしれません。そうした考えが、鉄腕アトムのエネルギー源がジェット推進であるという寓意に示されていたのでしょう。彼は人間と科学的知識との間の関係の二面性を誰よりも強く意識していた作家でした。そのことはよく知られているブラックジャックが扱った医学を巡る問題、あるいはあまり知られていない大人向けの作品で、遺伝子工学についての問題が多く扱われていたことからもわかります。
 こうしたきわめて重大な哲学的問題は、もちろんその後のアトムのキャラクターの変化や、他の手塚の作品の中で、常に問い返されていくことになります。
by pastandhistories | 2013-03-14 10:53 | Trackback | Comments(0)

モノグラフ論再び・3月18日

やっと暖かくなってきた感じです。仕事も大分はかどるようになりました。『歴史として、記憶として―「社会運動史」1970年~85年』の最終点検。実務としては目次、執筆者紹介、関係年表、索引、そして最終校正という作業をしています。個人的には後書き書き。いったん書きましたが、今日にでも書きなおします。自分のスタイルとして、予想される批判を先取りして書くというところがあるのですが、批判への十分な反論になっていないところ、批判に同調したようにとられる部分が出ているようなので、その辺りをはっきりさせるためにです。
 もっとも議論というのは、議論の趣旨を明確にすればそれでよいのかというと、そのあたりは難しいところがあります。前の記事で書いたモノグラフ批判の問題は、文化史についての会での発言だったわけですが、少し極端な議論を立てたので、モノグラフ自体を否定しているように理解されたところもあるようです。適当かどうかはわからないけれど、ここで私信の一部をかりて自分の考えを公開すると、基本的趣旨は、
「自分もモノグラフと方法を対立的に捉えているわけではありません。そもそも「文化史学会」が出すものが、方法だけを論じてモノグラフを伴わなければ、そんなものは誰も読まないでしょう。会でああした発言をしたのは、議論の流れの中で、方法論的な議論に対する批判として、モノグラフは書かなくなっているのではというニュアンスが出てきたからです。この批判は繰り返されているものです。脱構築論に代表される方法的問題の提起に対する批判は、図式的には、①批判者は実際の歴史研究者ではないがゆえに、事実や実証の重要性を軽視している、②批判者は歴史研究者である(あったかも)しれないが、実際のモノグラフを書かなくなっている(あるいは方法にとらわれるあまり書けなくなっている)、という2点に向けられています。逆にそうした論拠に歴史研究者が自らを閉じ込めてしまうがゆえに、「歴史研究が開かれたものになっていかない」わけです。
これに対する反論法は、方法論的批判によって、具体的な新しい歴史研究(モノグラフ)を作り出していくことはむしろ可能であることを証明することです(社会史はそうしたことをしたわけです。文化史もまたそれを目指すべきでしょう。そのことが『開かれた歴史へ』の最初の文章や、ローゼンストン論で自分が書いたことです)。ただここから先が正直言って方法論的批判をしている側にとっては難しい。その理由は、海外ではるかに先行している方法論的問題に対する理解が日本では全く看過され続けてきていて、その内容を正確に伝えることができるスタッフが、とりわけ歴史研究畑には乏しいということです(もっとも社会史に関しても1929年に刊行されていたアナールが日本に入ってきたのは、やっと1970年代でした)。文化史というジャンルが成功するとすれば、それはよいモノグラフが書かれるかということにつきます(社会史の導入が日本で成功したのは、阿部謹也さんなどの優秀なモノグラファーがいたからでしょう。逆にだめになったのは、亜流のモノグラファーの仕事のレベルが問われはじめたからです)。」
というものです。
 つけくわえると、結果的に自分の仕事がそうした枠組みに入りつつあることは事実かもしれませんが、流行に乗るのはあまり好きではありませんし、出版ジャーナリズムに迎合するのも好きではありません。と言いながら自分が代表をしているプロジェクトのタイトルは、二年前から「トランスナショナル・カルチュラルヒストリーの今後」。このプロジェクトは来年も継続採用されることになりました(最終年度)。ということで、3月18日(月)13時半から成田龍一さん、長谷川貴彦さんを招いて自分と三人で「歴史学のゆくえ」と公開セミナーをすることにしました(場所東洋大学、白山キャンパス前甫水会館2階203号室、司会は渡辺賢一郎さん)。いちおうの基本的報告は3人が行いますが、後はラウンドテーブル方式で自由に議論する予定です。すでにネットでは紹介されている(有難うございます)ようですが、関心のある人は参加していただければと思います。
by pastandhistories | 2013-03-03 10:37 | Trackback | Comments(0)

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