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6月15日のラインアップ

 本はまだ正式には出版されていませんが(正式の予定は5月31日)、反響があることはブログのアクセス数からもわかります。ネットでも話題になりはじめているようですが、はたしてどういう読まれ方をするのでしょうか。いずれにせよ、手元には研究室に1冊置いてあるだけ。自宅にはもうありません。自主的出版に近いかたちをとっているし、執筆者も多かったのでそうなりました。
 なお6月15日(土)午後に東洋大学で予定されている合評会的な公開セミナーのラインアップが司会・池田嘉郎(東京大学文学部)、コメント・戸邉秀明(東京経済大学)、内田力(東京大学院生・史学史)、長野壮一(東京大学院生・西洋史)さんたちに決まりました。いずれも社会運動史研究会のできた時には生まれていなかった人たち、本に当てはめると第4部ということになります。若い人たちを中心とした会、もちろん都合のつく執筆者は参加し、議論にも加わりますが、社会運動史研究会がそうであったように、自由な議論の場であってほしいと考えています。老若男女入り乱れて楽しく会をすすめたいですね。気軽に参加してください。
by pastandhistories | 2013-05-24 22:11 | Trackback | Comments(0)

『歴史として、記憶として』刊行

今日はこの話題だけ、ずっと紹介してきた本が刊行されました。
内容は
喜安朗・北原敦・岡本充弘・谷川稔編
『歴史として、記憶として―「社会運動史」1970~1985』
(御茶の水書房、2013年5月)
第一部  記憶のなかの歴史
 喜安朗    ハンマーと抗うかなしき ― 戦後歴史学から民衆運動史へ ―
 加藤晴康 「長期の六〇年代」― 歴史意識と世界認識の転換の中で ―    
 北原敦   雑誌発刊のころ
 藤本和貴夫 『社会運動史』の始まり
第二部  模索の時代
 木村靖二    インサイダーとなったアウトサイダー
 山本秀行  自分に跳ねかえってくる時代の歴史学 
 相良匡俊   暗中模索のころ
 木下賢一   Let It Be ― 一九六〇年代と『社会運動史』―
 福井憲彦   記憶の断片で描く歴史の自画像
 近藤和彦   七〇年代的現象としての社会運動史研究会
 谷川稔   全共闘運動の残像と歴史家たち ― 社会運動史から社会史へ ―
第三部  歴史として見る
 石井規衛    「ソヴィエト・ロシアの時代」の歴史知と『社会運動史』 
 石塚正英   歴史知に結実する行動圏域
 原 聖    「社会運動史」と私
 小田中直樹  「社会運動史」のリハビリテーション 
 長谷川貴彦  『社会運動史』とニューレフト史学 
  山根徹也    歴史への《問い》を考える ― 歴史学の方法と現在 ―
  成田龍一    日本史研究の「失われた八〇年代」
以上に、岡本充弘「編集を終えて」という文章が付け加わります。
価格は4800円(消費税込み5040円]です。ほっとしました。なお合評会を公開セミナーとして6月15日に開催します。詳細はokamoto.toyo.university@gmail.comにお問い合わせください。
by pastandhistories | 2013-05-20 17:59 | Trackback | Comments(0)

二元論とgradation

 『歴史として、記憶として―「社会運動史」1970~1985』が刊行されるので(多分来週)、それに合わせて読書会をかねた公開セミナーを開催します。西洋史学会を利用して日程などを調整、結局6月15日(土)に行うことにしました。内容的には40前後の人に司会をしてもらい、30前後の人に報告をしてもらうつもりです。西洋史学会で少し宣伝ビラを配ったら、「書いているのは大物(?)ばかりだな」という変な反応があって、報告者を頼んでも若い人が尻込みしてしまうかもしれないけど、もともと社会運動史研究会は当時は30歳前後の人が中心(結成当時自分は25歳)、30歳前後の人に論じてもらうのが、一番よいと考えました。
 とにかく忙しさは続いて月曜の朝に西洋史学会から戻って、午後から3コマの授業、火曜日は夜、水曜日は一時限目から授業で、午後は会議の連続、夜は非常勤講師懇親会、今日は会議の準備や配本の手配、さらにはまたしてもたまった書類書き、明日もその続きでしょう。
 そうしたなかで参加した西洋史学会、言語論的転回と文化史、歴史のグローバライゼーションという言葉が現在の歴史研究を基本的に規定するものとしていたるところで展開されて、そうしたことを論じていた自分にとっては奇妙な感じ。しかし、大事なことは流行しているかではなく、その問題点の方だと自分は考えています。
 リムさんの報告を巡る会で一番思ったjことは、西洋と東洋というのは単純な二元的構造ではなく、時間的にも空間的にもgradation であるということ。日本・韓国ばかりでなく、他のアジア諸地域とをあわせて考えて行けばそのことは自明。東欧と西欧もまたそうであって、東欧とされる場にも、西欧とされる場にもさまざまなgradation がある。もちろん日本を一つの単位として考えても、地域的な、社会層的なgradationがあるということです。そうしたgradationのなかの個々の場において、レトリックとしては二元論的なものがあるということで、二元論的なレトリックが存在することが、二元的な現実の存在を意味しているわけではないということです。
 あともう一つ思ったことは、トランスナショナライゼーションとナショナルバリヤーの関係についてなのですが、これはまた明日にでも書きます。
by pastandhistories | 2013-05-16 21:38 | Trackback | Comments(1)

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