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文化についての記憶

 多少時間ができて今日は本当に久しぶりに英文原稿の見直し。といっても締切りまでに書き終えられるかという不安が先に立って点検しなおす気分になかなかなれなかったけど、最初をほんの少し点検しました。明日から本格的にトライします。ということで、今日は文化史について書こうと思ってブログを開けたところ、大晦日は一年で一番アクセスの少なかったことを思い出しました。たしか、紅白歌合戦には勝てないと書いたことがあったような気がします。ということなので、今日は文化史やカルチュラルメモリーの話ではなく、自分の日常の周辺にあった文化についての記憶を、大晦日にちなむかたちで、久しぶりにプロフィールをかねて書いておきます。
 自分にとっては大晦日は一年で一番忙しい日の一つ。三丁目の夕日の時代の頃までは、一年で最大の売上げの日のあった日だからです。普通の月の一ヶ月分の売上げが、たった一日である日です。ところが店で働いている人は大体は30日の夜行で帰郷してしまう。関西はもちろん、信越や東北も夜行でないと元旦までに帰りきれない。そこで家族が家を手伝うということになります。受験時代でもそうでした。
 このことについて今思うことは、その日だけアルバイトを雇うというようなことは、まだ一般的ではなかったことです。忙しいのは一年で特定の時期に限られているとしても、基本的には雇用と給与の支払いは、年間を通じて行われている。農繁期と農閑期の差の激しい農業で行われていた慣習が、都会の商業にも継承されてパターナリスティックな関係が存在していたのだと思います。正月のために働いている人は大晦日には不在なので、それを家族労働が補完するという形態です。現在のように、その日だけ、アルバイトを集中的に雇用したほうが、はるかに収益性は高いのでしょうが。
 最も売上げが集中するのは大晦日ですが、その以前の一週間も忙しい。暮れの仕事といえば、思い出すのは仏壇の仏具の錆落とし。奈良の大仏ほどの大きさではないにしても、きちんと磨くとなると結構時間のかかる作業です。他の家庭はどうだったかわかりませんが、我が家では子供の暮れの仕事でした。それから棚卸し(在庫確認)。これは本当に大変。商品が小さく、卸しもしていたので在庫が膨大だったからです。在庫の量をきちんと帳簿につければ資産ストックが増加してその分課税額も高くなってしまうはずですが、なぜか我が家ではこの仕事は本当に丁寧にしていました(税務署から指摘されたことがあったからかもしれません)。25日前後から始めてもなかなか終わりきらない。最初は倉庫から始めて、店舗に陳列してあるものという手順ですが、問題はこの段階。在庫品として記録したものが、次々と売れてしまうからです。いまと違ってコンピューターによる管理などできない時代、在庫確認を終えたものが売れた場合は今度は一品ごとに手書きで帳面に記載していく(相互点検作業を今度は事務担当の人が正月明け1週間以上かけて行っていました)、ただでさえ客の多い時にこの作業を行うのは本当に大変でした。そうした忙しさが終わらせてくれるのが、紅白歌合戦の開始。パタッと客足が途絶える。このブログの閲覧が減るのは、別の理由だとは思いますが。
 こうした忙しさだけではなく、他方では自分たちの買物もしました。子供の時は、親が下着・足袋・そして下駄を新調してくれました。そして暮れといえば場所柄(本郷)歩いて上野のアメ屋横丁へ。魚や生鮮食品は出前で配達してくれる時代なので、もっぱら買うのは正月用のお菓子。駄菓子的なものと、その当時としては「高級」な「舶来」のお菓子。ここで思いましたが本郷三丁目の交差点から東大方向に少し歩いたいまは漆原ビルになっている場所は空き地で、ここが力道山のプロレスを見る街頭テレビのあった場所(その少し手前の機山館ホテルに入っていく道に置かれたこともあったような気がします)、そこで駐留軍の放出物資の電化製品が売られていたjこともありました。
 正月が開けると帰郷していた人たちが色々な土産物を持ち寄ってくれる。色々な種類のお餅、冬用の保存食品など。自分にとって最大の記憶は、鹿児島から来ていたお手伝いさんがもち帰ってくれた巨大な伊勢海老、というかロブスター。食べたのは初めての経験でした。
 こうやって自分の周辺にあった文化について思い出してみると、この文章自体もそうですが、文学的な想起、あまり「歴史」と範疇に従来は入れられていなかったものです。かつ若い世代にはかなり理解しにくいもののような気がします。いわゆるコミュニカティヴ・メモリーに分類されるもの。世代的なアイデンティフィケーションの媒体であるそうした記憶の多くは、歴史学ではなく、それ以外のものを媒体として伝えられているという側面があります。
by pastandhistories | 2013-12-31 20:51 | Trackback | Comments(0)

文化史についてのメモ①―曖昧さ

 27日に文化史についての研究会があって、その報告をしたので、その時に用意した内容をもとに、文化史をめぐる問題を連続的に書いてみます。といっても文化史についての専門的研究者でもないし、文化史をかつての社会史のようにことさらものとしての取り上げるという意識がそれほどあるわけではありません。しかし、「言語論的転回と文化史」をサブタイトルとした文章を書いたように、この二つが今後の歴史研究の問題を考えるにあたっては重要だとは思うので、そのあたりのことをメモ的なかたちで提起できればということです。
 幸いなことに予定が延びたので、Peter McCaferry & Ben Marsden ( ed.) , The Cultural History Reader, Routledge ( 2013) の刊行が発表準備に間に合いました。すでに30点近くになった歴史をめぐる論集として定評のあるラトリッジのシリーズの最新の本です。本文全部を読み切る時間はなかったので、その序文を参考にしながらまずは基本的なことについて。
 文化史について論ずる場合、当然のことながら「文化」という言葉と合わせてその規定が問題となります。しかし、これはきわめて曖昧です。すでに多くの論者によって論じられているように、文化という言葉はきわめて多義的にもちいられており、したがって文化史も多様なかたちで論じられうるからです。文化史を現在的な意味で論じる場合は、従来の歴史学、とりわけ社会史との関係をどう論じるかが大事なテーマですが、そのこと自体にすでに意見の混乱があります。
 たとえば上記の論集には、'Introduction to the Reader' と 'History of Cultural History' という実質的には二つの序文が付されていて、その中にすでに意見の違いがあります。前者では、「社会史は1960年代から1970年代にかけて、文化史が1980年代に興隆したことによっていくぶん重要性を失う以前は、ポピュラリティを増加させていた」(p.xx)とされているように、社会史と1980年以降の文化史を区別しているのに対して(もっともこの直後の文章では両者の接合の可能性を論じていますが)、後者では、アナール派が「文化史」史の脈絡から論じられています(p.xxxvi)。
 このような規定の混乱はある意味では多くの論者にも共通するものですが、二つの序文の後者でとくに興味深いのは、社会史との関係だけではなく、歴史学、あるいは歴史一般と文化史がどう区別されるのか自体に曖昧さがあることです。文化史は歴史の様々な分野のうちのその一つの特殊な領域に過ぎないのか、それとも包括的な歴史全体と共通性を持つようなものとして論じられうるものか、という問題です。ある意味ではある時期社会史を根拠づけるものとして論じられた社会史=全体史という議論ともオーバーラップする問題です。
 おそらくこの問題は、社会史がそれまでの歴史に対してどのようなかたちで自らをアイデンティファイしようとしたのかという問題と深く関連しています。その意味では文化史をめぐる現在の問題と共通するものがあります。そのことについては順を追って書いていくつもりです(to be continued)。
by pastandhistories | 2013-12-30 11:15 | Trackback | Comments(0)

最後のプロジェクト

 国際文化史学会の紹介や「記憶の集団化、歴史の個人化」という記事を書いたせいかしれませんが、この3ヶ月ほどこのブログへの月間アクセス数がずっと4桁を超えていました。リピーターもいるのでしょうが、一記事あたりに直すと3桁を楽に超えるということで、自分としては、やや当惑するところもあります。ブログ自体は12日から中断していましたが、その理由は27日に研究会の報告があったからです。おとといそれが終わり、昨日は本当に久しぶりに一日のんびりして、今日も9時まで寝ていました。もっともこの後は日本の大学でいういわゆる繁忙期。論文審査、試験、入試、に加えて年度内の書類作成や、新年度に向けてのシラバスなどの書類作成となります。その合間をぬって、既にここでも記した1月末締切の英文原稿(6000語)を書き上げなければなりません。既に下書きは書いてありますが、この間報告準備に追われてほってあったので、正式のものが書き上げられるか、微妙なところです。せっかくの機会を失したくはないのだけど、集中していかないと難しいかもしれません。
 後の仕事は今年で終わるプロジェクトの最後の企画の準備。これについてはここでも何度か紹介したカーレ・ピハライネン(Abo Academi University・フィンランド)が来てくるることになりました。今年の国際文化史学会の基調報告者を務めたのをはじめ、この間歴史理論・哲学の主要雑誌・論集に名を連ねることの多い評価されてよい人物です。いくつかの企画に参加してくれますが、メインは3月9日(日)の公開セミナーとなります。すでに飛行機のチケットは予約済みで、内容を順次詰めている段階です。細かい内容が決まり次第、広報していく予定です。
 プロジェクトは7年ほど前に大学の企画として成立したもの。その経緯は自分の本でも少しふれてあります。史学科の全員が参加するというかたちをとった企画があまりうまくいかず、その後継企画を立てるということになりました。学科内で争うのは自分の趣味ではないので、いったん新企画は日本史所属の教員に委ね、それが採択されました。ところが新年度に入ってから予算が200万円ほど余ったということで、再募集があり、それならばということで応募したところろ結局5つのプログラムが1企画あたり40万という予算で採択されました。その費用でロバート・ローゼンストーンを招いたのが企画の始まりです。それが認められて翌年度から正式採択となり、年間100万円ほどの予算でその後6年間(計7年間)続きました。このうち招聘や研究会に使える費用は半額程度なので、主要な企画はジョイントとして他の大学や研究機関に(研究者にも)助けてもらい、すすめました。自分としては、ビッグネームや中堅的研究者、そして日本の若手研究者にバランスよく参加してもらい、また予想外の『思想』の特集号、そしてさらにはこれもまた予定外の『歴史として、記憶として』の刊行というかたちで、それなりの結果が出せました。正直言って、多くの人の協力がなければプロジェクトの運営は難しかったでしょう。
 実を言うと最後にもう一人ビッグネームの招聘が予定されていて、日程まで確定していましたが、費用の工面でプロジェクト終了前の実現は難しいという問題が生じてしまいました。かなりのところまで準備が進んでいたので、別のかたちで実現されることをいまは期待しています。
 一昨日の報告のテーマは文化史についてということだったのですが、それなりに枠組みも作ったので、原稿や他の用事と並行して、メモ的なことを明日から少し挑戦的に書いてみようと思っています。
by pastandhistories | 2013-12-29 11:07 | Trackback | Comments(0)

グローバリゼーションとナショナリズム

 水曜日は授業が1時限目。教室が不足して誰かが1時限目をしなければならないので、そうなります。火曜日は大学院の授業が夜、これも実際にはそうしたことは少ないのですが、社会人や他大学からの聴講生のためにそうなっています。どうしても帰宅が夜の9時すぎ。それから食事と風呂ということなので、日のよってはそのままバタン・キュー。早く寝すぎると翌朝朝早くに起きてしまうことがある。今日も随分と早く起きてしまいました。
 ということでその時間を利用して記事を書こうと思っていたら、昔書いた文章が目に入りました。今日はその文章を紹介します。それは、
「しかし、実際にはこうした主張は伝統的なナショナリスティックな議論をむしかえしたものである、と私は考えている。こうした主張のなかに垣間見えるものは、「日本は」という枕言葉である。そこではグローバリズムへの同化の必要は、「日本」というナショナルな単位を前提として語られている。個は直接世界と結びつくものとしては語られず、国家を仲介者として世界に関係させられている。グローバリズムという言葉は、ナショナルな単位に人々を統合するための便宜的なものとしてもちいられている場合が多い。グローバリズムはナショナリズムを別の言葉で言いかえたものでしかない。
 歴史を冷静に考察するならば、こうしたグローバライゼイションとナショナリズムの結合はけっして特異なものではなく、むしろありふれた現象であったといえる。それがいつ頃から始まったかについてはなお多くの議論の余地があるが、ヨーロッパの世界進出と、近代国民国家の形成はほぼパラレルなものであった。その意味では近代以降の世界にあってはグローバリズムとナショナリズムはむしろ結合することのほうが自然であった。アダム・スミスの著作が『国富論』と訳されているように、自由貿易論は、国民経済確立の原理でもあった。人類の普遍的進歩という言葉は、ヨーロッパの国家がアジア、アフリカに進出していくさいの道具として使用された。国家は、国際正義、国際的秩序、国際的連帯、といった言葉を、国民を戦争に駆り立てる手段としてもっともよく使用した。有名な言葉をもじれば、愛国心ではなく「グローバリズムが悪党の最後のよりどころ」であったのである。
 このように。グローバリズムとナショナリズムとは意外なほど歴史的には結びついてきたものである。しかし、それは意味内容としては本来は対立しあうものである。そこには矛盾がある。その矛盾をとくためには、どうしても論理的なトリックが必要になる。ナショナリズムの根拠となるネイションがバイアスをもたない社会であるという論理が多くの社会で採用されてきたのはこのためなのだろう。近代ヨーロッパが、とくに19世紀以降の自らの社会と文化を、普遍的な価値のあるものとして語ったのはそのためであった。また現在の日本の社会で、その社会がバイアスをもっていないということの意識的よりどころとなっているものが、グローバライゼーションの担い手であった近代ヨーロッパに自らを同化しおえたという意識、つまり明治維新以降の日本のナショナルなあり方をささえた脱亜入欧という意識の延長にあることを否定することは難しい。
 以上のように、私たちがグローバルなものであると思いがちなものは、実際にはナショナルな視点に支えられている。端的にいえばグローバリズムというものは現実には、自らを「世界」であると称したネーションが、その世界のなかに、国民ならびに「旧世界」の人々を統合していくためにもちいた、そしてまたもちいているイデオロギーという面を抜きがたくもっている。
・・・しかし、そのことをふまえたうえで次に議論すべきことは、グローバライゼーションが、歴史的には、あるいは現実にも、ナショナリズムと深く結合したものである一方で、他方ではその媒体であったネーションを超越し、解体するといった要素を本質的には内包しており、そのことがグローバリズムのもっともおおきな思想的根拠となっていることだろう・・・・」(『国境のない時代の歴史』1993年、139~142頁)
というものです。
 出版に時間がかかって、原稿が完成していたのは1991年頃。実際には以前の大学にいた時の講義をもとにしたものなので、構想自体はソ連が崩壊する以前に既にまとめられていたものです。自分にはいくつかのモチーフがありますが、ここに書かれていることはそうしたモチーフの一つです。自分が安易なグロバりゼーション論や、そしてグローバルヒストリー論に対しても批判的なのは、このためです。
by pastandhistories | 2013-12-11 05:49 | Trackback | Comments(0)

ネガティヴな状況の中で

 この三日ほど記事は書いていないのに、かなりの数のアクセスがあります。多分連続して書いた「歴史の個人化、記憶の共同化」という記事への関心ではなく、この間の特定秘密保護法制定の動きに対して、どのような考えがあるのかという関心からなのでしょう。プロジェクトの一環として社会運動史の問題を取り上げ、『歴史として、記憶として』という書物を出したわけですから、この問題について書くのは自分の責任かもしれません。
 結論から言うと、なぜ法案が採択・制定に至ったのかといえば、反対運動が弱かったからです。おそらく、これが「社会運動史」の時代であれば、衆議院可決の段階で2割から3割の大学で学生ストライキが行われていたでしょう。もちろん労働者によるストライキも行われ、一部の新聞社や放送局においてもストライキが行われていたでしょう。そしてそうした状況では、仮に自民党が議会で多数派を占めていても、法案は廃案になったはずです。事実、労働者や学生の社会運動によって、日の目を見なかった「反動的法案」の例は、戦後政治のなかで少なくはありませんでした。といった状況とは全く異なっているのが、現在の状況です。
 現在の大学はそうした状況の中に置かれています。おそらくそうした大学においては、さらに加速的な保守的再編が進行していくでしょう。自分がつねに思うことは、社会や大学がそのようなかたちで「ネガティヴに変化してきている」中で、そうした社会・大学の枠組みの中にある学問だけがどうして「ポジティヴなものとして変化することが」可能なのかということです。
 学問的な世界において大事なことは、対象についてばかりでなく、自らのあり方についてもロジカルに思考していくことです。自分を取囲む枠組みがネガティヴなものへと変化しているのに、自分だけがポジティヴな方向へと向かっているというのは、けっしてロジカルな思考のあり方ではありません。自省のない、自己中心的な思考にすぎません。
 このブログで書いてきたことに関係させれば、そうしたネガティヴな状況の中で、歴史研究はナショナルヒストリーからグローバルヒストリーへと、政治史・経済史から(一部での間の束の間の社会運動史への関心をへて)社会史、そして文化史へと移ってきました。ネガティヴな状況の中でです。そうしたネガティヴな状況と考え合わせて、現在の歴史研究の方向性に内在している問題をつねに自省していくことが大事だと自分は考えています。
 グローバルヒストリーや社会史・文化史という新しいアイディアが今後の歴史研究の一つの方向性であることは確かです。実証の着実な積み重ねは歴史研究の基本です。しかし、それだけを自己の研究の根拠とするだけでは不十分です。そうした方向性が学問的な方向性として可能性を持つものであったとしても、同時に自らの研究が、現在のような社会や大学を作り出しているパブリックススペースのあり方にどのように関係しているのか、そしてどのようにしたら有効なかたちで働きかけることができるのかを考えていくことが、本当に大事な時期になったと思います。自分が政治史や社会運動史という視点がいまなお、というより今だからこそ重要だと考えるのも、そのためです。
by pastandhistories | 2013-12-07 20:53 | Trackback | Comments(0)

補遺

 「歴史の個人化、記憶の共同化」というテーマについて少し連続的に書いてみたら、反応が大きくて戸惑いました。今日もかなりのアクセスがあって、困っています。自分としてはきちんとした形で問題をたてられそうな気がしたのですが、うまくまとまらず正直言って今回の企ては失敗。もう少し色々読んでからまたチャレンジできればというところです。
 今日は補遺的なことを羅列的に。まず共同化の前提である「記憶の外化」という問題について。この問題は回想記や自伝を例にとるとわかりやすいところがあります。自らに語り聞かせる自己物語は内化されている記憶ですが、回想記や自伝は記憶を外化したもの。日記は自己に物語られるという点で本来は記憶の内化ですが、結果的には人に読まれる(ことを意識している)ものであれば、それが他者に読まれた時点で外化された記憶です。つまり歴史史料として用いられる日記は外化された記憶です。先日も会の後にこのブログでも紹介したメモリーボックスという考え方について説明してほしいといわれましたが、メモリーボックスという考えは、外化された記憶が何らかの形でトランスファーされていくさいの媒体となるもののことだと思います。
 記憶が外化されるものであれば、それは純粋に個人的なものではなく、共同性を持つものとなります。集合記憶・・・・記憶の共同化という考えはそのことを根拠としています。くわえて繰り返し書きましたが、発達段階における社会化の過程で、人間は彼ら自身も社会的存在であり、それゆえ社会的な記憶を有している人々の過去認識を継承するというかたちで、共同化されている記憶を保持するようになります。その媒体となる言語はもとより、身体的なもの、あるいはパフォーマティヴなものも一定の共同性を持つものですから、人々の持つ記憶が純然とした個人的なものではなく、共同性を持つものであるという議論が「記憶の共同性」という議論の根拠です。
 この議論はそれほどおかしな議論ではありません。ただ自分が「記憶の共同化」という言葉をもちいたのは、共同化された過去認識として、歴史ではなく、記憶という視点からの議論が最近では生じているということを論じるためです。また自分が「記憶の共同化」ということにポイントをおいているのは、共同化された過去認識としていきなり超然的な「歴史」(その代表がナショナルヒストリーですが)を持ち出すのではなく、はるかに小さな共同性を過去認識の重要な要素として取り上げていくことが大事だと考えているからです。
 歴史の個人化という言葉もその意味で自分は用いています。これも繰り返しになりますがこの議論のポイントは二つ、認識対象の個人化と認識主体の個人化です。認識対象の個人化というのは、個人を対象としたミクロヒストリーへの流れ、認識主体の個人化というのは、たとえば「日本人の歴史」とか「日本から見た歴史」というようなコンテクスト性から抜けでて行くということです。実はこの先の議論としてそういうかたちで個人化されたものが実は全体的な構造やグローバルな枠組みと関連しているという議論の仕方もありますが、自分はそうした議論には疑問があって、あくまでも現在的には純粋に歴史の個人化という問題を考えてみたいと思っています。
 補遺的なメモですからついでにもう一つ書くと、collective memory と commemoration の議論はレベルの異なるものとして考えるべきでしょう。コレクティヴ・メモリーは上記のような記憶の社会性に基づくものですが、コメモレーションは共同性を持つ記憶装置、別の言い方をすると共同の記憶を生み出すための媒体となっているものについての議論という面がかなりあります。モニュメント、記念行事、その他の制度化され、集団化された記憶行為、そして博物館、さらには教科書、そしてパブリックな空間にある様々な記憶装置を媒体として形成されているものがコメモレーションという言葉の含意するところでしょう。その意味ではコレクティヴ・メモリーがメモリースタディースと関連させて論じられることが多いのに対して、コメモレーションはメディアスタディースに関連して論じたほうがよいかもしれません。
 記憶にしても歴史にしても過去認識は、なんらかの媒体(メディア)をとおして人々の中に形成されているものです。その意味ではそのそれぞれは純粋に自発的なものではなく共同性を持つものですが、記憶が個人を日常的に取り囲む近縁的な集団を媒体として日常的なかたちで形成される面が強いのに対して、歴史ははるかに大きな集団を単位とした超然的な共同性を持つものとして近代以降は立ち現れてきました。そうした共同性の根拠と媒体、それを批判的に検討するにあたって、記憶の集団化、歴史の個人化というテーマは重要ではないだろうかというのが自分の考えです。
by pastandhistories | 2013-12-02 22:43 | Trackback | Comments(0)

歴史の個人化、記憶の共同化⑨

 一つのテーマを決めてずっと書いたのは初めての試み。もともと11月いっぱいのつもりだったので今日を最後にします。といってもまだ書き残していることも多く、果たして書き切れるかというと多分無理だとは思いますが、いちおうメモしてあることを書きます。
 いろいろ書いてきましたが、この文章作成が難しいのはそもそも記憶と歴史の概念的な区分がしにくいから。記憶を個人的なもの、歴史を集団的なものというかたちで前提とすること自体に疑問もあるからです。ということで、それらをまとめて過去認識という言葉を使って話を進めていきます。
 人間の過去認識がどのような形で形成されているかというと、もちろんそれは発達段階に対応したものです。個人が発達段階に社会化されるに応じて過去認識も形成される。両親をはじめとした近縁的な人々を媒介として過去認識はまず形成される。そうした人々自体もまた社会的存在であるという点で、過去認識は二重の意味で社会的なものであるといえます。
 このような形で個人のなかに初期的に形成される過去認識は、基本的にはパブリックプレースにある過去のかたちを継承します。さまざまな習俗的な過去への知、さらには偉人伝や昔話、漫画やテレビなどを媒体として、それらをけいしょうするかたちで発達段階に対応するかたちで、過去への認識が形成されてきたことは、自らの個人的経験からも理解できます。ここで重要なことは、こうした過去認識において「歴史」として人々に開示されるものは、「歴史」である以上、「事実性」を根拠としているということです。たとえば偉人伝や歴史映画・漫画・小説はそれぞれのジャンルの技法に従って「構築」されたものですが、あくまでも「歴史」である以上、その根拠とするところは「実在した人物」であり、「事実」であるということです。しかし、そうした「ジャンル」で示されてい「歴史的事実」、たとえば織田信長は、そうしたジャンルの技法に従って構築された、輿那覇潤さんが最近『日本人はなぜ存在するか』で論じたような、「再帰的な事実」です。
 実はこうした事実性というのは、フィクションにおいても重要な役割を果たしています。仮に登場人物が実在人物ではないとしても、「1930年の12月に」という表現があれば、それは事実です。というより、その小説や映画にたいする人々の了解を作り出すために利用されている「再帰的な事実」です。パブリックプレースにある歴史のなかでは、こうした事実性は重要な役割を果たしています。そしてそうした再帰的な事実性を支えているのは、アカデミックプレースで構築された歴史を媒体に、学校教育をとおして人々の中に共同化した、「事実としての歴史」です。
 問題はこのような形で共同化された歴史が、きわめてイデオロギー的なものとして重要な役割を果たしてきたことです。その端的な例が、「日本人の歴史」です。それは、パブリックプレースとアカデミックプレースの歴史、そして「再帰的な事実」が一体となって形成されたものです。さらにいえば「西洋中心的な世界史像」もまたそうしたものです。このように考えたときに、アカデミックプレースにある歴史が根拠としてきた事実性をもう一度問い直すべきだというのが、歴史研究や歴史教育に関係してきた自分が考えていることです。同時に個人にとっては、より確実な経験的認識である記憶の問題を対比的に考えてみようというのが自分の考えです。
 さいわいにして、こうした問題関心は自分に特異なものではなく、この間実に多くの議論が行われ、興味深い関連文献が出されています。そうしたものを紹介するかたちでこのブログも書き進めようと思ったのですが、テーマが大きすぎ、また他の仕事との関係で、正直言って今回は最初の入り口しか書けませんでした。そもそもメモとはいってもこのテーマをいきなりここに書き込むのは少し無理がありました。もう少しまとめてから機会を見てこのテーマについては書いていこうと思います。
by pastandhistories | 2013-12-01 21:38 | Trackback | Comments(0)

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