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子供の大人化

 「文化史についてのメモ」を書いていて、また記事が途絶えてしまいました。下書きのメモは作り直しましたが、、結論まで進むのか、それとももう少し内容的なことについての考えを作ってからということで時間を置くか、少し迷いがあるからです。加えて年度末の繁忙期、書類書きに加えて論文審査や答案の処理という大事な仕事があります。しかし、もうひとつの中心的な仕事は、月末締め切りの英文原稿。中旬にほぼ下書きを完成させて編集者に送りました。あわせて、たまたまある人からメールで原稿が送られてきたので、その礼状に下書きを添付したら、数日のうちに返事が来てfascinating だったとして、丁寧なコメントが来ました。名前は書きませんが、歴史理論については先端的な仕事をしている、高名な実証的歴史研究者、ほっとしました。
 編集者からは、導入と結論をもう少し具体的にしてほしいというこれも丁寧なコメント(この人らしい緻密な意見です)。そのためにさらに2000語まではスペースを使用してもいいということです。そこでその部分を書いて、6000語の下書きを7300語に、あわせて注の補遺ということで、この間はその仕事にかなり時間を割いていました。以前書いたように、学生にいつも伝えていることは、「サンドイッチは中身から」ということ。まず中身を書いてから、後で序論と結論は付ければいいというのが、自分の考え方で(内容にもよりますが)、今回もそうした手法をとりました。文章全体もそうですが、結論は研究と政治的状況の関係の重要さというものです。
 ということで、今日は大事なことですし、このブログで書いてきたこととも大きく関係するので、安倍首相と籾井会長の「歴史」に関わる発言について書いておきます。なぜ二人の発言が問題なのか。まず安倍首相について、「第一次大戦前の英独関係と現在の日中関係をなぞらえた」発言。本人は(そして取り巻きも)未だに理解できないようですが、問題は100年前と現在の状況の違いをまったく理解できていないからです。百年前は大国間の戦争が予想され、またそれが現実となったとしても、二つの大戦を経て、少なくとも欧米の国家間ではそうした国家間の戦争を前提とすることは、まったく非合理なことであるということが常識化している(英独間の戦争の危機を誰が現在予想するのでしょうか)ということが、逆にそれをアジアにおいては常識的なものだとはしないと思考が日本ではむしろ増大していることを安倍首相の発言は示した、そのことが問題となっていることを彼はまったく理解できていません。もちろん英独間の戦争が予想されないことが常識化したのは、そうした努力がイギリスにおいてもドイツにおいても積み重ねられてからであって、その努力をすることが政治の営為の最大の目的であることを日本の現在の為政者が公然と無視していて、そのことへの自覚が全くない、その事への批判なわけです。
 籾井会長の話も同じです。相対主義をめぐる問題で書いたことがありますが、売春は今でもあるから、過去にあったのは当然だ、軍事的残虐行為も同じだというのは、実は相対主義ではなく、現在自らがもつ価値観をむしろ絶対化しようとする議論に過ぎません。そしてそうした価値観は、実はけっして普遍的なものではなく、近代国民国家において形成され、多くの非理性的な行為の起点となったものです。
 この二人の主張が本当におかしいのは、それが子供の喧嘩の理屈だということです。「相手もやるから、自分もやる」。「そうした主張をしあえば、喧嘩は収まらない。おたがい非を認めて理性的に話し合いましょう」それがそうした子供に対して、大人が諌めること。人間社会にあるそうした基本的営為がまったく理解できない、本当に幼稚な発言が、一応は大学をでたらしい人物たちが繰り返している、そこが大きな問題なわけです。
 しかし、本当の問題は、彼らがそうした幼稚さにも関わらず、自らを大人だと思っていることです。なぜなら、「歴史を持ち出しているからです」。子供は歴史を、とりわけ彼らが認識しているような世界史的認識は持ちません。そうした世界史的認識は、子供が社会化される過程で、つまり大人化していく中で保持するようになるものです。歴史の共同化です。問題はその共同化が近代においては、国民への共同化として進行し、それが20世紀には歴史ではかつてなかったような、ホブズボウムによれば一億人以上もの人々が、国民国家が主体となった戦争によって殺戮された、そのことが正当化される際に、大きな役割を果たしたことです。
 脱構築論の議論がなぜ「歴史の死」という議論まで至ったのかというと、それは二人の発言に見られるように、歴史が幼稚な大人を作り出す大きな要素になってきたからです。
by pastandhistories | 2014-01-27 06:54 | Trackback | Comments(0)

文化史についてのメモ⑥イデオロギーとしてのリアリティ

 文化人類学と歴史の関係を論じるさい、ギアーツとの関係は論じられるのに、レヴィ・ストロースとの関係はあまり論じられないのはなぜか、という問題について何度か前に少し書きました。論じるには十分な準備のいる問題。とてもここでは論じられません。そのレヴィ・ストロースの考えに影響を与えたとされるのがソシュールの議論。以前も書きましたが、彼の主張の中で自分がもっとも印象づけられたのは、「共時態は通時態に優先する」という言葉です。物事をその起源に遡って「歴史的」(通時的)に説明するのは、学問の基本的手法ですし、言語研究ならその重要な構成要素の一つは語源論(エティモロジー)。言語学者であるソシュールがそうした主張をしたことに意外感があったからです。
 このソシュールの主張は脱構築論の一つの根拠を提供しています。簡潔に言えば、歴史的に物事を根拠づけるより、現実に存在している実際の関係を優先して思考していくということです。なぜならそれは実際に存在していて、その具体的態様を現実のものとして、確認できるきわめてアクチュアルのものだからです。そのようなかたちで自らが経験できるものを思考の中心とするということです。
 自分が訳した文章にもありますが、ヘンドン・ホワイトはしばしば「歴史は経験できない」と主張しています。彼がこうした主張をするのは、おそらくは、歴史がリアリティに基づくということをその最大の根拠としていることを批判するためです。歴史がその根拠としているものは、自分が経験できるという意味でのアクチュアリティを有するものではなく、イデオロギーとしてのリアリティにすぎない彼が考えているためでしょう。
 「日本の歴史」も、「日本人の歴史」も、あるいは逆にマルクス主義的歴史学が論じた「科学的歴史」がその根拠においたものは、イデオロギーとしてのリアリティであることは、ある意味では自明のことです。脱構築論的な議論は、それをさらに推し進めて、広く学問的な世界の歴史の中にも、そうした側面が多くあることを指摘しました。文化史という方向性に意味があるとしたら、それは一部の社会史が陥ってしまったような、リアリティに基づくとされる読み物の生産ではなく、アクチュアリティに対する幅広い関心に支えられた歴史でなければならないと思います。
by pastandhistories | 2014-01-16 21:45 | Trackback | Comments(0)

文化史についてのメモ⑤―社会史とパラダイムの転換

 三が日が明けてからは、今月末締切の英文原稿を書いていました。ある程度の下書きはできていたのですが、暮れの27日まで研究会の報告がずれ込んだので、しばらくほってあったものです。今日ほぼ結論まで進みました。約5000語、注を入れて6000語というのが規定なので、長さととしては適当です。草稿の段階で辞書を使うと時間がかかるので、文法や用語はまだチェックはしていません。明日からチェックしていきます。
 ということでこのブログは休んでいました。少し時間ができたので、「文化史についてのメモ」の続きを書こうと思ったら、なんとそのメモのためのメモが見当たりません。職場に置いてきたのか、他の書きかけ原稿と一緒に捨ててしまったのか、よくわかりません。思い出しながら書いていきます。 5回目に予定していたのは、「社会史は結局は通常科学的に発展した」、つまり「パラダイム転換はしなかったのでは」という問題だったはずです。
 前回「社会経済史ボケ」という山口昌男さんの主張を紹介しましたが、多分これはその前に実証ボケという言葉が付されていたはずです。つまり山口昌男さんは、「社会経済史」という方法に加えて、「実証」を研究の根拠付けとし、それで事足れりとしている歴史学のあり方を批判したわけです。
 ここから見れば山口さんの言葉がなぜ死語になったかは自明です。前回指摘したように、社会j経済史から社会史へという流れが見られたとしても、実証を否定するかたちでは歴史研究は成立しないということが多くの歴史研究者にとっても常識だからです。
 しかし、ここで重要なことは、社会経済史から社会史という流れは見られたことです。その変化の中で何が起きたのか、一つは形式的な実証がさらに深化したことです。山口さん的に言えば(自分が同調しているわけではありません)実証ボケはますます進んだわけです。もう一つは、社会経済史が含意していた政治が廃棄されるようになったことです。皮肉なことに、社会史の台頭とともに、政治を含意していた社会経済史はその影響力を失い、社会経済史は緻密な実証を進めるかたちでたんなる社会経済史へと転化していきました。
 一方社会史に関しては、アナール派をめぐる議論は難しいところもありますが、たとえばイギリスやドイツの社会史には政治的含意はありましたし、もともと社会史にはフーコーなどに代表される新しい権力論を含み込むところもありました。しかし基本的には社会史もまた次第にそうした要素を失なうかたちで、実証史学として学問的に確立されることになりました。
 最初に「社会史は結局は通常科学的に発展した」けど、「パラダイム転換はしなかったのでは」と書いたのはそのためです。自分は山口さんの主張には与しませんが、日本の学問的世界では社会史が生み出した流れは、既成の学問的秩序を根底的に覆したわけではなく、それを補完しただけに過ぎないといっても、それは厳しすぎる評価ではないと自分は考えています。
by pastandhistories | 2014-01-11 22:21 | Trackback | Comments(0)

文化史についてのメモ④―社会経済史ボケ

 連続的に文化史についてメモ的なことを書いています。このことに関して驚かされたことは、「社会経済史ボケ」という言葉に関してのことです。ネットの便利なところは特定の言葉についての引用頻度がわかること。この言葉がどのくらい現在ネットにあるのかと思って検索したら、なんと同じ研究会に属する杉山精一さんの文章の一例だけ。本当にびっくりしました。
 この文章は文化人類学者の山口昌男さんが大きな影響力を保持していた社会経済史を痛烈に批判した言葉として、きわめて鮮烈な印象を当時は与えたもの。随分と多くの人がこれを引用して語っていたという印象があったのですが、現在ネットの検索でヒットするのは、たった一例、本当にびっくりしました。書かれた当時にもそう思いましたが、「ボケ」と言葉は現在では差別的な表現とみなされるもので、それが理由で人の口に膾炙されなくなったということもあるかもしれませんが、それにして一応は歴史的事実であったわけだし、この記事も一例ですが、文化史論がしばしば論じられているようにこの主張に該当する事実が消え去ったわけではないわけですから、随分と意外な話です。意外といえば、社会経済史学会は正直言って文化史より有力な歴史へのアプローチとしてなお健在です。
 現在の社会経済史はともかくとして、社会経済史がある時期まで(このような痛烈な批判の対象となるほどに)有力であったという理由は、この間の会でも話しましたが、それが社会と経済の歴史に限定されていたわけではなく、politics included だったからでしょう。封建制から資本主義への制度的転換、土地や資本を媒体とした支配関係といった、政治に関連付けられる多くの問題が、その基本的要素ともなっていたからです。あえて明示されなくても、そのなかに(上部構造としての)政治が、大きく含意されていたからです。比喩的に言うと、ある時期まで社会経済史は政治と緊密な内縁関係にありました。
 このことは社会経済史と社会史との微妙な関係、なぜ伝統的な社会経済史の流れから、増田四郎さんや阿部謹也さん、さらには二宮宏之さんをこの系譜に含めてよいのかもしれませんが、社会史についてのパイオニアリングな作業をする人たちが登場したのか、という問題と関連しているのかもしれません(もっともこの議論をする場合は、社会史への系譜は、たとえば社会運動史などのような他の系譜からも派生したことをふまえなければならないとは思いますが)。
 いずれにせよ、1970年代の社会史の台頭や、山口昌男さんの「社会経済史ボケ」という批判が行われそれが一定の支持を集めたのは、政治を暗にふくみ込むことによって圧倒的な支配的地位を確立していた社会経済史に対する疑問があったからだと自分は考えています。だとすると、「社会経済史ボケ」という批判が、社会経済史という研究スタイルがなおある程度健在である時代に、全く忘れ去られた死語になっているという状況の意味を考えていくことは、かなり重要なことであるような気がします。
by pastandhistories | 2014-01-04 19:58 | Trackback | Comments(0)

文化史についてのメモ③―狭義の文化史

 昨日およそ歴史叙述・歴史学の政治(や文化)を取り除いたものはないと書きましたが、これは必ずしも正確な表現ではありません。文化史の流れとして、政治に対してexclusiveなもの、別の言い方をするとアポリティカルな流れがあるからです。史学史的な整理をすると、ブルクハルト―(ランプレヒト)―ホイジンガー・・・(さらに含むとするとブローデル)という流れ、「狭義」の文化史の流れです。
 このように史学史的に狭義なかたちで文化史を説明するものとややニュアンスは異なりますが、もう一つ文化史を狭義にアイデンティファイするものとしては文化人類学との学際的な関係から説明していくものがあります。レヴィ・ストロースには反歴史的な思考があったと論じられることが少なくないので、ギアーツの「厚い記述」(thick description)に始まる流れと関係付けるというもの。ポスト構造主義的な議論と関連付けるものです。意味、象徴、儀式的行為、表象、といった視角を歴史分析に用いていくというものです。
 「文化史」を論じるときは、この二つの流れとどう関係づけるのかも議論としては重要です。ただ自分としては、この二つとの流れを過剰に強調することには批判的です。前者については、この流れは重要なものだとは思いますが、昨日も書いたように、歴史叙述・歴史学からことさら「人為的」に政治という要素を排除することには疑問があるからです。後者については、歴史叙述・歴史学は本来的にきわめて学際的なものであって(社会史という研究視角が登場したことによってにわかに学際的になったわけではありません)、文化人類学的な視点がそれまでの歴史に欠けていたいくつかの革新的な要素(上述のような分析概念、さらにはオーラルメソドなどの方法的革新)を含んでいたことは事実ですが、歴史と他の学問領域との関係を、とりわけ文化人類学的なものに特化することもまたおかしなことだからです。
 ある意味ではきわめて常識的なことですが、文化史についての議論をするなら、こうしたことを基本的には前提とすべきでしょう。
by pastandhistories | 2014-01-03 11:06 | Trackback | Comments(0)

文化史についてのメモ②―politics left out

 昨日と今日は朝少し英文原稿の手を入れました。今は箱根駅伝のテレビをつけながら、このブログを書き始めました。さすがに英文はナガラ族では無理だからです。
 駅伝といえば、ゼミに昨年まで一人メンバーがいました。文学部史学科となると体育会活動と単位取得を並行するのが厳しいのですが、本人が入学時に史学科に強く希望していたことと、ある事情から駅伝には理解がありそうな教員ということで、史学科に入学しました。単位はすべて取得し、卒論だけとなり、事情から一年遅れて今年卒業してくれそうです。残念ながら他のメンバーのレベルが上がりすぎて出場できませんでしたが、卒論はきちんと書いてくれました。
 さて「文化史についてのメモ」の続きとなります。やはり文化史について大事なことはアイデンティフィケーションの問題。文化史をアイデンティファイする場合、他の歴史、とりわけ社会史とどう区別されるのかということになります。The Cultural History Reader の序文を読んでもこの問題がわかりにくい。そもそも従来の歴史叙述・歴史学とどう文化史が区別されるのかということが曖昧。序文でもヴィーコやヴォルテールから叙述が始まっています。しかし、この問題はよく考えてみると当たり前のことです。そもそも歴史叙述・歴史学から文化の要素を取り除くという考え自体が奇妙だからです。というより、一部の「国史」というようなものに叙述を特化した歴史を除けば、あらゆる歴史叙述・歴史学には文化的要素が含まれていた、そもそもそうしたものの方がむしろ支配的であったと考える方が、常識な理解かもしれないからです。
 このことは、実は社会史のアイデンティフィケーションの問題とも関係しています。社会史をアイデンティフィケーションした言葉として有名なのは、トレヴェリアンのpolitics left out という言葉です。あるいは従来の歴史がグレートマンを中心とした政治史であったいうものです。これもよく考えると奇妙な議論という部分があります。そもそも歴史叙述・歴史学から政治を取り除くということはどういうことなのでしょうか。実はこのレトリックは意外なほど学問的世界では使用されていたものです。「学問の中立性」という言葉はきわめて一般的なものでしたし、学問と政治を区別することはこれもまた学問的世界の常識的なレトリックでしょう。また繰り返す部分がありますが、一部の歴史学・歴史叙述を除けば、そもそも政治史のみによって歴史叙述・歴史学が構成されていたというのは、議論としてあまりに事実理解を欠いたものです。トレヴェリアンの意味は、政治史という枠組みを歴史研究の一つのあり方として理解しながら、それとは異なる歴史研究のあり方として、宗教や教育の役割、さらに生活や文化の諸側面についてillustrated な形態を含む歴史の説明を試みたことです。
 1960年代に影響力を拡大させた社会史論のなかで下からの歴史とともに、politics left outという言葉 が引用されることが少なくなかったのは、歴史から政治を排除すべきだと考えたわけではなく(そうだとしたら、それは批判的枠組みを失ったきわめてイデオロギー的なものです)、歴史理解において不可欠な政治的要素を、事件やグレートマンを中心としたものではなく、様々な社会諸科学をとおして示されるようになった、あるいはフーコーが論じたようなディスカーシブな枠組みを根拠として成立しているものだと理解することをとおして、歴史理解を緻密化していくべきだという問題意識に基づいていたと考えるべきでしょう。
 今箱根駅伝は山登りで、そのせいか議論も右に行ったり、左に行ったりですが、今日書いたことで大事なことは、およそ歴史叙述・歴史学のなかにおいて、文化とか政治というものは、それをどういう視点から理解していくかは時代によって変化していますが、つねに重要な要素として存在していて、それをleave out するというかたちでの議論自体が実はやや奇妙なものだということです。
by pastandhistories | 2014-01-02 12:47 | Trackback | Comments(0)

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