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ビートルズとAKB

 昨日ホブズボームのビートルズ論について書いたさいに、最後にAKBについての文章を付記しました。批判があるかもしれません。ビートルズとAKBという「質的」に異なるものを一緒にして論じるのはおかしい、というような考えです。
 この問題に関連しますが、以前魔女狩りについて書いた時に、「神」の実在と「お化け」の実在というような問題について、その審級を差別化するという議論の仕方を批判したことがあります。あえて言えば、このことはビートルズとAKBという問題についても言いえます。そもそも「神」と「お化け」は確かに質的には随分違いがあるとも言えます。かなりレベルの違う存在です。その意味ではその審級を区別してよいかもしれません。しかし、ビートルズとAKBは「同じ」人間です。1960年代のビートルズは、今のAKBと同じように、一風変わった「画一的な」ファッションを纏っていた存在でした。あえて両者の違いをあげれば、ビートルは「男子」で、AKBは「女子」であること、そして日本人から見れば、「外国人」と「日本人」であるということにあるかもしれません。だとすればそれほどまでに差別化してもよいのでしょうか。
 本当のことを言えば、ビートルズは自分たちの世代にとっては、他とは区別されるべき存在です。今でも一番親しみがもてる音楽でしょう。さらに言えば、日本では戦後のある時期まで支配的であったアメリカン・ポップスにとって代わるという側面がありました。比喩的に言えば、「進駐軍」がもたらしたアメリカ文化にとって代わる自分たちの世代的な音楽。ジャズ演奏をタイトルバックに印象的にもちいた篠田正浩監督の『瀬戸内少年野球団』によってもシンボライズされるような文化に代わる、そうした音楽であったということです。もっともよく知られているように、ビートルズの初期の演奏作品には、「マイ・ボニー」のような伝統的なアメリカン・ポップスが含まれていたわけですが。
 こうしたことは別として、昨日の記事に関して今日補足しておきたいのは、その時代時代にシンクロニカルなかたちで支持を得た大衆的な文化が、長期的にその生命を長らえるのは、その文化に内在する質の問題だけではなく、そうした文化を継続させていく制度的な枠組みにもよっているということです。そうした制度的枠組みが維持されるなら、AKBも時代を超えて残されていくかもしれません。大衆的な文化としてのナショナリズムのいくつかの要素が、なお長期的な生命をもちえているようにです。
 今日の議論は、結構飛躍していると自分でも思いますが。・・・消した方がいいかな。
by pastandhistories | 2014-05-25 20:13 | Trackback | Comments(0)

アフター・ホブズボーム⑥―ジャズとビートルズ

 先週は少し風邪気味。まだ完全には抜け切れませんが、今週はいよいよ卒論の題目届けの締切りの時期に入ります。規則では月末までに提出、これを提出し忘れると卒論そのものの提出が受理されません。いくつかの事情が重なって、例年は20人以上を超えつづけていた主査として担当する学生の数は、10名少し。だいぶ楽になりました。といっても近現代史担当ですから、近年ますます広がるヴァリエーション。
 「ドイツ鉄道史」「カリカチュアの歴史」「ナチスと映画」「タバコの文化史」に始まって、「レヴィナス」それから勧めたわけもないのに、「フランス五月革命」と「スターリンとトロツキー」。こうした傾向は今年だけではなく、最近は「服飾」「美術」「音楽」それから「食事」などは学生の好むテーマです(実際には卒論としては、かなり難しいテーマですが)。昨年は「ディズニーとアニメーション」という論文もありました。一言で言えば、「マルクスを読まなくてもわかる近現代史」(もっとも流石に「スターリンとトロツキー」はマルクスを読んでくれるとは思いますが)。こうした最近の論文のなかで面白く読めたのは「ジャズの歴史」。別にバンドに加わっていたわけではなかったようですが、本人が本当にジャズのことをよく知っていて、音が聞こえてくるような部分がこの論文にはありました。
 ホブズボームもしばしばジャズ評論に関連付けて論じられます。「アフター・ホブズボーム」でも彼が論じたジャズを演奏しながら、その評論内容を論じたセッションがありました。そのかいでも、また最終日のイリーの報告でも触れられたのが、ホブズボームのビートルズ評価です。Gregory Elliot, Hobsbawm: History and Politics (2010)でも引用されていますが、「20年ほど経てば、ビートルズについては何も残らないだろう」 (p.45, cited from New Statesman, 8 Nov. 1963) という主張です。議論となるところは、ジャズを素材として民衆文化に好意的態度を示したホブズボームが、ビートルズをこのように論じ、その予言が大きく外れたことです。
 その理由は商業化された文化への反発。もちろんジャズにも商業化という側面はあるけど、周縁化されていた人々が歴史的に保持していたものが、他の形態の音楽とフージョンしたものであるということへの関心が、彼がジャズに好意を寄せた理由かもしれません。それではビートルズにはそうした要素はなかったのか、広くポップスと言われる音楽ジャンルにはそうしたものはないのかということになれば、大変な論争になってしまいそうです。ただひとつの大きな問題は、音楽に限らずパブリックスペースにおいてポピュラリティを持つものをどう考えていくのかということです。さらに言えば、ビートルズを批判するわけではありませんが、固有名詞化され、そのことによって商業化されているものに対する匿名性の問題、そうしたこともこうした問題を議論することの手がかりであるような気がします。
 どうでもいいことかもしれませんが、、「20年ほど経てば、AKBについては何も残らないだろう」 という予言は当たるのでしょうか。外れるのでしょうか。
by pastandhistories | 2014-05-24 22:21 | Trackback | Comments(0)

アフター・ホブズボーム⑤―labor history

 今回のアフター・ホブズボームの会で残念だったのは、以前参加していたLabour History Society の会合でみかけたらしき人とあまり会わなかったこと。以前書いたようにイギリスでホブズボームを見かけたのもこの会合で、Chartist Conference が定期的に開催されるようになる前は、海外ての会合で時間が可能な場合は参加していたのはこの会だったからです。
 日本でもいくつかの機会に紹介されたように、一時期イギリスの労働史研究の中心であったのがこの会、会から出されているLabour History Reviewは丁寧な文献目録を含めて、イギリス労働史研究に大きな役割を果たしてきました。似たようなタイトルの英語での労働史研究雑誌としては、Labor History(1953~), International Labor and Working-Class History (1972~)といったものが多少の時間のズレを伴いながら刊行されていますが、自分はほとんどそれらを利用することはありませんでした。アメリカとか、あるいはそのほかの地域の労働(運動)史の文章が多く、イギリスの労働(運動)史が主であった自分の関心とは違う、そもそも英語のスペルがLabour ではなく、labor だとなにか偽物臭い、という感覚が自分にありました。そうしたなかでLabour History Review自体にも次第にイギリス以外の地域への関心が見られるようになると、イギリスについてのミクロ的な実証が大事だとする立場からはだんだん読みにくさを感じてしまう、だったら専門に特化したChartist Conference に出ていればよい、というのがある時期自分の感覚にはありました。
 しかし、これは今から考えると随分とおかしな感覚です。以前べッカートの議論を借りて紹介しましたが、かりに近代的な意味での労働運動の組織化が(先行的な工業化にともない)イギリスで先行したとしても、イギリスの資本主義的な発展は世界的な枠組みのなかで生じた。棉工業の機械化・工場化がイギリスで進行したとしても、原綿の生産はプランテーション的な農業労働、あるいは奴隷労働をとおして行われている、さらには世界製品化した綿製品の輸送に携わる労働、そして販売に関わる労働は、以上とは異なる内容で行われる。綿製品一つをとっても、laborは世界的にはそのような多様な形態をとる、したがってそこから生じている意識や運動もまた多様なものでありうるということです。イギリス(あるいはヨーロッパ)のみに焦点をおいて、労働(運動や労働者の世界)を実証的・ミクロ的に分析しても、そこから出される結論は断片的なものでしかありません。
 そうした意味では今回のアフター・ホブズボームの会も圧倒的に欧米系の研究者が中心(というよりもイギリスの研究者が多数を占めていました)、この点についてキャサリン・ホールがそうした参加者の偏りを問題とする発言をしました。labour ではなく、laborから考えていくということは、比較史的視点にとって重要なことです。
by pastandhistories | 2014-05-12 07:09 | Trackback | Comments(0)

アフター・ホブズボーム④―短い20世紀、長い21世紀

 「アフター・ホブズボーム」の会で感じさせられたことに、1960年代、とりわけ1968年の捉え方が最近では歴史を考える際の一つの重要な点として議論されているということがあります。会の最後に行われたイリーの講演もこの点にかなりを割きましたし、Protest and Rebels in Modern Times というセッションでのIlaria Favretto の報告も、1968年の運動に見られたシャリヴァリ的な要素を指摘し、運動の(伝統の)共通性・連続性を指摘するものでした。なぜこうした問題が(1968年の運動には必ずしも同調的ではなかった)ホブズボームを議論する会で論じられたのかには、興味深いところがあります。
 その理由は、19世紀論、20世紀論と関連しているようです。もちろん1901(00)年も2001(00)年も単なる暦上の区切りでしかなく、その点から「19世紀」「20世紀」という言葉を用いる場合でも、それに「短い」とか「長い」という言葉を加えることが、歴史研究者の間では一般化しています。ホブズボームの4冊の大著も、「長い19世紀」を扱ったThe Age of Revolutionをはじめとした3冊と、20世紀を扱ったAge of Extremesに分けられ、後者には『短い20世紀』という副題がつけられています。
 本当に大雑把に整理すると、前者では、啓蒙の時代をうけて、近代的な社会制度と思想が発展し(市民革命)、科学知識・技術の発展にともなう工業化(産業革命)が進展し、内的・外的矛盾(階級対立と帝国主義)はあったが、にも関わらず進歩が自明のものとして理解されていたのが長い19世紀であったという枠組みから、全体的な流れが叙述されています。後者では、そうした漠然たる進歩への信仰が膨大な殺戮を伴った二つの大戦によって失われたことが論じられています。冷戦もまた20世紀前半の枠組みを継承したものであったが、その解体は必ずしも進歩への新しい可能性を切り開くものではなく、短い20世紀のオルタナティヴと考えられていたものが失われ、さらに未来を不透明なものとしているとホブズボームは考えているようです。
 こうした考えをある程度は前提としながら、なぜ1960年代、1968年の意味が論じられているのかというと、それは「短い20世紀」を、ホブズボームとは異なって、1914年~1945年に限定することもできるからです。「国民国家」による「全体主義的な大衆動員」をふまえた大量殺戮が生じた時代を、「短い20世紀」として限定し、第二次大戦後に生じた諸価値を「長い21世紀」の始まりとして位置させる、その一つの結節点として、1960年代や1968年を位置づけるという考え方です。たとえば女性の政治参加は、多くの国では第二次大戦後からですし、本当の意味での性的平等が社会的・文化的枠組みにおいて目指されるようになったのは、フェミニズムの運動が本格化する1960年代になってからです。人種差別の問題にしても、これと深く関連する植民地支配が世界的に終焉を迎えるのはアフリカの年であった1960年以降、こうした流れと呼応するかたちで起きた公民権運動によって黒人差別がやっと解消され始めたのは1960年代です。21世紀にアメリカで「黒人」大統領が誕生する(注・・こうした表現の問題については、2016,5,8の記事で追記しました)、そうした「長い21世紀」の始まりであったのは、1960年代です。
 ジャック・アタリが『21世紀の歴史』で予測したような、21世紀がそうした世紀であるかはまだわかりません。しかし、1960年代を「長い21世紀」の始まりと考えれば、現在の世界になお存在している対立は、とりわけ最近の日本の政治のなかに出現している枠組みは、異常な結果を生み出した「短い20世紀」と、それを超えた「長い21世紀」の対立として見ることができるような気がします。もともと1960年代や1968年の運動にはそうした意味がありましたし、最近の歴史研究でそうしたことの意味が論じられるようになっているのもそのためなのだ思います。
by pastandhistories | 2014-05-10 21:38 | Trackback | Comments(0)

アフター・ホブズボーム③ー世代的な当然さ

 ホブズボームが歴史研究で果たした役割の中で重要なことの一つは1952年にPast and Presentを刊行し、自らもその編集者として加わったことです(今回の会ではヨハンナ・イニスが編集者として投稿に対してどのような論評を加えていたのかについて、興味深い報告をしました)。
 ホブズボームの初期の代表的作品は、Primitive Rebels(1959),Labouring Men(1964),そしてフランシス・ニュートンというペンネームで発表されたThe Jazz Scene(1959)で、 前二著は、The Age of Revolution(1962)の翻訳刊行(1968)と前後して、翻訳されています(1971,1968)。ちょうど自分が学部・大学院に入った頃になります。
 自分にとって印象深かったことは、あるいは当時議論されたことは、i>Labouring Menでは、機械打ち壊し運動に関しては、合目的性をもつ交渉のための行為である、ということが指摘されていたこと(この点ではとトムスンのモラルエコノミー論と共通しています)、およびイギリス労働運動に内在する問題が「労働貴族」論という視点から論じられていたこと、Primitive Rebelsでは、いわゆる周縁的な地域での民衆の運動を取り上げていくことの意味が論じられていたことなどです。あわせて、ジャズという大衆文化への着目、そうした立場のマルクス主義者(共産党)との並立が、自分がホブズボームへの関心を持ったこと、あるいは広くホブズボームが注目されたことの理由です。
 しかし、このことはホブズボームが置かれていた世代的枠組みから見るとそれほど奇妙なことではありません。そもそも各国共産党の形成とその支持の拡大は、ロシア革命を「成功した」革命とみなすことに基づいたものです。その論拠となったものは(コミンテルンを主導したレーニンの運動論は)、第一次大戦をめぐる第二インタ-に組織されていた社会(民主)運動の社会愛国主義的傾向(ナショナリズムへの包摂)、あるいはそれと一体性を持つと考えられた改良主義的な労働運動の問題点であったわけです。ここから制度内化した資本主義国家内の思想や労働運動への批判が生じることになりました。その意味では、ホブズボームはウェッブ夫妻やハモンド夫妻、G・D・H・コールなどのLabourとの親近性をもつ歴史家とは異なる流れに属する歴史家です。
 また革命がいわゆる高い段階の資本主義国家ではなく、後進的な地域として考えられていたロシアで起きたことも、社会変革の可能性が、「前近代的な運動」とみなされていた運動の中に、あるいは西欧諸国にではなく、それ以外の地域の運動に内在するのではという問題を生み出すことになります。ホブズボームがそうした問題意識を抱いたことは、これもまたそれほど不思議なことではありません。そうした逸脱への関心が、制度化された文化ではなく、大衆文化への関心へと向かったこともまたそれほど不思議なことではありません。
 問題はこうした関心のあり方の両義性にある矛盾が、その後の歴史の流れで問われるようになっていることです。 
by pastandhistories | 2014-05-08 23:02 | Trackback | Comments(0)

アフター・ホブズボーム②―1917年生まれ

 ロンドンでの「アフター・ホブズボーム」集会について、ファミリーヒストリーの話から書き始めました。パラレルセッションの一つをめぐる感想です。このようにセッションにはそれぞれのテーマが設定されていましたが、あくまでもホブズボームをそうした多角的な視点をふまえて全体的に捉えようというのが会の趣旨で、そのためにプレナリーとしては、ガレス・ステッドマンジョーンズ、キャサリン・ホール、ジェフ・イリーらの基調報告的な話が行われました。昨日も予想したとおり、この内容はすでにバーベックのホーム・ページをとおして聴くことができます。今日早速ガレスとイリーのものを聴きなおしてみました。
 ということですので、ここではそれらの紹介は省いて、自分が参加したプレナリーやパラレルでの話を踏まえながら、メモをもとにホブズボームをめぐる会で触発されたことを少し書いていこうと思います。その前に一つ。メモには「鎖国としての近代化」という言葉が記されていました。日本が江戸時代の「鎖国」を解いて近代化していったというのは、「近代日本」が作り出したイデオロギーで、逆に明治維新以降の近代化の過程のなかで鎖国化していったと考えるといくつか分かることがあるのではという意味です。アンダーソンやホブズボームの言うように、ナショナリズムの多くの要素が近代に発明され、あるいは創り出されたものであるなら、特定の地域がある種のイデオロギーによって外部に対して対抗的なものになった、あるいは閉ざされたものとなったのは、むしろ近代「以降」のことであったと考えることができるからです。こうした考え方は、最近のネット上でのヘイトスピーチなどの横行を解く鍵でもあるような気がします。
 さてホブズボームに戻ると、彼をめぐる議論で感じたことは、彼を思想的にはどのように時代的に位置づけるかが重要だということです。そのことが彼の思想だけではなく、現代をどう捉えるかと深く関連します。彼は1917年生まれ。ロシア革命の年です。そのことが彼の思想に大きな刻印を残したことは、多くの人が論じています。言うまでもなく、マルクス主義の影響。十代でドイツ共産党に関わることになった(ベルリン滞在は1931~33年)のもそのためです。大恐慌・ヒトラーの政権掌握・スペイン内戦を十代で目撃・経験した、そのことが彼をイギリス共産党のメンバーとしました。
 こうした経験は彼に限らず、世界の様々な地域で同じ世代の若者の経験として生じたことです。問題はその後です。1956年、1968年、そして1989年というかたちで新しい諸事件が継起し、それにともなって思想的な変動が生じた。にもかかわらず、そうした事件を機に思想的な軸を転換させていた同世代の人物とは違って、彼はこうした事件の波を受けてイギリス共産党が1991 年に解党した後にも、マルクス主義へのフェロウトラヴェラーであり続けた。というよりも、最晩年もそうした立場からの批判的議論を構築することをホブズボームは模索しました。
 頑なな「主義者」であれば、そのことはそれほど驚くようなことではありません。しかし、彼は早くから労働や民衆の世界の多義性に早くから注目し、(現代で言えば周辺とかポストコロニアルと言われるような)近代の外にある世界の意味を論じ、たとえばジャズ評論のような大衆文化へ着目し、帝国やナショナリティの問題への理論的な関心を示していた人物です。そのような彼の両義的な立場をどう考えるのかに、おそらくは現在の世界の問題を解く鍵があるということなのでしょう。この問題もまたこうした場で書くにはあまりにも難しいことのような気がしますが、メモを頼りに時間を見てここで書いていこうと思います。
by pastandhistories | 2014-05-06 22:09 | Trackback | Comments(0)

アフター・ホブズボームー①ファミリー・ヒストリー

 五月晴れの日本、かつ休日。ということでのんびりしていて、今ブログを開けたらすでに多くのアクセス数。「アフター・ホブズボーム」について書くことを予告していたことを思い出しました。
 会合は本当に面白く、随分と刺激になりましたが、昨日も書いたようにタイトなスケジュール。プログラムは発表のタイトルが記されているだけで、後は自分が残した簡単なメモだけ。会議を整理したものや個々の報告者のペーパー、あるいは論文集などが出され、内容が詳しい形で明らかになるのは少し時間がかかるかもしれません。ということで、今回は個々の発表を聞いて自分が考えたことを、いくつかのテーマに分けながら書いていこうと思います。
 最初は昨日も少し紹介したアリソン・ライトの話から。ファミリー・ヒストリーがどのようなことをもたらしつつあるかを理論的に論じたものです。この話に惹かれたのは自分の考えとある種の共通性を感じたからです。その一つが、ファミリー・ヒストリーの基本的性格である遡行性。自分・両親から、祖父母、曾祖父母、さらにその先の世代へというように、確かなものから不確実なものへと時間的には逆行していくということです。もし歴史が「事実性」をより重んずるなら、本当は歴史学の方法もそうしたものでなければならないと自分は考えています。
 ライトの議論で興味深かったのは、ファミリーヒストリーがナショナルヒストリーを軸とする常識的な歴史観を覆しうる可能性をもつきわめて重要な歴史理解であることを指摘したことです。ある意味では興味本位で始まったとされがちなファミリーヒストリーも、アーカイヴの整理や探索方法が進み、もちろん部分的な知識ではあるにせよ、現在では18世紀半ばくらいまでは、かなり正確なことが理解できるようです。先祖たちの職業、居住地域などです。さらには史料の状況によれば、その中の特定の個人、これまでは無名の人であった人についてのパーソナル・ナラティヴを(そのコンテクスチュアルな枠組みを含めて)叙述できる段階に入りつつあるようです。
 このことは当然無数のマイクロ・ナラティヴを生み出しうる可能性を示しています。同時にそうした個々についてのナラティヴがシンクロニクルに存在していたことを意味することになります。わかりやすく言うと、今から200年ほど前(7~8世代前)には、個々人の人生がナラティヴ化できるものなら、現存する個々の人間に関する500から1000のナラティヴが存在していたことになります。もちろん限られた史料からわかることは、そうしたナラティヴを全面的に再構成しうるものではなく、多くの場合は住所や職業程度に過ぎません。
 しかし、その乏しい事実からだけでもわかることは、現存する個人にとっての祖先にあたる多くの人がmigrationしていたこと。そのそれぞれの人がいた地域を、たとえば1800年1月1日という日を例にとって、地図の上にピンをおいて示すと、現存する個々人にとって関わりのあるplacesが地図上に示されることになります。これは本当に個々人によって違う。移民国家であるアメリカ人を例にとれば、それは世界的に拡延するはずですし、島国であり民族的一体性が強いとされるイギリスや日本でも驚くほど多様な地図が個々に関連する形で作られるはずです。
 そしてそのようなかたちで図示されるものは、歴史の授業をとおして、あるいは「歴史地図」で示される19世紀初めのイギリスとか日本といったものとは大きく異なるもののはずです。多くの「国民」にとっての歴史的領土とされる地域、たとえばフォークランド諸島や尖閣諸島をピンによって示すことのできる人は、本当に極小な人々でしょう。なぜならそれは「植民地」や「辺境」でしかなかったからです。そうしたかたちで、個々の人々にとって直接かかわりのある確実な事実をとおして明確に示されるものは、構築されたナショナルヒストリーとは明確に異なる歴史の事実です。そうした枠組みをはるかに超えるコスモポリタンな人々のありかたです。
 実はこうした問題はplacesだけの問題ではありません。歴史家は、19世紀初めの「イギリス」の職業構成はどのようなものであったのかを、しばしば統計的事実として示します。このことは歴史研究では客観的事実として受け入れられてきました。しかし、その構成比は個々の人々がファミリーヒストリーをたどることによって作り出すことのできる祖先の職業の構成比と同じものなのでしょうか。もちろんすべてのデータを寄せ集めれば近似化されていく可能性もあります。しかし、個々の人々や特定のグループを単位として構成比の表を作成すれば、そこには大きな差異が生じるでしょう。上層の職業の構成比の高い人、その逆の構成比の人、そうした問題は先に挙げたような居住地域の差異と関連するものとして示されるはずです。経済史家が根拠としてきた経済的な統計もまた、ある種の構築的な枠組みを前提とした単純化されたものであったということです。
 Family Historyは単なる好奇心にもとづくものとして、学問的な歴史の中ではあまり重視されていませんでした。しかし、それが重視されてこなかったのは、事実にもとづいていないからではなく、そうしたものによって再構成される事実が、発明されたナショナルヒストリーと乖離する可能性を持つものであったからです。
by pastandhistories | 2014-05-04 21:06 | Trackback | Comments(0)

アフター ホブズボーム

 今朝、ロンドンでのホブズボームについての会(「アフター ホブズボーム」)の会への参加を終えて帰国しました。参加者は名簿に記されただけでも270人以上。基調報告者を含めてそうそうたる発表者、報告内容もとても充実していて、色々なことを考えるきっかけを提供してくれて、参加して本当によかったと思います。
 発表者が予定より増えたということでタイトなスケジュール、とくに二日目は朝10時からディナーまで延々とつづいて休む暇なし。そのディナーで人目を引いたのが、ソニア・ローズ、アリソン・ライトをはじめとした数名の女性研究者と、これに加わった男性研究者の行動。つい連帯してしまいそうになりましたが、とにかく堂々とした行動。ヒストリー・ワークショップ時代の仲間たちだったのでしょう。
 他の発表も充実していましたが、自分に一番共鳴感があったのは、その中の一人、アリソン・ライトの発表。Migrants as Tall Stories; Family History as Public History というものです。
 今回はイギリスでの学会らしく、アブストラクトはなし、もちろんハンドアウトはなしということで、資料は手元にはありません。最近の流れにしたがってネットを通じての内容の開示があるのではと考えていまっすが、それもないかもしれません。しかし、このままほおっておくのはあまりにもったいない内容。記憶やメモを頼りに、今後の歴史研究について自分が感じたいくつかのことをここで書いていきます。まずは、アリソン・ライトの話について明日は書く予定です。
by pastandhistories | 2014-05-03 21:05 | Trackback | Comments(0)

雨のメーデ-

 今ロンドンです。今日はメ-デー、おとといは交通労働者のトライキもありました。パソコンは部屋では使用不可。ということで長い記事はかけませんが、昨日はガレス、今日はキャサリン・ホールの講演です。カーレやピーター・バークとも会えました。帰国は3日です。
by pastandhistories | 2014-05-01 15:02 | Trackback | Comments(0)

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