歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

プロフィールを見る
画像一覧

<   2014年 09月 ( 10 )   > この月の画像一覧

universal history

 今日は午後から授業の開始、そして休日だけど明日もまた授業です。iさきおとといは企業関係者をホテルに招いての就職支援活動、一昨日、昨日は新学期に向けての書類作りでつぶれました。そんな感じで新学期が始まっていきますが、今年の夏はいくつかの本作りに専念することができ、それなりに有効に使えました。逆に言うと、学期が始まると作業が難しくなるので、休みの間を活用したということです。
 本作りといえば、亡くなった法政の相良匡俊さんの論文集『社会運動の人びと:転換期パリに生きる』が山川出版社から出ました。正確に言うと発売は25日、その見本刷りが送られてきました。正直言って個人的にも多忙な時期と重なり、あまり手伝えませんでしたが、内容的には現在的にも面白いものです。同時に日本の西洋史研究のあり方についても考えさせられる内容です。
 とにかくこの夏は自分の仕事にかなり集中していてこのブログにはENIUGHの報告程度しか書けませんでしたが、今日はそのENIUGHの席上で考えたことを追加的に書いておきます。それは、タイトルにあるように、universal history とか、歴史の humanization といった問題です。
 ENIUGH で興味深いのは、組織のタイトルにグローバルヒストリーとともに、ユニヴァーサルヒストリーという言葉を採用していることです。ワールドヒストリーではなくグローバルヒストリーをもちいているのは、よくあるように組織としての新しさをPRするためだと思いますが、トータルヒストリーではなくニヴァーサルヒストリーをもちいているのは興味深いところがあります。
 いつも思うのですが、globe というのは基本的には地理的単位、あるいは物理的な単位です。これに対してnation というのは地理的な単位といえなくもありませんが、やはり政治的、文化的単位として考えた方が、よりよいところがあります。total history の totality というのは実体的なものではなく、抽象的なものです。これに対して universe を宇宙としてとれば、それは地理的な、空間的な、そして物理的な単位ですが、universality という言葉はやはり抽象的な意味内容をもちます。英語の専門家ではないので断定はできませんが、total という単語はニュアンス的には包括性が強く、universal という言葉は普遍的な意味合いと同時に、多方面性・多様性を許容するものでもあるような気がします。それがトータルヒストリーではなくユニヴァーサルヒストリーがもちいられた理由なのかもしれません。
 ENIUGH に関して紹介しましたが、リューゼンの報告は近代以降の歴史の totality ではなく、universality を強調したものでした。その根拠は、それが humanistic な価値を持っているからというものです。したがって歴史は humanize する必要があるし、humanization された歴史を批判するのはおかしいという主張です。
 しかし、こうした考えの根拠である human beings は species の一つで、生物学上の分類概念です。たぶん問題とされるべきことは、それぞれまとまりを示す、globe という物理的単位、human beings という生物学的単位、のそれぞれのなかに多様性があることです。そうした多様性を前提とするかしないかが議論の分かれ目だといえます。そうしたなかで、universal history という言葉は、普遍的なものでありながら多様性を含意するものとしてもちられているのではと思います。
by pastandhistories | 2014-09-22 09:36 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH⑧

 ENIUGHの報告の最後です。最終日に参加したのは、Japan and the Great War というラウンドテーブル。日程の長い海外の大会は、疲れるので最終日には日本関係の会に出ることがあります。内容が理解しやすいのでほっとする。ということで今回も選びました。大会名称はヨーロッパという言葉が最初にあるわけだけど、日本関係のパネルもいくつかあったようです。ただその日程はなぜか最終日あたりに集中していて、そのためかこの会も報告者以外の日本人参加者は自分一人(終わり近くに終了後会う約束をしていた宮本さんがきましたが)。もっとも全体でも十人強でやや淋しい会でした。しかし発表のレベルはそれなりの高さがありました。
 参加メンバーを紹介すると、司会は渋沢栄一研究所の木村昌人さん。発表者は、Sumiko Otsubo, The 1918 influenza pandemic mede it visible; Ewa PalszーRutokowska, The Origins of Japanese diplomacy towards Poland; Evan Dawley, The Great War and Japan's new relation s with the old world; Seluk Esenbel, Friends in opposite camps or enemies from afar と代読のものが一つ。
 新しい本を書いた Dawley が発表の中心で,基本的なコンセプトは、いまはやりの「長い」「短い」。1910年代を「長い1910年代」としてとらえるか、「短い1910年代」として捉えるかという話で。伝統的なとらえ方である後者に対して、1910年代を前者のように長い1910年代として、たとえば1890年~1920のような時間的スパンで取り上げ、かつ第一次対戦をヨーロッパ二限定される事象ではなく、アジアにも及んだ事象として考えると、日本の国際的位置(外交政策)をどう理解できるのかという問題を、シベリア出兵(鉄道)、対中国政策、そしてポーランドやトルコに対する外交的態度から検討するというのが、議論の内容でした。
 少し細かく紹介すると、Otsubo の報告はインフルエンザの伝播に焦点を当てたユニークなもの。戦争によル人々の移動によって biological zone の変化が生じ、それで伝染病が広がったということの指摘。Rutokowska と Esenbel はそれぞれポーランドとトルコの日本学の教授のようで、外交文書をもちい当時の日本の外交政策をたどるという内容、 Dawley はイギリスなどの対日政策の理解について論じました。
 それぞれ日本語の史料はきちんと押さえていて力量を感じましたが、要するに参加者は皆日本語がほぼ完璧ということで終わったら、日本語で雑談。であるなら、日本を対象とした会なのですから、会自体も日本語でやった方が内容も深まるという感じがしました。実はそうした問題はソウルのAWHAの会の時もあって、この時は日本についてのセッションで参加者が日本人が圧倒的であったため、司会のEnglish speaker が会そのものを日本語でやろうと提案したことがありました。 国際会議であるというのなら[国際会議であるからこそ)、そういう方法をととったほうがよいと議論することもできそうです。「英語」だけが「真理」を保証する言語空間であるわけははないのであって、言語というのはあくまでもプラグマテッィクに利用すればよいということでしょうから。もちろん「日本史」は「日本語」という言語空間臣を対象とするものではないことも自明なことではあるのですが。
 忙しいこともあって急いで書いたのでまとまりがなく、あまり参考にならないかもしれませんが、ENIUGHについての報告はこんなところです。
by pastandhistories | 2014-09-19 12:06 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH⑦

 ENIUGHの紹介も今日で7回目。大会の報告はどうしても長くなり、書いている方も飽きてきますが、読んでいる人も同じだと思います。今日を入れて後二回ほどで終えたいので、今日は三日目を一気に。この日は院生クラスの発表が中心のパネルに出たけど、それぞれ面白いところがありました。理由は、テーマが刑罰制度とセクシュアリテというものだったからです。それ自体はやや古くなりつつあるテーマかもしれませんが、若い研究者がそれを大会のテーマであるEncounters, circulations and conflicts という観点から論じていて、その点で新鮮なところがありました。
 大会紹介が長くなってしまうのは、それぞれの発表者とそのタイトルを記すから。省略してもいいのですが、やはりタイトルがわかれば内容も想像しやすい。とくにこの日の場合は、サブタイトルがわかるとさらにわかりやすいので、それらをまず一気に紹介します。
 まず午前の会は、Careceral Archipelago: Space, circulation and penal confinement in global perspective, c.1750-1939がパネル名で、基本的にはレスター大学のプロジェクト、発表者は、Clare Anderson, A global history of penal transportation in the British Empire, c.1750-1939, Christian De Vito, The place of convicts in late colonial Spanish America, 18750-1830s, Katherine Roscoe, Spatiality in the Australian Convict islands of Rottnest and Cockatoo in the nineteenth century, Carrie M. Crockett, Carceral space on Sakhalin Island と日本から宮本隆史、transportation of punishment: Integration of Japanese penal discursive sphere in the global information network。
 午後の会は、ベルリンとエルフルトのやはり若い研究者が中心で、司会は日本語も話せるベルリン自由大学のセバスチャン・コンラッド (コンラート)。 報告者はとタイトルは、Stefanie Eisenhuth, The most widespread violation of American laws since prohibition: American GIs and German Frauleins in post-war Berlin, Robert Fischer, Moralizing the border: Reactions to the vice industry in the border cities Ciudad Juarez and EL Paso in early 20th century, Robert Kramm-Masaoka, Pulp Fiction: Contesting and desiring prostitution in occupied Japan. 1945-1952, David Moller, Five-day Bonanza's : US servicemen, R&R-Programs and sexual pleasures in Cold War Taiwan 、というものでした。
 ここまででも大変なスペース。内容をイメージしてもらうためにサブタイトルまで書きましたが、そこからも想像できるようにそれぞれが面白く、この二つのパネルは収穫がありました。最初に関していうと、司会者であるアラン・ブルムがいきなりレスターをライセスターと発音したのは愛嬌でしたが(国際的な会議はもはやグロービッシュでよいということです)、基本的には流刑と拘束の比較研究、実証も丹念でその点でも評価してよい報告が並びました。
 Andersonは、ロンドンで1832年に開催された刑罰制度を巡る国際会議から議論を始めて、ヨーロッパ諸国を中心に刑罰制度の比較を流刑を中心に論じました。基本的には19世紀半ばには流刑は減少したとされるわけですが、その理由の一つとして奴隷の移動と囚人の移動が同じ海運業者によって行われ、それが批判を招いたことを指摘しました。De Vitoの報告は、スペインによる流刑の実証的報告。囚人がどの地域から集められたのか、その罪名は何だったのか、を丁寧に分析しました。興味深かったのは、流刑のとなった犯罪の多くを軍隊からの脱走が占めていて、そのためにカタロニア出身者が多かったことを指摘したことです(一般犯罪は大都市を中心に、スペイン全体という傾向があったのに対し)。Roscoe はこれもオーストラリア流刑地個々の実証的な研究。多くは沿岸の島だったことを指摘しましたが、この報告で面白かったのは、流刑がincarnation を伴うようになると、そうした場に土着の人々が収容されるようになったことを指摘したことです。Crockettはサハリン。この報告の興味深かったことは、流刑地での刑罰(労働)が本来の刑罰の軽重ではなく、囚人の労働能力に左右されていたことを指摘したことです。つまり辺境開発者としての囚人。したがって他方ではoff-site location も認められていたことを指摘しました。この報告もまたオーストラリアと同様に、中国人囚人の存在を指摘しました。最後の宮本さんの報告は、日本の近代化に伴う刑罰の近代化が、西欧をモデルにしたことを説明しました。
 もう一つのセクシャリティの基本的テーマは、これもタイトルからわかると思いますが、一言でいえば(進駐者としての)軍隊と現地女性による売春、というものです。それぞれが興味深く管理的売春(Fischer)、同盟国によるサーヴィスの提供(Moller)、あるいは街頭売春(Masaoka)を実証的に報告しました。これらの「実証的」な報告で共通して問題とされたことは、テーマからくる史料・証言の問題。間接的なナラティヴ的な証拠はあるけど、experience に基づく証言は乏しいという問題です。ただこれらの報告で一番おもしろかったのは、Eisenhuth が1945年当時のドイツの女性の日記を引用し、「戦争によってmale sex が敗北したことによって、女性は自由になった」という議論を論じたことです。つまり戦後を「女性」から見れば、異なる見方もあるという議論。旧敵対国との男性と関係することもまた女性の性的解放であり、一つの自由であるという議論です。当然この議論には、ドイツ進駐時のフランス女性はどうなのかという質問が出たのですが。
 一気に書いたので変換ミスも多そうで、後から直します。
by pastandhistories | 2014-09-18 11:18 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH⑥

 二日目の最後に出たのは、Theory of history and didactic of history というパネル。報告者とタイトルは、Jorn Rusen (Essen)、 The Idea of a humanistic history didactics in the age of globalization, Norbert Fabian (Hamburg), Progress in history and historiography,Urte Kocka (Berlin), Teaching History: Classes in the age of Globalization, Simone Lassig (Braunschweig), Contemporary history in binational textbook でした。タイトルどおり、それほど目新しい議論ではなかったけれど、それなりにまとまった報告。逆に言えば、グローバリゼーションと歴史というテーマに関しては、ある程度議論の道筋ができつつあるということかもしれません。
 まずリューゼンの報告に関して書くと、この間に彼が一貫して主張していることをなぞらえたもの。彼の一貫した主張は、近代以降のヒューマニズムには普遍性があって、それが地球全体にいきわたることが必要だというもの。歴史も歴史教育もそのことを前提とすべきだというものです。このことが彼がポストモダニズム的な相対主義を批判するもっとも大きな根拠。ヨーロッパ中心主義を批判するかたちのモダニティ批判は、結局はエスノセントリシズムを生み出しているというのが彼の主張です。運悪く自分が正面に座ったこともあって、「ミチヒロ」の議論は結局はそうした議論であると激しく批判されてしまいました。もっとも北京や台北で会ったということもあって(ヨーロッパでも会いましたが)なぜか中国人と勘違いしていたようで、さかんにチャイニーズはと言われ困惑しましたが、「他者」がヒューマナイゼーションされた過程を他者の側から議論すれば別の議論もありうるのではという反論をしておきました。物事を論証していくロジックは同一かつ普遍的で、文化的差異を超えた(ヒューマニスティックな)真実があるというのが彼の主張で、それ自体はロジックとしては正しい面がありますが、歴史的に考えれば問題はそこに一面化はできないということなのだと思います。
 Fabian の報告は一言でいえば、歴史の GRADING を論じたもの。歴史学と歴史教育の歴史は違うというものです。これを四つの要素に分けて図式化して歴史教育の意味を論じました。その図式をここで紹介してもいいのですが、ここでは省略。関心があるなら彼の書いたものを読むとよいでしょう。
 Kocka は今回は来ていなかったようですが、ユルゲン・コッカの奥さん。旦那さんに本当によく似た感じの温和な感じの人。年齢的にもかなりの人だと思いますが、発表の問題意識には随分と自分に似たことがありました。その一つは、近年の歴史のヴィジュアライゼーション、デジタライゼーションを強調したこと。くわえて人々の移動によって歴史教育の場ではMULTICULTURAL CLASSROOM という事実が生じていることを指摘したことです。そこから生じていることとして、前者のような問題へのリタラシーが教師には必要なこと、また後者に関してはナショナルヒストリー自体がグローバル化していく必要が生じていることなどを指摘しました。このこととも関連しますが、VISUAL HISTORICAL EDUTAINMENT という言葉をもちいて、教育の場にある歴史と、パブリックな場にある歴史との関係を指摘したことも、自分の考えと似ているという感じがしました。
 最後のLassigは仏独教科書作りの試みについての具体的な報告。当然の結論なのですが、教科書のもつ属性から、教科書の共同化が難しいことを説明しました。アジアもヨーロッパもそれは同じということなのだと思います。
 ここまで書いたら訪問客がきましたので、続きは明日にします。
by pastandhistories | 2014-09-16 22:11 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH⑤

 そろそろ新学期の準備ということでだんだん時間がなくなるけど、それまでにENIUGHについて書けるところまで書きます。二日目の午後に出たのは、Slaveries and emancipation: Comparisons and connections というラウンドテーブル。参加者は 、Gareth Austin (Geneva), William Clarenth-Smith (London),Andreas Eckert (Berlin), Olivier Grenouillear (Paris), Ibrahima Thioub (Dakar) 。 ラウンドテーブルといっても部屋は講壇型の大教室。壇上の人物の知名度もあって、発表参加者も40人少し。内容的には発表は10分以内のきわめて短い問題提起。それを相互に議論しあうという形式でした。
 「奴隷制」について10分程度ということで、それぞれは大雑把な問題提起。そのためもあって議論はいろいろな面に及んで混乱気味。まず基本的に、奴隷とlabour はどう違うのか、違わないのか、animal labour とはどう対比されるのか、法的なもの・社会的制度・社会的メカニズムとの関係はどうなのか、そもそも経済的な効率性のためのものだったのか、他の要素があったのか、他の強制労働とはどう違うのか、違わないのか、さらにはなぜある社会にはあって、他の社会にはなかったのか、なぜ奴隷制は時代的に変化したのか、という感じで、結局はまとまらないところがありました。
 この議論を聞いていて感じたのは、言語的な問題、別の言い方をすると歴史説明におけるいわゆる「喩法」とか比喩の問題です。歴史にある言語的概念をもちいる場合には、基本的には二つの方法がとられています。一つは現代的にもちいられている言葉を遡行的に、つまり過去を説明するために、regressive なかたちで比喩的にもちいる方法です。たとえば「資本主義」というような言葉。あるいは「階級対立」というような言葉がそうしたものです。もう一つは、過去にもちいられていた言葉、たとえば「国」という言葉もその一つですが、それをprogressive なかたちで延長し、現代の事象にも援用する、そうしたもちいられ方です。後者の場合は、それがまたふたたび回帰するかたち過去に援用される場合がある。さらに複雑なのは、本来は過去にもちいられていた言葉が、現代では新しい意味をおび、それが過去に再び転用される、たとえば「帝国」主義というような言葉の使われ方です。
 歴史の説明では、そのように一つの言葉がかなり長期的な時間的スパンで使用されるわけですが、そもそも時代も場所も異なる事柄に、そうした言葉を厳密な概念規定を伴わずに比喩的なものとしてもちいることは可能なのかという問題があります。このブログでも指摘してきましたが、「国家」をめぐる混乱はその代表的なものです(というより、この問題に対して混乱がないことが、歴史叙述・歴史認識の最大の問題といってよいかもしれません)。そうした問題をこのラウンドテーブルでは感じました。
 「奴隷制」という言葉を特定の歴史的事象に限定するのが。それともその内的な要素、たとえば社会的、経済的、身体的隷属や労働の強制性、をとりだしてそれをより一般的な事象として考え、現代「奴隷制」というような視点を取り入れるべきなのか、たとえば家事労働をある種の「奴隷的」関係に基づく賃金をともなわない労働(事実そうした質問が会場から出ました)と考えてよいのか、というような問題です。
 歴史研究が現在的視点に基づくものであることは、ある意味では現在では常識化されています。そのことは「現在」使用されている言葉が、その意味内容を前提としながら「過去」の叙述にもちいられていることを意味しています(「歴史は「過去」をありのままのものとして描くものであるという歴史家がいても、その歴史家は過去をけっして過去のありのままの言葉、つまり古文や古代文字で描くわけではありません)。したがって現在と異なる意味内容をもつ言葉がもちいられていた過去の叙述は、どうしても「現在使用されている言葉を過去に援用する」という点で比喩的なものとなります。グローバルという言葉はきわめて包括的なものですから、ある事象を「グローバルな視点」から議論しようとすればするほど、なんでも対象としてしまうという点で議論はむしろ曖昧なものとなってしまうことがある、そうしたことをこの会では考えさせられました。
by pastandhistories | 2014-09-15 10:05 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH④

 来週は忙しくなるのでENIUGHの続きを忘れないうちに書きます。大会の二日目の朝は、World history writing and teaching という会に出ました。史学史的なグローバルヒストリー論の中心になりつつある人物で、デュークからブレーメンに移ったドミニク・ザクセンマイヤーが組織したもの。このパネルは、 Adam Delmas(Cape Town), Herve Inglebert(Paris), Laurent Testot(Auxerre), Jocher Kemner(Bielefeld) といった一定のレベルの研究者が報告者で、内容的にも安定したものでした。ただし参加者は多くはなく、15人くらい。
 Delmasの報告は、アフリカにおける歴史の流れについて。アフリカでは大航海以前は当然のことながらイスラームや(東海岸ではとくに)インドなどの影響が先行していて、文字化された歴史も存在していた。ポルトガルの進出によって、さらにはその後の長期的なヨーロッパからの影響の中で、それらへの反発と受容によって(まさに今回の大会のテーマである、encounters, circulations、conflicts ということになりますが),それらを前提に、それぞれの歴史がアフリカの各地で作られていったという議論です。当然の話だけど、こういう話が聞けるのが国際的会議の利点です。
 Inglebert の報告もよくまとまっていて、力量を感じさせました。PUF から LE MONDE L'HISTOIRE:Essai sur les histoires universalles という本を出していて、その要約ということでしたが、副題にあるように universal history 論。もともとはローマ史の専門家ということですが、古代以来の(自らを普遍化しようとした)歴史の流れをたどりながら、それが他文化との接触の拡大の中で、どのような変化をたどったのか、今後たどらなければならないのかということを論じました。基調報告で行うような内容のもの。パリ(ナンテール)の人なわけですから、そうした工夫が大会運営にあってもよかったのではないかと思います。
 Testot はフランスにおけるグローバルヒストリーの流れについて。この人はグローバルヒストリーをめぐるフランスのブログを運営している人で、自分の報告をそこで紹介してくれたことがあります。会うのは初めてでしたが、最近論文集を編集したとのことで、その内容を紹介しながら、グローバルヒストリーについて一般的に論じました。
 最後の Kemner の報告はかなり常識的な議論。グローバリゼーションの進行に伴って教室には異なる文化を背景とした生徒が混在するようになっている、そうした教室内の differentiation に対しては、逆に cosmopolitan な教育が必要となるだろうということを前提に、各国でなお行われている world history と national history の分業を論じるという内容でした。
 このパネルはラウンドテーブルだったので、以前『歴史と地理ー世界史の研究』にも書いたことのあった、グロバルヒストリーというのはグローバリゼーションにともなう過去意識なので、いたから使用され始めたかを確認することが大事だと発言したら、ザクセンマイヤーはそれは1962年だと答えてくれました(確か彼の本に書かれていたような気がします)。
by pastandhistories | 2014-09-14 10:11 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH③

 予告通り今日から予定どおりENIUGHのパネルの内容を具体的に紹介していきます。その前に全体的な印象をもう一つだけ追加すると、やはり全体の意図の不鮮明さという問題です。
 このことは組織の名称にもあって、まずユニヴァーサルヒストリーとグローバルヒストリーが併記されている。この二つを違うものと考えているのか、同じものと考えているのかがまずわからない。くわえて大会の名称の方は、ワールドヒストリーとグローバルヒストリーというわけですから、ますますそれらに区別があるのかどうかがわからない。当然その理解は参加者の報告でもまちまちで、話を聞いていて混乱するところがありました。一方でネットワークという言葉が使用されているように、多元性を前提とした複数の結合関係という視点から世界を捉えていくという方向性があることはわかるのですが、実際のパネルの報告を聞いていると、伝統的な歴史研究を継承しただけの、個別実証というレベルのものもあって、グローバルヒストリーという言葉をあえて使用する意味が分からない。しかし、若手の報告にはなんとかネットワーク的な視点から歴史をグローバルにとらえていこうというアイディアがあって、その点では興味をひかれるものもありました。
 そうした点から個々の説明をすると、最初の日に参加したのは、Visualizations of global encounters: Film and global history というパネルです。自分のこの間の関心にかなり近いもの。これはすでに指摘したような、博士号取得前後の若手研究者によるもの。ベルリン(今回のプログラムは大学名が記されず、所在場所だけなので以下そういうかたちで紹介します)での共同研究らしく、4人が具体的な映画作品を素材に論じました。映画論でいつも思うことは、その作品を聞き手が見た経験がなければ、20分程度の報告でその内容を理解するのは難しい。残念ながら今回は見たことがない作品か、古い映画で内容の記憶が覚束なく、その点が残念でした。
 取り上げられた作品は4点、ウスマーン・センベーンの作品(Nicolaus Perneczky), 『エマニュエル夫人』(Ulrike Schaper), 『静かなる男』(Alan Sennet), 『ディストリクト9』(Marietta Kesting)です。センベーンの作品はローゼンストーンも高く評価していて、よく取り上げられていますが、Perneczky の報告はハリウッド作品でもヨーロッパ作品でもない「第三の映画」としてその意味を他の作品とともに取り上げました。見ていないのでよくわからない、時間があったらそうした映画を見なければというのが、自分の結論です。
 Schaperの報告は逆に自分に身近なところがあり、よくわかるところがありました。作品が世界的に成功し、アジアでもカヴァー版が作られたのはなぜかということの理由として、グローバル化による距離の縮小、作品自体がそのことを媒体としたツーリズムの拡大と関係していることをあげ、場所の移動がliberationをもたらす。たとえばエマニュエルの性的解放。しかし同時に、他方ではアジアの女性がツーリストに対するセックスインダストリーに従事しているという問題が、映画の枠組みになっていることをかなり整理して指摘しました。
 次のSennet(この人だけMilton Keynnes)の報告もかなりまとまっていて、力量的には一番安定していたかもしれません。その理由は、報告が同じ原作(グレアム・グリーン)の映画(1958年版ハリウッド作品と2001年版オーストラリア作品)を対比したものだっただからです。なんといっても原作のプロットがしっかりしているし、また素材も1950年代ヴェトナムで、それに対するアメリカ人、イギリス人、そしてヴェトナム人の行動の絡み合いとその対比ということなので、まさにencounters, conflicts というテーマとして論じやすい。そうしたことを前提として二つの作品が、フィクショナルなキャラクターと実在した人物をどう描いたかを対比的に説明しました。
 最後のKestingの報告は映像の紹介が要領よくて、理解しやすいことがありました。取り上げたのは南アフリカの作品。アパルトヘイトの廃止後に作られたUFOの侵入をテーマとした作品を取り上げて、その作品がその後の新規移住者(immigrants)'を侵略的他者(aliens)として描き、その排除を寓意化していることを指摘しました。
 以上の報告に対して会場からアイダホ州立大学のSmith Owen という人が、Schaper , Sennet が論じた欧米映画にあるオリエンタリズムについて質問、アジア世界の描き方はアジア映画では違うとして、それを『ビルマの竪琴』(白黒版)を例にとって説明しました。当然4人の報告者は見たことがなく、議論はそのまま。最初にも書いたけど、映画論を論じることにある基本的な難しさです。
 そうしたことはありましたが、このパネルはencounters や conflicts という視点から論じうる作品を取り上げて論じようとしたという点で、「グローバル」という大会の意図にはそっていたかもしれません。ただこうした報告に付きまとう、作品論と歴史研究はかなり違うのではという感じは、今回もまた感じざるを得ませんでした。
by pastandhistories | 2014-09-13 15:28 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH②

 昨日は朝10時から会議。それから書類書きと事務整理。ほぼ徹夜で帰国した翌日からこの状態。まだ全部の作業が終わったわけではないけど、22日から授業ですから(23日もです。今の大学は祖先崇拝を否定する場所です)、今書いておかないとということで、ENIUGHについて書いていきます。
 国際学会に参加するのは、日程的な問題もあり疲れるけど、いろいろなことを考える場にはなります。普段はどうしても自分の仕事に集中せざるを得ない。とくに歴史研究の場合は、どうしても対象も視野も限定されてしまう。その点国際学会はいろいろなことが、様々な視点から議論されますので、普段なかなか考える時間のないことが、他人の眼を借りて考える契機にもなります。このブログで海外の学会の紹介が多いのも、自分にとってもいろいろなヒントになるし、読んでいる人にもそうしたきっかけを提供できるのではと思うからです。
 さて、ENIUGHについて話を進めると、今回強く感じたのは、こうした国際学会のあり方です。800人近い参加者と150にもおよぶパネル、どうしてそうなったのかというと、最近はこうした大会の多くに共通するようですが、参加者を増やすために、発表者の数を増やすため。逆に言うと、発表できるから参加するということで、それ以外の参加者は限られているということになります。そこでもちいれるのが、昨年の国際文化史学会にそうした傾向がありましたが、同じ大学の院生クラスの研究者が、そこで行われている研究(博士論文や、修士論文、あるいは準備論文)を組になって発表するというもの。それにその大学やほかの大学のある程度の評価のある研究者が、司会もしくは発表者として加わるという形式です。
 したがってこの場合は、テーマにもよるけど他の参加者はかなり限られる。壇上に5~6人がいるのに、残りの参加者はそれより少なく、そのほとんどが知人という場合も少なくありません。だったらあえて国際学会ではなく、自分の大学でで行えばいいと思うところもありますが、若い研究者の「業績」という問題もありますし、聴衆が少数であっても「公開」の場に議論を持ち出すということに、意味がないわけではないということでしょう。今回はこうしたパネルが多く、全体の半分近く、残りがある程度評価のある研究者があつまって相互的に議論するというものとなっていました。もっともこうしたパネルも、多くの参加者の目的は「自分の発表」ですし、自分も含めて一部の参加者はせっかく来たということで、いろいろなパネルに参加しますが、場所が交通の便の良いパリということで、参加者の中に発表のためだけに来て終わると泊まらないで帰ってしまう人も少なくはなく、参加者は限られていました。
 そういう点では800名もの参加者というイメージは、大会全体を通じては正直言ってあまりありませんでした。毎日参加者全体を集めての基調報告者による問題提起的な講演があり、また参加者が現在の歴史学の理論的課題の再検討という意識をもって参加し、個々のテーマ別のパネルも随分と人の集まった(議論にも熱のあった)昨年のINTHの大会や今年のホブズボーム集会に比較すると、その意味では今回の大会はやや不足した点がありました。
 おそらくこのことは、グローバルヒストリーをめぐる国際的な学会づくりという問題に関連しているのだと思います。残念なことだけど、「グローバルヒストリー学会」づくりを巡って、多少のヘゲモニー争いというようなものもあるのかもしれません。ただ今回800人もの人間を集めたように、この組織は今後かなり発展していきそうです。また「ヨーロッパ」という言葉が関されているように、この組織はアジアやアフリカあるいはアメリカの同様の組織(World History Association, Asian Association of World history,そして African Network in Global History)と連携するかたちで、大きな潮流を形成していくことになるでしょう(たぶん来年の国際歴史学会議などで、合同大会を開くというようなことが話し合われるかもしれません)。
 少し話が横道にそれましたが、そうした問題点があるにせよ、また必ずしも一定の評価をすでに獲得した研究者によるものではないにしても、大会での諸報告には、随分と参考になる点や、ヒントとなる点が少なくありませんでした。その具体的内容を明日以降続けて書いていきます。
by pastandhistories | 2014-09-12 09:37 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH①

 パリのエコール・ノルマル・スプリエールで9月4日から7日まで開催されていたENIUGH ( European Network in Universal and Global History ) に参加して、昨日帰国しました。夜10時半発の深夜便。大学に切符を買ってもらったらこうなりました。安いからといっても、この年齢でエコノミーの深夜便。これで短期間で海外出張というのは大変です。飛行機はトラブルの多さで話題になった787型。ややシートは改善されているようですが、最後尾にトイレはなく、合理化されています。ただし乗り降りはスムーズで、欧米直行便にはたしかに便利かもしれません。
 ホテルから忘れないうちに会の内容の報告をと予定をしていて、今回はWIFI完備を事前にチェックしてホテルを予約。というところまでは万全でしたが、いつもながらのトラブル。なんと現地につぃたらワードが動かない。ワードが入っていない廉価版のノートパソコンに、大学のアカデミックサービスでワードを入力したものを持参したのですが、なんと使用場所が日本ではないということで再度ワードのIDを要求されました。そんなものは憶えているわけがない。ということで、基本的には文字入力ができない。ある方法で英文とひらがな入力は可能にしましたが、それ以上はものすごく時間がかかる。ということで、またしても会の内容報告については帰国後となります。個々の発表内容だけでなく、学問的な流れと学会のあり方について考えさせられることも多かったので、そうしたことを合わせて書いていきます。
 まずは ENIUGH の紹介について、すでに括弧内に記されているのが正式名称。訳せば、「ユニヴァーサル・アンド・グローバルヒストリーについてのヨーロッパのネットワーク」です(訳になってないか)。INTH 同様ここでもネットワークという言葉が使用されていることと、全体史 (total history) ではなく、universal history ( 普遍史?) という言葉が、グローバルヒストリーとあわせて使用されているのがみそかもしれません。2002年( 第一回大会は2005年)に始まったもので、たしかグローバルヒストリーがメインテーマとなっていたニューヨークでのアメリカ歴史学会大会(2009)のさいに、30人程度の小さな会をアフィリエーションで行っていて、その時に参加したことがありました。中心は何人かいるようですが、その一人がライプチヒのMathias Middell (副会長)です。
 今回は第4回目。どんどん拡大しているようで、参加者は予定だけでも700人以上。結局最終的には800人を超えたようです。そのためもあってパネルが150以上。それが4日間なので、当然パラレル。そのなかから「歴史と映画」「歴史記述と教育」「奴隷制」 「歴史理論」「刑罰制度」「セクシュアリテ」「第一次世界大戦と日本外交」といったテーマを選んで参加しました。最後のテーマがそうであるように、今年の夏は第一次大戦100年ということで、そのテーマでの国際会議が盛んだったのではと思います。ただすっかり忘れていてフランスで思い出さされたのは、第一次世界大戦100年ということは、フランスでは開戦に反対して暗殺されたジャン・ジョレス没後百年だったということです。会場近くのパンテオンで特別展が開催されていました。自分はジョレスにかなり関心があって、学生時代にはテーマの一つとして考えたこともありました。今からではもうできないでしょうが。
 今日はこれから海外出張届と、当然たまってしまった事務書類を書きあげなければならないので、具体的な内容紹介は明日から書いていきます。
by pastandhistories | 2014-09-10 10:24 | Trackback | Comments(0)

想像力とリアリティ

 今日午後出発(今回はフランスに1週間)で、その間に少し時間があります。ということで、前回の続きを少し、「想像力とリアリティ」というテーマです。
 ある時、黒沢明が「自分は戦争映画を作らない。戦争のリアリティなど描けないからだ」ということを書いているのを読んだことがあります。これは必ずしも正確ではないですね。彼は戦前に助監督として戦争映画づくりに参加したことがありますし、「トラ、トラ、トラ」への参加計画とか、あるいは「戦国時代」を扱ったものは、『七人の侍』でも『影武者』でも『乱』でも一種の「戦争映画」なわけだからです。もっともこの発言は、彼のリアリズム観から来てもいるわけです。彼は自分の作品が現実になぞらえられることが好きでなく、その意味ではリアリズムにも否定的なところがありました。彼のリアリズムに対する感覚を示すのは、『椿三十郎』や『用心棒』で取り入れた、人を切るときの擬音(実際に動物の肉を切ってその音を入れたそうです)とか、実際に腕が切断されるというシーン(これらはその後の時代劇にずいぶんと取り入れた革新的な方法でした)、です。黒沢はそうした一見リアリズム的な方法をとりながら、他方ではそうした作品で、腕を切られた人間に「痛いよう」という大声を上げさせたり(ジェリー藤尾だったと思います。実際にはそんな言葉は言えないでしょう)、さらにはなんといっても首が長いというただそれだけの理由で、仲代達矢の首に江戸時代にはありえないマフラーを巻かせてしまう、という演出ももちいました。。そうしたことからも分かるように、彼のリアリズム観の基底にあったものは、実在の忠実な再現ではなく、あくまでも映画的技法としての、擬似的な、あるいは作為的なリアリズムでした。
 よく学生にも言いますが、映画(映像)はたとえどのように追体験や感情移入を促すもののようなものであっての、けっしてリアリティを伝えません。たとえば、『ゴジラ』が実際に映画館や教室に入ってきて、観客や学生を次々に踏み殺していったら、そこで生じる恐怖はどんな想像も及ばないようなもののはずです。それは戦争映画、戦争報道も同じことです。リアリティとして伝えられるものと、事実と想像力の間には、本当に大きな隔たりがあります。「戦争」や「戦い」を扱った映画や映像が、結果的に人々を「戦争」や「戦い」に動員してきたのはそのためでしょう。「事実」として語られてきた歴史にそうした要素はなかったのでしょうか。
by pastandhistories | 2014-09-03 09:15 | Trackback | Comments(0)

カテゴリ

全体
未分類

以前の記事

2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 01月

お気に入りブログ

最新のコメント

先生は、「「民主主義」擁..
by 伊豆川 at 19:57
先生は、「歴史が科学であ..
by 伊豆川 at 17:18
『開かれた歴史へ 脱構築..
by 伊豆川 at 13:28
3月18日の会に参加させ..
by 伊豆川 at 08:33
セミナーで配布・訳読され..
by 伊豆川 at 14:44
先生の議論には、大筋で同..
by 伊豆川 at 17:10
私も今回のセミナーに参加..
by 伊豆川 at 18:55
先生が制度化された「真実..
by 伊豆川 at 00:29
先日、ヘイドン・ホワイト..
by 伊豆川 at 20:53
人間に関心や理解を促す語..
by 伊豆川 at 22:33

メモ帳

最新のトラックバック

「変化する可能性」
from 右近の日々是好日。
プラグマティズム
from 哲学はなぜ間違うのか?

ライフログ

検索

タグ

人気ジャンル

ブログパーツ

最新の記事

ネットの情報管理
at 2017-03-08 16:02
パブリックな場の歴史とのかかわり
at 2017-02-26 09:04
大きな歴史と小さな歴史
at 2017-02-23 09:56
ファミリーヒストリーとグロー..
at 2017-02-16 22:04
ファミリーヒストリーについて..
at 2017-02-13 11:55

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

歴史
哲学・思想

画像一覧