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afterology

 昨晩は誘われたので、日仏会館で行われたキャロル・グラックの講演会に、大学院生とともに参加しました。After the Shipreck; New Horizon for History-writing というタイトル。文化講演会的なもので、特に歴史研究者を対象としたものではないけれど、会場には院生を含めてかなりの歴史研究関係者が来ていました。レジュメもあるし、また今後彼女が書くものや参加者をとおしてその内容は伝わるでしょうから、あくまでもここでは自分の感想を書いておきます。
 話は、基本的には1970年代~80年代を近代以降確立されてきた歴史研究の転回点としてとらえて、現在的な方向性を論ずるというものでした。その前提とされたことは、その時期に盛んに議論された post, end, after という問題。歴史研究においても出現した(というよりも中心的な批判的役割を担った) postism, endism, あるいは afterology(レジュメでは確認していませんが、そう発言したと思います) をどう論じていくのかと問題です。
 始まりは歴史の共同性・共有性(commonality)から、そしてその単位としてのナショナルヒストリー、そしてモダニティと近代的な歴史の関係から。それが1970年代から80年代にかけてpostism, endismによって批判され、たとえばtemporalityの解体などに代表されるように、統一性が解体し、様々なpluralities として論じられるようになった、つまり細分化された。そうしたなかで現在の歴史研究(あるいは歴史叙述一般)には、8つくらいの方向性があると論じました。
 話の過程で随分と多くの研究者とその論点が紹介されたけど、これは少し自慢になりますが、その多くはこのブログで紹介してあります。その理由は、この間海外でも色々な学会で話を聞くことができた(そればかりが直接意見を交換したりしている)人の紹介が多かったからです。宣伝になりますが、もしグラックが議論したような問題に関心があるようなら、ぜひこのブログを最初から読み直してもらえればと思います。
 質問はしなかったけど、自分が聞きたいなと思ったことは、最後に話した歴史のデジタル化ならびに歴史と記憶の問題について。記憶の問題については、いずれまたふれますが、デジタル化の問題に関しては、それが歴史を従来のリニアナラティヴなものから、同時に様々なものとリンクされている歴史(意識)に変える可能性があることが示唆されました(synchronicity・・・この問題は国際歴史学会で自分も論じたことがあります)。実は話の中で、前提的なものとして基本的な軸を構成していたのは、近代以降の学問的な歴史とパブリックな場にある歴史との関係でしたが、自分がこのことについていつも感じていることは、パブリックな場にある歴史の先行性という問題です。
 歴史研究者は、過去についての正確な知識を「先行的」に取得し、それをパブリックな場に「事実」として伝える、つまり歴史認識においては自らが先行していると考えがちですが、自分の考えはそうした考えとは逆だからです。たとえばグラックも少し言及しましたが、歴史におけるvoice の問題。この問題の重要性にやっと歴史研究者は目を向けるようになりましたが、そんなことはパブリックな場では過去認識の常識的な媒体であったわけです。visualized past についてもそれは同じこと。映像をとおした過去認識は、歴史研究者がその重要性に気付いて議論する以前から、public history の場においては常識的なものでした。
 digital の問題についても同じです。 digitalized history 問題は歴史研究者にとって、あっという間に常識的なものとなりました。それは、皮肉なことに「近代以降」の「学問的な歴史」を根拠づけた「史料」探索・分析にとって便利な手段になったからです。digitalized された史料の寡占化、それを操作するテクノロジーは現在では歴史研究者が自らを権威づけるためのもっとも重要な手段です。
 しかし、こうした問題以上に重要なことは、digitalized history は public history の場に、こうした歴史研究者の取り組みよりもはるかにinfluential なものとして幅広い根をおろしていることです。wikipedia のエントリーは代表的なものだし、なによりも歴史修正主義の問題は、ネット空間で提供される information に強く根拠づけられています。そしてそれはテレビ、漫画、映画などにおけるvisual history と相補的なものです。多くの人は、そうしたdigital な場をとおして既に歴史を、リニアなナラティヴとしてだけではなく、同時的に認識できる平面的なリンク的な知識としてシンクロニカルに認識しています。歴史はそうしたものとして'presence' しているものです。
 そうしたパブリックな場で先行している歴史、それにどれだけ切り込めるかが歴史研究者の重要な課題であるというのが、自分の関心です。digital history にしても、visual history にしても、oral past にしても、歴史研究者にとっとは、他の研究者への自らの優位性や先行性を根拠づける手段ではなく、むしろ public history に対する自分の劣位性をどのように克服していくかを考えていく媒体なのではというのが、自分がグラックと論じあってみたいと思ったことです。
by pastandhistories | 2014-12-16 10:34 | Trackback | Comments(0)

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