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イリーの議論

 昨日紹介したイリーの本の内容を少し補足しておきます。実はイリー自身は本のタイトルが示すように、社会史から文化史へという直線的な発展論を論じているわけではなく、結論としてはやや折衷的な議論をしています。しかし内容的には、彼の議論は、社会史と文化史の相互的な関係、たとえば社会史からいわゆる「新しい文化史」といったものなどへの流れをどう理解していくのかという点について参考になるところが多くあります。
 イリーは自らが研究者としての基盤を作り出していった時代、その中で自分が影響を受けたものを、ほぼ三つに、具体的には、フランスのアナール派、イギリスの批判的マルクス主義、そしてドイツの日常生活の歴史、という基本的には広義の意味での社会史の流れに属するものであったとしています。くわえてカルチュラルスタディーズの系譜や、モダニティーへの批判、そして自らが研究者としては属することになったアメリカにおける学際化の流れが、そうした基本的要素と混淆しあうかたちで自らに影響を与えたと論じています。こうしたものを網羅的に論じているという点で、イリーの本はこの時期の学問的な流れをたどった研究史として便利です。と同時にイリーが重視するのは、こうした「学問的流れ」に対して、学問的世界の周辺にあったもの、あるいはその外部にあったものの果たした役割です。トムスンやスティードマンがその点から高く評価されていて、同様にヒストリーワークショップもまた「外部」から大きな流れを生み出したものとして高い評価が与えられています。
 そのヒストリーワークショップについて、自分が何よりも面白く読めた部分は、ヒストリーワークショップと社会史・社会運動史・言語論的転回・そして女性史がどのように関係しているのかということについての叙述です。そのことは51頁の叙述に端的に集約されています。内容は要約すると「トムスンの影響を受けて・・・1965年から1974年にかけてオックスフォードでSocial History Group が組織された。そのメンバーは、マルクス主義者であったギャレス・ステッドマン・ジョーンズ、・・・やや年長の熱烈な新左翼であったラファエル・サミュエルだった。・・・ラファエル・サミュエルは History Workshops を組織し、彼の学生たちは来たるべき時期の社会史の重要な推進者となった。1967年の A Day with the Chartists に始まった会合は、1968年の政治的急進主義によって勢いを与えられ、国際的な参加者をもえて発展した。そうした中で最初の労働史のいくつかのテーマに代わって、歴史における子供、女性という社会史的テーマが目立つようになった。」
 実はこの後の52頁に、こうしたラファエルが領導した ヒストリーワークショップの試みがそれまでの Official and National Past に代わるものとして、小説・映画・風刺をも含みこんだ、そして主観性の問題を取り入れた個人史にたいする問題関心を生み出したという文章が続きます。しかし、何と言っても興味深いのは、こうした流れにおいて言語論的転回をチャーティスト運動研究にもちこんだギャレスが初期的には重要な役割を果たしていたということ、そしてチャーティスト運動への関心もまたその出発点において重要な役割を果たしていたことが触れられていることです。
 言うまでもなくイリーも本全体で強調していますが、ヒストリーワークショップの運動は、レイモンド・ウィリアウムズやスチュアート・ホールに代表されるカルチュラルスタディーズに触発された、同様の思想的起源をもつものです。ギャレスの議論もまたそうした同じ系譜の中において生じたものだということが、イリーの本の中にもうかがうことができます。
by pastandhistories | 2016-01-30 13:07 | Trackback | Comments(0)

1940年代生まれの歴史家

 昨日入力に失敗したことを思い出しながら書いていきます。書いたことは、16日に行った話の内容についての補足。この日の集まりは、自分が赴任した1989年以降の大学への入学者を中心にしたもの。つまり東欧社会主義国家の崩壊の時期以降 に大学に入った人たちとなります。その人たちを対象に、現在なぜ「立憲主義」(constitutionalism) という言葉が問題になっているのかということについて、「民主主義」(democracy)という言葉との関係をまじえて話すことを試みました。
 しかし、こうした話題を1970年以降に生まれた人たちに、説得的に語るのは本当に難しい。その大きな理由は、その前提として必要な、なぜある時期までマルクス主義が学問的な世界、とりわけ歴史学において大きな影響力を持っていたのかということや、そればかりでなく広い知的空間、さらにはパブリックな空間で影響をもちえていたのかを理解してもらうのが難しいからです。
 この前提がわからないと、いわゆる「擬制」としての「民主主義」、「議会制」民主主義とか、さらには「ブルジョワ」民主主義に対する批判が上述のような思想的な流れにおいては常識的なものとされていて、社会民主主義はそうした括弧つき「民主主義」を補完するものとして批判されていたことや、「戦後民主主義」が保守的な立場からだけでなく批判の対象となっていたことが理解できない、さらには「民主主義」擁護に代わって「立憲主義」擁護という言葉が語られるようになっていることの意味、その問題の深刻さが理解できないからです。そしてイギリス社会運動史の最大の研究テーマであるチャーティスト運動研究史の中で、なぜ言語論的転回という議論が、「立憲主義」や「急進主義」という言葉をキータームの一つとして用いるかたちで登場したのかを理解できないからです。
 本当に大雑把なかたちで結論的に言えば、こうしたマルクス主義の影響の大きな根拠となったことは、もちろんマルクスの思想にそうしたものが内在していたこともその一つですが、具体的には第一次大戦期に「社会民主主義的」な運動の思想の多くがナショナリズムと結合したこと、そして大戦後、既存の国家機構にかわる対抗的な過渡的権力の行使を主張したロシア革命が革命権力の維持という点では成功し、対して社会民主党の指導の下にこれと異なる道を選んだドイツ革命が、結果的にはナチスの支配を生み出したということにあったとしてよいでしょう。実際、1930年代以前に生まれた「左翼的」な、あるいは「批判的」な思想家、研究者の多くはそうした立場から、マルクス主義のフェロウトラヴェラーであったわけです。Past and Present がマルクス主義にシンパシーを抱く研究者によって組織されたのは、その代表的な事例です。そしてこの流れは、1956年のスターリン批判・ハンガリー事件まで継続しました。
 対して自分もそうですが、1940年代生まれの世代の人々は、これとは少し異なるものを自らの思想的出発点とします。中でも大事なことは、マルクス主義の思想的影響を受けたとしても、それは正統マルクス主義ではなく批判的マルクス主義であったということ、さらには1960年代の運動の経験です。そうした人々を例示していくと、チャーティスト運動研究に言語論的な議論を取り入れたギャレス・ステッドマン・ジョーンズ(1942年生まれ)、すでに紹介したことのあるジェイムズ・エプシュタイン(1945年生まれ)、ギャレスの議論を継承して言語論的な立場から「階級」論を重視した歴史理解へ疑問を提示したパトリック・ジョイス(同じ1945年生まれ)、そして言語論的転回を歴史の脱構築論を結びつけたキース・ジェンキンズ(1943年生まれ)とアラン・マンズロウ(1947年生まれ)、そして女性史研究に言語論を取り入れたジョーン・スコット(1941年生まれ)、それを個人史的方法へと発展させたキャロライン・スティードマン(1947年生まれ)、同じ女性歴史研究者であるリン・ハント[1945年生まれ)、さらには実証史家であると同時に歴史理論への考察を行っているゲイブリエル・スピーゲルも多分同じような年だと思います。晩年の著作が「社会民主主義的」な視点に立つとして翻訳・紹介されたトニー・ジャットも1948年生まれです。
 以上のような1940年代生まれの歴史家が、歴史研究の流れのなかで、どのような役割を果たしたのかを同世代の歴史家として記録しているのが、ジェフ・イリー(1949年生まれ)の、A Crooked Line: From Cultural History to the History of Society (2005) です。タイトルにあるように、文化史への、文化史からの流れを中心に現在の歴史研究の問題を論じたもの。History of Society という言葉は1971年の発表された有名な論文のタイトルとしてホブズボームがもちいたものであって(本文の結論部では、histories という複数形がもちいられています・・p.203)、そのことからもわかるように、歴史研究の「発展」の流れを、単純に直線的に論じたものではありません。しかし、この本からはギャレスの議論がなぜ社会運動史研究と交錯するかたち(というよりギャレスはもともとは社会史的な立場に立つ研究者でした)で生じてきたのかという問題や、社会史と文化史の関係がわかるところがあります。少し長くなりすぎたので、そのことはまた次の記事で紹介します。
by pastandhistories | 2016-01-29 10:36 | Trackback | Comments(1)

3月20日

 今月が1回、先月が2回(といっても一回は日程の予告なので実質は1回)、先々月が1回だけしか記事を書いていないのに、本当に多くのアクセスがあり、少し申し訳ない感じです。ということで今朝は頑張ってかなりの長文の記事を書いたのですが、最後の入力のさいに間違ったキーを押してしまいあえなくパー。内容は覚えているので、気力が回復すれば明日また書きますが、今日のところは日程の予告だけにします。
 デ・グロートを招聘しての3月のセミナーですが、日程が変更されて20日になりました。美術館と映画というテーマで、グローバリゼーションが進行する中でのパプリックヒストリーについての報告を準備してくれているようです。詳細が決まりましたら、また内容を伝えるようにしますので、関心のある人は日程を開けておいてください。
by pastandhistories | 2016-01-28 12:13 | Trackback | Comments(0)

初仕事

 何年か前までは正月は毎年アメリカ歴史学会に参加していたのですが、今年は1月の日程が詰まっているので行きませんでした。もっとも1月の日程が詰まっているのは毎年のこと。ただ今年は最後なので、きちんと納めの仕事をしたいというのも、理由の一つです。その一つが原稿書き。年末に今年の海外での仕事のアブストラクトを書いたので、それを含めていくつかまとめていくのが今年の目標。ということで元旦から原稿書きと思ったのですが、まずは仕事始めは読書からとなりました。
 何を読むかは迷ったけど、結局は3年前のアメリカ歴史学会で久しぶりに会ったジェイムズ・エプシュタインの In Practice (2003)、サブタイトルは、Studies in the Language and Culture of Popular Politics in Modern Britain になりました。E. P. トムスンに自分の書物の推薦を頼んだら、エプシュタインがもちいている「立憲主義というイディオム」(constitutional idiom)への批判の手紙(1989)がトムスンからあったということの紹介とその引用から序文が始まるこの論文集は、もともとは ドロシー・トムスンのもとで学位を取り、彼女と共に『チャーティストの経験』(Chartist Experience, 1982) の編集の任にあたったエプシュタインが、その巻頭に掲載されたギャレス・ステッドマン・ジョーンズの「チャーティズムの言語」(The Language of Chartism)などによって社会運動史に持ち込まれた言語論的転回をどう考えたのかを示す、とても参考になる内容となっています。
 エプシュタインには、指導する側と指導される間の関係を、象徴や言語というその媒体に注目して論じた優れた実証研究がありますが(その代表的なものが、チャーティスト運動の最大の指導者であったファーガス・オコナーをとりあげた単著)、エドワードからその主張への疑問が寄せられたように、彼の考えは言語論的転回にはやや批判的であると同時に、その問題意識には理解を示すというものです。その点からギャレスの議論を評価しています。
 一番参考になるのは、ギャレスの議論がとりわけ1970年代以降、かつての「労働」とか「階級」という言葉を媒体として、資本主義(的な政治)に対するオルタナティヴと考えられていたものが後退したことへの危機意識に基盤をおくもので、その起源をギャレスは19世紀の運動のあり方に求めたのではという議論(これはギャレス理解さらには言語論的転回理解の重要なポイントです)をしていることです。また労働者(階級)がもっていた(現在も持っている)文化的異質性は、必ずしも支配との政治的異質性を生み出すものでないという問題意識が、ギャレスの考えの背景にあったとしてしていることです。
 話が少し変わりますが、昨夜は『相棒スペシャル』を見ました。官房長官が殺されてしまう。二時間ドラマをはじめとして大衆的な文化空間にあるディスコースの一つとして、「政治家」は「ある種の正義」によって排除されるべき存在としてしばしば描かれます。しかしそうした文化的な枠組みが、本当に対抗的な変革への政治的エネルギーを生み出すものであるかといえば、それは否です。むしろ圧倒的に「保守的な」「疑似革新的な」政治の媒体となることの方が多い。エプシュタインは、ギャレスが論じたそうした問題を取り上げています。たとえ労働者や民衆と呼ばれる人々のあいだに支配的な層が持つものとは異なる文化意識が存在していたとしても、それは政治的な変革を生み出すようなもの、資本主義に対するオルタナティヴを提示するものとは決して同一なものではない。それが1970年代以降明確に問題化してくる。そうしたアクチュアルな問題意識が、言語論的転回を媒体とした「学問的な流れ」にあったことがエプシュタインの議論からはわかるところがあります。
by pastandhistories | 2016-01-02 11:02 | Trackback | Comments(0)

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