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altered past

昨日本屋によって新刊書を何冊かを購入しました。セバスチャン・コンラートのWhat is global history?と、ジェローム・デ・グロートのRemaking Historyなど。これも昔と違って現在ではあまり意味のない作業。日本国内からでもアマゾンを使えば翌日配達されるわけで、わざわざ荷物をふやして持ち帰る必要もありません。とはいえ、いずれも自分が期待している研究者による2016年の新著。読むのが楽しみです。前者には、ベッカート、ザクセンマイヤーらの、後者にはローゼンストーンの推薦文が付けられています。
本といえば、今回は機内で読むために、Richard Evans の Altered Past: Counterfactuals in History (2014) を持ってきました。出発直前に「ゲームと歴史」「ギャンブルと歴史」という文章を書き、その中でイフヒストリーが学問的な世界でもきちんとした論争の対象となっていると書いたので、そのことを補足しようと思ったからです。
まだ半分ほどですが、予想していた通り議論に「ズレ」があるような気がします。カウンターファクチュアルヒスリーに対する歴史研究という立場からの批判の最大の根拠は、それが「資料」に基づいていない、つまり歴史研究の基本的出発点を踏まえていないということです。起きたことのうちにも資料を残してない物は多くあり、したがって歴史研究に想像的要素が介入することは確かだけど、起きなかったがゆえに資料を残していないことを想像することは、歴史研究の基本から大きく逸脱するものであるということです・
たぶんこの批判は正しいかもしれません。しかしこの批判は、おそらくpastology と history の区別を見落としているのではと思います。archaeology は history と学問的には区別されることがあります。歴史には考古学的な手法とは異なる広義な要素が含まれるからです。そうした要素を批判的に考えていくという「禁欲的な」アイディアが、逆に「想像力」をめぐる議論を生み出していると自分は考えています。そのあたりのことを、また帰りがけにエヴァンズの本を読んで考えてみたいと思います。
by pastandhistories | 2016-02-19 20:36 | Trackback | Comments(0)

パブリックな空間とジャーゴン的空間

今イギリスです。といっても一週間くらい。前回のホブズボーム記念集会と同じです。最近はこういう短い滞在が普通。しかし今回が異なるのは、学会参加ではなく、資料・文献調査であること。しかし、それでもこの滞在期間は長いかもしれません。グローバルなデジタルネットワークの急速な進行で、以前は主要な仕事であった資料の閲覧や本の購入、論文のコピーといった作業は不必要。というより直接来たほうが不便な部分すらあるという事態も生じているようです。
その意味では専門家同士の連携化が進行しているわけで、それは望ましいことかもしれないけれど、そのことがかえって学問的世界を限られた人間によるジャーゴン的世界にし始めているのではという気もします。学問的な専門化、細分化が進めば進むほど、研究者も少数化するけど、一方でのグローバルなコミュニケーション世界の広がりによってそのことがかえって意識しにくい。そんなことが生じているかもしれません。
そんななかで、あらためて考えさせらるるのは、学問的な成果が投げ出されるパブリックな空間とはどのようなものであるべきかということ。閉鎖的なナショナルな空間ではないことはもちろんだとしても、啓蒙に根拠を置いたモダニティといったような、メタ的なものでないのだとしたら、一体それはなになのか。
さいわいにして自分が今関心をもっている歴史理論や社会運動史は議論が投げ出されうるパブリックな空間がまだ可視的なものとして見えるところがあるけど、この問題はデジタルグローバリゼーションの進行の中で、人文的な学問にとって重要な問題になってきたような気がします。
by pastandhistories | 2016-02-18 16:06 | Trackback | Comments(0)

ギャンブルと歴史

 説得力のある議論ができるかわからないけど、予告したので、「ギャンブルと歴史」というテーマで書きます。素材とするのは、おとといのレスター対マンチェスターシティ戦です。なぜこのテーマを取り上げるのかというと、ギャンブルを例にとると、歴史の説明において重要な役割を果たしている因果関係の問題について理解しやすい側面があるからです。
 おとといの試合の直前のオッズが具体的にどうであったかは知りませんが、レスターに関してはここ3戦、つまり実力的には上回るとされるリヴァプール、マンチェスターシティ、そしてアーセナル戦、とくに強豪チームとアウェイで戦うマンチェスターシティ戦とアーセナル戦がプレミア初優勝の鍵であるといわれていました。3連敗する可能性もある。そうなれば、「本来の実力通り」優勝戦線から後退していく契機となるだろうと予想されていました。色々な要素を前提に考察すれば、そうした結果がある程度の蓋然性をもって出現するであろうということです。しかし、結果はまったく異なったものでした。
 「いろいろな要素」、別の言い方をすれば起きるであろう出来事の「原因」とされる諸要素、あるいは変数といってもいいのですが、そうしたものを考え合わせれば、もともとレスターに関しては優勝どころか、クリスマスまで首位に居ることは予想されていませんでした。したがってそうした結果に賭けた人に対しては、既に6000倍以上の配当が支払われています。つまり合理的な前提とされる諸要素・変数を組み合わせても結果は予想できなかった。それが結果を対象としたギャンブルが成立してきた根拠です。いくら合理的だとされる思考を重ね合わせても結果が予想できない。その理由はなぜか。単純に言えば(?)、人間の行為の結果であるスポーツの試合の結果は、きわめて複雑な諸要素・変数が組み合わされて生ずる結果、いわゆる複雑系(?)に属しているからです。
 だとすると、議論を逆転させると起きた結果をその原因となった諸要素に還元して因果的に説明することは、論理的にはけっして正確な説明ではないということになります。そんなことができるなら、諸原因となる要素を見出せば、結果は確実に予想できる、したがってギャンブルの対象とはならなくなってしまうからです。
 実はこの議論には反論があり得ます。つまり、そうはいっても出来事が起きうる確率はある程度予想しうる。というよりも、どの程度の人が、どのような予想をもっとも合理的だと考えたかはオッズの予想順位に反映されている。そして多くの場合結果的にはオッズの予想順位にしたがったかたちで結果は生じているのではないかという主張です。
 多分この主張は正しいでしょう。しかし再びギャンブルに例えると、そうした順当な予想にしたがって投資し続けるのと、今回のレスターの優勝(まだ決まってはいませんが)に賭けるのと、どちらが長いスパンから見た場合最終的な利益をもたらすのか、もし後者だとしたら、予想に基づく行動としては後者の方に合理性があります。再び比喩的に言えば、マイノリティに立つ選択の方が、あるいは特異な思考が、より合理的な決断でありうる可能性があるということです。やや飛躍した議論だとは思いますが、因果関係から歴史を考えるさいには、こうした思考もまた重要かもしれません。
by pastandhistories | 2016-02-09 21:43 | Trackback | Comments(0)

ゲームと歴史

 昨日は主宰者に誘われて、遊戯史研究会に参加しました。ゲームと歴史について、ゲーム製作者、歴史研究者、その両方を兼ねる人、さらには多くのゲームプレイヤーが参加して、けっこう楽しい、そして重大な議論がありました。
 参加者のヴァリエーションを反映して議論は多岐にわたりましたが、議論の一つの中心となったことは、歴史を素材としたシミレーションゲームの場合、最初の前提を事実に置くとしても、ゲームの進行の中で「歴史的事実」ではなかったことが、ゲーム上の「事実」として組み込まれ、結果が事実と大きく異なってしまってよいのかということです。もちろんゲームとしてはかまわないわけで、またそうでなければゲームとしての面白さを保てない。しかし、ゲームを何らかの歴史認識の媒体として、あるいは歴史教育の教材として用いる場合、そうしたことはどの程度まで許容されるのかということが議論されました。ゲームと歴史をまったく別のものとすれば、もうそれ以上の議論の必要はない。しかし、両者を関係づけようとすると、議論はそれなりに難しくなります。
 この問題はイフヒストリーの問題と関連します。というのは、シミレーションゲームは、ゲームの進行の過程で、その都度プレイヤーに与えられた選択肢からの選択を迫るわけですが、プレーヤーが過去に実際に選択されたものと別の選択肢を選べば、その結果は過去に起きた事実とは異なるものになリうるからです(絶対に異なるものとなるかは、ゲーム作成者が設定した条件により異なりますが)。そのことがゲームは歴史とは親和性を持たないという議論の根拠になります。
 しかし、この議論はおかしいですね。というのは、過去を歴史内在的に考えるというのなら、実際のアクターはゲームプレイヤーと同じように、というよりゲームという条件の中には組み入れることができないようなきわめて多くの選択肢を前にして行動していたからです。その後に起きた事実を、「絶対に起きる事実」であることを前提に行動していたわけではないからです。歴史に内在するというのはそういうことです。起きた事実に対する研究方法の一つ、実証的考証が歴史研究であるということが強調されることが多いために、「歴史の事実」の問題については歴史研究者の中にも、一般にも大きな錯覚がありますが、歴史の内在的事実というのは、はるかに多様性を持つものです。会議では発言できませんでしたが、イフヒストリーやカウンターファクチュアルヒストリーがきちんとした学問的場で問題となるようになったのもそのためです。
 シミレーションゲームの問題は、むしろプレイヤーに与えられる選択肢が、進行過程で起きていく事件の過程を複雑化させないために、選択肢を限定していることです。アイロニカルなことに、そうした選択肢が、学問的世界でもちいられてきた、そしてそうした手続きをへて一般化している「単純化」された因果関係を前提としたものが多いということです。そのために因果論的な議論を前提とした歴史がクリアーすぎるものとして提示されている。そのことがゲームの結末が実際に起きた事実と異なっていると、大きな違和感を感じさせてしまうということです。歴史ケームは意外なほど、常識的な、学問的な歴史観に基づいています。それはプレーヤーが学校で学んだ、あるいはパブリックプレースにある歴史を共有しているからであり、そうしたプレイヤーを対象として作成されることが多いからだと思います。
 ・・・・・・・実は今日はこんなことを書く予定ではなく、おととい2時間にわたって中継を見たプレミアリーグのレスター対マンチェスターシティ戦を素材に「ギャンブルと歴史」というタイトルで書く予定だったのですが、その前提的文章が長くなってしまいました。「ギャンブルと歴史」については、明日書くようにします。
by pastandhistories | 2016-02-08 11:48 | Trackback | Comments(0)

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