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落語家の目線

 アクセスしてくれる人も多いようなので、それに合わせて書きたいのですが、今日もまたこれから英語での文章書きなので、余談的なことを簡単に書きます。
 山田洋次監督(学生時代は東大歴研に所属していたようですが)は落語への関心が強いことで知らています。たぶん台本も書いているのではと思います。ということで、初期の作品には出演者として落語家をもちいるという試みもしていました。しかし、それはあまりうまくいかなかった。その理由は、目線です。いつも高座の上から、位置としては低い場所にいる観客に語りかける。舞台俳優なら同じように観客に対しては高い位置にいても、共演者に対しては同じ目線で話す。しかし、落語家は一人語りですから、対話者〈観客)に対しては上から目線になってしまう。そうした目の使い方が、ある時にはやや高慢な、しかし喜劇を演じさせようとするとかえって卑屈な表情となって、映画、とりわけ喜劇映画の画面にマッチしなくなってしまうからです。
 随分と古い話になって申し訳ないのですが、テレビの初期にNHKで『お笑い三人組』という公開番組がありました。出演者は当時の若手の落語家、講談師、物まね演者です。いずれも高座にでていた人たちです。最後に三人が揃って舞台に登場するのですが、自分の記憶では目線が上に上がっていて、そのことに大きな印象があります。たぶんカメラを上に設置していて、そこを見るようにとの指示が出されたいたためではと思います。そうした工夫のせいか、この番組は視聴者と目線の高さが一致していて、視聴率も獲得していたようです。
 教員や研究者という立場をずっと続けていていつも感じていたのは、こうした目線の問題です。研究者の質は目線でわかるところがあります。相手と同じ立場に自分を置いているのか、そこで議論しようとしているのか、そのことはとても大事だと自分は考えています。
by pastandhistories | 2016-05-23 09:43 | Trackback | Comments(0)

people's history

 今日は西洋史学会二日目。原稿書きが予定されていて、最初は参加する予定はなかったのですが、起床が早く午前中に少し書けたので、午後からグローバリゼーションと歴史」についてのシンポに参加しました。最初は入り口近くの後ろにいたのですが、そこである人に会ったら一番前に座ろうというのでそこに着席。普段はこうした会で発言することはないのですが、ついでなので質問しました。多分西洋史学会での発言は長い研究生活で初めて。質問しようと思ったのは、報告それぞれに興味の重なるところがあったから。でも慣れないことなので、議論が広がりすぎて会場に迷惑をかけたかもしれません。
 帰ってきてブログを開けたら普段より多いアクセス数。何かイヴェントがあると関連したコメントがあるのではと、アクセスする人がいるようです。会場でいろいろ考えたことはあるけどそれはいずれとして、往復の電車でした校正の内容が、多少今日自分が話したいと思ったことと関連するので、今日はそのことを書いておきます。内容はタイトル通り、people's history。なぜそのことを書くのかというと、今日の報告は最近はやりつつある史学史に分類されるものですが、それは専門的研究者・知識人が作りだした歴史、つまり intellectual history です。もちろんそれは歴史の様々なかたちの一つに過ぎません。
 対して people's history は、history of the people ではなくて、人々自身が作り出していた歴史です。これに関しては、今日往復の電車で再校をした文章でも紹介することになりますが、ロバート・ホールという人がChartist Legacy (1999) に掲載された 'Creating a People's History' という論文で示唆することの多い議論をしています。
 ホールによれば、19世紀前半の民衆世界にももちろん歴史はあった。しかし、その歴史は現在のものとは大きく異なって、オーラルなもの、パフォーマティヴなものによって伝えられていたものでもあった。なぜなら、識字率がそれほど高くない以上、人々の間にある歴史はそうした要素を多く含んでいたからです。そののち近代国民国家の形成と共に歴史が制度化されていくにつれ歴史は知的な社会層に委ねられ、そのなかの一部の人々が 「民衆史」を語り、学問的世界にもそうした言葉が使用されるようになるけど、それはかつてのpeople's history とは異なるものであるというのが、ホールの議論です。
 この議論にあるように、語り手、語られ方〈というより伝えられ方)の差異によって、歴史とされるものは大きく異なります。Intellectual history としての史学史への関心はそれ自体としては否定される必要はありませんが、そうした関心が自己回帰的なものになりがちだという留保は、常に必要だと自分は考えています。
by pastandhistories | 2016-05-22 22:19 | Trackback | Comments(0)

時の流れ

 にわかに舞い込んだ英文文章の作成に、とにかく追われています。6000語程度、昨日の段階で3000語を少し超えました。日本語で書くのと比較すると労の多い作業ですが、自分にとって役に立つところもあります。それはやはり想定されるオーディアンスが広がるということです。より幅広い読者に理解してもらうためには、どのような論理構成が(事実の提示ではなく)必要かということを考える必要が生じるからです。
 英文で文章を書くさいに〈英文のペーパーを読むときもそうですが)陥りがちなのは、事実の提示に終わってしまうこと。とくにそれに「日本では」という枕詞を付してしまうことです。そうなると、「事実」は個々に異なるけど、論理的には共通するものがある、ということで議論がそこで終わってしまう。むしろ重要なことは、読み手や聞き手が理解することのできる、論理的な新しさや問題提起ができるかです。そのことを意識すれば、どのようなことを論じるべきかについて、質の異なるアイディアを生み出すことができます。
 普段日本語で書いているとき、想定されている読み手や聞き手は、事実についてはすでにある程度の共通の認識のある人々です。そうした人々に対する議論で重要なことは、すでに共通認識化している事実の提示ではなく、論理的な新しさや問題提起です。そうした新しい論点に、想定される読み手や聞き手をさらに広げると気づくことがあります。
 話は少し異なりますが、昨晩西洋史学会のプログラムを見ていたら日曜日の夜には若手研究者による「海外での学位取得から出版へ」というディスカッションがあるようです。一言でいえば、(より権威のあるものへの)同化による〈従来の研究との)差別化、assimilation による differentiation です。当然の時の流れです。しかし、その場合、そうした研究のオーディアンスはどのようなものとして設定されているのでしょうか。どのくらいの広がりがあるのでしょうか。
by pastandhistories | 2016-05-19 08:38 | Trackback | Comments(0)

international middle class

このブログは日本語で書かれている。つまり日本語の読める読者を想定しています。議論している内容やネットがもつ特性を考えれば、もちろんそれもまた限定的な意味しかないけれど、英語で書いた方がより読者は広がる。しかし、そうした場合文章チェックを含めてかなり時間が必要になってしまうとことになりそうです。実際に今月はにわかに舞い込んできた5月末まで英文6000語という仕事に追われていて、本の整理を含めて他の仕事が中断気味。仕方なく以前忙しくてノートとりを途中でやめた欧文文献(数十冊になります)のノート取りをしながら、新しい本を読み始めるという作業をしています。
 もっとも日本語で書いていても、本当にごく少数ですが、このブログを自分で、あるいは日本語を読める人の援助を受けながら、時々読んでくれている海外の研究者もいるようです。セバスチャン・コンラートがその一人かはわかりませんが、今日は以前ロンドンで購入したことを紹介した彼の新著 What is Global History? について記します。多分この本は翻訳が出るかもしれません。コンラートの知名度も日本では上がってきていますし、何と言ってもタイトル。翻訳出版の企画がこれほど立てやすい本はないでしょう。
 しかし、正直厳しく言うと、コンラートの議論にはそういうところがありますが、少し整理しすぎ。断定的ではなく問題提起的な配慮もありますが、第一に、第二に、第三にというような議論が目立つところがあって、そこまで議論を整理してしまっていいのだろうかと思うところがあります。この本が翻訳された場合、そうした図式化が日本の研究者に安易に援用されてしまうとすると、そのことについては少し心配があります。もちろん随所に彼らしいシャープな議論の立て方があって、興味深く読めるところも少なくありません。
 その一つが歴史家が歴史がグローバル化されつつある現在どのような読者〈コンラートはオーディアンスではなく、パブリックという言葉を使用しています)を対象としているかという部分(p.209)。そのまま英文を引用すると、 historians today are nevertheless accountable to a larger public, and in most places, this public is now implicated in broader global trend more than ever before. Potential readers, ranging from students to the educated public, experience their quotidian lives as increasingly globalized. For this group, the international middle classes that control high concentrations of financial, but also social and intellectual capital, transnational and global perspectives make a lot of sense という部分です。
 ここで論じられていることは、歴史家が現在その説明の義務を負っているのは、学生や教育を受けた人々、経済的なものだけでなく、知的な社会的な資本の高度な集中を統御しているインタ-ナショナルミドルクラスであるということだと思いますが(少し硬い訳ですが)、たしかにそうしたインターナショナルミドルクラスが集まり、相互に議論し合っているというように感じることが国際会議に参加すると感じることがあります。もちろん歴史がそうした「限定された」「狭い」「特権的な」人々を対象するものであることはおかしい。歴史はより広い空間に投げ出されるべきですが、しかしそれが wider nationalistic audience にとどまっていることはさらに批判されるべき問題です。もちろんコンラートもミドルクラスに限定されない、また本の随所で言及されているヨーロッパ中心主義に限定されないものとして将来のグローバルな歴史のあり方を構想していて、そのためにも現状を批判するためにこの言葉をもちいているのだとは思うのですが。
by pastandhistories | 2016-05-13 06:38 | Trackback | Comments(0)

事実と偶然性

 昨日 Doing History という本について書いたので、今日はそれを少し補足しておきます。著者の一人である Mark Donnelly が1960年代もまた関心の対象ともしているということを書きましたが、この時期の、1960年代後半から1970年代はじめにかけてのいわゆる学生反乱(参加したのは学生だけではなく、同調的な若手研究者も多くいました)の背景になったことの一つは、学問の制度化と専門化がもたらしたことへの批判。それがモダニティと結合することによって体制的な、あるいは抑圧的な役割を果たしているのではないかという批判です。もう一つは、オルタナティヴの問題。以前は資本主義に代わるものとして措定されていた社会主義が(あるいは萌芽的には西欧中心主義を批判しうるものと考えられていた第三世界が)、現実としても思想としても、その問題点を露呈したことによって、現実の世界に対するオルタナティヴの消失という問題が意識されるようになったことです(現状肯定的な立場からこのオルタナティヴの消失ということを後に明確に論じたのが、フランシス・フクヤマです)。
 こうした流れにそったものとしてポストモダニズムが受け入れられたと考えると、ポストモダニズムには理解しやすいところがあります。1960年代が研究対象の一つである Donnelly が、同時にポストモダニズムの影響を受けた歴史理論に関心を示しているのも、そのためでしょう。Doing History の基調となっている考え方は、一見オルタナティヴを許容しないものであるかにみえる現実の社会や、歴史のあり方への批判です。たとえば動かしがたいものであるかのように論じられる「歴史は事実にもどづく」という考え方。
  Donnelly はそうした考えを以下のようなかたちで批判しています。たとえば自分も経験することですが、査読を依頼されたりすると(自分が当該史料をきちんと読んでいるわけではない領域のことも多い)、しばしば審査報告書に「事実についての記述も正確である」と書くことがあります。しかし、これは奇妙です。史料を読んで事実を推定した投稿者より、史料を読んでいない審査者の方が断定的に「事実」を先に知っていたことになってしまうからです。つまり事実は論文の執筆者にではなく、審査者の側にアプリオリに存在していたことになってしまう。Donnelly もそのことを指摘していますが、問題は、論稿が「事実」と「一致」しているかではなく、論証の手続き(protocol) が正当なものであるかです。そしてそうした手続きに瑕疵が少なくても、なお「事実」は「推定」されたものとしてとどまります。しかし、意外なほど多くの人は、「歴史の事実」を「先験的」なかたちで「自らの中に内在させて」います。
 「歴史の事実」をアプリオリなものとして想定しないという思考は、現実に対するオルタナティヴが喪失しているかのように見えるとしても、現実を絶対的なものとはしないという考え方につながるものです。「偶然性」は言語論的転回という言葉を広めたとされるリチャード・ローティもまた強調したことですが、こうした思考は、現実を必然的な変化によってもたらされたものとは考えません。ジャック・モノーが『偶然と必然』で指摘したように、「万物の霊長」と称する人間が有している現在の肉体的構造は、全宇宙の中で知的な高等生物体が共通して保持しているものではないはずです。
 自らを100%絶対化しているわけではもちろんありませんが、それでも意外なほど批判を許容しない閉鎖的構造をもつ現実の社会や知のあり方への批判として、ポストモダニズム的な思考から示唆されることは少なくありません。
by pastandhistories | 2016-05-11 12:23 | Trackback | Comments(0)

Doing history

 昨日は言語論的転回について簡単に書いたので、今日はそれに関連してポストモダニズムについて書きます。ポストモダニズムについても日本では歴史研究の中で、その提示した問題をどう生かしていくべきかという議論は残念ながらほとんど行われることはありません。多分そのことが、ポストモダニズム的な議論を受けるかたちで歴史をめぐる議論を進めている海外の〈欧米だけではなく、アジアやアフリカを含めたその他の地域の)歴史研究と日本における歴史研究の大きなズレを、批判的に言えば日本の歴史研究の遅れを生み出しています。
 何度か折に触れて書いてきましたが、ポストモダニズムが歴史に与えた影響は、本当に簡潔に整理すると、歴史の客体として扱われてきた人々を歴史の主体に組み入れ、歴史研究の対象を史料や方法を含めて大きく革新する道を開いたことです。シュテファン・バーガーの言葉を借りれば、近代歴史学の軸となっていた制度化と専門化、それと対応関係にあったモダニティとナショナリティと歴史の癒着関係を批判し、歴史研究や歴史一般のあり方を問いなおしたことです。こうした考えにもとづいて、具体的な歴史研究への取り組みが革新されました。たとえばフェミニズムやポストコロニアルな視点を組み入れた歴史、あるいはパブリックヒストリーへの関心などがその例ですが、そうしたことがポストモダニズムの影響から生み出されることになりました。授業のテキストとしてもちいたことがありますが、文字通り教科書的なものとして書かれた、Callum G. Brown, Postmodernism for Historians (2005) では、ポストモダニズムが提示した問題が歴史研究者にとってどういう有用性があるのかが、具体的にわかりやすく説明されています。
 やや理論的なものですが、同じように、Mark Donnelly & Claire Norton, Doing History (2011) もポストモダニズムが歴史研究や歴史一般について与えた影響をわかりやすく説明した好著です。基本的にはホワイトやジェンキンズとその系譜をひく研究者の影響を感じさせる本ですが、ポストモダニストへの批判者を含めて現在的な歴史理論の内容を網羅的にたとっていて、その点でも便利です。また著者の一人である Claire Norton は女性のイスラーム史研究者であることもあり、またエドワード・ワンの議論を借りるかたちで、欧米以外の史学史に目をく向けるという姿勢もあります。しかし、史学史という観点からこの本で興味深く読めるところは、ラファエル・サミュエルが試みたのヒストリーワーショップを、ポストモダニズムと強い関係を持つものとして論じていることです。
 またこの本で興味をひかれることは、もう一人の著者である Mark Donnelly が1960年代の研究者でもあることです。イスラ―ムへの関心と1960年代への関心、そうしたものがこうした著作の背景になっているということは大変興味深いところがあります。
by pastandhistories | 2016-05-10 07:22 | Trackback | Comments(0)

オバマ大統領は最初の黒人大統領?

 校正を出し終わったので少し時間ができ、また今日は涼しくて過ごしやすかったので、普段は見返すことのないこのブログを読み直しながら、時間を過ごしました。書いてきたことには自分で納得しています。ただ残念なのは、ここで書いてきたことは、狭い意味では歴史研究を、広い意味では歴史一般のあり方を考えなおしていくためのヒントのようなことなのですが、ここで提起したことに対して学問的な世界と称する側から、本当に根強い抵抗があることです。
 たとえば「言語論的転回」という言葉を聞いただけで拒否反応を起こす人もいます。しかし「言語論的転回」が提示した問題はそれほど難しい問題ではありません。以前も「茶髪の意味」とか「競争馬の毛色の表現」という話を例にとって書きましたが、言語(記号)によって記されることは、それによって示されるものとは必ずしも厳密に対応するものではなく、社会的に構築されたものでもありうるということを議論として提示しただけだからです。
 たとえば、「オバマ大統領は黒人としてアメリカの最初の大統領となった」という文章を何気なく用いることがありますが、これは「客観的」「普遍的」な「事実」や「真実」ではありません。特定の社会の中で(残念ながら日本の社会もその中に入っていますが)恣意的に使用されている表現に過ぎません。
 オバマ大統領はケニア系の男性とスエーデン系の女性との間に生まれました。したがってそうした表現が適切であるかもまた問題となりえますが、現在日本で一般に用いられる言葉をもちいれば黒人と白人のハーフです。そうした人々をどちらの人種として組み入れるかという問題は、『国民の創生』という映画を見ればわかるように、あるいはナチスの人種論からも理解できるように、その時々の社会において、社会的に構築されたものです。
 たとえば日本で「最初に白人で大臣になったのは」誰かという問題を問われたら誰のことを思い浮かべるでしょうか。「最初に黒人でアメリカの大統領になったのは誰か」という問いへの答えがオバマ大統領であるとするなら、その答えはたぶん中山マサ議員になるかもしれません〈他の人がいるかもしれませんが)。彼女はイギリス人と日本人のハーフだったからです。しかし、誰も彼女を「白人」とは呼ばないでしょう。ウキペディアをみても、彼女が「日本で最初の女性閣僚であった」という記述はありますが、「日本で最初の白人閣僚」とは記されていません。
 このことからも分かるように、どれほど社会の中に共通性をもって通有されていても、言語は厳密に考えればそれ自体として「事実」を表すものではなく社会的に構築されている。そうした単語をいくら結び合わせて一つのテキストを作りだしても、そのテキストは「事実」や「真理」を厳密に表しているわけではなく、むしろ社会自体のあり方を示すものとなっている、ということを指摘したことが言語論的転回が提示した一つの問題です。この議論はそれほどおかしな議論ではないはずなのですが。
by pastandhistories | 2016-05-09 17:00 | Trackback | Comments(0)

多様化への背理

 連休が終わりました。といっても自分が勤務していた大学では今年は連休中も授業。前の教務部長〈自分のことです)が、「五月の連休は日本に独特なナショナルな休日であって、文部科学省が授業日数の確保を厳守せよというなら、連休には授業をやって、その分夏休みを前倒ししたほうがよい、真夏に授業や補講を入れるのは学生に可哀想だ」と主張したためです。もっともこの提案には日ごろ政府を支持してナショナリスティックな主張をする教員が猛反対、こうした教員にかぎって一方では常に何かと言うと「グローバルな基準に合わせるべきだ」と主張するのも奇妙な話です。以前も書きましたが、その時々によって恣意的、便宜的に「ナショナル」「グローバル」はもちいられているということです。いずれにせよ問題は、休日にも授業実施を押し付けるという文部科学省の大学管理に対する姿勢に問題があるということなのですが。
 人が休んでいる時に仕事をするのは落ち着かないところもありますが、今年は校正が一つ。それからにわかに舞い込んできた5月末日締め切りの英文報告のレジュメが一つ入りました。校正の方は10日印刷所必着だったので、今日仕上げて発送しました。イギリス史関連ですが、それなりに問題を提起できたのではと思います。最後にデジタル化が歴史にどのような影響を与えたのかを書きました。そこで触れたのはデ・グルートもそのことを論じてくれましたが、歴史の研究主体やオーディアンスがデジタル化によって大きく拡大したという問題です。研究主体とオーディアンスの混同化、よく言えば一体化が進行したということです。
 こうした流れはデジタル化という技術的媒介の発展と同時に、1960年代以降の歴史に対する理解の変化から生じたものとも言えます。その代表はヒストリーワークショップの運動。この運動は歴史の主体を拡大し、それに伴って対象を大きく拡大することになりました。従来取り上げられていなかった対象を、やはりもちいられることの少なかった資料を媒体として研究する、という流れを拡大したということです。一言でいえば、歴史の拡散化、ダイヴァージョンです。学問的には歴史研究の多様化です。
 しかし、最近つくづく思うのは、こうした歴史研究の多様化、たとえば「社会史」とか、「文化史」?と称するものが、歴史研究の対象を多様化したのは事実だけど、実際にはその多くが「新しい」「対象領域」あるいは「方法」とされるものへと、「タコ壺化」しているのではということです。またこうした流れが、実際には奇妙なほど、「ヨーロッパ中心主義的」なものとして、そのヨーロッパ自体においては批判の対象となっている、「近代的」な「歴史研究」へと日本では収斂化されているということです。これは歴史研究の多様化が本来その意図としていたものとは大きく背理するものです。しかしそのことへの自覚は、見事なほど欠如しています。
 本来はダイヴァージョンに向かうべきものであったはずのものが、コンヴァージョンされつつあるというパラドクスがここにはあります。とりわけそうした流れが近年の日本における歴史研究に強いとするなら、それは残念なことです。
by pastandhistories | 2016-05-08 22:36 | Trackback | Comments(0)

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