歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

プロフィールを見る
画像一覧

<   2016年 08月 ( 7 )   > この月の画像一覧

INTHブラジル④

 西回りを使うと行きは午前発の飛行機に乗れば日本時間ではまだ深夜になる前に何とか経由地に到着する〈今回はパリ)、かつ現地時間は夕方ということでなんとか対応できるけど、今回のようにリオやサンパウロからさらに入ったところとなると、そこを出る飛行機は夕方発、乗り換えも同じで、したがって帰路は機中2泊という壮絶なスケジュール。しかし、慣れているせいか、疲れのせいか、リオからパリまではエコノミーの機中でしっかりと6時間の爆睡。寝すぎたせいかさすがにパリからはあまり眠れなかったけど、月曜日は普通の生活、昨日も夜12時就寝だったけど、今朝は4時に目が覚めてしまいました。
 今から眠るのも面倒なので昨日の続きを書くと、自分のセッションが終わった後は今度はまた午後からは二つ目のキースピーチ。スピーカーはサンジャイ・セス。以前にもここで紹介したと思いますが、インド系の人で〈奥さんは日本人のはずです)基本的には構築論的なオリエンタリズムの立場に立つ、それほど極端ではないバランスのとれた議論をする人です。そのことが逆に海外でも評価に比べて日本での紹介が少ないということの理由かむしれません。今回も歴史は確かにヨーロッパ起源と考えられる面はあるけど、南から見れば進歩主義的なものとは異なる議論があるということを、史学史な議論を交えながら説明しました。
 つづいての一般的セッションでは、エヴァ・ドマンスカが司会をした Narrativism と題されたセッションに出ました。報告者は3人、最初の二人はそれぞれPhD の取得準備中の院生、今回の会で見られた一つの方向、たとえばホワイトの議論の起源をニーチェやハイデガーへの系譜をたどり思想史的に説明するというもので、それだけなら既に繰り返し議論されていることで,果たして学位取得に至るのかなと感じるところがありましたが、最後の報告をした Eduardo Felippe はすでに学位取得を終えているということで、なるほどと思わせるところがありました。内容はhistorical fiction を素材としたノスタルジアについての議論。かなりしっかりした理論的分析のできる人物で、ノスタルジーは過去に対してだけではなく、未来に対しても抱かれるものであり、それはフィクションをとおしてみることができるとして、その例としてユトーピアなどをあげました。正直言ってこの人物のことは今回の会に参加するまでよく知りませんでしたが、今後注目してよい人物の一人のような気がします。
by pastandhistories | 2016-08-31 05:43 | Trackback | Comments(0)

INTHブラジル③

 今日からは順番を戻して、ブラジルでのINTH(国際歴史理論ネットワーク)について、大会初日から書いていきます。会議は基本的には基調報告と各セッションで構成されていて、基調報告が9、セッションが50。基調報告についてはすべてがビデオに収められており、おそらくネットで後日公開されると思うので、基本的には自分が参加したセッションを中心にここでは紹介します。ただ今回の報告について言えることは、前回以上に発表者の国にヴァリエーションがあり、けっこうグロービッシュが聞き取りにくかったこと。たとえばある人の発表でカールとさかんにいうので、何故ここでカール・シュミットが出てくるのかと思っていたら、デイヴィッド・カーのこと〈E・Hではありません)。ようするに南米のスペイン語系の人なので、語尾のアールをきっちり発音するためです。ブラジルの人(ポルトガル語使用者)も結構いわゆる日本でいうローマ字式の発音をする。慣れ始めるとわかるのですが、最初は結構苦労しました。
 言葉の問題でいえば、自分の認識不足をあたらめて感じさせられたのは、会場に出店していた書籍販売ブース。5つくらいの出版社がきて、かなりの数の書籍を販売していました。新しい本があれば買っておこうかなと思っていたら気づいたのは、すべてがポルトガル語なこと。当たり前です。ブラジルの出版社なわけですから。自分にとっては、買っても読めない。と思いつつ眺めていたら、その多くが翻訳で、日本で出されているものと随分と共通していることに気づきました。これも当たり前で、人口は日本を超えていて、ポルトガル語には日本語以上のマーケットがあるからです。そしてさらに残念に思ったのは、そうした大きなマーケットに対して日本の研究者の仕事はほとんど翻訳されていないということです。グローバルというのなら、英語だけでなくそうしたマーケットに対しても通用する議論が本当は必要なはずです。
 さて具体的な議論について話を進めると、最初のキースピーカーはストックホルム大学のハンス・ルイン。包括的なホワイトのPractical past 論に至るまでの哲学史で、今回は基調報告だけではなく、セッションでもそうしたものが多かったようですが、彼が強調したことは、歴史はnecropoliticsであるという議論。要するに死者を取り扱う議論だということです。今回の会に関してそれほど多くはなかった実際の歴史研究者の感想は、歴史哲学者の議論に、実際の歴史研究との接点への問題意識が少ないということが共通していましたが、正直言ってルインの議論にもそうしたことを感じました。
 逆に、自分がルインの基調報告に次いで行われたセッションで提示したのは、言語論的転回が歴史研究に具体的にどうかかわるのかという問題、それを今年書いた、「チャーティスト運動の物語方、分析の仕方」で議論したことをふまえて発表しました。7つのセッションが重なり〈翌日の朝は13ものセッションが重なった)、参加者は多くありませんでしたが、逆に自分に関して関心のある研究者と新しく知りあうことができました。国際会議の意味は、そうした点にもあります。
by pastandhistories | 2016-08-30 12:11 | Trackback | Comments(0)

INTHブラジル②

 朝6時にホテルを出て、自宅についたのが今朝10時。全部で40時間を超える長旅。行きもほぼ同じ時間。「行きたしと思へど、あまりに遠し」はヨーロッパではなく、今ではブラジル。さらに開催地は、リオデジャネイロから遠く離れた山の中、世界文化遺産のオウロプレト。石畳の急な坂道が続く場所。今回はその文化遺産に頭をぶつけて負傷(急坂で躓いて転んで)。そんなアクシデントもありましたが、「有」事帰着しました。
 しかし会では大きな成果がありました。大会のテーマは既に記した The Practical Past に On the advantages and disadvantages of history for life という副題がついたもの。日本でも既に翻訳があるヘイドン・ホワイトの「実用的歴史」に即して、歴史の理論的問題を考察することがその意図。会の中心的組織者だったのはベルベル・ビーヴェルナージュと地元のマルセロ・デ・メロ・ランゲルです。キーノートのスピーチの司会はその多くをベルベルが担当しました。
 流れを最初からの順番でクロノロジカルにそったかたちでも良かったのです、今日もまた時間の都合で、かつ記憶の新しいところということで、やはりベルベルが司会した26日午後の総括的な最終的総会を紹介すると、この会のパネリストは、エステヴェオ・マルタン、マリア・イネス・ラ・グレカ、アラン・メギル、イーサン・クラインバークの4人でした。それぞれは5分ということで、会の内容を総括。
 エステヴェオは現在歴史が多様な方向に向かっていることを前提に、それらを本当に網羅的に羅列。羅列の中に思想性を感じさせるところもありましたが、そうしたことにあえてこうした場で踏み込まないのが彼の個性なのだと思います。次のマリアは包括的な問題提起、ネットワークの可能性や、ディシプリンとフレームワークを超える歴史研究の必要をしました。非常にアクティヴな議論をする女性研究者です。上記二人に対してアラン・メギルは会議の個々のセッションでは多くの発言者が基本的な前提としていたhistorical past, practical past はミスコンセプションであると批判。一つ一つの問題を厳密に考えたうえで議論を次に進めるべきだとする彼らしい問題提起。イーサンもやはり議論を聞いて、practical past ということを明確には理解できないところがあったとして、会議のなかで安易な比較論的議論があったのではということを問題としました。
 ということで最後の全体総括はそうした批判的問題提起をふまえて次に進むと思ったのですが、いざフロアーからの発言を求めると、儀礼的、図式的、自己アピール的な発言が続いて議論は発展せず、イーサンが壇上から再度現在学問的な、あるいは一般の人々の間に起きている歴史への自覚が必要だという問題提起をしたのですが、これも広がらず。前回の会を紹介したときに書きましたが、前回は最終日は大荒れ、キース・ジェンキンズやサンディー・コーエンがフロアから発言し、同じくイエルン・リュ-ゼンがフロアから長々反論したためですが、その前回とは異なった穏やかな終幕でした。
 この前回の最終日の議論は、他のキーノートスピーチとともにネットでオンライン化され、一時期は見られるようになっていたので、もし今回もそうしたかたちをとるのなら、ここでの詳しい紹介は不要になりそうですが、そうしたことを踏まえながら、明日からはセッションの照会を含むかたちで、今回の会を紹介していきます。
by pastandhistories | 2016-08-29 22:24 | Trackback | Comments(0)

INTHブラジル①

 これから朝6時のバスで、延々2時間かけてぺロオリゾンテの飛行場へ行かなければならないので、時間的に十分書ききれるかわかりませんが、今回のINTHについての報告を書いていきます。一言でいえば貴重な経験でした。なんといっても普段は接触する機会がほとんどない南米の歴史研究者、ブラジルをはじめ、アルゼンチン、チリ、メキシコなどの中南米の歴史研究者の状況を本当に部分的ではあるけれど知る機会を得ることができたことです。会そのものは、タイトル に The Practical Past という言葉が取り入れられているように、言語論的転回「以降」の歴史研究についての問題を議論していくもので、ホワイトの議論にとらわれすぎたものも多く、やや飽きるところもあったけど、後半になると議論が煮詰まって興味深い問題提起もありました。
 その一つが順番は逆になるけど、デ・グルートが行った最後のキースピーチです。これは彼のパフォーマンス能力を含めて圧巻でした。簡単に言えば遺伝子工学を歴史に取り入れることをテーマとしたものです。放射性炭素による年代測定が歴史研究では常識化しているように、技術的な発展を歴史研究に利用することは当然で、DNA分析も当然一つの有力な方法です。残されている割合の多い王侯貴族の遺体からDNAを分析すればいろいろなことがわかる。すでにそうしたことがリチャード3世をはじめとした多くの人物について取り入れられている。血統的なことだけでなく、肉体的特徴、あるいは精神的気質も読み取れることができるかもしれない。そのことによって文書的史料に依存した仮説を再検討することができる(もちろん死体の取り扱われかたに関しては、別のキースピーカーが話題にした問題で、この点はまた後で記します)。 
 これだけならある意味では当たり前の発想ですが、デ・グルートはこれをさらに広げて、遺伝子工学を含む科学的研究を媒体とした種としての人間分析をさまざまな形で取り入れていくことが、歴史研究に大きな変化をもたらすだろうことを指摘しました。主観的な、文書的史料の分析しがちであった歴史研究への批判としてです。あるいは言語論への批判としてです。
 さらに会場を沸かせたのは、デ・グルートが自分の遺伝子分析を提示したことです。名付けて De Groot Ethnicity 。そしてそれを地図のうえに明示しました。以前このブログでアリスン・ライトのファミリーヒストリー論にふれて自分の祖先を世界史地図のピンで打っていくと、ナショナルヒストリーとは全く異なった、パーソナルヒストリーを図示できるということを紹介しましたが、それと同じ議論です。この問題をデ・グルートはさまざまな概念を示しながら、きわめて論理的に論じました。もう時間がないので、それらのすべてをここで紹介できませんが、個性的なアイディに満ち溢れた議論でした。

by pastandhistories | 2016-08-27 17:24 | Trackback | Comments(0)

空中都市

 今国際歴史理論ネットワークに参加していて、ブラジルのオウロ・プレトです。発表者は160人程度ですが、南米からの一般参加者が多く、全体では200~300人くらい。昨日から部屋でのネットとの接続が不調となり、今は食堂。時間がなくあまり多くを書けませんが、こちらに来て驚いたのは、かなりの山の中にもかかわらず、アフリカ系らしい人が随分と多いこと。鉱山労働で使役されていた人たちの子孫なのかもしれません。といってもそうしたことには驚くほど無知。あらためて日本人の(自分の)歴史についての知識の偏りを自覚させられました(帰ったら確認したいと思います)。 
 そうした問題は歴史理論についても同じ。初めて南米の歴史研究の状況に触れることができて、その意味では来てよかったと思います。といっても大会のメインテーマが PRACTICAL PAST であるように、へイドン・ホワイトの影響の大きさを感じさせられました。どうしても議論がそこに偏るところがあるのがやや不満だけど、『思想』の特集で訳出紹介された際に、そのことを提案しておいてよかったと感じています。ただ自分が意図したことと、会議での議論には少しずれがある感じで、その点についてはこれからここで書いていこうと思います。

by pastandhistories | 2016-08-25 20:16 | Trackback | Comments(0)

時間・個人・記憶

 7月30日の会の際に鹿島徹さんから共編著である『リクール読本』(法政大学出版局)をいただきました。活字が2段組み〈あるいは3段組み)でぎっしり組み込まれた本。20名を超える執筆者、本当に面白そうな本ですが、残念ながらこの間は8月と9月に予定されている二つの報告準備に追われて読む時間はありませんでした。本来はこの本を読んでからの方が誤解や間違いもなくよいとは思うのですが、今日はリクールについて自分が思っていることを書いていこうと思います。
 リクールには晩学の人という側面があります。代表的著作である、『時間と物語』は70歳から72歳にかけての作品。さらには『記憶・忘却・歴史』を刊行したのは、87歳の時です。そうした晩年の作品であるという前提でこれらを読むと、さらにはこれらの書物のなかでは直接は触れられていませんが、奥さんが晩年アルツハイマーを患ったということを前提にして、記憶と忘却をテーマにした『記憶・忘却・歴史』を読むと〈そうした読み方は誤りであると専門的研究者からは批判されそうですが)、これらの本には興味深く読める点があります。
 とくに彼が時間を問題としたこと。もちろんハイデガーの議論を受けてのことですが、時間の問題はとりわけ晩年を迎えた人間にとっては、切実な問題です。時間の経過の中で、確実に自らの死が予測できるからです。「死」つまり「個人の記憶」の完全な消失。哲学的にはそこから二つの議論が生じます。一つは唯一絶対的な認識主体であった個人の死によって、時間もまた完全に消失するという考え。もう一つは、そうした認識主体の消失にも関わらず、時間は継続するという考えです。
 歴史という考えは後者に依存しています。つまり過去の無数の死〈それぞれの認識主体の消失〉にもかかわらず、時間は継続してきた。したがって消失した死者を、彼らを死に追いやった冷厳な時間の継続から救い出す、つまり現在的な不在を、継続した時間によって生じた現在の認識によって、有意味化してきたものが歴史です。そうした歴史を措定すれば、同じく時間の延長上にある未来における自己の不在を救済できるかもしれない、という期待です。
 しかし、この議論には大きな矛盾があります。時間が残酷さと希望という、まったく相対立するものの中で、捉えられているからです。現在の認識を支えるのは、個人であり、その個人は記憶は、時間の経過によって、死によって、あるいは忘却によって確実に失われていくからです。おそらくそうした問題が、記憶の脱個人化、つまり集合記憶論への着目を生み出し、その歴史との共同性や差異についての議論への関心をリクールの中に生み出しているのだと思います。しかし、ここにも個人と集団のそれぞれの認識に、本当にそのような親和姓が成り立つのかという矛盾があります。
 最初にも書きましたが、こうした問題を時間の経過による個人の記憶の終焉ということが現実の問題として感じられていた晩年に論じた、そうした著作としてリクールの著作は読むこともできます。
by pastandhistories | 2016-08-19 11:27 | Trackback | Comments(0)

10月上旬

 前回の記事で予告した7月30日の会には随分と多くの人に集まってもらえました。議論内容でも問題がかなり明確に示されたところがあり、とくになぜ「言語論的転回を超えて」ということが現在の歴史研究で問題点となるのかについて、方向を示すことのできた会だと思います。本当はマトメ的な記事を書くべきでしょうが、その点に関してはもう少し議論を整理していずれ文章化するつもりです。
 この会で予告したように、プロジェクトの次の会はデュークからゲッティンゲン大学に移ったドミニク・ザクセンマイヤーを呼んでグローバルヒストリーをテーマに行う予定で準備を始めました。。コメンテイターの予定は中国社会科学院の張旭鵬、それから日本でのこの問題のパイオニア的人物である人です。それぞれすでに参加を了承してくれているので、いつも通りプロジェクト内の確認、事務手続き、広報活動というように作業を進めていく予定です。予定としては今回は基本的には10月8日〈土〉を予定していますが、会場の都合次第では7日〈金)になるかもしれません。
 個人的には今年の夏は随分とノンビリと過ごしています。8月21日からはオリンピックと入れ替わりで開催される国際歴史理論ネットワークの会合に参加するためにブラジルに行きます。予定としては250名ほどの参加者が、現在では予定されているとのことです。中南米の歴史研究者の多いようで、普段接することが少ないそうした人たちの話を聞くいい機会になりそうです。
by pastandhistories | 2016-08-15 20:37 | Trackback | Comments(0)

カテゴリ

全体
未分類

以前の記事

2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 01月

フォロー中のブログ

最新のコメント

先生は、「「民主主義」擁..
by 伊豆川 at 19:57
先生は、「歴史が科学であ..
by 伊豆川 at 17:18
『開かれた歴史へ 脱構築..
by 伊豆川 at 13:28
3月18日の会に参加させ..
by 伊豆川 at 08:33
セミナーで配布・訳読され..
by 伊豆川 at 14:44
先生の議論には、大筋で同..
by 伊豆川 at 17:10
私も今回のセミナーに参加..
by 伊豆川 at 18:55
先生が制度化された「真実..
by 伊豆川 at 00:29
先日、ヘイドン・ホワイト..
by 伊豆川 at 20:53
人間に関心や理解を促す語..
by 伊豆川 at 22:33

メモ帳

最新のトラックバック

「変化する可能性」
from 右近の日々是好日。
プラグマティズム
from 哲学はなぜ間違うのか?

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

new brave hist..
at 2017-06-25 13:57
言語論的転回を超えて
at 2017-06-24 10:48
パブリックヒストリーについて..
at 2017-06-23 15:43
パブリックヒストリーについて..
at 2017-06-22 10:05
パブリックヒストリーについて..
at 2017-06-21 10:41

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

歴史
哲学・思想

画像一覧