歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

プロフィールを見る
画像一覧

<   2016年 11月 ( 18 )   > この月の画像一覧

グローバルヒストリーの言語論的意味

 言語論的転回の意義は、言語が指示する対象(あるいは事実とされるもの)を必ずしも忠実に表すものでなく、その言葉が使用されるコンテクストや使用する人々の意識によって規定されたものであることを明らかにしたことです。
 たとえばこのことは、昨日も少し触れた global history の訳され方でも理解できます(というよりほとんどの言葉の訳され方にも共通しているかもしれません)。 global history はグローバルヒストリーと訳す(?)のが定訳化しましたが、中国語では全球史と訳されています。つまり日本語で地球史と訳すこともできます。地球は日本語を理解できる人なら誰でも知っている言葉ですから、むしろ地球史と訳したほうがいいかもしれません。グローバルヒストリーではそれを理解できる人は少なくとも高校生以上に、一般には大学生以上に限定されます。その意味ではグローバルヒストリーはあえて対象を限定した言葉です。
 グローバルヒストリーは対象を限定しているばかりでなく、実は意味内容を限定しています。地球史であれば、本来 global history が含意していた、地球の歴史、たとえば環境や気候の歴史、他の生命体との関係の歴史といったニュアンスが前景化し、逆に政治史・経済史的要素は後景化します。後者の問題は world history (世界史)としてこれまでも十分に論じられてきたことだからです。それをあえて global history として論じる必要は本来はあまりないからです。
 昨日も書きましたが、そうしたなかで world history に代えてあえて global history がもちいられ始めたのは、自己中心的な傾向のあった world history (欧米においては当然西洋中心主義的な世界史観)に代えて global な、つまり「地球」の歴史という言葉をもちいて、自らを相対化しようという意識が欧米の歴史研究者に生じ、それが一般的にも受け入れられるようになったからです。欧米のglobal history の研究者の少なくない人々が、本来はアジア研究者’であったり、イスラーム研究者であるのはそのためです。日本でもグローバルヒストリーの論者に、(英語のできる)アジア研究者、イスラーム研究者、さらにはアジア地域の世界経済における役割を強調する研究者が多いのも、そうした欧米側からの関心とマッチするところがあるからでしょう。
 しかし、現在の日本における global history 論におけるアイロニーは、それがグローバルヒストリーとして語られることが定着したことです。より以上に定着しているグローバリゼーションという言葉が、現在の日本の社会というコンテクストの中でどのように用いられているのかを考えれば容易に理解できるように、カタカナ語であるグローバル、グローバリゼーションという言葉は、欧米的なものへの同調を含意しています。たとえば「大学のグローバル化」は、英語授業を50%にすべきだとか、教員採用は英語での講義能力を条件とすべきだというような拙劣な議論(というよりそれがすでに実行されていること)と結びついています。つまり、 global history がグローバルヒストリーとして定訳化されるようになったことには、欧米的なものを前景化し、地球的なものがものを後景化するという、現在の日本の歴史研究者の意識が映しだされています。
 これは global history が本来意図していたものとは異なっています。その意味ではグローバルヒストリーは誤訳であるかもしれません、しかし、同時にグローバルヒストリーという言葉は、そうした言葉が一般化するようになった現在の日本の社会というコンテクストや、それを使用する歴史研究者の意識を反映するものとなっていると言ってよいかもしれません。だからこそ、この言葉を使用したほうが、本を売りやすいし、研究費も取りやすいわけです。残念なことですが自戒を込めて。
by pastandhistories | 2016-11-29 09:37 | Trackback | Comments(0)

グローバルヒストリーという言葉の連れ合い

 先日「グローバルヒストリーズ」の会合に参加してくれたドミンクザクセンマイヤーに指摘によると、グロ―バルヒストリーという言葉の初出は、1962年のハンス・コーンによるものです(Dominic Sachsenmaier, Global Perspectives on Global History, p.68)。グローバリゼーションはより一般的な言葉で、現在の意味内容とは異なる意味で早くからもちいられていたという例を指摘できますが、一般的にもちいられ始めたのは1960年代、その使用が本格化するのは1980年代から1990年代にかけて、グローバルヒストリーという言葉の使用はもっと遅くてその使用が一般化するのは1990年代、本格化は2000年代としてよいでしょう。何度か書いてきたように、新しい言葉です。その意味では新しい「状況」に対応したものです。
 グローバリゼーションとかグローバルヒストリーという言葉は、これらと同じ時期に使用され始めた新しい言葉は何であったのかということを考えると、その言葉が内包している問題を理解することができます。ほぼ同じ時期に用いられ始め、その使用が一般化した言葉は、意外と普段は気づきませんが、オリエンタリズム、ポストコロニアリズムという言葉です。このことが意味していることは、グローバリゼーションとかグローバルヒストリーという言葉は、(それが英語であることからも分かるように)欧米の側が、西洋中心主義な視点を内在的に批判するものとしてもちいはじめたものであるということです。
 したがってグローバリゼーションという言葉と同様に、グローバルヒストリーはその本来の言葉の意味として、西洋的な視点だけではなく、非西洋的視点を歴史理解に取り入れようとする視座を含むものです。ザクセンマーヤーが、グローバルヒストリー論にも内在するハイアラキカルな不平等性を問題としたり、言語論的なアプローチをとるグローバルヒストリーの論者が、グローバルヒストリー研究を英語に一元化したり、あるいは翻訳にある不平等を問題とするのも、そうした流れがグローバルヒストリーがその立脚点としたものとは乖離する方向にあることに批判的だからです。
 実は早い時期にグローバリゼーションに関する教科書的な本を翻訳したときに、最初の原稿ではそのすべてを地球化と訳しました(したがって最初のゲラはそうなっていました)。地球化と訳せば、日本語ですから個別性、つまり globalization という言葉が前提的に内在させている多様性をそこに含意できる、グローバリゼーションでは結局は西洋中心主義的な思考への同化を含意することになってしまうと考えたからです。しかし、日本社会のあり方から考えて、結局は圧倒的に(かつ無批判的に)定訳化するであろうというグローバリゼーションという訳語には逆らえないだろうと判断して、最終的にはそれを採用することにしました。
 このことはグローバルヒストリーについても同じです。グローバルヒストリーを論じるさいには、この言葉が出発点においてもっていた意味、つまり西洋中心的な世界理解、アカデミックラダーへの批判を持ち続けることが必要だと思います。「世界史」に代えてどうしてもグローバルヒストリーという言葉をもちいたいのなら、そのことは最低限の前提です。
by pastandhistories | 2016-11-28 12:34 | Trackback | Comments(0)

歴史の地位

 おととい歴史研究に関する小さな会合があり、少人数ということで気楽に色々なことを話しました。その時話題として提示したことの一つは、歴史(学)の地位という問題です。
 ヘイドン・ホワイトの初期の有名な論文は「歴史の重荷」(The burden of history・・・「歴史の負荷」と訳してもよいかもしれませんが)) というタイトルです。このタイトルは、この論文が書かれた頃(1966)に歴史が人々の「重荷」であるほどの高い地位にあったことを示唆しています。ちょうどこの頃自分は学生で、学友会という名称であったサークル連合の仕事を手伝っていました。9人の理事によって運営され、サークル連合の組織ということですから、文化系サークルから3人、運動部系から3人、くわえて一般学生からの代表ということで各クラスから選挙人を選び、その選挙人によって選ばれる3人、のあわせて9人が理事です。完全学生自治の時代ですから、各サークルに分配される予算の作成権やサークルが使用する施設の利用割り当てなど、現在の大学では考えられないような強い権限が、わずか9人の学生によって構成される理事会にありました。
 実はこの理事に関して、文科系サークルから選ばれる理事の3人のうち2人は、歴史学研究会と社会科学研究会からということがなかば恒常化していました。運動部も一つは、これは伝統もあり、予算がかかるということで、ボート部からの選出が慣例となっていました。それくらい「歴史学」と名のつくものは、権威があったということです。当然のことのように、各大学(さらには各高校)の「歴史学研究会」「社会科学研究会」の集合体である「全国歴研」「全国社研」という組織もあったはずで(今はもうないかもしれませんが)、そのの知的権威はかなりのものであったはずです。
 これはその当時の政治運動にも反映されていました。このブログで法学部学生であった山田洋次監督が学生時代には歴史学研究会に所属していたことに触れたことがありますが(本人自らが時々語っています)、また同じくこのブログで触れたことのある『されど我らが日々』も作者の柴田翔さんは文学研究者ですが、扱われているのは歴史学研究会です。なによりも歴史学研究会は、たとえば東大ではそこから運動の実質的な最高指導者(その当時では共産党学生細胞の指導者)が輩出する組織でした。ここでは名前を上げることを避けますが、その中から後に高名な歴史研究者となった人もいます。したがって学生歴研での議論の対立は、しばしば左翼的運動の分裂の契機ともなりました。それくらい歴史学には権威があったわけです。そうした権威を支えるために、歴史学は「全世界の発展法則」を問題とせざるをえませんでした。同時に歴史学は文化的領域の中では、そうしたビッグテーマを議論しようとする、あるいはすることのできるもっとも優秀な人材が競い合う場所でした。
 はたして現在の歴史学がそういうものものであるかというと、そうではないと断言できます。歴史学が人文的分野で占める地位はおおきく後退しました。正直言って中堅若手研究者に関しては、社会学分野の方がはるかに優秀な人材を要しています。彼らがそれなりの対社会的発言権を確保しているのに対して、現在の歴史研究者の役割は、個別的な事件に対してせいぜいエピソディックな解説を加えることだけでしょう。こうしたなかで、「歴史学」の歴史のなかで占める地位も後退しています。そのことは教科書問題などをとおしても明確です。
 自らを権威化することは必ずしも望ましいことではありません。しかし、歴史に関わる人々は、やはり社会の中における自らの地位の後退にもう少し自覚的であるべきでしょう。そしてそうした後退が、自らに内因したものかどうかを考え、もしそれが自らに内因しているものなら、その克服する方法を考えていくべきです。
by pastandhistories | 2016-11-27 10:22 | Trackback | Comments(0)

超歴史

 可視性というテーマをこの間書いているのは、それと歴史との関係を考えるためです。土地問題を例にあげて説明したように、不平等は可視的なものです。したがって「現実」の社会の批判、変革を求める意識や運動の重要な契機です。しかし、可視的なものにもとづく主張がなぜ認められないのかというと、それは「現実」が歴史に根拠をおくもとされるからです。たとえば土地をめぐる不平等は、起源においてはその多くが暴力的な関係によって形成されたものであっても、その所有関係を記録した過去の文書をとおして正当化されつづけました。逆に言えば、そうした過去の記録を廃棄することによって、現実の不平等は初めて解決されたわけです。その意味では記録にもとづく歴史は、現実の不平等を正当化するものでもあったわけです。
 「自然に還れ」いう主張にも典型的なように、ラディカルな主張が記録にもとづく歴史を否定する、その意味では「超歴史的」なものをその前提としたのはそのためです。あるいはユトーピアといったような想像的なものをその根拠としたのもそのためでしょう。こうした考えでは、時間的な根拠は原始とか未来といった、それまで根拠のあるものとされてきた歴史(宗教的意識を含む)の外側に置かれました(宗教との関係についてはもう少し緻密な議論が必要ですが、今回は省きます)。いずれにせよ、こうした主張の根拠にあったことは、歴史を根拠として正当化されてきた現実を、そうした歴史をさらに超える時間軸を設定し、そこから可視的な現実の不平等を批判するという考え方であったということになります。
by pastandhistories | 2016-11-26 12:22 | Trackback | Comments(0)

ネイション・可視性・変革

ジェームズ・ヴァーノンのイギリス近現代史についての講義を閲覧し終えました。1851年、1951年、そして2000年の博覧会を巧みに話の展開に取り入れながら、自由主義―社会民主主義―新自由主義という流れで、イギリス近現代史を説明しています。流れから最後は新自由主義批判で終わるのかなと予想していたら、そうしたことは直截には語られず、講義では社会が変化をしてきたのを説明してきたのだから、今の新自由主義的な社会もまた(永久的なものではなく)必ず変化していくであろうということを、軽く示唆して話を終えています。逆にそのことに強いメッセージを感じる部分があります。
 一つのテーマとなっていることは社会民主主義の後退という問題で、そのことのいくつかの理由が挙げられていますが、その一つとして興味深いのは、労働党によって推進された社会福祉政策を主唱したのはaristocratic intellectuals である、という指摘を繰り返していることです。意外と言えば意外な主張です。おそらくこれは事実の問題というより、新自由主義と一体化したポピュリズムへ対抗するための考え方の一つとしてヴァーノンは提示してような気がします。つまり新自由主義と一体化したポピュリズムを「反知性主義」として片付けるのではなく、社会民主主義の一つの限界が上からの改革にあったという点に立って、自らを知的アリストクラシーとは別の場に位置させること、それが反知性主義への有効な批判の契機となるのではないのか、ということなのだと思います。
 もちろんイギリス史を例にとれば、労働党の社会福祉政策が基本的にはナショナルなものを枠組みをしていたことが、グローバリズムに根拠をおく新自由主義の台頭を許したということも、社会民主主義の後退の理由として論じられています。この問題は現代政治のパラドクスの一つです。何回か指摘してきたように、グローバリズムに根拠をおくとする新自由主義は、実はナショナリズムと強い一体性を持つものです。逆に移民受け入れ問題に象徴されるように、実際にはナショナルな枠組みでの制度的改革を基本とする社会民主主義は、たてまえとしてはインターナショナルな、あるいはコスモポリタンな志向性を持っています。そうしたパラドクスが、世界的に左派の後退、右派の伸長という問題を引き起こしています。
 ナショナリズムと結びついたレイシズムがなぜ影響を維持、さらには拡大しているのかという問題は、前々回書いた「可視性」の問題と関係しています。多くの迫害や差別をともなうレイシズムは「可視的」なものを媒体として行われます。ナショナリズムも近代国民国家の形成以降、様々なかたちで可視化されていきますが、nation が本来どれほど可視的であったのかというと、それについては議論が必要です。たとえば言葉の問題、このブログではチャーティスト運動というのは「ナショナル」という言葉が一般的なものとしてもちいられるようになった運動であり、その言葉をフランス革命の影響を受けてイギリスの運動にもちこんだ指導者の一人がブロンテール・オブライエンであることを紹介してきました。
 そのオブラインが主張したことの一つが「土地の国有化」、 nationalization of land です。しかし、この主張は、ロバート・オウエンの主張や、オブライエンと対立したオコナーの土地入植運動ほどの支持は得ませんでした。おそらくその理由は、19世紀の半ばにはまだ人々にとっては nation が可視的なものではなかったからです。あるいは二月革命で ateliers nationaux が失敗したように、この時期には国家がなお実体的ではなかったからだと自分は考えています(逆に実体化した20世紀には、社会民主主義は一時的に成果を上げたわけです)。
話が少しずれたところがありますが、とりわけ19世紀以降は国家的な枠組みとの関係によって、変革的な運動は大きく規定されてきました。そうした問題を考えることは、一見オルタナティヴが失われたように見える社会においてもきわめて重要なことです。ヴァーノンが結論しているように、つねに社会は変化していくものだからです。
by pastandhistories | 2016-11-24 21:39 | Trackback | Comments(0)

可視的なもの、不可視的なもの

 今日はこれからプロジェクトの今後の打ち合わせに出かけます。今年度の予定としては、以前予告したように、12月23日に一つ、それから来年の2月23日と25日に会を行おうということで計画が進んでいるので、その最終的な確認を行うためです。12月23日については、今日その内容の決定が最終的にできれば、来週初めにポスターを発送する予定です。
 ということであまり時間がないのですが、この間書いていたこととは少しテーマを変えて書いていきます。表題にあるように、可視性について。以前ジョン・ボールの「アダムが耕しイブが紡いだとき、だれが領主だったか」という言葉を例に、この言葉が再帰的なものであること、つまりボールは自分が聖書についての知識を教えた民衆に対して、彼らが持っているそうした知識の上に自分の主張を重ねるかたちで民衆を指導したということを書いたことがあります。聖書は「過去」についての言及ですから、民衆にとっては不可視的なものです。しかし、この言葉が説得力をもちえた理由は、それが「領主」という可視的ものに結び付けられたからです。同じく可視的な「土地」をめぐる問題と結び付けられたからといってよいかもしれません。
 このことからもわかるように、不可視的なものと可視的なものとの結合は、民衆の結合にとっては重要な要素であって、とりわけ人々は可視的なものを根拠として、過去であっても、未来であっても、不可視的なものに関わる言説を取り入れていきます。「可視的」であった土地をめぐる問題が、19世紀まで民衆運動にとって重要な役割を果たしたのはそのためです。多くの農民にとって、可視的な土地制度を土地の再分配や所有形態の変更によって解決することは大きな関心でしたし、あるいは既に都市労働者となっていた社会層にとっても、共同村への入植をとおして土地を再保有することが関心の対象となります。またこうした可視的な土地問題への関心は、20世紀に入ってもロシア革命や中国革命、あるいはその他の地域の変革にとってもなお重要な役割を果たすことになります。
 自分の専門は本来は19世紀の民衆運動史、社会思想史ですが、この時代の史料を読んでいて感じることは、なお「土地」が可視的なものとして重要な役割を果たしていた時代に、マルクスはそれほど可視的ではなかった「資本」の問題を論じたということです。もちろんエンゲルスの『イギリス労働者階級の状態』がマルクスの考えの起点の一つであったように、彼の議論が都市労働者の貧困という可視的な事実を根拠としていたことは事実です。しかし、それはまだ世界的には部分的な現象でした。その意味では、マルクスの議論の先駆性はやはり評価されていいでしょう(自分はマルクスの議論を金科玉条のように扱うことには批判的ですが)。
 もう時間がなくなりはじめましたが、今日こうしたことを書いたのは、「「土地」と比較すると、「資本」はきわめて不可視的だということです。おそらくそのことが「土地」制度の変革を媒体とした政治的変革が19世紀から20世紀には生じたのに対して、「資本」批判を媒体とした変革が困難となっている理由でしょう。しかし、不可視的であるがゆえにこそ、民衆からの批判を直接受けることが少なく、またそうであるがゆえに全世界的に普遍化したこの問題を解決していくことが、現代の世界にとってはきわめて重要な問題だと考えていくべきでしょう。
by pastandhistories | 2016-11-23 10:21 | Trackback | Comments(0)

労働者文化と大衆文化

 最近は大学の講義のオンライン化が進んでいます。もっとも日本の大学のものは、長くても1時間程度の紹介的なものにとどまっているようですが、欧米の大学のものの中には1学期分の講義を丸ごとオンライン化するものも出てきました。歴史関連でいえば、通史や思想史などについて、そうしたものを現在ではネットで閲覧することができます。
 この間、そのうちの一つ、バークレーでのジェームズ・ヴァーノンによるイギリス近現代史を閲覧しています。1時間程度の講義が全部で21回(24回のヴァージョンもあるようです)。随分と役に立つところがあります。もちろん本人(およびバークレー)の了解が必要でしょうが、サブテキスト的なものとして、日本の大学での授業に利用することができれば、学生にも役に立ちそうです。
 かなりの量だけど、時間の空いたときに閲覧していて、今日は第18回目。20世紀後半の「労働者階級」がテーマとして論じられていました。その中で紹介されたものの一つがリチャード・ホガートの『読み書き能力の効用』(The Uses of Literacy, 1957)です。カルチュラルスタディーズの嚆矢になった書物として日本でも知られています。ということですが、量的な問題もあって、また叙述も労働者の生活・文化のかなり細かい点に及んでいるので、翻訳でも読むのには結構苦労する本です。
 この本をヴァーノンが取り上げているのは、もちろんカルチュラルスタディーズとの関連もありますが、もう一つは、「読み書き能力」、つまり労働者の知的能力の向上が、一方では労働者階級としての自己認識を強めるものであったものであるのと同時に、消費的な大衆文化の受容、それへの同調をも促し、そのことが結果的には労働者階級という枠組みにあった人々の意識的分化を生み出していった。そのことが労働党政権の崩壊を受けたサッチャリズム、そしてニューレイバーという流れを生み出す一つの要素ともなったと考えているからだと思います。
 まだ見ていないので、19回目以降そうしたかたちで話が進むかはわかりません。しかし、伝統的な労働者文化と、大衆消費文化の関係、そしてマスメディアの発達と変容による人々の意識変化の問題をどう考えていくのかは、きわめて重要な問題です。そのことに、現在のアクチュアルな問題を考察していくための重要な鍵があるからです。
 ヴァ―ノンはまたこの時期のイギリス社会を象徴する(原作は戯曲だったり、小説である)いくつかの映画を取り上げています。「怒れる若者たち」の時代の作品。その一つがアルバート・フィニーが主演した『土曜の夜と日曜の朝』。その予告編の映像が紹介されています。そのなかでアルバート・フィニーはマーロン・ブランドになぞらえられているようです。もっとも髪型はどちらかというとジェームズ・ディーン。にもかかわらずブランドになぞらえられたのは、ジェームズ・ディーンの作品は、反抗をテーマにしていても「労働者」的な家庭の話でも「労働者」の話でもないのに対して、ブランドの『波止場』のような作品は、明確に労働者の日常をテーマにしていたからでしょう。
 この話は一度書いたことがあるかもしれませんが、自分がイギリスに滞在していたさいにテレビを見ていてもっとも印象に残った番組の一つは、たぶん2000年(21世紀に入る前・・・イギリスでは日本と違って、2001年が21世紀の始まりです)の、つまり20世紀の最後のクリスマスに、BBCでポール・マッカートニーが第九の指揮をした番組です。その時、マッカートニーはなぜ自分が「ベートーベンなどぶっ飛ばせ」という立場に立っていたのかを、自分は「労働者階級の出身」だからという言葉で説明しました。彼の口から「労働者階級」という言葉が「21世紀にさしかかろうという」時期に飛び出したことが、本当に印象として残っています。
 もっともさかのぼれば、本来ビートルズは労働者階級的な文化と消費的な大衆的文化がなお混在していた時に生じたものであることは、彼らがリヴァプール出身であったことや、その歌詞からも理解できます。今日紹介したような作品のやや後にビートルズは生まれたわけです。しかし、彼らはより大衆的なものとして全世界で消費されていくことになります。そしてその時期は、独自の労働者文化が後退していく時期と重なり合っていくことともなります。
by pastandhistories | 2016-11-20 18:33 | Trackback | Comments(0)

エリック・フォーナー

 何日か前に、アメリカ大統領選挙の結果について少し書きました。メディアの事前報道のせいもあるのでしょうが、トランプ当選を意外だと感じている、あるいはそう論じる人が少なくないようです(意外だと感じ、そう論じれば、現在の社会にある問題について免責されるわけではないと思いますが)。その大きな理由は、オバマ大統領というアメリカの歴史を大きく変えた流れとは、随分と異質な人物が当選したということにあるのでしょう。
 その意味では意外ですが、しかし、むしろそれは、アメリカ社会に内在するもう一つの底流に起因していたものと言えるかもしれません。似たような問題が、南北戦争以後のアメリカの歴史に生じ、それがむしろその後のアメリカ社会を大きく規定するものとして連綿と継続してきた、と論じることができるからです。
 この問題に参考になるのが、アメリカの近現代史研究者を代表する人物の一人であるエリック・フォーナーの議論です。彼が、2009年にオバマが大統領選挙に勝利し、就任する前後の時期に行った講演では、そうした問題がわかりやすく、今回の状況を預言していたかのように説明されています。
 その中で例として示されていることは、アメリカの上院でアフリカ系アメリカ人の議員が初めて誕生したのは南北戦争後の1870年、ミシシッピーにおいてであって(現在のような直接選挙によってではありません)、それ以来アフリカ系アメリカ人の上院議員は150年ほど(アメリカ独立以来ということになると、240年ほど)の間に僅か5人、その一人がオバマ大統領であったということです。
 南北戦争は奴隷解放をめぐって行われたと教科書では、アメリカでも日本でも、説明されます。しかし、それに続いた再建期において、一時的には「黒人」とされる人々の権利が認められ、南部においても(むしろ南部だからこそというべきかもしれませんが)政治的参加も可能にはなったものの、「再建」「統一」を掲げたその後のアメリカ社会では、結局は南部の白人支配層への妥協が図られていく。そして結局は「黒人」とされる人々は「混血」の人々を含めて、ふたたび偏見と差別のもとにおかれていったわけです。そうした流れをもっとも端的に象徴したものが、フォーナーも当然指摘していますが、「黒人」による政治を戯画化して否定的に描いた、映画『国民の創生』であり、それに熱狂したアメリカ「国民」であったわけです。
 フォーナーは、南北戦争における北部の勝利という一見改革を生み出すように思われた状況が、むしろネガティヴな社会状況を生み出し、それが長期的に持続したことがアメリカの歴史における現在も継続する問題であることを、厳しく批判しています。オバマ大統領が誕生した時期に、フォーナーは、歴史研究者としての立場から、アメリカ社会になお根深く存在する底流の危険性を忘れるべきではないと感じていたのだと思います。日本にもなお「根深く存在している底流」が、トランプ当選を「意外」なものから、「望ましい」ものとして受け入れていくのなら(もはやそういう流れが生じているような気がしますが)、そのことを批判することが、歴史研究者の重要な義務に今後はなっていくはずです。
by pastandhistories | 2016-11-19 15:35 | Trackback | Comments(0)

『ビッグヒストリー』論の可能性

 デイヴィッド・クリスチャンを中心とした『ビッグヒストリー』の翻訳が出たようです。原書は国際的にもかなり売れているようで、多分「大新聞」の書評欄にも取り上げられて、日本でもかなり売れることになるかもしれません。もっとも広告を見ると、歴史研究者から推薦文はないようです。現在の歴史研究者には、こうした気宇壮大な議論にはとまどいがあるためでしょう。
 このブログでも、いくつかの海外の学会で、ビッグヒストリー論が取り上げられはじめていることを、部分的にですが紹介してきました。自分にも戸惑いがありましたが、いくつか話を聞いていてだんだんとわかったことは、その「ビッグ」な視点には、これまでの歴史学を相対化するという点に関しては、一定の利点があるということです。
 基礎的なことから指摘していくと、まずはこれまでしばしば歴史研究においては、文字の発明で前後で時期を区分し、それ以前の時代を先史時代とする考えがありました。一時期は教科書にも記されていた考え方です。もちろんこの考え方は、非文字社会を、時間のレベルにおいて、さらには同時代の空間に存在していたものでも、「人類」の歴史から排除したものとして批判されることになりました。なによりもこうした考え方は、人類の歴史をせいぜい5000年という、きわめて短かい時期に圧縮していまうという限定性がありました。さらにはそれは「人間社会」を中心とした、「孤立した」歴史でした。
 ビッグヒストリー論の一つの意味は、こうした制約を超えたことです。人類の誕生だけでなく、その射程を地球の誕生におくことによって、人間の歴史を、地球的環境や、他の生命体との関係から考えていく(そのことのなかには、に個々の人間を生来のものとして規定しているDNAが単なる個性的なものの発現を規定しているだけでなく、はるかに幅の広い要素によって形成されてきたものであるという考えも含んでいます)、そうしたことをとおして、人間中心的な歴史観への再考を促したことです。そしてその延長として、人類が住む地球自体もきわめて微小な相対的なものとして考えていく、その究極として「ビッグバン以来の歴史」ということが措定されているわけです。
 おそらくこうした歴史観は、人間中心的な歴史観すら批判的に考えていくわけですから、ましてや国家中心的な・自民族中心的な歴史観というものが如何におかしなものかを示していく、その根拠となっていくでしょう。その意味では肯定的な要素を内在させていると考えることもできます。デイヴィッド・クリスチャンはもともとはロシア史研究者ですが、はやくからこうした問題に着目し、その先駆的な主唱者となりました。彼の簡潔な主張は、その講演の内容としてネットでも見ることができます(随分と聴衆が集まっていて、またアクセス数もきわめて多いようです)。ただその内容に関しては、結局は人間中心的な、進化論的な理解にむしろとどまっているという感じが自分にはします。その点から見ても、ビッグヒストリー論についての議論が深まるのは、これからだと思います。
by pastandhistories | 2016-11-16 10:51 | Trackback | Comments(0)

self, subject, agent,

ization という語尾を例にとって、グローバリゼーションをはじめとするいくつかの言葉が過渡的な過程を表すものであることを指摘してきました。何故そうしたことを論じたのかというかというと、それらが過渡的な過程を示すものであるなら、少なくとも現在の段階では、全体的なものでも、普遍的なものでもないということを示すためです(究極的な到達段階では全体的な・普遍的なものとなりうるとしてもです)。
 自分の基本的な思考の枠組みを構成しているのは、そうした考え方です。学生時代には『過渡期の意識』(現代思潮社)を書いた梅本克己の文章を時々読みました。梅本克己に関しては、丸山真男、佐藤昇と行った鼎談『戦後日本の革新思想』(河出書房新社)を読んだ人がいるかもしれません(佐藤昇については今では知らない人がいると思うので説明すると、岐阜経済大学の教員であったマルクス主義理論家で、構造改革論が提起されるにともなって共産党を離れ、後社会党内で構造改革論をめぐる理論闘争が生じたときに、それを推進したある人物の文章を代筆したとして、そのことが社会党内で大きな問題となったことなどで、戦後の革新運動史に一定の役割を果たした人です)。
 梅本克己が一連の執筆活動で問題としていたことは、仮に所与のものとして全体を把握した理論があるとしても、過渡的な存在である個人がどうしてそれを認識することができるのかという問題です。戦後のある時期まで、マルクス主義が全体的理論として措定されていた時代に、この問題を議論したのが文学者をまじえて行われたいわゆる主体性論争で、梅本克己の議論は、そのなかで一定の役割を果たしました。
 はたして論点が同じところにあるとしてよいのかは迷いますが、最近海外では歴史研究において、「主体」を重要な論点として設定すべきだという議論がかなり一般的になりつつあります。あえて「主体」と日本語で書きましたが、実は英語的には、self, subject (subjectivity), agent (そして agency) ということになりそうです。おそらく一般的には agent を (「構造」structure ) に対して「主体」と訳し、self を「自己」または「自我」、subject の訳し方は難しいところがありますが、subjectivity を「主観性」と訳すのでは思います。
 となると「主体性論争」の英訳は debate (controversy) on agency だったのかな思って、『岩波哲学・思想事典』(1998)を確認してみたら、なんと英訳が掲載されていませんでした。戦後からほど遠くない時期だったとはいえ、かなりの議論をよんだはずの、また国際的にも類似の議論があったはずの、「全体」と「個」に関する論争の英訳がないというのは、随分と不思議です。
 と思ってさらに『岩波哲学・思想事典』をたどっていたら、いろいろなことに気づきました。なんといっても驚いたのは、agent が項目にも、英文索引にも登場しないことです。「構造」(structure) のところでも言及がなさそうです。「主体性」は項目にありますが、この英訳が subjectivity です。だとすると「主観性」は何処に行ってしまったのかなと思って調べると、 項目として立てられておらず、「主観主義」が subjectivism とされ、これに対応するかたちで「主観」が subject とされています。 素直に subjectivity を objectivity 「客観性」に対して、「主観性」とし、agent を項目として立てた方がよかったと思うのですが、どうしてこうした項目選定が行われたのかはわかりません。
今日こうした文章を書いたのは、権威あるとされる事典のあら捜しをするためではありません。ただ膨大な知を集積した事典をみても、権威づけられた所与の知に対して、その行為・認識主体である個の側の問題は驚くほど軽視されてきたということができるかもしれません。、
by pastandhistories | 2016-11-15 10:52 | Trackback | Comments(0)

カテゴリ

全体
未分類

以前の記事

2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 01月

フォロー中のブログ

最新のコメント

先生は、「「民主主義」擁..
by 伊豆川 at 19:57
先生は、「歴史が科学であ..
by 伊豆川 at 17:18
『開かれた歴史へ 脱構築..
by 伊豆川 at 13:28
3月18日の会に参加させ..
by 伊豆川 at 08:33
セミナーで配布・訳読され..
by 伊豆川 at 14:44
先生の議論には、大筋で同..
by 伊豆川 at 17:10
私も今回のセミナーに参加..
by 伊豆川 at 18:55
先生が制度化された「真実..
by 伊豆川 at 00:29
先日、ヘイドン・ホワイト..
by 伊豆川 at 20:53
人間に関心や理解を促す語..
by 伊豆川 at 22:33

メモ帳

最新のトラックバック

「変化する可能性」
from 右近の日々是好日。
プラグマティズム
from 哲学はなぜ間違うのか?

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

look at, look ..
at 2017-08-18 14:07
ボーダースタディーズ
at 2017-08-09 11:48
今週の予定、今後の予定
at 2017-08-02 09:12
プロフィール②
at 2017-07-30 10:10
比較史②
at 2017-07-25 10:18

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

歴史
哲学・思想

画像一覧