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言葉の恣意性

 ヘイドン・ホワイトがホロコーストをめぐって行われた「表象の限界」をめぐる議論のなかで、中動態(middle voice) を説明の素材としてもちいられたことはよく知られています。この言葉についてはホワイト自身が、文字通り 'Writing in the Middle Voice' ( ロバート・ドランが編集したホワイトの論文集である The Fiction of Narrative, 2010, pp.255~262 に所収されています)という文章を書いていて、その理解の仕方をわかりやすく説明しています。要するに主語と動詞の形態との関係は一律的なものではなく、言語によって差異があるものであり、たとえば英語文法では一般的にとられている自動詞と他動詞という区別も歴史的に形成されたものであって、ギリシア語ではその双方の意を含む中動態という動詞の用法があったという議論です。言葉自体にそのような差異があるわけですから、どのような言葉がもちいられるかで、過去の事実もまた差異のあるかたちで説明されてきたし、されうるというのがホワイトの指摘していることですです。こうした問題のよい例は以下の文章です。
 「戦争が終わり、日本が見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいた時、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、アメリカ国民でありました。皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は未来へと命をつなぐことができました。」 
 これは「歴史の事実」を説明した言葉です。ある意味では事実とは異なることは一つも書かれていません。すでに気づいた人もあるでしょうが、ある国の首相が、歴史がコメモレーションされている場所において「公式」に行ったスピーチだからです。しかし、この文章からも、主語と動詞(とその態)がどのようなかたち組み合わされるかが、「歴史叙述」の内容を規定すること、そしてそれは一見事実についての叙述のように見えても、きわめて恣意的な内容を持つものであることが理解できます。
 最初に「戦争が終わり」とありますが、「戦争」は人間が作り出した文化現象ですから、自然現象とは違って人間の意志から独立して「自然」に始まったり終わったりするものではなく、それを引き起こした個人もしくは集団的な行為主体があるはずです。つまりここはでは戦争は自動詞をもちいて記されているわけですが、本当は受動態かあるいは異なるものを主語とした他動詞の目的語として記されるべき出来事です。しかし、そうしたかたちはとられていません。したがって戦争を起こした、あるいは終わらせた主体は、この文章では明らかにされていません。
 次の文章は「日本が」で始まるわけですから、日本がという主語を受けている述語は「苦しんだ」という動詞です。ここも自動詞です。しかし、苦しめた、つまりこの文章の内容に沿って考えると、「焼け野原」にした主語(能動的主体)は誰かと言えば、もちろん直接的にはアメリカ(軍の空襲)、間接的には日本の戦前の政治指導者(の誤り)のはずですが、それは見事にここでは消えています。そしてそのアメリカとアメリカ人が「ミルクとセーター」を送ってくれたという主語を明確にした文章がつづきます。しかし、二つの文章で本当は主語は同一のものであったことは、主語を置換することによって曖昧化されています。主語を置換することによって表現されていることは、アイロニカルな批判をすれば、空襲をしてさんざん民間人を殺戮したけど、そのことは批判(主体を明らかには)しません、ミルクとセーターを頂けたことには(主体を明らかにして)感謝しますという内容です。これが一国の政治指導者の「公式」的な歴史理解なわけです。繰り返しますが、ここで引用したこの短い文章には「事実」の誤りは何処にもありません。
 逆にこうした例から読み取れることは、言語が持つ説明構造が内包する恣意性、ここでは主語と動詞に関してですが、そうした恣意性です。そうした恣意性を内包しがちな言語をとおして事実として語られてきた歴史叙述のあり方を、もう少し厳密に批判的な考えていこうと論じたのが言語論的転回の一つの意味だったわけです。

by pastandhistories | 2016-12-29 12:23 | Trackback | Comments(0)

二つのホワイト論

 ヘイドン・ホワイトもけっして自分の専門ではないけれど、次に入っている仕事も必ずしも自分の専門ではないので負担が少なくありません。ただ多分それでも注文があったのは、「批判的」にということからでしょう。そのことも重要だと思うので、頑張っていこうと思います。
 逆にホワイトに関しては、ある時期まで一面的に「批判」されることが多く、また一見「好意的」な紹介も、「歴史研究」をしている立場からは随分と違和感がありました。なによりも、ホワイトをめぐる多くの議論の現状がほとんど踏まえられていないということに対してです。23日の会でも少し触れましたが、すでに3ケタにおよぶホワイト論が欧米では出ています。欧米ばかりかこのブログでも紹介しましたが、今年ブラジルで行われた The Practical Past と題された歴史理論、歴史哲学者の集まりには250人もが参加して議論しました。そのことからもわかるように、南米でも、そしてアジアでもホワイトについては多くの議論がなされてきました。そうした議論がほとんど踏まえられず、一面的・図式的な批判が多いのではということへ疑問が、ホワイトを自分の理解の範囲内で紹介したいと思ったことの大きな理由です。
 今回の23日の会も基本的にはそのことが目的でした。あくまでも司会という立場ですので、多くを紹介することは差し控えましたが、ホワイトについては紹介した特集号を含めて本当に多くの議論がなされています。力量のある執筆者が多く、優れた視点を含むものも少なくありませんが、現在の段階でホワイトの考えの全体的流れを簡潔に整理したものとしては、Nancy Partner と Sarah Foot が編集した既に定評のある歴史理論集である、The Sage Handbook of Historical Theory (Sage, 2013) に所収された Robert Doran の 'The Work of Hayden White Ⅰ: Mimesis, Figuration, and the Writing History' とカレ・ピヒライネンの 'The Work of Hayden White Ⅱ: Defamiliarizing Narrative' が一番よいと思います。その大きな理由は、この二人はともに最近出されたヘイドン・ホワイト特集の編集をしていて、ホワイト自身の著作はもとより、様々なホワイト論にも目を通しているからです。
 ドランの論考は『メタヒストリー』から始まって、tropes から emplotment, narrative, mimesis, historical representation, figuralism, そして facticity, discursivity にいたる議論の流れをたどったものです。 最初にヴィーコとの関係が語られ、人間の作り出したものであるがゆえに歴史が人間によって認識されうるものとされたというところから議論が始まりますが、基本的には『メタヒストリー』における議論(喩などの分類)はあくまでも出発点であるとして、そこに強く拘束されることなくその後の考えの流れを説明しています。そのなかで一つのポイントとなっているのは、ホワイトの相対主義は、ニーチェ的なものではなく、あくまでもランケ的な歴史理解の相対化を目指したものであるということです。ここから議論されていることは、ホワイトは歴史が実在に根拠を置くとすることを否定したわけではなく、歴史言説がフィクショナルなものとファクチュアルなものの混在させていることを指摘したのだということです。つまり歴史のハイブリディティの指摘です。その意味で歴史は厳密には科学的ではないと論じたということです。この理解はそれほどおかしなものではないと思います。ホワイトが『メタヒストリー』において喩だけではなく、プロット、イデオロギー、そして議論のあり方といった、必ずしも「科学」とは厳密に対応するものではないものが歴史叙述の要素となっていることを指摘したものはそのためです。にもかかわらず、人々を拘束しさらには抑圧するものとなっているのではないのかというのが、ホワイトの「学問的」な歴史と、それによって支えられている大きな歴史への批判であり、その後の議論のモティーフであり続けたものです。
 ピヒライネンもまたよくある「歴史家」からの批判、会への報告でも触れられていましたが、ホワイトの考えは「歴史修正主義」に組する「相対主義」であって、anything goesであるという「一面的」な議論への批判から議論を進めています。しかしピヒライネンは、近年のホワイトの議論、もちろんホワイトが強く主張するようになった問題は、practicality of the past ですが、そうした議論を重視し、そうした議論が柱としていることは、歴史を rescue することにあると論じています(これもホワイトに対するこれまでの一面的な批判から見れば驚くようなことかもしれません)。何から?。もちろんモダニティとナショナリティと一体化した「歴史学」が作り出した、抑圧的な、一面的な歴史からです。そのことは、128頁から始まるこの論考の後半部分、History goes public という部分で明確に論じられています。この部分では、public history, visual form, audience, practical purposes , という言葉でこうした流れが説明され、客観性を根拠に現実への批判的意識を失っている学問的歴史の歴史的な、かつ現在的なあり方への疑問が提示されています。ここで興味深いのは、批判的な歴史として学問的に受け入れられている女性史、文化史、ミクロヒストリーに対しても、Where 'alternative' histories have found institutional acceptance - cultural, feminist and microhistorical ones, for instance - they have largely done so only by first marginalizing themselves in terms of their subject matter, by directing attention to themes and materials that do not threaten 'history proper' というコメントが加えられていることです。
 こうした理解からピヒライネンは、ホワイトの目指しているものは、(White's goal) then , can be understood as a history that emulates the kind of lived experience we have in our habitual - non-literary and ( I would argue) non -totalizing - engagements with the world であるとし、そのリヴド・エクスペリエンスに関しては、The creation ( or simulation ) of lived experience would, on the other hand, permit the historian to address the private and subjective of the reader: history would, in practice too, begin to communicate with rather than simply to its readers. And in this sense, the need for an author (as authority) would properly disappear という説明を加えています。
わかりやすい説明だと思います。二人の説明からわかることは、ホワイトは過去の実在や歴史そのものを否定したわけではなく、政治や学問に寡占されている歴史を、普通の人々の日常に取り返していくべきだと主張したということです。難解とされてきたホワイトの仕事がようやく翻訳として紹介されるようになったのは望ましいことですが、そのさいに忘れてほしくないことは、ホワイトは自らがそうであったように、普通の人々の立場にたって、そうした人々の経験から歴史を考えることを何よりも重視したということです。その意味ではホワイト自身もまた「学者」の占有物であってはならないと自分は考えています。ホワイトを論じる人は、ぜひ誰にでもわかるようにホワイトを論じてほしい、それが自分の希望です。

by pastandhistories | 2016-12-26 11:49 | Trackback | Comments(0)

practical, ethics, politics

 「ヘイドン・ホワイトの今」は、昔になりました。今回は本当に疲れました。当初はいよいよホワイトの論文集の刊行が進行しているということで、翻訳されるそれぞれの論文の個別的内容を紹介・論評するようなかたちでの議論という「少し手軽」な内容を考えたのですが、用意された報告は、それぞれ言語の本源にさかのぼる考察と、近年ホワイトがあらためて強調している倫理的・政治的問題を論じた本格的なもので、そのかみ合わせが難しく、それぞれ別個のものとして議論して最後にまとめと考えたのですが、予想外の参加者と予定された通訳の不在ということもあって、進行にミスがありました。参加していただいた方には申し訳なく思っています。
 もっともその最大の理由は予想を超えた参加者。正直10人内外なら、日本語・英語ちゃんぽんでもそれほど円滑を欠かない。何よりもその程度の人数であれば、英語を使用する際に多少のよどみがあっても、お互いさまなところもあり多くの人が積極的に発言してくれますが、50人近くになると、英語での質疑に少し構えてしまうところがあって会場からの発言がなかなか確保できない、かつ通訳作業の間も生じてしまうというところがあります。いつものことなのですが、今回もそうした部分がありました。ただペーパーはそれぞれ力作でしたので、改めて読んでもらえれば、それなりに有用な議論の素材を受け取ってもらえるのではと思います。実は議論の参考にということで、ホワイトのインタビューのいくつかを翻訳し、会場に配布する予定だったのですが、下訳は終わったけれどもチェック作業が間に合わず今回は断念しました。それはまたいずれの機会にと思います。といっても内容が全然異なる少し大きめの仕事の予定が入ってしまったので、今日からはその作業ということになります。
 ということなのですが、最後に昨日は紹介できなかったホワイトの最近の議論を簡単に紹介しておきます。ダントー、ハルトゥーニアン、スピーゲル、アンカースミットらのホワイト論を集めた Philosophy of History After Hayden White, ed. by Robert Doran (2013), にホワイトが寄せたコメントの冒頭部分です。
 Although I have learned a great deal about historical discourse ・・ from・・philosophers ,・・ I have been more interested in a discourse-analytical approach to the study of historiography than in a strictly philosophical one. This is to say that I regard modern historical studies as a product of a reflection which is more practical than theoretical, and by practical I mean ethico-political rather than epistemological and ontological in kind.・・・ (p.209)
 本のタイトルとは異なって、自分の関心は哲学的なものより、言説分析であると記した部分です。またプラクティカルという言葉を、(ピヒライネンのペーパのタイトルにもあった)倫理的・政治的なものと結びつけるかたちで説明している部分です。

by pastandhistories | 2016-12-24 14:29 | Trackback | Comments(0)

figure

23日のピヒライネンのペーパーは何とか下訳を終えました、きちんとしたものとして仕上げるのは難しいかもしれませんが、明日一日をかけて手を入れるつもりです。短いものでも意味を伝えるものとして訳そうとすると、随分と苦労するところがあります。ホワイト関連のまとまった訳書がなかなか出ないのも、当然かもしれません。figure という用語も意味を正確に伝えようとすると訳に難しいところがあります。通常は figure は「形象」と訳され、関連する figuration, prefiguration はそれぞれ「形象化」「前形象化」と訳されるわけですが、とりわけ近年はホワイトは figure を fulfillment に対置するかたちで、『岩波哲学・思想事典』においても説明されている(418頁)「予示的微標」の意味で使用することが多くなっているからです。
 この考えは、物語文は必ずしも過去の事実を伝えるものではないことを指摘したものとして引用されることの多い、「1618年に人々は30年戦争が始まったとは語らなかった」というダントーの指摘と関わり合うものです。「1618年に30年戦争が始まった」というのは事後的な説明であって、1618年当時にはそうした記述は成り立ちえなかったということですが、 figure, fulfillment に関しては(もともとは旧約聖書と新約聖書の関係を述べたものですが)ホワイトはギリシャ文化とルネサンスの関係などを例に挙げてこの両者の関係を論じているわけです。(多くの歴史家が無批判的に論じるように、あるいは教科書的な理解としてそのことが常識化しているように)「ギリシャ文化がルネサンスを引き起こすことになった」という歴史的な説明が成り立っているとしても、ギリシャ時代の人々は自らの文化をルネサンスを引き起こすために形成したわけでもないし、ましてややがては自分たちの文化の影響を受けてルネサンスが誕生することを予想することはありえなかった、その点でこの両者を原因-結果として関係づけることは、かつての figureーfulfillment の関係に類似していて、厳密に過去の事実を論じるものとはなっていないというのがホワイトの主張です。
 ホワイトがこうした指摘をしているのは、歴史の叙述が「科学」であればそのことが必要とされる厳密な因果関係には拠っていないことを批判するためです。そうした立場からホワイトは自らの主張を根拠づけるために、最近は歴史の系譜的説明には genetic なものと genealogical なものがあるとしばしば論じています。 genetic というのは、多くの生物の運命がそうであるように、遺伝子に左右されるもの。つまり先行的なものが、事後的に生じるものを決定的に規定するものです。逆に言えば、現在が過去を決定することができないものです(個人の血統譜は既に完全に決定された所与のものです)。これに対して genealogical なものは、上述の例のような事後的なかたちで先行的なものが選択されているものです。実は多くの歴史叙述はこうした  genealogical なもので、現在から恣意的な祖先選びが行われているとホワイトは論じています(この問題は『国境のない時代の歴史』という本で、遡行的な歴史の蛇行性として自分も触れたことがあります。・・37-39頁)。
 ホワイトは歴史に対する自由を何よりも論じている歴史家です。しかし、実は彼はこのように歴史の恣意的な解釈、恣意的な祖先選びにはきわめて批判的です。なぜならそのことが、モダニティやナショナリティを枠組みとする抑圧的な歴史の大きな根拠となっているからです(そのもっとも代表的な例が日本における西洋史偏重、さらに厳しく批判的に言えば、日本の西洋史研究者の多くに見られる思考のパターンです)。そしてこうした考えを根拠としてホワイトは、figureーfulfillment と同質的な説明構造をもつ、場所も違い、時代もかけ離れたギリシャをルネサンスと結び付けるような、歴史の説明の仕方にある厳密な論理性の欠如を批判しているわけです。
 ホワイトは、望ましい未来を生み出すために、歴史に対して自由な意思をもつことを何よりも重視しています。しかし、そうした自由の延長に措定される未来は、かつてマルクス主義者が論じたようにそのあり方が予め決定されているものではなく、あくまでも人間の自由な意思によって作りだされていく、その意味ではまだどこにもない、そうした想像上の世界、ユートピアとして措定されるものです。このことは別におかしな議論ではありません。合理的な議論を推し進めたギリシャの思想家は、自分たちの思想がルネサンスを生み出すことを予想してわけでも、目的としたわけでもなかったからです。

by pastandhistories | 2016-12-21 22:43 | Trackback | Comments(0)

「喩」について

 23日のホワイトの会の前に、ホワイトの基本的な考え方について思うことを本当にメモ的に書いておきます。ただ他の仕事も多く、今日は当日のピヒライネンの報告の翻訳をしました。半分ほどの草稿を何とか作成、なんとか当日まで間に合わせるつもりです。
 翻訳もそうですが、自分のためのメモであるならある程度大雑把なかたちでもよいわけですが、会場配布となるとやはりそれなりの精度が必要とされます。あくまでも参加者への補助なわけですが、かならずしもそうした「好意」が「好意的」に受けとられるとは限らない。そのあたりのことは、いつも苦労します。
 このブログも基本的には自分のためのメモですが、公開している以上色々な反応があり、そうしたことを前提に書くことには、やはり難しいことがあります。とくにホワイト論となると本当に難しい。そうしたことを前提としながら、ホワイトの基本的な思考の枠組みについて、本当にメモ的に今日は書きます。
 ホワイトについては難解に論ずる人が少なくありません。その大きな理由は、活動が長期にわたっていて、リチャード・ヴァンが指摘したように、ホワイトを論じる際には、 which White という問題があることがあります。また造語的なものを含めてかなり語彙を自由に使用するので、その点でも難しい。もちいられている基本的タームが、歴史的な、本来的意味で使用されているのか、他の学問分野で使用された際と同じ意味内容のものとして使用されているのか、あるいは独自のコンテクストの中で意味を与えられているのか、ということの判断が難しいという問題もあります。
 しかし、ホワイトがもちいているもっとも重要な用語は何かと言えば、初期・中期の論文集でタイトルとしてもちいられた、つまり、The Tropics of Discourse (1978), The content of the Form (1987), Figural Realism (1999) にもちいられている tropes, discourse, content, form, figure, realism (reality) であると言えそうです。
 このうち、form と content は比較的わかりやすい。日本語でも基本的には形式、内容と訳されていて(外形、内実と訳したほうが意味が取りやすい場合もありますが)、歴史が形式、過去が内容にあたるということになります。ホワイトは現前しているのは、歴史という形式であって、過去はそうした形式をとおしてしか見ることができない、したがってそうした形式を分析することが重要だとして、その分析を進めたわけです。
 またreality は古くから議論されていたことであって、 言説と訳される意味での discourse も相対的には新しいとしても、最近ではきわめて一般化しています。しかし、tropes と figure には難解なところがあって、翻訳にも多少の混乱があるようです。この点はホワイトも認めていて、たしか tropes に関しては、この言葉をもちいた原稿を読んで編集者が地理的な概念( tropic 回帰線・熱帯地方 )と取り違えたというエピソードを、ホワイトがどこかで書いていたはずです。
 このことからも理解できるように、tropes はそれほど一般的な言葉ではありません。その意味では日本語で、「喩」もしくは「喩法」と訳すのもそれほどおかしくはなく、おそらくこうした訳語が定着していくはずです。そしてヴィーコの考えなどにしたって、ホワイトはこれを、metaphor(隠喩)、metonymy(換喩)、synecdoche(代喩)、irony(反語)に分類しているわけです。metaphors という言葉を、比喩一般を総称するものとして使用してもよいわけですが、そうするとこうした分類において「隠喩」を指すものとして区別される metaphor との間に混乱が生じるので、議論を厳密にするために tropes という言葉をもちいたのだと思います。
こうした分類法の正確さ、あるいはそうした分類法をもちいてホワイトが行った議論が正確なものであるかは、今後とも議論されていくことになるでしょう。しかし、自分が関心があるのは、ホワイトはなぜ比喩(ここでは日本語で一般に使用されている総称的な意味でもちいます)の問題が歴史を考える際に重要だと考えたかということです。もちろんそれは比喩が、物語という形式をもちいた歴史の重要な要素となっているからです。そして何故そうなのかというと、現在のオーディアンスに現在とは異なる時代であった過去を説明するためには、現在のオーデイアンスが了解できることを媒介にして、それを喩えの材料として使用することが、過去の理解を容易にするからだということになります。もちろんそうした喩えの媒介物は、現在において了解可能なものであっても、過去にあったものとは「異なる」ものです。過去の実在ではありません。比喩は比喩であって、説明されるもの相互の差異を前提とするものであって、厳密な同一性を根拠として成立しているわけではありません。厳密に同一なものなら、そもそも比喩は必要とはされないからです。
 つまり物語という形式をとおして、比喩をもちいて叙述される過去は、つまり歴史は、論理的に考えれば過去実在とは厳密に一致したものではないということが、ホワイトの論じた一つの問題だということになります。

by pastandhistories | 2016-12-21 00:14 | Trackback | Comments(0)

行間を読む想像力

 今日からは23日の会に備えてヘイドン・ホワイトのもちいている言葉について本当に基本的なことを二、三メモ的に書いていく予定だったのですが、昨日渡辺賢一郎さんと見市雅俊さんが「歴史とマンガ」についての報告をした「歴史と人間」研究会に参加したので、それへのコメントを書いておきます。
 まず会でしたコメントについての補足と訂正。『少年マガジン』『少年サンデー』がオリンピックと共に刊行されたというコメントがあったので、それは1959年だということを発言しました。実はこの経緯は一週間ほどの『朝日新聞』の特集記事でも丁寧に書かれています(この記事には、一時期450万部を超えていた『少年マガジン』ンも発行部数は現在では100万部前後、『少年サンデー』は35万部前後だという興味深い事実も書かれていました。なお『少年マガジン』の発行部数が100万部を超えたのは、大学生を読者層にした1960年代後半です)。
 その時、女性の歴史家と同じように女性漫画家は当時はいなかったと述べましたが、これは誤り。長谷川町子さんがいたからです。あるいはそれ以前には上田とし子さんという漫画家もいたはずです(『あんみつ姫』は倉金章介という男性作家でした。訂正しておきます)。しかし、現在のように多くの女性漫画家がいなかったのは事実。渡辺さんの報告にもあったように、花の49年代といわれる女性漫画家が輩出するようになったのは、これはコメントでふれましたが雑誌『COM』(1967~1971)の新人賞への公募者の中から、竹宮恵子さんをはじめとする漫画家が育ったからです。その審査員の一人だったのが水野英子さんだったと思います。水野さんはトキワ荘グループの一人で、手塚治虫との関係が深く、画風も似ていた人です。
 これもコメントでも話しましたが、当時は仕事のない新人が少女漫画を描くということがありました。その代表が、赤塚不二夫が『秘密のアッコちゃん』を描いたことです。それ以外にも大物男性漫画家が少女漫画を描いた例があります。いうまでもなく手塚治虫の『リボンの騎士』、横山光輝の『魔法使いサリー』です。こうしたことが起きたのは、やはり既にふれたように、女性漫画家が少なかったこと、そしてなによりも少女漫画というジャンルがそれほどの読者層を持っていなかったからです。新人が少女漫画を描いたのは原稿料を安く書かせることができたから、著名漫画家が描いたのは、少女向け漫画雑誌の部数を拡大するための出版社の政策によるものです。
 なぜこうしたこと、つまり女性漫画家が少なかったのか、というとそれは簡単な話です。なお差別の対象下にあった女性歴史家の場合とは違って、女性漫画家の場合は、なんといっても「少女」の読者層が少なかったからです。一般の家庭の「女の子」はあまり漫画を読まなかったからです。実は「中産階級以上」の「男の子」も。ここから先はシァルティエにならって行われていくはずの漫画の「読書空間」の研究が明らかにしていくでしょうが、上・中層の家庭、いわゆる教育ママのいる家庭では漫画はあまり読まれていませんでした。エロ本と同じ悪書で、一部家庭では買ったりしたのが見つかると、大弾圧を受けました(幸いにして我が家は手塚治虫を発見したことで知られる有名な編集者であった加藤謙一さんの近所で、息子さんが中学・高校で同窓であったので・・・大学に合格したときには、翌日夫婦でお祝いにきてくれました・・・そういうことがなく漫画を読むことができました)。実は昨日帰宅後40年来の同居人に確認したところ、同居人は地方の労働者の家庭の出身ですが、大学に入るまで漫画を読んだことがなかったと言っていました。漫画は「悪書」だったからです。事実PTAを中心とした漫画追放運動が行われ、そのなかには子供から取り上げた漫画を学校に持ち寄り校庭で焼却するなどということすらありました。
 なぜ漫画が悪書だったのかというと、その論拠の一つは、文章とは違って、漫画は子供の「想像力」を育てないからというものです。文章であれば、具象化されていませんから、行間にある「事実」を想像する力を養うことができる。しかし、具象的な表現である漫画にはそれがないので、子供の知的発展を妨げるということです。このロジックをそのまま歴史に採用すると、文章によって構成された歴史(多くの歴史研究者が使用している手法)は、過去への想像力を育てるがゆえに優れているということになってしまいます。随分と奇妙な議論です。想像力にもとづくものにより意味があるというのは、多くの歴史家が嫌うヘイドン・ホワイトの議論と同じになってしまうからです。しかし、こうした議論のあり方は、ふだんそれほど疑問なく用いられ、社会的にも実体化することもあるロジックが、いかに厳密性を欠くのかということ一つの例証でしょう。漫画はこうした批判を潜り抜けて1960年代後半には、社会に大きく定着することになります。女性も読める漫画、女性が描ける漫画へとおおきく飛躍し、少女漫画、さらには女性漫画というジャンルが明確に確立したわけですが、ここいらのことは渡辺賢一郎さんの方が、はるかに詳しいでしょう。
 長くなりましたが、最後に渡辺さんの結論、歴史の多元化・パーソナライズに対して出された疑問と、見市さんが話した「日本」の歴史的まとまりということについて少し作品の例をとって補足しておきます。手塚治虫の『火の鳥』はライフワークとしてあまりに有名な作品ですが、その初期の作品である「ヤマト篇」は、歴史の本来的多様性がその一つのテーマになっています。それはこの物語が、確立期のヤマト朝廷の王子(オグナ)が大王から命じられて、ヤマトが作り上げようとしてしている歴史(『COM』に連載された最初の作品では、大王が歴史編纂を命じたさいに部下がタイトルはどのようなものにしたらよいかと尋ねると、『古事記(こじき)』でも『ヒッピー』でよいと答える個所がありましたが、この部分は後の単行本では削除されています)とは異なる歴史を書き残そうとしているクマソの王、川上タケルを征伐に行くというところから話が始まっているからです。ここに示されているのは、歴史の本来的多様性と、そうしたものを暴力的に解体することによって共同化された物語が構築されたという問題です。
 ヴィジュアルな媒体と歴史については、オーディアンスやその技術的形式を含めて本当に緻密な議論が必要でしょう。その一歩として昨日の話には興味深いポイントがありました。

by pastandhistories | 2016-12-19 08:36 | Trackback | Comments(0)

マルクス主義と実存主義

 ヘイドン・ホワイトをヘルマン・ポウルが、社会変革への意思、実存主義からの影響という点から論じていることを紹介しましたが、実はそのことはホワイト自らが語っていることです。今日はそのことが自身によって明確に語られた文章を紹介します。 Literary & History (Spring 1998) に掲載されたキース・ジェンキンズとのインタビューの最初の方の部分です。英文そのままでもいいのですが、簡単に日本語に直しておきます。
「労働者階級として、私はつねにマルクス主義・社会主義の伝統に共鳴していました。デトロイトで私の父は流れ作業で働きました(もともとはテネシーに住んでいてホワイトはそこで生まれたが、大不況で父親が職を求めてデトロイトに移った・・・訳注)。私自身も工場で働きました。私たちは皆労働組合(labor union)の人間でした。しかし、あなたも知っているように、アメリカの労働組合は、イングランドの労働組合のようなものではありませんでした。大学にいた時、私は『ニュー・ステーツマン』を読んでいました。そしてイギリスの社会民主主義の影響を受けていました。しかし、強力な共産党はなかったので、マルクス主義は大学の学問的な世界のなかにおいてだけ影響を保っていました。私にはそう思えたし、今でもそう思っていますが、マルクス主義はそのなかで人々が彼らの意味を見出し、生涯それを貫くまとまった実践として歴史について考えるもっとも重要な試みであったし、いまでもそうしたものとしてとどまりつづけています。このことが弁証法的唯物論の弁証法的側面だと私には思えます。さて、(私の)実存主義的な要素については、これは世代的なことです。私が17歳の時に戦争が終わり、突然カミュとサルトルの著作が合衆国に溢れだしはじめました。このことは、18歳から19歳の学部学生にとっては大きな興奮を引き起こすものでした。この要素は異なったものでした。私は当時哲学に興味がありました。しかし、合衆国の哲学のすべては、論理的実証主義か分析的哲学のどちらかであって、このことは私にはあまりに退屈なものでした。社会的な、道徳的な問題を扱うことはできないと思えました。そこで私は、マルクス主義を実存主義的に解釈することへと向かったのです。あなたも知っているように、私はマルクス主義が社会についての本当の科学を打ち立てたとはけっして考えませんでした。マルクス主義の主要な力は、その労働者階級のために正義への要求、倫理的な社会主義への要求にあると私には思えました。そしてそれゆえ(自らの自身の)選択と責任に強調を置く実存主義が私にアピールしたのです。」
 きわめて明確な説明です。実はこのインタビュー全体をとおしてホワイトは、自分が「大学」などとはほど遠い労働者階級の出身であって、海軍をへて、兵役経験者の優先枠で地方の小さな大学(ウェイン州立大学)に入ることができたこと、このことが自分の立場の基本的な出発点であることを述べています。既に何度か指摘しましたが、こうした出自と世代的経験がホワイトの思考の原点です。およそ「ファシズム」とはほど遠いものです。そのことはこうしたホワイトの思想的出発点からも理解できるはずです。

by pastandhistories | 2016-12-15 22:14 | Trackback | Comments(0)

1960年代の意味

 ヘイドン・ホワイトは1928年生まれですから1960年代は彼がほぼ30代の時期ということになります。すでに学生の時期は終えていたわけですが、'The Burden of History' が1966年、Metahistory は1973年に刊行されているわけですから、やはりこの時期がホワイトの歴史家としての転換点となったと考えてよいでしょう。
 1960年代の運動は広く文化的な要素を考え合わせれば実に多様な内容を含んでいたわけですが、政治的なレベルに焦点を当てれば、公民権運動やフェミニズムのように差別されていたものへの「権利」付与の要求、そしてヴェトナム戦争に対する反戦運動がその軸となります。さらに大学の問題に焦点を絞れば、学問の中立性や客観性をたてまえに制度化された研究・教育に生じていた権力的なものとの癒着、それを支えたものの一つが専門化と、専門化をとおしての学問的世界の階層秩序化であったわけですが、そうしたものへの批判でした。
 このように考えればホワイトの議論が、1960年代に多くの若者が受け入れた political engagement を継承し、そうした立場から「学問の中立性や客観性をたてまえに制度化された研究・教育に生じていた権力的なものとの癒着、それを支えたものの一つが専門化と、専門家をとおしての学問的世界の階層秩序化」を批判するものとして進められた、時代の情況にきわめて対応したものであったと考えることができます。それがなぜ日本では受け入れられる事が少なかったのか、それは日本の歴史研究が、もちろん「下から歴史」として一部では女性史研究の活発化、あるいは一時的には社会運動史の活性化のような進展を示したにもかかわらず、その多くが「既存の進歩主義的思考」をそのまま無批判に継承するかたちで、実証に沈潜化していったためでしょう。カーが受け入れられつづけ、ホワイトの問題提起がほとんど議論の対象ともならなかったのはそのためだと自分は考えています。
 ホワイトがこうした現状に強い批判意識を抱いていることは、最近ではpractical past 論をとおして、'history, practice left out' を強く批判していることからも理解できます。ヘルマン・ポウルはこうした理解からホワイトを論じているわけです。自分もまたそうした立場から、ホワイトの提起した問題を歴史研究者はもう少しきちんと議論していくべきだと考えています。

by pastandhistories | 2016-12-13 18:07 | Trackback | Comments(0)

liberation historiography

 ヘルマン・ポウルのヘイドン・ホワイト論の紹介の続きを書くと、この本の大きな特徴の一つは以前も紹介したことがあるように、ホワイトに対するカミュやサルトルなどの実存主義の影響を重視していることです。時代的にはこのことは別にそれほどおかしなことでありません。1960年前後にはカミュ、サルトル的な実存主義がリベラルな思想や批判的マルクス主義と結び合うかたちで、世界的に様々な領域で影響を与えていました。日本でも、たとえば丸山真男はサルトルの戯曲を素材にした政治論を書いていますし、やや揶揄的な響きをありましたが、「マル存主義」という言葉も語られていました。個人の意志的自由を何よりも重んじる立場から、ホワイトもまたそうした立場に立っていたととポウルは考えているわけです。こうした理解から、ポウルは「解放の神学」(liberation theology) をもじって、「解放の歴史学・歴史叙述」(liberation historiography) がホワイトの目指したものであったと繰り返しています。
 またポウルは、もともとはヨーロッパ中世史の研究者でありマックス・ウェーバーの考えを取り入れてその分析をしていたホワイトが次第に歴史理論に関心を移して行く過程のなかで、彼に大きな影響を与えた歴史家としてクローチェの名をあげています。さらにはコリングウッドの名をあげています。さらにはアメリカの歴史家であるベッカーやビアードの名前も挙がっていますが、同じように彼らの影響を受けた歴史家の代表的人物と言えば、もちろんE・H・カーです。
 その意味ではホワイトとカーは同じ系譜上に位置していると考えることができます。随分と意外感を感じさせる話です。なぜならカーの『歴史とは何か』にいまだに日本の大学で20世紀後半を代表する歴史研究の入門書として取り上げられているように、多くの歴史家に「肯定的」に受け入れられているからです。ホワイトの理解のされ方とは随分と異なります。
 ポウルがホワイトの考えを liberation historiography と呼んでいるように、ホワイトの考えは現状への批判を内在させた、ある意味では「進歩的」なものです。にもかかわらず、なぜ日本ではホワイトとカーとの間にこれほど大きな受け入れられ方の違いが生じているのだろうかという問題はきわめて興味深い問題ですが、この問題についてはまた明日書きます。

by pastandhistories | 2016-12-12 22:50 | Trackback | Comments(0)

社会変革への夢

 11月は海外に行ったわけでもないのに、久しぶりに随分と記事を書きました。12月はこれまでのところ、12月23日の会、「ヘイドン・ホワイトの今」について書いた程度ですが、随分とアクセスがあります。その反応に対応するかたちで会への参加者が多いことを期待していますが、それ以上に質の高い議論ができればと考えています。その準備としてホワイトについて、会の予想される内容にそう記事を事前に二、三書いていくつもりです。最初は、単著のホワイト論としては現在の段階では評価されてよいヘルマン・ポウルの White (2011) の紹介からと思います。今日はこれから昼過ぎに会合が一つ、それが終わるとピヒライネンとの打ち合わせ(報告内容の確認など)があるので、その前に先週報告したことに関係させながら簡単に書いていきます。
 先週の報告のタイトルはもともとは「下からの歴史の今」というものでした。話の内容を準備していた時にディペシュ・チャクラバルティが昨年行った Scale of History という話の内容を知ることができたので、それをベースに予定を少し変えてマクロヒストリーとミクロヒストリーに関わることを論じてみました。
 そこでも触れましたが、一方ではデイヴィッド・クリスチャンらのビッグヒストリー論、他方ではギンズブルグの論文集が翻訳され、そのそれぞれが新聞の書評欄で紹介されているように、マクロヒストリーとミクロヒストリーをめぐる議論は、現在の歴史研究の一つのトレンドです。もっともチャクラバルティはこうしたかたちで議論を整理することにやや批判的です。その理由は、両者が結局はいずれも「欧米的な歴史研究」における議論だと彼は考えているからです。こうした批判に対しては当然のことながら現在の新しい流れは、欧米中心的な視点を反省し、それぞれ、よりマクロ的な、あるいはよりミクロ的なパースペクティヴを持つものである、という批判がでそうです。しかし、チャクラバルティの立場はそうした予想される批判をふまえるかたちで、それらに対して agency の問題を対置し、あくまでも社会を変革する可能性のある歴史学という視点から議論を進めています。そのさいにそうした立場を支える議論としてあげているのが、E・P・トムスンとヘイドン・ホワイトです。
 日本ではそうした議論が受け入れられることはあまりありませんが、ポストコロニアルな歴史論の代表者であるチャクラバルティのこうした認識にあるように、ポストコロニアリスムと批判的マルクス主義、そして言語論的転回はきわめて親和的なものです。実はヘルマン・ポウルのホワイト論の結論の一つは、White showed his continued indebtedness to a 1960s New Left kind of Marxism ・・・ White did not stop believing that history ought to inspire dreams of social change (p.149) というものです。そうした社会変革の主体を、構造化された歴史認識の内部に置くのでなく、より幅広い人々であると考え、下から、あるいは周辺から歴史に関わる問題を考えていくということが、チャクラバルティ、トムスン、ホワイトに共通していることです。違いはホワイトがもっとも強く個人という問題を前面に出しているということです。
 ホワイトの歴史論というのは、個人を単位としたきわめてミクロ的なものです。ギンズブルグとの違いは、ホワイトの力点が歴史を認識する側に、つまり「現在」の、パーソナルな、historical consciousness におかれているのに対して、 ギンズブルグの力点は「過去」に生きたミクロ的な存在に対する認識に置かれているという点です。過去の事実を実証するということが歴史学の目的なら、歴史学という場においてはギンズブルグは優位にあります。逆に実証的な歴史家として出発したホワイトがなぜ研究対象を理論的な問題へと移していったのかというと、それはヘルマン・ポウルの指摘にしたがえば、ホワイトが1960年代の経験を前提に、現状への強い批判意識、社会変革の可能性への夢を生涯持ち続けた研究者であったからです。
by pastandhistories | 2016-12-10 07:43 | Trackback | Comments(0)

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