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歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

パブリックヒストリー・ウエビナー報告⑥

批判として最後にあげた点に関しては、逆にこの点にこそパブリックヒストリーの意味があると言えます。現在の学問的歴史のアイデンティティは、近代以前に広く普通の人々の間にあった過去認識の多くを捨象し、あえて言えば歴史のナショナライゼーションに都合のよいものだけを取り出すことによって成立してきた。公文書を中心とした文書中心主義、国家あるいは近代化を中心としたメタナラティヴ、great men, great eventsが中心であったのはそのためです。そこからは実に多くのものが排除されてきた。地方や周縁、後進とされたもの、過去に生きた人々の半分を占める女性、少数者、そして普通の人々の間で過去を伝えてきた記憶、口承、パフォーマンスなどが排除されてきた。パブリックヒストリーが取り上げようとしているのはそうした問題です。パブリックヒストリーはナショナリティとモダニティにそのアイデンティティの基礎を置いた近代歴史学がその成立と共に排除してきたものを、改めて検討し直すことをその問題関心の一つとしています


# by pastandhistories | 2023-04-24 10:09 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリー・ウェビナー報告⑤

また歴史研究の基本は何よりも徹底的に史料に向き合うことにあり、パブリックヒストリーはそうした歴史研究の基本を損なうものだという批判、これに反論するのはそれほど難しくはありません。なぜなら歴史研究が学問的に確立されて以降ある時期までの歴史学の大きな問題点は、それが文書資料、著名な記述者の残したものや公的な文書を中心とするものであったことです。次第に私的文書もまた史料として利用されるようになったとはいえ、それでも文書中心主義という傾向は強かった。特に初期の学問的歴史の中心となった政治史、経済史にはその傾向が強かった。それを批判したのがアナール史学に代表される社会史です。社会史は日常の生活、人々の心性のあり方を研究対象とし、その媒体となる史料として文書以外のものにも眼を向けた。これまで捨象されてきた普通の人々が残した記録を史料とすることによって、過去をより事実に近いものとして表象した。つまり徹底的に史料に向き合うという点では、政治史、経済史に対して社会史にはより優れた面があった。その延長に成立しているのがパブリックヒストリーです。パブリックヒストリーでは社会史以上に今まで見過ごされていたものが史料として取り入れられている。エゴ・ドキュメント、家族の間で残されてきた記録などがその代表的事例です。また従来の歴史学が完全に無視していたわけではありませんが、パブリックヒストリーでは映像史料や音声史料、さらには物質史料、口述史料などを対象とする研究を進めている。こうした点からも、史料に向き合うことに不足しているという理由からパブリックヒストリーを批判するのは奇妙です

むしろ問題は多様性への着目が生み出すことにあります。多様な史料、多様な対象はそれ自体としては「開かれた歴史」を生み出すものとして肯定されるべきですが、これが史料の精緻な読みと重なると、そこから生じるのは歴史研究の細分化、ミクロ化です。社会史が陥った轍、というより現在の歴史研究が全体として陥っている轍ですアーミテイジグルディが『これが歴史』でショートターミズムという言葉をもちいて指摘した、研究対象が空間的にも時間的にもきわめて限定されるようになった、という問題です。既に記したように、そのことによって因果性や法則性が遠景化した。great men great events を中心とした narratives に偏りがあることは確かですが、歴史により影響を与えたのは何かという原因―結果という観点に立てば、great men great eventsの役割を完全に捨象することは常識的に無理がある。その一方で、経済構造のあり方から歴史発展の法則を抽出する試みが完全に誤りというわけではない。社会史はマンタリテ、ソシアビリテという概念を取り入れ、またブローデルが試みたように時間概念を類型化することにより全体史という考えを提示し、研究のミクロ化がマクロ的認識と齟齬するものではないと主張したわけですが、その後の社会史研究の進展は、結局は自己目的的なミクロ化を進めただけだった。社会史以上により多様性を重視するパブリックヒストリーはそうした問題を抱えています。

実はパブリックヒストリーがこの批判に答えていくことはかなり難しい。社会史以上に、パブリックヒストリーには法則性や因果性を論じるという要素が少ないからです。政治史や経済史が取り入れてきたメタナラティヴの雑駁さに疑問を提示するのはそれほど難しいことではない。例えば歴史教科書に見られる国家を単位とした歴史叙述や、世界史を法則的に認識すると称したマルクス主義的な歴史観を批判することはやさしい。しかし、逆にパブリックヒストリーには理論的要素が欠如しがちなのは確かです。反論するとすれば、パブリックヒストリーは人類学、社会学、地理学などの様々な学問分野にもとづく学際的アプローチをとりいれていて、またメディア・スタディーズメモリー・スタディーズで論じられている理論的問題に積極的な関心を示しているということになります。またきわめて図式的ですが、普通の人々の日常的な生活や歴史認識にこそ、歴史変化の大きな要因があり、その解明にパブリックヒストリーは取り組んでいるということになるかもしれません。


# by pastandhistories | 2023-04-22 09:25 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリー・ウェビナー報告④

以上のように大別されるパブリックヒストリーの功罪。「功」は歴史を大きく開かれたものとしたこと。パブリックヒストリーという考えの形成と共に、これまでは看過されてきた実に多様な過去や歴史実践が取り上げられるようになったことです。そのことは海外で相次いで出されている諸研究、それらをまとめた論文集の内容からも理解できます。にもかかわらず、日本では一部の例外を除けばそうした流れに呼応する研究が進んでいるわけではない。西洋史学会での試み、『歴史学研究』『歴史評論』の特集、またヤフーのリアルタイムなどを見ると言葉としては定着し始めていますが、とりわけ専門的歴史研究者の間でそれほどの広がりがあるわけではありません。

以上のような批判はそれぞれ根強い。したがってパブリックヒストリーが関心を呼べば呼ぶほど、批判も増大する傾向があります。ではそれに対してパブリックヒストリーはどのような反批判を対置することができるのか。可能な反批判としては以下のようなものが考えられます。

まず目新しいものではないという批判に対して。こうした批判に対しては、パブリックヒストリーがなぜ1970年代を中心に「新たに」カリフォルニア大学、オックスフォード大学という中心的な大学において登場し、そして21世紀に入ると大きな国際的な広がりをもつようになったのかというその「現在的」な意味を提示するとよいでしょう。

パブリックヒストリーへの関心はきわめて現在的なアクチュアルな問題から生じた。ヒューマニティーズの危機にどう対応するのかという問題です。大学でヒューマニティーズを学んでも、社会的に受容されない。卒業生に待ち構えているのは、ジョブ・クライシスです。専門的研究者の道に進めるのはごく一部に過ぎない。ここから大学におけるヒューマニティーズの教育は、卒業後も学生が対社会的な役割を果たせるような、applicable usable なものであるべきだという考えが生じた。歴史に関しては、教育分野だけではなく、博物館、文書館、歴史遺跡のスタッフとして、あるいは政府、自治体の職員として、民間企業の社員として受け入れられるようなものでなければならないということです。こうした問題は以前からヒューマニティーズには存在していましたが、1970年代以降に大学が拡大し、ヒューマニティーズ分野が経営コストの理由から多くの学生を抱えるようになって顕在化した。それにどう対応するかが、とりわけ、to the public or for the publicという観点からのパブリックヒストリー論が生じた理由です。

またこの時期のベビーブームに対応した学生数の増加は、大学に入学する社会層を大きく変化させた。何よりも女性、労働者家庭の出身者が入学し、特権的な社会層に限られがちだった大学入学者の質が変化する。さらにはその一部が教員の地位を確保することによって、大学における研究も内容も変化した。歴史研究はその影響をもっとも受けた領域の一つとなった。こうした流れから生じたのが、ヒストリーワークショップに代表されるパブリックヒストリーへの流れです。つまり類似の歴史がそれ以前にあったとしても、現在大きな影響をもつようになっているパブリックヒストリーの流れは、上述のような変化に対応した現在的な関心から生じたもので、古くからあったとする批判は、パブリックヒストリーを生み出した変化の現在的意味を閑却したものです。


# by pastandhistories | 2023-04-21 22:41 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリー・ウェビナー報告③

次に順序を変えて、with the public に眼を転ずると、実はwith the public もまた片側に専門的研究者の存在が措定されています。目指されているのは、対等性を前提とした the public との協働なわけですが、結果的にはそれを最終的に歴史として書き残す主体は研究者にとどまりがちです。すべてがそうだというわけではないのですが、これはこうしたアプローチのもととなった oral history にも含まれる問題です。with thepublic という視点からのもっとも優れたパブリックヒストリーに関わる著作は、菅・北條編著『パブリックヒストリー入門』ですが、この編著においても専門的研究者が中心的な書き手となっています。その一方で、地域においての記録の保存、パフォーマンス、語り伝え、個々人の証言といった幅広い担い手によるパブリックヒストリーの実践例が取り上げられているのが、この編著の優れたところです。海外でもwith the public というパブリックヒストリーの実践例は盛んで、代表的なものは参加型の博物館や文書館、生徒が歴史行為に参加する実践的教育、さらには歴史を再体験する living historyreenactment などで、それらの様々な試みが論じられています。この流れは、とりわけ海外では、パブリックヒストリーのもっとも中心的な流れの一つです。

以上に比して in the public では専門的な歴史家の役割は大きく後退する。the public 自体のなかにある過去を歴史として前景化したからです。専門的歴史家だけではなく、「すべての人は歴史家である」。Everyman his own historianカール・ベッカー1931年にアメリカ歴史学会の会長報告として行った発言。当時は広く受け入れられたわけではありませんが、この考え、広く the public のなかにある歴史を掘り起こそうとする流れは、1960~70代の、それまでは差別されていた人々、周縁に置かれていた人々、少数派であった人々による運動の活性化に伴って、大きく影響力を拡大した。その流れを代表するのが、「歴史は歴史家の特権ではなく、多くの人々によって生み出される」という考えをもとにラファエル・サミュエルを中心に進められた History Workshop の運動であり、またアメリカにおける急進的運動を媒介とした RadicalHistory Review に結集した人々が作り出していった流れです。一言でいえば、歴史の民主化、従来の歴史の「逆転」。「これまで歴史叙述の枠外に置かれていた、あるいは客体としてしか位置付けられていなかった人々を歴史の主体とした歴史」を作り出す、さらには「歴史そのものを専門的な作り手から伝えられるものではなく、普通の人々の日常のなかにあるもの」とみなす流れです。こうした逆転を実際の調査をふまえて提示したのが、Rosenzweig, Thelen The Presence of the Past、普通の人々が関心をもつ歴史は、教科書や博物館、さらにはメディアによって伝えられるものではなく、家庭をとおして伝えられる両親、曽祖父母、さらにはその祖先たちの歴史であると論じ、その後に大きな影響を与えた著作です。このようなin the public に立つパブリックヒストリーの流れで重要なことは、それが歴史の民主化という点で、歴史を大きく開かれたものとする可能性を含む一方で、「わざわざ歴史を専門的な職業とする人がいるのは奇妙なことだ」というヘイドン・ホワイトの主張のように、専門的歴史家の不要論、そのことは専門的な歴史研究が形成してきた研究の蓄積への否定ともつながるわけですが、そうした可能性を同時に含むことです ,


# by pastandhistories | 2023-04-20 11:37 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリー・ウェビナー報告②

このように、「パブリック」と「ヒストリー」が多義的ですから、「パブリックヒストリー」についても多義的であるという点で、多くの議論は一致しています。テッドがキーンの主張を借りて指摘したように「大きな家」であり、そのなかに「色々な大きさ、種類の部屋があり、相互に出入りしあって」います。その一方で多くの議論は、「二つの流れ」さらには「三つの流れ」からパブリックヒストリーを歴史的に説明しています。

まずはロバート・ケリーによって進められた、パブリックヒストリーを outside of academia に向けられるものとして位置づけたNCPH に継承されていく流れと、

1960年代から70年代に生じたradicalism , activists の影響から生じ、HistoryWorkshop 運動、あるいは Radical History Review に代表される流れです。

この二つの流れは、前者をto the public, for the public 、後者を in the public, among the public と整理すると理解しやすい。

以上の二つの流れに対してもう一つ付け加えるべきは、with the public です。オラルヒストリーを重視したマイケル・フリッシュshared authority という考えをとりいれた流れです。

以上のようにパブリックヒストリーは、to the public or for the publicin the public or among the publicwith the publicの三つに分けると理解しやすい。この三つをもう少し詳しく見ると、to the public or for the publicでは、to, for ですから、歴史の「作り手」と「受け手」が明確に区別されている。広義の historians が歴史の作り手で、the public は受け手です。作り手の代表は、大学などに所属する専門的歴史研究者、さらには博物館、文書館、歴史遺跡に属するcurators, archivists, archaeologistsそして学校のteachers などです。「一定の学問的な手続きを経て事実として確認された歴史」の送り手です。パブリックヒストリーの初期の段階では彼らはpublic historians として総称され、研究機関をとおして確認された歴史的事実が大学、学校、博物館、文書館、歴史遺跡・遺産などをとおしてどのように the public に伝えられるかが、パブリックヒストリーをめぐる議論の中心でした。

しかし、実際には歴史を the public に伝えているのは彼らだけではない。歴史小説家、漫画家、ゲーム制作者、映画・テレビの制作者、そして必ずしも学問的世界には属してはいない例えば塩野七生や佐藤賢一のような歴史作家もまた the public に対して歴史を伝えている。ここで問題なのは、これらにはフィクショナルな要素が介在することです。それをどう理解するかはまた改めて論じますが、問題となるのはこうした歴史の方が、テッサ・モーリス・スズキが論じたように、the public においては幅広く受け入れられていることです。現在のパブリックヒストリー論では、こうした問題をどう考えるかが、重要な論点の一つです。


# by pastandhistories | 2023-04-19 08:18 | Trackback | Comments(0)

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