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歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

Secret River

 歴史小説が過去の事実を表象しうるかという問題で、刊行直後から大きな話題となり論争の対象となったのが、以前にも紹介した(「パブリックヒストリー徒然②」2020、7.20)Kate Grenville, The Secret River (2005)です。重なるところがあるけど、もう一度簡単に紹介すると、犯罪者としてオーストラリアに送られ、そこに定着し土地取得者として安定した生活を送るようになった祖先をモデルとした作品。なぜこれが問題となったのかというと、移民者を建国神話の担い手として肯定的な面だけを取り上げて描くのではなく、先住民からの土地の簒奪者、さらには先住民の虐殺者であったという恥部を含めたファミリーヒストリーとして描いたからです。しかしながら、そうした簒奪や虐殺を示す資料はほとんど残されていない。したがってこの部分に対応する事実は想像として描かれた。小説という形式であったから、それが可能だった。しかし、そのことが論争の対象となったということです。
 資料的根拠がないということからの批判は二つの方向からなされた。一つは、先住民への加害を否定しようとする保守的な側から。もう一つは、先住民への加害を批判する立場に立ちながら、なお資料的な根拠のないことを批判するという立場から。かなり多くの論文が書かれていますが、今日は Rethinking History に掲載された Sarah Pinto,'Emotional histories and historical emotion: Looking at the past in historical novels' (2010) を簡単に紹介します。タイトルのキーワードとして emotion という言葉を使用していますが、この論文が問題としていることは、過去の emotion ではなく、歴史が現在の人々にどのような emotion を引き起こすかということ、その点では歴史小説のほうが専門的歴史家の著作、研究よりはるかに幅広い影響力を有していることです。当たり前だけど、前者の方が読者数が多いから。読み手の感情移入を誘うという点では、専門的歴史研究は歴史小説には及ばない(もちろんテレビや映画にはさらに及ばない)。もっとも筆者の Pinto はそのことを全面的に肯定しているわけではなく、グレンヴィルを批判したオーストラリアの歴史研究者クレンディネンの言葉を借りて、 Empathy, according to Clendlinnen, is a tool inadequate to the historian's task: it inevitably 'destroyed all hope of understanding' とも論じています。しかしこの論文から感じさせられることは、歴史への感情移入が多くの人の歴史への関心の出発点であって、歴史研究者も例外ではなく、歴史への感情移入を誘うような小説や映画との出会いが、あるいは祖先への関心が歴史研究の出発点だったということです。
 補足すると、先の記事やパブリックヒストリーウエビナーで話題として取り上げたことがありますが、 Secret River を扱った論文としては、同じ2010年に発表された Kate Mitchell, 'Australia's 'Other' History Wars: Trauma and the Work of Cultural Memory in Kate Grenville's Secret River' in M. Kohike & C.Gutlaben (eds.), Neo-Victorian Tropes of Trauma が議論を上手に整理しています。

# by pastandhistories | 2023-01-03 22:24 | Trackback | Comments(0)

デジタルヒストリーの一例

 今日の昼間は仕事場の整理。昨年暮れから手を付けていたので、かなり進んだ感じ。メモと書きかけ原稿が優にダンボール一つを超えてしまう。これを内容ごとに整理してまとめていくのが年頭の目標。といっても、ここ2年ほど取り組んでいたパブリックヒストリー関連の仕事(一番時間を使っているのは、研究会の運営)に結局は今年も追われてしまいそうです。
 そのパブリックヒストリーについては、今日は Oldimar Pontes Cardoso, 'The Social Flow of Historical Narratives and Its Many Names' Esbocos, v.26, n.43(2019)という論文を読みました。走り読みなのでそれほどきちんとした紹介とはなりませんが、デジタルヒストリーの試みの一例として紹介します。ブラジルの研究者によるもの。ドイツ、英米、フランス、そしてロシア(ソ連)における歴史(研究・叙述)を、social flow of historical narratives として一括りにまとめ、さらにそれぞれをGeschichtsdidaktiki(歴史教育)、Public History, Lieu de Memoire, Social History (原文はロシア語ですが、入力の都合でここでは英語を使用します)という特徴に絞り、それを対比的に分析した論文です。今日この論文を紹介するのは、この論文がデジタルヒストリーの今後の一つの方向を示す方法を試みているからです。それは、それぞれのテキスト(たとえばパブリックヒストリーについては、2017年までのThe Public Historians を、フランスに関してはノラの Lieu de Memoire の全文をコンピューターに入力し、最も基本的な単語(パブリックヒストリーの場合はpublic と history)、見出し、前置詞などを取り除いたうえでそれぞれにおいて使用されている単語を頻度順にリストアップし、それを素材にそれぞれの国の historical narratives の特徴を説明していることです。要するに文章データを機械的に分析して、使用頻度数の高い単語を組み合わせることにより、全体としては何が問題とされているかを、論理的に明らかにするという試みです。と言ってもわかりにくいでしょうから、パブリックヒストリーが説明されている部分の文章を紹介します。太字の単語の後ろの括弧内の数字は、使用頻度の順位です。
Public History is a kind of work (3) historian can do beyond the university (7), for example in a museum (4), a park (8), in other state (6) institutions or by writing a book (9) to spread American (1) History to a larger audience in order to help people to deal with time (10) and with historical (2) and National (5) events.
理解できましたか? 第一位から第十位までの使用頻度の高い単語を結び合わせれば、なにが意味されているのかがわかるという考え方です。論文自体は実験的なもので、そもそもThe Social Flow of Historical Narrativesで多様な流れをまとめてしまうのはあまりに大雑把だし、筆者自身が認めているように、肯定的、否定的に用いられているかということも頻度以上に問題とすべきでしょうから、そうした点など今後考慮すべき点が多いということは確かでしょう。その点ではいろいろ批判することはできますが、おそらく試みの一つとして今後一般化していくような気がします。しかし、こうした論文が登場し始めたら、古い世代の査読者はどのような判断を下すのか、少し興味深いですね。

# by pastandhistories | 2023-01-01 21:42 | Trackback | Comments(0)

テレビの来た日

 同じ1945年生まれのタモリが、「徹子の窓」で来年はどんな年になるかと聞かれて、「新しい戦前」になる予感がすると答えたことが大分話題になっています。「新しい」と「前」という対立概念をもちいたいわゆるoxymoron, 矛盾語法をもちいて現在の日本社会に迫っている危機への不安を巧みに表現した。さすがに長い間一線にとどまっていた人物らしい語りです。もっとも彼はそれほど深い意味はなかったとして、必要があれば反響の拡がりに釘を刺すでしょう。多くのテレビ人とは違って、「煽り」で飯を食う、社会に寄生するなどいういう感覚はまったくない人物だからです。
 この言葉以上に彼の時代感覚、さらには歴史感覚と言ってもよいでしょうが、その鋭さを示したのは、「家に初めてテレビが来た日」のことを、家族や近所の人の反応を含めて個人の歴史のなかの重要な出来事として語ったことです。確かにそうですね。言われてみて思い出しましたが、自分にとっても、「家に初めてテレビが来た日」のことは鮮明に覚えています。テレビがその後の生活にきわめて大きな影響を与え続けたからです。多分小学校の5年生の時です。今ではなかなか想像できないでしょうが、14インチ。ノートパソコンと同じ画面の大きさ。その小さい画面をかなりの間は家族全員で見ることになります。その日は父に言われてアンテナを立てるための角材を近所の銭湯にもらいに行きました(このてのことは、兄弟の中でつねに自分の役割でした)。その先にアンテナをつけて放送局の方向に向ける。しかしなかなかうまく写らない。テストパターンを参考にして色々父が調整しても駄目。延々とやってやっとうまく調整できたのは夜の9時過ぎ、ちょうど柳家金語楼の女中の『お寅さん』が最初に見た番組です。渥美清の前は「寅さん」と言えばこちらの方でした。
 などということを今日書いたのにはもう一つの理由が。それは間もなくして自分がテレビに出ることになったからです。その番組の司会がデビューしたばかりの黒柳徹子。NHKの『はてな劇場』という小学生を10人ほど集めて科学知識についてのクイズを出し、その答えを解説していくという番組です。ある日教師に突然呼ばれて出演者に選ばれました。そこで教師に言われたことは、わからなくても「手をあげるように」ということです。答える子供は事前に決まっていて、要するに後はサクラ。ということなのですが、家では大騒ぎ、近所の人もやってきて皆でテレビを見たようです。もちろん生放送で自分は見ていません。それにしてもその時司会だった黒柳徹子さんが今でも現役司会者というのには感心させられます。

# by pastandhistories | 2022-12-30 21:37 | Trackback | Comments(0)

パール・ハーバーとダーウィン

 今日は Ann McGrath, 'Must film be fiction?' という論文の紹介。オーストラリアのグリフィン大学の出している刊行物に2008年に掲載されたもの。タイトルからは「映画」と「フィクション」の関係を論じたもののように見えるけど、内容はむしろ小説や映画のほうが事実を表すことができるとし、「歴史家が realist(写実的)であろうとするなら、映像的表現技術をもたなければならない。文字表現のみにとどまるなら、それは fiction に過ぎない」という観点から議論が進められています。このブログの立場に立てば常識的な議論。
 あえてこの論文を今日紹介するのは、論文中に(調査によれば)「多くのオーストラリア人は第二次大戦のさいに日本がダーウィンを攻撃したことを知らなかった。多くは日本が攻撃したのはシドニーだと信じていた。その一方で調査の対象となった人の80%が、ダーウィンよりもパール・ハーバーにより多くの爆弾が落とされていたと考えていた」という文章が記されているからです。同じ調査を日本人に、特に学生に行ったらどういう結果が出るでしょうか。過去の事実が歴史としてどのようなかたちで残されているのかを考えるよい例になりそうです。

# by pastandhistories | 2022-12-21 23:54 | Trackback | Comments(0)

記録と記憶

 久しぶりに記事を書いたので、ついでに以前の記事を読み直してみたら、それぞれが長いことに気づきました。これだとどうしても小1時間ほどかかってしまう。記事が途絶えるのもそのためでしょう。ワンポイントに絞れば、気軽に書けるような気がするので、今日からはそんな感じで。
 テーマは記録と記憶。この問題でよいヒントを与えてくれるのはジョージ・オーウェル。『1984年』は記録の改竄が主要テーマで、それが記憶を圧殺していくという話。このテーマは『動物農場』でもわかりやすく扱われています。動物たちが革命を起こして作り上げた Seven Commandments (十戒をもじったもの)がいつの間にか権力を掌握した豚によって新しい「記録」へと書き換えられ、動物たちの間にあった「記憶」にとって代わられていく。「実在した過去」が「記憶」としては動物たちの間にかすかにとどめられていても、記録をもとに説明される「歴史」を操作する権力者には対抗できないという話です。「記録」をもとにした「歴史」がその時々の権力と相補的な関係にあることへの批判。結局はそれに対抗できるのは「記憶」ではないのかという問いです。

# by pastandhistories | 2022-12-19 20:50 | Trackback | Comments(0)

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