歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


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ホライゾンタル・ヴァーティカル

 昨日親子で使用する文字が異なっていたという例をとりながら、ホライゾンタルな結合がヴァーティカルな結合より強い影響力があるということを説明しました。もちろん父の世代が旧仮名遣いを用いたのも、近代国民国家が生み出したホライゾンタルな結合によるという部分もあります。いずれにせよ、近代国民国家にはホライゾンタルな結合(ナショナルな結合)を推し進め、それまでのヴァーティカルな結合(ローカルな、あるいはリージョナルな結合)を打ち破るかたちで成立したという面があります。もちろん厳密に言えば、ローカルな結合もまた層的な要素を含むという点でホライゾンタルな側面を有していて、ヴァーティカルな要素が大きい家族のような一次的集団とは異なるという議論もできます。
 この問題が歴史に関して重要なことは、現在あるホライゾンタルな結合(たとえば日本という単位)にある認識の枠組みが、まだそうした結合が存在してはいなかった過去(地域的、私的結合が強く、拡散的であった時代)に適用されて、過去もまた既にそうしたホライゾンタルな結合のあった社会として、あるいは少なくとも現在のホライゾンタルな結合を枠組みとして認識されることです(多くの日本史研究者が、「日本人」という一体化した立場から歴史を理解していることがその典型的な例です。また「6世紀の日本では」というのも、そうしたことの典型的な例です)。こうしたかたちで捉えられた過去は、もちろん「日本人」などという認識の枠組みを持たなかった過去の人々が作り上げていた社会を正確に再現したものではなく、現在のホライゾンタルな結合に合致するために構築されたものです。
 言語(方言さらには他民族集団の言語の消滅)の例をとるのが一番わかりやすいところがありますが、近代国家の成立の過程で、ホライゾンタルな結合はヴァーティカルな結合を排除することによって成立してきました。ここで忘れてならないことは、言語ばかりでなく、歴史、つまり過去認識にも同様の過程、ホライゾンタルなものがヴァーティカルなものを排除するかたちで成立してきたという側面があることです。家族というようなヴァーティカルな過去認識の単位が、近代歴史学の中から排除されているのもそのためです。ヨーロッパの民衆のミクロ的世界の最近の研究が学問的にもっとも優れたものであり、世界的にホライゾンタルに共有されるべきものであると力説する研究者は多くいても、個々の人々がそのミクロ的な世界をとおして継承してきたヴァーティカルな過去への認識の重要性を主張する歴史研究者はほとんどいません。学問的世界では具体性に名を借りた象徴的過去が優先され、本当の具体的過去は軽視されています。
 「世代」の問題を書こうとするとどうしても話がずれてしまいますが、「世代」の問題に関して最後に付け加えると、「世代」の問題は「戦争」の問題を例にとるとわかりやすいところがあります。「戦争」を成年として体験したた世代、「戦争」を少年として体験した世代、「戦争」を戦後民主主義のなかで追体験して世代、その後に歴史として学んだ世代(もちろんここもさらに細分化できます)という様々な世代が現在の日本には存在しています。もちろんそうした層的分化(ホライゾンタルな枠組み)は集権的な権力やマスメディアが発達した近代以後の社会のなかで促進されたものであって、そのまま過去に適用することには疑問もありますが、少なくとも近現代史や現代社会における歴史認識の分析にとっては有用性があります。
# by pastandhistories | 2010-10-03 10:00 | Trackback | Comments(0)

文化的断絶

 マンチェスター大学のステファン・バーガーからメールがきました。国際歴史学会議で手渡すことのできた自分の一連のペーパーをわざわざ読んでくれた、その感想です。もちろん儀礼的なこともあると思いますが、好意的な内容が記されていました。あわせてこれから議論していくべきこととして、スヴェン・ベッカートを例にあげながら、global microhistoryの問題をどう考えるかというこちらへの質問が記されていました。
global historyとmicrohistory、この二つはこれからもしばらく続く現在の歴史研究のトレンドでしょうから、この二つをどう結び合わせていくかが、今後議論の対象となるとバーガーは考えているのだと思います。自分が歴史のdecommonizationやprivatizationを主張したことに対して、バーガーはそうした歴史のミクロ化が、全体的な枠組みとどう関連づけられるかに疑問をもったようです。この問題への回答はバーガーへの返事を書く時に考えていきますが、今日は昨日の続きで「世代」という問題について私的な経験を交えて少し書き足します。
 「世代」ということで私的に思い出すのは、父と自分の差です。もっとも個人的には自分の父は、その世代の人物としては趣味や食事や服装その他すべてにおいてかなりモダンなところがあって、若い頃はいわゆるモボだったのだと思いますが、その父と自分の違いということで大きなカルカチャーショックを受けたのは、小学生の時にそのモダンな父が文章を旧仮名遣いで書いているのを偶然発見した時です。父はサラリーマンではありませんでしたし、年賀状も印刷という人ですから、私的な手紙など以外は普段はまったく文章を書くことはありませんでした。その父が業界紙から依頼があったということで書いていた原稿が旧仮名遣いであったということです。「これでは恥ずかしい。今はこんな字は使っていないよ」というのが父にその時自分が伝えた言葉でした。小学生が大人に注意して、結局父は子供の教えに従いました。
 コミュニケーションのもっとも基本的手段である言語(文字)ですら、同じ家庭内にあって、世代によって異なるというのは、生活習慣や考え方の違いなど以上に本当にショッキングな体験でした。このことに関してその後考えるようになったことは、家族を単位としたヴァーティカルな継承によってではなく、文化は大きな強制力をもつ学校教育などを管理する国家によって現在では作り出されていることです。そのことが人々の結合のなかで、ヴァーティカルなものより、ホライゾンタルな要素の役割を強めているということです。
 もちろんホライゾンタルな結合は、権力がもつ強制性に加えて、文化空間の凝集性がマスメディアの発達などによって大きく発達した現代社会によって促進されたもので、歴史的過去の理解にそのまま適応できるかは議論される必要があります。しかし、少なくとも自分の中には、親子というようなもっとも基本的で日常的なヴァーティカルな枠組み以上の強制力をもつものによって、自分の思考は社会的に形成されたという実感があります。今日は歴史認識の世代性について書く予定だったのですが、少し内容がずれました。歴史認識の世代性については明日にします。
# by pastandhistories | 2010-10-02 10:50 | Trackback | Comments(0)

個人の変化・世代的要素

 既に還暦を迎えた森進一という歌手が、中学を卒業すると集団就職で鹿児島から大阪へ出てきたこと(本当は山梨出身ですが)は、同じ「世代」の人にはよく知られた話です。しかし、高校全入化という変化の中で、集団就職はもちろん、中卒労働力という形態も日本の社会から現在では姿を消してしまいました。
 このことに関して興味深いと思ったのは、数年前に放映された集団就職者のその後についてのドキュメンタリーで、消息の知れている同じ中学出身の集団就職者の半数近くが現在では何らかのかたちで社長と呼ばれる地位、もちろん中小企業・商店・飲食店が多数ですが、についていると紹介されたことです。ほとんど無権利の低賃金労働者から社長と呼ばれる地位に就いた人が少なくはなかったということです。
 戦前・戦後の日本の社会で思想的な転向が常態のように繰り返されているように(別に日本と限らず多くの社会にとってもありふれたことでしょうが)、あるいは上述した例が示しているように、個人は社会が変化していく中で、同一の社会的立場や思想的立場をを生涯維持し続けるわけではありません。むしろ変化させていくということの方が多いと断言してよいところがあります。だとすると「個人」を「集団」に組み込み、たとえばあまりにも包括的・一般的な「民衆」とか「階級」とかという言葉をもちいて歴史を説明することは妥当なのかという問題が生じます。
 もちろんこうした変化を集団的に、層的に捉えることができないわけではありません。「農村の長男以外の層によって構成されていた集団就職者は、高度経済成長の中で、その社会的地位を上昇させ、都市において中堅的な社会層を形成するにいたった」とか、「60年安保反対闘争や全共闘運動に参加した学生は、その後の社会の保守化に伴い保守的な社会層を全体としては構成し、その一部は大学において経済システムの変化に応じたイデオロギーの保守的再編、大学の秩序化におおきく貢献した」というようにです。こうした説明は、個人の生涯における変化を、具体性をもつ共通した集団に組み込み(中卒労働者・大学入学者という社会層的・集団的共通性)、それに世代的要素を加えて説明しているという点では、もちろんその中に階級的要素が含意されていないわけではありませんが、「民衆」「階級」といった言葉による包括的な説明より、説明としては正確と言えるかもしれません。
 「個人的な変化」と「世代的な要素」は、これまで歴史研究では意外なほど看過されてきましたが、事実を説明していく際の重要な要素です。そのことは歴史認識の問題についての言えると思いますが、その点については明日続きを書きます。
# by pastandhistories | 2010-10-01 09:32 | Trackback | Comments(0)

書くということ

 ロラン・バルトの「作者の死」という主張は、テクストが作者の意味させようとしたものとは異なるものとして、読み手によって永遠に自由に解釈されつづけていくことを指摘し、テクストには「正しい」読みがあるという議論への根底的な疑問を提示したものとして、その後の議論に大きな影響を与えてきました。この議論は、「読み手」の立場に立てば、自由に作品を読んでいいという権利の付与を意味します。しかし「書き手」から見れば、文字通り「死」、つまり将来的な不在化を意味することになります。
 ものを書くことにあるアイロニーです。いまブログとしてこの文章を書いているということには、当然読み手が措定されています。しかし、同時に明らかにこの文章は自己に対しても書かれているものです。なぜなら「作者の死」という言葉が正しければ、この文章の意を正確に理解しているのは書き手である自分以外には存在しないからです。しかし、自己との合意は、けっして他者による自己への合意を保証するものではありません。本来は他者とのコミュニケーションを目指すものが、結局は自己の中に回帰的に循環していくということが、書くという行為にはあります。
 多くの文学作品を読めばわかるように、書くという行為にはそうしたナルシスティックな要素があります。しかし問題は、バルトが指摘したように、書くという行為は自己の存在を立証するものではなく、むしろ自己の不在化を確認するものでもあるということです。こうした中で、自己の不在化への不安を回避する行為が、多くの書くという行為にみられる共同性への同化です。もともと言語は、他者とのコミュニケーションという共同性の媒体として構築されたものです。共同性の中にアイデンティフィケーションをも見出していくものとして、言語を媒体として構築されたものが重要な役割を果たしているのもそのためです。
 言語によって構築されたものが、「正しい」解釈を求めるのは、共同性を保持していくためであり、共同性によって維持されているアイデンティティを擁護するためです。そうした共同性の「正しさ」の中に自己を同化させるのか、もともと永遠の不在でしかない自己を確認するのかが、何をどのように「書く」のかを定めています。
# by pastandhistories | 2010-09-30 10:16 | Trackback | Comments(0)

メモの整理として

 「ここに一枚の写真がある。」・・・いずれここで書き終えたその最初の部分を紹介してもいいのですが、これはチャーティスト運動についての書下ろしを書き始めた時の冒頭の文章です。
 この書き出しは自分でもすごく気にいっています。19世紀に写真技術が広まって、写真による模写性の高い情報がpublic space で用いられるようになる、そのことが人々の意識を共通化させ、新しい社会的統合のきっかけとなっていった。そういうことを象徴的に示す文章です。 もっともこの文章が扱っている1848年のロンドンでのチャーティストの集会を写した写真自体は、当時はその存在が一般には知られてはいませんでした。20世紀の後半に発見されたものです。しかし、写真の発見によってわかったことは、この集会は当時London Illustrated News という挿絵入り新聞に版画絵を伴って紹介されましたが、その版画絵がこの写真をもとに集会の画像として、きわめて精度の高いものとして作成されたということです。London Illustrated Newsは様々な出来事を豊富な図像を用いて伝えましたが、その多くはそうした手続き(写真-版画化-印刷)をへて作成されたものでした。
 というように、この書下ろしは19世紀の中ごろの図像的な情報空間が果たした役割から書き始めたのですが、ある時期にこの仕事は完全にストップしてしまい現在にいたっています。このブログにも示されているように、歴史理論へ研究の重心が移るようになったからです。その理由は、今から10年ほど前の在外研究です。最初の半年は、本当に毎日のようにソルフォード大学に隣接した労働者階級運動史図書館に通ってノート作りをしていましたが、空いた時間に1993年に書いた『国境のない時代の歴史』を英訳しているうちに、そこで書いた問題をもう一度考えてみたいと思うようになったためです。
 本来は帰国後はノートを整理してチャーティスト運動関係の文章を書かなければならなかったのですが、イギリスでは読めなかった日本語の理論関係の本を読んでいるうちに、理論的なことへの関心が先行し、こちらの原稿をまず書き始めました。驚くほど進んで全体を8章構成で計画し、最初の5章ほど(400字換算400枚ほど)が本当に短期間で書きあがりました。
 問題はそれからです。結論とその結論につながる章がどうして書けない。その理由としては色々な要素がありますが、やはり大きな理由は、この間次から次へと出されていく欧米での理論的研究の進展に追いつけない、こうした研究で示されている問題設定は、たとえばポストモダニズム的な議論はその一例ですが、日本ではほとんどフォロウされておらず、参考になるような日本語文献も少なく結局は欧米の文献を一人で読まなければいけない、ということです。加えて言えば、つなぎの部分として書いたものを個別的な論文として発表したので、同じものを継ぎ足したくはない、ということも原稿が止まってしまった理由です。ただメモだけが膨大に蓄積して、それが処理できないという状況におちいってしまいました。
 ということで、書きはじめにも説明しましたが、このブログはそうしたメモを整理していくために、個人的な状況を含めてかなり私的なものとして書かれているものです。同じことはあまり書きたくないので、まだ原稿化できていない部分について自分のアイディアを文章化しているものです。あまりまとまりはありませんが、定期的にアクセスしてくれる人もいるようなので、大学が始まって時間的余裕がなくなり、また他の原稿も書かなければならないのですが、これからもできるだけ毎日書いていくつもりです。
# by pastandhistories | 2010-09-29 09:22 | Trackback | Comments(0)

時間性

 いま8時50分です。8時50分という時間は、宇宙の中の絶対的時間としてあるわけではなく、人間が人間社会にとって必要なものとして作り上げたものであると指摘したのは、プラグマティズム的な相対主義を論じたローティーです。世界は絶対的真理によってではなく、人間の作り上げた言葉によって、社会と言葉との相関的な変化のなかで、つねにそうした変化に対応するかたちで描き直されていく(redescribe)という主張です。
 時間ですら絶対的なものではない、と言われると確かにその通りですが、実はこの議論には宇宙という言葉がある種の永遠性をもつものとして措定されているところがあります。そうした宇宙の絶対性に時間概念を媒体に疑問を呈したのが、バートランド・ラッセルの「5分後の宇宙の実在は証明できない」という主張です。おそらくこの文章を書き終えるころには、その5分後は過ぎているでしょうから、なんとかそのことは事後的には証明されそうですが、実はそうした議論はまだ経験されていない未来への推測を媒体に成立しています。
 しかし、ラッセルの議論で大事なことは、哲学的には未来はその実存を厳密なかたちでは証明されているものでないということです(・・・いま証明されたようですが・・・)。同じような意味で、過去の存在も厳密な意味では哲学的には証明されえないと言えるかもしれません。少なくともそのように存在の論証ですらあやふやなものが、厳密な意味で正確に表象されることはありえないというのが、歴史の脱構築論の一つの要素です(すべての脱構築論者がそうした立場に立っているわけではありませんが)。
 ラッセルもローティも系譜的には自由主義的な立場に立つと言えますが(さらには社会民主主義的な思考があったとも言えますが)、彼らがこうした議論をしたことの一つの理由は、時間性というものが、しばしば人々を支配する媒体となってきたためです。個人としては経験したことのない過去、経験することのない未来を措定することをとおして、時間は個を、個を超越した時間を管理するものに従属させてきました。宗教の多くは人間を死後ばかりか、生前という個が認識しえない時間性の中に位置させることによって人々を支配してきましたし、多くの集団は家族・一族から国家にいたるまで、長期的な時間性を持つものであると称することをとおして、そうした集団に個を従属させてきたわけです。歴史というナラティヴの多くには、とりわけcollectiveな歴史には、そうしたものとして「歴史的に」機能してきたという側面があります。
 もちろん正しく歴史を認識することによって正しい時間性の中に自らを位置づけるという議論も可能ですが(近代歴史学はそうしたものとして成立しています)、時間性の中に自らを位置づけることへの疑いもまた議論としては大事なことです。
# by pastandhistories | 2010-09-28 09:19 | Trackback | Comments(0)

授業とテキスト

 ブログというかたちでこれまで考えてきた理論的なことをずっと書いてきましたが、今日から授業ということで、大学での授業について触れると、いちおう1年生から4年生、大学院にいたるまでの一通りの授業を担当しています。教養科目(地域史)が一つ、専門科目が基礎演習(1年)、史料研究(2年)、卒業論文指導演習(3.4年)、それから大学院の演習と特殊講義となります。
 地域史は自分の専門ということでイギリス近代史の概説となります。講義は苦手でいつまでたっても上手にはならず、頭の痛い授業です。基礎演習は色々試みましたが、この間はE・H・カーの『歴史とは何か』を英文と和訳で購読し、英語の小テストを重ねるという形式です。こうした授業は学生の学力を比較するのに便利ですが、現在の大学1年生にカーの本は相当に難しいようで、英語は翻訳があるので少しはわかるけど、という感じです。正直言って歴史の方法論、とくにカーの議論のような相対主義的な議論を1年生に紹介するのは年々難しくなっている感じがします。その意味ではこのブログの内容も、1年生ばかりか、大学生には難しいかもしれません。
 史料研究という授業は、直接史料を読むということで、何年か前からコンピュータールームを使用して、ネットからそれぞれの関心のある史料を訳してもらい、添削するという方法を試みました。学生全員が関心をもつものとはいえない「同一」のテクストを読むという形式に疑問があり、また史料の入手もネットを通せば学生でもできる作業になったのでそうした形式を取り入れたのですが、この方式も授業としてはかなり難しいところがありました。他の学生の読んできた史料への関心が教室全体のものとはならないためです。逆にこちらの負担は大変で、労多くして実りが少ないところがありました。ということで、今年は前半はOxford University Pressから出ているWriting History ( by W.H.Storey, 3rd ed. 2009)の冒頭部を前半は読みました。このテクストは英文もやさしく、ネットの利用から入っていきますので ( googleの検索をどう利用するかが、結構議論されています)、現代的で学生にもわかりやすいよいテキストだと思います。後期は M.Dobson & B.Ziemann, Reading Primary Sources, Routlege, 2009を読むということで、夏の課題として3章から6章(Letters, Surveillance reports, Court files, Opinion polls)を割り当てましたが、これはかなり英文も学生には難しいのではと思います。
 卒業論文や、大学院の演習は学生の報告が主です。ということまで書いたところで、客人が来ました。
# by pastandhistories | 2010-09-27 12:35 | Trackback | Comments(0)

形式・内容

 今日はさわやかな日で、文章も気持ちよく書けてこのブログも丁寧にかなりの量を書き終えたのですが、最後のクリックで大失敗し、文章を消してしまいました。かなりきっちり書けたので書き直してもいいのですが、同じ文章を書き直すのも気持ちが重たいので、少しメモ的なことを書いておきます。最もタイトルを見ればわかるように、扱うことはかなり基本的な重要な問題ですが、あくまでもメモ的なものですので、その点は了解してください。
 断るまでもなく形式(form)、内容(content)はヘイドン・ホワイトが重要なキータームとして用いたものです。歴史と過去に関して言えば、歴史(form)によって示される過去(content)は、過去そのものを忠実にrepresent(再現)したものではなく、その媒体となる歴史にあるformの決まりによって、過去そのものとは異なるものとしてrepresent(表象)とされているという考え方です。つまり過去が歴史として、学問的な記述として、あるいは小説とか映画などによって表象される際には、それは歴史学とか歴史小説とか歴史映画にある形式にしたがって表象されている、さらにいえば言語とか映像にある形式にしたがって表象されているということです。
 ここから提起された問題は、そのような形式の規定性を前提とすれば、歴史は過去と厳密に一致するものではないということですが、さらにこれに付随するかたちで問題とされるようになったことは、事実を表象するものとして形式的には優位にあるとされていた学問的な歴史に対して、小説的な映画的な手法や、あるいは日常的な場にある認識の中に、むしろ過去のリアリティをより正確なものとして認識する可能性があるのではということです。
 それはどういう問題なのかが本当は大事なことですが、今日は最初にも書いたような理由から本当にメモ的なことだけを書きました。日曜日ですが、これからいよいよ明日から始まる授業(1時間目から始まります)の予習をします。
# by pastandhistories | 2010-09-26 11:27 | Trackback | Comments(0)

残余の復讐

 古いメモをチェックしていたら「残余の復讐」という言葉が出てきました。この言葉はお気に入りの言葉だったのですが、YAHOOで検索したら一つもヒットしませんでした。自分の造語であったという記憶はないのですが、多分岩波から翻訳されている『パリコミューン』の中で「パリコミューンは祭りである」と書いたフランスの哲学者アンリ・ルフェーヴルの『総和と余剰』(La somme et le reste)を読んだ時に、メモしたのだと思います。物事を総合化・全体化するものに対して常にそこには収まりきれない余剰が生じる、そして総和から排除された余剰が結局は全体の解体をもたらしていく。読んだのは随分と昔のことですからこの読み方がルフェーヴルの考えに忠実かはわかりませんが、読後感としてそうしたことを書きとめたのが、「残余の復讐」という言葉だと思います。
 この言葉は好きな言葉です。というのは自分の中には、つねに全体性とか総体性(歴史研究では全体史というような議論となりますが)ということへの疑問があるからです。その中に権威的・権力的思考を感じるからです。もちろん多くの「全体」という議論は必ずしも閉ざされたものではなく、新しい発見を取り入れて全体を常に革新していくものとして提示されています。しかし、そうした議論にある論理は、「発見」された他者を統合して形成された「近代」の論理と同一のものです。そこでは新しく発見された「他者」は、新しく形成される「全体」に包摂されるものとして位置づけられてきました。
 しかし、他者は異和的で全体には取り入れらることのない剰余として、全体を破壊する危険性を持つものであるからこそ他者なわけです。そうした要素を剥ぎ取られてしまえば、それは全体の一部ではあっても、他者ではありません。少し論理が飛躍するかも知れませんが、全体史というものは、そうした本来的な他者性を除去することをとおして成立しているという側面があります。
 たとえば「狂気」ではなく、「狂人」の歴史ということを例にとってみるとこの問題がよく理解できます。「狂人」の歴史には二つの描き方があります。正常者が狂人の歴史を描くというものと、狂人自身によるものです。この二つは異なるものであってけっして交じり合うものではありません。正常の側は、フーコーがそのことを指摘したように、正常も狂気も構築されたものであるということを説明する包括的・全体的(もちろん正常からみてですが)な説明を加えることはできます。しかし、狂人の側が自らの歴史をどう認識しているかを「内在的」に描くことは、正常の側にはできません。そもそも認識の構造が本来的には異なるものだからです。他者が理解できると考えるのは、その他者性が全体によって補完的なものとして構築されたものだからであり、本来的な他者とは異なるものだからです。
 正常と狂気、中央と周縁、全体と個別、権力と民衆、あるいは西欧とオリエンタルというような議論をとおして他者の問題が随分と議論されていますが、そうした議論にある問題は、議論自体が既に所与の全体として構築されていて、他者的なものとされるものがそうした全体を補完するものとして構築されているということです。他者というのは、本来はそうした全体には収まりきれない剰余として、つねに全体を脅かすものとして存在しているもののはずです。
# by pastandhistories | 2010-09-25 10:39 | Trackback | Comments(0)

鏡の中の姿

 昨日は石塚正英さんが中心として続けてきた歴史知研究会がありました。現在では若い研究者を中心とするようにということで、10人ほどの若い研究者が執筆するかたちでの論文集の出版が予定されていて、掲載予定の2本ほどの原稿の読みあわせをしました。「歴史知」についてのかなりヴァライアティに富んだ論文集になりそうです。
 昨日書いたことの補足を少しすると、認識の相対性という問題は、「鏡に写った姿」という例をとるとよくわかります。たとえば鏡に映っている姿を見た場合、そこに映し出されている自分は、けっして他人が普段見ている自分と同一のものであるとは言い切れません。なぜなら自分の認識と他人の認識が完全に同一のものであるとは言えないからです。それが同一のものであるためには、種としての人間の視覚的認識が同一のものであるという議論が必要になります。しかし、人間の五感は、成長にしたがって身体的にあるいは「社会的」に形成されるものですし、またかつてはしばしばそれを排除するかたちで論ぜられていましたが「色覚異常者」(もちろん異常でもなんでもありません)という人たちが多く存在しているように、遺伝的にも異なるもので完全な種としての同一性があるわけではありません。
 認識の相対性という問題は、自分と猫が一緒の鏡を見ている場合のことを考えるとよりはっきりと理解できます。自分が鏡の中に見ている猫の姿は、視覚が人間とは異なる猫自身がみている猫の姿とはまったく異なるものですし、同じように猫が見ている自分の姿は、自分の見ている自分の姿とはまったく異なるものだからです。
 生物の個々の認識器官自体も種の進化の過程のなかで形成されたということを明らかにした進化論的な議論は、このように神と人間を類似化し、そのことをとおして神の認識≒人間の認識ということを根拠にした認識の唯一性という決定論的な思考を批判する根拠ともなりました。コリングウッド、クローチェ、E・H・カーの歴史相対主義的な議論はそうした流れの中で形成されたものでしょう。その意味では近代的な議論です。
# by pastandhistories | 2010-09-24 10:06 | Trackback | Comments(0)

通時的な思考の意味

 (日常的なものとして観察できる)経験的事実を、(時間性などを大きく拡大した)法則などの非経験的なものへと拡大したことが近代科学の重要な要素であるということを、1週間ほど前に「近代科学と歴史」という文章で書きましたが、そのことを少し補足するとダーウィンの進化論もまたその一例です。それまで存在していた観察に基づく分類学(種の区別)を、時間的な流れ(種の発展)から法則化したものが進化論だからです。別の言葉で言うと、シンクロニカルな認識をダイアクロニカルな認識へと置き換えたことということです。
 実は国際歴史学会議で結論的に主張したことは、ダイアクロニカルな視点からではなく、シンクロニカルな視点から歴史を見ることの意味です。もちろんこうした主張は、文化人類学などの構造主義的な視点から生じたものです。多様なかたちで存在するものを、厳密な観察・描写の対象とすることによって、対象を優劣において捉えるのではなく、それぞれ存在意味をもつ等価的なものとして理解していくという考えです。
 こうした考えから「進歩」という枠組みで個々の事実の優劣を価値づけるという点で通時的な議論は批判の対象となったわけですが、実は共時的な方法にもまた個々の事実の優劣を価値づけるという面があります。たとえば神を人間の似姿とし、そのことを通じて文明化された人間を絶対化してきたのは、西洋をはじめ多くの文化の中でおこなわれてきたことです。なによりも人間の認識を絶対化し、そこから基本的な議論は組み立てられてきました。観念論と唯物論という区分はそうした議論の典型的なものでしょう。
 人間をもダイアクロニカルな枠組みの中で過渡的なものとして位置づけた進化論は、神中心的な思考ばかりでなく、人間中心的な思考を打ち破ったという点では、法則性を媒体としながらむしろ相対主義的な思考をすすめていくのに重要な役割を果たしたといえます。リチャード・ローティーは「ネアンデルタール人の叫び」と「現代人の言語」は同じものなのかという問いを立てることをとおして、言語によって構成された対象認識の相対性、プラグマティックなものとしての知、という問題を指摘しました。19世紀以降大きく発展した精神分析学や発達心理学もまた人間の個としての知が、認識の出発点として絶対化できるほど確たるものでも、共通したものでもなく、言語などの対象認識の媒体が社会的に獲得されていく過程にしたがってダイアクロニカルに獲得されていくものであることを明らかにしました。ダイアクロニカルな思考が西洋中心主義的な歴史理解の根拠となったことは事実ですが、また一方ではそれが相対主義的な思考の根拠ともなったということを無視するするなら、そうした議論もまた奇妙なものとなります。
# by pastandhistories | 2010-09-23 07:54 | Trackback | Comments(0)

価値としての客観性

 映画には、夢や幻想や錯覚・想像を通常の画面構成とは異なるものとして示すという手法があります。カラー映画の中でそうした場面を白黒化したり、セピア色としたり、あるいはオフフォーカスで描くという手法です。すべてを通常の画面として描くと、「事実」と「想像されたもの」の区別がつかづ、観客に混乱を生じさせるからです。2時間ドラマでも、回想をそうしたかたちで映し出すこともおこなわれますが、犯人の告白による「事実の再現」の多くは、基本的には通常の画面構成を通しておこなわれます。そのほうが告白の「事実性」を視聴者に印象づけることができるからです。
 昨日も書いたように、告白はテクストなわけですから、本当はこれはおかしいところがあります。告白の現場という事実は通常の画面構成をとってリアルなものとして示されてよいわけですが、告白そのものはあくまでもテクスト化された回想であって厳密な事実性については確定し得ない要素があるわけですから、画面として示す場合でも、おぼろげな曖昧なものとして示すのが、より忠実な表現様式なはずです。
 しかしそうした表現様式をとらないのは、昨日も書いたように映画の文法的問題であると同時に、くわえて2時間ドラマがテーマとしているような犯罪行為の確定・犯人の逮捕・処罰ということについて、現実の社会においては過去の事実の正確な認識ということが重要な要素とされていて、そのことがフィクションの形式にも反映されているためです。
 実際の社会において、多くの人々は日々報道される犯罪について、報道自体としてはテクストに過ぎないにもかかわらず、そうしたテクストをつうじて報道されることを事実として認識しています。その事件についての当事者的真実、つまり犯人とされた人物の多くがおこなっている無実の主張を受け入れることはあまりなく、犯人への処罰に暗黙の同意を与えています。つまりテクストによって示されたものを、事実として承認しているわけです。そのようなかたちで、テクストがいつのまにか確たるものとして「事実として共同化」されているわけです。
 もちろんこうした「共同化された事実」は、「過去の事実そのもの」と完全に一致したものではありません。社会が求める価値としての「客観性」にもとづくものであっても、映像としてありのままに再現できるような厳密な客観的な事実では本当はありません。「歴史」もまたそのようなものとして共同化されているものです。
# by pastandhistories | 2010-09-22 10:36 | Trackback | Comments(0)

2時間ドラマの文法

 2時間ドラマには事実認識についての文法があります。様々な職業の推理者(たち)が犯人を探り出すということをプロットの基本として、ストーリーは、証拠の発見-推測-犯人の(現場もしくは断崖での)告白、というように展開していきます。そうしたストーリーの流れで「事実の確定」に関してもっとも重要なことは、犯人の告白が「映像によって再現され」、そのことをとおして犯人はもちろんのこと推理者や関係者、さらには視聴者によって「過去の事実」が認識されることです。
 しかし、よく考えてみればわかりますが、こうした枠組みが実際の過去認識において用いられることは基本的にはありません。なぜなら「犯人の告白」は、文字通り「告白」、つまり語られたものであるにせよ、記されたものであるにせよ、テクスト化されたものでしかなく、けっしてドラマのように「過去の現場」を完全なリアリティとして再現するものではないからです。したがって、実際には、話されたこと、記されたこととしてしか(一部にはもちろん映像的な記録が証拠として残されている場合もありますが)過去は、現在的には存在していないわけですから、2時間ドラマが現実に忠実な構造をとろうとするならば、エピローグもまたせいぜいが推理者の推理と犯人の告白のみにとどめるべきであって、「事件の映像による再現」を加えるのはおかしいということになります。そのそれぞれの告白(テクスト)を異なるものとして具象的に(想像的な映像として)示した『羅生門』の方が、第三者がそうした差異のあるテクストをもとにそれぞれ異なった過去を想像しているという「現実」の過去認識のあり方をより正確なものとして示している点で、よりリアリズムの方法に立っているということです。
 しかし、こうした問題について言えることは、「リアリズム」にもとづいて2時間ドラマからその重要な要素である「犯人」の「告白」にともなう「過去の事実の忠実な再現」という場面を削除したら、おそらくそのドラマは視聴者の支持を得ることができないだろうということです。多くの視聴者もまた「テクスト」は「事実」との相互関係において初めて成立するものであり、「テクスト」だけでは事実性を示すものではないと考えているからです。もちろん脱構築論的な議論もそうした立場に立っているわけですが、脱構築論的な議論がさらに問題としたことは、2時間ドラマにある文法がそうであるように、あるいは実証にもとづく忠実な過去の再現という議論もまたそうであるように、「テクスト」にもとづく想像でしかないものが、なぜ実際にはありえない「過去の事実の忠実な再現(representation)」を伴い、しばしば受け手に対する強制力をもつものとして立ち現れているのかという問題です。そのことはもちろん「過去の事実の存在」や「想像力」そのものを否定しているというわけではありません。
# by pastandhistories | 2010-09-21 09:16 | Trackback | Comments(0)

記号の事実化

 前の文章で書いたことを、日常的な例をとって説明します。ネットがもたらした変化の一つに、記号の集積体である情報が多元化し、とりわけマスメディアの情報管理の中ではタブーとされていたことや、隠されていたことへのアプローチが可能となったということがあります。その一つに死刑確定囚についての情報を伝えるサイトがあります。このサイトには興味深い情報がいくつかありますが、中でも興味深いことは、確定囚のなかで冤罪や誤審を主張している人が少なくはないということです。
 ある殺人事件が起きたということは、被害者の死体が他殺を根拠づけるかたちで確認されたという点で事実であったとしても、事件に関する当事者というのは、被害者と残された「ジャスト・ワン・ウィットネス」である加害者しかいません。事件を取り調べた警察官も、それを報道した記者も、そうしたメディアから得た私たちも、判決した裁判官も、事実を残された「ジャスト・ワン・ウィットネス」以上に正確に知っているわけではありません。「記号の集積体」をとおして事実を推測しているのに過ぎません。
 しかし、日常的な経験として本当に驚くのは、たとえば犯罪事件のような場合、本当に多くの人が特定の記号の集積を、客観的な「事実」であるとさほどの疑いもなく認識していることです。職業柄老若を問わず歴史研究者と日常的な話題について会話をすることが少なくないわけですが、こうした会話の折に、いわゆるロス疑惑事件裁判や元同業者の二度にわたる痴漢冤罪事件についての疑問や批判的な考えを述べれば、返ってくるのは「厳密な実証主義者」(?)からの軽蔑の眼差しです。もちろん多くの人は、確定した裁判に対する「ジャスト・ワン・ウィットネス」から申し立てについても、その信謬性を根拠にほとんど関心を示すことはありません。メディアが冤罪を主張しない限りは、多くの人は証言を事実とは考えません。
 こうしたことが示していることは、ある社会や集団は、自らが経験したわけではない「記号の集積」のあるものを、特定の目的のために「事実」としていて、それを社会や集団に所属する人々が、さほどの疑いを持たずに受容しているということです。犯罪を含めて日日私たちに送られてくる記号の集積に対して不可知論の立場をとっても論理的にはよいわけですが、そうした立場をすべての人がとれば、社会が安定した維持が困難になる、そうした合意のもとで、本来は論理的には不可知的なものが、事実として構築され、多くの人がそれに合意しているということです。
 本来はこのような事実の構築性を批判する言葉であった「構築主義」という言葉が、保守的な体制擁護論者によってむしろ「歴史の作為的な構築性」を擁護するものとしてトリッキーなかたちで利用された根拠は、こうしたことにあるわけです。
# by pastandhistories | 2010-09-20 11:41 | Trackback | Comments(0)

その当時の真実

 「その当時の真実」という言葉があります。英語ではtruth at that timeとなると思いますが、文章としては、「その当時にはそれが事実や真実だと考えられていたが、現在ではこうしたことが事実や真実であったと考えられている」というように、現在的な判断の正しさを示すものとして用いられます。あるいは「それぞれの時代には時代毎の真実がある」というような意味でも用いられたりします。
 しかし、この言葉には厳密にはおかしなところがあります。「時代」というのは、時間的な位置を示すものであって、空間的な位置が示されていないからです。またもし「当時の日本では」というような空間的な位置が位置が示されたとしても、そうした空間的な位置にいた人々は様々で、共通の画一的な認識をもっていたと考えることには論理的にはかなり無理があるからです。
 こうした議論はたとえば、「ホロコースト」や「南京虐殺事件」などを例にとっておこなわれます。「ホロコーストは当時の人々には知られていなかったが、現在では多くの人に知られている事実である」「南京虐殺事件の存在は当時は知られておらず、戦後の戦争犯罪裁判によって多くの人に知られるようになり、現在では学問的に定説化している」というようにです。
 しかしこうした議論も厳密にはおかしく、厳密に言えば、「事件に被害者として、加害者として直接関与した人々はこうした事実の存在を当然のことながら認識していたが、戦争期の情報統制の中での一面的な情報しか与えられていなかった当時のドイツ国民や日本国民の多くは、そうした事実の存在を知らなかった」が、「現在では多くの史料や証言を元に、そうした事実の存在が明らかになり、多くの人がそのことを認識するようになった」ということがより正確な記述となるかもしれません。
 しかし、こうした「事実」と「認識」の関係は、それが時間的に「過去」であったということにおいてのみ問題となるわけではなく、「現在」の事件においても同じ関係が成り立っています。そもそも「南京虐殺事件」とそれを知らなかった当時の日本人は、「当時」においては同じ「現在」という「共時的」な時間に位置していました。それはアフガン戦争や、さらにはより日常的な例を挙げれば日日報道される犯罪事件という「現在」の事件が、今生きている人にとって「共時的」なものであるのと同じことです。
 もちろんこれらの事件を私たちの多くは直接経験しているわけではありません。そうした事件についての認識は、メディアによって伝えられる「記号の集積体」をとおして作り出されたものです。それは南京虐殺事件やホロコーストに対する、そうした記号の集積体をもとにした当時の人々の認識と構造的には同じものであって、別に客観的な事実認識であると断定できるものではありません。今後「記号の集積」が付加されることによって、後代の人々が「現在」とは異なる認識を持つことは、南京虐殺事件についてもそうであったように、十分に予想されることです。
 今日こうしたことを書いたのは、もちろん「その当時の真実」が誤っていて、「後代の歴史的認識」のほうが正しいということを述べるためではありません。そうではなく、「事実の記号性」という問題と、そうした記号的なものが社会の中でどのような役割を果たしているのかということを考えていくためです。それはどういう問題であるのかということは、次に書きます。
# by pastandhistories | 2010-09-20 10:45 | Trackback | Comments(0)

「民衆」の「怒り」

 「雲霞のような民衆の嵐のような怒りが王宮を包んだ」という文章は、歴史記述の形式としては不正確であるとしばしば批判されます。その根拠は、まず「雲霞」とか「嵐」は比喩的な表現であって、具体性がないということです。つまり「雲霞」ではなく、史料に基づいて2万人(実はこれも結構比喩的な表現で、本当は推計約20583人ほどのと厳密には書くべきでしょうが)と具体的に書くべきであり、「嵐」は不要な修辞であるということです。さらに言えは、この文章の中では具体的なものは「王宮」だけで、「民衆」も「怒り」も厳密な具体性を持つものではありません。それ以上に全体がそうした比喩的表現を媒体としてレトリカルなかたちをとっていることが批判の根拠とされます。
 エイゼンシュタインの『十月』という作品は、当時の参加者を出演させ、一部実写を交えたモンタージュ的な手法で十年ほど前の直近の実際に起きた事件をrepresentした作品ですが、この作品には、『戦艦ポチョムキン』と同様に、蜂起にいたる「民衆」の「怒り」が「当時の事実」として巧みに比喩的に表現されています。宣伝的な要素があるといえばそれまでですが、こうした「事実」をこのように比喩的なものへとアレンジしていくという手法は、映像的表現のなかでは、ジャンルに関わりなく劇映画、ドキュメンタリー、ニュースのすべてに共通する基本的な枠組であって、エイゼンシュタインの作品にもそうした要素が取り入れられているということでしょう。エイゼンシュタインの作品を見てそのことに気づくのは、「蜂起」とか「革命」というナラティヴのなかに、そうした事実の比喩化がわかりやすく組み込まれているからです。
 それでは「民衆」の「怒り」というような比喩的な形象を過去認識や歴史記述の要素とすべきではないのかというと、その答えは「ノー」であると結論だけを今日は書いておきます。実はその理由も含めて書こうと思い、1持間ほど考えましたがうまくまとめられませんでした。宿題にしておこうと思います。
# by pastandhistories | 2010-09-19 12:44 | Trackback | Comments(0)

パブリック・スペースの歴史

 いつも不思議に思うのは、近代国民国家(明治維新)の成立にともなってドイツ的な歴史学の影響を受けるかたちで近代歴史学が成立したという議論です。このこと自体が不思議な議論だというわけではなく、この部分だけを強調すると、歴史教育が近代国民国家の形成にともなって一般化したこと、また同時に近代国民国家とともに形成された情報や知識の伝達システムの中で、歴史がパプリック・スペースで一般化したという問題が見落とされてしまうのではということです。
 もちろん近代以前にパブリック・スペースの中で歴史がどのようなものであったのかという問題は、そもそもその時代のパブリック・スペ-スとはどのようなもので、過去認識がどのようなものであったのかという問題とともに問われていかなければならない問題ですが、近代国民国家が成立していく中でパブリック・スペースにある歴史が状況に対応する形で変化したということは事実でしょう。
 ホワイトの議論を読んでもわかりますが、E・H・カーの論争の相手であったエルトンやオークショットの議論を読むと、彼らがおこなった近代歴史学がその基点とした実証性や学問性を根拠とした教訓的な実用的な歴史への批判は、伝統的な歴史への批判であると同時に、論争当時に大衆的には広がりを見せていたパブリック・スペースにある歴史の批判を含意していたことが読み取れます。実際にはともに近代国民国家の形成とともに発展したものであったわけですが、学問的な立場からはパブリック・スペースの歴史が批判と対象となったわけです。
 1960年代頃からの社会史、さらには文化史への流れには、そうしたものへの批判という面がありました。増田四郎さんや阿部謹也さんが「普通の人の常識にある歴史」とか「世間」(英語ではpublicと訳せます)という言葉をもちいたことにも、そのことは示されています。こうしたなかで生じたのは、研究のミクロ化です。このことは既に何度か書いたかもしれませんが、研究のミクロ化という場合に大事なことは、研究対象のミクロ化と、それからこのことはしばしば見落とされていますが、研究主体のミクロ化という二つの面があることです。
 研究対象のミクロ化という議論はここで説明する必要はないと思いますが、研究主体のミクロ化というのは、リン・ハントなどが指摘していますが、たとえば、エスニシティ、ジェンダー、あるいはアンダードッグなどのこれまでの統合的な価値とは異なる立場に立つ人々が歴史研究に参加していく、また伝統的な研究集団に属していた人々がそうしたものから離れて個人的な視点から歴史を考えていくという流れが生じたことによって形成されたものです。研究が方法論を含めて統合的な価値を共有する集団によってではなく、そうした集団の外部の、あるいは集団からは離れた個人によるものとなったということです。研究対象がミクロ化し、用いられる史料もまた多様な拡散したものとなったのは、こうした研究主体のミクロ化(拡散化・個人化)と関係したものです。
 パブリックという言葉はしばしば集団的な画一性というニュアンスを内包するものとして捉えられがちですが、実際にはパブリック・スペースというのは、その時代の権力的な文化的価値が全面的に包摂し得ないものであるという点で、しばしば一元的なハイアラーキーにもとづきがちなアカデミック・スペースよりはるかに多元的なものです。そうした場にある歴史はその意味で、エルトンやオークショットが論じたほどにはネガティヴなものではありません。
# by pastandhistories | 2010-09-18 11:27 | Trackback | Comments(0)

スポーツと映画

 バルトはプロレスをその様式を踏まえてその神話的な様式性を記号論的に説明しましたが、いわゆる真剣勝負のスポーツのLive中継を見ていていつも思うことは、ルールがあり、その結果はある程度予測されるものであるとはいっても、基本的には不定形の未来が魅力となっているスポーツ中継が、それと同時に、起きた結果に対する事後的な説明や解釈としても、見られているということです。翌日のスポーツ新聞の記事は後者的なものを一定の時間を経た後に記録しなおしたものであって、過去にあった未定の未来への興奮という内在的な感覚を示すものでありません。つまり事後的に記されたものは、解釈や説明を伴っているがゆえに、その当時の感覚をそのまま伝えるものではないということです。過去についての言述である歴史には、過去とは異なるそうした要素があります。
 これに対して映画は、きわめて様式化されたものであり、そのストーリーにはジャンルによって通有の文法がありますが、スポーツを見るときとの大きな違いは、繰り返し何度見ても、面白いことも少なくないということです。プロレスもそうした要素があるわけですが、用いられる記号についての了解が送り手と受け手の間に存在しているからです。これに対して結果が未定であった真剣勝負のスポーツの試合は、事後的に見てもそれほどの面白さはありません。
 こうした問題からわかることは、実は面白いものとしては受け入れられている歴史は、過去の事実ではなくむしろ記号的な要素にもとづいて構築されたものであるということ、あるいはすでに起きたこのについての言述は、実際の過去にあったものとしてではなく、事後的な説明や解釈として機能しているということです。ある意味では当たり前の話なのですが。
# by pastandhistories | 2010-09-17 09:47 | Trackback | Comments(0)

記号への還元

 今日は信じられないことが起きてしまいました。あるテーマについて書いていたのですが、その内容通りのことが起きて、書き上げた原稿がすべて消えてしまったからです。ということで、今日は一日別の原稿書き、今その原稿書きが終わったので、内容を思いだしながら、書き直してみます。
 書いていたことの書き出しは、音も光も波に還元できるという問題です。音が波に還元でき、伝達されるには時間がかかるということは、雷やコダマという日常的な経験でも理解できることですが、光が波として伝わるという問題は、虹がそうした現象の一例であると言われても理解しづらいことです。しかし、あらゆるものが究極的には単純で均質的なものに還元できるという問題は、実は現在では多くの人が実際的なものとして認識しています。
 その問題を日常的な知識としたものはパソコンです。文字も、音声も、映像も究極的にはビットという極小の単位を集合したものに還元できるということは、パソコンを通じて多くの人に常識化するようになりました。それが現在に関するものであれ、過去に関するものであれ、その形態が文字であれ、音声であれ、映像であれ、すべての情報は究極的には単純な記号の集合体に過ぎないということです。認識もまたそうした記号の集積体である情報への知覚によって構成されているということです。
 このことは、記号の集合体を操作することによって人々の認識を操作できるということを意味します。このように現在の事件についてのニュースも、過去の出来事についての歴史も、結局はそうしたものであるとするなら、それを操作することによって、人々の認識を操作することができるということは、オーウェルの『1984年』のテーマでした。個人の経験的認識がそうしたものに対抗しえるものではないというのがオーウェルの絶望的な問いでもあったわけですが、経験的な知識として存在しているものではない歴史は(実はニュースで伝えられ、「事実」として受け入れている無数の情報も本当はけっして経験的なものではありません)、そうした記号の集積体であるということです。
 こうした議論は今日書いたようなことを考えれば、それほど無理な議論ではありません。問題は、記号の集積体としてのテキストは(歴史もその一つですが)、人々の認識に様々な肯定的なものをもたらしていますが、同時に批判的に考えていかなければならない要素もまた含んでいるということです。
# by pastandhistories | 2010-09-16 17:46 | Trackback | Comments(0)

近代科学と歴史

 以前竹内啓さんの考えを借りて少し書いたことがありますが、近代科学と歴史研究の関係の中で誤解されていることは、実証主義とか経験主義という言葉です。近代科学の柱をなす理科系の学問の多くが、「研究室」とか「実験室」で、日常的な認識に用いられる道具とは「異なる」ものを利用して行われていることに示されているように、近代科学の研究方法の中心となっている一つのことは、日常的な経験則ではなく、むしろ実験室的な条件の中で観察されるデータに基づき、普遍化・法則化しうるものを帰納的に抽出し、そうして得られたものを「非経験的な世界に一般化していく」ということです。つまり「経験」という言葉からイメージされるものとは、むしろ対極的なものです。顕微鏡や望遠鏡によって観察される世界というのは、通常の日常的な経験世界にあるものとは異なるものですし、さらに最近ではコンピューターをとおして様々なかたちで作り出されているフォーミュラ、モデル、パターンといったものは、対象に対する理解を容易にするものであっても、それ自体が経験できる世界ではありません。ブラックホールはもちろんのこと、そうした近代科学によって生み出された無限大の空間や時間、あるいは逆に極小の世界は、人間が個人として経験しうるものでは絶対になく、近代科学の確立によって、個々の人々の「認識」のなかに組み込まれるようになった、想像的なものです。
 近代歴史学の確立というとすぐに「ランケに始まる過去の事実をありのままのものとして記すという実証主義・・・」という議論になりますが、この議論は近代科学と近代歴史学の関係を見落としたものです。というのは、そうしたランケ的な議論はそれこそランケに始まるもののではなく、過去研究や叙述の基本として多くの社会でそれ以前からも存在していたものだからです。むしろ近代歴史学の重要さは、伝統的な歴史のあり方に対して近代科学の影響によって生み出された考え、つまり実証的なものによって生み出されたものを「普遍化・一般化」し、そうして得られたものを「非経験的な世界へと一般化していった」という側面にあります。個人としては経験したことのない過去から、個人としては経験することがないであろう未来への法則を抽出した「発展段階論」的な議論はその代表的なものです。こうした議論が17世紀以降に具体的なものとして広がったのは、この時期に発展し始めた近代科学と歴史が結びついたことを示すものです。歴史を人間が生み出す知と考えたヴィーコに、発展段階論的なアイディアがあるのもそのためでしょう。
 しかし、ヴィーコと限らずその後の発展段階論的な議論や、さらには歴史=科学論のなかに(もちろんマルクスはそうした議論を行った代表的な人物となります)、ヨーロッパの場合はそれは当然キリスト教なものということになりますが、伝統的な宗教的な要素が内在していることも事実です。もちろんその理由は、当時の言説空間が、伝統的な要素とそれに代わろうとする新しい要素、あえて単純化すれば宗教的な要素と科学的な要素を混在させたものであったからです。しかし重要なことは、そうしたspeculativeな歴史とpositivistな歴史が、近代科学にもとづく言説が支配的なものとなった近代以降の社会のなかでは重要な地位を占めるようになったということです。現在の歴史学にもなお影響を与えているのは、そうした枠組みです。
# by pastandhistories | 2010-09-15 11:32 | Trackback(1) | Comments(0)

魔女の実在

 魔女裁判は歴史に関心をもつ学生が比較的好むテーマですが、魔女が実在しているかというと、その答えは現在では常識的には「ノー」ということになります。これに対して「中世には魔女は実在していたか」という問いに対する答えは、「実在していた」ということになるかもしれません。裁判でその実在が認定されたということはもとより、無数の目撃証言のみならず、本人自身の自認などの数多くの証言が数世紀にわたって残されているからです。つまり「史料的」には「中世に魔女が存在していた」ということはかなり確実な事実です。しかし、そうした論文を学生や研究者が書いたら、その論文は事実を示すものではない、という批判を受けるでしょう。というのは、「実在してはいなかったが、多くの史料に見られるように、その存在は構築されたものとして広く当時の社会に受け入れられていた」というのが、現在ではより正確な判断であると考えられているからです。もちろんこうした判断が行われる理由は、史料的に魔女の実在を否定できるからではなく、現在常識的にもたれている知識を基準とするなら、魔女の実在や魔女が行ったとされる魔術についての当時の証言が、特定の時代や空間において集団的に生み出された錯覚や虚偽に基づくものであったと推定できるからです。
 そうした言説空間において異端とされた魔女の対極にあったものは、というより異端として魔女を構築したのは、正統としての「神の実在」です。もちろん神の実在も、本人の自認や無数の目撃証言を含む膨大な史料によって示されています。しかし、そうした膨大な史料は、神の実在を論証しうるものではありません。逆説的にいえば言えば、膨大な史料が存在するがゆえにこそ、その実在はきわめて疑わしいものであるという議論が成り立ちます。近代以前にはそれが自明のものとして受け入れたれていたとしても、現在常識的にもたれている知識からすれば、そうした史料もまた特定の時代や空間において集団的に生み出された錯覚や虚偽に基づくものであったと推定できるからです。その意味ではそれはオバケと同じです。近代以前にはオバケを目撃したという証言、その実在への感覚はきわめて豊富に存在していたわけですが、それは近代以前にはオバケが実在し、近代以降に入って絶滅したということを意味しているわけではありません。逆にUFOは、第二次大戦後にその実在が論じられるようになったものですが、もちろんこのことは宇宙人が第二次大戦後に突然地球に出没するようになったということを意味しているわけではありません。それぞれの時代にある認知の枠組みによってオバケもUFOも構築されたものであるということです。
 このように書くと、「魔女」「神」「オバケ」「UFO」というレベルの異なるものを一緒くたにして論ずるのは、論理的に誤りであるという批判を受けそうです。しかし、これらを一緒にして書いたことには大きな理由があります。というのは、上記の反論に示されるように、論理的には同じでも、議論の対象となるもののレベルを差異づけることによって、異なる結論を導き出すということが、実際の社会では行われるからです。つまり「オバケの非実在は確かだが、議論のレベルの違う神の非実在は論証できない」というような議論です。社会の中に存在する権威によって差異付けられたハイアラーキーが、論理や認知のありかたを支えているということが、こうした議論には示されています。
 少し挑戦的に書いてみましたが、今日書いたことは、以上のように「実在」とか「事実」というものは、史料や証言の有無のみによってではなく、論理や認知の審級化によって構築されているということです。それぞれの時代の言説空間にあるハイアラーキーにもとづいて、そうしたものは構築されています。
# by pastandhistories | 2010-09-14 10:26 | Trackback | Comments(0)

事実と主観

 「なんといってもそこで感じることが、自分の経験した「過去」と、「歴史」として書かれたものにある大きな乖離です。「歴史叙述」は対象化・客観化によって成り立つものであり、「過去の実在」とは異なるものであるといえばその通りなのかもしれませんが、自分の経験と歴史として叙述されたもののどちらが事実であるかといえば、やはり自分の経験したことのほうであるというのが、当事者の実感ですから、それとは異なるものとして歴史が書かれているということをとおして、歴史はけっして事実を忠実に再構成するものではないという、歴史に対する批判的な感覚を持つことができます。つまり歴史研究者としては自らの行為を自省する根拠ともなります。
 このこととも重なることですが、もう一つ感じることは、なんといっても当時の見聞や実感はもちろん、史料についても通暁しているのは、歴史研究者ではなく当事者であった自分のほうだということです。当然のことながら、そうした「史料」を根拠に「歴史研究者」の誤りを簡単に発見することができます。このことは、「史料」による過去の再構成という議論に歴史学がその根拠を置いていることの危うさを示唆しています。それはどういうことなのか、ということを考えるという意味でも、「歴史化された自己」という問題は示唆するものがあります。」
 少し長くなりますが、一週間ほど前(9月7日)に書いた「自己の歴史化」という文章をもう一度引用しました。あえて再引用したのは、「歴史研究の側により正確な事実認識がある」と考えている多くの歴史研究者にとっては、こうした文章のような考え方はかなりの違和感を感じさせるものだからです。しかし、こうした考え方は、それほどおかしなものではありません。たとえばある人物に関して、本人つまり「自伝執筆者」とその「伝記的研究」を行った「歴史研究者」に対して、「特定のある日についてのことが書かれていないけど、その日はどのような行動をとっていたのか」とたずねた場合、「自伝執筆者」は記憶が残されていればその問いに対して(その日の事実について)答えることができますが、「歴史研究者」は史料がなければ推測以上のものを答えることは絶対にできません。つまり現代史的な事件についていえば、「事実」は当事者の中に主観的な記憶として潜在しているのであって、「事実認識」についての優越性は主観のほうにあるということです。したがって事後的なものとして記された歴史の優位性というのは、「事実認識」の中にあるわけではなく、事実を寄せ集めて合成し、プロット化し、その過程をへて実際の事件が生じた時代とは異なるコンテクストのなかで、それを対象化し、客観化しているということ、別の言い方をすればそれを説明し、解釈しているという点にあるということになります。
 そのこと自体は別におかしなことではありませんが、問題はそうした作業にある「主観的」な事実との乖離です。ジョージ・オーウェルが『カタロニア讃歌』の中で書いたように、自分が「目撃」していることは、ロンドンで「記されている」こととはあまりにも違うという問題です。そのことが彼に「歴史」を整序化したものとして語ろうとする権力への批判として『動物農場』や『1984年』を書かせることになりました。歴史研究者が考えていかなければならないことは、そうした問題です。
# by pastandhistories | 2010-09-13 11:01 | Trackback | Comments(0)

ネットの辞書的機能

 自分は辞書や事典をあまり信用しないところがあります。少し無責任な話ですが、自分が項目執筆をした経験からもそう感じることがあるのですが、院生時代に英文科の友人が図書館で某有名辞書作成の下作業をしていたのを見てそう感じたことがあります。英和辞典を作る(これは当時日本で最も権威のあるものとされていたものですが)にあたって権威ある英文学者の下請けとして友人がしていたことは、OEDをそのまま日本語に訳すことであったからです。英英辞典と英和辞典では目的も機能も異なるわけですから、いくら権威があるといっても英英辞典をそのまま訳しても、使いやすい英和辞典にはならないでしょう。広辞苑を英訳しても、使いやすい和英辞典とはならないのと同じ理屈です。
 ネットの時代に入って英辞郎などのよってこの点は随分と改善されました。アルクのページは機械的な部分もありますが、例文が豊富で単語のニュアンスをくみとるのに便利です。最近自分が英文を書く時に用いているのは、ネットを辞書代わりに用いた文章確認です。色々なやり方があるはずですが、自分はYAHOO JAPANを用いています。「検索」の「語順も一致」を用いると(より正確にはもちろんYAHOO AMERICAなどの方がベターで、この場合はadvanced research - the exact phrase というアクセスになります)自分の使用したフレーズに関し、その使用例、あるいは正誤を確認できるからです。
 たとえば国際歴史学会議での自分のペーパーを例にとると、その中で使用された'existed in a variety of forms'とか'with the development of globalization'というフレーズが、どういうかたちで用いられているのかを確認できます。人によっては煩瑣だと思う人もあるかも知れませんが、結構便利な部分があって、外国語(英語とかぎらずネットにある多くの言語についても応用できるはずです)で文章を書く必要のある研究者や学生は試してみるとよいのではと思います。
 なおこの「語順の一致」という機能は意外と便利で、学生の論文やレポートの盗作の発見にも利用できますし、ネットにある情報が何の孫引きであるかも簡単に発見できます。このことは大学の教員にとっておすすめです。
今日は休みなので、読んでくれている人の参考になればということで、理論的なことでなく少し実用的なことを書きました。
# by pastandhistories | 2010-09-12 11:52 | Trackback | Comments(0)

ノンフィクションと歴史

 「舗石をはぐとその下は砂浜だ」というフランス五月革命の時の落書きが自分の人生のモティーフとして連載第一回目に紹介されていたノンフィクション作家の後藤正治さんの朝日新聞のインタビュー記事(「人生の贈りもの」)は、全体をとおして久しぶりに清々しい気持ちにさせられるものでした。そうしたモティーフにしたがって、有名無名の人々の人生を「書いて」「人に伝える」ということを自らの仕事とした彼の問題意識がよく伝わるものであったからです。
 歴史「学」に関連させるならば、ノンフィクションは文字通り「事実性」をその根拠としているということで、実証主義的な歴史学の主張しているところと重なります。また「無名」の個人をトリヴィアルな点に至るまで描くという手法が用いられた場合には、ミクロヒストリーとも重なり合います。
 それでは違いは何かというならば、もちろん「過去」「現在」という対象の違いが基本となりますが、もうひとつの違いは、歴史「学」(「広い意味での歴史」ではなく)が学問的世界という場において成立しているのに対し、ノンフィクションはpublic spaceにおける消費的な商品(consuming commodities)として存在しているということです。したがってノンフィクションは有名・無名の個人、あるいは事件を対象としてよいわけですが、あくまでもパブリック・スペースにおいて商業的に成りたつかが、それが書かれ、出版される根拠となります。「有名」な事件の再評価や、ある事柄を象徴する「無名の個人・事件」の掘り起しがテーマとされるのはそのためです。実はこのことは、前述の「広い意味での歴史」、つまりpublic spaceにある歴史と重なり合っています。その多くがnarrativeの形式をとっているということを含めて、public spaceにあるノンフィクションと歴史は、多くの点で共通性を持ちます。皮肉なことに、そうした場においては、歴史とノンフィクションの関係は、歴史のほうが、歴史「学」も含めて、想像性を交えたフィクショナルなものであるのに対して、ノンフィクションのほうが、検証可能な現存するものにもその根拠を置いているという点で、はるかに事実性の高いものであるということになります。こうした事実性の差異は、歴史を対象とした場合は一般的には困難な、オーラルな、あるいは最近ではヴィジュアルなメソドが、ノンフィクションでははるかに容易に使用することができるという点からも、増幅されています。
 事実性という問題に関しては以上のように言えるわけですが、問題はノンフィクションがこうしたかたちである特定の言説空間において成立するものであっても、その意味では個人や事件をシンボライズしていくものであっても、それ自体としては事件の継起の因果性を示すものではないということです。つまりnarrativeのなかに因果性を含意する歴史とはその点でも異なる面があるということです。ノンフィクションがしばしばミクロ的な手法をとるのは、歴史とのそうした違いに基づくものです。
 このように考えるとミクロヒストリーをどう考えるのかという問題も理解できる部分があります。ヘイドン・ホワイトが国際歴史学会議でミクロヒストリーをpracticalなものではないとして強くした批判したという話を紹介しましたが、おそらく彼は、歴史研究者が「実証的」な「事実性」を媒体として研究をミクロ化し、そのことをとおして自己を他の研究者や一般の人々から差別化し、権威化していくこと、そうした過程の中で歴史研究が自己目的化されていくということを批判したのだと思います。ホワイトのpracticalという主張は、もちろん操作的な、あるいは社会工学的なものにではなく、ethicな、astheticなものに基礎を置くものです。人間が個人として誰でも持つことのできるような、そうしたものにもとづいて過去は認識されなければならないという主張です。ミクロヒストリーが良質なノンフィクションと同じに、そうしたモティーフを根拠としていることを否定すべきではありませんが、そのことだけが学問的なものとして自己目的化されてはならないということが、大事だということです。
# by pastandhistories | 2010-09-11 10:48 | Trackback | Comments(0)

グレグ・デニング

 昨日も書きましたが、読みたいと思ってもなかなか読めない本の山。その中にグレグ・デニング(Greg Dening)の一連の著作があります。メルボルン大学の教師で、ディペシュ・チャクラバルティとともに保苅実さんの論文審査をした人です。
 といっても日本ではまったく無名で、YAHOOで検索をかけてもヒットするのは10記事にも達せず、保苅さん関連の文章が中心。わずかに藤川隆男さんが授業で講読しているということが紹介されているだけです。ということで、自分のプロジェクトで日本に来てもらうことも考えたのですが、残念ながら2008年になくなりました。しかし以前ではメルボルン大学のホームページで彼を追悼して行われた集会でのスピーチ(History and the Creative Imagination)を聞くことができました。
 デニングのことを知ったのは間接的で、最初はポストモダニズム的な歴史理論を徹底的に批判した、Keith Windshuttle のThe Killing of History (1995)によってです。エヴァンズが訳されてもさすがにこの本は日本では訳されないでしょう。歴史修正主義とも通じる保守的な立場からポストモダニズム的な歴史理論を批判した著作で、この本は批判の対象としている議論をそれなりに読んでいるという点ではエヴァンズの著作と共通するものもありますが、その批判はかなり一面的なもので、とりわけ同じオーストラリアの研究者ということで、デニングの議論には強い批判が浴びせられています。
 こうした批判の対象となっていることからもわかるように、デニングはポストモダニズム的な歴史理論の流れの中では一定の役割を果たしている人物で、ポストモダ二ズム的な歴史理論のいくつかのアンソロジーのなかでその議論が紹介されていています。発表された時期からいって生前の最後の時期の文章となるものと考えてよいものが、Manifestos for History(ed. by K.Jenkins, S.Morgan & A.Munslow, 2007)にPerforming cross-culturalyというタイトルで掲載されています。自己の研究歴をふまえて歴史の中における声なき他者を歴史の中で語っていくことの意味を、historyingという言葉を用いながら説明したものです。この文章を通してもポストモダニズム的な歴史論の一つの意味が、自らに対して異他的なものを意味づけていくということにあることが理解できます。こうした議論が日本ではほとんど議論の対象となっていないことは本当に残念です。
# by pastandhistories | 2010-09-09 10:28 | Trackback | Comments(0)

歴史の抑圧性

 少し落ち着いたので、今日は机の周りの整理。書きかけた原稿と読みかけた本が続々。とくに本はこの間仕入れた横文字が随分とあって、これを読まなければならないのかと思うと憂鬱です。個別的な研究テーマだと、実際にそうした本や史料を読むのは自分だけというところがあって、またそれを機械的に読んでいきさえすればなんとなく論文もできてしまうというところもあって楽なのですが、歴史理論となると、やはり共通性が高いわけで、そうはいきません。にもかかわらず、自分がこの間仕入れた本を一緒に読む人は日本では少ないだろうという孤立感もあって、仕事が進まない部分があります。でもこのブログを書き始めて自分の考えに関心をもってくれている人が少しはあるということもわかりましたので、これも机の周りを整理してきたら出てきたかなりの量のメモをたよりに、その内容を思い出しながらこのブログはできるところまで書き続けてみます。
 その前にこれまで書いたこと重なる部分がありますが、自分の基本的な問題意識を書いてみようと思います。自分が歴史研究という場にいて、一番感じることは、研究者としての特権性や自立性ということです。別の言葉を用いれば、personalizeされているということです。好きなことを勉強して、それを個人名で発表すればよいというのが現在の自分の立場ですし、それは多くの歴史研究者の立場でもあるわけです。
 しかし、このこととは裏腹に、そうした個人性は間違いなく、より大きな共同性に包摂されています。自分も含めてほとんどの「日本」の歴史研究者が個人として書いてきたものは、「近代」というメタナラティヴや近代国家としての日本の中において作り出されてきたナショナルナラティヴに包摂されたものです。「世界史」意識や、「日本史」意識はそうした枠組みの中で作り出されているものです。もちろんこうした「世界」も「日本」も近代以降、その多くが近代国民国家によってイデオロギー支配や教育によって構築されたものであって、「過去の事実」「過去の実在」とは大きく異なります。ここで重要なことは、personalizeされているはずの歴史研究者がこれまで行ってきたことが、個々の事実を実証的に解明するということを名目として、実際にはこうした「共同性」や「集団性」へと人々を誘導していくものであったということです。個別研究が「通史」とか「教科書」というナショナルナラティヴと同時的なものとして存在していて、そのことへの疑問がほとんど意識されなかったのも、このためでしょう。
 こういう議論をすると、そのどこがおかしいの、という反論を受けそうですが、こうしたことにあった問題は、「個別性」と「共同性」が一体化してしまうことにより、差異性や個別的なもののアイデンティフィケーションを取り入れられない枠組みを歴史認識のなかで作り出してきたことです。歴史研究者を含めて個々の人々にとって大切な過去認識は、それぞれの直接の父母、祖父母、そしてその直接の祖先のことをまず認識することであって、そのことのほうが「専門的な歴史研究者」が作り出した「通史」を認識することよりも、個々の人間の過去認識としては大切なことだ、そうした過去認識を助けることが歴史研究者の仕事であって、彼らに「通史」を押し付けることがその仕事ではない、という主張をすることは、「歴史学界」の中ではかなり勇気がいります。しかし、そうした事実の中に、近代と近代国家のナラティヴと一体性を持つことによって保護されてきた「共同化」された歴史にあった、差異的なもの、個別的なもののアイデンティフケーションを抑圧してきた論理を見ることができます。
# by pastandhistories | 2010-09-08 10:48 | Trackback | Comments(0)

自己の歴史化

 昨日まで書いたことはまた時間を見て書くつもりですが、今日は少し話題を変えてみます。ある一定の年齢に達した歴史研究者の間で話題になることは、学生の論文のテーマなどについて、もうそんなことが「歴史」になったのかということです。たとえば最近では60年安保闘争から70年前後の諸運動、あるいはその頃の漫画などに代表される大衆的な文化の変容を論文のテーマとする学生がいますが、そういうテーマについて、よくそのことが話題となります。
 しかしもう40~50年以前のことなわけですから、「歴史」として扱われることはおかしなことではありません。自分が卒論の対象としたのは、当時からはわずか30年前のフランス人民戦線事件でしたし、当時既に明確な歴史の対象として議論されていたロシア革命は、その当時からみればちょうど50年ほどの前の出来事でした。これらは当時の自分からは確実に「現在的」な出来事ではなく、「歴史」化されていた事件でした。
 もっとも研究者というのは、つねに「歴史」化されています。たとえば歴史研究の多くは研究「史」を前提とするわけですが、そこでは研究者の書く論文の多くは「史」的な流れの中に位置させられるわけです。他の研究者が書く研究史のなかに自分がある位置づけで登場していても、それをさほど不思議には思いません。そのことは常識的なことであって、そのことだけでは自分があまり「歴史」の対象として取り上げられたという印象をもつことはないからです。
 しかし、自分が関わったことをとおして自分が、あるいは自分の書いた文章が史料として用いられ、それをもとにした過去についての叙述を読んだ時にはある種の違和感を感じることがあります。このことを自分は最近経験したのですが、実はこうした印象は、現代史に取り上げられた存命中の人々が感じる共通した感覚なのだと思います。
 なんといってもそこで感じることが、自分の経験した「過去」と、「歴史」として書かれたものにある大きな乖離です。「歴史叙述」は対象化・客観化によって成り立つものであり、「過去の実在」とは異なるものであるといえばその通りなのかもしれませんが、自分の経験と歴史として叙述されたもののどちらが事実であるかといえば、やはり自分の経験したことのほうであるというのが、当事者の実感ですから、それとは異なるものとして歴史が書かれているということをとおして、歴史はけっして事実を忠実に再構成するものではないという、歴史に対する批判的な感覚を持つことができます。つまり歴史研究者としては自らの行為を自省する根拠ともなります。
 このこととも重なることですが、もう一つ感じることは、なんといっても当時の見聞や実感はもちろん、史料についても通暁しているのは、歴史研究者ではなく当事者であった自分のほうだということです。当然のことながら、そうした「史料」を根拠に「歴史研究者」の誤りを簡単に発見することができます。このことは、「史料」による過去の再構成という議論に歴史学がその根拠を置いていることの危うさを示唆しています。それはどういうことなのか、ということを考えるという意味でも、「歴史化された自己」という問題は示唆するものがあります。
# by pastandhistories | 2010-09-07 08:46 | Trackback | Comments(0)

モダニティ・ナショナリティ・オーディアンス

 認識対象を歴史、認識主体を歴史家と分けるとすると(本当は認識対象は過去であって、歴史はそれが表象されたものであると考えたほうがよいと思いますが、一般的に用いられてきた区分にしたがって以上のように区分すると)、歴史を認識・叙述する側のpersonalizationが一般化される一方で、認識対象の枠組みが、さらにはそうした歴史家を統合する空間が見事なまでナショナリティという共同性としてあって、そのことが「個人」の研究成果(?)が「ナショナリティ」という空間において示され、さらにはナショナルナラティヴの部分を構成するものとなっている。そしてそのことが、歴史研究者なる人々が ナショナルナラティヴとしての日本史とか、世界史という共同化された知を当然のこととして受け止め、さらにはその推進者となることに疑いを抱いていないということが昨日書いたことの意味です。
 これが近代以降の日本に固有のことなのか、それとも多くの社会や地域に共通して見られるものなのかは、事実にもとづいて検証していけばよいことですが、近代以降の日本に関して言えば、思想的には基本的な枠組みの一つとして存在していたといえます。たとえば近代小説のひとつのテーマは個人の自立・主体の確立ということにあったわけですが、そうした「自立」はきわめて逆説的に近代への「同化」を内包していました。伝統からの離脱、あるいは伝統によって「構築」されたナショナリティとの対抗を意図していたわけですが、生み出されたものはその意図と大きく背反したものであったということです。その理由は、その主張を伝える媒体として、近代国家が確立した「日本語」という文体しかもちえなかったからです。そしてそれゆえ近代国家が生み出した「日本人」というオーディアンスしかもちえなかったからです。そのために、「自立」を唱えながら、一方ではモダニティに全面的に同化し、他方ではナショナリティという共同性を土壌とするという構造が、もちろんその批判を試みた文学者も少なくはなかったわけですが、「日本」の「近代」文学には根強く存在し続けてきました。
 このことは文学にとどまらず、日本の近代思想に共通する構造でした。日本の歴史学もこうした構造の中で維持されてきたものです。そのことが、歴史研究者としての外見的な自立性と個人性を許容されているように見えながら、その主張する「科学」にある「ナショナリティ」との結合性を歴史研究者があまり自覚してこなかったことの理由です。こうした問題は西川長夫さんの一連の問題提起によって、最近では『歴史の描き方』(東大出版会)での議論、そしてより幅広いオーディアンスをもつ酒井直樹さんや、モーリス・テッサ・スズキによる議論をとおして提示されています。もちろんそうした新しいオーディアンスにもまた問題があることを批判的に意識することを忘れるべきではありません。しかし、歴史叙述がそうした広いオーディアンスを意識したものとして書かれなければないないという時代に入りつつあることも否定すべきではないというのが、自分の考えです。
# by pastandhistories | 2010-09-06 12:43 | Trackback | Comments(0)

コンテクスト性と個人性

 テーマがブログで扱うには少し重たいものになり始めているような気がしますが、せっかくここまで書いてきたので、自分の考えていることを少し書き続けてみようと思います。ただ読んでくれている人は気がついていると思いますが、ホテルとか、あまり本を置いていない自宅で書くことが多いので、あくまでもメモ的なものであるということを了解してもらえればと思います。
 昨日カーの歴史相対主義のことを書いたので今日はその続きを書きます。カーに関しては何年か前にジョナサン・ハスラムによる伝記の翻訳が出ました(『誠実という悪徳』現代思潮新社)。いくつかよい書評が書かれていて、また訳者の角田史幸さんの解説もよくできていて、早速学生に勧めたところ、この本を中心にカーについての卒論を書いた学生がいました。やはり対象が面白いということで、よい卒論でした。
 カーについて思うことは、ひとことで言えば、コンテクスト性と個人性ということがその相対主義的な議論の柱となっていることです。コンテクスト性というのは、歴史はそれが語られる空間や時代によって変化するものであるということです。カーの立場がいわゆる現在主義(presentist)的なものとなっているのは、このためです。個人性というのは、カーの文章にくどいほど歴史家(historians)という言葉が用いられていることからも理解できます。もちろんカーの場合の個人というのは、バーリンとの対立点となったことにも示されているように、社会から抽象的に独立した個人ではなく、あくまでも特定の空間や時代というコンテクストに規定される具体的な個人です。
 それ自体としては論理的には整合性のあるもので、そのことがカーが広く読まれ続けてきた大きな理由ですが、実はコンテクスト性を重視することの中には大きな問題もあります。それはコンテクストの間にはヒエラルヒーがあるからです。たとえば中世というコンテクストと近代というコンテクスト、近代というコンテクストと現代というコンテクストは、迷信を信じていた中世と、科学が発達した現代というような差別化ができるわけです。そのように個々の時代はヒエラルヒーの中に組み込めます。カーが歴史の相対性を語りながらいわゆる進歩主義的な立場、あるいは近代主義的な立場にたっているのはこのためです。当然こうしたコンテクストのヒエラルヒーは「時間」だけではなく「空間」にも存在することになります。進歩した近代社会とそれ以外の社会、という枠組みです。カーの考えはヨーロッパ中心主義的な枠を出るものではありませんでした。またその中に「理性的な知的集団」とそれ以外のものという思考が見とれるのもそのためです。いずれにせよ、カーのコンテクスト的な相対主義にはこうしたヒエラルキカルな枠組みがあったということは、現在では批判的に考えていかなければならないことです。
 もう一つの個人性という問題は、カーが歴史家という概念をどの程度限定して、あるいはその逆にどの程度広義なものとして使用していたのかという問題に関わります。「歴史とは何か」を読んでも、この点はかなり多義的なニュアンスを含んでいて厳密な読み取りは難しいところがありますが、語り手としては狭義なニュアンスをもち、聞き手に対しては広義なニュアンスが含まれていたというように解釈してよいかもしれません。しかし、昨日書いたこととの関係で言えば、個人性という問題はコンテクスト性とともに現在の歴史「学」のあり方を考えていく時に重要な問題です。なぜなら歴史研究者はしばしばこの両者を同時的に自己の中に内在させながら、使い分けているからです。
 たとえば歴史研究者は、多くは「誰が書いたかわからないものとしてではなく」、「個人」名で歴史を書き、その業績(?)を競い合っています。学問的歴史は、基本的にはpersonalizeされています。大学に入った学生に対して専門的歴史研究者であると称する大学の歴史教員が学生に伝えていることは、「歴史は今まで君たちが習ってきたようなものではなく、あるいはそう思い込んできたようなものではなく」「個人として研究し、論文を書き上げていくものである」ということです。歴史のpersonalizationの必要を学生に伝えるわけです。これは学生を戸惑わせます。なぜなら、そうした学生の知識の重要な源となっている高校までの歴史の教科書は、そうしたことを主張する歴史研究者によって書かれた commonized national narrativeとして彼らに伝えられ、それを同一的なものとして記憶することを強いられたものであるからです。そうした同一の知識を持たない学生は、歴史研究の場からどころか、国民としても基本的な社会的地位をそのことによって左右されています。
 カーの本がこれまで「日本」で読まれ続けてきたことの大きな理由は、その外見的な批判性にも関わらず、こうした強制関係やダブルスタンダードをもつ歴史や歴史研究と対立するものではなく、むしろ補完的なものであったということに大きな理由があるのだと思います。その問題を批判的に考えていくことがかなり重要なのではというのが自分の考えです。
# by pastandhistories | 2010-09-05 11:26 | Trackback | Comments(0)

「日本では」「日本での」という枕詞

 今日は大学院の9月入試。受験者は4人のようですが、このために帰国しました。10日にはロンドン大学でイギリスで日本研究をしている院生と、日本の院生でイギリス研究をしている人たちの相互的な発表会があるのですが、連絡が前後してしまい、こちらに日程が伝わるのが遅く、日程の調整がうまくいきませんでした。できれば参加したいと考え昨日旅行社に相談に行ったのですが、今からだとチケットをとれたとしても25万円以上になるだろうということで断念、若い人を中心とする会なのでできれば参加したかったのですが、残念です。
 ところでこの会もそうですが、「日本「の「イギリス史研究者」と「イギリス」の「日本研究者」というようなあり方が、学問的なもののかたちとして、問われるような時代にすでになったことは確かです。歴史が科学であるとするならば、こうした枠づけは論理的にはおかしいのですが、結論的にいえば自分としてはこの問題はそんなに簡単に解決できるものではなく、実際には「外国史研究」や「異文化研究」の蓄積によってしか解決できないものだと考えています。出発点からそのことを否定しても生み出されるものはほとんどないということです。
 しかし、同時にあまりにも豊富に蓄積された「日本」での「外国史研究」や「異文化研究」が本当に実り豊かな結果を生み出しえない構造を持っていることも否定できないところがあります。それはオーディアンスを日本とした場合には「外国では」という枕詞が、国際的な場とした場合には、「日本では」という枕詞があまりに常用されているためです。
 今度の国際歴史学会議で感じたのもそのことです。あまり論争的なかたちで議論を設定したくはないのですが、やはりこの問題は重要なことなので、あえてそのことを指摘すれば、国際的な場であるのだから、「我が国では」という立論でも構わないとすることもできますが、歴史が「科学」であるという立場に立つなら、「日本では」とか「日本での」という議論の提示は、議論としては不十分なものです。そうした議論をしている限りは歴史学はナショナルなレベルを抜け出ることができないでしょうし、また自らの議論が大きくナショナルなものに枠づけられているということを本当に自省することもできないでしょう。
 会議用のペーパーを書くさいに留意したことの一つはこのことです。自分の書いたペーパーには、「日本では」とか「日本での」という枕詞はいっさい使用しませんでした。Japanという単語は使用されていますが、それは他の国名と並列的に列挙されているだけです。E・H・カーが『歴史とは何か』の本当に最初の方の部分で、「われわれのウォータールー戦史は、フランス人やイギリス人、ドイツ人やオランダ人を同様に満足させるようなものでなければならぬもの、・・・(誰がどの部分を書いたかが)誰にも判らないものであること」というアクトンの言葉をあげていますが、自分の今度のペーパーはそれだけではどこの国の人間が書いたかわからないものとして書きました。歴史が科学であるというのなら、アクトンが主張したように、歴史は論理的にはそうしたものとして論じられなければならないからです。実は、こうした論理を逆手にとって歴史の科学性という議論(その多くが実は歴史のnationalizationによって支えられてきたものであったわけですが)を批判するのが、自分のペ-パーの意図でした。
 もちろんカーの本を読んだ多くの人が知っているように、カーはアクトンの議論を批判の対象として用いました。その根拠となったことはこれも既によく知られているように、歴史叙述・歴史認識の相対性という問題ということになりますが、その問題はまた明日書くことにします。
# by pastandhistories | 2010-09-04 11:04 | Trackback | Comments(0)

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