歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


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同一性、同時性という錯覚

 映像化された歴史ということに関して話を続けると、大河ドラマはほとんど見たことがありません。『新撰組』だけは見ましたが、それは国家の側には統合されなかった(とはいっても統一的な旧体制の擁護者であったわけで、あくまでも結果論としてそうであったというだけですが)普通の若者(というよりも実際には彼らは旧体制下でもサブエリートたちだったわけですが)が、どのように描かれるのかに興味があったからです。
 大河ドラマを見ないのは、それが基本的には、「恣意的な空間における「通時性」の提示という特色がある」からです。その意味ではパブリックな場における歴史のナショナライゼーションの一つのかたちを知るうえで、大河ドラマをはじめとする映像化された過去物語は便利です。ハリウッド製作の映画であれ、華流史劇であれ、韓流史劇であれ、その点では「分析」の対象とすることができます。歴史のナショナライズにおいて、どのような基本的な文法があるのかを分析するのに、一定のポピュラリティをもつ映像化された歴史は、きわめて有用です。
 広く言えば、そうしたイデオロギー性とも関連しますが、歴史映画(historical film)というかたちをとる映像的な歴史の問題は、現在に生きている俳優が過去の人物を演ずることによって、過去と現在の同一性とか同時性という錯覚が生み出されてしまうことです。つまり過去と現在が相互に断絶した異他的なものではなく、同一のものとして継承され、現在においても通有性のあるものとして理解されてしまうということです。
 おそらくこうした過去認識は、映像を媒体とした過去認識、とりわけ劇映画的な手法が多くのオーディアンスを獲得することによって形成された20世紀以降に特殊なものであって、過去を異形のものと考えていた過去にあった過去認識とは異なるものです。
 読むことのできる人が社会層的にも、あるいは(その言語を理解できる)特定の地域に限られていた文字的な歴史に対して、見ることのできる人が、社会層としても地域的な面でもはるかに拡大した映像的な歴史は、過去認識を「通時的」にも、「共時的」にもはるかに共有されるものとしてきました。しかし、そのことには逆に、多様なかたちをもつものであった過去の認識を不正確なものとし、歴史をますますpresentistなものとしているという面があります。文字的な歴史ばかりでなく、そうした映像的な歴史にある問題点もまた批判的に考えられなければならないのは、当然のことです。
# by pastandhistories | 2010-10-26 09:51 | Trackback | Comments(0)

事実への近似性

 「歴史のトランスナショナル化とその問題点」というプロジェクトで最初に招聘したのは、ロバート・ローゼンストーンです。ホワイトほどの知名度はありませんが、Rethinking Historyの創立編集者ですし、歴史と映像の関係について先駆的な議論を展開した人物で、その著作であるVisions of the Past (1995)やHistory on Film/Film on History (2006)などはもう少し読まれてもいいような気がします。
 彼の議論については、「画像・映像と歴史」「映し出された過去」といった文章で紹介したことがあります。その際に書き残したことを少しここで加えると、彼の議論の要点は、劇映画などの映像化された歴史は事実ではないという議論に対し、映像的な歴史にある事実性を主張し、そのことをとおして逆に文字的な歴史の虚構性を主張しているという点にあります。映像的な歴史も文字的な歴史も、ある形式(文法)によって構築されているものであって、問題はその構築のされ方がどれだけ過去の事実に近似的なものとなっているのかということが重要である、というのがローゼンストーンの主張です。
 たとえば映画では、基本的な主役となる人物の行為の背景に、様々なものが、そのデテイルを含めてしばしばきわめて写実的な装いをもって映し出されます。駅頭のシーンでは行きかう旅行客や通勤客が、そして普通の労働者である車掌が画面に登場します。宿場や街道、あるいは戦場にしても、無数の庶民がそこには登場します。しかし、たとえば織田信長や坂本竜馬についてはその時の言動を示す多少の史料があったとしても、その他の圧倒的多数の画面に登場する人たちは、彼らに関する直接の史料は、ましてや画面に登場したその具体的所作や言動を示す史料はまったくといってない人々です。もし史料にのみに忠実に画面を構成しようとしたら、画面のほとんどはボカシや空白で、さらには真黒に埋められてしまいますし、もちろん動画ではなく、スティル画をつなぎ合わせたものによって映画は作られなければならなくなります。瞬間瞬間の変化を示す史料など、動画的技術の出現した時代以前に関しては存在していないからです。
 これに対して文字的な歴史は、映像が映し出すような、トリヴィアルな事実や庶民の言動を排除するかたちで書くことができます。トリヴィアルな事実や庶民の言動に関する史料がないからです。つまり欠落を欠落のままにして、欠落を伴うものを事実であると主張しているわけです。
 しかし、過去の事実はトリヴィリアルな事実を排除して成立していたわけではありません。つまり、それが史料的根拠を持たないものであっても、デテイルに至るまでを「想像」あるいは「創造」をとおして表現することにつとめている映像化された歴史の方が、圧倒的多数のものを欠落させている文字的な歴史よりも、事実に対する近似性ははるかに高いということです。
 映像的な歴史がそうした過去との近似性にもかかわらず、事実とは異なるものとして批判されるのは、その多くが見る人の共感を獲得するための様々な形式、その代表的なものは物語的な構造ですが、過去そのものとはことなる構造や形式を含んでいるからです。しかし、そうした過去実在と異なる様々な構造や形式は、文字的な歴史にも様々なかたちで存在してきたものです。
# by pastandhistories | 2010-10-25 13:46 | Trackback | Comments(0)

カナダの歴史研究

 昨日アマゾンから Peter Farrugia ed., the River of History (2005 )が送られてきました。夏にIHRでみかけて面白そうなので注文してあったものです。2000年にカナダのオンタリオで開かれた The Lessons of History: An Interdisciplinary Approach to Past, Present and Future と題された会議(タイトルの裏ページには2002年となっていますが、実際には2000年に開催されたようです)での報告を編集した本です。会議のタイトルにinterdisciplinaryという言葉があるように、政治学、文学、哲学、宗教学、法学といった多様な専門分野を持つ、カナダを中心にオーストラリアやアメリカの比較的若手の研究者の歴史論をめぐる論文が収められているようです。
 歴史を川の流れにたとえたタイトルは、ヘラクレイトスの万物流転論からとったようですが、実はこの本を購入した動機は、この本につけられた副題が Trans-national and Trans-disciplinary Perspectives on the immanence of the Past というものだったからです。学際的とか比較史という言葉は、歴史研究の方向性としてかなり以前から使用されていましたが、trans-national という言葉が歴史研究において使用され始めたのはかなり新しいのではないかと思います。蛇足ですが、ホワイトを招聘したプロジェクト名も「歴史のトランスナショナル化とその問題点」です。
 もちろん問題はタイトルより内容ということで、昨日さっそく編者のFarrugiaが書いた30ページほどの序文を読んでみました。興味深く感じたのは、2000年という時点で歴史の問題が、歴史研究に領域を限定されない若い研究者の中でどのようなものとして議論されていたのかということがわかる部分があるということです。歴史研究の流れとして、政治史から社会史という議論は当時としても当然過ぎるほどの、もはやステロタイプ化されていたとも言える議論ですが、くわえて学問的な場にある歴史とpopularな場にある歴史の関係、記憶と歴史の関係、そしてポストモダニズム的な歴史論の受容の問題、といった問題を議論していくべき重要な課題としてFarrugiaは提示しています。
 興味深いのは、こうした議論がカナダの研究者を中心として、オーストラリアやアメリカの研究者によって行われていることです。以前もデニングなどの例をとって紹介しましたが、オーストラリアや、そして今回の例に挙げたカナダや、そしてアメリカの歴史理論には、日本にある歴史的思考を批判的に見ていくのに有用な、随分と着目してよい部分があります。彼らにとっては、ナショナルヒストリーの構築性は自明のことだからです。同一の地域に現住していても、ネイティヴと植民者ではそれぞれにあった過去が異なるものであることは自明のことですし、近代にはあたかもそれが普遍性をもつものであるかのように錯覚された歴史意識も、現在ではそれぞれのナショナルヒストリーとしても普遍化し得ないものであることは、多少の批判意識を持てば自明のことだからです。近代ヨーロッパばかりか、中世や古代のヨーロッパまで規範化しようとしたり、逆に地域=ナショナリティであるという錯覚を醸成することにより強固な日本史意識を作り出してきた日本の歴史研究者が欠落させがちな歴史への批判的意識が、彼らの中には間違いなくあります。本国から見れば周縁に置かれ、その周縁において中心が生み出す普遍を媒体として他者と対立し、現在ではそうした他者的価値を自覚することをとおして歴史を組み立てようとしている作業には、「本国」の歴史研究より注目してよい要素が少なくありません。
# by pastandhistories | 2010-10-24 11:15 | Trackback | Comments(0)

前提として想像されているもの

 時々文章を引用することがありますが、以前書いたようになるべく部屋には本を置かないようにしていて、手元のメモにしたがって書いているので不正確なことがあるかもしれません。必要なものは気づいたときに後で訂正します。
 ということで手元のメモを引用すると、「・・・ベンヤミンのいう「均質で空虚な時間」における「同時性」の提示、という特色である。新聞の場合、その地域や国のなかで起こった事件や出来事が一枚の紙面にほとんど脈絡もなく並べられているのであるが、それらの断片的な記事を通して、読者の考像力は一つの社会を想像し、国民のイメージを作り上げる」というのは、西川長夫さんの『国民国家の射程』(53頁?)のなかにある指摘です。新聞が「想像の共同体」としての国民国家の構築において果たしている役割を指摘した文章ですが、この文章は「歴史には恣意的な空間における「通時性」の提示という特色がある」「歴史はその地域や国のなかで起こった事件や出来事が一冊の教科書にあたかも脈絡をもつもであるかのように並べられているのであるが、それらの結び合わされた記事を通して、読者の考像力は一つの社会を想像し、国民のイメージを作り上げる」という文章に置き換えることもできそうです。
 おそらくこうした議論は現在では多くの歴史研究者によっても受け入れられる考えであるような気がします。多様な事件の中から、ある程度のつながりがあるとされるものを選び出し、それを合成(colligate)することは、歴史研究者にとっては常識的な作業です。またそれを肯定的なものとするか、批判的に考えるかは研究者によって異なるとしても、歴史教科書が一定の脈絡の中に個別的な事件や出来事をはめこむことによって「国民」を形成するために、「国民」に通有される歴史を作り上げていることは事実だからです。
 しかし、歴史研究者が歴史にある問題として留意しなければならないことは、さきほどの引用にしたがえば「歴史研究においてはその地域や国のなかで起こった事件や出来事への研究がが成果としてほとんど脈絡もなく並べられているのであるが、それらの断片的な記事を通して、歴史研究者自身の考像力は一つの社会を想像し、国民のイメージを作り上げている」ということのような気がします。
 最近の膨大な、その個々を脈絡のあるものとして結合するのは困難になりつつある個別的研究の拡大について思うことはそうしたことです。そうした拡散性にもかかわらず、見事なほど歴史研究の前提として「一つの(日本という)社会が想像され、国民のイメージが作り出されている」というのは行き過ぎた批判でしょうか。個別的な研究が個別的なものとしてその実証性の精度を増すこと自体はもちろん望ましいことですが、その研究が所与の、というより国民国家の形成にともなって構築された(日本という)枠組みを前提とし、そのなかにおける自閉的な議論にとどまっているのなら、それは「学問的」には残念なことです。
# by pastandhistories | 2010-10-23 14:17 | Trackback | Comments(0)

ization と al history

 歴史研究者なら誰でも知っている雑誌から国際歴史学会議の内容についての原稿を依頼されました。30枚以内ということですが少し量もあるし、執筆にあたって確認したいこともあるので、締め切りは12月15日ですが、少し早めに書き始めました。締め切りの日はちょうど卒論の提出の頃と重なります。学生に一方的に負担を課しているわけではないという点で気持ちの上ではほっとする所もありますが、やはりこちらの締め切りの時期が学生対応が忙しくなるのと重なることには心配もあります。
 以前少し書いたように、グローバルヒストリーがテーマだった国際歴史学会議のラウンドテーブルで話したことにはいくつかポイントとしたことがありました。なかでも基本的なこととして論じたのは、izationとal history という問題です。以前『史学雑誌』の「回顧と展望」に示唆的に書いたことがありますが、ラウンドテーブルではそのことをより明確に提示しました。
 izationとal history の関係は、nationalizationとnational history, globalizationとglobal history というように、ization の進行にともなって nationalized あるいは globalized された歴史が al history として形成されるようになったというかたちで説明できます。このように議論を立てると気づくことは、グローバルヒストリー論という議論は、globe という nation より、より普遍的な、包括的な単位を上位におくことによって、その優位性を担保しているということです。そのことはある意味では当たり前のことです。national history あるいは歴史の nationalization にある偏狭性は、globalization の進行に伴って多くの「国」の歴史研究者の合意となった歴史を科学的なものとしようとする立場からは批判されなければならないことだからです。
 しかし、こうした議論が見落としていることは、national history もまた ization の進行によって生み出されてきたものであるということです。それ以前の、個別的かつ多様なものに対して、より普遍的な、包括的な単位を上位におくことによって、その優位性を担保し、しばしば科学性という外皮をまといながら、national hisotry もまた成立してきたものであったということです。こう考えるなら、national history が批判されるべきであるという議論が正しいとしても、その批判の方向性は、グローバルヒストリーのようなより上位の al history を構築していくという方向性と、izationにともなう al history の構築そのものを批判するという方向性があることに気づくことになります。
 自分が「歴史にグローバルなアプローチはあるか」というラウンドテーブルで提起したのは、後者の方向性です。そのことを現在ある commonized された national history や global history を批判的に decommonize していくことが重要だという観点から論じてみました。したがって「歴史にグローバルなアプローチはあるか」という問への答えとして提示したことは、「izationの進行が不可避的なものである以上、それはある。しかし、その前に stop to think しなければならないことがある。それは歴史が commonization されているということにある構造を考えていくことである」ということです。このブログも基本的にはそうした立場から書きつづけられています。

 
 
# by pastandhistories | 2010-10-22 10:26 | Trackback | Comments(0)

ホブズボームについて

 いつまで続くかはわかりませんが、毎日記事を書いていて思うことは、ある程度テーマに継続性を持たせたほうがよいのか、それともその日その日によってテーマを変えたほうがよいのかということです。なるべく読んでいる人のヒントとなるようにということでは後者の方がよいということがありますが、書きやすさ、読みやすさという点では前者がよいということになるかもしれません。
 ということで、昨日ホブズボームに少し触れたので、ホブズボームについての話題を書きます。彼に関しては、まだ院生の頃になぜか彼の著作の訳書の書評を書くという役割が何度か自分に回ってきました。『原初的反抗者たち』(Primitive Rebels)などです。それまでの「制度化」された「労働」運動史から、地域的にも形態的にも周縁的な民衆の運動への着目、という点で、こうした彼の視点はいくつかの彼の代表的な大部な著作以上にその後の歴史研究に影響を与えるようになったわけで、そうしたものの書評者という役割を与えてもらえたことは、書いた内容はともかくとして今考えるとよかったのではと思うことがあります。
 ホブズボームには直接話をしたというわけではありませんでしたが、研究会で二度ほど見かけることがあります。最初は彼が来日した時で、東大の社研で講演をした時です。まだ大学院に入ったばかり(あるいはまだ学部の学生だったかもしれませんが)の頃で英語もよく聞き取れなかったので、この時の講演はテープにおさめてそれをまだもっています。この時のことで印象にあるのは、質問の時間になった時に、会場から講演の内容とは直接は関係のない「公害をどう思うか」という質問が出たときのことです。当時は環境汚染の問題が大きく社会問題化していたためにこうした質問が出たのだと思いますが、質問者がpublic pollutionという言葉を使用したのに対し、ホブズボームがpublicはいらないと返答したからです。「公」害という言葉は日本のメディアが作り出した言葉では、英語ではそういう言い方はしない、ということでなるほど思ったのですが、実はYahooでpublic pollutionという単語を検索すると日本人研究者の英文論文をはじめとして、現在では英語として使用されている多くの例が掲載されていて一般的な言葉となっているようです。そのあたりのことは英語学者にまかせることとして、少なくとも言えることは、pollutionにpublicという言葉を冠してそれを必然的なものとするような思考に対しては、ホブズボームは批判的であったということです。
 二度目に見かけたのは、ブライトンで行われたLabour History Society(労働運動史研究会)の大会です。1990年代の話ですが、この大会が印象にあるのは、階級、ジェンダー、エスニシティが議論の対象となったからです。労働史研究会の大会でしたが、すでに「階級」という視点から歴史を捉えることが「時代遅れ」だと批判され始めていた時代でしたから、この会議ではある女性歴史研究者が勢いよく、「階級という視点から歴史を説明してきたのはおかしい、抑圧されてきたのは人口の半分を占める女性であって、そうした女性の視点からこそ被抑圧者の歴史は語られなければならない」と主張しました。理のある話ですが、この議論をさらに批判したのが、親が旧植民地からイギリスに移住してきたというカラードの研究者でした。「階級とか女性などより、もっと抑圧されてきたのは帝国の支配下におかれた立場の人々であって、自分のような人間が属しているグループは、少数派であるがゆえに、女性よりももっと大きな抑圧の下におかれている。そうしたエスニシティの視点に立つことが被抑圧者の歴史をよりよく説明することになる」という議論です。これもまた理のある話です。
 ホブズボームについて感心したのは、彼はこのとき会場の後ろのほうに遠慮がちに座っていたと思いますが、こうした原則的な議論に対して挙手をして発言を求め、あらためて階級という視点から歴史を見ていくことの意味を誠実に説明しようとしたことです。
 このブライトンの大会での議論にも象徴されているように、ホブズボームの主張は時代から外れたものとなりつつあるという批判は可能です。しかし、ホブズボームという歴史家をどのように位置づけていくのかということは、イギリス近代史研究者にとってはなお重要なテーマとして現在でももう少し議論されていいような気がします。そうした問題については、渡辺雅男さんが本屋で偶然見かけて翻訳することになったというリン・チュン『イギリスのニューレフト - カルチュラル・スタディーズの源流』が優れています。ホブズボームという歴史家を媒体として、その後のイギリスの歴史研究がどのように変化してきたのかということを、副題にあるカルチュラル・スタディーズとの関連だけではなく、ホブズボームのもっとも優れた後継者となると目されていたギャレス・ステッドマン・ジョーンズがなぜ批判的マルクス主義という立場から言語論的転回という議論に関心を向けることになったのかということとあわせて説明していて、現在の歴史研究の流れを理解するのに役に立ちます。
# by pastandhistories | 2010-10-21 10:52 | Trackback | Comments(0)

なぜ「歴史の死」なのか

 昨日書いたこととも関連しますが、脱構築論的な議論をニーチェ、ハイデガーの系譜で説明することは、かなり一般的に行われています。脱構築論者自体が自らをそう位置づけることも多いわけですから、この議論自体はそれほどおかしな議論ではありません。その意味では「歴史の死」という議論を、ニーチェに起源をおくものであるとしたり、その蒸し返しであるとする議論にも正しいところはあります。
 しかし、そのことを根拠にファシズム的な思考であるとするのは、批判としては疑問があります。その理由は、これも昨日書いたことと関連しますが、「歴史の死」という議論はむしろ歴史(過去認識)の共同化がもたらしている問題点を批判するものとして行われているからです。「20世紀に国民国家は恐るべき殺人機械となった」という主張は、ホブズボームが『20世紀の記録』(The Age of Extremes)で指摘したように、近代国民国家の形成以前にはなかった国家間戦争にともなう民間人を含む膨大な死者(1億人以上)を生み出した近代国民国家を鋭く批判した言葉です。20世紀にあった歴史の基本的なかたち、国家と国民を構築していくものとしてやはり構築されたナショナルヒストリーは、過去にかかわる記号や象徴を紡ぎ合わせ、それを「国民」という単位の中に共同化したものです。もちろんそうした共同化は「民族」という単位でも行われてきました。そうした共同化された歴史への批判が、歴史の死という言葉が含意していることだからです。
 イスラエル国家の例をとるまでもなく、そもそも集団がそれぞれ異なった歴史意識を有していなければ、「国家」や「民族」間の紛争の「歴史的根拠」はありません。イスラエルもそうですが、コソボの独立を唱える集団を構成する人々の祖先が、すべて限定的に700年前にその地域に居住していたなどという議論はまったく非合理なものです。それぞれの人の血統を遡れば、一人一人について700年前であれば、それぞれ100万人以上の祖先がいたと数学的にはなるからです。過去に現在と同じ集団が存在していたわけではなく、過去にかかわる記号や象徴を紡ぎ合わせ、それを「歴史」として共同化することによって、一定の権益を主張する集団が「現在」存在しているにすぎません。
 歴史の危うさはそうしたところにあります。歴史があまりにも自明の、常識的なものとして自らの前にあるために普段そうした問題に気がつかないのですが、歴史の脱構築論者はそうした歴史の危うさ、「事実として」20世紀における膨大な殺戮に一つの根拠を与えた、そうした危うさを批判するために、あえて「歴史の死」も辞さないと論じたわけです。国家や民族の歴史を強調したファシズム的な思考とは、むしろ対極的なものです。
# by pastandhistories | 2010-10-20 13:53 | Trackback | Comments(0)

歴史をもつ

 片桐雅隆さんの『過去と記憶の現在の社会学』(2003)はよく議論が整理された本で、記憶をとおしての自己の社会化という問題が、最近の社会学や心理学、とりわけ発達心理学の理論的流れをふまえて紹介されていて、歴史研究者にも参考になる本です。そこで行われている議論はまた紹介する機会もあると思いますが、自我形成と歴史意識という問題を本当に基本的に整理すると(以下はあくまでもここでの整理で、社会学者の議論をきちんとフォロウしたものではありません)、基本的には以下のように整理できそうです。
 最初は、幼児期です。育児の対象となることによって、基本的には親子関係の中で基本的な社会化がおこなわれる時期です。その次に来るのが言語を習得していく過程、構造主義的にいえば、記号表現と記号内容、さらにはその相互関係を獲得することによって、具体的な対象を整理されたかたちで認識していく能力や、それにもとづいたコミュニケ-エション能力を獲得していく時期です。そしてこうした基本的認識のもとづいて、さらにはより高度な認識能力、たとえば過去とか未来といった非経験的なものと現在をとり結ぶ時間のなかに自己を位置づけたり、象徴的・抽象的な思考を自分のなかにとりいれ、それを論理的なかたちで構成していくといったような能力を獲得していく段階があるわけです。
 基本的には第一次社会化、第二次社会化などと呼ばれたり、最近ではより緻密化された概念で説明されていますが、いずれにせよ人間の自我に社会的に形成されていくという面があるとするならば、その過程をこのようなかたちである程度整理したかたちで説明することは可能です。歴史意識の獲得は、以上のような整理にしたがえば、非経験的な、象徴性・抽象性の高いものであるという点で第三の段階で獲得されるものです。
 こうした意味では歴史というのは、社会的に獲得された言語を媒体とした、つまりある共同性を前提とした、自己意識です。自己の限定的な時間的存在をこえた、共同体の側がもつより広がりのある時間性、あるいはそうした共同体が保持する象徴や、そうした象徴を結び合わせた論理、によって歴史が語られている、あるいはそうした歴史の語りに自己を内在化することが、歴史と個の間の関係において重要な要素であるのはそのためです。
 ニーチェにかぎらず人間と動物の差異を(抽象的なことへの)記憶の有無に求めた論者は少なくありませんが、そうした人間に固有な高度の認識能力が人間の社会にある様々な問題を生み出すものとなっていることは、人間の社会にあるパラドックスです。
# by pastandhistories | 2010-10-19 13:56 | Trackback | Comments(0)

経験・記憶・想像

 以前「歴史と未来」という文章を書いたことがありますが、その時批判的に取り上げたのがE・H・カーです。未来と過去との過程として現在を位置づけるという彼の歴史論に疑問を感じたからです。もちろんこうした考えはカーに独自なものではなく、歴史をめぐる議論の中ではかなり一般的なものです。「過去を知り、未来に生かすことが歴史を学ぶことの意味である」という主張は一般に歴史研究者以外の人からもしばしば語られるものですし、高校生などに質問してもよくこの答えが帰ってきます。
 しかし、過去と未来には「歴史学的思考」にしたがえば大きな違いがあります。過去が史料的な根拠にもとづくものであるのに対し、未来には史料的な根拠がないからです。このことは未来を前提として過去を論ずるということは、その根拠となっているものが違うという非整合性を論理的にはもつことになります。やや異なる観点とはなりますが、別の言い方をすると、経験的な世界(過去)と想像的な世界(未来)が、同一の時間系列の中で論じられることは、論理的には問題があるという議論が成り立ちます。
 論理的にはそうなのですが、経験的には過去と未来が時間系列の中で接合しているということは日常的なことをとおして理解できます。このこともしばしば論じられますが、音楽を聴くということを例にとると、一つ一つの音がそれ自体として意味を持っているわけではありません。既に聞き終わった音が記憶され、後に来るものが(しばしば記憶や、音楽の規則性への理解をとおして)予測されることを通して、音楽は聴かれています。すでに経験されたものと、これから経験されるものの一体性が音楽を聴くという行為には前提とされています。これは言語の理解においても同じです。すでに読み終わった、あるいは聞き終わったことと、これから読むであろうことと、聞こえてくるであろうことが、記憶と想像をとおして結び合わされて言語は理解されています。
 すでに起きたことと、これから起きることについて、論理的な面と、経験的な面から考えると以上のような議論が可能です。矛盾しあうところがあって結論は出しにくいのですが、歴史がどのような思考にもとづいて構築されているのかということを考えるにあたっては重要な議論だと思います。
# by pastandhistories | 2010-10-18 05:10 | Trackback | Comments(0)

相対性の考え方

 ポストモダニズム的な議論が強調する歴史の相対性という議論を理解するさいに注意すべきことは、その批判は現在の画一性に向けられたものであって、相対性一般を安易に擁護したものではないということです。
 なにもポストモダニズム的な議論を借りずとも、時代時代が相対的なものであるという議論は、現状肯定的な論者がつねに繰り返し論じてきたものです。中世に騎士が、あるいは戦国時代に武士が殺人を恒常的におかしたのは、その時代と現代では価値観が異なっていたからだというような議論です。しかしこうした議論に含意されていることは、殺人をなお正当化する、つまり戦争を擁護する「現代の側」の論理です。表面的には相対性を強調しているようにみえながら、意外なほど普遍的なものとして自らの主張を擁護しようとするロジックがそこにはあります。そうした普遍性から排除されるものは、実際にその時代時代にあった、現在とは価値観が異なるがゆえに生じていた事実です。
 たとえば相変わらず繰り返される歴史の物語の中で、戦争に伴って人肉食が行われたというような価値の異なる時代の真実は、徹底的に排除されています。たえず戦闘を伴いながら長距離にわたる遠征や行軍を行うさいに、それにみあう兵糧をつねに携帯するのはかなりの困難があったはずです。略奪はもちろんのこと、敵の兵士を食肉するということは、それほどめずらしいことではなかったと想像できます。しかし、そうしたことは歴史映画や歴史小説はもちろんのこと、歴史研究書で描かれることはほとんどありません。それらを描けば、そもそも大河ドラマのようなものは「現在」の視聴者の共感を得ず、成り立たないからです。
 このように「過去の時代の相対的な真実」というものは、多くが現在の側の価値によって、過去の不都合な真実を排除することによって形成されています。「時代によって相対的」であっても「いつの時代でも変わらない真実がある」というきわめて現在的なイデオロギーとして用いられています。
 ポストモダニズム的な議論が批判しているのは、こうした「いつの時代にも変わらない真実がある」として、画一的な認識の枠組みを作りだしていくような思考のありかたです。相対的な事実を相対的な事実として認識することが強調されるのはそのためです。
# by pastandhistories | 2010-10-17 17:55 | Trackback | Comments(0)

プロジェクトの再申請

 Storia della Storiografia (History of Historiography)の編集者から数日前にメールがきて、今度の号に自分の原稿を掲載する予定であると連絡してきました。History and Theory などどともに歴史理論の国際的雑誌としては評価を得ているものなので、本当に掲載されるならという気持がします。もっとも原稿を投稿した際に、最後のreferenceに不十分なところがあり、本文にも後からミスに気づいた部分がありました。掲載決定があったら校正の段階でと思っていたのですが、そのあたりはメールだけで処理して12月末には出すようなので、今朝は急いでその作業をしました。あわせてむこうから送るよう指示のあった自己紹介文とabstractを作りました。
 午後は急に所用が入って出かけることになり、ブログのことをすっかり忘れていました。ブログとはいっても雑事はあまり書かず、なるべく理論的な問題を少しづつ書きたいと思っているのですが、今日はもう時間がなさそうです。
 ということで、ローゼンストーンやホワイトを招いたプロジェクトが今年度で終了しますので、それに代わるプロジェクトの申請書類をこれから書きます。書類を書くのも大変ですし、やはり実際の運営にあたっては個人的な持ち出しも多く、また気を使うことも多く、正直言ってやめたいというところもありました。しかし、日程調整のために、ホワイトの場合もそうでしたが、来年度なら来日できるということを伝えてくれた人が少なからずいますので、とりあえず来年度の予算を確保するための書類を書きます。不確定なこともあるのでここでは具体的な名前はあげませんが、自信をもって招ける人です。そのためにも申請書を丁寧に書くつもりです。
# by pastandhistories | 2010-10-16 21:19 | Trackback | Comments(0)

記憶の集合化・歴史

 「記憶が歴史になる」という文は、レトリックとしてはきわめて用いやすいところがあります。これと重なる部分がある「記憶が集合化されて歴史となる」という議論は、これまでも多くの論者によって論じられてきました。しかしいつも思うことですが、この議論には大きな問題があります。というのは、もしこの議論を受け入れると、歴史の集合性が自明のものとされてしまうからです。過去についての表象が共有されたり、あるいはそのことを媒体としてそうした表象によってシンボライズされるものが集合的記憶として、あるいは歴史として共有されているとしても、そうしたものには、大きな問題があるからです。
 「記憶が集合化されて歴史となる」という議論の前提となっていることは、「記憶」が非集合的であるということです。言い換えれば、個別的で、拡散的であるということです。戊辰戦争であれ、60年安保闘争であれ、さらにはそれぞれの中で起きた個別的な事件であれ何でもよいのですが、本来事件に対する記憶はポリフォニックなものです。賛成派・反対派、積極的参加者・消極的・参加者・傍観者、さらには性別や年齢の違いetc.、記憶の差異を作り出す要素は様々ですが、個別的な出来事への記憶は個人によって異なる多様なものです。
 したがってもし「記憶が集合化されて歴史となる」という議論を受け入れるなら、ここで示されている歴史は、(多様な個別性があった)過去そのものをありのままに描いたものはなく、あくまでも現在によって(集合的なものとして)構築されたものであるということになります。この問題は、昨日書いた記憶の自己物語化という問題とも関連しています。自己の記憶をストーリー化して他人に伝えても、他人はそのストーリーを丸ごと受け入れるわけではありません。あくまでも、その一部を断片として剥ぎ取り、自分の他者理解の助けとするだけです。自己物語はつねに他者のなかで、断片化されています。逆に言えば歴史研究者が行っているのは、事件についての(それ自体としてのストーリに組み込まれた)様々な証言を断片化し、それを再構成して、自らが作り出すストーリーとして構築していくことです。
 問題はこの作業は、けっして客観的なものではなく、事件に対する多様な記憶と同じように、それぞれの歴史家によって異なるる主観的なものであって、生み出されるものもまた多様なものであるはずだということです。逆にもし歴史が集合化されたものとして生み出されているのなら、それは歴史が生み出される場に、集合化を強制するものが存在しているということを意味しています。
# by pastandhistories | 2010-10-15 10:45 | Trackback | Comments(0)

認識の構造・対象の構造

 ジェフリー・ロバーツが編集した The History and Narrative Reader (2001 )は、昨日書いたstory lived と story told をめぐる議論の流れをバランスよく紹介した本ですが、ロバーツ自身は「過去には歴史の物語がそれと一致する‘本当のストーリー’があり、歴史家が書く物語は、適切になされれば、‘過去に起きた行為、ストーリー、物語に模すもの、類似したものとなることができる’」( there are 'real stories in the past to which historical narratives can correspond', and narrative written by the historian can, if done properly, 'mimic or resemble the action/story/narrative of past happenings') と主張しています。過去自体に物語があったわけではなく、not yet described in a context of narrative form である事実があるにすぎないとするミンクとは異なって、議論としてはD・カーの立場と近い主張に立つ人物です。つまり、日々生きられている経験的世界(the lived world of everyday experience )は、既に様々なかたちで構造化されていて( structured in a number of ways )、そうしたものとして認識し、説明することが可能であるという立場に立っていることになります。
 昨日も書きましたが、問題はこうした議論の根拠です。もちろん存在論的にこうした議論を正当化する議論もありえますが、認識論的にいえば、認識主体自体の自己認識に物語化された構造があることが、過去という対象もまたストーリーとして認識することの根拠となっています。このことをわかりやすく説明するのは、個人の記憶にある構造です。多くの人は自己の記憶を整序的なものと考えがちですが、記憶はたとえばそれが脳の様々な場所にアットランダムに蓄積されているという点で、本来的には整序的なものではありません。そのことは、個々の瞬間において想起がどのように行われているかを考えれば理解することができます。
 にもかかわらず記憶がしばしば整序性のあるものとされるのは、自己に対する説明として、あるいは他者に対する自己の説明として、記憶がしばしばストーリーをもつものとして、自己に対しても、他者に対しても語られることがあるからです。日常的な自己紹介から、自伝にいたるまで、自己についての記憶はストーリー化したものとして語られます。そしてそうしたストーリーが他者に受けいれらるのは、自分を自己紹介の聞き手や自伝の読み手と言う立場におくと理解することができますが、聞き手や読み手もまた、記憶をストーリーとして自己に対して語っているからです。ストーリーが間主観的なものとして、コミュニケーションの媒体となっているのはこのためです。
 しかし問題は、あくまでもこのことは認識の側にある構造の問題であって、対象の側にそうした構造が本来的に内在するということを意味はしないということです。story toldという議論はそうした考えを根拠にしているということになります。
# by pastandhistories | 2010-10-14 12:45 | Trackback | Comments(0)

D・カーとミンク

 このブログを本格的に書き始めてから二カ月半位、70本を超える文章を書きました。全体をパソコンに落として文字数を測ってみたら、10万字を少し超えていて、400字原稿用紙だと250枚程度、累計して新書くらいの量になったという計算になります。全体を読み直すには、結構時間がかかる量です。書き続けたせいか少しづつアクセス数が増えて、先週は1週間で3ケタを超えました。何人かのごく親しい人には、このブログのことを知らせましたが、その人たちを含めていったいどういう人が、どういう関心から読んでくれているのかはよく分かりませんが、議論の整理や問題の提起となるようなことを書けたらということで、自分のメモとしても書いています。もっともこうしたかたちで書いていると、メモの中にはまとまった議論の流れの中に組み込んだ方がよいというものが随分とあって、そうしたことが自分にわかったという点でも、ブログを書くという作業は役に立つところがあります。もっとも逆にまとまったものを書き始めたいという気持ちも強くなって、ブログを書くという作業が少し大変になってきました。そのへんのバランスをとるのがけっこう大変です。
 前置きが長くなりましたが、今日はナラティヴ論をめぐる論争についての基本的問題について書きます。ナラティヴ論の登場にともなって基本的な対立点となったのは、story lived なのか、それとも story told なのかという問題です。スト-リーは歴史に本来的に内在するものであって、したがってそのような内在するストーリーを歴史から引き出し、記述していくことは可能だとする考えと、そうした考えを批判する考えの対立です。前者のような考えの代表的論者がデイヴィッド・カーで、後者が「ナラティヴの構造が歴史のアクチュアリティの構造と同一であることは、偶然の場合しかない( the structure of narrative would only by accident be the same as that of historical actuality )」と主張したルイス・ミンクです。
 もちろん「歴史はけっして自ら語らない。語られ、構築される必要がある」として、今ある歴史を構築されたものであるとしたいわゆる脱構築論的な議論は、こうしたミンクのような考えにもとづくのです。現在ある歴史を実在とは異なる構築されたものであるとし、それを脱構築していくことが逆に実在への正確な認識を可能とするという考え方です。
 D・カーとミンクによってこうした議論の枠組みが設定されて以来、この問題は様々に議論されてきました。厳密に考えれば実在それ自体にストーリーが内在しているという議論には無理があって、ミンクの議論の方が論理的には正しいといえます。歴史の脱構築論がある時期大きな影響力をもったのもそのためです。しかし、逆にいえば、ここから問題となることは、歴史をとおして過去はどうしてスト-リー化されて伝えられてきたのかということです。歴史の物語負荷性は、どうして生み出されてきたのかということです。そのあたりのことを、このブログを利用しながら考えてみたいと思っています。
# by pastandhistories | 2010-10-13 17:07 | Trackback | Comments(0)

同一性

 野矢茂樹さんが議論していることに、同一性の問題があります。厳密な同一性というのは、哲学的にはありにくい、たとえば現在自分が存在している場も、地球が太陽の周辺を動いているばかりでなく、宇宙全体そのものが、とてつもないスピードでどこかに向かって動いているとすれば、それぞれの瞬間、瞬間においてけっして同一の場ではないことになります。それほど過剰なことを言わずとも、一週間前の自分と今の自分は、たとえば肉体的には確実に老化、あるいは成長しているわけであって、脳細胞も、血液も、生えている髪の毛もかなりが入れ替わっているわけです。その期間が1年であれば、さらに10年であれば、そうした肉体的な同一的性はさらに大きく損なわれるわけです。くわえて精神的な内容のありかたも大きく変化しています。個々の人間が抱く考えは、基本的には同一のものであることはありません。日々新しい情報を仕入れ、あるいは自己に蓄積されていたものを廃棄、あるいは忘却し、着実にその前のものとは異なるものになっているからです。
 にもかかわらず、同一性ということが、一方では自明のもののように論じられるのには、おそらく二つの理由からです。一つはidentityが「自我同一性」と訳されるように、自己認識の中における自己同一性の問題です。記憶、それはしばしばストーリー化されたものとして自己に、そして他者にも説明されますが、そうした記憶保有の連続性によって、現在の自己を認識している人間が、過去の人間と同一であるという認識が生み出されているからです。もう一つは他人からのidentificationです。昨日久しぶりに学生時代の友人と会ったという話を書きましたが、その友人たちが自分をOであると認め、自分が友人を、H、T、Y、N、Kと認識したのは、他者による同一性の認知です。
 厳密には同一のものではないものが、同一のものとして認識されるという問題は、歴史認識にもある問題です。というより、歴史認識においてきわめて重要な問題を果たしています。たとえば歴史認識の主体・対象としてのネイションです。歴史的に日本というが同一性が存在していたとすることは、事実とは異なります。組み込まれていた領域も、それを構成した人々も、言語も、文化も、つねに変容してきました。このことは常識的にも理解できることなのですが、歴史研究で意外と議論されてこなかったことは、歴史、つまり過去認識や過去研究のあり方は、つねに大きく変化してきていて、日本という同一性が厳密には(それほど厳密に言わなくてもですが)存在していないように、歴史という同一性もまた存在してはいないということです。
 過去認識や過去研究のありかたはは時代に応じて、つまりその時々の現代におうじて常に変化してきました。たとえば自分が実証的な研究者として最初に行ったことは、『共産党宣言』を最初に訳したとされるヘレン・マクファーレンとそのペン・ネームであったとされるハワード・モートンという人物を当時の機関紙のすべてを1行残さず最初から最後まで注意深く読んで、その人物を紙面上に探し出すことでした。多分半年以上はかかった作業だったと思います。残念ながら現在では、そうした作業はデータをデジタル化し、パソコンで検索を書ければ1週間もあれば行うことができるでしょう。当時様々な研究会では、日本の各研究機関にある海外雑誌の文献や目録を作る作業が研究者によって行われていましたが、これもNACSISを利用すればわかるように、現在では研究者の仕事ではありません。以前も書きましたが、現在の「機械」の内容という、過去の人は使用しなかった「技術」が過去の研究を、さらには研究ばかりでなく認識のあり方も左右しているということです。
 またこのことも以前書きましたが、「国家」や、「音声」や「映像」によって保存された記録、あるいはそれらを媒体とした過去の表象というものをもたなかった、あえていえばわずか200年以上前の普通の人々の過去認識のあり方は、現在ある歴史とは同一のものであるはずがありません。にもかかわらず歴史がある種の同一性、ナショナルヒストリーがそうであるようにある種の「自我同一性」という枠組みの中で語られてきたことには、これから議論していくべき様々な問題があります。
# by pastandhistories | 2010-10-12 09:12 | Trackback | Comments(1)

第三者からの理解

 今日は「国民の休日」ですが、大学は授業。年間講義時間数の充足ということで、何年か前からこういうかたちとなりました。昨日は休日で大学時代のクラスメート(語学のクラス)の会合があり、6人ほどで食事をして、その後は長く話しこみました。この40年間がまるで無駄であったような変な充実感がありました。
 同業者や外交官になった人がいて、自分を除けば学生時代からそれぞれ語学の達者な人たちで、当然最近の政治問題、外交問題から日本の古代史、中世史、さらには近代日本論に話がおよびましたが、話をしていて思ったことは日本人同士が話しているから当然と言えばそれまでなのですが、ある意味では「日本人同士」であるから意見が一致するというところがありました。たとえば中国人がその話の内容に一致するか、第三者的な立場に対しても、その話の内容が受け入れられるかというと、そうは言えないというところに結論は落ち着いてしまう、そんんなことを感じさせられました。語学の達者な人たちですから、そうした場に発信する能力を十分に持っているはずなのですが、結局は結論は「日本人同士」が理解しあえるところに落ち着くということです。
 学問的な世界についても言えることです。本の献辞というのは、書いた人がどのようなdisciplineに自己を内在化させているということがとてもよくわかる部分があります。もちろん日本語で書かれた本は、たとえ外国史研究でも圧倒的に「日本」にあるdisciplineに自己を内在化させていることがわかります。もちろん最近では留学時の指導教員が添えられていて、discplinesが複数化していますが、それもまだ限定的なものです。むしろたとえば一連の経済学研究や、最近では政治学研究などにもみられるように、留学先のdisciplineに自己を同化させ、そのことによって、むしろ日本的な問題の理解を閑却してしまうと流れが強くなっているという面も見受けられます。
 「日本」にあるdisciplineに身をおいているにしても、海外のdisciplineに同化しているにしても、大事なことは第三者的な読者に対して、たとえば海外といっても欧米だけではなく、アジアやアフリカにおいても理解されるような議論を立てているかです。驚くほどそうした視点は見失いがちだということを、昨日は少し感じさせられました。
# by pastandhistories | 2010-10-11 15:01 | Trackback | Comments(0)

先生が教えた嘘

 コロンブスのアメリカ到達を、発見、侵入、征服、遭遇、相互作用、相互交流、介入のいずれと呼ぶかによって、作られる great stories もまた異なると指摘したのは、ロバート・バークホーファーです(Robert E, Berkhofer Jr., Beyond the Great Story: History as Text and Discourse, 1995)。過去の事実は、それ自体として存在しているわけではなく、どのようなナラティヴに組み入れるかという価値判断にもとづいて、スト-リーの構成要素として特定の語で形容されて表象されます。逆の言い方をすれば、ストーリーはそのように恣意的な意味を与えられた語の組み合わせとして構築されています。改めて論ずるまでもなく、教科書をとおして伝えられるナショナルヒストリーはその典型的なものです。さらにはそうした教科書や様々のメディアの影響をもとに形成されているパブリックスペースにある歴史にも、抜きがたくそうした面があります。
 もちろんこうした問題は、すでに様々な論者によって指摘されてきた問題です。その意味ではあまり目新しさはないのですが、今日のタイトル、英文では Lies My Teacher Told Me を原題とし、邦訳では『アメリカ教科書問題』というタイトルで訳されているヴァーモント大学のJ.W.ローウェンの著作は、部厚なものですが、面白く読める本です。この本では、アメリカで使用されている12冊の歴史教科書が比較・検討され、その内容が批判されています。
 たとえばナショナライズされたヒーローやヒロイン、あるいは事件について、ナショナライズのされ方の一面性が、そうした人物の実像とあわせて取り上げられています。ジェファーソンが奴隷所有者であったこと、ウィルソンがむしろ帝国主義的政策をすすめたこと、さらにはアーサー・ペンが『奇跡の人』をとおして描いたヘレン・ケラーが熱烈な社会主義者であったことなどが取り上げられている例です。もちろんコロンブスの「発見」から初期植民の「民主主義」という叙述の不正確さも丁寧に指摘されていますが、やはりこの本で興味深いことは、発見以来の「侵略」と「エクターミネーション」の過去が教科書ではどう扱われているかということです。
 この本では、白人のアメリカへの移住に伴う出来事は、アフリカやアジアに対するそれと同じように、基本的には「進出」ではなく、「侵略」であって、インディアン「ネイション」との「戦争」であったということ、野蛮の一掃ではなく、固有の文明や、それを支えた人々の「エクスターミネーション」であったということ、さらに「無人」の「荒野」への進出ではなく、原住者の「耕地」(彼らはトウモロコシを栽培していました)を含む生活地や地域で生活していくための「技術」のしばしば暴力的な奪取によってなり立っていたものであったという視点から、現行のアメリカ歴史教科書の問題点が指摘されています。
 ただ自分と考え方が少し異なるのは、これは日本の世界史教科書もそうした記述なのですが、アメリカ大陸のネイティヴの急激な人口減少の原因として、疫病を重視していることです。それまで接触のなかった異民族が入ってきたために、それに伴う致死性の高い伝染的疾患が入ってきたという考え方です。史料的な根拠もある議論ですが、自分にはそれなら南蛮人が初めて流入した戦国時代に日本ではなぜそのようなことが起きなかったのか、という疑問があります。ある時酒席でこの話題を持ち出したら、それはそれ以前から中国やアジアを通して間接的な人的な往来があって、そのことによって日本列島に居住して人には免疫があったと言われたました。それならば、アメリカ大陸にも、発見以前に普通の人々による往来があったはずなのですが。さらには鳥インフルエンザに代表されるように、ヴィールスは渡鳥や昆虫などの飛行生物や世界を周回する魚類などをとおして、人間の直接移動がなくても世界的に拡延しているような気がするのですが。
# by pastandhistories | 2010-10-10 11:59 | Trackback | Comments(0)

プロフィール①

 このブログは自分のメモの整理をしていく作業が読んでいる人の参考になればというコンセプトですから、あまり個人的なことは書きたくないのですが、昨日は少し木を切る作業をしたら、樹液か毒蛾か理由はよくわかりませんが夜になったら全身が大蕁麻疹、薬もなく眠るのは少し無理そうなのでパソコンに向かっています。理由は、両手を使えば掻きませんので痒みが収まるのではということです。
 といっても、夜中ですので考えごとはしたくないので、いくつか簡単なことを書いておきます。このブログを書き始めたいきさつは最初の何本かの記事に書いてあるように、サンディエゴのホテルで時間があったからです。でもそのことはすっかり忘れていて、この夏ロンドンで思い出してあらためて書き始めました。国際歴史学会議というイヴェントがあって、その準備や会の内容などいくつかテーマとして扱いやすいものがあったので宿で書き続けたのですが、どうせならということで帰国後も書きついでいます。さすがに大学が始まると余裕がありませんが、なんとか書き続けていく予定です。
 誰が書いているかも、多分すぐわかるところがあると思いますし、隠す気持ちもないので、一番最初に記しておきました。ただこのエキサイトにはブログによくあるプロフィールというものがないようなので(あるのかもしれませんが)、途中から読みはじめた人にはわからないかもしれませんが、岡本充弘が書いているものです。pastandhistoriesという名前が記されていますが、これもそこの書き方がよくわからず、また自分の名前があまり前面にでるのも嫌なのでそうしているだけです。今日の記事のタイトルをプロフィール①としたのは、右にある年と月の部分をクリックすると、その月の記事のタイトルが紹介されるようなので、そこに一ヶ月に一度くらいプロフィールを入れれば誰が書いているかは知りたい人にはわかるだろうということで、そうしてみたということです。中休み的に「プロフィール」をエピソード的に書いていこうと考えています。
 今日はその最初となりますが、呼ばれ方の話。他人が自分をどう考えているかはわかりませんが、中学以来あだ名で呼ばれたことがありません。でも小学校時代はありました。「ジャガイモ」です。そう呼ばれたことは自分でも気に入っています。早稲田の西洋史学科にいた吉永小百合さんが、好きな男性のタイプを聞かれると、よく「ジャガイモみたいな人」とまだ結婚する前に言っていましたが、あれは嬉しかったですね。ということで、コメントも「ジャガイモさん」へでも結構です。もちろん実名をあげてもかまいません。メールは大学のアドレスがokamoto_m@toyo.jpですので、そこにメールを入れてくれれば返事ができると思います。
# by pastandhistories | 2010-10-09 03:48 | Trackback | Comments(0)

I knowed

 昨日書いた文章にI knowed the Indians for what they wasという英文が引用されています。入試問題としてこの英文が正しいか、誤っているかが出題されれば、その答えは×、誤っているということになるかもしれません。しかし、問題は主人公はなぜこうした英文を語ったのかということです。彼がIndiansのアイデンティティをもつことを引き立たせるためなのかもしれませんが、彼は元々白人社会で育ち、また最後には白人社会に回帰した(?)人間ですから最後までそのような英語を用いていたとする理由はあまりないような気がします。
 ここで用いられているknowedという単語を聞いたのはこの時が初めてではありません。中学時代には多くの友人が「間違えて」答案に記していました。しかし、大学時代にアメリカから来た学生とたまたま話をした時に、その学生がknowedという言葉を用いた時には驚かされました。この学生はヴェトナム戦争はアメリカにとって「正義の戦争」であると言い張り、その際にknowedという言葉を用いたので、少しムキになって「お前の英語は文法的におかしい」と自分が言うと、「最近は学生の間で使われていておかしくはない」という返事が返ってきました。
 その学生の政治的主張はともかくとして、この体験は本当に「目からウロコが落ちる」(これ正確な用法ですか?)体験でした。当たり前の話ですね。言語は時代や使用する集団によって変化していく。当然文法にしても、単語の意にしても、絶対的なものとして固定され続けるものではないからです。「正しいとされるもの」に拘束され、そのことを忠実に履修すれば「高い評価」を受けるというゲームに囚われていた自分にとっては、自分の発想を変えていく転機ともなりました。
 「共時態は通時態に優先する」と論じたのはソシュールです。言語の歴史的要素を過剰に強調することより、たとえば語源などを遡り正しい用法を論じることより、現在の構造の中で、個々の語がどういうように組み合わされ、意味を作り出しているかを考えるほうが重要であるという考え方です。こうした考えは、構造主義的な思考を生み出し、レヴィ・ストロースなどに継承されていくことになったとされています。
 その後も延々として続けられている議論にも示されているように、現在的な構造と歴史的なプロセスの関係をどう考えていくかは難しい問題です。ただ最初の例に戻れば、白人であるインディアンの生き残りにこのような言葉を語らせた理由は、一つはインディアンも英語を語るようになっているということ、もう一つは、しかしそれは白人の語る「正しい」とされるものとは異なるものであることを比喩的に示すためだと考えてよいのかもしれません。多くの人が英語を用いるようになったけれど、それは逆に多様な形態をもっている、つまり、統合と拡散が共時的に並存しているという問題です。そうしたなかで歴史的に継承されてきたものが唯一の正しいものとは考えずに、現実に多様な人々によって多様なものとして用いられているものを受容してもよいという問題です。そのことが、今では英語をもちいるようになった人々にもあった「異なる」過去と歴史を取り戻す手段になることを、映画は比喩的に主張したのだと思います。
# by pastandhistories | 2010-10-08 08:48 | Trackback | Comments(0)

アーサー・ペンと『小さな巨人』

 アーサー・ペンが亡くなくなりました。ウォーレン・ベイテイ(ベイティーはロバート・ローゼンストーンの研究をもとにジョン・リードを扱った『レッド』を製作し、このことがその後のローゼンストーンの映像と歴史の関係をめぐる歴史理論に大きな影響を与えたことは、以前論文で紹介しました)が製作・主演したニューシネマの代表作『俺たちに明日はない』の監督として有名な人物です。『俺たちに明日はない』を監督するきっかけともなったといえるポール・ニューマン主演の『左ききの拳銃』など佳作の多い監督ですが、その作品の一つがダステイン・ホフマンが主演した『小さな巨人』です。この作品は好きな作品です。理由は、歴史研究という問題に示唆するものが少なくないからです。話は100歳をこえた老人へのインタビュー、その証言に基づくものとして構成されています。以下冒頭のシーンである、インタビュアー(I)、と証人(W)の対話を紹介します。
(W) I'm, beyond a doubt, the last of the old times and I am the sole white survivor of the Battle of Little Bighorn populary known as Custer's Last Stand.
(I) Well, I'm more interested in the primitive lifestyle of the Plains Indian than I am in tall tales about Custer.
(W) Tall tales? Are you calling me a liar?
(I) No, no, it's just that I 'm interested in the way of life of the Indian rather than, shall we say, adventure.
(W) You think the Battle of Little Bighorn was an adventure?
(I) Little Bighorn was not representative of encounters between whites and Indians. You see, the near genocide of the Indian.
(W) The near what?
(I) Near genocide. It means extermination. The killing off of an entire people. That's practically what we did to the Indian. But, of course, I wouldn't expect an old Indian fighter, like you, to agree with me.
(W) Turn that things on(テープレコーダーのスイッチをいれろ)・・・Now you just sit there and You'll learn something.・・・I knowed the Indians for what they was.
 このシーンでのインタビュアーは雰囲気的には新聞記者風で、あまり歴史研究者には見えませんが、話の内容は歴史研究者と証人の対話ととることもできます。この作品を自分が好きなのは、1970年に製作されたこの作品の内容がちょうど自分が大学院にいた頃の思想的・学問的な状況に対応するところがあるからです。もちろん思想的状況はヴェトナム戦争と公民権運動です。そうした中で西部劇でのインディアンの扱いが劇的に変化していく、その画期に『ソルジャー・ブルー』などとともに製作された作品だからです。
 学問的には、この作品はテープでの聞き取り、当時から確立されはじめたオラルヒストリーによる現代史という構成をとっています(この手法は『タイタニック』にも取り入れられました)。さらにいえば、この時代は社会史が国際的に大きな影響を確立しはじめ、日常生活への関心が高まりつつあった時代で、そのことはインタビュアーの質問にも反映されていますが、作品ではそうしたordinary way of life への「より大きな関心」というアプローチへの疑問が、「生き証人」の言葉を借りて批判されています。
 さらにはこの作品では、冒頭の引用で証人が自らをホワイトと述べているにも関わらず、インタビュアーは引用された最後の文章の一つの前で相手をインディアンと呼んでいることに示されているように、アイデンティティの問題などもテーマとしています。しかし、この作品で印象深いのは、最後の二つのシーンです。何も残されておらず、誰もいない平原に雨が降り続けるというシーン、それからそれに続いて映し出される語ることを止めた無言の証人というシーンです。この二つのラスト・シーンズをとおして映画は、インディアンの歴史がそうであるように、何も痕跡が残されていないことによって過去の無数の事実が現在では不在化していること、実際に存在していたはずの過去をフィクションのかたちでしか語れないことへの諦念を象徴的に示すことによって終わります。そうした意味でもアーサー・ペンのこの作品は、歴史にかかわる諸問題を考えるのに参考となるもので、好きな作品です。
# by pastandhistories | 2010-10-07 10:24 | Trackback | Comments(0)

二つの家系図

 授業がはじまると、それに平行して増えるのが会議。今日はこれから一日夜まで会議です。ということであまり時間はないのですが、少し前に書いたホライゾンタルとヴァーティカルという話を補足すると、自分をヴァーティカルに位置づける系図の書き方には二つの方法があります。一つは末広がり型の「家」系図です。共通の先祖を先頭に、そこから下ってきた系譜に同じ世代を位置させる書き方です。こうした方法では同じ世代のホライゾンタルな結合関係が、たとえば同一の「一族」「家」という枠の中に示されます。現在主義的な視点から過去が、単系列的に説明されています。
 これに対してある一人の人間から過去へとさかのぼっていき、樹型的に書く方法があります(競走馬はこの応用として当該馬を中心とした円型で書くこともあります)。1世代前なら2人。2世代前なら4人、5世代前なら32人という逆末広がりになりますが、実際にはこうした書き方はあまり見られません。32人のうちの多くが不明ですし、それ以前はさらに不明だからです。
 もちろんこの二つの書き方で、より正確な過去に近いのは後者です。前者では現在、もしくはある時点でのホライゾンタルな結合・単一化が重視されていて、その一方で過去の実在のほとんどが認識から排除されているからです。これに対して後者は、もしそれを正確に再構成することができれば、一人ひとりの個人に本来備わっていた多様性、あるいはそうした個人の集合体に本来備わっていた多様性を認識させるものとなります。
 過去を忠実に再現するのが歴史であるというのなら、過去の多様性を多様性として認識する後者的なもののほうがはるかに正確だということになるはずです。 
# by pastandhistories | 2010-10-06 13:58 | Trackback | Comments(0)

artifacts

 多様な史(資)料から歴史を構築することについていつも思うのは、artifacts、つまり人工物のことです。それぞれの時代に文化的に生み出されたものが、どういう形で現在の歴史認識に影響を与えているかということです。なにも現物である必要はありませんが、artifacts は過去を想像する重要な手がかりだからです。
 しかし、ある研究会でそのことを指摘したことがありますが、現在の日本ではたとえば江戸時代にさかのぼるようなartifactsはびっくりするほど、日常周囲にあるものに見出せません。研究会は大学の教室でしたが、部屋にも、参加者の服装にも、持ち物にも明治以前の過去を示すようなものは見当たりませんでした。いまこの文章を書いている部屋にも、百年以上前の過去を示すものは、テクストである歴史書の中に文字として記されている以外にはありません。
 もちろん部屋から出て街などの多少広がりのある空間に行けば、過去から残されてきたartifactsを寺や神社に、地方であれば町並みに見ることができるかもしれません。しかし、それも限定的なものであって、たとえば東京では電車に乗って職場に行き来するという日常の中で、多くの領域において、過去に作り出されたものと同一のartifactsを直接見出すことには困難さがあります。
 そうしたなかで現在に生きる人が、過去を想像するさいの媒体となっているものが、過去を素材とした映画です。映画では、そのほとんどはレプリカですが衣装や日常品、建造物といったartifactsが映像を媒介として具体的に示されます。あるいは実際に過去に作られたartifactsである古い町並が、撮影のロケーションの場として利用されます。こうした映像が、周囲に過去認識の媒体となるようなartifactsの乏しい現在に生きる人が過去をreality like なものとして想像することを可能にしています。
 reality likeであってrealityではない。したがって映画を事実性を根拠に批判することはそれほど難しいことではありませんが、過去とは異なったartifactsを作り出し、それに取り囲まれて生きている人にとって、映画がartifactsを含めた過去への想像的理解に果たしている役割は小さなものではありません。
# by pastandhistories | 2010-10-05 09:14 | Trackback | Comments(0)

史料の多様化

 『思想』8月号の長谷川貴彦さんの文章にもそうした方向性が示されていましたが、歴史研究者の立場から言語論的転回とか言説分析といったポストモダニズム的な議論を考えるときに重要なことは、実際の歴史研究にそうした議論がどう生かされるかということです。歴史そのものについての原理的な議論もたしかに重要なことですが、それは哲学者の課題であって、歴史研究者は自分の場にある具体的な問題を考える必要があります。この点に関して残念なことは、ポストモダニズム的な議論を拒否する歴史研究者の批判の多くが原理的なレベルのものにとどまっていることです。批判をそうしたものにとどめてはいけないということは、最近の歴史研究の流れに示されています。
 ポストモダニズム的な歴史論と限定する必要はありませんが、最近の歴史研究の重要な要素となっていることは、認識主体と認識対象の多様化です。またこのこととも関連しますが、史料の多様化と、史料解釈の多様化です。後者に関して参考になるのが、Routledgeから2009年に刊行されたReading Primary Sources, History Beyond the Text, History and Material Cultureという3冊の論文集です。というのは、これらでは文字的なテクストに限定されがちであった研究が、現在ではきわめて多様な史料にもとづくものになりつつあることが、またそうした史料に対応する多様な解釈のあり方が、きわめて具体的に論じられているからです。また重要なことは、こうした多様性が少なからずポストモダニズム的な歴史論との関連から論じられているからです。
 このうちの最初の本を現在授業のテクストとして使用しているということを、先週書きましたが、たとえばその中に掲載された本の編者でもあるM.DobsonのLettersを扱った論文は、書簡・手紙といった史料の読み方について、具体的な史料を例示しながら、かつポストモダニズム的な議論を考えを取り入れながら、興味深い議論を示唆しています。読み書き能力の向上により「普通の人」が文章を書くようになり、郵便制度の飛躍的な発達によって手紙の量が爆発的に増加したこと、そうした手紙は私的な形態をとっていても、実は完全には私的なものではなく、ある共同性を前提としていて、かつそうした中での自らのアイデンティフィケーションをライフストーリーとして構築するものであった、あるいは社会自体が生み出していた文体に呼応するものであった、ということなどです。簡潔にいえば普通の人の言説はどのようなものとして構築され、それが社会的にどのように機能していたのかが議論されています。
 残念ながらこの狭いスペースではこれ以上丁寧に説明できませんので、いずれきちんとしたかたちでまとめて紹介できればと思いますが、今日書いたことを結論的に一言でいえば、史料においても、その解釈においても、歴史の相対化・多様化は具体的な歴史研究をむしろ豊かにしていくということです。ポストモダニズム的な議論を原理的に否定するより、そうした豊かな方向性を生み出したものとして歴史研究者はポストモダニズム的な議論を考えたほうがよいのではと思います。
# by pastandhistories | 2010-10-04 12:16 | Trackback | Comments(2)

ホライゾンタル・ヴァーティカル

 昨日親子で使用する文字が異なっていたという例をとりながら、ホライゾンタルな結合がヴァーティカルな結合より強い影響力があるということを説明しました。もちろん父の世代が旧仮名遣いを用いたのも、近代国民国家が生み出したホライゾンタルな結合によるという部分もあります。いずれにせよ、近代国民国家にはホライゾンタルな結合(ナショナルな結合)を推し進め、それまでのヴァーティカルな結合(ローカルな、あるいはリージョナルな結合)を打ち破るかたちで成立したという面があります。もちろん厳密に言えば、ローカルな結合もまた層的な要素を含むという点でホライゾンタルな側面を有していて、ヴァーティカルな要素が大きい家族のような一次的集団とは異なるという議論もできます。
 この問題が歴史に関して重要なことは、現在あるホライゾンタルな結合(たとえば日本という単位)にある認識の枠組みが、まだそうした結合が存在してはいなかった過去(地域的、私的結合が強く、拡散的であった時代)に適用されて、過去もまた既にそうしたホライゾンタルな結合のあった社会として、あるいは少なくとも現在のホライゾンタルな結合を枠組みとして認識されることです(多くの日本史研究者が、「日本人」という一体化した立場から歴史を理解していることがその典型的な例です。また「6世紀の日本では」というのも、そうしたことの典型的な例です)。こうしたかたちで捉えられた過去は、もちろん「日本人」などという認識の枠組みを持たなかった過去の人々が作り上げていた社会を正確に再現したものではなく、現在のホライゾンタルな結合に合致するために構築されたものです。
 言語(方言さらには他民族集団の言語の消滅)の例をとるのが一番わかりやすいところがありますが、近代国家の成立の過程で、ホライゾンタルな結合はヴァーティカルな結合を排除することによって成立してきました。ここで忘れてならないことは、言語ばかりでなく、歴史、つまり過去認識にも同様の過程、ホライゾンタルなものがヴァーティカルなものを排除するかたちで成立してきたという側面があることです。家族というようなヴァーティカルな過去認識の単位が、近代歴史学の中から排除されているのもそのためです。ヨーロッパの民衆のミクロ的世界の最近の研究が学問的にもっとも優れたものであり、世界的にホライゾンタルに共有されるべきものであると力説する研究者は多くいても、個々の人々がそのミクロ的な世界をとおして継承してきたヴァーティカルな過去への認識の重要性を主張する歴史研究者はほとんどいません。学問的世界では具体性に名を借りた象徴的過去が優先され、本当の具体的過去は軽視されています。
 「世代」の問題を書こうとするとどうしても話がずれてしまいますが、「世代」の問題に関して最後に付け加えると、「世代」の問題は「戦争」の問題を例にとるとわかりやすいところがあります。「戦争」を成年として体験したた世代、「戦争」を少年として体験した世代、「戦争」を戦後民主主義のなかで追体験して世代、その後に歴史として学んだ世代(もちろんここもさらに細分化できます)という様々な世代が現在の日本には存在しています。もちろんそうした層的分化(ホライゾンタルな枠組み)は集権的な権力やマスメディアが発達した近代以後の社会のなかで促進されたものであって、そのまま過去に適用することには疑問もありますが、少なくとも近現代史や現代社会における歴史認識の分析にとっては有用性があります。
# by pastandhistories | 2010-10-03 10:00 | Trackback | Comments(0)

文化的断絶

 マンチェスター大学のステファン・バーガーからメールがきました。国際歴史学会議で手渡すことのできた自分の一連のペーパーをわざわざ読んでくれた、その感想です。もちろん儀礼的なこともあると思いますが、好意的な内容が記されていました。あわせてこれから議論していくべきこととして、スヴェン・ベッカートを例にあげながら、global microhistoryの問題をどう考えるかというこちらへの質問が記されていました。
global historyとmicrohistory、この二つはこれからもしばらく続く現在の歴史研究のトレンドでしょうから、この二つをどう結び合わせていくかが、今後議論の対象となるとバーガーは考えているのだと思います。自分が歴史のdecommonizationやprivatizationを主張したことに対して、バーガーはそうした歴史のミクロ化が、全体的な枠組みとどう関連づけられるかに疑問をもったようです。この問題への回答はバーガーへの返事を書く時に考えていきますが、今日は昨日の続きで「世代」という問題について私的な経験を交えて少し書き足します。
 「世代」ということで私的に思い出すのは、父と自分の差です。もっとも個人的には自分の父は、その世代の人物としては趣味や食事や服装その他すべてにおいてかなりモダンなところがあって、若い頃はいわゆるモボだったのだと思いますが、その父と自分の違いということで大きなカルカチャーショックを受けたのは、小学生の時にそのモダンな父が文章を旧仮名遣いで書いているのを偶然発見した時です。父はサラリーマンではありませんでしたし、年賀状も印刷という人ですから、私的な手紙など以外は普段はまったく文章を書くことはありませんでした。その父が業界紙から依頼があったということで書いていた原稿が旧仮名遣いであったということです。「これでは恥ずかしい。今はこんな字は使っていないよ」というのが父にその時自分が伝えた言葉でした。小学生が大人に注意して、結局父は子供の教えに従いました。
 コミュニケーションのもっとも基本的手段である言語(文字)ですら、同じ家庭内にあって、世代によって異なるというのは、生活習慣や考え方の違いなど以上に本当にショッキングな体験でした。このことに関してその後考えるようになったことは、家族を単位としたヴァーティカルな継承によってではなく、文化は大きな強制力をもつ学校教育などを管理する国家によって現在では作り出されていることです。そのことが人々の結合のなかで、ヴァーティカルなものより、ホライゾンタルな要素の役割を強めているということです。
 もちろんホライゾンタルな結合は、権力がもつ強制性に加えて、文化空間の凝集性がマスメディアの発達などによって大きく発達した現代社会によって促進されたもので、歴史的過去の理解にそのまま適応できるかは議論される必要があります。しかし、少なくとも自分の中には、親子というようなもっとも基本的で日常的なヴァーティカルな枠組み以上の強制力をもつものによって、自分の思考は社会的に形成されたという実感があります。今日は歴史認識の世代性について書く予定だったのですが、少し内容がずれました。歴史認識の世代性については明日にします。
# by pastandhistories | 2010-10-02 10:50 | Trackback | Comments(0)

個人の変化・世代的要素

 既に還暦を迎えた森進一という歌手が、中学を卒業すると集団就職で鹿児島から大阪へ出てきたこと(本当は山梨出身ですが)は、同じ「世代」の人にはよく知られた話です。しかし、高校全入化という変化の中で、集団就職はもちろん、中卒労働力という形態も日本の社会から現在では姿を消してしまいました。
 このことに関して興味深いと思ったのは、数年前に放映された集団就職者のその後についてのドキュメンタリーで、消息の知れている同じ中学出身の集団就職者の半数近くが現在では何らかのかたちで社長と呼ばれる地位、もちろん中小企業・商店・飲食店が多数ですが、についていると紹介されたことです。ほとんど無権利の低賃金労働者から社長と呼ばれる地位に就いた人が少なくはなかったということです。
 戦前・戦後の日本の社会で思想的な転向が常態のように繰り返されているように(別に日本と限らず多くの社会にとってもありふれたことでしょうが)、あるいは上述した例が示しているように、個人は社会が変化していく中で、同一の社会的立場や思想的立場をを生涯維持し続けるわけではありません。むしろ変化させていくということの方が多いと断言してよいところがあります。だとすると「個人」を「集団」に組み込み、たとえばあまりにも包括的・一般的な「民衆」とか「階級」とかという言葉をもちいて歴史を説明することは妥当なのかという問題が生じます。
 もちろんこうした変化を集団的に、層的に捉えることができないわけではありません。「農村の長男以外の層によって構成されていた集団就職者は、高度経済成長の中で、その社会的地位を上昇させ、都市において中堅的な社会層を形成するにいたった」とか、「60年安保反対闘争や全共闘運動に参加した学生は、その後の社会の保守化に伴い保守的な社会層を全体としては構成し、その一部は大学において経済システムの変化に応じたイデオロギーの保守的再編、大学の秩序化におおきく貢献した」というようにです。こうした説明は、個人の生涯における変化を、具体性をもつ共通した集団に組み込み(中卒労働者・大学入学者という社会層的・集団的共通性)、それに世代的要素を加えて説明しているという点では、もちろんその中に階級的要素が含意されていないわけではありませんが、「民衆」「階級」といった言葉による包括的な説明より、説明としては正確と言えるかもしれません。
 「個人的な変化」と「世代的な要素」は、これまで歴史研究では意外なほど看過されてきましたが、事実を説明していく際の重要な要素です。そのことは歴史認識の問題についての言えると思いますが、その点については明日続きを書きます。
# by pastandhistories | 2010-10-01 09:32 | Trackback | Comments(0)

書くということ

 ロラン・バルトの「作者の死」という主張は、テクストが作者の意味させようとしたものとは異なるものとして、読み手によって永遠に自由に解釈されつづけていくことを指摘し、テクストには「正しい」読みがあるという議論への根底的な疑問を提示したものとして、その後の議論に大きな影響を与えてきました。この議論は、「読み手」の立場に立てば、自由に作品を読んでいいという権利の付与を意味します。しかし「書き手」から見れば、文字通り「死」、つまり将来的な不在化を意味することになります。
 ものを書くことにあるアイロニーです。いまブログとしてこの文章を書いているということには、当然読み手が措定されています。しかし、同時に明らかにこの文章は自己に対しても書かれているものです。なぜなら「作者の死」という言葉が正しければ、この文章の意を正確に理解しているのは書き手である自分以外には存在しないからです。しかし、自己との合意は、けっして他者による自己への合意を保証するものではありません。本来は他者とのコミュニケーションを目指すものが、結局は自己の中に回帰的に循環していくということが、書くという行為にはあります。
 多くの文学作品を読めばわかるように、書くという行為にはそうしたナルシスティックな要素があります。しかし問題は、バルトが指摘したように、書くという行為は自己の存在を立証するものではなく、むしろ自己の不在化を確認するものでもあるということです。こうした中で、自己の不在化への不安を回避する行為が、多くの書くという行為にみられる共同性への同化です。もともと言語は、他者とのコミュニケーションという共同性の媒体として構築されたものです。共同性の中にアイデンティフィケーションをも見出していくものとして、言語を媒体として構築されたものが重要な役割を果たしているのもそのためです。
 言語によって構築されたものが、「正しい」解釈を求めるのは、共同性を保持していくためであり、共同性によって維持されているアイデンティティを擁護するためです。そうした共同性の「正しさ」の中に自己を同化させるのか、もともと永遠の不在でしかない自己を確認するのかが、何をどのように「書く」のかを定めています。
# by pastandhistories | 2010-09-30 10:16 | Trackback | Comments(0)

メモの整理として

 「ここに一枚の写真がある。」・・・いずれここで書き終えたその最初の部分を紹介してもいいのですが、これはチャーティスト運動についての書下ろしを書き始めた時の冒頭の文章です。
 この書き出しは自分でもすごく気にいっています。19世紀に写真技術が広まって、写真による模写性の高い情報がpublic space で用いられるようになる、そのことが人々の意識を共通化させ、新しい社会的統合のきっかけとなっていった。そういうことを象徴的に示す文章です。 もっともこの文章が扱っている1848年のロンドンでのチャーティストの集会を写した写真自体は、当時はその存在が一般には知られてはいませんでした。20世紀の後半に発見されたものです。しかし、写真の発見によってわかったことは、この集会は当時London Illustrated News という挿絵入り新聞に版画絵を伴って紹介されましたが、その版画絵がこの写真をもとに集会の画像として、きわめて精度の高いものとして作成されたということです。London Illustrated Newsは様々な出来事を豊富な図像を用いて伝えましたが、その多くはそうした手続き(写真-版画化-印刷)をへて作成されたものでした。
 というように、この書下ろしは19世紀の中ごろの図像的な情報空間が果たした役割から書き始めたのですが、ある時期にこの仕事は完全にストップしてしまい現在にいたっています。このブログにも示されているように、歴史理論へ研究の重心が移るようになったからです。その理由は、今から10年ほど前の在外研究です。最初の半年は、本当に毎日のようにソルフォード大学に隣接した労働者階級運動史図書館に通ってノート作りをしていましたが、空いた時間に1993年に書いた『国境のない時代の歴史』を英訳しているうちに、そこで書いた問題をもう一度考えてみたいと思うようになったためです。
 本来は帰国後はノートを整理してチャーティスト運動関係の文章を書かなければならなかったのですが、イギリスでは読めなかった日本語の理論関係の本を読んでいるうちに、理論的なことへの関心が先行し、こちらの原稿をまず書き始めました。驚くほど進んで全体を8章構成で計画し、最初の5章ほど(400字換算400枚ほど)が本当に短期間で書きあがりました。
 問題はそれからです。結論とその結論につながる章がどうして書けない。その理由としては色々な要素がありますが、やはり大きな理由は、この間次から次へと出されていく欧米での理論的研究の進展に追いつけない、こうした研究で示されている問題設定は、たとえばポストモダニズム的な議論はその一例ですが、日本ではほとんどフォロウされておらず、参考になるような日本語文献も少なく結局は欧米の文献を一人で読まなければいけない、ということです。加えて言えば、つなぎの部分として書いたものを個別的な論文として発表したので、同じものを継ぎ足したくはない、ということも原稿が止まってしまった理由です。ただメモだけが膨大に蓄積して、それが処理できないという状況におちいってしまいました。
 ということで、書きはじめにも説明しましたが、このブログはそうしたメモを整理していくために、個人的な状況を含めてかなり私的なものとして書かれているものです。同じことはあまり書きたくないので、まだ原稿化できていない部分について自分のアイディアを文章化しているものです。あまりまとまりはありませんが、定期的にアクセスしてくれる人もいるようなので、大学が始まって時間的余裕がなくなり、また他の原稿も書かなければならないのですが、これからもできるだけ毎日書いていくつもりです。
# by pastandhistories | 2010-09-29 09:22 | Trackback | Comments(0)

時間性

 いま8時50分です。8時50分という時間は、宇宙の中の絶対的時間としてあるわけではなく、人間が人間社会にとって必要なものとして作り上げたものであると指摘したのは、プラグマティズム的な相対主義を論じたローティーです。世界は絶対的真理によってではなく、人間の作り上げた言葉によって、社会と言葉との相関的な変化のなかで、つねにそうした変化に対応するかたちで描き直されていく(redescribe)という主張です。
 時間ですら絶対的なものではない、と言われると確かにその通りですが、実はこの議論には宇宙という言葉がある種の永遠性をもつものとして措定されているところがあります。そうした宇宙の絶対性に時間概念を媒体に疑問を呈したのが、バートランド・ラッセルの「5分後の宇宙の実在は証明できない」という主張です。おそらくこの文章を書き終えるころには、その5分後は過ぎているでしょうから、なんとかそのことは事後的には証明されそうですが、実はそうした議論はまだ経験されていない未来への推測を媒体に成立しています。
 しかし、ラッセルの議論で大事なことは、哲学的には未来はその実存を厳密なかたちでは証明されているものでないということです(・・・いま証明されたようですが・・・)。同じような意味で、過去の存在も厳密な意味では哲学的には証明されえないと言えるかもしれません。少なくともそのように存在の論証ですらあやふやなものが、厳密な意味で正確に表象されることはありえないというのが、歴史の脱構築論の一つの要素です(すべての脱構築論者がそうした立場に立っているわけではありませんが)。
 ラッセルもローティも系譜的には自由主義的な立場に立つと言えますが(さらには社会民主主義的な思考があったとも言えますが)、彼らがこうした議論をしたことの一つの理由は、時間性というものが、しばしば人々を支配する媒体となってきたためです。個人としては経験したことのない過去、経験することのない未来を措定することをとおして、時間は個を、個を超越した時間を管理するものに従属させてきました。宗教の多くは人間を死後ばかりか、生前という個が認識しえない時間性の中に位置させることによって人々を支配してきましたし、多くの集団は家族・一族から国家にいたるまで、長期的な時間性を持つものであると称することをとおして、そうした集団に個を従属させてきたわけです。歴史というナラティヴの多くには、とりわけcollectiveな歴史には、そうしたものとして「歴史的に」機能してきたという側面があります。
 もちろん正しく歴史を認識することによって正しい時間性の中に自らを位置づけるという議論も可能ですが(近代歴史学はそうしたものとして成立しています)、時間性の中に自らを位置づけることへの疑いもまた議論としては大事なことです。
# by pastandhistories | 2010-09-28 09:19 | Trackback | Comments(0)

授業とテキスト

 ブログというかたちでこれまで考えてきた理論的なことをずっと書いてきましたが、今日から授業ということで、大学での授業について触れると、いちおう1年生から4年生、大学院にいたるまでの一通りの授業を担当しています。教養科目(地域史)が一つ、専門科目が基礎演習(1年)、史料研究(2年)、卒業論文指導演習(3.4年)、それから大学院の演習と特殊講義となります。
 地域史は自分の専門ということでイギリス近代史の概説となります。講義は苦手でいつまでたっても上手にはならず、頭の痛い授業です。基礎演習は色々試みましたが、この間はE・H・カーの『歴史とは何か』を英文と和訳で購読し、英語の小テストを重ねるという形式です。こうした授業は学生の学力を比較するのに便利ですが、現在の大学1年生にカーの本は相当に難しいようで、英語は翻訳があるので少しはわかるけど、という感じです。正直言って歴史の方法論、とくにカーの議論のような相対主義的な議論を1年生に紹介するのは年々難しくなっている感じがします。その意味ではこのブログの内容も、1年生ばかりか、大学生には難しいかもしれません。
 史料研究という授業は、直接史料を読むということで、何年か前からコンピュータールームを使用して、ネットからそれぞれの関心のある史料を訳してもらい、添削するという方法を試みました。学生全員が関心をもつものとはいえない「同一」のテクストを読むという形式に疑問があり、また史料の入手もネットを通せば学生でもできる作業になったのでそうした形式を取り入れたのですが、この方式も授業としてはかなり難しいところがありました。他の学生の読んできた史料への関心が教室全体のものとはならないためです。逆にこちらの負担は大変で、労多くして実りが少ないところがありました。ということで、今年は前半はOxford University Pressから出ているWriting History ( by W.H.Storey, 3rd ed. 2009)の冒頭部を前半は読みました。このテクストは英文もやさしく、ネットの利用から入っていきますので ( googleの検索をどう利用するかが、結構議論されています)、現代的で学生にもわかりやすいよいテキストだと思います。後期は M.Dobson & B.Ziemann, Reading Primary Sources, Routlege, 2009を読むということで、夏の課題として3章から6章(Letters, Surveillance reports, Court files, Opinion polls)を割り当てましたが、これはかなり英文も学生には難しいのではと思います。
 卒業論文や、大学院の演習は学生の報告が主です。ということまで書いたところで、客人が来ました。
# by pastandhistories | 2010-09-27 12:35 | Trackback | Comments(0)

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