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通時的な思考の意味

 (日常的なものとして観察できる)経験的事実を、(時間性などを大きく拡大した)法則などの非経験的なものへと拡大したことが近代科学の重要な要素であるということを、1週間ほど前に「近代科学と歴史」という文章で書きましたが、そのことを少し補足するとダーウィンの進化論もまたその一例です。それまで存在していた観察に基づく分類学(種の区別)を、時間的な流れ(種の発展)から法則化したものが進化論だからです。別の言葉で言うと、シンクロニカルな認識をダイアクロニカルな認識へと置き換えたことということです。
 実は国際歴史学会議で結論的に主張したことは、ダイアクロニカルな視点からではなく、シンクロニカルな視点から歴史を見ることの意味です。もちろんこうした主張は、文化人類学などの構造主義的な視点から生じたものです。多様なかたちで存在するものを、厳密な観察・描写の対象とすることによって、対象を優劣において捉えるのではなく、それぞれ存在意味をもつ等価的なものとして理解していくという考えです。
 こうした考えから「進歩」という枠組みで個々の事実の優劣を価値づけるという点で通時的な議論は批判の対象となったわけですが、実は共時的な方法にもまた個々の事実の優劣を価値づけるという面があります。たとえば神を人間の似姿とし、そのことを通じて文明化された人間を絶対化してきたのは、西洋をはじめ多くの文化の中でおこなわれてきたことです。なによりも人間の認識を絶対化し、そこから基本的な議論は組み立てられてきました。観念論と唯物論という区分はそうした議論の典型的なものでしょう。
 人間をもダイアクロニカルな枠組みの中で過渡的なものとして位置づけた進化論は、神中心的な思考ばかりでなく、人間中心的な思考を打ち破ったという点では、法則性を媒体としながらむしろ相対主義的な思考をすすめていくのに重要な役割を果たしたといえます。リチャード・ローティーは「ネアンデルタール人の叫び」と「現代人の言語」は同じものなのかという問いを立てることをとおして、言語によって構成された対象認識の相対性、プラグマティックなものとしての知、という問題を指摘しました。19世紀以降大きく発展した精神分析学や発達心理学もまた人間の個としての知が、認識の出発点として絶対化できるほど確たるものでも、共通したものでもなく、言語などの対象認識の媒体が社会的に獲得されていく過程にしたがってダイアクロニカルに獲得されていくものであることを明らかにしました。ダイアクロニカルな思考が西洋中心主義的な歴史理解の根拠となったことは事実ですが、また一方ではそれが相対主義的な思考の根拠ともなったということを無視するするなら、そうした議論もまた奇妙なものとなります。
# by pastandhistories | 2010-09-23 07:54 | Trackback | Comments(0)

価値としての客観性

 映画には、夢や幻想や錯覚・想像を通常の画面構成とは異なるものとして示すという手法があります。カラー映画の中でそうした場面を白黒化したり、セピア色としたり、あるいはオフフォーカスで描くという手法です。すべてを通常の画面として描くと、「事実」と「想像されたもの」の区別がつかづ、観客に混乱を生じさせるからです。2時間ドラマでも、回想をそうしたかたちで映し出すこともおこなわれますが、犯人の告白による「事実の再現」の多くは、基本的には通常の画面構成を通しておこなわれます。そのほうが告白の「事実性」を視聴者に印象づけることができるからです。
 昨日も書いたように、告白はテクストなわけですから、本当はこれはおかしいところがあります。告白の現場という事実は通常の画面構成をとってリアルなものとして示されてよいわけですが、告白そのものはあくまでもテクスト化された回想であって厳密な事実性については確定し得ない要素があるわけですから、画面として示す場合でも、おぼろげな曖昧なものとして示すのが、より忠実な表現様式なはずです。
 しかしそうした表現様式をとらないのは、昨日も書いたように映画の文法的問題であると同時に、くわえて2時間ドラマがテーマとしているような犯罪行為の確定・犯人の逮捕・処罰ということについて、現実の社会においては過去の事実の正確な認識ということが重要な要素とされていて、そのことがフィクションの形式にも反映されているためです。
 実際の社会において、多くの人々は日々報道される犯罪について、報道自体としてはテクストに過ぎないにもかかわらず、そうしたテクストをつうじて報道されることを事実として認識しています。その事件についての当事者的真実、つまり犯人とされた人物の多くがおこなっている無実の主張を受け入れることはあまりなく、犯人への処罰に暗黙の同意を与えています。つまりテクストによって示されたものを、事実として承認しているわけです。そのようなかたちで、テクストがいつのまにか確たるものとして「事実として共同化」されているわけです。
 もちろんこうした「共同化された事実」は、「過去の事実そのもの」と完全に一致したものではありません。社会が求める価値としての「客観性」にもとづくものであっても、映像としてありのままに再現できるような厳密な客観的な事実では本当はありません。「歴史」もまたそのようなものとして共同化されているものです。
# by pastandhistories | 2010-09-22 10:36 | Trackback | Comments(0)

2時間ドラマの文法

 2時間ドラマには事実認識についての文法があります。様々な職業の推理者(たち)が犯人を探り出すということをプロットの基本として、ストーリーは、証拠の発見-推測-犯人の(現場もしくは断崖での)告白、というように展開していきます。そうしたストーリーの流れで「事実の確定」に関してもっとも重要なことは、犯人の告白が「映像によって再現され」、そのことをとおして犯人はもちろんのこと推理者や関係者、さらには視聴者によって「過去の事実」が認識されることです。
 しかし、よく考えてみればわかりますが、こうした枠組みが実際の過去認識において用いられることは基本的にはありません。なぜなら「犯人の告白」は、文字通り「告白」、つまり語られたものであるにせよ、記されたものであるにせよ、テクスト化されたものでしかなく、けっしてドラマのように「過去の現場」を完全なリアリティとして再現するものではないからです。したがって、実際には、話されたこと、記されたこととしてしか(一部にはもちろん映像的な記録が証拠として残されている場合もありますが)過去は、現在的には存在していないわけですから、2時間ドラマが現実に忠実な構造をとろうとするならば、エピローグもまたせいぜいが推理者の推理と犯人の告白のみにとどめるべきであって、「事件の映像による再現」を加えるのはおかしいということになります。そのそれぞれの告白(テクスト)を異なるものとして具象的に(想像的な映像として)示した『羅生門』の方が、第三者がそうした差異のあるテクストをもとにそれぞれ異なった過去を想像しているという「現実」の過去認識のあり方をより正確なものとして示している点で、よりリアリズムの方法に立っているということです。
 しかし、こうした問題について言えることは、「リアリズム」にもとづいて2時間ドラマからその重要な要素である「犯人」の「告白」にともなう「過去の事実の忠実な再現」という場面を削除したら、おそらくそのドラマは視聴者の支持を得ることができないだろうということです。多くの視聴者もまた「テクスト」は「事実」との相互関係において初めて成立するものであり、「テクスト」だけでは事実性を示すものではないと考えているからです。もちろん脱構築論的な議論もそうした立場に立っているわけですが、脱構築論的な議論がさらに問題としたことは、2時間ドラマにある文法がそうであるように、あるいは実証にもとづく忠実な過去の再現という議論もまたそうであるように、「テクスト」にもとづく想像でしかないものが、なぜ実際にはありえない「過去の事実の忠実な再現(representation)」を伴い、しばしば受け手に対する強制力をもつものとして立ち現れているのかという問題です。そのことはもちろん「過去の事実の存在」や「想像力」そのものを否定しているというわけではありません。
# by pastandhistories | 2010-09-21 09:16 | Trackback | Comments(0)

記号の事実化

 前の文章で書いたことを、日常的な例をとって説明します。ネットがもたらした変化の一つに、記号の集積体である情報が多元化し、とりわけマスメディアの情報管理の中ではタブーとされていたことや、隠されていたことへのアプローチが可能となったということがあります。その一つに死刑確定囚についての情報を伝えるサイトがあります。このサイトには興味深い情報がいくつかありますが、中でも興味深いことは、確定囚のなかで冤罪や誤審を主張している人が少なくはないということです。
 ある殺人事件が起きたということは、被害者の死体が他殺を根拠づけるかたちで確認されたという点で事実であったとしても、事件に関する当事者というのは、被害者と残された「ジャスト・ワン・ウィットネス」である加害者しかいません。事件を取り調べた警察官も、それを報道した記者も、そうしたメディアから得た私たちも、判決した裁判官も、事実を残された「ジャスト・ワン・ウィットネス」以上に正確に知っているわけではありません。「記号の集積体」をとおして事実を推測しているのに過ぎません。
 しかし、日常的な経験として本当に驚くのは、たとえば犯罪事件のような場合、本当に多くの人が特定の記号の集積を、客観的な「事実」であるとさほどの疑いもなく認識していることです。職業柄老若を問わず歴史研究者と日常的な話題について会話をすることが少なくないわけですが、こうした会話の折に、いわゆるロス疑惑事件裁判や元同業者の二度にわたる痴漢冤罪事件についての疑問や批判的な考えを述べれば、返ってくるのは「厳密な実証主義者」(?)からの軽蔑の眼差しです。もちろん多くの人は、確定した裁判に対する「ジャスト・ワン・ウィットネス」から申し立てについても、その信謬性を根拠にほとんど関心を示すことはありません。メディアが冤罪を主張しない限りは、多くの人は証言を事実とは考えません。
 こうしたことが示していることは、ある社会や集団は、自らが経験したわけではない「記号の集積」のあるものを、特定の目的のために「事実」としていて、それを社会や集団に所属する人々が、さほどの疑いを持たずに受容しているということです。犯罪を含めて日日私たちに送られてくる記号の集積に対して不可知論の立場をとっても論理的にはよいわけですが、そうした立場をすべての人がとれば、社会が安定した維持が困難になる、そうした合意のもとで、本来は論理的には不可知的なものが、事実として構築され、多くの人がそれに合意しているということです。
 本来はこのような事実の構築性を批判する言葉であった「構築主義」という言葉が、保守的な体制擁護論者によってむしろ「歴史の作為的な構築性」を擁護するものとしてトリッキーなかたちで利用された根拠は、こうしたことにあるわけです。
# by pastandhistories | 2010-09-20 11:41 | Trackback | Comments(0)

その当時の真実

 「その当時の真実」という言葉があります。英語ではtruth at that timeとなると思いますが、文章としては、「その当時にはそれが事実や真実だと考えられていたが、現在ではこうしたことが事実や真実であったと考えられている」というように、現在的な判断の正しさを示すものとして用いられます。あるいは「それぞれの時代には時代毎の真実がある」というような意味でも用いられたりします。
 しかし、この言葉には厳密にはおかしなところがあります。「時代」というのは、時間的な位置を示すものであって、空間的な位置が示されていないからです。またもし「当時の日本では」というような空間的な位置が位置が示されたとしても、そうした空間的な位置にいた人々は様々で、共通の画一的な認識をもっていたと考えることには論理的にはかなり無理があるからです。
 こうした議論はたとえば、「ホロコースト」や「南京虐殺事件」などを例にとっておこなわれます。「ホロコーストは当時の人々には知られていなかったが、現在では多くの人に知られている事実である」「南京虐殺事件の存在は当時は知られておらず、戦後の戦争犯罪裁判によって多くの人に知られるようになり、現在では学問的に定説化している」というようにです。
 しかしこうした議論も厳密にはおかしく、厳密に言えば、「事件に被害者として、加害者として直接関与した人々はこうした事実の存在を当然のことながら認識していたが、戦争期の情報統制の中での一面的な情報しか与えられていなかった当時のドイツ国民や日本国民の多くは、そうした事実の存在を知らなかった」が、「現在では多くの史料や証言を元に、そうした事実の存在が明らかになり、多くの人がそのことを認識するようになった」ということがより正確な記述となるかもしれません。
 しかし、こうした「事実」と「認識」の関係は、それが時間的に「過去」であったということにおいてのみ問題となるわけではなく、「現在」の事件においても同じ関係が成り立っています。そもそも「南京虐殺事件」とそれを知らなかった当時の日本人は、「当時」においては同じ「現在」という「共時的」な時間に位置していました。それはアフガン戦争や、さらにはより日常的な例を挙げれば日日報道される犯罪事件という「現在」の事件が、今生きている人にとって「共時的」なものであるのと同じことです。
 もちろんこれらの事件を私たちの多くは直接経験しているわけではありません。そうした事件についての認識は、メディアによって伝えられる「記号の集積体」をとおして作り出されたものです。それは南京虐殺事件やホロコーストに対する、そうした記号の集積体をもとにした当時の人々の認識と構造的には同じものであって、別に客観的な事実認識であると断定できるものではありません。今後「記号の集積」が付加されることによって、後代の人々が「現在」とは異なる認識を持つことは、南京虐殺事件についてもそうであったように、十分に予想されることです。
 今日こうしたことを書いたのは、もちろん「その当時の真実」が誤っていて、「後代の歴史的認識」のほうが正しいということを述べるためではありません。そうではなく、「事実の記号性」という問題と、そうした記号的なものが社会の中でどのような役割を果たしているのかということを考えていくためです。それはどういう問題であるのかということは、次に書きます。
# by pastandhistories | 2010-09-20 10:45 | Trackback | Comments(0)

「民衆」の「怒り」

 「雲霞のような民衆の嵐のような怒りが王宮を包んだ」という文章は、歴史記述の形式としては不正確であるとしばしば批判されます。その根拠は、まず「雲霞」とか「嵐」は比喩的な表現であって、具体性がないということです。つまり「雲霞」ではなく、史料に基づいて2万人(実はこれも結構比喩的な表現で、本当は推計約20583人ほどのと厳密には書くべきでしょうが)と具体的に書くべきであり、「嵐」は不要な修辞であるということです。さらに言えは、この文章の中では具体的なものは「王宮」だけで、「民衆」も「怒り」も厳密な具体性を持つものではありません。それ以上に全体がそうした比喩的表現を媒体としてレトリカルなかたちをとっていることが批判の根拠とされます。
 エイゼンシュタインの『十月』という作品は、当時の参加者を出演させ、一部実写を交えたモンタージュ的な手法で十年ほど前の直近の実際に起きた事件をrepresentした作品ですが、この作品には、『戦艦ポチョムキン』と同様に、蜂起にいたる「民衆」の「怒り」が「当時の事実」として巧みに比喩的に表現されています。宣伝的な要素があるといえばそれまでですが、こうした「事実」をこのように比喩的なものへとアレンジしていくという手法は、映像的表現のなかでは、ジャンルに関わりなく劇映画、ドキュメンタリー、ニュースのすべてに共通する基本的な枠組であって、エイゼンシュタインの作品にもそうした要素が取り入れられているということでしょう。エイゼンシュタインの作品を見てそのことに気づくのは、「蜂起」とか「革命」というナラティヴのなかに、そうした事実の比喩化がわかりやすく組み込まれているからです。
 それでは「民衆」の「怒り」というような比喩的な形象を過去認識や歴史記述の要素とすべきではないのかというと、その答えは「ノー」であると結論だけを今日は書いておきます。実はその理由も含めて書こうと思い、1持間ほど考えましたがうまくまとめられませんでした。宿題にしておこうと思います。
# by pastandhistories | 2010-09-19 12:44 | Trackback | Comments(0)

パブリック・スペースの歴史

 いつも不思議に思うのは、近代国民国家(明治維新)の成立にともなってドイツ的な歴史学の影響を受けるかたちで近代歴史学が成立したという議論です。このこと自体が不思議な議論だというわけではなく、この部分だけを強調すると、歴史教育が近代国民国家の形成にともなって一般化したこと、また同時に近代国民国家とともに形成された情報や知識の伝達システムの中で、歴史がパプリック・スペースで一般化したという問題が見落とされてしまうのではということです。
 もちろん近代以前にパブリック・スペースの中で歴史がどのようなものであったのかという問題は、そもそもその時代のパブリック・スペ-スとはどのようなもので、過去認識がどのようなものであったのかという問題とともに問われていかなければならない問題ですが、近代国民国家が成立していく中でパブリック・スペースにある歴史が状況に対応する形で変化したということは事実でしょう。
 ホワイトの議論を読んでもわかりますが、E・H・カーの論争の相手であったエルトンやオークショットの議論を読むと、彼らがおこなった近代歴史学がその基点とした実証性や学問性を根拠とした教訓的な実用的な歴史への批判は、伝統的な歴史への批判であると同時に、論争当時に大衆的には広がりを見せていたパブリック・スペースにある歴史の批判を含意していたことが読み取れます。実際にはともに近代国民国家の形成とともに発展したものであったわけですが、学問的な立場からはパブリック・スペースの歴史が批判と対象となったわけです。
 1960年代頃からの社会史、さらには文化史への流れには、そうしたものへの批判という面がありました。増田四郎さんや阿部謹也さんが「普通の人の常識にある歴史」とか「世間」(英語ではpublicと訳せます)という言葉をもちいたことにも、そのことは示されています。こうしたなかで生じたのは、研究のミクロ化です。このことは既に何度か書いたかもしれませんが、研究のミクロ化という場合に大事なことは、研究対象のミクロ化と、それからこのことはしばしば見落とされていますが、研究主体のミクロ化という二つの面があることです。
 研究対象のミクロ化という議論はここで説明する必要はないと思いますが、研究主体のミクロ化というのは、リン・ハントなどが指摘していますが、たとえば、エスニシティ、ジェンダー、あるいはアンダードッグなどのこれまでの統合的な価値とは異なる立場に立つ人々が歴史研究に参加していく、また伝統的な研究集団に属していた人々がそうしたものから離れて個人的な視点から歴史を考えていくという流れが生じたことによって形成されたものです。研究が方法論を含めて統合的な価値を共有する集団によってではなく、そうした集団の外部の、あるいは集団からは離れた個人によるものとなったということです。研究対象がミクロ化し、用いられる史料もまた多様な拡散したものとなったのは、こうした研究主体のミクロ化(拡散化・個人化)と関係したものです。
 パブリックという言葉はしばしば集団的な画一性というニュアンスを内包するものとして捉えられがちですが、実際にはパブリック・スペースというのは、その時代の権力的な文化的価値が全面的に包摂し得ないものであるという点で、しばしば一元的なハイアラーキーにもとづきがちなアカデミック・スペースよりはるかに多元的なものです。そうした場にある歴史はその意味で、エルトンやオークショットが論じたほどにはネガティヴなものではありません。
# by pastandhistories | 2010-09-18 11:27 | Trackback | Comments(0)

スポーツと映画

 バルトはプロレスをその様式を踏まえてその神話的な様式性を記号論的に説明しましたが、いわゆる真剣勝負のスポーツのLive中継を見ていていつも思うことは、ルールがあり、その結果はある程度予測されるものであるとはいっても、基本的には不定形の未来が魅力となっているスポーツ中継が、それと同時に、起きた結果に対する事後的な説明や解釈としても、見られているということです。翌日のスポーツ新聞の記事は後者的なものを一定の時間を経た後に記録しなおしたものであって、過去にあった未定の未来への興奮という内在的な感覚を示すものでありません。つまり事後的に記されたものは、解釈や説明を伴っているがゆえに、その当時の感覚をそのまま伝えるものではないということです。過去についての言述である歴史には、過去とは異なるそうした要素があります。
 これに対して映画は、きわめて様式化されたものであり、そのストーリーにはジャンルによって通有の文法がありますが、スポーツを見るときとの大きな違いは、繰り返し何度見ても、面白いことも少なくないということです。プロレスもそうした要素があるわけですが、用いられる記号についての了解が送り手と受け手の間に存在しているからです。これに対して結果が未定であった真剣勝負のスポーツの試合は、事後的に見てもそれほどの面白さはありません。
 こうした問題からわかることは、実は面白いものとしては受け入れられている歴史は、過去の事実ではなくむしろ記号的な要素にもとづいて構築されたものであるということ、あるいはすでに起きたこのについての言述は、実際の過去にあったものとしてではなく、事後的な説明や解釈として機能しているということです。ある意味では当たり前の話なのですが。
# by pastandhistories | 2010-09-17 09:47 | Trackback | Comments(0)

記号への還元

 今日は信じられないことが起きてしまいました。あるテーマについて書いていたのですが、その内容通りのことが起きて、書き上げた原稿がすべて消えてしまったからです。ということで、今日は一日別の原稿書き、今その原稿書きが終わったので、内容を思いだしながら、書き直してみます。
 書いていたことの書き出しは、音も光も波に還元できるという問題です。音が波に還元でき、伝達されるには時間がかかるということは、雷やコダマという日常的な経験でも理解できることですが、光が波として伝わるという問題は、虹がそうした現象の一例であると言われても理解しづらいことです。しかし、あらゆるものが究極的には単純で均質的なものに還元できるという問題は、実は現在では多くの人が実際的なものとして認識しています。
 その問題を日常的な知識としたものはパソコンです。文字も、音声も、映像も究極的にはビットという極小の単位を集合したものに還元できるということは、パソコンを通じて多くの人に常識化するようになりました。それが現在に関するものであれ、過去に関するものであれ、その形態が文字であれ、音声であれ、映像であれ、すべての情報は究極的には単純な記号の集合体に過ぎないということです。認識もまたそうした記号の集積体である情報への知覚によって構成されているということです。
 このことは、記号の集合体を操作することによって人々の認識を操作できるということを意味します。このように現在の事件についてのニュースも、過去の出来事についての歴史も、結局はそうしたものであるとするなら、それを操作することによって、人々の認識を操作することができるということは、オーウェルの『1984年』のテーマでした。個人の経験的認識がそうしたものに対抗しえるものではないというのがオーウェルの絶望的な問いでもあったわけですが、経験的な知識として存在しているものではない歴史は(実はニュースで伝えられ、「事実」として受け入れている無数の情報も本当はけっして経験的なものではありません)、そうした記号の集積体であるということです。
 こうした議論は今日書いたようなことを考えれば、それほど無理な議論ではありません。問題は、記号の集積体としてのテキストは(歴史もその一つですが)、人々の認識に様々な肯定的なものをもたらしていますが、同時に批判的に考えていかなければならない要素もまた含んでいるということです。
# by pastandhistories | 2010-09-16 17:46 | Trackback | Comments(0)

近代科学と歴史

 以前竹内啓さんの考えを借りて少し書いたことがありますが、近代科学と歴史研究の関係の中で誤解されていることは、実証主義とか経験主義という言葉です。近代科学の柱をなす理科系の学問の多くが、「研究室」とか「実験室」で、日常的な認識に用いられる道具とは「異なる」ものを利用して行われていることに示されているように、近代科学の研究方法の中心となっている一つのことは、日常的な経験則ではなく、むしろ実験室的な条件の中で観察されるデータに基づき、普遍化・法則化しうるものを帰納的に抽出し、そうして得られたものを「非経験的な世界に一般化していく」ということです。つまり「経験」という言葉からイメージされるものとは、むしろ対極的なものです。顕微鏡や望遠鏡によって観察される世界というのは、通常の日常的な経験世界にあるものとは異なるものですし、さらに最近ではコンピューターをとおして様々なかたちで作り出されているフォーミュラ、モデル、パターンといったものは、対象に対する理解を容易にするものであっても、それ自体が経験できる世界ではありません。ブラックホールはもちろんのこと、そうした近代科学によって生み出された無限大の空間や時間、あるいは逆に極小の世界は、人間が個人として経験しうるものでは絶対になく、近代科学の確立によって、個々の人々の「認識」のなかに組み込まれるようになった、想像的なものです。
 近代歴史学の確立というとすぐに「ランケに始まる過去の事実をありのままのものとして記すという実証主義・・・」という議論になりますが、この議論は近代科学と近代歴史学の関係を見落としたものです。というのは、そうしたランケ的な議論はそれこそランケに始まるもののではなく、過去研究や叙述の基本として多くの社会でそれ以前からも存在していたものだからです。むしろ近代歴史学の重要さは、伝統的な歴史のあり方に対して近代科学の影響によって生み出された考え、つまり実証的なものによって生み出されたものを「普遍化・一般化」し、そうして得られたものを「非経験的な世界へと一般化していった」という側面にあります。個人としては経験したことのない過去から、個人としては経験することがないであろう未来への法則を抽出した「発展段階論」的な議論はその代表的なものです。こうした議論が17世紀以降に具体的なものとして広がったのは、この時期に発展し始めた近代科学と歴史が結びついたことを示すものです。歴史を人間が生み出す知と考えたヴィーコに、発展段階論的なアイディアがあるのもそのためでしょう。
 しかし、ヴィーコと限らずその後の発展段階論的な議論や、さらには歴史=科学論のなかに(もちろんマルクスはそうした議論を行った代表的な人物となります)、ヨーロッパの場合はそれは当然キリスト教なものということになりますが、伝統的な宗教的な要素が内在していることも事実です。もちろんその理由は、当時の言説空間が、伝統的な要素とそれに代わろうとする新しい要素、あえて単純化すれば宗教的な要素と科学的な要素を混在させたものであったからです。しかし重要なことは、そうしたspeculativeな歴史とpositivistな歴史が、近代科学にもとづく言説が支配的なものとなった近代以降の社会のなかでは重要な地位を占めるようになったということです。現在の歴史学にもなお影響を与えているのは、そうした枠組みです。
# by pastandhistories | 2010-09-15 11:32 | Trackback(1) | Comments(0)

魔女の実在

 魔女裁判は歴史に関心をもつ学生が比較的好むテーマですが、魔女が実在しているかというと、その答えは現在では常識的には「ノー」ということになります。これに対して「中世には魔女は実在していたか」という問いに対する答えは、「実在していた」ということになるかもしれません。裁判でその実在が認定されたということはもとより、無数の目撃証言のみならず、本人自身の自認などの数多くの証言が数世紀にわたって残されているからです。つまり「史料的」には「中世に魔女が存在していた」ということはかなり確実な事実です。しかし、そうした論文を学生や研究者が書いたら、その論文は事実を示すものではない、という批判を受けるでしょう。というのは、「実在してはいなかったが、多くの史料に見られるように、その存在は構築されたものとして広く当時の社会に受け入れられていた」というのが、現在ではより正確な判断であると考えられているからです。もちろんこうした判断が行われる理由は、史料的に魔女の実在を否定できるからではなく、現在常識的にもたれている知識を基準とするなら、魔女の実在や魔女が行ったとされる魔術についての当時の証言が、特定の時代や空間において集団的に生み出された錯覚や虚偽に基づくものであったと推定できるからです。
 そうした言説空間において異端とされた魔女の対極にあったものは、というより異端として魔女を構築したのは、正統としての「神の実在」です。もちろん神の実在も、本人の自認や無数の目撃証言を含む膨大な史料によって示されています。しかし、そうした膨大な史料は、神の実在を論証しうるものではありません。逆説的にいえば言えば、膨大な史料が存在するがゆえにこそ、その実在はきわめて疑わしいものであるという議論が成り立ちます。近代以前にはそれが自明のものとして受け入れたれていたとしても、現在常識的にもたれている知識からすれば、そうした史料もまた特定の時代や空間において集団的に生み出された錯覚や虚偽に基づくものであったと推定できるからです。その意味ではそれはオバケと同じです。近代以前にはオバケを目撃したという証言、その実在への感覚はきわめて豊富に存在していたわけですが、それは近代以前にはオバケが実在し、近代以降に入って絶滅したということを意味しているわけではありません。逆にUFOは、第二次大戦後にその実在が論じられるようになったものですが、もちろんこのことは宇宙人が第二次大戦後に突然地球に出没するようになったということを意味しているわけではありません。それぞれの時代にある認知の枠組みによってオバケもUFOも構築されたものであるということです。
 このように書くと、「魔女」「神」「オバケ」「UFO」というレベルの異なるものを一緒くたにして論ずるのは、論理的に誤りであるという批判を受けそうです。しかし、これらを一緒にして書いたことには大きな理由があります。というのは、上記の反論に示されるように、論理的には同じでも、議論の対象となるもののレベルを差異づけることによって、異なる結論を導き出すということが、実際の社会では行われるからです。つまり「オバケの非実在は確かだが、議論のレベルの違う神の非実在は論証できない」というような議論です。社会の中に存在する権威によって差異付けられたハイアラーキーが、論理や認知のありかたを支えているということが、こうした議論には示されています。
 少し挑戦的に書いてみましたが、今日書いたことは、以上のように「実在」とか「事実」というものは、史料や証言の有無のみによってではなく、論理や認知の審級化によって構築されているということです。それぞれの時代の言説空間にあるハイアラーキーにもとづいて、そうしたものは構築されています。
# by pastandhistories | 2010-09-14 10:26 | Trackback | Comments(0)

事実と主観

 「なんといってもそこで感じることが、自分の経験した「過去」と、「歴史」として書かれたものにある大きな乖離です。「歴史叙述」は対象化・客観化によって成り立つものであり、「過去の実在」とは異なるものであるといえばその通りなのかもしれませんが、自分の経験と歴史として叙述されたもののどちらが事実であるかといえば、やはり自分の経験したことのほうであるというのが、当事者の実感ですから、それとは異なるものとして歴史が書かれているということをとおして、歴史はけっして事実を忠実に再構成するものではないという、歴史に対する批判的な感覚を持つことができます。つまり歴史研究者としては自らの行為を自省する根拠ともなります。
 このこととも重なることですが、もう一つ感じることは、なんといっても当時の見聞や実感はもちろん、史料についても通暁しているのは、歴史研究者ではなく当事者であった自分のほうだということです。当然のことながら、そうした「史料」を根拠に「歴史研究者」の誤りを簡単に発見することができます。このことは、「史料」による過去の再構成という議論に歴史学がその根拠を置いていることの危うさを示唆しています。それはどういうことなのか、ということを考えるという意味でも、「歴史化された自己」という問題は示唆するものがあります。」
 少し長くなりますが、一週間ほど前(9月7日)に書いた「自己の歴史化」という文章をもう一度引用しました。あえて再引用したのは、「歴史研究の側により正確な事実認識がある」と考えている多くの歴史研究者にとっては、こうした文章のような考え方はかなりの違和感を感じさせるものだからです。しかし、こうした考え方は、それほどおかしなものではありません。たとえばある人物に関して、本人つまり「自伝執筆者」とその「伝記的研究」を行った「歴史研究者」に対して、「特定のある日についてのことが書かれていないけど、その日はどのような行動をとっていたのか」とたずねた場合、「自伝執筆者」は記憶が残されていればその問いに対して(その日の事実について)答えることができますが、「歴史研究者」は史料がなければ推測以上のものを答えることは絶対にできません。つまり現代史的な事件についていえば、「事実」は当事者の中に主観的な記憶として潜在しているのであって、「事実認識」についての優越性は主観のほうにあるということです。したがって事後的なものとして記された歴史の優位性というのは、「事実認識」の中にあるわけではなく、事実を寄せ集めて合成し、プロット化し、その過程をへて実際の事件が生じた時代とは異なるコンテクストのなかで、それを対象化し、客観化しているということ、別の言い方をすればそれを説明し、解釈しているという点にあるということになります。
 そのこと自体は別におかしなことではありませんが、問題はそうした作業にある「主観的」な事実との乖離です。ジョージ・オーウェルが『カタロニア讃歌』の中で書いたように、自分が「目撃」していることは、ロンドンで「記されている」こととはあまりにも違うという問題です。そのことが彼に「歴史」を整序化したものとして語ろうとする権力への批判として『動物農場』や『1984年』を書かせることになりました。歴史研究者が考えていかなければならないことは、そうした問題です。
# by pastandhistories | 2010-09-13 11:01 | Trackback | Comments(0)

ネットの辞書的機能

 自分は辞書や事典をあまり信用しないところがあります。少し無責任な話ですが、自分が項目執筆をした経験からもそう感じることがあるのですが、院生時代に英文科の友人が図書館で某有名辞書作成の下作業をしていたのを見てそう感じたことがあります。英和辞典を作る(これは当時日本で最も権威のあるものとされていたものですが)にあたって権威ある英文学者の下請けとして友人がしていたことは、OEDをそのまま日本語に訳すことであったからです。英英辞典と英和辞典では目的も機能も異なるわけですから、いくら権威があるといっても英英辞典をそのまま訳しても、使いやすい英和辞典にはならないでしょう。広辞苑を英訳しても、使いやすい和英辞典とはならないのと同じ理屈です。
 ネットの時代に入って英辞郎などのよってこの点は随分と改善されました。アルクのページは機械的な部分もありますが、例文が豊富で単語のニュアンスをくみとるのに便利です。最近自分が英文を書く時に用いているのは、ネットを辞書代わりに用いた文章確認です。色々なやり方があるはずですが、自分はYAHOO JAPANを用いています。「検索」の「語順も一致」を用いると(より正確にはもちろんYAHOO AMERICAなどの方がベターで、この場合はadvanced research - the exact phrase というアクセスになります)自分の使用したフレーズに関し、その使用例、あるいは正誤を確認できるからです。
 たとえば国際歴史学会議での自分のペーパーを例にとると、その中で使用された'existed in a variety of forms'とか'with the development of globalization'というフレーズが、どういうかたちで用いられているのかを確認できます。人によっては煩瑣だと思う人もあるかも知れませんが、結構便利な部分があって、外国語(英語とかぎらずネットにある多くの言語についても応用できるはずです)で文章を書く必要のある研究者や学生は試してみるとよいのではと思います。
 なおこの「語順の一致」という機能は意外と便利で、学生の論文やレポートの盗作の発見にも利用できますし、ネットにある情報が何の孫引きであるかも簡単に発見できます。このことは大学の教員にとっておすすめです。
今日は休みなので、読んでくれている人の参考になればということで、理論的なことでなく少し実用的なことを書きました。
# by pastandhistories | 2010-09-12 11:52 | Trackback | Comments(0)

ノンフィクションと歴史

 「舗石をはぐとその下は砂浜だ」というフランス五月革命の時の落書きが自分の人生のモティーフとして連載第一回目に紹介されていたノンフィクション作家の後藤正治さんの朝日新聞のインタビュー記事(「人生の贈りもの」)は、全体をとおして久しぶりに清々しい気持ちにさせられるものでした。そうしたモティーフにしたがって、有名無名の人々の人生を「書いて」「人に伝える」ということを自らの仕事とした彼の問題意識がよく伝わるものであったからです。
 歴史「学」に関連させるならば、ノンフィクションは文字通り「事実性」をその根拠としているということで、実証主義的な歴史学の主張しているところと重なります。また「無名」の個人をトリヴィアルな点に至るまで描くという手法が用いられた場合には、ミクロヒストリーとも重なり合います。
 それでは違いは何かというならば、もちろん「過去」「現在」という対象の違いが基本となりますが、もうひとつの違いは、歴史「学」(「広い意味での歴史」ではなく)が学問的世界という場において成立しているのに対し、ノンフィクションはpublic spaceにおける消費的な商品(consuming commodities)として存在しているということです。したがってノンフィクションは有名・無名の個人、あるいは事件を対象としてよいわけですが、あくまでもパブリック・スペースにおいて商業的に成りたつかが、それが書かれ、出版される根拠となります。「有名」な事件の再評価や、ある事柄を象徴する「無名の個人・事件」の掘り起しがテーマとされるのはそのためです。実はこのことは、前述の「広い意味での歴史」、つまりpublic spaceにある歴史と重なり合っています。その多くがnarrativeの形式をとっているということを含めて、public spaceにあるノンフィクションと歴史は、多くの点で共通性を持ちます。皮肉なことに、そうした場においては、歴史とノンフィクションの関係は、歴史のほうが、歴史「学」も含めて、想像性を交えたフィクショナルなものであるのに対して、ノンフィクションのほうが、検証可能な現存するものにもその根拠を置いているという点で、はるかに事実性の高いものであるということになります。こうした事実性の差異は、歴史を対象とした場合は一般的には困難な、オーラルな、あるいは最近ではヴィジュアルなメソドが、ノンフィクションでははるかに容易に使用することができるという点からも、増幅されています。
 事実性という問題に関しては以上のように言えるわけですが、問題はノンフィクションがこうしたかたちである特定の言説空間において成立するものであっても、その意味では個人や事件をシンボライズしていくものであっても、それ自体としては事件の継起の因果性を示すものではないということです。つまりnarrativeのなかに因果性を含意する歴史とはその点でも異なる面があるということです。ノンフィクションがしばしばミクロ的な手法をとるのは、歴史とのそうした違いに基づくものです。
 このように考えるとミクロヒストリーをどう考えるのかという問題も理解できる部分があります。ヘイドン・ホワイトが国際歴史学会議でミクロヒストリーをpracticalなものではないとして強くした批判したという話を紹介しましたが、おそらく彼は、歴史研究者が「実証的」な「事実性」を媒体として研究をミクロ化し、そのことをとおして自己を他の研究者や一般の人々から差別化し、権威化していくこと、そうした過程の中で歴史研究が自己目的化されていくということを批判したのだと思います。ホワイトのpracticalという主張は、もちろん操作的な、あるいは社会工学的なものにではなく、ethicな、astheticなものに基礎を置くものです。人間が個人として誰でも持つことのできるような、そうしたものにもとづいて過去は認識されなければならないという主張です。ミクロヒストリーが良質なノンフィクションと同じに、そうしたモティーフを根拠としていることを否定すべきではありませんが、そのことだけが学問的なものとして自己目的化されてはならないということが、大事だということです。
# by pastandhistories | 2010-09-11 10:48 | Trackback | Comments(0)

グレグ・デニング

 昨日も書きましたが、読みたいと思ってもなかなか読めない本の山。その中にグレグ・デニング(Greg Dening)の一連の著作があります。メルボルン大学の教師で、ディペシュ・チャクラバルティとともに保苅実さんの論文審査をした人です。
 といっても日本ではまったく無名で、YAHOOで検索をかけてもヒットするのは10記事にも達せず、保苅さん関連の文章が中心。わずかに藤川隆男さんが授業で講読しているということが紹介されているだけです。ということで、自分のプロジェクトで日本に来てもらうことも考えたのですが、残念ながら2008年になくなりました。しかし以前ではメルボルン大学のホームページで彼を追悼して行われた集会でのスピーチ(History and the Creative Imagination)を聞くことができました。
 デニングのことを知ったのは間接的で、最初はポストモダニズム的な歴史理論を徹底的に批判した、Keith Windshuttle のThe Killing of History (1995)によってです。エヴァンズが訳されてもさすがにこの本は日本では訳されないでしょう。歴史修正主義とも通じる保守的な立場からポストモダニズム的な歴史理論を批判した著作で、この本は批判の対象としている議論をそれなりに読んでいるという点ではエヴァンズの著作と共通するものもありますが、その批判はかなり一面的なもので、とりわけ同じオーストラリアの研究者ということで、デニングの議論には強い批判が浴びせられています。
 こうした批判の対象となっていることからもわかるように、デニングはポストモダニズム的な歴史理論の流れの中では一定の役割を果たしている人物で、ポストモダ二ズム的な歴史理論のいくつかのアンソロジーのなかでその議論が紹介されていています。発表された時期からいって生前の最後の時期の文章となるものと考えてよいものが、Manifestos for History(ed. by K.Jenkins, S.Morgan & A.Munslow, 2007)にPerforming cross-culturalyというタイトルで掲載されています。自己の研究歴をふまえて歴史の中における声なき他者を歴史の中で語っていくことの意味を、historyingという言葉を用いながら説明したものです。この文章を通してもポストモダニズム的な歴史論の一つの意味が、自らに対して異他的なものを意味づけていくということにあることが理解できます。こうした議論が日本ではほとんど議論の対象となっていないことは本当に残念です。
# by pastandhistories | 2010-09-09 10:28 | Trackback | Comments(0)

歴史の抑圧性

 少し落ち着いたので、今日は机の周りの整理。書きかけた原稿と読みかけた本が続々。とくに本はこの間仕入れた横文字が随分とあって、これを読まなければならないのかと思うと憂鬱です。個別的な研究テーマだと、実際にそうした本や史料を読むのは自分だけというところがあって、またそれを機械的に読んでいきさえすればなんとなく論文もできてしまうというところもあって楽なのですが、歴史理論となると、やはり共通性が高いわけで、そうはいきません。にもかかわらず、自分がこの間仕入れた本を一緒に読む人は日本では少ないだろうという孤立感もあって、仕事が進まない部分があります。でもこのブログを書き始めて自分の考えに関心をもってくれている人が少しはあるということもわかりましたので、これも机の周りを整理してきたら出てきたかなりの量のメモをたよりに、その内容を思い出しながらこのブログはできるところまで書き続けてみます。
 その前にこれまで書いたこと重なる部分がありますが、自分の基本的な問題意識を書いてみようと思います。自分が歴史研究という場にいて、一番感じることは、研究者としての特権性や自立性ということです。別の言葉を用いれば、personalizeされているということです。好きなことを勉強して、それを個人名で発表すればよいというのが現在の自分の立場ですし、それは多くの歴史研究者の立場でもあるわけです。
 しかし、このこととは裏腹に、そうした個人性は間違いなく、より大きな共同性に包摂されています。自分も含めてほとんどの「日本」の歴史研究者が個人として書いてきたものは、「近代」というメタナラティヴや近代国家としての日本の中において作り出されてきたナショナルナラティヴに包摂されたものです。「世界史」意識や、「日本史」意識はそうした枠組みの中で作り出されているものです。もちろんこうした「世界」も「日本」も近代以降、その多くが近代国民国家によってイデオロギー支配や教育によって構築されたものであって、「過去の事実」「過去の実在」とは大きく異なります。ここで重要なことは、personalizeされているはずの歴史研究者がこれまで行ってきたことが、個々の事実を実証的に解明するということを名目として、実際にはこうした「共同性」や「集団性」へと人々を誘導していくものであったということです。個別研究が「通史」とか「教科書」というナショナルナラティヴと同時的なものとして存在していて、そのことへの疑問がほとんど意識されなかったのも、このためでしょう。
 こういう議論をすると、そのどこがおかしいの、という反論を受けそうですが、こうしたことにあった問題は、「個別性」と「共同性」が一体化してしまうことにより、差異性や個別的なもののアイデンティフィケーションを取り入れられない枠組みを歴史認識のなかで作り出してきたことです。歴史研究者を含めて個々の人々にとって大切な過去認識は、それぞれの直接の父母、祖父母、そしてその直接の祖先のことをまず認識することであって、そのことのほうが「専門的な歴史研究者」が作り出した「通史」を認識することよりも、個々の人間の過去認識としては大切なことだ、そうした過去認識を助けることが歴史研究者の仕事であって、彼らに「通史」を押し付けることがその仕事ではない、という主張をすることは、「歴史学界」の中ではかなり勇気がいります。しかし、そうした事実の中に、近代と近代国家のナラティヴと一体性を持つことによって保護されてきた「共同化」された歴史にあった、差異的なもの、個別的なもののアイデンティフケーションを抑圧してきた論理を見ることができます。
# by pastandhistories | 2010-09-08 10:48 | Trackback | Comments(0)

自己の歴史化

 昨日まで書いたことはまた時間を見て書くつもりですが、今日は少し話題を変えてみます。ある一定の年齢に達した歴史研究者の間で話題になることは、学生の論文のテーマなどについて、もうそんなことが「歴史」になったのかということです。たとえば最近では60年安保闘争から70年前後の諸運動、あるいはその頃の漫画などに代表される大衆的な文化の変容を論文のテーマとする学生がいますが、そういうテーマについて、よくそのことが話題となります。
 しかしもう40~50年以前のことなわけですから、「歴史」として扱われることはおかしなことではありません。自分が卒論の対象としたのは、当時からはわずか30年前のフランス人民戦線事件でしたし、当時既に明確な歴史の対象として議論されていたロシア革命は、その当時からみればちょうど50年ほどの前の出来事でした。これらは当時の自分からは確実に「現在的」な出来事ではなく、「歴史」化されていた事件でした。
 もっとも研究者というのは、つねに「歴史」化されています。たとえば歴史研究の多くは研究「史」を前提とするわけですが、そこでは研究者の書く論文の多くは「史」的な流れの中に位置させられるわけです。他の研究者が書く研究史のなかに自分がある位置づけで登場していても、それをさほど不思議には思いません。そのことは常識的なことであって、そのことだけでは自分があまり「歴史」の対象として取り上げられたという印象をもつことはないからです。
 しかし、自分が関わったことをとおして自分が、あるいは自分の書いた文章が史料として用いられ、それをもとにした過去についての叙述を読んだ時にはある種の違和感を感じることがあります。このことを自分は最近経験したのですが、実はこうした印象は、現代史に取り上げられた存命中の人々が感じる共通した感覚なのだと思います。
 なんといってもそこで感じることが、自分の経験した「過去」と、「歴史」として書かれたものにある大きな乖離です。「歴史叙述」は対象化・客観化によって成り立つものであり、「過去の実在」とは異なるものであるといえばその通りなのかもしれませんが、自分の経験と歴史として叙述されたもののどちらが事実であるかといえば、やはり自分の経験したことのほうであるというのが、当事者の実感ですから、それとは異なるものとして歴史が書かれているということをとおして、歴史はけっして事実を忠実に再構成するものではないという、歴史に対する批判的な感覚を持つことができます。つまり歴史研究者としては自らの行為を自省する根拠ともなります。
 このこととも重なることですが、もう一つ感じることは、なんといっても当時の見聞や実感はもちろん、史料についても通暁しているのは、歴史研究者ではなく当事者であった自分のほうだということです。当然のことながら、そうした「史料」を根拠に「歴史研究者」の誤りを簡単に発見することができます。このことは、「史料」による過去の再構成という議論に歴史学がその根拠を置いていることの危うさを示唆しています。それはどういうことなのか、ということを考えるという意味でも、「歴史化された自己」という問題は示唆するものがあります。
# by pastandhistories | 2010-09-07 08:46 | Trackback | Comments(0)

モダニティ・ナショナリティ・オーディアンス

 認識対象を歴史、認識主体を歴史家と分けるとすると(本当は認識対象は過去であって、歴史はそれが表象されたものであると考えたほうがよいと思いますが、一般的に用いられてきた区分にしたがって以上のように区分すると)、歴史を認識・叙述する側のpersonalizationが一般化される一方で、認識対象の枠組みが、さらにはそうした歴史家を統合する空間が見事なまでナショナリティという共同性としてあって、そのことが「個人」の研究成果(?)が「ナショナリティ」という空間において示され、さらにはナショナルナラティヴの部分を構成するものとなっている。そしてそのことが、歴史研究者なる人々が ナショナルナラティヴとしての日本史とか、世界史という共同化された知を当然のこととして受け止め、さらにはその推進者となることに疑いを抱いていないということが昨日書いたことの意味です。
 これが近代以降の日本に固有のことなのか、それとも多くの社会や地域に共通して見られるものなのかは、事実にもとづいて検証していけばよいことですが、近代以降の日本に関して言えば、思想的には基本的な枠組みの一つとして存在していたといえます。たとえば近代小説のひとつのテーマは個人の自立・主体の確立ということにあったわけですが、そうした「自立」はきわめて逆説的に近代への「同化」を内包していました。伝統からの離脱、あるいは伝統によって「構築」されたナショナリティとの対抗を意図していたわけですが、生み出されたものはその意図と大きく背反したものであったということです。その理由は、その主張を伝える媒体として、近代国家が確立した「日本語」という文体しかもちえなかったからです。そしてそれゆえ近代国家が生み出した「日本人」というオーディアンスしかもちえなかったからです。そのために、「自立」を唱えながら、一方ではモダニティに全面的に同化し、他方ではナショナリティという共同性を土壌とするという構造が、もちろんその批判を試みた文学者も少なくはなかったわけですが、「日本」の「近代」文学には根強く存在し続けてきました。
 このことは文学にとどまらず、日本の近代思想に共通する構造でした。日本の歴史学もこうした構造の中で維持されてきたものです。そのことが、歴史研究者としての外見的な自立性と個人性を許容されているように見えながら、その主張する「科学」にある「ナショナリティ」との結合性を歴史研究者があまり自覚してこなかったことの理由です。こうした問題は西川長夫さんの一連の問題提起によって、最近では『歴史の描き方』(東大出版会)での議論、そしてより幅広いオーディアンスをもつ酒井直樹さんや、モーリス・テッサ・スズキによる議論をとおして提示されています。もちろんそうした新しいオーディアンスにもまた問題があることを批判的に意識することを忘れるべきではありません。しかし、歴史叙述がそうした広いオーディアンスを意識したものとして書かれなければないないという時代に入りつつあることも否定すべきではないというのが、自分の考えです。
# by pastandhistories | 2010-09-06 12:43 | Trackback | Comments(0)

コンテクスト性と個人性

 テーマがブログで扱うには少し重たいものになり始めているような気がしますが、せっかくここまで書いてきたので、自分の考えていることを少し書き続けてみようと思います。ただ読んでくれている人は気がついていると思いますが、ホテルとか、あまり本を置いていない自宅で書くことが多いので、あくまでもメモ的なものであるということを了解してもらえればと思います。
 昨日カーの歴史相対主義のことを書いたので今日はその続きを書きます。カーに関しては何年か前にジョナサン・ハスラムによる伝記の翻訳が出ました(『誠実という悪徳』現代思潮新社)。いくつかよい書評が書かれていて、また訳者の角田史幸さんの解説もよくできていて、早速学生に勧めたところ、この本を中心にカーについての卒論を書いた学生がいました。やはり対象が面白いということで、よい卒論でした。
 カーについて思うことは、ひとことで言えば、コンテクスト性と個人性ということがその相対主義的な議論の柱となっていることです。コンテクスト性というのは、歴史はそれが語られる空間や時代によって変化するものであるということです。カーの立場がいわゆる現在主義(presentist)的なものとなっているのは、このためです。個人性というのは、カーの文章にくどいほど歴史家(historians)という言葉が用いられていることからも理解できます。もちろんカーの場合の個人というのは、バーリンとの対立点となったことにも示されているように、社会から抽象的に独立した個人ではなく、あくまでも特定の空間や時代というコンテクストに規定される具体的な個人です。
 それ自体としては論理的には整合性のあるもので、そのことがカーが広く読まれ続けてきた大きな理由ですが、実はコンテクスト性を重視することの中には大きな問題もあります。それはコンテクストの間にはヒエラルヒーがあるからです。たとえば中世というコンテクストと近代というコンテクスト、近代というコンテクストと現代というコンテクストは、迷信を信じていた中世と、科学が発達した現代というような差別化ができるわけです。そのように個々の時代はヒエラルヒーの中に組み込めます。カーが歴史の相対性を語りながらいわゆる進歩主義的な立場、あるいは近代主義的な立場にたっているのはこのためです。当然こうしたコンテクストのヒエラルヒーは「時間」だけではなく「空間」にも存在することになります。進歩した近代社会とそれ以外の社会、という枠組みです。カーの考えはヨーロッパ中心主義的な枠を出るものではありませんでした。またその中に「理性的な知的集団」とそれ以外のものという思考が見とれるのもそのためです。いずれにせよ、カーのコンテクスト的な相対主義にはこうしたヒエラルキカルな枠組みがあったということは、現在では批判的に考えていかなければならないことです。
 もう一つの個人性という問題は、カーが歴史家という概念をどの程度限定して、あるいはその逆にどの程度広義なものとして使用していたのかという問題に関わります。「歴史とは何か」を読んでも、この点はかなり多義的なニュアンスを含んでいて厳密な読み取りは難しいところがありますが、語り手としては狭義なニュアンスをもち、聞き手に対しては広義なニュアンスが含まれていたというように解釈してよいかもしれません。しかし、昨日書いたこととの関係で言えば、個人性という問題はコンテクスト性とともに現在の歴史「学」のあり方を考えていく時に重要な問題です。なぜなら歴史研究者はしばしばこの両者を同時的に自己の中に内在させながら、使い分けているからです。
 たとえば歴史研究者は、多くは「誰が書いたかわからないものとしてではなく」、「個人」名で歴史を書き、その業績(?)を競い合っています。学問的歴史は、基本的にはpersonalizeされています。大学に入った学生に対して専門的歴史研究者であると称する大学の歴史教員が学生に伝えていることは、「歴史は今まで君たちが習ってきたようなものではなく、あるいはそう思い込んできたようなものではなく」「個人として研究し、論文を書き上げていくものである」ということです。歴史のpersonalizationの必要を学生に伝えるわけです。これは学生を戸惑わせます。なぜなら、そうした学生の知識の重要な源となっている高校までの歴史の教科書は、そうしたことを主張する歴史研究者によって書かれた commonized national narrativeとして彼らに伝えられ、それを同一的なものとして記憶することを強いられたものであるからです。そうした同一の知識を持たない学生は、歴史研究の場からどころか、国民としても基本的な社会的地位をそのことによって左右されています。
 カーの本がこれまで「日本」で読まれ続けてきたことの大きな理由は、その外見的な批判性にも関わらず、こうした強制関係やダブルスタンダードをもつ歴史や歴史研究と対立するものではなく、むしろ補完的なものであったということに大きな理由があるのだと思います。その問題を批判的に考えていくことがかなり重要なのではというのが自分の考えです。
# by pastandhistories | 2010-09-05 11:26 | Trackback | Comments(0)

「日本では」「日本での」という枕詞

 今日は大学院の9月入試。受験者は4人のようですが、このために帰国しました。10日にはロンドン大学でイギリスで日本研究をしている院生と、日本の院生でイギリス研究をしている人たちの相互的な発表会があるのですが、連絡が前後してしまい、こちらに日程が伝わるのが遅く、日程の調整がうまくいきませんでした。できれば参加したいと考え昨日旅行社に相談に行ったのですが、今からだとチケットをとれたとしても25万円以上になるだろうということで断念、若い人を中心とする会なのでできれば参加したかったのですが、残念です。
 ところでこの会もそうですが、「日本「の「イギリス史研究者」と「イギリス」の「日本研究者」というようなあり方が、学問的なもののかたちとして、問われるような時代にすでになったことは確かです。歴史が科学であるとするならば、こうした枠づけは論理的にはおかしいのですが、結論的にいえば自分としてはこの問題はそんなに簡単に解決できるものではなく、実際には「外国史研究」や「異文化研究」の蓄積によってしか解決できないものだと考えています。出発点からそのことを否定しても生み出されるものはほとんどないということです。
 しかし、同時にあまりにも豊富に蓄積された「日本」での「外国史研究」や「異文化研究」が本当に実り豊かな結果を生み出しえない構造を持っていることも否定できないところがあります。それはオーディアンスを日本とした場合には「外国では」という枕詞が、国際的な場とした場合には、「日本では」という枕詞があまりに常用されているためです。
 今度の国際歴史学会議で感じたのもそのことです。あまり論争的なかたちで議論を設定したくはないのですが、やはりこの問題は重要なことなので、あえてそのことを指摘すれば、国際的な場であるのだから、「我が国では」という立論でも構わないとすることもできますが、歴史が「科学」であるという立場に立つなら、「日本では」とか「日本での」という議論の提示は、議論としては不十分なものです。そうした議論をしている限りは歴史学はナショナルなレベルを抜け出ることができないでしょうし、また自らの議論が大きくナショナルなものに枠づけられているということを本当に自省することもできないでしょう。
 会議用のペーパーを書くさいに留意したことの一つはこのことです。自分の書いたペーパーには、「日本では」とか「日本での」という枕詞はいっさい使用しませんでした。Japanという単語は使用されていますが、それは他の国名と並列的に列挙されているだけです。E・H・カーが『歴史とは何か』の本当に最初の方の部分で、「われわれのウォータールー戦史は、フランス人やイギリス人、ドイツ人やオランダ人を同様に満足させるようなものでなければならぬもの、・・・(誰がどの部分を書いたかが)誰にも判らないものであること」というアクトンの言葉をあげていますが、自分の今度のペーパーはそれだけではどこの国の人間が書いたかわからないものとして書きました。歴史が科学であるというのなら、アクトンが主張したように、歴史は論理的にはそうしたものとして論じられなければならないからです。実は、こうした論理を逆手にとって歴史の科学性という議論(その多くが実は歴史のnationalizationによって支えられてきたものであったわけですが)を批判するのが、自分のペ-パーの意図でした。
 もちろんカーの本を読んだ多くの人が知っているように、カーはアクトンの議論を批判の対象として用いました。その根拠となったことはこれも既によく知られているように、歴史叙述・歴史認識の相対性という問題ということになりますが、その問題はまた明日書くことにします。
# by pastandhistories | 2010-09-04 11:04 | Trackback | Comments(0)

英語と差別化

 もう9月ですからヘイドン・ホワイトが日本に来てからもうすぐ1年ということになります。彼の来日には批判的なものを含めて色々な反響がありました。時間と費用、それから場所という問題があって、たとえば同時通訳を入れるというようなことができなかったわけですが、このことについて残念だと思ったのは、京都での会で逐語的な通訳を入れたことに関して「(自分は英語だけで十分なのに)なんでそんなかったるい余計なものを入れるのだ」という批判のあったことです。
 実際に参加していて、たとえば東京の最後の会などでは冗談への反響などから判断して7割方の人が通訳が入る前に内容を理解していると感じました。もちろんそのことは現在の若い研究者の力量がかなりのレベルに達しているということを示すものです。しかし、英語だけですればよいという考えには(最近はこうした試みも随分と多くなっていますが)賛成できません。その理由はきわめて単純な、本質的なところにあります。それはそうしたやり方は英語を聞き分けられない「他者」を排除するという構造を持つからです。「科学」や「学問」はEnglish speakingな人々によってのみ構成されるものではありません。ましてすべての人々の過去に関わるものである「歴史」が、英語を話せない「他者」の参加を拒むものであってよいわけがありません。自らをEnglish speaking world に同化させ、そうしたelitist positionから、みずからの知の優位性を語り、他者をそうした場から排除しようとするのは、なによりも近代化という過程のなかで、いかに他者的なものが排除され、そうした過程をへていかに他者が統合を強いられてきたのかということへの問題意識を大きく欠如させているという点で、本来あるべき「知」の世界からは(もちろんホワイトの考えからも)大きく逸脱したものです。
 現実の学問的環境にあって、英語を書いたり話したりすることは、確かに研究者の義務であるということは事実です。しかし、そうした能力が多少自らにあるといっても、それは人に強制することでもないし、他者の能力を差別的に測る基準でもありません。自らの考えを国際的な場に発信しようとする際には、ある程度の英語能力が役に立つことは事実ですが、しかしそれはあくまでも自らに課すもので、他者に強制したり、他者を差別化するためのものではありません。
# by pastandhistories | 2010-09-03 08:45 | Trackback | Comments(0)

グローバリゼーションと歴史

 昨日の続きを書きますが、さすがに疲れが出てあまり頭の中がまとまりません。あくまでもブログですので、基本的なことをメモ的に今日は書いておきます。
 昨日グローバリゼーションは新しく用いられはじめた言葉であり、それが現在では遡行的に用いられるようになっている、以前には「国際」とか「帝国主義」という言葉が用いられていたと書きましたが、そのことを今日は少し補足しておきます。
 まず「国際」という言葉に代わってグローバリゼーションが用いられ始めたのは、いうまでもなく、「国際」という言葉が字義的には、「国家」を前提とし、その間の相互性を意味する言葉だからです。したがって国家の構築性に対する批判的な視点からは、あるいはそもそも国家というものをスピルオーヴァーするものが人々の関係には多様なかたちで存在したとする立場からは、グローバルという言葉がより適切なものとしても用いられるようになったということです。たとえば地球環境とかエコロジーといったようなことが問題とされるようになった時代からは、「国際」という言葉より「グローバル」という言葉が用いられ始めるようになりました。また近代国民国家を存在を前提とし、それを遡行させるというナショナルヒストリーが本来は内包している問題への批判的契機を生み出すものとしても、グローバルな視点からの歴史へのアプローチが生み出されたことの根拠があります。
 しかし、他方でグローバリゼーションという言葉がとりわけ1989以降一般化したということにも示されるように、グローバリゼーションという言葉にはそれまで包括的な世界的システムを批判的に理解するタームであった「帝国主義」や、あるいは「世界資本主義」「資本主義的な世界システム」という言葉に置き換わりつつあるという側面もあります。あえて端的にいえば脱イデオロギー性を保有しているともいえます。昨日も書いたように、19世紀から20世紀にかけての世紀の転換期に用いられた言葉である「帝国主義」という言葉が日本の例を挙げるまでもなく世界的に急速に一般化し、かつ歴史の分析概念として19世紀ばかりか16世紀の植民地支配の開始の時代にまで遡行して用いられるようになったのは、まさにそうした時代にあった世界の現状への批判的意識を媒体としたものです。「グローバリゼーション」という言葉にかつての「帝国主義」とか「世界資本主義」という言葉がもっていた批判性があるかというと、ないとは言い切れないけれど、同質的なものとは言えないということが、その答えとなるでしょう。
 グローバリゼーションという現代社会において圧倒的なポピュラリティをもつ言葉を歴史に援用する時に重要なことは、なぜこの言葉が現在においてそうしたポピュラリティを保持しているのか、そうした言葉の使用自体にどのような意味が内在しているのかということへの批判的意識です。たしかにグローバル化という視点から歴史を理解することには、人々やものの移動という「ナショナル」な枠からは理解し得ないもの、それ以上にナショナルなものの拘束性というものは、従来のナショナルヒストリーが自明の前提としていたものよりはるかに緩やかなものであったことを明らかにしていくという大きな長所があることは間違いありません。しかし、同時にそうした視点が常識化していくことへの批判的な問題意識を忘れるべきではないと自分は考えています。
# by pastandhistories | 2010-09-02 14:25 | Trackback | Comments(0)

概念の遡行性

 国際歴史学会議の際に何人かの日本人研究者と話をした際に、「グローバリゼーション」がいつから始まったのかということが話題となりました。「モンゴール帝国だけどそういうとヨーロッパ人研究者は受け入れない」という話から始まり、だとするならば「イスラム帝国」だろう、そして結局は「ローマ帝国」と「秦」の時代へと、議論は流れていってしまいました。
 もちろん議論がこうなるのは、言葉として包括性がありすぎて、概念の規定が曖昧だからです。しかしこうした議論についていつも思うことは、「始まり」を議論するならば、この言葉がいつから「用いられ始めた」のかということを意識することもまた重要なことだということです。
 そもそも歴史の説明に用いられる概念は、説明の対象とする時代に用いられていたものではないものが多くあります。「産業革命」は、しばしば指摘されるように1830年頃からその使用例を見出せますが、学問的なものとして定着するのはトインビーの死後に刊行された『産業革命史』(1884)からだとされていて、後にアシュトンが産業革命の時代として定義した(もちろんその後様々の議論の対象となりますが)1760年~1830年にはまだ使用されていなかった言葉だとされています。「帝国主義」も1902年にホブソンによって使用されるようになってから一般的に使用されるようになった言葉であり、それ以前に既に行われていたヨーロッパの世界支配の時代において、使用されていた言葉ではないとされています。ようするにこれらの言葉は、「事件が起きた時代」(?)に用いられていたわけではなく、その後の時代の過去認識における問題意識を示すものであって、そうした問題意識が過去に遡行的に適用されているものです。そうした問題意識のありかたによっては、たとえば「プロト」とか「先駆的」とか「前段階的」というような形容を伴えば、これらの言葉はかなり以前の時代にさかのぼるかたちで使用されることになります。
 そうした議論も確かに必要ですが、最初に戻ればもう一つ重要なことは、そうした言葉がいつからどのような意味合いで用いられるようになったのかと考えることをとおして、その時代、つまり認識対象ではなく、認識主体の側の問題を考えるということです。つまりグローバリゼーションをめぐる議論をするなら、グローバリゼーションという言葉がいつから、どのような意味合いにおいて用いられていて、その言葉が用いられることの意味はいったいどこにあるのかという問題を考えることが重要だということです。
 そう考えるとすぐに気がつくことは、グローバリゼーションは「グローバリゼーションが始まった時代」に用いられ始めたものではなく、現代のある時期からきわめて大きなポピュラリティを持つものとして使い始められた言葉であることに気がつきます。グローバリゼーション論のある意味では教科書的な著作であり『グローバリゼーション』というタイトルで訳されたSocial Theory and Global Culture(1992)を書いたローランド・ロバートソンは、この言葉を学問的に用い始めたのは自分であるというクレディットを主張していたと思いますが(ちなみに自分が「歴史とグローバライゼーション」という小文の書いたのは1993年です。このことをここで書くのは、そうした文章をいち早く書いたと言いたいわけではありません。今度の国際歴史学会議の質疑でも答えましたが、そうした将来的な流行を批判するために、つまりto criticize the future development of the globalization of historyという目的のために書いたものです)、この言葉が使用され始めるのは、1960~70年代で、大きく一般化したのは1990年代に入ってからということになるでしょう。その意味ではグローバリゼーションという言葉は、この言葉を一般的なものとして用いている「現代」の社会にある意識を示すものであり、たしかに「過去」をよりよく説明するものとなりうるものであると同時に、そうした言葉を用いている「現代」を考察する媒体ともなるということです。むしろ重要なのは、後者のほうかもしれません。
 そう考えると、グローバリゼーションという言葉が用いられる以前に類似した現象を説明するために用いられていた言葉は何であったのか、という問いに出会います。その答えは、「国際」という言葉と「帝国主義」という言葉であったということです。なぜこれらに代わってグローバリゼーションという言葉が用いられるようになったのかということの中に、現代と現代における歴史意識の大きな問題があります。また同時に、当然それらを批判的に考察する契機があります。少し長くなったので、続きはまた明日書きます。
# by pastandhistories | 2010-09-01 12:48 | Trackback | Comments(0)

ホワイトのペーパー

 帰国して確認しましたが、28日の記事はアンカースミットのところで切れてまったようです。この後に彼とホワイトのペーパーについても書いてあったのですが、やはり有料パソコンの時間切れだったようです。ということで、忘れないうちにその部分を書き加えなおします。
 まずアンカースミットの話は、彼が本来のこのセッションの組織者であったわけですから最後でよかったのですが、それをホワイトに譲って先に発言しました。彼はいくつかの著書もそののことを示しているように政治性の高い人で、話もむしろ1989以降のネオリベラリズムへの批判に終始しました。『思想』にも少し書きましたが、ポストモダニズムの懐疑主義と政治的急進主義のかかわりは、ポストモダニズム理解の重要な点だと思います。
 という話を受けてホワイトが最後に登場、水曜日からは参加した会場がかなり一致していてご機嫌が日増しに良くなっていることは感じていましたが、この日は絶好調(来日の折の最後の日と同じです)、もっとも来日の折は聴衆がある程度シンパシーをもってくれている人だろうということで参加者との一体感を前提に話をしていた部分がありましたが、この日は「歴史家」が相手だということでがやや挑発気味、脱線した部分がないでもありませんでした。
 話の内容は初めての人が多かった日本の時とはやはり違って、逆に彼の通常のスタイルである、前もって送られた原稿はまったく見ず自由に話を展開していく、というかたちで話が進みました。もちろんテーマそのものはこのセッションに向けて送られたペーパーにあった、『思想』に訳されたpractical past論をめぐるものです。
 基本的には当然『思想」で訳されたものと重なる部分が随分とあり、結論もゼーバルトを例にとるというものでしたが、強調されたことはやはり歴史認識の倫理的、美的な側面ということです。ぜーバルトを重視するのもそのためですが、ホロコーストを例にとりながら(もちろんこのことをホワイトが論ずるのは、ホロコーストの表象問題を意識しているからです)、記憶は歴史家が科学的なものために利用するものではない。ホロコーストを困苦や、苦難や、人間性への侮辱として経験するものであって、その意味ではゼーバルトの行った表象化の方がそうしたものにはるかに近いものだと、ホワイトはこの日も論じました。ホロコーストの記憶をpracticalityなものとして生かしていくためには、フィクショナルなものの中にこそ、そうしたpracticalityがあるのでは、ということです。そのことをホワイトは「歴史(家)が記憶を必要しているとしても、本当に記憶の側が(現在行われているような)歴史を必要としているのだろうか」という問いとして改めて語りました。
 ホワイトの話でびっくりしたのは、国際歴史学会議の冒頭に行われたジョバンニ・レーヴィのセッションを引き合いに出して最後にミクロヒストリーを強く批判したことです。最初の日についての報告にも書いたように、このセッションは自分が参加したセッションと重なっていて自分は出られなかったのですが(多分ホワイトはこちらの方のセッションに出たのだと思います)、もちろんこの発言はギンズブルグが含意されているのだと思います。
 本当に偶然ですが、アムステルダムについてからすぐに書いたように、自分も最近の歴史の中で大事なことは、ミクロヒストリーをどう考えていくかだということだと考えています。伝わりにくいかもところがあるかもしれませんが、結論的にいえば自分の考えは、認識対象としても、そしてそれ以上に認識主体としても、歴史は集団性を排してミクロ化されて行くべきだというものです。だからこそその際にどういう問題があるのかということをこそ、これからは議論していかなければならないということです。自分のペーパーはそうした視点に立って歴史認識のdecommonizationを主張したわけですが、当然この問題は歴史研究のミクロ化と関連するものであって、その問題への答えはどこにあるのかということを考えるために、22日、23日の記事は書いたものです。当然出されたそれに対する会場からの質問(リン・ハントがしてくれました)に対して自分が答えたのも、そうした認識対象・認識主体の双方における、歴史のミクロ化に伴う問題でした。こうして日本語で書いていても、多くの人には意味がとりにくいでしょうから、英語でキチンとした説明ができたわけではありませんが(今日リン・ハントからは、これからこちらの考えをconsultingしていきたいというメールがありました)、ホワイトも自分とは異なる視点だとは思いますが(あるいは同じかもしれませんが)、ミクロヒストリーの問題を重要なことと考えていたということです。
 以上今日まで国際歴史学会議での自分が参加したセッションの中で、自分にとって印象に残った発言の内容をいろいろ紹介してきました。あくまでも自分の問題意識に従ったものです。あえて思い込みをふくめて言わせてもらえば、今回の国際歴史学会議は本当に満足できるものでした。ステファン・バーガーの言葉を借りれば、full stock なものでした。しかし色々な理由があるのだともいますが、自分のセッションと「日本のマルクス主義」を秋田さんが報告した会場以外では他の日本人研究者の顔を会場であまり見かけることはなく、その点は残念な気がしました。
# by pastandhistories | 2010-08-31 02:19 | Trackback | Comments(0)

次回開催地

 昨日アムステルダムを出て、今日帰国しました。最後の日は閉会式と宿の移動。次回の歴史学会議の開催地は正式に山東の済南大学に決まったようです。移動した宿は、環境もよくもとの宿に比べると随分と落ち着くところですが、ここでは無線LANということで、持参したパソコンは機能せず、ブログは送れませんませんでした。
今自分のネットをチェックしたらホワイトの前で切れていることに気づきました。詳しくはできるだけ早く続けます。
# by pastandhistories | 2010-08-30 15:55 | Trackback | Comments(0)

practical past

 相変わらずネットの接続は不安定。最後まで書けるかわからないので、書けるところまで今日は書きます。
 アムステルダムは今日も雨。にもかかわらず出がけに傘が会場への道を歩いている時に、風に煽られ運河の上に。傘がないという一日の幕開けです。今日は一日ICHTHのセッション、昼休みもその総会となりました。
 まず朝はマルクス主義歴史学について、イッガースの史学史についての整理が代読され、その後東欧、中南米、地中海、インド、日本のそれぞれの状況が報告されました。イッガースの整理は本当にまとまったもので会場に姿を見せなかったのは残念ですが、言語論的転回にまで目を配り、結論としては社会史と文化史は対立的でなく、相互的なものであると結論付けたものでした。その後の各国についての説明もそれぞれかなりよくできていました。日本は秋田さんが東京と京都の違いをかなりうまく説明。少し固有名詞が多く、会場の参加者からは理解しにくかったかもしれません。個人的にはイタリアとギリシアを説明したGajiという女性のマルクス主義とナショナルヒストリーの共通性の指摘に共感。サンジャイ・セスの発表も、インドのマルクス主義にかんする文化大革命の影響を議論した部分が面白いと思いました。最初は60人くらいいたのですが、途中で休みを入れたら半減してしまい、その点が少し残念でした。
 午後はアンカースミットが組織者で、発言者は昨日書いたように、ホワイト、パートナー、コッカ、ヴァンという顔ぶれ。ということで知り合ったこちらの学生とともに、開始30分前に会場に、案の定時間になったら完全に定員オーバー(入り口には165人収容と書いてありました)。それでもまずパートナーの報告。これはかなりの説得力。ナラティヴ論を軸に、歴史のナラティヴ化にある問題点を丁寧に指摘しながら、それを全面的に批判するのではなく、ナラティヴの結合によって解決できる問題があるという議論、自分が最初の日に行った議論とはかなり対立するものですが、にもかかわらずある種の共通のものを感じさせるものでした。
 彼女の話は落ちついた口調ながら熱気がありましたが、この話が終わった時点で教室も満員で熱気むんむん、アンカースミットがたまりかねて部屋の移動を提案。部屋を移動してから今度はヴァンとコッカ、ヴァンは自分が練習でワイフに話したらワイフが眠ってしまったというジョークで話を始めたのですが、これは必ずしもジョークではなく、不覚にも自分も途中で眠ってしまい、起きた時には話が終しまい。コッカは歴史と過去の関係について、教訓となるという議論はある種の同一性が前提とされなければならない。しかし完全な同一性などないのだから、過去を現在に適応することにはlimits of applicabilityがあり、むしろ何が新しいのかを知ることが歴史を学ぶ意味となると指摘しました。
 ここで4時になったので休憩。午前中と同様に半減するのかと思ったのですが、事態は逆。むしろ増えた聴衆を相手にアンカースミットとホワイトの話が始まりました。
# by pastandhistories | 2010-08-28 07:22 | Trackback | Comments(0)

歴史のキャノン

 接続料が一日15ユーロもするのに、接続した瞬間にすぐ切れて長時間にわたってつながらない、というネット環境に悩まされて本当に困っていますが、朝はつながらなかったのに今はつながります。ということで、食事の誘いは疲れていることもあるので断って、今日のセッションの様子を書いておきます。
 朝は今書いたようにネット接続に大苦戦して、会場には遅刻。偶然ステファン・バーガーと出会ったので少し話をしました。彼は人気があって会の終了後やコーヒーブレークには必ず誰かが話しかけ、なかなか話す機会がなかったのですが、やっとコミュニケーションをとることができました。ピーター・バークが来る予定のセッションが午前に予定されていましたが、ピーターはキャンセル、仕方ないのでその後は本屋で本の手配。昼食は宿に戻ってとりました。
 午後からはICHTHのセッション、affiliationですが、明日は会議の最後を飾る形で、ユルゲン・コッカ、リチャード・ヴァン、ヘイドン・ホワイト、ナンシー・パートナー、そしてフランク・アンカースミット(オルガナイザー)というメンバーでのセッションがあります。
 今日はその第一弾で、オルガナイザーはアテネ大学のアントニス・リアコス、「歴史のキャノン」という題目ですが、リアコスという人は問題意識も的確で、またバランスもすごくいい人で、このセッションもうまく組織されていました。基本的内容は、歴史学に地域や国を超えた通有のものが本当にあるのかということをめぐる議論でした。
 ペルーからの報告は本人が欠席して代読となりましたが、日本についてはステファン・タナカ、インドについてサンジャイ・セス、アメリカがドミニク・ザクセンマイアーという構成、田中の報告は、江戸時代から福沢、白鳥、津田という流れをたどり、モダニティの要素と同時にオリエンタリズムの要素が日本の歴史叙述にはある、さらには時間性は共通性がないとして、日本の歴史叙述の独自性を指摘するもので、アメリカにおけるジャパノロジーのアイデンティフィケーションがある意味ではわかるものでした。
 自分としては面白いと思ったのはセス、温厚な語り口ですが、「西欧的な学問である歴史は非西欧的な社会の過去を示すには適さない」「歴史は常にアナクロクルな記述である」「歴史は過去が何を知っていたかを知ることはできない。私たちが(どのような過去に対する意識を保持しているかということをとおして)、私たちが何であるのかを知る学問である」「過去のインドの歴史を捉えることのできる(過去に存在していた)意識は、現在では継続していない」という鋭い主張を展開しました。この報告の後に休憩に入ったのでステファン・バーガーに感想を聞くと、full stockと言っていました。まさにそんな報告でした。
 休憩後はザクセンマイアーがアメリカを素材にしながらヨーロッパ中心主義的な歴史にある問題点とそれに対する批判意識を説明しましたが、この報告も彼らしくまとまりのよいもので、中でも彼らしいと感じたのは、グローバル化に伴い生じた政治的・経済的構造と共通するものが同じく通有化した学問的なものにもあるとし、international imagined professional authorityに自らを同化させ、national elites となるということが行われてきたという指摘です。
 もちろんこうした主張は近代歴史学が根拠を置いてきた歴史学の通有性への否定です。質疑では全体としては報告を支持するものが多い感じでしたが、当然反論も出て最後はそれぞれが言いっ放し状態でお時間、お開きとなりました。
# by pastandhistories | 2010-08-27 02:42 | Trackback | Comments(0)

死者の権利・記憶の構築

 国際歴史学会議も三日目、今日は午前中はエヴァ・ドマンスカがオーガナイズした「死者の権利」、午後はクリス・ロレンスがオーガナイズした「ナショナルアイデンティティとヘゲモニックメモリー」に出ました。
 午前中のセッションはエヴァらしく他のセッションではなかったきちんとデザインされたプログラムが配布され、また旧共産圏の人や、アフリカ人(ナイジェリアのラゴス大学)、それに若い人、さらには美術家に発言の機会を与えるというかたちで構成されていました。そのせいか参加者は少し淋しく、ナイジェリアから10人ほどの参加がありましたが、それでも全体としてはそれほど多くの参加者ではありませんでした。しかし、内容的にはかなり意欲的で、テーマは基本的には死者を扱う歴史は、たとえばプライヴァシーとか、考古学ばかりか、歴史学一般でその対象となる死後の肉体という問題をどう考えているのかということが扱われました。「権利は生者にしかなく、死者にあるのはdignityである」という議論や、「死者の権利は生者へのreciprocityにおいて成立する」。あるいは「記憶の場に、構築的な要素を含めてとどめる」というような報告が行われました。エヴァの依頼を受けてホワイトが簡単に全体的なコメントをしました。「死者を扱う科学的な知識などないがethicalなものはある」,Death can't be handled by scientific nor empirical investigation.というのがその内容でした。いかにも彼らしいコメントです。
 午後のセッションは少し遅れてしまい、最初の予定とは順番が違っていて一番期待したステファン・バーガーの話が聞けませんでしたが、このセッションは内容が豊富で面白いところがありました。ドイツとアメリカでのホロコーストのinventionを対比的に論じ、その中でフィクショナルなものを含めてヴィジュアルのものが重要な役割を果たしたという報告、南アフリカにおける民族融和のためのnational memoryの構築、さらにはベルギーでの議会が主導したルムンバについての記憶の構築といったような報告があって、それぞれに説得的なところがありました。話を聞いていて感じたことは、構築主義的な議論がもはや常識的なものとしてうけとられているということです。とくにホロコーストについての報告は、歴史修正主義と批判されてもいいような内容とも言えるものでしたが、会場からそうしたことをほとんど問題とするという意見はありませんでした。それぞれ面白いセッションだったのですが、時間のバッティングで、それぞれ日本からの参加者は自分だけ、問題意識のズレを感じさせられました。
 終了後部屋に戻ったらエドワード・ワンからメールが届いていて宿に到着したとのことだったので、連絡を取りカフェで少し時間をつぶしてから一緒に公式レセプションへ。ところが会場が超満員でどこに誰がいるかはわからないような状況、それでもエヴァとホワイトにもまた会えて、簡単な話をしました。秋田さんがこれではどうしようもない、別のところに食事にというので、結局は6人で食事に(プライヴァシーもあるので、誰であるかはここには書きません)、11時近くまで食事をして宿に帰りました。
 明日は期待していたピーター・バークはキャンセルしたようですが、午後からはaffiliationのICHTHのセッションが始まるのでそれに出るつもりです。
# by pastandhistories | 2010-08-26 07:14 | Trackback | Comments(0)

発表と著作権

 今日は本当に充実した一日でした。最初が「歴史と倫理」というセッションでルイジ・カジャニとピエール・ノラ、途中でここを抜け出して自分のラウンドテーブルと同じ離れた場所までいってそこで、「フロンティアと国境」というテーマで酒井直樹とテッサ・スズキ、午後は、「歴史は誰が所有するのか」というテーマでリチャード・ヴァン、デ・バーツ、ステファン・バーガー、そして『思想』で長谷川貴彦さんがとりあげたキャロライン・スティードマンということで、日本での知られ方には相違がありますが、これだけの話が一日で聞けるのは、他の学会では絶対にないでしょう。
 それぞれ面白かったのですが議論が盛り上がったのは午後のセッション、「歴史は誰が所有するのか」で、当然ステードマンの答はeveryone, 会場からこれもまた当然のように歴史のポピュリスト化はおかしい、歴史は歴史家の手によるものだという反論(スウェーデン人の歴史家)が出てそこで議論。一方バーガーも「ナショナルアーカイヴがナショナルヒストリーを作った、歴史家はアーカイヴに行く前に、やることがある」という挑発的な議論、これに対してステファン・タナカが「ファミリーヒストリーがナショナルアーカイヴを利用して書かれているように、パーソナルな歴史もまたナショナルアーカイヴを媒体としている」という批判を提示、歴史の専門化と文書的史料の関係をめぐって、結構基本的な議論がありました。
 実はノラの話を聞いていた時に思い出したのですが、小型録音機を持っていたことに気づいて(自分のペーパーの練習に飛行機の中で使ったのですが)ノラの話は録音しました。同じことをしているのは一人ではなく、隣にいた学生風の女性は、録音しながらパソコンにペーパーをリアルスピードで入力、ネットで公開する気なのかも知れませんが(あるいは大会スタッフなのかもしれませんが)、ところでこうしたことの著作権は誰が持っているのでしょうか。
 大会のホームページではペーパーがかなり公開されていますが、消したとしても既にダウンロードされたものはどうなるのか気になるところです。ホワイトのようなキャリアのある人は全文を公開しましたが、自分のパートナーであったスヴェンがそれをしなかったのは、自分のアイディアが正式に印刷される前に盗まれるのを避けたのかもしれません。
# by pastandhistories | 2010-08-25 03:06 | Trackback | Comments(0)

歴史のトランスナショナル化への疑問

 日本は12時だと思いますが、相変わらず時差には苦しめられています。物価も高く、ネットの接続代と食事代は大変です。といっても参加者名簿は、個人情報保護の話などお構いなしに参加者のメールアドレスを本人の同意なく掲載していて、それを利用すれば互いに連絡しあえるということで、ネット接続はどうしても必要です。食事はホテルの朝食代は30ユーロ、小さな店で飲み物とパンとバナナを買って節約しても10ユーロです。200ユーロしか用意してきませんでしたので、帰りの電車代もなくなってしまいそうです。
 ところでラウンドテーブルで話した内容ですが、比較史を批判したのは、比較史には、日本というナショナリティが前提とされていて、それでいてグローバルスタンダード(二国の比較ぐらいでそうなるという発想自体に既に大きな問題もありますが)を持ち出すことによって、イソップ物語のこうもりのような都合のいい二重性があると自分は考えているからです。そうした二重性は、実はかつての歴史学にあったポリティカルなプラクティカリティ(ホワイトの今度のペーパーはそのことを指摘しています)を遺棄し、グローバリティというナショナリティより包括的なスタンダードを持ち出すことによって、そうした包括性が保護する科学性なるものをとおして自らをアイデンティフィケーションしていくという構造を持っているということです。実はそのことは表面的な対立性とは異なって近代国民国家によって保護されていたという意味で、さらにはもっと深刻な意味ではそもそも日本というものを単位としたナショナルヒストリーという共同性によって自らがアイデンテフィケーションされているということに対する自覚はほとんど意識しないかたちで維持されてきたこれまでの歴史学と、構造的には同一性を持っているということです。
 またそうしたことへの解決の方向はけっして安易なグローバルヒストリーには求めることはできないということが、もう一つの話したことです。たとえば今回は英語でペーパーを読んだわけですが、そんなものが通じない社会が世界の半分以上です。English speaking の世界に自らを同化させて、そこで語られるglobal historyへの同化を無批判的に語るのは、まさに「近代」国民国家としての日本にあった発想のその延長にあるものでしかありません。
 と書くとこうした議論自体が「日本」という場を土台としているのでは反論されそうです。しかし、自分が話したのは、あくまでも自分の歴史家としての、というより近代という場に生まれた人間の個人としてのpersonal experienceのなかで考えてきたことです。歴史家とは限らずそれぞれの個人がそれぞれの時間や空間のなかで、過去をどのようなかたちで個人的に認識しているのかということが、歴史の問題を考えていく際に最も重要なことだというのが、自分の考えです。そうした考えに組織者であったグルヌイヨーは関心をもって、彼とはこれまでまったく面識はありませんでしたが、発言の場を与えてくれました。
# by pastandhistories | 2010-08-24 12:57 | Trackback | Comments(0)

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