歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


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経験・記憶・想像

 以前「歴史と未来」という文章を書いたことがありますが、その時批判的に取り上げたのがE・H・カーです。未来と過去との過程として現在を位置づけるという彼の歴史論に疑問を感じたからです。もちろんこうした考えはカーに独自なものではなく、歴史をめぐる議論の中ではかなり一般的なものです。「過去を知り、未来に生かすことが歴史を学ぶことの意味である」という主張は一般に歴史研究者以外の人からもしばしば語られるものですし、高校生などに質問してもよくこの答えが帰ってきます。
 しかし、過去と未来には「歴史学的思考」にしたがえば大きな違いがあります。過去が史料的な根拠にもとづくものであるのに対し、未来には史料的な根拠がないからです。このことは未来を前提として過去を論ずるということは、その根拠となっているものが違うという非整合性を論理的にはもつことになります。やや異なる観点とはなりますが、別の言い方をすると、経験的な世界(過去)と想像的な世界(未来)が、同一の時間系列の中で論じられることは、論理的には問題があるという議論が成り立ちます。
 論理的にはそうなのですが、経験的には過去と未来が時間系列の中で接合しているということは日常的なことをとおして理解できます。このこともしばしば論じられますが、音楽を聴くということを例にとると、一つ一つの音がそれ自体として意味を持っているわけではありません。既に聞き終わった音が記憶され、後に来るものが(しばしば記憶や、音楽の規則性への理解をとおして)予測されることを通して、音楽は聴かれています。すでに経験されたものと、これから経験されるものの一体性が音楽を聴くという行為には前提とされています。これは言語の理解においても同じです。すでに読み終わった、あるいは聞き終わったことと、これから読むであろうことと、聞こえてくるであろうことが、記憶と想像をとおして結び合わされて言語は理解されています。
 すでに起きたことと、これから起きることについて、論理的な面と、経験的な面から考えると以上のような議論が可能です。矛盾しあうところがあって結論は出しにくいのですが、歴史がどのような思考にもとづいて構築されているのかということを考えるにあたっては重要な議論だと思います。
# by pastandhistories | 2010-10-18 05:10 | Trackback | Comments(0)

相対性の考え方

 ポストモダニズム的な議論が強調する歴史の相対性という議論を理解するさいに注意すべきことは、その批判は現在の画一性に向けられたものであって、相対性一般を安易に擁護したものではないということです。
 なにもポストモダニズム的な議論を借りずとも、時代時代が相対的なものであるという議論は、現状肯定的な論者がつねに繰り返し論じてきたものです。中世に騎士が、あるいは戦国時代に武士が殺人を恒常的におかしたのは、その時代と現代では価値観が異なっていたからだというような議論です。しかしこうした議論に含意されていることは、殺人をなお正当化する、つまり戦争を擁護する「現代の側」の論理です。表面的には相対性を強調しているようにみえながら、意外なほど普遍的なものとして自らの主張を擁護しようとするロジックがそこにはあります。そうした普遍性から排除されるものは、実際にその時代時代にあった、現在とは価値観が異なるがゆえに生じていた事実です。
 たとえば相変わらず繰り返される歴史の物語の中で、戦争に伴って人肉食が行われたというような価値の異なる時代の真実は、徹底的に排除されています。たえず戦闘を伴いながら長距離にわたる遠征や行軍を行うさいに、それにみあう兵糧をつねに携帯するのはかなりの困難があったはずです。略奪はもちろんのこと、敵の兵士を食肉するということは、それほどめずらしいことではなかったと想像できます。しかし、そうしたことは歴史映画や歴史小説はもちろんのこと、歴史研究書で描かれることはほとんどありません。それらを描けば、そもそも大河ドラマのようなものは「現在」の視聴者の共感を得ず、成り立たないからです。
 このように「過去の時代の相対的な真実」というものは、多くが現在の側の価値によって、過去の不都合な真実を排除することによって形成されています。「時代によって相対的」であっても「いつの時代でも変わらない真実がある」というきわめて現在的なイデオロギーとして用いられています。
 ポストモダニズム的な議論が批判しているのは、こうした「いつの時代にも変わらない真実がある」として、画一的な認識の枠組みを作りだしていくような思考のありかたです。相対的な事実を相対的な事実として認識することが強調されるのはそのためです。
# by pastandhistories | 2010-10-17 17:55 | Trackback | Comments(0)

プロジェクトの再申請

 Storia della Storiografia (History of Historiography)の編集者から数日前にメールがきて、今度の号に自分の原稿を掲載する予定であると連絡してきました。History and Theory などどともに歴史理論の国際的雑誌としては評価を得ているものなので、本当に掲載されるならという気持がします。もっとも原稿を投稿した際に、最後のreferenceに不十分なところがあり、本文にも後からミスに気づいた部分がありました。掲載決定があったら校正の段階でと思っていたのですが、そのあたりはメールだけで処理して12月末には出すようなので、今朝は急いでその作業をしました。あわせてむこうから送るよう指示のあった自己紹介文とabstractを作りました。
 午後は急に所用が入って出かけることになり、ブログのことをすっかり忘れていました。ブログとはいっても雑事はあまり書かず、なるべく理論的な問題を少しづつ書きたいと思っているのですが、今日はもう時間がなさそうです。
 ということで、ローゼンストーンやホワイトを招いたプロジェクトが今年度で終了しますので、それに代わるプロジェクトの申請書類をこれから書きます。書類を書くのも大変ですし、やはり実際の運営にあたっては個人的な持ち出しも多く、また気を使うことも多く、正直言ってやめたいというところもありました。しかし、日程調整のために、ホワイトの場合もそうでしたが、来年度なら来日できるということを伝えてくれた人が少なからずいますので、とりあえず来年度の予算を確保するための書類を書きます。不確定なこともあるのでここでは具体的な名前はあげませんが、自信をもって招ける人です。そのためにも申請書を丁寧に書くつもりです。
# by pastandhistories | 2010-10-16 21:19 | Trackback | Comments(0)

記憶の集合化・歴史

 「記憶が歴史になる」という文は、レトリックとしてはきわめて用いやすいところがあります。これと重なる部分がある「記憶が集合化されて歴史となる」という議論は、これまでも多くの論者によって論じられてきました。しかしいつも思うことですが、この議論には大きな問題があります。というのは、もしこの議論を受け入れると、歴史の集合性が自明のものとされてしまうからです。過去についての表象が共有されたり、あるいはそのことを媒体としてそうした表象によってシンボライズされるものが集合的記憶として、あるいは歴史として共有されているとしても、そうしたものには、大きな問題があるからです。
 「記憶が集合化されて歴史となる」という議論の前提となっていることは、「記憶」が非集合的であるということです。言い換えれば、個別的で、拡散的であるということです。戊辰戦争であれ、60年安保闘争であれ、さらにはそれぞれの中で起きた個別的な事件であれ何でもよいのですが、本来事件に対する記憶はポリフォニックなものです。賛成派・反対派、積極的参加者・消極的・参加者・傍観者、さらには性別や年齢の違いetc.、記憶の差異を作り出す要素は様々ですが、個別的な出来事への記憶は個人によって異なる多様なものです。
 したがってもし「記憶が集合化されて歴史となる」という議論を受け入れるなら、ここで示されている歴史は、(多様な個別性があった)過去そのものをありのままに描いたものはなく、あくまでも現在によって(集合的なものとして)構築されたものであるということになります。この問題は、昨日書いた記憶の自己物語化という問題とも関連しています。自己の記憶をストーリー化して他人に伝えても、他人はそのストーリーを丸ごと受け入れるわけではありません。あくまでも、その一部を断片として剥ぎ取り、自分の他者理解の助けとするだけです。自己物語はつねに他者のなかで、断片化されています。逆に言えば歴史研究者が行っているのは、事件についての(それ自体としてのストーリに組み込まれた)様々な証言を断片化し、それを再構成して、自らが作り出すストーリーとして構築していくことです。
 問題はこの作業は、けっして客観的なものではなく、事件に対する多様な記憶と同じように、それぞれの歴史家によって異なるる主観的なものであって、生み出されるものもまた多様なものであるはずだということです。逆にもし歴史が集合化されたものとして生み出されているのなら、それは歴史が生み出される場に、集合化を強制するものが存在しているということを意味しています。
# by pastandhistories | 2010-10-15 10:45 | Trackback | Comments(0)

認識の構造・対象の構造

 ジェフリー・ロバーツが編集した The History and Narrative Reader (2001 )は、昨日書いたstory lived と story told をめぐる議論の流れをバランスよく紹介した本ですが、ロバーツ自身は「過去には歴史の物語がそれと一致する‘本当のストーリー’があり、歴史家が書く物語は、適切になされれば、‘過去に起きた行為、ストーリー、物語に模すもの、類似したものとなることができる’」( there are 'real stories in the past to which historical narratives can correspond', and narrative written by the historian can, if done properly, 'mimic or resemble the action/story/narrative of past happenings') と主張しています。過去自体に物語があったわけではなく、not yet described in a context of narrative form である事実があるにすぎないとするミンクとは異なって、議論としてはD・カーの立場と近い主張に立つ人物です。つまり、日々生きられている経験的世界(the lived world of everyday experience )は、既に様々なかたちで構造化されていて( structured in a number of ways )、そうしたものとして認識し、説明することが可能であるという立場に立っていることになります。
 昨日も書きましたが、問題はこうした議論の根拠です。もちろん存在論的にこうした議論を正当化する議論もありえますが、認識論的にいえば、認識主体自体の自己認識に物語化された構造があることが、過去という対象もまたストーリーとして認識することの根拠となっています。このことをわかりやすく説明するのは、個人の記憶にある構造です。多くの人は自己の記憶を整序的なものと考えがちですが、記憶はたとえばそれが脳の様々な場所にアットランダムに蓄積されているという点で、本来的には整序的なものではありません。そのことは、個々の瞬間において想起がどのように行われているかを考えれば理解することができます。
 にもかかわらず記憶がしばしば整序性のあるものとされるのは、自己に対する説明として、あるいは他者に対する自己の説明として、記憶がしばしばストーリーをもつものとして、自己に対しても、他者に対しても語られることがあるからです。日常的な自己紹介から、自伝にいたるまで、自己についての記憶はストーリー化したものとして語られます。そしてそうしたストーリーが他者に受けいれらるのは、自分を自己紹介の聞き手や自伝の読み手と言う立場におくと理解することができますが、聞き手や読み手もまた、記憶をストーリーとして自己に対して語っているからです。ストーリーが間主観的なものとして、コミュニケーションの媒体となっているのはこのためです。
 しかし問題は、あくまでもこのことは認識の側にある構造の問題であって、対象の側にそうした構造が本来的に内在するということを意味はしないということです。story toldという議論はそうした考えを根拠にしているということになります。
# by pastandhistories | 2010-10-14 12:45 | Trackback | Comments(0)

D・カーとミンク

 このブログを本格的に書き始めてから二カ月半位、70本を超える文章を書きました。全体をパソコンに落として文字数を測ってみたら、10万字を少し超えていて、400字原稿用紙だと250枚程度、累計して新書くらいの量になったという計算になります。全体を読み直すには、結構時間がかかる量です。書き続けたせいか少しづつアクセス数が増えて、先週は1週間で3ケタを超えました。何人かのごく親しい人には、このブログのことを知らせましたが、その人たちを含めていったいどういう人が、どういう関心から読んでくれているのかはよく分かりませんが、議論の整理や問題の提起となるようなことを書けたらということで、自分のメモとしても書いています。もっともこうしたかたちで書いていると、メモの中にはまとまった議論の流れの中に組み込んだ方がよいというものが随分とあって、そうしたことが自分にわかったという点でも、ブログを書くという作業は役に立つところがあります。もっとも逆にまとまったものを書き始めたいという気持ちも強くなって、ブログを書くという作業が少し大変になってきました。そのへんのバランスをとるのがけっこう大変です。
 前置きが長くなりましたが、今日はナラティヴ論をめぐる論争についての基本的問題について書きます。ナラティヴ論の登場にともなって基本的な対立点となったのは、story lived なのか、それとも story told なのかという問題です。スト-リーは歴史に本来的に内在するものであって、したがってそのような内在するストーリーを歴史から引き出し、記述していくことは可能だとする考えと、そうした考えを批判する考えの対立です。前者のような考えの代表的論者がデイヴィッド・カーで、後者が「ナラティヴの構造が歴史のアクチュアリティの構造と同一であることは、偶然の場合しかない( the structure of narrative would only by accident be the same as that of historical actuality )」と主張したルイス・ミンクです。
 もちろん「歴史はけっして自ら語らない。語られ、構築される必要がある」として、今ある歴史を構築されたものであるとしたいわゆる脱構築論的な議論は、こうしたミンクのような考えにもとづくのです。現在ある歴史を実在とは異なる構築されたものであるとし、それを脱構築していくことが逆に実在への正確な認識を可能とするという考え方です。
 D・カーとミンクによってこうした議論の枠組みが設定されて以来、この問題は様々に議論されてきました。厳密に考えれば実在それ自体にストーリーが内在しているという議論には無理があって、ミンクの議論の方が論理的には正しいといえます。歴史の脱構築論がある時期大きな影響力をもったのもそのためです。しかし、逆にいえば、ここから問題となることは、歴史をとおして過去はどうしてスト-リー化されて伝えられてきたのかということです。歴史の物語負荷性は、どうして生み出されてきたのかということです。そのあたりのことを、このブログを利用しながら考えてみたいと思っています。
# by pastandhistories | 2010-10-13 17:07 | Trackback | Comments(0)

同一性

 野矢茂樹さんが議論していることに、同一性の問題があります。厳密な同一性というのは、哲学的にはありにくい、たとえば現在自分が存在している場も、地球が太陽の周辺を動いているばかりでなく、宇宙全体そのものが、とてつもないスピードでどこかに向かって動いているとすれば、それぞれの瞬間、瞬間においてけっして同一の場ではないことになります。それほど過剰なことを言わずとも、一週間前の自分と今の自分は、たとえば肉体的には確実に老化、あるいは成長しているわけであって、脳細胞も、血液も、生えている髪の毛もかなりが入れ替わっているわけです。その期間が1年であれば、さらに10年であれば、そうした肉体的な同一的性はさらに大きく損なわれるわけです。くわえて精神的な内容のありかたも大きく変化しています。個々の人間が抱く考えは、基本的には同一のものであることはありません。日々新しい情報を仕入れ、あるいは自己に蓄積されていたものを廃棄、あるいは忘却し、着実にその前のものとは異なるものになっているからです。
 にもかかわらず、同一性ということが、一方では自明のもののように論じられるのには、おそらく二つの理由からです。一つはidentityが「自我同一性」と訳されるように、自己認識の中における自己同一性の問題です。記憶、それはしばしばストーリー化されたものとして自己に、そして他者にも説明されますが、そうした記憶保有の連続性によって、現在の自己を認識している人間が、過去の人間と同一であるという認識が生み出されているからです。もう一つは他人からのidentificationです。昨日久しぶりに学生時代の友人と会ったという話を書きましたが、その友人たちが自分をOであると認め、自分が友人を、H、T、Y、N、Kと認識したのは、他者による同一性の認知です。
 厳密には同一のものではないものが、同一のものとして認識されるという問題は、歴史認識にもある問題です。というより、歴史認識においてきわめて重要な問題を果たしています。たとえば歴史認識の主体・対象としてのネイションです。歴史的に日本というが同一性が存在していたとすることは、事実とは異なります。組み込まれていた領域も、それを構成した人々も、言語も、文化も、つねに変容してきました。このことは常識的にも理解できることなのですが、歴史研究で意外と議論されてこなかったことは、歴史、つまり過去認識や過去研究のあり方は、つねに大きく変化してきていて、日本という同一性が厳密には(それほど厳密に言わなくてもですが)存在していないように、歴史という同一性もまた存在してはいないということです。
 過去認識や過去研究のありかたはは時代に応じて、つまりその時々の現代におうじて常に変化してきました。たとえば自分が実証的な研究者として最初に行ったことは、『共産党宣言』を最初に訳したとされるヘレン・マクファーレンとそのペン・ネームであったとされるハワード・モートンという人物を当時の機関紙のすべてを1行残さず最初から最後まで注意深く読んで、その人物を紙面上に探し出すことでした。多分半年以上はかかった作業だったと思います。残念ながら現在では、そうした作業はデータをデジタル化し、パソコンで検索を書ければ1週間もあれば行うことができるでしょう。当時様々な研究会では、日本の各研究機関にある海外雑誌の文献や目録を作る作業が研究者によって行われていましたが、これもNACSISを利用すればわかるように、現在では研究者の仕事ではありません。以前も書きましたが、現在の「機械」の内容という、過去の人は使用しなかった「技術」が過去の研究を、さらには研究ばかりでなく認識のあり方も左右しているということです。
 またこのことも以前書きましたが、「国家」や、「音声」や「映像」によって保存された記録、あるいはそれらを媒体とした過去の表象というものをもたなかった、あえていえばわずか200年以上前の普通の人々の過去認識のあり方は、現在ある歴史とは同一のものであるはずがありません。にもかかわらず歴史がある種の同一性、ナショナルヒストリーがそうであるようにある種の「自我同一性」という枠組みの中で語られてきたことには、これから議論していくべき様々な問題があります。
# by pastandhistories | 2010-10-12 09:12 | Trackback | Comments(1)

第三者からの理解

 今日は「国民の休日」ですが、大学は授業。年間講義時間数の充足ということで、何年か前からこういうかたちとなりました。昨日は休日で大学時代のクラスメート(語学のクラス)の会合があり、6人ほどで食事をして、その後は長く話しこみました。この40年間がまるで無駄であったような変な充実感がありました。
 同業者や外交官になった人がいて、自分を除けば学生時代からそれぞれ語学の達者な人たちで、当然最近の政治問題、外交問題から日本の古代史、中世史、さらには近代日本論に話がおよびましたが、話をしていて思ったことは日本人同士が話しているから当然と言えばそれまでなのですが、ある意味では「日本人同士」であるから意見が一致するというところがありました。たとえば中国人がその話の内容に一致するか、第三者的な立場に対しても、その話の内容が受け入れられるかというと、そうは言えないというところに結論は落ち着いてしまう、そんんなことを感じさせられました。語学の達者な人たちですから、そうした場に発信する能力を十分に持っているはずなのですが、結局は結論は「日本人同士」が理解しあえるところに落ち着くということです。
 学問的な世界についても言えることです。本の献辞というのは、書いた人がどのようなdisciplineに自己を内在化させているということがとてもよくわかる部分があります。もちろん日本語で書かれた本は、たとえ外国史研究でも圧倒的に「日本」にあるdisciplineに自己を内在化させていることがわかります。もちろん最近では留学時の指導教員が添えられていて、discplinesが複数化していますが、それもまだ限定的なものです。むしろたとえば一連の経済学研究や、最近では政治学研究などにもみられるように、留学先のdisciplineに自己を同化させ、そのことによって、むしろ日本的な問題の理解を閑却してしまうと流れが強くなっているという面も見受けられます。
 「日本」にあるdisciplineに身をおいているにしても、海外のdisciplineに同化しているにしても、大事なことは第三者的な読者に対して、たとえば海外といっても欧米だけではなく、アジアやアフリカにおいても理解されるような議論を立てているかです。驚くほどそうした視点は見失いがちだということを、昨日は少し感じさせられました。
# by pastandhistories | 2010-10-11 15:01 | Trackback | Comments(0)

先生が教えた嘘

 コロンブスのアメリカ到達を、発見、侵入、征服、遭遇、相互作用、相互交流、介入のいずれと呼ぶかによって、作られる great stories もまた異なると指摘したのは、ロバート・バークホーファーです(Robert E, Berkhofer Jr., Beyond the Great Story: History as Text and Discourse, 1995)。過去の事実は、それ自体として存在しているわけではなく、どのようなナラティヴに組み入れるかという価値判断にもとづいて、スト-リーの構成要素として特定の語で形容されて表象されます。逆の言い方をすれば、ストーリーはそのように恣意的な意味を与えられた語の組み合わせとして構築されています。改めて論ずるまでもなく、教科書をとおして伝えられるナショナルヒストリーはその典型的なものです。さらにはそうした教科書や様々のメディアの影響をもとに形成されているパブリックスペースにある歴史にも、抜きがたくそうした面があります。
 もちろんこうした問題は、すでに様々な論者によって指摘されてきた問題です。その意味ではあまり目新しさはないのですが、今日のタイトル、英文では Lies My Teacher Told Me を原題とし、邦訳では『アメリカ教科書問題』というタイトルで訳されているヴァーモント大学のJ.W.ローウェンの著作は、部厚なものですが、面白く読める本です。この本では、アメリカで使用されている12冊の歴史教科書が比較・検討され、その内容が批判されています。
 たとえばナショナライズされたヒーローやヒロイン、あるいは事件について、ナショナライズのされ方の一面性が、そうした人物の実像とあわせて取り上げられています。ジェファーソンが奴隷所有者であったこと、ウィルソンがむしろ帝国主義的政策をすすめたこと、さらにはアーサー・ペンが『奇跡の人』をとおして描いたヘレン・ケラーが熱烈な社会主義者であったことなどが取り上げられている例です。もちろんコロンブスの「発見」から初期植民の「民主主義」という叙述の不正確さも丁寧に指摘されていますが、やはりこの本で興味深いことは、発見以来の「侵略」と「エクターミネーション」の過去が教科書ではどう扱われているかということです。
 この本では、白人のアメリカへの移住に伴う出来事は、アフリカやアジアに対するそれと同じように、基本的には「進出」ではなく、「侵略」であって、インディアン「ネイション」との「戦争」であったということ、野蛮の一掃ではなく、固有の文明や、それを支えた人々の「エクスターミネーション」であったということ、さらに「無人」の「荒野」への進出ではなく、原住者の「耕地」(彼らはトウモロコシを栽培していました)を含む生活地や地域で生活していくための「技術」のしばしば暴力的な奪取によってなり立っていたものであったという視点から、現行のアメリカ歴史教科書の問題点が指摘されています。
 ただ自分と考え方が少し異なるのは、これは日本の世界史教科書もそうした記述なのですが、アメリカ大陸のネイティヴの急激な人口減少の原因として、疫病を重視していることです。それまで接触のなかった異民族が入ってきたために、それに伴う致死性の高い伝染的疾患が入ってきたという考え方です。史料的な根拠もある議論ですが、自分にはそれなら南蛮人が初めて流入した戦国時代に日本ではなぜそのようなことが起きなかったのか、という疑問があります。ある時酒席でこの話題を持ち出したら、それはそれ以前から中国やアジアを通して間接的な人的な往来があって、そのことによって日本列島に居住して人には免疫があったと言われたました。それならば、アメリカ大陸にも、発見以前に普通の人々による往来があったはずなのですが。さらには鳥インフルエンザに代表されるように、ヴィールスは渡鳥や昆虫などの飛行生物や世界を周回する魚類などをとおして、人間の直接移動がなくても世界的に拡延しているような気がするのですが。
# by pastandhistories | 2010-10-10 11:59 | Trackback | Comments(0)

プロフィール①

 このブログは自分のメモの整理をしていく作業が読んでいる人の参考になればというコンセプトですから、あまり個人的なことは書きたくないのですが、昨日は少し木を切る作業をしたら、樹液か毒蛾か理由はよくわかりませんが夜になったら全身が大蕁麻疹、薬もなく眠るのは少し無理そうなのでパソコンに向かっています。理由は、両手を使えば掻きませんので痒みが収まるのではということです。
 といっても、夜中ですので考えごとはしたくないので、いくつか簡単なことを書いておきます。このブログを書き始めたいきさつは最初の何本かの記事に書いてあるように、サンディエゴのホテルで時間があったからです。でもそのことはすっかり忘れていて、この夏ロンドンで思い出してあらためて書き始めました。国際歴史学会議というイヴェントがあって、その準備や会の内容などいくつかテーマとして扱いやすいものがあったので宿で書き続けたのですが、どうせならということで帰国後も書きついでいます。さすがに大学が始まると余裕がありませんが、なんとか書き続けていく予定です。
 誰が書いているかも、多分すぐわかるところがあると思いますし、隠す気持ちもないので、一番最初に記しておきました。ただこのエキサイトにはブログによくあるプロフィールというものがないようなので(あるのかもしれませんが)、途中から読みはじめた人にはわからないかもしれませんが、岡本充弘が書いているものです。pastandhistoriesという名前が記されていますが、これもそこの書き方がよくわからず、また自分の名前があまり前面にでるのも嫌なのでそうしているだけです。今日の記事のタイトルをプロフィール①としたのは、右にある年と月の部分をクリックすると、その月の記事のタイトルが紹介されるようなので、そこに一ヶ月に一度くらいプロフィールを入れれば誰が書いているかは知りたい人にはわかるだろうということで、そうしてみたということです。中休み的に「プロフィール」をエピソード的に書いていこうと考えています。
 今日はその最初となりますが、呼ばれ方の話。他人が自分をどう考えているかはわかりませんが、中学以来あだ名で呼ばれたことがありません。でも小学校時代はありました。「ジャガイモ」です。そう呼ばれたことは自分でも気に入っています。早稲田の西洋史学科にいた吉永小百合さんが、好きな男性のタイプを聞かれると、よく「ジャガイモみたいな人」とまだ結婚する前に言っていましたが、あれは嬉しかったですね。ということで、コメントも「ジャガイモさん」へでも結構です。もちろん実名をあげてもかまいません。メールは大学のアドレスがokamoto_m@toyo.jpですので、そこにメールを入れてくれれば返事ができると思います。
# by pastandhistories | 2010-10-09 03:48 | Trackback | Comments(0)

I knowed

 昨日書いた文章にI knowed the Indians for what they wasという英文が引用されています。入試問題としてこの英文が正しいか、誤っているかが出題されれば、その答えは×、誤っているということになるかもしれません。しかし、問題は主人公はなぜこうした英文を語ったのかということです。彼がIndiansのアイデンティティをもつことを引き立たせるためなのかもしれませんが、彼は元々白人社会で育ち、また最後には白人社会に回帰した(?)人間ですから最後までそのような英語を用いていたとする理由はあまりないような気がします。
 ここで用いられているknowedという単語を聞いたのはこの時が初めてではありません。中学時代には多くの友人が「間違えて」答案に記していました。しかし、大学時代にアメリカから来た学生とたまたま話をした時に、その学生がknowedという言葉を用いた時には驚かされました。この学生はヴェトナム戦争はアメリカにとって「正義の戦争」であると言い張り、その際にknowedという言葉を用いたので、少しムキになって「お前の英語は文法的におかしい」と自分が言うと、「最近は学生の間で使われていておかしくはない」という返事が返ってきました。
 その学生の政治的主張はともかくとして、この体験は本当に「目からウロコが落ちる」(これ正確な用法ですか?)体験でした。当たり前の話ですね。言語は時代や使用する集団によって変化していく。当然文法にしても、単語の意にしても、絶対的なものとして固定され続けるものではないからです。「正しいとされるもの」に拘束され、そのことを忠実に履修すれば「高い評価」を受けるというゲームに囚われていた自分にとっては、自分の発想を変えていく転機ともなりました。
 「共時態は通時態に優先する」と論じたのはソシュールです。言語の歴史的要素を過剰に強調することより、たとえば語源などを遡り正しい用法を論じることより、現在の構造の中で、個々の語がどういうように組み合わされ、意味を作り出しているかを考えるほうが重要であるという考え方です。こうした考えは、構造主義的な思考を生み出し、レヴィ・ストロースなどに継承されていくことになったとされています。
 その後も延々として続けられている議論にも示されているように、現在的な構造と歴史的なプロセスの関係をどう考えていくかは難しい問題です。ただ最初の例に戻れば、白人であるインディアンの生き残りにこのような言葉を語らせた理由は、一つはインディアンも英語を語るようになっているということ、もう一つは、しかしそれは白人の語る「正しい」とされるものとは異なるものであることを比喩的に示すためだと考えてよいのかもしれません。多くの人が英語を用いるようになったけれど、それは逆に多様な形態をもっている、つまり、統合と拡散が共時的に並存しているという問題です。そうしたなかで歴史的に継承されてきたものが唯一の正しいものとは考えずに、現実に多様な人々によって多様なものとして用いられているものを受容してもよいという問題です。そのことが、今では英語をもちいるようになった人々にもあった「異なる」過去と歴史を取り戻す手段になることを、映画は比喩的に主張したのだと思います。
# by pastandhistories | 2010-10-08 08:48 | Trackback | Comments(0)

アーサー・ペンと『小さな巨人』

 アーサー・ペンが亡くなくなりました。ウォーレン・ベイテイ(ベイティーはロバート・ローゼンストーンの研究をもとにジョン・リードを扱った『レッド』を製作し、このことがその後のローゼンストーンの映像と歴史の関係をめぐる歴史理論に大きな影響を与えたことは、以前論文で紹介しました)が製作・主演したニューシネマの代表作『俺たちに明日はない』の監督として有名な人物です。『俺たちに明日はない』を監督するきっかけともなったといえるポール・ニューマン主演の『左ききの拳銃』など佳作の多い監督ですが、その作品の一つがダステイン・ホフマンが主演した『小さな巨人』です。この作品は好きな作品です。理由は、歴史研究という問題に示唆するものが少なくないからです。話は100歳をこえた老人へのインタビュー、その証言に基づくものとして構成されています。以下冒頭のシーンである、インタビュアー(I)、と証人(W)の対話を紹介します。
(W) I'm, beyond a doubt, the last of the old times and I am the sole white survivor of the Battle of Little Bighorn populary known as Custer's Last Stand.
(I) Well, I'm more interested in the primitive lifestyle of the Plains Indian than I am in tall tales about Custer.
(W) Tall tales? Are you calling me a liar?
(I) No, no, it's just that I 'm interested in the way of life of the Indian rather than, shall we say, adventure.
(W) You think the Battle of Little Bighorn was an adventure?
(I) Little Bighorn was not representative of encounters between whites and Indians. You see, the near genocide of the Indian.
(W) The near what?
(I) Near genocide. It means extermination. The killing off of an entire people. That's practically what we did to the Indian. But, of course, I wouldn't expect an old Indian fighter, like you, to agree with me.
(W) Turn that things on(テープレコーダーのスイッチをいれろ)・・・Now you just sit there and You'll learn something.・・・I knowed the Indians for what they was.
 このシーンでのインタビュアーは雰囲気的には新聞記者風で、あまり歴史研究者には見えませんが、話の内容は歴史研究者と証人の対話ととることもできます。この作品を自分が好きなのは、1970年に製作されたこの作品の内容がちょうど自分が大学院にいた頃の思想的・学問的な状況に対応するところがあるからです。もちろん思想的状況はヴェトナム戦争と公民権運動です。そうした中で西部劇でのインディアンの扱いが劇的に変化していく、その画期に『ソルジャー・ブルー』などとともに製作された作品だからです。
 学問的には、この作品はテープでの聞き取り、当時から確立されはじめたオラルヒストリーによる現代史という構成をとっています(この手法は『タイタニック』にも取り入れられました)。さらにいえば、この時代は社会史が国際的に大きな影響を確立しはじめ、日常生活への関心が高まりつつあった時代で、そのことはインタビュアーの質問にも反映されていますが、作品ではそうしたordinary way of life への「より大きな関心」というアプローチへの疑問が、「生き証人」の言葉を借りて批判されています。
 さらにはこの作品では、冒頭の引用で証人が自らをホワイトと述べているにも関わらず、インタビュアーは引用された最後の文章の一つの前で相手をインディアンと呼んでいることに示されているように、アイデンティティの問題などもテーマとしています。しかし、この作品で印象深いのは、最後の二つのシーンです。何も残されておらず、誰もいない平原に雨が降り続けるというシーン、それからそれに続いて映し出される語ることを止めた無言の証人というシーンです。この二つのラスト・シーンズをとおして映画は、インディアンの歴史がそうであるように、何も痕跡が残されていないことによって過去の無数の事実が現在では不在化していること、実際に存在していたはずの過去をフィクションのかたちでしか語れないことへの諦念を象徴的に示すことによって終わります。そうした意味でもアーサー・ペンのこの作品は、歴史にかかわる諸問題を考えるのに参考となるもので、好きな作品です。
# by pastandhistories | 2010-10-07 10:24 | Trackback | Comments(0)

二つの家系図

 授業がはじまると、それに平行して増えるのが会議。今日はこれから一日夜まで会議です。ということであまり時間はないのですが、少し前に書いたホライゾンタルとヴァーティカルという話を補足すると、自分をヴァーティカルに位置づける系図の書き方には二つの方法があります。一つは末広がり型の「家」系図です。共通の先祖を先頭に、そこから下ってきた系譜に同じ世代を位置させる書き方です。こうした方法では同じ世代のホライゾンタルな結合関係が、たとえば同一の「一族」「家」という枠の中に示されます。現在主義的な視点から過去が、単系列的に説明されています。
 これに対してある一人の人間から過去へとさかのぼっていき、樹型的に書く方法があります(競走馬はこの応用として当該馬を中心とした円型で書くこともあります)。1世代前なら2人。2世代前なら4人、5世代前なら32人という逆末広がりになりますが、実際にはこうした書き方はあまり見られません。32人のうちの多くが不明ですし、それ以前はさらに不明だからです。
 もちろんこの二つの書き方で、より正確な過去に近いのは後者です。前者では現在、もしくはある時点でのホライゾンタルな結合・単一化が重視されていて、その一方で過去の実在のほとんどが認識から排除されているからです。これに対して後者は、もしそれを正確に再構成することができれば、一人ひとりの個人に本来備わっていた多様性、あるいはそうした個人の集合体に本来備わっていた多様性を認識させるものとなります。
 過去を忠実に再現するのが歴史であるというのなら、過去の多様性を多様性として認識する後者的なもののほうがはるかに正確だということになるはずです。 
# by pastandhistories | 2010-10-06 13:58 | Trackback | Comments(0)

artifacts

 多様な史(資)料から歴史を構築することについていつも思うのは、artifacts、つまり人工物のことです。それぞれの時代に文化的に生み出されたものが、どういう形で現在の歴史認識に影響を与えているかということです。なにも現物である必要はありませんが、artifacts は過去を想像する重要な手がかりだからです。
 しかし、ある研究会でそのことを指摘したことがありますが、現在の日本ではたとえば江戸時代にさかのぼるようなartifactsはびっくりするほど、日常周囲にあるものに見出せません。研究会は大学の教室でしたが、部屋にも、参加者の服装にも、持ち物にも明治以前の過去を示すようなものは見当たりませんでした。いまこの文章を書いている部屋にも、百年以上前の過去を示すものは、テクストである歴史書の中に文字として記されている以外にはありません。
 もちろん部屋から出て街などの多少広がりのある空間に行けば、過去から残されてきたartifactsを寺や神社に、地方であれば町並みに見ることができるかもしれません。しかし、それも限定的なものであって、たとえば東京では電車に乗って職場に行き来するという日常の中で、多くの領域において、過去に作り出されたものと同一のartifactsを直接見出すことには困難さがあります。
 そうしたなかで現在に生きる人が、過去を想像するさいの媒体となっているものが、過去を素材とした映画です。映画では、そのほとんどはレプリカですが衣装や日常品、建造物といったartifactsが映像を媒介として具体的に示されます。あるいは実際に過去に作られたartifactsである古い町並が、撮影のロケーションの場として利用されます。こうした映像が、周囲に過去認識の媒体となるようなartifactsの乏しい現在に生きる人が過去をreality like なものとして想像することを可能にしています。
 reality likeであってrealityではない。したがって映画を事実性を根拠に批判することはそれほど難しいことではありませんが、過去とは異なったartifactsを作り出し、それに取り囲まれて生きている人にとって、映画がartifactsを含めた過去への想像的理解に果たしている役割は小さなものではありません。
# by pastandhistories | 2010-10-05 09:14 | Trackback | Comments(0)

史料の多様化

 『思想』8月号の長谷川貴彦さんの文章にもそうした方向性が示されていましたが、歴史研究者の立場から言語論的転回とか言説分析といったポストモダニズム的な議論を考えるときに重要なことは、実際の歴史研究にそうした議論がどう生かされるかということです。歴史そのものについての原理的な議論もたしかに重要なことですが、それは哲学者の課題であって、歴史研究者は自分の場にある具体的な問題を考える必要があります。この点に関して残念なことは、ポストモダニズム的な議論を拒否する歴史研究者の批判の多くが原理的なレベルのものにとどまっていることです。批判をそうしたものにとどめてはいけないということは、最近の歴史研究の流れに示されています。
 ポストモダニズム的な歴史論と限定する必要はありませんが、最近の歴史研究の重要な要素となっていることは、認識主体と認識対象の多様化です。またこのこととも関連しますが、史料の多様化と、史料解釈の多様化です。後者に関して参考になるのが、Routledgeから2009年に刊行されたReading Primary Sources, History Beyond the Text, History and Material Cultureという3冊の論文集です。というのは、これらでは文字的なテクストに限定されがちであった研究が、現在ではきわめて多様な史料にもとづくものになりつつあることが、またそうした史料に対応する多様な解釈のあり方が、きわめて具体的に論じられているからです。また重要なことは、こうした多様性が少なからずポストモダニズム的な歴史論との関連から論じられているからです。
 このうちの最初の本を現在授業のテクストとして使用しているということを、先週書きましたが、たとえばその中に掲載された本の編者でもあるM.DobsonのLettersを扱った論文は、書簡・手紙といった史料の読み方について、具体的な史料を例示しながら、かつポストモダニズム的な議論を考えを取り入れながら、興味深い議論を示唆しています。読み書き能力の向上により「普通の人」が文章を書くようになり、郵便制度の飛躍的な発達によって手紙の量が爆発的に増加したこと、そうした手紙は私的な形態をとっていても、実は完全には私的なものではなく、ある共同性を前提としていて、かつそうした中での自らのアイデンティフィケーションをライフストーリーとして構築するものであった、あるいは社会自体が生み出していた文体に呼応するものであった、ということなどです。簡潔にいえば普通の人の言説はどのようなものとして構築され、それが社会的にどのように機能していたのかが議論されています。
 残念ながらこの狭いスペースではこれ以上丁寧に説明できませんので、いずれきちんとしたかたちでまとめて紹介できればと思いますが、今日書いたことを結論的に一言でいえば、史料においても、その解釈においても、歴史の相対化・多様化は具体的な歴史研究をむしろ豊かにしていくということです。ポストモダニズム的な議論を原理的に否定するより、そうした豊かな方向性を生み出したものとして歴史研究者はポストモダニズム的な議論を考えたほうがよいのではと思います。
# by pastandhistories | 2010-10-04 12:16 | Trackback | Comments(2)

ホライゾンタル・ヴァーティカル

 昨日親子で使用する文字が異なっていたという例をとりながら、ホライゾンタルな結合がヴァーティカルな結合より強い影響力があるということを説明しました。もちろん父の世代が旧仮名遣いを用いたのも、近代国民国家が生み出したホライゾンタルな結合によるという部分もあります。いずれにせよ、近代国民国家にはホライゾンタルな結合(ナショナルな結合)を推し進め、それまでのヴァーティカルな結合(ローカルな、あるいはリージョナルな結合)を打ち破るかたちで成立したという面があります。もちろん厳密に言えば、ローカルな結合もまた層的な要素を含むという点でホライゾンタルな側面を有していて、ヴァーティカルな要素が大きい家族のような一次的集団とは異なるという議論もできます。
 この問題が歴史に関して重要なことは、現在あるホライゾンタルな結合(たとえば日本という単位)にある認識の枠組みが、まだそうした結合が存在してはいなかった過去(地域的、私的結合が強く、拡散的であった時代)に適用されて、過去もまた既にそうしたホライゾンタルな結合のあった社会として、あるいは少なくとも現在のホライゾンタルな結合を枠組みとして認識されることです(多くの日本史研究者が、「日本人」という一体化した立場から歴史を理解していることがその典型的な例です。また「6世紀の日本では」というのも、そうしたことの典型的な例です)。こうしたかたちで捉えられた過去は、もちろん「日本人」などという認識の枠組みを持たなかった過去の人々が作り上げていた社会を正確に再現したものではなく、現在のホライゾンタルな結合に合致するために構築されたものです。
 言語(方言さらには他民族集団の言語の消滅)の例をとるのが一番わかりやすいところがありますが、近代国家の成立の過程で、ホライゾンタルな結合はヴァーティカルな結合を排除することによって成立してきました。ここで忘れてならないことは、言語ばかりでなく、歴史、つまり過去認識にも同様の過程、ホライゾンタルなものがヴァーティカルなものを排除するかたちで成立してきたという側面があることです。家族というようなヴァーティカルな過去認識の単位が、近代歴史学の中から排除されているのもそのためです。ヨーロッパの民衆のミクロ的世界の最近の研究が学問的にもっとも優れたものであり、世界的にホライゾンタルに共有されるべきものであると力説する研究者は多くいても、個々の人々がそのミクロ的な世界をとおして継承してきたヴァーティカルな過去への認識の重要性を主張する歴史研究者はほとんどいません。学問的世界では具体性に名を借りた象徴的過去が優先され、本当の具体的過去は軽視されています。
 「世代」の問題を書こうとするとどうしても話がずれてしまいますが、「世代」の問題に関して最後に付け加えると、「世代」の問題は「戦争」の問題を例にとるとわかりやすいところがあります。「戦争」を成年として体験したた世代、「戦争」を少年として体験した世代、「戦争」を戦後民主主義のなかで追体験して世代、その後に歴史として学んだ世代(もちろんここもさらに細分化できます)という様々な世代が現在の日本には存在しています。もちろんそうした層的分化(ホライゾンタルな枠組み)は集権的な権力やマスメディアが発達した近代以後の社会のなかで促進されたものであって、そのまま過去に適用することには疑問もありますが、少なくとも近現代史や現代社会における歴史認識の分析にとっては有用性があります。
# by pastandhistories | 2010-10-03 10:00 | Trackback | Comments(0)

文化的断絶

 マンチェスター大学のステファン・バーガーからメールがきました。国際歴史学会議で手渡すことのできた自分の一連のペーパーをわざわざ読んでくれた、その感想です。もちろん儀礼的なこともあると思いますが、好意的な内容が記されていました。あわせてこれから議論していくべきこととして、スヴェン・ベッカートを例にあげながら、global microhistoryの問題をどう考えるかというこちらへの質問が記されていました。
global historyとmicrohistory、この二つはこれからもしばらく続く現在の歴史研究のトレンドでしょうから、この二つをどう結び合わせていくかが、今後議論の対象となるとバーガーは考えているのだと思います。自分が歴史のdecommonizationやprivatizationを主張したことに対して、バーガーはそうした歴史のミクロ化が、全体的な枠組みとどう関連づけられるかに疑問をもったようです。この問題への回答はバーガーへの返事を書く時に考えていきますが、今日は昨日の続きで「世代」という問題について私的な経験を交えて少し書き足します。
 「世代」ということで私的に思い出すのは、父と自分の差です。もっとも個人的には自分の父は、その世代の人物としては趣味や食事や服装その他すべてにおいてかなりモダンなところがあって、若い頃はいわゆるモボだったのだと思いますが、その父と自分の違いということで大きなカルカチャーショックを受けたのは、小学生の時にそのモダンな父が文章を旧仮名遣いで書いているのを偶然発見した時です。父はサラリーマンではありませんでしたし、年賀状も印刷という人ですから、私的な手紙など以外は普段はまったく文章を書くことはありませんでした。その父が業界紙から依頼があったということで書いていた原稿が旧仮名遣いであったということです。「これでは恥ずかしい。今はこんな字は使っていないよ」というのが父にその時自分が伝えた言葉でした。小学生が大人に注意して、結局父は子供の教えに従いました。
 コミュニケーションのもっとも基本的手段である言語(文字)ですら、同じ家庭内にあって、世代によって異なるというのは、生活習慣や考え方の違いなど以上に本当にショッキングな体験でした。このことに関してその後考えるようになったことは、家族を単位としたヴァーティカルな継承によってではなく、文化は大きな強制力をもつ学校教育などを管理する国家によって現在では作り出されていることです。そのことが人々の結合のなかで、ヴァーティカルなものより、ホライゾンタルな要素の役割を強めているということです。
 もちろんホライゾンタルな結合は、権力がもつ強制性に加えて、文化空間の凝集性がマスメディアの発達などによって大きく発達した現代社会によって促進されたもので、歴史的過去の理解にそのまま適応できるかは議論される必要があります。しかし、少なくとも自分の中には、親子というようなもっとも基本的で日常的なヴァーティカルな枠組み以上の強制力をもつものによって、自分の思考は社会的に形成されたという実感があります。今日は歴史認識の世代性について書く予定だったのですが、少し内容がずれました。歴史認識の世代性については明日にします。
# by pastandhistories | 2010-10-02 10:50 | Trackback | Comments(0)

個人の変化・世代的要素

 既に還暦を迎えた森進一という歌手が、中学を卒業すると集団就職で鹿児島から大阪へ出てきたこと(本当は山梨出身ですが)は、同じ「世代」の人にはよく知られた話です。しかし、高校全入化という変化の中で、集団就職はもちろん、中卒労働力という形態も日本の社会から現在では姿を消してしまいました。
 このことに関して興味深いと思ったのは、数年前に放映された集団就職者のその後についてのドキュメンタリーで、消息の知れている同じ中学出身の集団就職者の半数近くが現在では何らかのかたちで社長と呼ばれる地位、もちろん中小企業・商店・飲食店が多数ですが、についていると紹介されたことです。ほとんど無権利の低賃金労働者から社長と呼ばれる地位に就いた人が少なくはなかったということです。
 戦前・戦後の日本の社会で思想的な転向が常態のように繰り返されているように(別に日本と限らず多くの社会にとってもありふれたことでしょうが)、あるいは上述した例が示しているように、個人は社会が変化していく中で、同一の社会的立場や思想的立場をを生涯維持し続けるわけではありません。むしろ変化させていくということの方が多いと断言してよいところがあります。だとすると「個人」を「集団」に組み込み、たとえばあまりにも包括的・一般的な「民衆」とか「階級」とかという言葉をもちいて歴史を説明することは妥当なのかという問題が生じます。
 もちろんこうした変化を集団的に、層的に捉えることができないわけではありません。「農村の長男以外の層によって構成されていた集団就職者は、高度経済成長の中で、その社会的地位を上昇させ、都市において中堅的な社会層を形成するにいたった」とか、「60年安保反対闘争や全共闘運動に参加した学生は、その後の社会の保守化に伴い保守的な社会層を全体としては構成し、その一部は大学において経済システムの変化に応じたイデオロギーの保守的再編、大学の秩序化におおきく貢献した」というようにです。こうした説明は、個人の生涯における変化を、具体性をもつ共通した集団に組み込み(中卒労働者・大学入学者という社会層的・集団的共通性)、それに世代的要素を加えて説明しているという点では、もちろんその中に階級的要素が含意されていないわけではありませんが、「民衆」「階級」といった言葉による包括的な説明より、説明としては正確と言えるかもしれません。
 「個人的な変化」と「世代的な要素」は、これまで歴史研究では意外なほど看過されてきましたが、事実を説明していく際の重要な要素です。そのことは歴史認識の問題についての言えると思いますが、その点については明日続きを書きます。
# by pastandhistories | 2010-10-01 09:32 | Trackback | Comments(0)

書くということ

 ロラン・バルトの「作者の死」という主張は、テクストが作者の意味させようとしたものとは異なるものとして、読み手によって永遠に自由に解釈されつづけていくことを指摘し、テクストには「正しい」読みがあるという議論への根底的な疑問を提示したものとして、その後の議論に大きな影響を与えてきました。この議論は、「読み手」の立場に立てば、自由に作品を読んでいいという権利の付与を意味します。しかし「書き手」から見れば、文字通り「死」、つまり将来的な不在化を意味することになります。
 ものを書くことにあるアイロニーです。いまブログとしてこの文章を書いているということには、当然読み手が措定されています。しかし、同時に明らかにこの文章は自己に対しても書かれているものです。なぜなら「作者の死」という言葉が正しければ、この文章の意を正確に理解しているのは書き手である自分以外には存在しないからです。しかし、自己との合意は、けっして他者による自己への合意を保証するものではありません。本来は他者とのコミュニケーションを目指すものが、結局は自己の中に回帰的に循環していくということが、書くという行為にはあります。
 多くの文学作品を読めばわかるように、書くという行為にはそうしたナルシスティックな要素があります。しかし問題は、バルトが指摘したように、書くという行為は自己の存在を立証するものではなく、むしろ自己の不在化を確認するものでもあるということです。こうした中で、自己の不在化への不安を回避する行為が、多くの書くという行為にみられる共同性への同化です。もともと言語は、他者とのコミュニケーションという共同性の媒体として構築されたものです。共同性の中にアイデンティフィケーションをも見出していくものとして、言語を媒体として構築されたものが重要な役割を果たしているのもそのためです。
 言語によって構築されたものが、「正しい」解釈を求めるのは、共同性を保持していくためであり、共同性によって維持されているアイデンティティを擁護するためです。そうした共同性の「正しさ」の中に自己を同化させるのか、もともと永遠の不在でしかない自己を確認するのかが、何をどのように「書く」のかを定めています。
# by pastandhistories | 2010-09-30 10:16 | Trackback | Comments(0)

メモの整理として

 「ここに一枚の写真がある。」・・・いずれここで書き終えたその最初の部分を紹介してもいいのですが、これはチャーティスト運動についての書下ろしを書き始めた時の冒頭の文章です。
 この書き出しは自分でもすごく気にいっています。19世紀に写真技術が広まって、写真による模写性の高い情報がpublic space で用いられるようになる、そのことが人々の意識を共通化させ、新しい社会的統合のきっかけとなっていった。そういうことを象徴的に示す文章です。 もっともこの文章が扱っている1848年のロンドンでのチャーティストの集会を写した写真自体は、当時はその存在が一般には知られてはいませんでした。20世紀の後半に発見されたものです。しかし、写真の発見によってわかったことは、この集会は当時London Illustrated News という挿絵入り新聞に版画絵を伴って紹介されましたが、その版画絵がこの写真をもとに集会の画像として、きわめて精度の高いものとして作成されたということです。London Illustrated Newsは様々な出来事を豊富な図像を用いて伝えましたが、その多くはそうした手続き(写真-版画化-印刷)をへて作成されたものでした。
 というように、この書下ろしは19世紀の中ごろの図像的な情報空間が果たした役割から書き始めたのですが、ある時期にこの仕事は完全にストップしてしまい現在にいたっています。このブログにも示されているように、歴史理論へ研究の重心が移るようになったからです。その理由は、今から10年ほど前の在外研究です。最初の半年は、本当に毎日のようにソルフォード大学に隣接した労働者階級運動史図書館に通ってノート作りをしていましたが、空いた時間に1993年に書いた『国境のない時代の歴史』を英訳しているうちに、そこで書いた問題をもう一度考えてみたいと思うようになったためです。
 本来は帰国後はノートを整理してチャーティスト運動関係の文章を書かなければならなかったのですが、イギリスでは読めなかった日本語の理論関係の本を読んでいるうちに、理論的なことへの関心が先行し、こちらの原稿をまず書き始めました。驚くほど進んで全体を8章構成で計画し、最初の5章ほど(400字換算400枚ほど)が本当に短期間で書きあがりました。
 問題はそれからです。結論とその結論につながる章がどうして書けない。その理由としては色々な要素がありますが、やはり大きな理由は、この間次から次へと出されていく欧米での理論的研究の進展に追いつけない、こうした研究で示されている問題設定は、たとえばポストモダニズム的な議論はその一例ですが、日本ではほとんどフォロウされておらず、参考になるような日本語文献も少なく結局は欧米の文献を一人で読まなければいけない、ということです。加えて言えば、つなぎの部分として書いたものを個別的な論文として発表したので、同じものを継ぎ足したくはない、ということも原稿が止まってしまった理由です。ただメモだけが膨大に蓄積して、それが処理できないという状況におちいってしまいました。
 ということで、書きはじめにも説明しましたが、このブログはそうしたメモを整理していくために、個人的な状況を含めてかなり私的なものとして書かれているものです。同じことはあまり書きたくないので、まだ原稿化できていない部分について自分のアイディアを文章化しているものです。あまりまとまりはありませんが、定期的にアクセスしてくれる人もいるようなので、大学が始まって時間的余裕がなくなり、また他の原稿も書かなければならないのですが、これからもできるだけ毎日書いていくつもりです。
# by pastandhistories | 2010-09-29 09:22 | Trackback | Comments(0)

時間性

 いま8時50分です。8時50分という時間は、宇宙の中の絶対的時間としてあるわけではなく、人間が人間社会にとって必要なものとして作り上げたものであると指摘したのは、プラグマティズム的な相対主義を論じたローティーです。世界は絶対的真理によってではなく、人間の作り上げた言葉によって、社会と言葉との相関的な変化のなかで、つねにそうした変化に対応するかたちで描き直されていく(redescribe)という主張です。
 時間ですら絶対的なものではない、と言われると確かにその通りですが、実はこの議論には宇宙という言葉がある種の永遠性をもつものとして措定されているところがあります。そうした宇宙の絶対性に時間概念を媒体に疑問を呈したのが、バートランド・ラッセルの「5分後の宇宙の実在は証明できない」という主張です。おそらくこの文章を書き終えるころには、その5分後は過ぎているでしょうから、なんとかそのことは事後的には証明されそうですが、実はそうした議論はまだ経験されていない未来への推測を媒体に成立しています。
 しかし、ラッセルの議論で大事なことは、哲学的には未来はその実存を厳密なかたちでは証明されているものでないということです(・・・いま証明されたようですが・・・)。同じような意味で、過去の存在も厳密な意味では哲学的には証明されえないと言えるかもしれません。少なくともそのように存在の論証ですらあやふやなものが、厳密な意味で正確に表象されることはありえないというのが、歴史の脱構築論の一つの要素です(すべての脱構築論者がそうした立場に立っているわけではありませんが)。
 ラッセルもローティも系譜的には自由主義的な立場に立つと言えますが(さらには社会民主主義的な思考があったとも言えますが)、彼らがこうした議論をしたことの一つの理由は、時間性というものが、しばしば人々を支配する媒体となってきたためです。個人としては経験したことのない過去、経験することのない未来を措定することをとおして、時間は個を、個を超越した時間を管理するものに従属させてきました。宗教の多くは人間を死後ばかりか、生前という個が認識しえない時間性の中に位置させることによって人々を支配してきましたし、多くの集団は家族・一族から国家にいたるまで、長期的な時間性を持つものであると称することをとおして、そうした集団に個を従属させてきたわけです。歴史というナラティヴの多くには、とりわけcollectiveな歴史には、そうしたものとして「歴史的に」機能してきたという側面があります。
 もちろん正しく歴史を認識することによって正しい時間性の中に自らを位置づけるという議論も可能ですが(近代歴史学はそうしたものとして成立しています)、時間性の中に自らを位置づけることへの疑いもまた議論としては大事なことです。
# by pastandhistories | 2010-09-28 09:19 | Trackback | Comments(0)

授業とテキスト

 ブログというかたちでこれまで考えてきた理論的なことをずっと書いてきましたが、今日から授業ということで、大学での授業について触れると、いちおう1年生から4年生、大学院にいたるまでの一通りの授業を担当しています。教養科目(地域史)が一つ、専門科目が基礎演習(1年)、史料研究(2年)、卒業論文指導演習(3.4年)、それから大学院の演習と特殊講義となります。
 地域史は自分の専門ということでイギリス近代史の概説となります。講義は苦手でいつまでたっても上手にはならず、頭の痛い授業です。基礎演習は色々試みましたが、この間はE・H・カーの『歴史とは何か』を英文と和訳で購読し、英語の小テストを重ねるという形式です。こうした授業は学生の学力を比較するのに便利ですが、現在の大学1年生にカーの本は相当に難しいようで、英語は翻訳があるので少しはわかるけど、という感じです。正直言って歴史の方法論、とくにカーの議論のような相対主義的な議論を1年生に紹介するのは年々難しくなっている感じがします。その意味ではこのブログの内容も、1年生ばかりか、大学生には難しいかもしれません。
 史料研究という授業は、直接史料を読むということで、何年か前からコンピュータールームを使用して、ネットからそれぞれの関心のある史料を訳してもらい、添削するという方法を試みました。学生全員が関心をもつものとはいえない「同一」のテクストを読むという形式に疑問があり、また史料の入手もネットを通せば学生でもできる作業になったのでそうした形式を取り入れたのですが、この方式も授業としてはかなり難しいところがありました。他の学生の読んできた史料への関心が教室全体のものとはならないためです。逆にこちらの負担は大変で、労多くして実りが少ないところがありました。ということで、今年は前半はOxford University Pressから出ているWriting History ( by W.H.Storey, 3rd ed. 2009)の冒頭部を前半は読みました。このテクストは英文もやさしく、ネットの利用から入っていきますので ( googleの検索をどう利用するかが、結構議論されています)、現代的で学生にもわかりやすいよいテキストだと思います。後期は M.Dobson & B.Ziemann, Reading Primary Sources, Routlege, 2009を読むということで、夏の課題として3章から6章(Letters, Surveillance reports, Court files, Opinion polls)を割り当てましたが、これはかなり英文も学生には難しいのではと思います。
 卒業論文や、大学院の演習は学生の報告が主です。ということまで書いたところで、客人が来ました。
# by pastandhistories | 2010-09-27 12:35 | Trackback | Comments(0)

形式・内容

 今日はさわやかな日で、文章も気持ちよく書けてこのブログも丁寧にかなりの量を書き終えたのですが、最後のクリックで大失敗し、文章を消してしまいました。かなりきっちり書けたので書き直してもいいのですが、同じ文章を書き直すのも気持ちが重たいので、少しメモ的なことを書いておきます。最もタイトルを見ればわかるように、扱うことはかなり基本的な重要な問題ですが、あくまでもメモ的なものですので、その点は了解してください。
 断るまでもなく形式(form)、内容(content)はヘイドン・ホワイトが重要なキータームとして用いたものです。歴史と過去に関して言えば、歴史(form)によって示される過去(content)は、過去そのものを忠実にrepresent(再現)したものではなく、その媒体となる歴史にあるformの決まりによって、過去そのものとは異なるものとしてrepresent(表象)とされているという考え方です。つまり過去が歴史として、学問的な記述として、あるいは小説とか映画などによって表象される際には、それは歴史学とか歴史小説とか歴史映画にある形式にしたがって表象されている、さらにいえば言語とか映像にある形式にしたがって表象されているということです。
 ここから提起された問題は、そのような形式の規定性を前提とすれば、歴史は過去と厳密に一致するものではないということですが、さらにこれに付随するかたちで問題とされるようになったことは、事実を表象するものとして形式的には優位にあるとされていた学問的な歴史に対して、小説的な映画的な手法や、あるいは日常的な場にある認識の中に、むしろ過去のリアリティをより正確なものとして認識する可能性があるのではということです。
 それはどういう問題なのかが本当は大事なことですが、今日は最初にも書いたような理由から本当にメモ的なことだけを書きました。日曜日ですが、これからいよいよ明日から始まる授業(1時間目から始まります)の予習をします。
# by pastandhistories | 2010-09-26 11:27 | Trackback | Comments(0)

残余の復讐

 古いメモをチェックしていたら「残余の復讐」という言葉が出てきました。この言葉はお気に入りの言葉だったのですが、YAHOOで検索したら一つもヒットしませんでした。自分の造語であったという記憶はないのですが、多分岩波から翻訳されている『パリコミューン』の中で「パリコミューンは祭りである」と書いたフランスの哲学者アンリ・ルフェーヴルの『総和と余剰』(La somme et le reste)を読んだ時に、メモしたのだと思います。物事を総合化・全体化するものに対して常にそこには収まりきれない余剰が生じる、そして総和から排除された余剰が結局は全体の解体をもたらしていく。読んだのは随分と昔のことですからこの読み方がルフェーヴルの考えに忠実かはわかりませんが、読後感としてそうしたことを書きとめたのが、「残余の復讐」という言葉だと思います。
 この言葉は好きな言葉です。というのは自分の中には、つねに全体性とか総体性(歴史研究では全体史というような議論となりますが)ということへの疑問があるからです。その中に権威的・権力的思考を感じるからです。もちろん多くの「全体」という議論は必ずしも閉ざされたものではなく、新しい発見を取り入れて全体を常に革新していくものとして提示されています。しかし、そうした議論にある論理は、「発見」された他者を統合して形成された「近代」の論理と同一のものです。そこでは新しく発見された「他者」は、新しく形成される「全体」に包摂されるものとして位置づけられてきました。
 しかし、他者は異和的で全体には取り入れらることのない剰余として、全体を破壊する危険性を持つものであるからこそ他者なわけです。そうした要素を剥ぎ取られてしまえば、それは全体の一部ではあっても、他者ではありません。少し論理が飛躍するかも知れませんが、全体史というものは、そうした本来的な他者性を除去することをとおして成立しているという側面があります。
 たとえば「狂気」ではなく、「狂人」の歴史ということを例にとってみるとこの問題がよく理解できます。「狂人」の歴史には二つの描き方があります。正常者が狂人の歴史を描くというものと、狂人自身によるものです。この二つは異なるものであってけっして交じり合うものではありません。正常の側は、フーコーがそのことを指摘したように、正常も狂気も構築されたものであるということを説明する包括的・全体的(もちろん正常からみてですが)な説明を加えることはできます。しかし、狂人の側が自らの歴史をどう認識しているかを「内在的」に描くことは、正常の側にはできません。そもそも認識の構造が本来的には異なるものだからです。他者が理解できると考えるのは、その他者性が全体によって補完的なものとして構築されたものだからであり、本来的な他者とは異なるものだからです。
 正常と狂気、中央と周縁、全体と個別、権力と民衆、あるいは西欧とオリエンタルというような議論をとおして他者の問題が随分と議論されていますが、そうした議論にある問題は、議論自体が既に所与の全体として構築されていて、他者的なものとされるものがそうした全体を補完するものとして構築されているということです。他者というのは、本来はそうした全体には収まりきれない剰余として、つねに全体を脅かすものとして存在しているもののはずです。
# by pastandhistories | 2010-09-25 10:39 | Trackback | Comments(0)

鏡の中の姿

 昨日は石塚正英さんが中心として続けてきた歴史知研究会がありました。現在では若い研究者を中心とするようにということで、10人ほどの若い研究者が執筆するかたちでの論文集の出版が予定されていて、掲載予定の2本ほどの原稿の読みあわせをしました。「歴史知」についてのかなりヴァライアティに富んだ論文集になりそうです。
 昨日書いたことの補足を少しすると、認識の相対性という問題は、「鏡に写った姿」という例をとるとよくわかります。たとえば鏡に映っている姿を見た場合、そこに映し出されている自分は、けっして他人が普段見ている自分と同一のものであるとは言い切れません。なぜなら自分の認識と他人の認識が完全に同一のものであるとは言えないからです。それが同一のものであるためには、種としての人間の視覚的認識が同一のものであるという議論が必要になります。しかし、人間の五感は、成長にしたがって身体的にあるいは「社会的」に形成されるものですし、またかつてはしばしばそれを排除するかたちで論ぜられていましたが「色覚異常者」(もちろん異常でもなんでもありません)という人たちが多く存在しているように、遺伝的にも異なるもので完全な種としての同一性があるわけではありません。
 認識の相対性という問題は、自分と猫が一緒の鏡を見ている場合のことを考えるとよりはっきりと理解できます。自分が鏡の中に見ている猫の姿は、視覚が人間とは異なる猫自身がみている猫の姿とはまったく異なるものですし、同じように猫が見ている自分の姿は、自分の見ている自分の姿とはまったく異なるものだからです。
 生物の個々の認識器官自体も種の進化の過程のなかで形成されたということを明らかにした進化論的な議論は、このように神と人間を類似化し、そのことをとおして神の認識≒人間の認識ということを根拠にした認識の唯一性という決定論的な思考を批判する根拠ともなりました。コリングウッド、クローチェ、E・H・カーの歴史相対主義的な議論はそうした流れの中で形成されたものでしょう。その意味では近代的な議論です。
# by pastandhistories | 2010-09-24 10:06 | Trackback | Comments(0)

通時的な思考の意味

 (日常的なものとして観察できる)経験的事実を、(時間性などを大きく拡大した)法則などの非経験的なものへと拡大したことが近代科学の重要な要素であるということを、1週間ほど前に「近代科学と歴史」という文章で書きましたが、そのことを少し補足するとダーウィンの進化論もまたその一例です。それまで存在していた観察に基づく分類学(種の区別)を、時間的な流れ(種の発展)から法則化したものが進化論だからです。別の言葉で言うと、シンクロニカルな認識をダイアクロニカルな認識へと置き換えたことということです。
 実は国際歴史学会議で結論的に主張したことは、ダイアクロニカルな視点からではなく、シンクロニカルな視点から歴史を見ることの意味です。もちろんこうした主張は、文化人類学などの構造主義的な視点から生じたものです。多様なかたちで存在するものを、厳密な観察・描写の対象とすることによって、対象を優劣において捉えるのではなく、それぞれ存在意味をもつ等価的なものとして理解していくという考えです。
 こうした考えから「進歩」という枠組みで個々の事実の優劣を価値づけるという点で通時的な議論は批判の対象となったわけですが、実は共時的な方法にもまた個々の事実の優劣を価値づけるという面があります。たとえば神を人間の似姿とし、そのことを通じて文明化された人間を絶対化してきたのは、西洋をはじめ多くの文化の中でおこなわれてきたことです。なによりも人間の認識を絶対化し、そこから基本的な議論は組み立てられてきました。観念論と唯物論という区分はそうした議論の典型的なものでしょう。
 人間をもダイアクロニカルな枠組みの中で過渡的なものとして位置づけた進化論は、神中心的な思考ばかりでなく、人間中心的な思考を打ち破ったという点では、法則性を媒体としながらむしろ相対主義的な思考をすすめていくのに重要な役割を果たしたといえます。リチャード・ローティーは「ネアンデルタール人の叫び」と「現代人の言語」は同じものなのかという問いを立てることをとおして、言語によって構成された対象認識の相対性、プラグマティックなものとしての知、という問題を指摘しました。19世紀以降大きく発展した精神分析学や発達心理学もまた人間の個としての知が、認識の出発点として絶対化できるほど確たるものでも、共通したものでもなく、言語などの対象認識の媒体が社会的に獲得されていく過程にしたがってダイアクロニカルに獲得されていくものであることを明らかにしました。ダイアクロニカルな思考が西洋中心主義的な歴史理解の根拠となったことは事実ですが、また一方ではそれが相対主義的な思考の根拠ともなったということを無視するするなら、そうした議論もまた奇妙なものとなります。
# by pastandhistories | 2010-09-23 07:54 | Trackback | Comments(0)

価値としての客観性

 映画には、夢や幻想や錯覚・想像を通常の画面構成とは異なるものとして示すという手法があります。カラー映画の中でそうした場面を白黒化したり、セピア色としたり、あるいはオフフォーカスで描くという手法です。すべてを通常の画面として描くと、「事実」と「想像されたもの」の区別がつかづ、観客に混乱を生じさせるからです。2時間ドラマでも、回想をそうしたかたちで映し出すこともおこなわれますが、犯人の告白による「事実の再現」の多くは、基本的には通常の画面構成を通しておこなわれます。そのほうが告白の「事実性」を視聴者に印象づけることができるからです。
 昨日も書いたように、告白はテクストなわけですから、本当はこれはおかしいところがあります。告白の現場という事実は通常の画面構成をとってリアルなものとして示されてよいわけですが、告白そのものはあくまでもテクスト化された回想であって厳密な事実性については確定し得ない要素があるわけですから、画面として示す場合でも、おぼろげな曖昧なものとして示すのが、より忠実な表現様式なはずです。
 しかしそうした表現様式をとらないのは、昨日も書いたように映画の文法的問題であると同時に、くわえて2時間ドラマがテーマとしているような犯罪行為の確定・犯人の逮捕・処罰ということについて、現実の社会においては過去の事実の正確な認識ということが重要な要素とされていて、そのことがフィクションの形式にも反映されているためです。
 実際の社会において、多くの人々は日々報道される犯罪について、報道自体としてはテクストに過ぎないにもかかわらず、そうしたテクストをつうじて報道されることを事実として認識しています。その事件についての当事者的真実、つまり犯人とされた人物の多くがおこなっている無実の主張を受け入れることはあまりなく、犯人への処罰に暗黙の同意を与えています。つまりテクストによって示されたものを、事実として承認しているわけです。そのようなかたちで、テクストがいつのまにか確たるものとして「事実として共同化」されているわけです。
 もちろんこうした「共同化された事実」は、「過去の事実そのもの」と完全に一致したものではありません。社会が求める価値としての「客観性」にもとづくものであっても、映像としてありのままに再現できるような厳密な客観的な事実では本当はありません。「歴史」もまたそのようなものとして共同化されているものです。
# by pastandhistories | 2010-09-22 10:36 | Trackback | Comments(0)

2時間ドラマの文法

 2時間ドラマには事実認識についての文法があります。様々な職業の推理者(たち)が犯人を探り出すということをプロットの基本として、ストーリーは、証拠の発見-推測-犯人の(現場もしくは断崖での)告白、というように展開していきます。そうしたストーリーの流れで「事実の確定」に関してもっとも重要なことは、犯人の告白が「映像によって再現され」、そのことをとおして犯人はもちろんのこと推理者や関係者、さらには視聴者によって「過去の事実」が認識されることです。
 しかし、よく考えてみればわかりますが、こうした枠組みが実際の過去認識において用いられることは基本的にはありません。なぜなら「犯人の告白」は、文字通り「告白」、つまり語られたものであるにせよ、記されたものであるにせよ、テクスト化されたものでしかなく、けっしてドラマのように「過去の現場」を完全なリアリティとして再現するものではないからです。したがって、実際には、話されたこと、記されたこととしてしか(一部にはもちろん映像的な記録が証拠として残されている場合もありますが)過去は、現在的には存在していないわけですから、2時間ドラマが現実に忠実な構造をとろうとするならば、エピローグもまたせいぜいが推理者の推理と犯人の告白のみにとどめるべきであって、「事件の映像による再現」を加えるのはおかしいということになります。そのそれぞれの告白(テクスト)を異なるものとして具象的に(想像的な映像として)示した『羅生門』の方が、第三者がそうした差異のあるテクストをもとにそれぞれ異なった過去を想像しているという「現実」の過去認識のあり方をより正確なものとして示している点で、よりリアリズムの方法に立っているということです。
 しかし、こうした問題について言えることは、「リアリズム」にもとづいて2時間ドラマからその重要な要素である「犯人」の「告白」にともなう「過去の事実の忠実な再現」という場面を削除したら、おそらくそのドラマは視聴者の支持を得ることができないだろうということです。多くの視聴者もまた「テクスト」は「事実」との相互関係において初めて成立するものであり、「テクスト」だけでは事実性を示すものではないと考えているからです。もちろん脱構築論的な議論もそうした立場に立っているわけですが、脱構築論的な議論がさらに問題としたことは、2時間ドラマにある文法がそうであるように、あるいは実証にもとづく忠実な過去の再現という議論もまたそうであるように、「テクスト」にもとづく想像でしかないものが、なぜ実際にはありえない「過去の事実の忠実な再現(representation)」を伴い、しばしば受け手に対する強制力をもつものとして立ち現れているのかという問題です。そのことはもちろん「過去の事実の存在」や「想像力」そのものを否定しているというわけではありません。
# by pastandhistories | 2010-09-21 09:16 | Trackback | Comments(0)

記号の事実化

 前の文章で書いたことを、日常的な例をとって説明します。ネットがもたらした変化の一つに、記号の集積体である情報が多元化し、とりわけマスメディアの情報管理の中ではタブーとされていたことや、隠されていたことへのアプローチが可能となったということがあります。その一つに死刑確定囚についての情報を伝えるサイトがあります。このサイトには興味深い情報がいくつかありますが、中でも興味深いことは、確定囚のなかで冤罪や誤審を主張している人が少なくはないということです。
 ある殺人事件が起きたということは、被害者の死体が他殺を根拠づけるかたちで確認されたという点で事実であったとしても、事件に関する当事者というのは、被害者と残された「ジャスト・ワン・ウィットネス」である加害者しかいません。事件を取り調べた警察官も、それを報道した記者も、そうしたメディアから得た私たちも、判決した裁判官も、事実を残された「ジャスト・ワン・ウィットネス」以上に正確に知っているわけではありません。「記号の集積体」をとおして事実を推測しているのに過ぎません。
 しかし、日常的な経験として本当に驚くのは、たとえば犯罪事件のような場合、本当に多くの人が特定の記号の集積を、客観的な「事実」であるとさほどの疑いもなく認識していることです。職業柄老若を問わず歴史研究者と日常的な話題について会話をすることが少なくないわけですが、こうした会話の折に、いわゆるロス疑惑事件裁判や元同業者の二度にわたる痴漢冤罪事件についての疑問や批判的な考えを述べれば、返ってくるのは「厳密な実証主義者」(?)からの軽蔑の眼差しです。もちろん多くの人は、確定した裁判に対する「ジャスト・ワン・ウィットネス」から申し立てについても、その信謬性を根拠にほとんど関心を示すことはありません。メディアが冤罪を主張しない限りは、多くの人は証言を事実とは考えません。
 こうしたことが示していることは、ある社会や集団は、自らが経験したわけではない「記号の集積」のあるものを、特定の目的のために「事実」としていて、それを社会や集団に所属する人々が、さほどの疑いを持たずに受容しているということです。犯罪を含めて日日私たちに送られてくる記号の集積に対して不可知論の立場をとっても論理的にはよいわけですが、そうした立場をすべての人がとれば、社会が安定した維持が困難になる、そうした合意のもとで、本来は論理的には不可知的なものが、事実として構築され、多くの人がそれに合意しているということです。
 本来はこのような事実の構築性を批判する言葉であった「構築主義」という言葉が、保守的な体制擁護論者によってむしろ「歴史の作為的な構築性」を擁護するものとしてトリッキーなかたちで利用された根拠は、こうしたことにあるわけです。
# by pastandhistories | 2010-09-20 11:41 | Trackback | Comments(0)

その当時の真実

 「その当時の真実」という言葉があります。英語ではtruth at that timeとなると思いますが、文章としては、「その当時にはそれが事実や真実だと考えられていたが、現在ではこうしたことが事実や真実であったと考えられている」というように、現在的な判断の正しさを示すものとして用いられます。あるいは「それぞれの時代には時代毎の真実がある」というような意味でも用いられたりします。
 しかし、この言葉には厳密にはおかしなところがあります。「時代」というのは、時間的な位置を示すものであって、空間的な位置が示されていないからです。またもし「当時の日本では」というような空間的な位置が位置が示されたとしても、そうした空間的な位置にいた人々は様々で、共通の画一的な認識をもっていたと考えることには論理的にはかなり無理があるからです。
 こうした議論はたとえば、「ホロコースト」や「南京虐殺事件」などを例にとっておこなわれます。「ホロコーストは当時の人々には知られていなかったが、現在では多くの人に知られている事実である」「南京虐殺事件の存在は当時は知られておらず、戦後の戦争犯罪裁判によって多くの人に知られるようになり、現在では学問的に定説化している」というようにです。
 しかしこうした議論も厳密にはおかしく、厳密に言えば、「事件に被害者として、加害者として直接関与した人々はこうした事実の存在を当然のことながら認識していたが、戦争期の情報統制の中での一面的な情報しか与えられていなかった当時のドイツ国民や日本国民の多くは、そうした事実の存在を知らなかった」が、「現在では多くの史料や証言を元に、そうした事実の存在が明らかになり、多くの人がそのことを認識するようになった」ということがより正確な記述となるかもしれません。
 しかし、こうした「事実」と「認識」の関係は、それが時間的に「過去」であったということにおいてのみ問題となるわけではなく、「現在」の事件においても同じ関係が成り立っています。そもそも「南京虐殺事件」とそれを知らなかった当時の日本人は、「当時」においては同じ「現在」という「共時的」な時間に位置していました。それはアフガン戦争や、さらにはより日常的な例を挙げれば日日報道される犯罪事件という「現在」の事件が、今生きている人にとって「共時的」なものであるのと同じことです。
 もちろんこれらの事件を私たちの多くは直接経験しているわけではありません。そうした事件についての認識は、メディアによって伝えられる「記号の集積体」をとおして作り出されたものです。それは南京虐殺事件やホロコーストに対する、そうした記号の集積体をもとにした当時の人々の認識と構造的には同じものであって、別に客観的な事実認識であると断定できるものではありません。今後「記号の集積」が付加されることによって、後代の人々が「現在」とは異なる認識を持つことは、南京虐殺事件についてもそうであったように、十分に予想されることです。
 今日こうしたことを書いたのは、もちろん「その当時の真実」が誤っていて、「後代の歴史的認識」のほうが正しいということを述べるためではありません。そうではなく、「事実の記号性」という問題と、そうした記号的なものが社会の中でどのような役割を果たしているのかということを考えていくためです。それはどういう問題であるのかということは、次に書きます。
# by pastandhistories | 2010-09-20 10:45 | Trackback | Comments(0)

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