歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


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歴史のトランスナショナル化への疑問

 日本は12時だと思いますが、相変わらず時差には苦しめられています。物価も高く、ネットの接続代と食事代は大変です。といっても参加者名簿は、個人情報保護の話などお構いなしに参加者のメールアドレスを本人の同意なく掲載していて、それを利用すれば互いに連絡しあえるということで、ネット接続はどうしても必要です。食事はホテルの朝食代は30ユーロ、小さな店で飲み物とパンとバナナを買って節約しても10ユーロです。200ユーロしか用意してきませんでしたので、帰りの電車代もなくなってしまいそうです。
 ところでラウンドテーブルで話した内容ですが、比較史を批判したのは、比較史には、日本というナショナリティが前提とされていて、それでいてグローバルスタンダード(二国の比較ぐらいでそうなるという発想自体に既に大きな問題もありますが)を持ち出すことによって、イソップ物語のこうもりのような都合のいい二重性があると自分は考えているからです。そうした二重性は、実はかつての歴史学にあったポリティカルなプラクティカリティ(ホワイトの今度のペーパーはそのことを指摘しています)を遺棄し、グローバリティというナショナリティより包括的なスタンダードを持ち出すことによって、そうした包括性が保護する科学性なるものをとおして自らをアイデンティフィケーションしていくという構造を持っているということです。実はそのことは表面的な対立性とは異なって近代国民国家によって保護されていたという意味で、さらにはもっと深刻な意味ではそもそも日本というものを単位としたナショナルヒストリーという共同性によって自らがアイデンテフィケーションされているということに対する自覚はほとんど意識しないかたちで維持されてきたこれまでの歴史学と、構造的には同一性を持っているということです。
 またそうしたことへの解決の方向はけっして安易なグローバルヒストリーには求めることはできないということが、もう一つの話したことです。たとえば今回は英語でペーパーを読んだわけですが、そんなものが通じない社会が世界の半分以上です。English speaking の世界に自らを同化させて、そこで語られるglobal historyへの同化を無批判的に語るのは、まさに「近代」国民国家としての日本にあった発想のその延長にあるものでしかありません。
 と書くとこうした議論自体が「日本」という場を土台としているのでは反論されそうです。しかし、自分が話したのは、あくまでも自分の歴史家としての、というより近代という場に生まれた人間の個人としてのpersonal experienceのなかで考えてきたことです。歴史家とは限らずそれぞれの個人がそれぞれの時間や空間のなかで、過去をどのようなかたちで個人的に認識しているのかということが、歴史の問題を考えていく際に最も重要なことだというのが、自分の考えです。そうした考えに組織者であったグルヌイヨーは関心をもって、彼とはこれまでまったく面識はありませんでしたが、発言の場を与えてくれました。
# by pastandhistories | 2010-08-24 12:57 | Trackback | Comments(0)

ラウンドテーブル

 国際歴史学会議のラウンドテーブルが終わりました。会場が他の会場とは異なった離れた場所での午前中のセッション、折り悪しく雨も降っていて、また昨日の開会式の人出も悪かったのでそれほど人は集まらないと思ったのですが、40人ほどの部屋ですがほぼ満席になって、また場所が離れていたことが幸いしてか出入りもほとんどなく、3時間休み無しのぶっとおしの会でした。
 松浦義弘さんがわざわざ参加してくれたのをはじめ、日本からも何人かが参加していたので、評価はそうした人たちに語ってもらったほうが良いと思いますが、多少の後悔もありますが(ホワイトのように折角の参加者の写真をこちら側から撮らなかったというような)、自分では話したことの内容については十分納得しています。前列にアフリカ系の人が一列に座っていて、その一人がフランス語でこちらに質問してきたのは戸惑いましたが、リン・ハントも最後に質問してくれましたし、賛否を含めて会場からの反応があったので、それなりにこちらの話は伝わったようです。
 4人のパネリストは自分を除けばそれぞれ身長が2メートル近く、パフォーマンスも堂々としていて、話もまとまっていました。とくにスベン・ベッカートは何のペーパーも用意していないというので、何を話すかと思ったのですが、こちらのぺ-パーをきちんと読んでくれていて、話がつながるように議論をもっていってくれて本当に助かりました。とにかく司会をしたグルヌイヨーも含めてメンバーに恵まれ、また発言者が4人で3時間の会ということで、自分としてはいい会だったと思います。
 話したことは、グローバルヒストリーやトランスナショナルヒストリー、あるいは比較史への批判ということです。これだけではいったい何のことかわかないと思いますが、具体的な内容については、時間を見て説明をしていくつもりです。終わった後は松浦さんと簡単な食事をして、宿に戻って着替えてから「歴史と人権」のセッションに出ました。アルメニア問題に言及したことがきっかけになってトルコ人研究者と司会の間で大紛糾、教室担当の学生が会議を終わらせようと合図したところ、「発言」という人間の基本的権利を無視するのかという野次が出たりして、混乱の中で終わりました。
 
# by pastandhistories | 2010-08-24 02:43 | Trackback | Comments(0)

great men と common persons

 今夜中の2時半です。時差もありますが、それ以上に1日の使用料が15ユーロなのに、昼間はなかなかパソコンがネットにつながらないということで、いまネットをチェックしています。国際歴史学会議での自分のラウンドテーブルは今日の朝からということで、メンバーで昨日の夕方打ち合わせをしました。初対面でしたが、フランクでいいメンバーです。もっともハーヴァードのスヴェン・ベッカートは、自分はフリー・ディスカッションの方が好きだということでぺーパーの用意はないのですが、オープンな人物ですからパネリストの間ではなく、会場とやりあってくれると思います。
 パネルの話は終わってからということでそのくらいにして、昨日最後に書いたマクロ的なものとミクロ的なものの相互関係、というよりも great events や great men と無名のミクロ的な存在である unknown persons, common persons がどのようなかたちで象徴的に表象されているかという問題について、少し補足しておきます。
 昨日も書きましたが、無名の存在を representation し、ある時代や空間を象徴するのがミクロヒストリーの一つのあり方ですが(そこでは直接的にではありませんが、従来の歴史との対比という意味で、 Great men が対比的に前提とされています)、このことは物語の形式としてはかなり一般的なもので、新しいものではありません。多くの物語にはそうした構造があります。それをもっとも典型化し、類型化したものが、「変身」や「すりかえ」話です。「市井の一市民」が「偉大なヒーロー」となるというのは、スーパーマン(もちろんそれ以前からも)から延々と繰り返されているものですし、great men と common, unknown persons が入れ替わるのも、『 王子と乞食』から延々と続く(これもまたもちろんそれ以前からも続く)物語の基本的なプロットです。
 後者が物語としてはより歴史的な枠組みを設定したものが、「影武者」物語です。黒澤明の『影武者』はこの点からはあまり上手にできてはいませんが(その理由はアイロニカルなことに、武田信玄という実在の人物をプロットの中に置いたためです)、これに対して架空の大名を設定した井上梅次監督の、市川雷蔵が二役を演じた『第三の影武者』は、雷蔵の熱演もあってこのあたりが上手に示されています。要するにこうした「物語」の基本とされていることは、無名の、普通の人々を Great men と対比するという構造です。繰り返しますが、こうした構造は文学や映画においては基本的とも言えるもので、最近の歴史学の発達が発明したものではないということです。
# by pastandhistories | 2010-08-23 10:20 | Trackback | Comments(0)

歴史のミクロ化

 時差で夜中に起きてしまったのでパソコンの作動を確認して、また寝たらうまく6時に起きられました。今日からは人に会う仕事もあって夜は忙しいので、時間通りの生活になるでしょう。さっそく今日はドリンクパーティとラウンドテーブルの打ち合わせが6時からあります。少し場所が違っていてそれが心配です。
 といっても司会をするGrenouilleauが、彼の質問の流れをも含む大体の案を丁寧に作ってくれました。自分には「歴史の個人化」は、「科学としての歴史と乖離するのではないか」、という質問をするようです。グローバルヒストリーを含めた「共有化された歴史」の脱構築という議論に対しての疑問としてです。
 うまい説明になるかどうかわかりませんが、これに対する答えは以前から用意されています。というより、そうしたことへの問題意識が自分の議論の一つの出発点です。それは歴史のミクロ化をどう考えるのかという問題です。
 本当に簡単に整理すると、歴史のミクロ化は、認識対象のミクロ化と、認識主体のミクロ化という二つに分けることができます。前者は、現在では歴史研究の中できわめて評価の高いギンズブルグやN・Z・デーヴィスに代表されるいわゆるミクロヒストリーの流れです。後者はradical historians やポストモダニスト的な歴史論によって主張されているものです。やや図式的に言えば、前者は専門的は歴史研究者からは、科学的な歴史をさらに精緻化していくものとして評価され、Grenoilleauの例のように、後者は科学的な歴史に対峙するものとして懸念されています。
 しかし前者のような考え方にはいくつかの疑問が成り立ちえます。一つはたとえば歴史の因果性(ヘンペルを持ち出すまでもなく歴史を科学的に説明する重要な要素と考えられてきたものです)ということを考えれば、伝統的な歴史が取り上げてきたgreat eventsやgreat menのほうが、言い換えればマクロ的なものが、ミクロ的なものよりより大きな影響を与えてことは否定できません。たとえば、ヒトラーと自分の祖父は同じ年に生まれましたが、現代における重要な事件の生起に原因となるより大きな役割を果たしたのはヒトラーのほうです。自分の祖父に対するミクロヒストリーを学問的な歴史が手がけないのはこのためです。マルタン・ゲールももちろん当時の王侯貴族ほどには、その後の事件の原因となるような行為をしたわけではありません。「因果性」を歴史を科学的に説明する重要な要素と考えるならば、マクロ的なものの方がミクロ的なものより重視されるのは当然のことです。その意味では認識対象のミクロ化も、認識主体のミクロ化と同様に歴史を科学から遠ざけるという批判も成り立ちます。
 しかしより重要なことは、マルタン・ゲールの映画化に象徴されるように、認識対象のミクロ化、つまりミクロな歴史は、実は歴史の映画や文学との共通した要素を示すものともいえるということです。普段はそのことに慣れてしまってあまり気づきませんが、映画や小説の、とりわけ映画が持つ基本的構造は、それによって表象されているものが(たとえ全体としては事件が描かれていても)、ミクロ的な主体としての(とりわけ映画の場合は複数の)個人であるということです。それぞれの場面で登場人物がその意識や感情の表現する主体となっているのもそのためです。専門的な映画監督や文学者が自分の祖父を主人公とする作品を、自分の祖父をある時代や場を歴史的に象徴する人物として描いても、歴史研究者が同じことを行うのと異なって(ロ-ゼンストンはこうした試みを行いましたが、高い評価を得たわけではありません)批判されることはありません。というより映画や文学が過去を素材として(あるいは現代でもそうなのですが)もちいている手法は、多くがミクロ的な個人をある空間や場を象徴するものとして描く(前衛的な手法ではそうしたこともまた否定的に扱われていますが)というものです。ミクロ的な歴史との違いは、それが事実であるということに根拠を置いているかです(?)。
 こうしたことは、ある事件を歴史として象徴化するということはどのような意味をもっているのかとか、そのようなかたちの象徴的真実とは何かとか、そもそもミクロ的な歴史の真実性は何かいったような興味深いことと関連しているのですが、そうしたことへの答えはとてもここでは書ききれません。実は国際歴史学会議ではミクロヒストリーをめぐっては、「伝記とヒストリー」というセッションがあります。ジョバンニ・レーヴィが組織者なのですが、時間が自分のものと重なって残念ながら出られません。
# by pastandhistories | 2010-08-22 13:52 | Trackback | Comments(0)

パソコン不調

 アムステルダムに着きました。ということで昨晩すぐに簡単な記事を書いて送信したら、パソコンの接続が切れて3時間修復を試みましたが、結局駄目でした。夜中に2時過ぎに起きてしまい、今やったらつながりました。送信に成功するようでしたら、時間を見て今日から記事を書きます。
# by pastandhistories | 2010-08-22 09:38 | Trackback | Comments(0)

Globalization and its Discontents

 少し早く起きました。準備もあるからですが、どうせ今日は一日飛行機の中ですから、時間はたっぷりあります。逆に出発前ということで今はあまり時間はありませんので、簡単なことを書いておきます。
 国際歴史学会で参加するのは「グローバルヒストリー」のラウンドテーブルです。現在ではあまりにもポピュラーなテーマで、この問題については多くの人が論じているわけですから、自分がパネリストとして選出されることはまったく予想していませんでした。駄目もとでペーパーを送ったのですが、まったく面識のなかった議長予定者のパリ政治学院の Olivier Grenouilleau が自分の考えに関心をもってパネルに加えてくれました。最初は discussant ということだったのですが、結局は簡単なペーパーを読みます。グローバル化と歴史というテーマについて、他とは異なるユニークな視点があると判断してくれたのだと思います。
 このことについて思い出だすのは、Globalization and its Discontent (1997)という本です。左翼的な本を出版する Maspero から出されたもので、The Rise of Postmodern Socialisms という副題がつけられています。この本は既に紹介したロンドンの Hausmans で入手しました。 Roger Burbach, Orland Nunez (後でスペルは直します), Boris Kagarlitsky という3人の共著です。共著者の名前から気づくところがありますが、後者の二人は中南米、ロシアの出身者で、それぞれニカラグアのサンディニスタ内閣の一員、ゴルバチェフ派でエリツィン時代に投獄された人物となります。主著者の Burbach はバークレーの南北アメリカ研究所所長を務めた人物です。内容はタイトルからも想像できるように、反グローバル化という視点に立って、社会主義的な思想を時代に合わせたものとして復権していくということを目指したものです。
 ということで、内容は大変興味深く、出版当時すぐに最初の2章ほどを翻訳してみて、当時懇意にしていた編集者に翻訳出版を相談したことがあります。その時の返事は「いまどき反グローバリゼーションなどはやりませんよ」というものでした。結果的には評判となった(よく売れた?)金子勝さんの「反グローバリゼーション」が出版されたのはその後の話で、だったら金子さんには申し訳ありませんが、こちらの方が面白かったのではと思ったことがあります。それ後「グローバリズム」を批判する本は「流行として」出版されるようになり、グローバリゼーションは「学問的」には批判的な立場から論ずるのが、むしろ当然のようになりました。
 「進歩」とか「新しさ」をキータームとして座標軸をずらしながら結局は時代に対応して、自らの立場をイデオロギー的にも(もちろん最近は非イデオロギー的といったほうがよいでしょうが),あるいは学問的にも正当化していく、しかしそこには本当の意味での実践的な視野がものの見事に欠けている、そんなことへの疑問が自分にはあります。それがポストモダニズム的な歴史理論に関心を持った大きな理由です。
 わかりにくいことがあるとは思いますが、ポストモダニズムやグローバリゼーションへの関心は、自分の中にあるそうした問題意識にむしろ基づくものです。「歴史のグローバル化」を擁護する論者が圧倒的に多い中で、そうしたものとは異質のものがあるということを Grenouilleau は評価し、関心をもってくれたのだと思います。
# by pastandhistories | 2010-08-21 06:48 | Trackback | Comments(0)

History, Science, and Practicality

 ヘイドン・ホワイトから国際歴史学会議の際に読むペーパーが送られてきました。正確に言うと、既に8月10日に送られてきていたのですが、普段使用するパソコンがこの添付をリジェクトしていて、昨日別のアドレスのパソコンでメールを開けたところ添付されていたことに気づきました(ということで大事な時は、彼は二通りのアドレスにメールしてくるようです)。佐藤正幸さんとアンカースミットが中心となって組織した27日のICHTHの会で読む予定のものですが、他のほとんどの報告者はまだアブストラクトしかネットの大会プログラムにあげていないにもかかわらず、今確認したらホワイトは全文を既にあげていますので、ネットを通して誰でも読むことができます。題名は Politics, History, and the Practical Past というものです。『思想』でも訳されたPractical Past論を、ここでもまた議論の対象としています。
 当然のようにさかんに使用される practical という言葉とともに、この文章では science, scientific という言葉が文章を展開していくにあたって盛んに用いられています。でもこれをいっかんして「科学」「科学的」と訳すとコンテクストのなかでは意味がとりにくくなる部分があります。「知」とか「学」とか、あるいは「科学」というように、用いられているコンテクストに応じて訳し分けていった方が、はるかに理解しやすくなります。
 「歴史は科学」であるという言葉は歴史研究者の間では常套句として用いられているものです。歴史研究会の規約の最初の文章も「科学的な歴史」を称揚していたはずで、おそらくそれに対応する英語は scientific になります。しかし、逆に science をどう訳すかは、かなり難しい問題です。国際歴史学会議というのも実際には International Conference of Historical Science ですから、国際歴史科学会議と訳してもいいのですが、最近は国際歴史学会議と訳されています。この組織が成立したのが20世紀の冒頭ということですから、この時期にはまだ歴史は「科学」ではなく「学」であったという考えればそう訳せますし、逆にこの時期に歴史は近代「科学」との親和性を主張するようになっていたとすれば、「科学」と訳したほうがよい部分があります。
 この問題についていえることは、歴史が自らを「知」や「学」としてではなく、「科学」と主張するようになったのは、「科学」とされるものが一般にも認められるような高い影響力をもつ言説空間が近代以降成立したためだということです。そうした言説空間のなかで、歴史もまた自らを「科学」であるとすることを通してそのポジションを確立したということです。とりわけ近代以後の大学という「学問的」空間の中で、自らの地位を確保するためには、そのことが必要でした。それがそうしたことを必要ともしなかったし、求めなかったアートとしての文学(言語学や文芸理論は別にして)違いです。さらにいえば、学としての「科学的」歴史と、アートや習俗としての「日常的」なパブリックな場にある歴史が分離したのもこのためです。
 しかし、この問題で重要なことは、それでは近代以後「科学」が高い影響力をもつ言説空間がなぜ生じたのかということです。おそらくその理由は、「科学」が人間生活の様々な領域において、practical な役割を果たしたためです。「科学的」とされる知識が生み出した生産力の上昇から寿命の延長をはじめとする様々な領域での実際的な成果が、そうした言説空間を作り出したということです。それが「大学」とともに、「科学」を権威化しました。歴史学研究会の規約にも「科学」が権威であることが含意されていたはずです。しかし、こうした practicality は、ホワイトの今回の文章が指摘しているような、それまでの人文的な知にあった practicality とはやや異なったものです。そのことが、「歴史学」とか「歴史科学」とその時によって訳し分けられるように、「歴史」の立ち位置を現代の社会において曖昧なものとしている理由です。
# by pastandhistories | 2010-08-20 10:15 | Trackback | Comments(0)

自閉性と国際性

 ロンドン大学の歴史学研究所(IHR)の現所長であるマイルズ・テイラーからメールが来ました。彼はもともとはイギリスの急進的運動やチャーティスト運動の指導者の一人であるアーネスト・ジョウンズを研究していた人物ですが、その後イギリス帝国の問題からイギリス史を理解するという方向に研究を発展させています。
 彼と知り合うきっかけになったのは彼がまだKing's Collegeにいた頃です。当時何度か彼と会う機会がありましたが、ある時彼がチャーティスト運動についてのドロシー・トムスンなどが編集した最初の包括的な文献目録集に掲載されていた古賀秀男さんが書いた日本語のジョウンズ論を手に入れて、その内容についての質問をしてきたことがありました。実はこの文献目録は刊行される以前に、自分の所にも古賀さんをつうじて自分の書いた論文のリストを送ってほしいとの連絡がありました。といっても多くは「日本人」の読者を対象に「日本語」で書かれたものですし、その意味で内容的にも不満足で、そうしたものを文献目録に掲載してもらうことにはためらいがあり、自分のものについては連絡を1点だけにとどめました。これに対して古賀さんが当時執筆していたものはこの文献目録には多くが掲載されています。それを参考にしてマイルズは古賀さんのジョウンズ論を入手していたということです。とくに彼が当時は見ていなかった史料を古賀さんが用いているということで、関心を持ち古賀さんの論文の内容を知りたいと思ったようです。ということなら自分が説明するより、古賀さんと直接やりとりするほうが早いだろうということで、彼に古賀さんとの連絡方法を教えました。
 このことについて感心したのは、研究に対する貪欲さです。少しでも自分の研究していることについて参考になることならコミュニケーションをとりたいという姿勢です。また別の意味で感じたことは、日本語で書かれているからといって、それが研究として発表されたものである以上誰からも読まれれうるものであるということを前提としなければならないということです。「日本語」で書いたことをこれ幸いとして、自閉的なものになってはいけないということです。
 それから20年もたっていませんが、その間日本の歴史研究は一部では大きな変化がありました。やはりそれは研究の国際化の水準がこれも一部の分野ではですが一挙に高まったということです。マイルズから連絡も、9月10日にロンドン大学で博士課程の在学中の日本のイギリス史研究者と、イギリスの日本研究者それぞれの4人のジョイントの発表会を開催する(詳しくはIHRのホームページに掲載されていると思います)のでそれに参加してほしいというものです。今年の夏はこれに参加するとヨーロッパと日本をひと夏で3往復することになりますので、参加は難しいと事前に連絡してあったのですが、会自体の内容には関心もあり、困ったというのが現在の正直なところです。
 実はずっと考えてきた歴史のグローバル化やトランスナショナル化への批判が国際歴史学会議でのペ-パーの内容なのですが、そのことは歴史研究のこうした国際化とは別に矛盾するわけではありません。などと言うとまさに矛盾した議論だという批判を浴びそうですが、そんなことはありません。ということの理由を書くことも、このブログを書き始めた理由です。
# by pastandhistories | 2010-08-19 10:50 | Trackback | Comments(0)

フランス革命の歴史化

 クラシカルなものとナショナルなものが歴史として言説化されるという話をチャーティスト運動を例にとって説明してきましたが、チャーティスト運動の中で言説化されて重要な役割を果たしたのが、フランス革命です。チャーティスト運動は一般には1830年代後半に始まったとされますから、フランス革命はほぼ40年ほど以前の他国での出来事です。
 比較的近い時代の他国の出来事が(規範として模倣すべき)歴史として言説化されるということは、戦後の日本でもありました。国と国の文化的な、距離的な親近性にはかなり差がありますし、それを伝える媒体となったもの、たとえばメディアの発達形態には時代的に見て大きな差がありますが、ロシア革命です。戦後の日本からすれば30年~ほど前の他国の出来事が、とりわけ当時の学生を中心とした左翼的な運動の中では、歴史として言説化されました。レーニンの主張した前衛主義的な運動論や国家論・革命論がそうした人々の中で受容されたのはそのためでした。
 フランス革命がイギリスの急進的運動の中で、あるいはそれを支持するようになった人々の中で、どのようなかたちで言説化されたのかという問題は、歴史研究のテーマとして今後も議論されていくと思いますが、一般的には対仏戦争期のイギリスにおいてはフランス革命に対する拒否感は強く、またヨーロッパにおいても7月革命期まではフランス革命はテロルを象徴するものとして否定的に捉えられていたと考えることができます。
 チャーティスト運動の中にはこうしたフランス革命へのネガティヴな理解を否定し、ポジティヴな歴史として言説化するという流れが強くありました。そうした流れを推進した人物の一人が、運動の理論的指導者の一人であったブロンテール・オブライエンです。彼は『バブーフの陰謀』を翻訳し、ロベスピエールの伝記を執筆し、フランス革命史の執筆を試み、イギリスの急進的運動をフランス革命に接合していきます。オブライエン一人がこうした主張をしたというわけではもちろんなく、こうのような考えが生み出されていた状況のなかで、フランス革命はイギリスの急進的運動の中で歴史として言説化されていた、そのことがチャーティスト運動の中で、National Conventionとか、National Assemblyという言葉が用いられたり、マラーにちなんだfriend of the peopleという言葉が用いられたり、三色帽子が自由を示す、フランス革命との親近性を示すの象徴として用いられた理由です。
 ここから先の議論は批判があるかもしれませんが、日本でもある時期まで「前衛性」とか「先駆性」という言葉が、さらには「革命的」「マルクス主義」さらには「レーニン主義」そしてこれらを批判するものとして「トロツキー」といったような、言葉が(あるいは人物が)ある言説空間のなかで有効性を持つ象徴として機能していたのも、近過去の他国の歴史が言説化された例です。
 異他的なこうした出来事が共有の歴史として言説化されていく時に用いられたのが、peopleとかhuman,さらには歴史の必然性とか法則性といったような包括性・普遍性を持つ「言語的象徴」です。もちろん、そうした言語的象徴を用いているからといって、それはそうした言語によって指示されるものを内在させているわけではないという疑問が、言語論的転回という議論が生まれる根拠となりました。イギリスでチャーティスト運動研究から言語論的な議論が生じたのもそのためです。
# by pastandhistories | 2010-08-18 09:06 | Trackback | Comments(0)

nationalという言葉の象徴化、nationalなものの象徴化

 自宅の部屋は狭く、もともと部屋に本箱を置くのは好きでないので実際の文献を確認しながら文章を書くことはできませんが、あくまでもブログですので、メモ的に書いていきます。 
 昨日はクラシカルなものの象徴化ということを書きましたが、今日は national なもの、というより national という言葉の象徴化というテーマについてです。本当は national なものがどのように象徴化されるようになってきたのかという問題を考えていくべきでしょうが、大問題ですし、すでに色々な考察もありますから、ここでは national という言葉に議論を絞ることにします。
 もちろんこのこともまた大きなテーマであって、色々な確認のうえで書かなければならないことですが、歴史教科書的には nation とか national という言葉が登場するのは、アダム・スミスの Wealth of Nations と、フランス革命の時の国民議会 Assemblee Nationale、国民公会 Convention Nationale ということになります。 
 この二つの使用例がそもそも意味において同じなのか、またそもそも national という言葉がいったいいつ頃からこのような意味で使用され始めたのかはここでは論じないことにすると、やはり結論的に言えることはこの言葉は近代国民国家が成立していくという流れの中で、ある象徴性をもったものとして一般化したということです。そもそも日本語では national という言葉は「国家」「国民」そして「全国」と訳し分けられます。この言葉にどのような象徴的意味を付与するか、あるいは具体的な意味が内在しているのか、という考え方の違いが、訳し方が異なる理由です。しかし、いずれにせよ「国家」とか、「国民」とか、あるいは「全国」というものが具体性を持つものとして登場するようになった時期から、この言葉の使用はかなり一般化しました(ここで重要なことは言うまでもなく、そうしたものがある時期から具体的なかたちをとるようになったからといって、過去がそうしたものとして具体的に存在していたということではないことです。つまり日本という国家が存在するようになり、日本史が構築されるようになったからといって、過去に日本なるものが存在していたわけではありません)。
 19世紀のイギリス史をみてもそのことは理解できます。たとえばチャーティスト運動では national という言葉はある面では運動を支えたキータームとなります。運動をまとめあげた請願は National Petition ですし、代表者たちの集まりはフランス革命に倣って National Convention と呼ばれます。さらには後期の運動の結集体となった組織は National Charter Association でしたし、理論的指導者の一人であったオブライエンは National Reform という言葉を好み、それを自らが中心となった組織や急進的な新聞の名称として用いました。Nationalization of Land という主張も、そうした中で運動の中では唱えれるようになりました。
 急進的な運動の中でこのようなかたちで national という言葉が象徴的な機能を果たしたのは、やはりフランス革命の影響があったと考えてよいと思いますが(この点についてはまたあらためて書きます)、やはりもう一つの理由はイギリスでは19世紀前半に進行した政治上の諸改革や交通網の整備、あるいはそれに伴うメディアの発達によって、nationalizaton 、別の言い方をすれば「近代国民国家」の成立が進行していためだと考えることができると思います。そのようなかたちで国家や社会がnationalize されていくにともない、それに対する対抗的運動もまた nationalize され、national という言葉を象徴化するようになったということです。
 もちろん national という言葉が象徴化されたことは、それに伴う様々なものまた象徴化されていったということを意味していました。たとえば national な過去が急進的な運動の中にも作りだされ、人々の結合を推進していくことになりました。チャーティスト運動の中の言説に、そのようなかたちで構築されたナショナルな過去への言及もまた多く見出すことができます。
# by pastandhistories | 2010-08-16 11:25 | Trackback | Comments(0)

クラシカルなものの象徴化

 昨日いくつかのものが19世紀には歴史への知として象徴化されていたということを書きましたが、そのことについて順を追って書いていきます。
 まずクラシカルなことについて。この表現は随分と唐突に思われるかもしれませんが、現在の日本でも意外と定着しているものです。わかりやすい例を挙げると、「ポリスが民主主義の基礎」であるとか、「ヘロドトスとトゥキディデスから歴史が始まる」というものになります。世界史の教科書では今でもこうした記述があるようです。これが日本の世界史の教科書にあるというのは、よく考えてみれば変な話ですが、このようなかたちでクラシカルなものが、「民主主義」とか「歴史」という基本的な事柄に関して象徴化された歴史への知として現在の日本では存在しています。
 事実に即して考えようとすればわかるように、ギリシアの諸都市はもちろん都市「国家」などというものでなく、もう少し正確に言うと現代国家のように複雑化した規模の大きな統合体と同じ「国家」という言葉によってなぞらえうるものではなく、現在的に言えば、というより世界の様々な地域に歴史的に存在していた共同体と比較しても、半農半工の、それに商業的機能を部分的に備えた「村落」に近いものでしょう。もちろん「都市」と言ってもかまいませんが、少なくともこれを「国家」と呼んで、現代国家の政治形態のモデルをそこに求めるのは論理的にはかなり飛躍したものです。もし民主主義の原理的モデルを求めたいのなら、なにもそのような「クラシカル」なものを象徴的に理念化する必要はなく、それこそ町内会でも、村落的結合でも何でもよいのですが、より身近な歴史的・日常的経験の中からモデル構築をしていくほうがよほど論理的な手続きです。
 歴史がギリシアに始まったという、ヨーロッパの歴史理論で常に議論されるテーゼも、東アジア社会の文化的伝統からは理解しにくいものです。そのような過去認識は、東アジア社会にはより古くから存在していたという議論が成り立つからです。ヘロドトスに「歴史」の始原を求めるという議論は、というより古典文化に思想的に合理的な議論の根拠を求めるという議論は、その後のキリスト教的なイデオロギーとの相克の中でヨーロッパの社会や思想がどのように形成されてきたのかという大問題と関わる議論ですし、またそのことはランケ以後の近代歴史学の位置づけとも深く関わる問題でもあって、ここではとても議論しきれませんが、話を元に戻せば、「ヘロドトス=歴史の父」という議論もまた、「アテネ=民主主義の祖」という議論と同様に、歴史への知の中でクラシカルなものがヨーロッパにおける過去認識では象徴化され、それが日本にも「世界史教科書」をとおして導入されている例です。
 わかりにくい議論かもしれませんが、別の例を挙げればマルクス主義のキータームとなった「プロレタリアート」という言葉は、クラシカルなものが象徴化されたもう一つの例です。もちろんドイツでもちいられた「スパルタクス」もまたその例です。実はスパルタクスをそうした象徴として用いたのはスパルタクス団が初めてではなく、チャーテイスト運動の時代にも指導者によってペンネームとして用いられています。チャーティスト運動ではこの他に、グラックスなどの民衆的立場に立ったとされるローマの指導者たちの名前などが指導者のペンネームとして用いられ、そうした古典古代についての歴史へ知が、運動を根拠付けるものとして言説化されました。このことも以前文章として書いたことがありますが、プロレタリアートという言葉も実はマルクス以前にチャーティスト運動の有力な理論的指導者であったブロンテル・オブライエンが「プロレス」という言葉として既に用いていたものです(それ以前にも使用例があったかは、今後確認されていくでしょう)。キリスト教的な知がなお人々の間では支配的であった時代に、それに対するそれとは異なる知としてクラシカルな時代が歴史として象徴化されていたということです。
 こうした知がこの時期既に人々の中に本来的なものとしてあったのか、それとも知的な社会層から(この時代のイギリスであればそれは中産階級急進派ということになるわけですが)民衆世界の中に持ち込まれたものであるのかは、史料に即して今後議論していけばよいことです。しかし、19世紀にはこうしたクラシカルなものへの歴史的な知が象徴化される言説空間があったことは確かです。
# by pastandhistories | 2010-08-15 10:32 | Trackback | Comments(2)

象徴と言語

 そういう人も多いと思いますが、自分は校正「欝」です。書く時は多少「躁」になりますが、書き終えると自分の書いたものは見たくなく校正をする気にもなれません。ということで、印刷された後に読み直すことはほとんどありません。それでも最近書いた歴史理論に関する原稿は多少は自信もあって人に手渡すこともしますが、以前は自分の原稿を抜き刷りとして送るということも、特定の人を除いてはほとんどありませんでした。
 ということで自分の書いた原稿は忘れることにしているのですが、最近若い研究者から以前の「チャーティスト運動における象徴と言語」という論文は大事な論文だから読むようにとある高名な研究者から勧められたことがあると聞いてびっくりしたことがあります。理由はタイトルにあるのでしょう。「象徴と言語」ということをタイトルとした歴史の論文は、調べたわけではありませんが、1995年としてはかなり斬新であっただろうからです。
 この文章は紹介論文ですから「象徴と言語」という考えは、もちろん自分の独創ではありません。ギャレス・ステッドマン・ジョウンズ、エプシュタイン、ピカリング、ベルチェム、アンナ・クラークという当時の気鋭の研究者たちが、チャーティスト運動研究に導入しようとしていた考えを紹介したものです。こうした考え方が、現在ではチャーティスト運動に限らず歴史研究の重要なテーマを構成していることは確かです。
 問題はそうした「象徴や言語」がどのような言説空間の中で機能しているのかということです。昨日も書きましたが、チャーティスト運動に関して言えば、キリスト教的な知に支えられた言説空間がそうした場の一つであったということです。これも昨日指摘したような神話的知識が、運動を結合させていく要素となっていたことはそのためですし、チャーティスト運動の指導者や組織に、多くの宗教的な指導者としての経歴を持つ人物がいたり、missionariesやclass(その後用いられるようになったものとは意味が異なりますが)というような宗教的な組織と重なるものがあったのはそのためです。
 しかしこの時期の急進的運動にとって大事なことは、人々を結び付けていた歴史への知が、キリスト教的な知にとどまらず、クラシカルなもの、ナショナルなもの、そして人々にとって至近な時代の過去、たとえばフランス革命、といったものについての知へと広がりを見せていたことです。そうした言説空間が存在するようになっていたということです。そうした言説空間の中で、人々を結合させていくために、様々な象徴や言語が用いられていました。
# by pastandhistories | 2010-08-14 12:18 | Trackback | Comments(0)

言葉の循環性

 高校の世界史の教科書に「アダムが耕し、イヴが紡いだ時、誰が貴族だったのか」という言葉は今でも掲載されているようです。この言葉を掲載するのは性差を容認する考えにもとづいているという批判がありそうですが、14世紀のワットタイラーの乱のさいに聖職者であるジョン・ボールが唱えたとされる言葉です。もちろんこの言葉の内容は、現在の歴史学にもとづけば実際の事実ではありません。アダムもイヴも聖書に基づく神話的な存在でしかないからです。
 それではこの言葉がなぜ有効性を持ったのかというと、より正確に言えば当時を記した資料の中から抜き出され、影響を与えた言葉であると語り継がれるようになったのは、当時においても、その後においても、こうした言葉が影響を与えた、あるいは与えたとする言説空間があったからです。
 その理由はかなり単純なことです。当時においても、その後においても、実はこのことも本当は厳密に検証しなければならないことですが、宗教を通して与えられる対象世界(過去であっても、現実であっても)への認識が、一般民衆が持つ知のなかで大きな要素となっっていたからです。つまり人類の始原はアダムとイヴであると「教え込まれていた」(と同時に自分もそう信じ、教え込んでいた)一般民衆がもつ過去についての知の場に対して、ジョン・ボールは自らの言葉を語ったということです。その意味ではこの言葉は、きわめて自己循環性をもつ言葉です。というより、宗教は自らが教え込んだ知の場に、自らの知をさらに語りかけていくという自己循環性を持つものです。もちろんこうした自己循環性は、宗教のみならず人々を結合させる様々なイデオロギーが、社会主義であれ、ナショナリズムであれ、構造として保有しているものです。
 ここで問題となることは、社会主義思想でも、ナショナリズムでも、もしそれが近代以降に形成・構築されたものであるとするならば、すでにそれらに先行するかたちで歴史的に構築され、当時の民衆の知や日常的結合の場に影響を与えていた宗教的結合・イデオロギーに基づく言説空間に、その存在根拠を求めなければならなかったということです。ナショナリズムや社会主義にそうした要素が内在するのはこのためですが、それが具体的にはどのようなものであったのかということは、時間を見ながら順を追って書いていきます。
# by pastandhistories | 2010-08-13 14:54 | Trackback | Comments(0)

返事

 昨日が4時で、今日が4時半、起床時間ですが日本の時間にあうようになった頃にはまたヨーロッパでしょうから、このまま無理に調整しないほうがよいのか少し迷います。
 おとといグロートの本のことを書きましたが、昨日の朝起きたらメールが届いていました。休暇が終了後、すぐに連絡してくれたようです。新しい文章(学会の報告)が添付されていましたが、最近の海外との研究者とのメールではこのことはむしろ常識化しつつあります。受け取ったほうもすぐに読めますし、整理も簡単です。出したほうも意見を受ければ修正していくということで、便利です。今度の国際歴史学会の報告もそうした形で、海外の研究者へのメールに添付しましたが、ホワイトをはじめ多くの研究者が、社交的なものでもあるとは思いますがinterestingという返事をくれました。国立台湾大学の古教授からは、自分は参加できないが、paper に関してどんな議論が起きたのかをぜひ知らせてほしいという連絡がありました。そういう関心をもたれるのは、やはり嬉しいですね。これまで日本人研究者の間では抜き刷りということが慣習化していましたが、送る側からは郵送費がかかりますし、かなりが紀要ですので、受け取る側は掲載雑誌のサイズが違っていて結構整理と保存が難しいという問題がありました。なんといっても返礼のメールも出しやすく便利です。
 マンチェスターにいた時に受け入れてくれたプロザロからも昨日入れ違いでメールが着きました。今は奥さんの出身地であるフィンランドに住んでいて、9月1日からマンチェスターということで(現在はhonourary fellow)普段は読まない大学宛のメールを読んで、こちらの予定がわかったということのようです。ということで日程がずれてしまい、会えなかったのは残念です。
 以上はやや個人的なことですが、せっかく何かを書くのですから、ここは少し理論的なことへのアイディアを書くのにも利用してみようと考えています。日本に滞在している時にかけるかはわかりませんが、できたら「歴史と科学」とか、「言説空間と歴史」というようなテーマについて考えていることを次は書こうと考えています。
# by pastandhistories | 2010-08-12 05:36 | Trackback | Comments(0)

歴史を消費する

 今日一時帰国しました。本当はそのままヨーロッパに滞在してアムステルダムの国際歴史学会に参加してもいいのですが、夏休みとはいえ書類提出などの雑用があり、またいったん帰国して荷物を整理した方がよいとので帰国しました。飛行機の中での時間のつぶし方さえあればその方がよい部分もあります。ということで今度は『思想』の8月号と、アンカースミットのSublime Historical Experience(2005),それからジェローム・デ・グルートのConsuming History(2009)を往復の飛行機で読みました。
 飛行機の中ですのでそれほど丁寧に読んだわけではありませんが、アンカースミットの本は、経験・意識・言語という問題を軸としながら、経験を過去の人物の実際の経験(歴史的経験)、歴史家の側の経験(つまり言語的な・理論な経験的)というように区別し、そのどちらにもあたらないもの(それを彼はSublime Historical Experienceと呼んでいます)を、今後の歴史認識の重要な要素として考えていこうというものです。要するに言語論から「経験」へという議論の流れに沿ったものです。グルートの本は題名から想像されるように歴史として消費されるもの、つまり民衆文化のなかにある歴史を具体的に取り上げ、それを論じたものです。映画やテレビはもちろんのこと、ゲームやそしてfamily historyにいたるまでのいわゆるpublic historyを満遍なく論じていて、読んで面白い部分がありました。実はグルートにはできれば会いたいと思ったのですが、残念ながら9日までが休暇で入れ違いになってしいました。
 いずれにせよこの2冊は時間をかけて読み直すつもりですが、グルートには少し注目しておいてよいかもしれません。
# by pastandhistories | 2010-08-10 22:59 | Trackback | Comments(0)

機械の利用

 イギリスではほぼ順調に過ごしました。明日は飛行機です。もっともいくつかトラブルもあって、一つは靴の本体と底がはがれてしまったことです。もっとも外国に来る時はよくあることで、その理由はあらかじめ履き古した靴で来ることが多いからです。ということで国立文書館の近くのスーパーで靴を買ったのですが、その靴に簡単な商品説明をした6ページほどの小さなノートが入っていました。最初は気がつかなかったのですが、その一つは日本語でした。
 コニーク新しいな詳細、   精密な材料で加え、  伝統的な里程碑
 光り輝くなし、里切れなし、 品味で保証をあり、  風格は簡朴、作るは精緻
 GOOR式は感応感知であり、 心は十分あらわす、経験もあらわす、 
 経験の豊富は詳しくてあらわしている
とまあこんな日本語です。イタリアのメーカーのようですが、最初はなぜこんな文章が書かれているのか、さっぱりわかりませんでした。しかしページをめくるとこれは同じことが各国語で書かれていて、その訳であることに気がつきました。イタリア語もありますが、英語では、
  Unique and refreshed detail, Plus selected genuine material,
 The milestone of GOOR's tradition
  Never brags or rebels, It is the guarantee of taste.
  With simple style and refined processing.
  Any GOOR design can be sensational.
  Which exemplifies its essence as well as history
  Every of its detail is contributing to its experience
でした。なるほどですね。ようするに機械翻訳をしてそのままということなのでしょう。それをそのまま印刷してしまうというのが、随分とおおらかな話です。
 という話は機械翻訳の程度の低さを示すためにここに書いたわけではありませんん。たしかに機械翻訳を使用すると間違いなくかえって時間がかかって翻訳という点では現在ではまったくの無駄ですが、有用な部分もあります。それはある程度の長文の日本語を英語に直した時の単語数が一瞬にして大体わかるということです。たとえば3000語というような制限があるとき、その目安をつけるのに便利ですし、これを同じく読み上げソフト(これもまだ完成度は高くありませんが)に読んでもらうと、英文のペーパーを読む時の所要時間が大体わかります。そんな利用の仕方が、「機械」にはあります。そういうふうに機械は利用すればいいということです。
# by pastandhistories | 2010-08-09 06:31 | Trackback | Comments(0)

歴史を聞く

 昨日ネットで思想家や歴史研究者のインタビューや講演にアクセスする方法を書きましたが、この件についてお勧めなのは、コロンビア大学のConversations with Historyというサイトです。タイトルほどには歴史家は登場しませんが、ペリー・アンダーソン、マイケル・ハート、ノーム・チョムスキーなどの日本でおなじみの人物たちをはじめとして実に多士済々の思想家、研究者、さらには文学者や実務家がインタビューに答え、自分の生い立ちや基本的な著作についての質問について一時間ほどのインタビューを受けていて、十分楽しむことができます。大江健三郎も登場しますし、オリヴァー・ストーンも「歴史と映画」というテーマについて彼の考えを語っています。聞き手はハリー・クライスラーという人物で、それは基本的に代わらないので、色々見ていると、だんだん「徹子の部屋」みたいな印象で飽きがくるのが難点といえば難点なのですが。
 もう少し専門的で、とくに院生クラスのイギリス史研究者にお勧めなのが、World Micro FilmsのSussex Tapesです。そのとおりカセットテープのシリーズで、その分作られたのも古いけど、ラスレット、エルトン、ピーター・バーク、ブリッグズ、をはじめ一時期研究の中心となった歴史家が他の歴史家と一つのテーマを議論しあうという構成になっていて、A・B面合わせて60分くらいのものですが、イギリス史研究の基本的な論点を理解することができます。これにはイギリス史のほかに、アイルランド史、ウェール史、さらには近現代史のシリーズもあってとても便利なものです。
 ということを今日は書きましたが、いったいこのブログは誰が読んでいるのでしょうか。エキサイトを使っていてあまり気づかれないと思うのですが、もし若い研究者がこの記事を読んだら、よいことを知ったと思ってぜひ参考にしてください。以前IHRがこうした試みをビデオ化し、最近ではオンライン化していますが、このブログを書いている時点では残念ながらまだ十分なものにはなっていません。ただし、ビデオの方ではホブズボウムなどがインタビューを受けていて、面白いものもあります。
# by pastandhistories | 2010-08-08 04:10 | Trackback | Comments(0)

ハワード・ジン

 月曜日に飛行機に乗ります。今日を除けば後は土日で活動が制限されるので、今日はLSEに行きました。図書館は圧倒的に若い人が多く、仮眠用のクッションまで置いてあって寝ている学生もいます。設計も、コンセプトも開放的で、開架となっている本も見やすく、若い研究者には手ごろな感じです。
 週末ということで、宿に早めに帰って洗濯をし、後はネットで今年1月に亡くなったハワード・ジンの講演を2本(Three Holy Wars, Democracy Now)を見(聞き)ました。いっかんした反戦主義に立つ政治的主張のはっきりしたラディカルヒストリアンで、残念ながら今の日本の「学界」の状況では、それほど「学者」的な評価が出てくることはないかもしれませんが、岩波から『爆撃』という翻訳が出たようです。その翻訳書にも書かれているのだと思いますが、彼をラディカルな立場に立たせたのは、「正義」を信じて戦争に参加し、爆撃手として「上から」爆弾を落とすことにためらいをもたなかった自分が、爆撃された場所をその後に訪れて「下から」現実を見た時に、「上から」考えていたことと「下から」の見た現実の大きな違いに気づいたからです。
 二つの講演は、実は後者は後半がまだ見つけられないのですが、主張していることはともに、「独立戦争」、「南北戦争」、「第二次大戦」といったものを輝かしいものとするナショナルヒストリーが、戦争を正義とする歴史観を生み出し、原爆を実際に投下し、イラン、アフガンで執拗に現在も戦争を続ける世界最大のテロリストであるアメリカを生み出す根拠となっていることを強く批判したものです。軍隊の持つ階級性、つまり「独立戦争」や「南北戦争」において独立派や北軍の中に指導者と一般兵士のなかに大きな階級的な違いのあったこと、そこから生じた不満や反抗を粛清することによって「正義」とされる戦争が実際には遂行されたこと、また戦争の大義を支えるために根拠のないfearが作り出され、それがアメリカのテロリズムの根拠となっていることなどを、ジンは強く主張しています。
 最近は時々時間がある時は、ネットでこうした講演にアクセスすることが多くなりました。探し方は簡単で、人名を原語で検索に入れて、「動画」をクリックすればよいだけです。こうした方法をとると、各大学のサイトを中心に有名な思想家や研究者のインタビューや講演が結構ヒットします。さらにこれをいくつかの手法をとって広げていくと、実に色々なものがヒットして飽きません。ジンもそうですが、サイードをはじめ故人となった人の肉声も聞けて便利なところがあり、学生や院生にはお勧めです。イェール大学などのものは、英語のキャプションが入っています。
# by pastandhistories | 2010-08-07 05:12 | Trackback | Comments(0)

「下から 」と「下へ」

30年以上も前に、自分の専門領域であるチャーティスト運動について、「下からのチャーティズム」という文章を書いたことがあります。地方的なレベルの研究や、運動を一般的に構成して人たちについての研究の流れを紹介したものですが、この文章について、「歴史の分析方法としては、『下からの』という言葉の使い方はおかしい」という批判を当時は複数の人から受けました。
 指導者に対して民衆、中央に対して地方、政治史に対して社会史、メジャーな出来事に対してミクロ的なものへのアプローチというものが常識化され、「下から」のという言葉もすっかり常識的な、一般的なものとなっている今では随分と奇妙な批判です。もちろんこの言葉は自分が先駆的に使用したものではなく(日本ではまだ使用例は少なく、先駆的なタイトルであったことは事実です)、すでにhistory from belowという言葉が、history from aboveという言葉と対比的に用いられているということを知って、そのことをふまえて使用したものです。したがってこの言葉は「上からチャーティズム」というもう一つの文章と組み合わされたものとして使用されました。
 こうした「下から」のいう歴史の捉え方には、それがむしろ主流となった現在では、あるいは主流となったからこそかもしれませんが、根強い批判もあります。「政治」の問題の欠落や、因果性や法則性の問題の軽視、といったことを理由とした批判です。しかしそうした批判にもかかわらず、今後も「下から」のアプローチというのが、歴史研究にとって、常識的な有力なアプローチであり続けることは否定できません。研究の対象がミクロ化されていくことは、研究の発展にとって欠かせないことだからです。
 しかし最近気になることは、研究が「下から」のではなく、今の文章でもわかるように、「下へ」の研究に向かっていることです。そもそも「下から」の研究がある時期活性化するようになったのは、たとえばイギリスではE・P・トムスンが参加した労働者の教育運動、さらにはHistory Workshopや、カルチュラルスタディーズの試みに見られるように、普通の人々の中にある歴史や文化を普通の人々が掘り起こそうとする流れに応じたものです。アメリカでも大学の拡大に伴って、女性や、少数派の人種集団ををはじめとする様々のそれまでは差別されていた人々が歴史の場に自らの地位を得たためです。そうした人々が歴史を自らのものとしようとしたことが、歴史への「下から」のアプローチが生じた重要な根拠でした。
 残念なことに、日本での最近の「下」をテーマを標榜する論文を読んでも、そうしたことを感じさせるものは多くありません。その大きな理由は、専門化した研究者が、その専門性という特権的地位を根拠に、そうしたエリーティスポジションから(「上から」)一般の人のミクロ的な世界(「下の世界」?)を、研究者としての地位を学問的流れの中で保全するために、自己目的的に論じている例が少なくないからです。いわば、「上から」の目線での「下への」研究です。
 「下から」と「下へ」という目線は明らかに異なります。普通の人や考えへの内在、ミクロ的なものへの共感(というものよりミクロ的なものが無視され差別されてきたことへの怒り)というものが、「下から」の歴史の根拠であったわけですが、「研究」の発展の中で、そのことは当然のことのように忘れ去られているということです。そのことは現在の研究者の社会的なポジショニングと深い関係があります。
# by pastandhistories | 2010-08-06 14:44 | Trackback | Comments(0)

時間がない

 国際歴史・歴史叙述理論学会(ICHTH)はもともとは国際歴史学会議に集まった歴史理論研究者によって結成されたもので、国際歴史学会の際にAFFILIATION学会として会合を開催しています。この時もそうした会合が開催され、自分もはじめてこの会に参加することになりました。ヘイドン・ホワイトも参加していて、大会の最後の方だったと思いますが、そのメンバーで夜食事に行こうということになり、集合場所に集まったことがあります。ホワイトと直接話をしたのはこの時が初めてです。名前を紹介して以前に書いたものを英文化したものを彼に手渡したというその程度の出会いでした。結局この日は、メンバーは町に食事に行ったグループと、大学の寮に残り食事をしたグループに別れ、自分はエドワード・ワンに誘われイッガースなどと寮で食事をしたので、ホワイトと話す機会はありませんでした。
 ホワイトをもう一度見かけたのは、大会の閉会式の前日、実際的な議論が最後に行われた歴史理論のセクションでです。しかし、この時のホワイトはいかにもホワイトらしく、最初の二人位が報告をすると、それぞれの報告に事前に何のすり合せもない、ただそれぞれが勝手に報告をしているのなら会議の意味はない、と発言するとさっさと帰ってしまいました。
 ホワイトと本当に話をする機会が得られたのは、その2年後にスペインのオヴィエドで開催されたPOWER AND CULTUREというカルチュラルスタディーズの国際会議の時です。この会議にホワイトとキース・ジェンキンズがチーフスピーカーとして招待されているということをネットで知って、それなら参加したいと思い、「歴史と画像・映像」について書いた論文を英文化し、ペーパー募集に応募したところ報告者として受け入れられたからです。当然この会でホワイトと再会することになりました。
 結局のところ海外の研究者に会う時に言う言葉は「Do you remember me?」なわけで、これに対する一度ほんの少ししか会ったことしかない人物に対するホワイトの言葉は、意外にも「Yes」でした。その理由は、「今回のお前のアブストラクトを読んで面白いと思った。それでシドニーでペーパーをもらっていたことを思いだし、それを読んだからだ」というものでした。本当に予想外のものでした。まったく知らない人物であっても、少しでも自分が関心を持てそうだと、それを読んでみるという姿勢には本当に驚かされました。このオヴィエドの会議でも、若い無名の研究者の多い会議でしたが、分科会のすべてに参加し、きちんとノートをとり、批判的な考えを含めて意見を述べて議論しあうという態度は一貫していました。またこの会議のさなかにホワイト、ジェンキンズ、大会の主催者、それから自分の4人で昼食にいった時も、たまたま同じ食堂に参加していた院生や学生のグループがいるのを見つけると「遠慮せずに席を一緒に並べて食事をしよう」と提案したことがありましたが、そうしたことが彼の人間としての姿勢にはあります。
 彼が日本に来てもよいという意思を示したのは、その二ヵ月後に上海で開催されたICHTHの時です。その後の経緯には色々あるのですが、彼がその間いっかんして語っていたことは「自分にはもう日本を訪れる時間が残されていない」ということです。誰しも高齢で健康的な問題を言っているように理解しますが、彼はこの言葉を「もし外国に行くにしても、その国の言葉や思想的な状況をある程度自分のものとしてでなければ、自分の話は一方的なものとなってしまう」という意味で繰り返していました。「ヨーロッパは自分はある程度理解できる。中国についても一定のことは考えてきた。しかし日本のことはわからない。だから日本には行くだけの時間が自分にはもうない」ということです。
 このことがホワイトの来日が当初の予定より1年遅れた理由なのですが、感心することはその間にホワイトが日本人の書いた哲学や歴史の欧文の論文を随分と読んでいたことです。京都に行く電車の中で色々な人の名を挙げていましたが、そこで名前の挙がった一人にその後聞いたところ、その人自身はホワイトのことをよく知らない人でした。あまり一面的なオマージュを書くのは厭なのですが、ホワイトの人間としてのあり方にそうした姿勢が一貫していることは確かです。
# by pastandhistories | 2010-08-05 14:50 | Trackback | Comments(0)

ヘイドン・ホワイトと西川正雄さん

 ヘイドン・ホワイトについての『思想』の特集号が出てから10日経ちました。イギリスにいてメールもあまり入りませんので、どのような読まれ方をしているのかわかりませんが、自分(岡本充弘)としては賛否を含めてそれなりの議論のきっかけにはなっているのではと考えています。
 もともとこの件は、最初はせっかく来日するわけですから誰かに(できれば考えの異なる立場の人に)インタビューをしてもらい、それを掲載してもらえるようなことがあればということで、『思想』の編集部とコンタクトをとったことが始まりです。そのためにも、スケジュールも空けておいたのですが、そうしたものではなく編集部の考えで今回のような形式となりました。インタビューはドマンスカの翻訳で十分なところがありますし、多くの日本人研究者が議論に参加できたという点で、今回のかたちがより望ましいものであったということでしょう。
 そのホワイトの来日に関してですが、事実認識に誤解があってはと思うので、ブログというかたちを借りて、いくつかのことを説明しておきます。まずホワイトを自分が招聘することには当然大きな戸惑いがありました。自分はもともとは「チャーティスト運動」についてのポジティヴィストヒストリアンですが、今回長谷川貴彦さんが紹介しているようにチャーティスト運動研究から生じたギャレス・ステッドマン・ジョウンズが行った議論にも関心がありました(彼の議論を小さな文章で紹介したことがあります)。また「グローバリゼ-ションと歴史」という問題設定から、歴史のグローバル化という議論への疑問という点から、あるいはナショナルヒストリーへの批判という点で、歴史に対するポストモダニズム的な議論や脱構築論的な議論に関心がありました。そうした関心からジェンキンズの『歴史を考えなおす』を訳出したわけです。しかし、こうした考え方は別に特異なものではなく、今回の特集にも見ることができるように、多くの歴史研究者が現在では共有しはじめているもののはずです。
 立命館から出された報告集には自分がホワイトとの長年の知己であるかのように記されていますが、英語のニュアンスもあるのでしょうがこれは誤りです。ホワイトと初めて会ったのは、5年前にシドニーで行われた国際歴史学会の時が初めてです。ホワイトは以前にもこの学会に参加し活躍していましたが、この時も全体的なパネルでスピーカーをつとめました。来日のおりにも示されたように、非常に語りの巧みな人でそのことにも感心しましたが、大講堂でのパネルで自分はその場の一聴衆にしか過ぎませんので、彼と話をしたわけではありません。
 今その時のプログラムが手元にないので正確かはわかりませんが、その翌日だと思いますが再び彼を見かけることになりました。意外にも彼が西川正雄さんが報告をした歴史教科書と歴史教育(西川さんは例の「国民の歴史」と自分が編纂に加わった教科書を対比して、科学的歴史(実証性・事実性)という立場から、ナショナルヒストリーを批判しました)のパネルに姿を現したからです。50人くらいの参加者だったと思いますが、ホワイトは自分のすぐ前の席に背中を向けて座り、西川さんの報告が終わるとすぐに会場から出て行きました。
 意外な組み合わせだと思うかもしれませんが、あるいは偶々かもしれませんが、事実はこうしたことです。実を言うと西川正雄さんは専修に移った後に自分に電話をかけてきて授業担当の依頼をしてきたことがありましたし(この時は海外研究の予定にぶつかり実際には出向しませんでしたが)、自分が最近書いた「ポストモダニズム的な歴史論」とされる文章にも、丁寧な、かつ好意的な感想を送ってくれていました。西川正雄さんの主張は、そうした考えが提起している問題はわかるが、あくまでもそれを実証をとおして歴史研究の中から考えていくべきだというものだったのだと思います。
 そのことはともかくとして、この時点でも直接ホワイトと話をする機会があったわけではありません。彼と話をする機会を得られたのは、国際歴史学会議に平行して開催された国際歴史・歴史叙述理論学会(International Commission for the History and Theory of HistoriographyーICHTH)に参加してからです。
# by pastandhistories | 2010-08-04 15:26 | Trackback | Comments(0)

マイクロフィルム

 そんなに余裕ある滞在ではないのでスケジュールに追われています。今日は午前中はコリングデールの新聞図書館、午後はパブリックレコードハウスというより現在ではもうナショナルアーカイヴズですに駆け足で行ってきました。といっても新聞図書館での作業はネットでできることとできないことの確認程度、国立文書館では利用証の更新をしてきました。ここで困ったのは日本の現住所を証明するものが必要なので、免許証を提示してくれと言われたことです。どうせ日本語で書いてあるのだからあまり役に立たないとは思うのですが、さいわい以前の入館証の記録が残っていてOKになりました。以前教授会で大学の身分証明書は英文を併記し、住所を入れたほうが海外に行ったときに便利だという発言がありましたが、このあたりのことはどの大学でも同じ問題として考えたほうがよいかもしれません。
 新聞図書館の話ですが、まだ大分マイクロフィルムは残っているようです。しかし、もう以前あったマイクロフィルムのカタログはもうありませんでした(緑の表紙でとても便利なものでしたが)。この件に関していうとこれまでもっていたマイクロフィルムのデジタル化というのは、多くの研究者はどう処理しているのでしょうか。35ミリの場合は安いスキャナーもあるようですが、16ミリは少し扱いかねるところがあります。リーダープリンターも製造中止になり始めているようですし、デジタル化ができる専用のリーダースキャナーはとんでもない値段がします。業者に頼んでデジタル化をすると、むしろすでにオンライン化されているものは結局はそちらのほうが安いのでそれも無駄ということで、扱いに困っているというのが共通した悩みではないでしょうか。
 個人的にも膨大にストックされているはずのマイクロフィルムがワープロ専用機のような道を歩むとすると随分と無駄な話で、そのあたりのことの智恵を知りたいのですが。
# by pastandhistories | 2010-08-04 01:13 | Trackback | Comments(0)

アラン・マンズロウ

 今日は『リシンキング・ヒストリー』の編集者であるアラン・マンズロウに会いました。スタッフォードに来てほしいということでオフピークの10時7分発のヴァージンに乗って、最初の停車駅がスタッフォード、1時間15分でつきます。マンズロウは駅に迎えに来てくれて食事も予約してあって、延々と話し込み、15時36発の電車で帰ってきました。
 初めて会ったのは12年ほど前で、その後ロンドンやサンディエゴで会いましたが、これほど二人だけで話したのは初めてで、いろいろ面白い話ができました。まず名前の正式な発音はマンスロウではなく、マンズロウというそうです。ついでに言うとウェールズ人ですからファーストネームも本当はアリンと発音するようです。そんな呼び方をされることは滅多にないのでアランで通しているとも言っていました。 同じウェールズ人ということで、同じスタッフォードシア大学にいた現在ではチャーティズム研究のもっとも中心的な人物であるオウエン・アシュトンとは親友で、アシュトンはリシンキングに協力していたこともあります。こちらが既に送ってあった国際歴史学会のペーパーの草稿を持ってきて、ポイントのところに線を引いてきて質問してくれ、内容については好意的なコメントをくれました。 本人の経歴についても色々話してくれましたが、自分に大きな影響を与えた本は2冊あって、一つは『メタヒストリー』、もう一つが『歴史を考えなおす』であり、『メタヒストリー』は1978年に初めて読んだそうです。
 それ以上にびっくりしたことは、ジェンキンズと初めて会ったのは『歴史を考えなおす』が出されてからで、会合の駐車場で偶然挨拶したのが初めてだったということでした。なにか二人でずっと一緒に仕事をしていたイメージがありましたが、そうではなくて、ともにホワイトを読んで影響を受けたということが大きかったようです。あらためてホワイトの与えた影響を感じさせられました。
 ジェンキンズについての話もそうですが、実際に会ったことはなくても編集者ということで、この間の歴史研究者の議論の流れにはやはりかなり注意していて、面白い話が聞けました。代表的な理論家の仕事についての評価も色々話しました。あくまでも個人的な話なのでここには書きませんが、かなり評価が一致した部分がありました。またこれも意外かもしれませんが、マンズロウが強調していたのは、ポストモダニズム的な議論のエクスペリメンタルな側面です。実験的な新しい歴史の試みです。そんなことはしているという反論が歴史研究者からはあるかもしれませんが、問題は新しい歴史「学」の試みということではなく、新しい「歴史」の試みということです。
 最後にマンズロウが質問してきて、「イギリスの最も高名な歴史家は誰だと思うのか」(日本ではなく、世界での)と聞いてきたので、「それはギボンだろう」と答えると、この答えには不満があったらしくそれでは「20世紀では」と聞いてきたので、「日本ではトレヴェリアンかネイミアになるかもしれない」と答えたら、「そんなことはない、最も高名な歴史家はホブズボウムとE・P・トムスンである」と繰り返し言っていました。そこでこの二人をめぐって話が弾みましたが、マンズロウが基本的にはこうした認識をしているというのは、ポストモダニズム的な歴史理論の意味を考える時に興味深いことです。
# by pastandhistories | 2010-08-03 02:28 | Trackback | Comments(0)

電子化の中の歴史

 久しぶりのロンドンですが、図書館に関しては5年ぶりでも浦島太郎みたいなことがあって面食らいます。まず入館のIDカードに関してですが、これがSUICAと同じでコピーの支払いも兼ねています。コピー利用の支払機にキャッシュかクレディットで支払うとそれが自動的にカードに入力されて、それを今度はコピー機に読み取ってもらって使用していくという方法です。そこまで技術が高度化しているかはわかりませんが、技術的には何をコピーしたかもわかってしまうことも可能で、将来はコピーライトの保護にも威力を発揮するかもしれません。
 そのせいかコピー機はレセプションの前に置かれていて数も少なくなったようです(全部を確認していないので勘違いかもしれませんが)。歴史関係の雑誌は以前とは違って3階に置かれています。1時間ほどいても夏休みの土曜日ということもあったのかもしれませんが、誰も来ないくらい閑散としていました。その大きな理由は昔のように現物のバックナンバーをコピーするということがほとんど必要なく、雑誌論文はもうネットでダウンロードできるからでしょう。ということで検索すると館内のlocationではなく、ネットでのアクセスの仕方が多くの雑誌文献についてはまずトップに出てきます。これならもう日本でできるわけですから、よほどの稀少雑誌でないとわざわざ図書館まで来る必要はありません。雑誌室が閑散としていた大きな理由なのでしょう。
 とにかく本の貸借はもちろん入る時も出る時も電子カードでのチェックということで、完全に電子的に管理されています。文字的なものへのアクセスがこのようなかたちで完全に電子的に管理されるようになってきたということは、図書館に限らず広く歴史研究一般に及びはじめていることで、そのあたりのことを歴史研究がどう考えていくかはこれからのかなり重要な問題でしょう。
 歴史の研究は、その時代の(歴史を研究する側の)社会を管理・統御する媒体となっているものが、研究の対象とする時代へのアプローチの重要な要素となっているというパラドキシカルな部分があります。文字がそうした媒体となった時代には、それ以前のオーラルな社会も文字的な歴史の管理下におかれ、映像的なメディア媒体が発達するととりわけパブリックヒストリーはそうしたものの管理下におかれ、数量的な経済管理が基本となった社会では、過去も経済史というような名前で数量化されて捉えられ、電子的なものが人々を管理・統御するようになった時代には、過去の史料はそうしたものによって統御・整理され示されているということです。ようするに「現在を管理するそのあり方が過去を統御している」のであって、過去認識の技術が発達したからといって、そのことは必ずしも過去が過去そのものとして蘇生されているということは意味しないということです。
 このことはこれまであまり気がつかれなかったことですが、人間の過去認識に常に付随していた問題です。技術的な進展を絶対的に否定する理由はもちろんありませんが、歴史の研究は現在に寄生するだけのもではあってはならず、歴史を媒体とした現在への批判という意味を常に内在させていることを忘れてはならないという気がします。
# by pastandhistories | 2010-08-01 14:44 | Trackback | Comments(0)

ヘイドン・ホワイトの件

 久しぶりのロンドンです。これもネットの影響でしょうが古本屋が大分減ってきたようです。幸いにして毎回訪れているユーストンの近くのJudd Booksとキングズクロスの近くのHousmansはまだありましたが、Housmansのほうは地下一階に大量に置かれていた労働運動史関係の史料や文献はもうほとんど置かれていませんでした。日本で言えば新村書店と無くなったウニタをかねたような本屋だったわけです。これも時代の流れだということなのでしょう。
 ところで日本を出たのはちょうど27日だったので、『思想』の特集「ヘイドンホワイト的問題と歴史学」の発行にぎりぎり間に合いました。ということでこちらにも1冊持ってきました。連絡ミスで『思想』では文献目録に紹介できなくて少し残念でしたが、ホワイトが訪れた立命館からも「報告集」が出され、そのほとんどがネットにあげられていますので、これでホワイトの日本での講演が揃って翻訳・紹介されることになりました。ホワイトの来日の件については、会場では時間の都合もありほとんど説明することができませんでしたが、今回の二つの出版物も含めていくつかのいきさつをここで書いておきます。
 まずホワイトは昨年の来日に当たって事前に今回訳出された文章以外にもいくつかの文章を送ってきて、それを参加希望者に自由に配布してよい、またどの会場でどれを話すのかもこちらが選択してよいと伝えてきました。そこでそれを立命館の吉田寛さんにお伝えしたところ、時間的な問題もあって「ポストモダニムと歴史叙述」を京都でということになり、東京では「実用的な過去」を話すということになりました。
 立命の方は最初は大学院生の授業に力点を置くということだったのですが、やはり開かれた会にしたいということで、会場も当初の予定より広くし、また二部構成というかたちをとることになりました。また企画自体の性格から最初から報告集を出すということで計画が進められました。東洋の方は、レクチャーとセミナーという二日形式になりましたが、この構成には大分苦労しました。その大きな理由は、日程の調整という問題もありましたが、それ以上にやはり個人的な準備ということもあり、そうしたこともふまえて「会場での議論をそのまま公表することはしない、個人個人がそれぞれ成果をその後に個人的に提示していく」ということを約束した上で参加してもらいました。結果的にはホワイトの人柄もあって当日の議論はかなり充実したもので、参加した方の中からも公表しないのはもったいないという意見も出ましたが、あくまでも最初の約束ですので、そうしたかたちの報告集は東洋のほうでは出しません(個人的な文章を書いたものは出す予定です)。
 しかし会での議論が興味深いものであったということで、参加していただいた『思想』の編集者の尽力で、翻訳を含めてかなりの執筆者が当日の参加者や発言者という形で『思想』の今回の特集が編集されたということです。当日の参加者の構成は岡本が中心に進めたのですが、雑誌の編集は編集者の専権事項ですので、『思想』の方で決められたわけで、基本的には別のものです。結果的には東京の会の「報告」という部分もあって、『思想』には感謝しています。同じように感謝したいのは、小田中直樹さんや長谷川貴彦さんといった地方からの参加者です。予算の都合があって、最初は交通費も出せないということだったのですが、参加を本当に即答してくれてかつ十分な準備をして会に臨んでくれました。もちろんそれ以外の人にも今回の件では大変お世話になりました。でもこうしたふうにことが進んだ最大の理由は、ホワイトという人の議論や人柄の魅力だということは会に参加した多くの人が共通して感じたことではと思います。、
# by pastandhistories | 2010-07-31 04:34 | Trackback | Comments(0)

ロンドン

 27日に日本を立って今ロンドンです。以前このブログをアメリカで作ったことをすっかり忘れていたのですが、時差ボケで朝3時に起きてしまい何気なく自分の名前をネットで検索していたら、このブログが出てきました。
 イギリスは5年ぶりです。この間少し歴史理論に重点を移していたので、それに関する会合で結構色々なところに行きましたが、イギリスに来たのは久しぶりです。さいわいIHRのメンバー登録がまだぎりぎり有効で、大学図書館の利用証も無料で更新できました。でも久しぶりに来て思うことは、昔とは在外研究の仕方が随分と変わったということです。毎日のような仕事だった文献・雑誌、史料のコピー取りももうネットのおかげでかなりの部分が日本でできますので、わざわざこちらでコピーをとって持ち帰る必要があるのは例外的な稀少史料だけということなりました。本の購入も現物の内容の確認さえすればAMAZONに発注すればよいだけで、重量制限や別送に伴う申請というような面倒くさいことを気にする必要はありません。ということで、主たる仕事は人と直接会って話をするということになります。
 久しぶりのロンドンは円高のせいか物価が少し安めに感じます。地下鉄の初乗りが4ポンドで日本円では500円以上というのはこたえますが(ゾーン6のヒースローから7.5ポンドですから、近高遠安という料金体系です。パディントンヘの急行は21ポンドということで成田-都内より高く乗りませんでした)、通りの果物屋から果物を買うと日本より安い感じがします。
 宿泊しているのはCollege Hallというところです。ここはIHRから歩いて3分くらいで、改築されており、個室がシャワートイレ付きになっていて、特に高い交通費がかかりませんので、お勧めです。料金はやや高くCountyとRoyal Nationalの中間くらいですが、これらのホテルと比較すると仕事をするにはとてもいい環境です。
# by pastandhistories | 2010-07-30 12:49 | Trackback | Comments(0)

ヒストリオグラフィカル・ターン

 昨日も書きましたが、今サンディエゴです。といっても、今は現地時間の夜中の2時半です。時差の問題もありますが、こんな時間になぜ起きているのかというと、今日帰る飛行機が朝7時発で、5時までに飛行場に行くからです。こんなことになったのは、不況、不況といっても11月の時点ですでにロサンゼルスやサンフランシスコ経由の切符が1枚もなく、ポートランド経由になったからです。
 今日はというより昨日は、午前中はフィルムセッションに出ました。Ruinsという映画が上映されました。マヤ遺跡をあつかったものです。遺跡がトゥーリズムの対象となったり、博物館の展示物になっていることの問題を批判したもので結構面白いものでした。
 昼は宿を変えなければならなかったのですが、ロビーで昨年のAmerican Historical Review に1968年論を書いたWilliam Marroti(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に偶然会って、結局食事をすることになりました。彼は当時のアンダーグランド演劇なども研究している人物です。ハルトゥーニアンにシカゴで習ったようです。ということで彼は地元のフジタニさんが議長をする日本と中東の比較(中国関係のセッションは今年もいくつかありますが、日本に関しては今年はこれだけのようです)のセッションに出ようと思っていたようですが、結局こちらがでたHistoriographical Turn についてのセッションに一緒に出ました。ポイガー(ワシントン大学)が司会で、これは意外と面白いものでした。議論は基本的にはLinguistic Turn, Cultural Turnをはじめとするもろもろのturn について行われましたが、turnsという言葉をレトリカルに批判するというところに行ったり、そうした批判自体がたんなる世代的なものでしかないという議論がでたり、さらにはフロアから実証的な外交史研究者の素朴な疑問が飛び出すなど、どこでもよく行われるような部分もありました。Gabriel Spiegel がフロアに姿を見せていて、後半はむしろ彼女が議論の中心になっていました。この会場の後ろにいたアジア人女性がひょっとしたら日本人だったかも知れませんが、結局日本人研究者とは会わずじまい。最近ではアメリカ史研究も盛んなわけですから日程の都合もあったかもしれませんが、少し残念でした。昨年は酒井直樹さんが司会をしていたほか、結構日本人の報告もあったのですが。
 そんなわけで今日は徹夜でこれから飛行場に向かいます。
# by pastandhistories | 2010-01-10 19:48 | Trackback | Comments(0)

サンディエゴから

 前から考えていたのですが、今年はブログを書こうと思います。といっても作り方はよくわかりません。おいおい慣れていくつもりです。エキサイトを選んだのも別に理由はありません。あまり写真は使わないでしょうし、テキストだけなら無制限というので、利用してみました。タイトルは現在担当している授業名をもちいました。そのままであまりスマートな感じはしませんが、内容がストレートにわかるし、学生にも読んでもらうには便利かもしれません。いろいろの手間も面倒なので、実名かつ公開ではじめてみます。問題があれば閉鎖すればいいというのが、基本的な考え方です。関心のある人はコメントをください。どのくらいの手間がかかるものかはわかりませんが、できるだけ応答していきたいとは考えています。
 それではブログですから今日のことを書くと、今アメリカ歴史学会に参加するために、サンディエゴにいます。暖かいとは聞いていましたが、短パンの人も多いし、屋外のプールで泳いでいる人もいます。ボストンから来た人は初めてだそうですが、あまりの気候の違いに驚いていました。ボストンは雪が積もっているとのことです。西海岸特有の雰囲気があって、その中でもきれいな街です。もっともホテルの周辺には買い物ができるところがまったくなく、ホテルの食事も高くて大変です。
 さて学会では理論的なものを中心に出ています。期待していたスピヴァクが議長のセッションはキャンセルになってしまいましたが、アラン・マンスロウが議長で、ハーラン、コーエン、ドゥウォーキン、アーマースといったRethinking Historyに近い立場の人たちがペーパーを読んだセッションは、それぞれの考え方がよくわかるものでした。歴史と映像論のローゼンストーンは今回はフィルムセッションの審査をしたということで、それに顔を見せています。時間があれば今日はそのセッションに出たいのですが、宿の移動で難しいかもしれません。彼とは1時間ほど話をしました。今日まで日本からの参加者とは会っていません。昨年はかなり多く、また日本人と限らず知名度の高い米国以外からの参加者も多かったのですが、西海岸は逆に多少のハンディがあるようです。その意味では今年は少し淋しい部分があります。
というように、まず今日のことを日記的に書きました。そもそもブログの形式がよくわからないので、プロフィールなどをまだ書いていません。場所があったら書きますが、このブログは岡本充弘(東洋大学)が作成しているものです。
# by pastandhistories | 2010-01-09 23:12 | Trackback | Comments(0)

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