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グローバルヒストリーという言葉の連れ合い

 先日「グローバルヒストリーズ」の会合に参加してくれたドミンクザクセンマイヤーに指摘によると、グロ―バルヒストリーという言葉の初出は、1962年のハンス・コーンによるものです(Dominic Sachsenmaier, Global Perspectives on Global History, p.68)。グローバリゼーションはより一般的な言葉で、現在の意味内容とは異なる意味で早くからもちいられていたという例を指摘できますが、一般的にもちいられ始めたのは1960年代、その使用が本格化するのは1980年代から1990年代にかけて、グローバルヒストリーという言葉の使用はもっと遅くてその使用が一般化するのは1990年代、本格化は2000年代としてよいでしょう。何度か書いてきたように、新しい言葉です。その意味では新しい「状況」に対応したものです。
 グローバリゼーションとかグローバルヒストリーという言葉は、これらと同じ時期に使用され始めた新しい言葉は何であったのかということを考えると、その言葉が内包している問題を理解することができます。ほぼ同じ時期に用いられ始め、その使用が一般化した言葉は、意外と普段は気づきませんが、オリエンタリズム、ポストコロニアリズムという言葉です。このことが意味していることは、グローバリゼーションとかグローバルヒストリーという言葉は、(それが英語であることからも分かるように)欧米の側が、西洋中心主義な視点を内在的に批判するものとしてもちいはじめたものであるということです。
 したがってグローバリゼーションという言葉と同様に、グローバルヒストリーはその本来の言葉の意味として、西洋的な視点だけではなく、非西洋的視点を歴史理解に取り入れようとする視座を含むものです。ザクセンマーヤーが、グローバルヒストリー論にも内在するハイアラキカルな不平等性を問題としたり、言語論的なアプローチをとるグローバルヒストリーの論者が、グローバルヒストリー研究を英語に一元化したり、あるいは翻訳にある不平等を問題とするのも、そうした流れがグローバルヒストリーがその立脚点としたものとは乖離する方向にあることに批判的だからです。
 実は早い時期にグローバリゼーションに関する教科書的な本を翻訳したときに、最初の原稿ではそのすべてを地球化と訳しました(したがって最初のゲラはそうなっていました)。地球化と訳せば、日本語ですから個別性、つまり globalization という言葉が前提的に内在させている多様性をそこに含意できる、グローバリゼーションでは結局は西洋中心主義的な思考への同化を含意することになってしまうと考えたからです。しかし、日本社会のあり方から考えて、結局は圧倒的に(かつ無批判的に)定訳化するであろうというグローバリゼーションという訳語には逆らえないだろうと判断して、最終的にはそれを採用することにしました。
 このことはグローバルヒストリーについても同じです。グローバルヒストリーを論じるさいには、この言葉が出発点においてもっていた意味、つまり西洋中心的な世界理解、アカデミックラダーへの批判を持ち続けることが必要だと思います。「世界史」に代えてどうしてもグローバルヒストリーという言葉をもちいたいのなら、そのことは最低限の前提です。
# by pastandhistories | 2016-11-28 12:34 | Trackback | Comments(0)

歴史の地位

 おととい歴史研究に関する小さな会合があり、少人数ということで気楽に色々なことを話しました。その時話題として提示したことの一つは、歴史(学)の地位という問題です。
 ヘイドン・ホワイトの初期の有名な論文は「歴史の重荷」(The burden of history・・・「歴史の負荷」と訳してもよいかもしれませんが)) というタイトルです。このタイトルは、この論文が書かれた頃(1966)に歴史が人々の「重荷」であるほどの高い地位にあったことを示唆しています。ちょうどこの頃自分は学生で、学友会という名称であったサークル連合の仕事を手伝っていました。9人の理事によって運営され、サークル連合の組織ということですから、文化系サークルから3人、運動部系から3人、くわえて一般学生からの代表ということで各クラスから選挙人を選び、その選挙人によって選ばれる3人、のあわせて9人が理事です。完全学生自治の時代ですから、各サークルに分配される予算の作成権やサークルが使用する施設の利用割り当てなど、現在の大学では考えられないような強い権限が、わずか9人の学生によって構成される理事会にありました。
 実はこの理事に関して、文科系サークルから選ばれる理事の3人のうち2人は、歴史学研究会と社会科学研究会からということがなかば恒常化していました。運動部も一つは、これは伝統もあり、予算がかかるということで、ボート部からの選出が慣例となっていました。それくらい「歴史学」と名のつくものは、権威があったということです。当然のことのように、各大学(さらには各高校)の「歴史学研究会」「社会科学研究会」の集合体である「全国歴研」「全国社研」という組織もあったはずで(今はもうないかもしれませんが)、そのの知的権威はかなりのものであったはずです。
 これはその当時の政治運動にも反映されていました。このブログで法学部学生であった山田洋次監督が学生時代には歴史学研究会に所属していたことに触れたことがありますが(本人自らが時々語っています)、また同じくこのブログで触れたことのある『されど我らが日々』も作者の柴田翔さんは文学研究者ですが、扱われているのは歴史学研究会です。なによりも歴史学研究会は、たとえば東大ではそこから運動の実質的な最高指導者(その当時では共産党学生細胞の指導者)が輩出する組織でした。ここでは名前を上げることを避けますが、その中から後に高名な歴史研究者となった人もいます。したがって学生歴研での議論の対立は、しばしば左翼的運動の分裂の契機ともなりました。それくらい歴史学には権威があったわけです。そうした権威を支えるために、歴史学は「全世界の発展法則」を問題とせざるをえませんでした。同時に歴史学は文化的領域の中では、そうしたビッグテーマを議論しようとする、あるいはすることのできるもっとも優秀な人材が競い合う場所でした。
 はたして現在の歴史学がそういうものものであるかというと、そうではないと断言できます。歴史学が人文的分野で占める地位はおおきく後退しました。正直言って中堅若手研究者に関しては、社会学分野の方がはるかに優秀な人材を要しています。彼らがそれなりの対社会的発言権を確保しているのに対して、現在の歴史研究者の役割は、個別的な事件に対してせいぜいエピソディックな解説を加えることだけでしょう。こうしたなかで、「歴史学」の歴史のなかで占める地位も後退しています。そのことは教科書問題などをとおしても明確です。
 自らを権威化することは必ずしも望ましいことではありません。しかし、歴史に関わる人々は、やはり社会の中における自らの地位の後退にもう少し自覚的であるべきでしょう。そしてそうした後退が、自らに内因したものかどうかを考え、もしそれが自らに内因しているものなら、その克服する方法を考えていくべきです。
# by pastandhistories | 2016-11-27 10:22 | Trackback | Comments(0)

超歴史

 可視性というテーマをこの間書いているのは、それと歴史との関係を考えるためです。土地問題を例にあげて説明したように、不平等は可視的なものです。したがって「現実」の社会の批判、変革を求める意識や運動の重要な契機です。しかし、可視的なものにもとづく主張がなぜ認められないのかというと、それは「現実」が歴史に根拠をおくもとされるからです。たとえば土地をめぐる不平等は、起源においてはその多くが暴力的な関係によって形成されたものであっても、その所有関係を記録した過去の文書をとおして正当化されつづけました。逆に言えば、そうした過去の記録を廃棄することによって、現実の不平等は初めて解決されたわけです。その意味では記録にもとづく歴史は、現実の不平等を正当化するものでもあったわけです。
 「自然に還れ」いう主張にも典型的なように、ラディカルな主張が記録にもとづく歴史を否定する、その意味では「超歴史的」なものをその前提としたのはそのためです。あるいはユトーピアといったような想像的なものをその根拠としたのもそのためでしょう。こうした考えでは、時間的な根拠は原始とか未来といった、それまで根拠のあるものとされてきた歴史(宗教的意識を含む)の外側に置かれました(宗教との関係についてはもう少し緻密な議論が必要ですが、今回は省きます)。いずれにせよ、こうした主張の根拠にあったことは、歴史を根拠として正当化されてきた現実を、そうした歴史をさらに超える時間軸を設定し、そこから可視的な現実の不平等を批判するという考え方であったということになります。
# by pastandhistories | 2016-11-26 12:22 | Trackback | Comments(0)

ネイション・可視性・変革

ジェームズ・ヴァーノンのイギリス近現代史についての講義を閲覧し終えました。1851年、1951年、そして2000年の博覧会を巧みに話の展開に取り入れながら、自由主義―社会民主主義―新自由主義という流れで、イギリス近現代史を説明しています。流れから最後は新自由主義批判で終わるのかなと予想していたら、そうしたことは直截には語られず、講義では社会が変化をしてきたのを説明してきたのだから、今の新自由主義的な社会もまた(永久的なものではなく)必ず変化していくであろうということを、軽く示唆して話を終えています。逆にそのことに強いメッセージを感じる部分があります。
 一つのテーマとなっていることは社会民主主義の後退という問題で、そのことのいくつかの理由が挙げられていますが、その一つとして興味深いのは、労働党によって推進された社会福祉政策を主唱したのはaristocratic intellectuals である、という指摘を繰り返していることです。意外と言えば意外な主張です。おそらくこれは事実の問題というより、新自由主義と一体化したポピュリズムへ対抗するための考え方の一つとしてヴァーノンは提示してような気がします。つまり新自由主義と一体化したポピュリズムを「反知性主義」として片付けるのではなく、社会民主主義の一つの限界が上からの改革にあったという点に立って、自らを知的アリストクラシーとは別の場に位置させること、それが反知性主義への有効な批判の契機となるのではないのか、ということなのだと思います。
 もちろんイギリス史を例にとれば、労働党の社会福祉政策が基本的にはナショナルなものを枠組みをしていたことが、グローバリズムに根拠をおく新自由主義の台頭を許したということも、社会民主主義の後退の理由として論じられています。この問題は現代政治のパラドクスの一つです。何回か指摘してきたように、グローバリズムに根拠をおくとする新自由主義は、実はナショナリズムと強い一体性を持つものです。逆に移民受け入れ問題に象徴されるように、実際にはナショナルな枠組みでの制度的改革を基本とする社会民主主義は、たてまえとしてはインターナショナルな、あるいはコスモポリタンな志向性を持っています。そうしたパラドクスが、世界的に左派の後退、右派の伸長という問題を引き起こしています。
 ナショナリズムと結びついたレイシズムがなぜ影響を維持、さらには拡大しているのかという問題は、前々回書いた「可視性」の問題と関係しています。多くの迫害や差別をともなうレイシズムは「可視的」なものを媒体として行われます。ナショナリズムも近代国民国家の形成以降、様々なかたちで可視化されていきますが、nation が本来どれほど可視的であったのかというと、それについては議論が必要です。たとえば言葉の問題、このブログではチャーティスト運動というのは「ナショナル」という言葉が一般的なものとしてもちいられるようになった運動であり、その言葉をフランス革命の影響を受けてイギリスの運動にもちこんだ指導者の一人がブロンテール・オブライエンであることを紹介してきました。
 そのオブラインが主張したことの一つが「土地の国有化」、 nationalization of land です。しかし、この主張は、ロバート・オウエンの主張や、オブライエンと対立したオコナーの土地入植運動ほどの支持は得ませんでした。おそらくその理由は、19世紀の半ばにはまだ人々にとっては nation が可視的なものではなかったからです。あるいは二月革命で ateliers nationaux が失敗したように、この時期には国家がなお実体的ではなかったからだと自分は考えています(逆に実体化した20世紀には、社会民主主義は一時的に成果を上げたわけです)。
話が少しずれたところがありますが、とりわけ19世紀以降は国家的な枠組みとの関係によって、変革的な運動は大きく規定されてきました。そうした問題を考えることは、一見オルタナティヴが失われたように見える社会においてもきわめて重要なことです。ヴァーノンが結論しているように、つねに社会は変化していくものだからです。
# by pastandhistories | 2016-11-24 21:39 | Trackback | Comments(0)

可視的なもの、不可視的なもの

 今日はこれからプロジェクトの今後の打ち合わせに出かけます。今年度の予定としては、以前予告したように、12月23日に一つ、それから来年の2月23日と25日に会を行おうということで計画が進んでいるので、その最終的な確認を行うためです。12月23日については、今日その内容の決定が最終的にできれば、来週初めにポスターを発送する予定です。
 ということであまり時間がないのですが、この間書いていたこととは少しテーマを変えて書いていきます。表題にあるように、可視性について。以前ジョン・ボールの「アダムが耕しイブが紡いだとき、だれが領主だったか」という言葉を例に、この言葉が再帰的なものであること、つまりボールは自分が聖書についての知識を教えた民衆に対して、彼らが持っているそうした知識の上に自分の主張を重ねるかたちで民衆を指導したということを書いたことがあります。聖書は「過去」についての言及ですから、民衆にとっては不可視的なものです。しかし、この言葉が説得力をもちえた理由は、それが「領主」という可視的ものに結び付けられたからです。同じく可視的な「土地」をめぐる問題と結び付けられたからといってよいかもしれません。
 このことからもわかるように、不可視的なものと可視的なものとの結合は、民衆の結合にとっては重要な要素であって、とりわけ人々は可視的なものを根拠として、過去であっても、未来であっても、不可視的なものに関わる言説を取り入れていきます。「可視的」であった土地をめぐる問題が、19世紀まで民衆運動にとって重要な役割を果たしたのはそのためです。多くの農民にとって、可視的な土地制度を土地の再分配や所有形態の変更によって解決することは大きな関心でしたし、あるいは既に都市労働者となっていた社会層にとっても、共同村への入植をとおして土地を再保有することが関心の対象となります。またこうした可視的な土地問題への関心は、20世紀に入ってもロシア革命や中国革命、あるいはその他の地域の変革にとってもなお重要な役割を果たすことになります。
 自分の専門は本来は19世紀の民衆運動史、社会思想史ですが、この時代の史料を読んでいて感じることは、なお「土地」が可視的なものとして重要な役割を果たしていた時代に、マルクスはそれほど可視的ではなかった「資本」の問題を論じたということです。もちろんエンゲルスの『イギリス労働者階級の状態』がマルクスの考えの起点の一つであったように、彼の議論が都市労働者の貧困という可視的な事実を根拠としていたことは事実です。しかし、それはまだ世界的には部分的な現象でした。その意味では、マルクスの議論の先駆性はやはり評価されていいでしょう(自分はマルクスの議論を金科玉条のように扱うことには批判的ですが)。
 もう時間がなくなりはじめましたが、今日こうしたことを書いたのは、「「土地」と比較すると、「資本」はきわめて不可視的だということです。おそらくそのことが「土地」制度の変革を媒体とした政治的変革が19世紀から20世紀には生じたのに対して、「資本」批判を媒体とした変革が困難となっている理由でしょう。しかし、不可視的であるがゆえにこそ、民衆からの批判を直接受けることが少なく、またそうであるがゆえに全世界的に普遍化したこの問題を解決していくことが、現代の世界にとってはきわめて重要な問題だと考えていくべきでしょう。
# by pastandhistories | 2016-11-23 10:21 | Trackback | Comments(0)

労働者文化と大衆文化

 最近は大学の講義のオンライン化が進んでいます。もっとも日本の大学のものは、長くても1時間程度の紹介的なものにとどまっているようですが、欧米の大学のものの中には1学期分の講義を丸ごとオンライン化するものも出てきました。歴史関連でいえば、通史や思想史などについて、そうしたものを現在ではネットで閲覧することができます。
 この間、そのうちの一つ、バークレーでのジェームズ・ヴァーノンによるイギリス近現代史を閲覧しています。1時間程度の講義が全部で21回(24回のヴァージョンもあるようです)。随分と役に立つところがあります。もちろん本人(およびバークレー)の了解が必要でしょうが、サブテキスト的なものとして、日本の大学での授業に利用することができれば、学生にも役に立ちそうです。
 かなりの量だけど、時間の空いたときに閲覧していて、今日は第18回目。20世紀後半の「労働者階級」がテーマとして論じられていました。その中で紹介されたものの一つがリチャード・ホガートの『読み書き能力の効用』(The Uses of Literacy, 1957)です。カルチュラルスタディーズの嚆矢になった書物として日本でも知られています。ということですが、量的な問題もあって、また叙述も労働者の生活・文化のかなり細かい点に及んでいるので、翻訳でも読むのには結構苦労する本です。
 この本をヴァーノンが取り上げているのは、もちろんカルチュラルスタディーズとの関連もありますが、もう一つは、「読み書き能力」、つまり労働者の知的能力の向上が、一方では労働者階級としての自己認識を強めるものであったものであるのと同時に、消費的な大衆文化の受容、それへの同調をも促し、そのことが結果的には労働者階級という枠組みにあった人々の意識的分化を生み出していった。そのことが労働党政権の崩壊を受けたサッチャリズム、そしてニューレイバーという流れを生み出す一つの要素ともなったと考えているからだと思います。
 まだ見ていないので、19回目以降そうしたかたちで話が進むかはわかりません。しかし、伝統的な労働者文化と、大衆消費文化の関係、そしてマスメディアの発達と変容による人々の意識変化の問題をどう考えていくのかは、きわめて重要な問題です。そのことに、現在のアクチュアルな問題を考察していくための重要な鍵があるからです。
 ヴァ―ノンはまたこの時期のイギリス社会を象徴する(原作は戯曲だったり、小説である)いくつかの映画を取り上げています。「怒れる若者たち」の時代の作品。その一つがアルバート・フィニーが主演した『土曜の夜と日曜の朝』。その予告編の映像が紹介されています。そのなかでアルバート・フィニーはマーロン・ブランドになぞらえられているようです。もっとも髪型はどちらかというとジェームズ・ディーン。にもかかわらずブランドになぞらえられたのは、ジェームズ・ディーンの作品は、反抗をテーマにしていても「労働者」的な家庭の話でも「労働者」の話でもないのに対して、ブランドの『波止場』のような作品は、明確に労働者の日常をテーマにしていたからでしょう。
 この話は一度書いたことがあるかもしれませんが、自分がイギリスに滞在していたさいにテレビを見ていてもっとも印象に残った番組の一つは、たぶん2000年(21世紀に入る前・・・イギリスでは日本と違って、2001年が21世紀の始まりです)の、つまり20世紀の最後のクリスマスに、BBCでポール・マッカートニーが第九の指揮をした番組です。その時、マッカートニーはなぜ自分が「ベートーベンなどぶっ飛ばせ」という立場に立っていたのかを、自分は「労働者階級の出身」だからという言葉で説明しました。彼の口から「労働者階級」という言葉が「21世紀にさしかかろうという」時期に飛び出したことが、本当に印象として残っています。
 もっともさかのぼれば、本来ビートルズは労働者階級的な文化と消費的な大衆的文化がなお混在していた時に生じたものであることは、彼らがリヴァプール出身であったことや、その歌詞からも理解できます。今日紹介したような作品のやや後にビートルズは生まれたわけです。しかし、彼らはより大衆的なものとして全世界で消費されていくことになります。そしてその時期は、独自の労働者文化が後退していく時期と重なり合っていくことともなります。
# by pastandhistories | 2016-11-20 18:33 | Trackback | Comments(0)

エリック・フォーナー

 何日か前に、アメリカ大統領選挙の結果について少し書きました。メディアの事前報道のせいもあるのでしょうが、トランプ当選を意外だと感じている、あるいはそう論じる人が少なくないようです(意外だと感じ、そう論じれば、現在の社会にある問題について免責されるわけではないと思いますが)。その大きな理由は、オバマ大統領というアメリカの歴史を大きく変えた流れとは、随分と異質な人物が当選したということにあるのでしょう。
 その意味では意外ですが、しかし、むしろそれは、アメリカ社会に内在するもう一つの底流に起因していたものと言えるかもしれません。似たような問題が、南北戦争以後のアメリカの歴史に生じ、それがむしろその後のアメリカ社会を大きく規定するものとして連綿と継続してきた、と論じることができるからです。
 この問題に参考になるのが、アメリカの近現代史研究者を代表する人物の一人であるエリック・フォーナーの議論です。彼が、2009年にオバマが大統領選挙に勝利し、就任する前後の時期に行った講演では、そうした問題がわかりやすく、今回の状況を預言していたかのように説明されています。
 その中で例として示されていることは、アメリカの上院でアフリカ系アメリカ人の議員が初めて誕生したのは南北戦争後の1870年、ミシシッピーにおいてであって(現在のような直接選挙によってではありません)、それ以来アフリカ系アメリカ人の上院議員は150年ほど(アメリカ独立以来ということになると、240年ほど)の間に僅か5人、その一人がオバマ大統領であったということです。
 南北戦争は奴隷解放をめぐって行われたと教科書では、アメリカでも日本でも、説明されます。しかし、それに続いた再建期において、一時的には「黒人」とされる人々の権利が認められ、南部においても(むしろ南部だからこそというべきかもしれませんが)政治的参加も可能にはなったものの、「再建」「統一」を掲げたその後のアメリカ社会では、結局は南部の白人支配層への妥協が図られていく。そして結局は「黒人」とされる人々は「混血」の人々を含めて、ふたたび偏見と差別のもとにおかれていったわけです。そうした流れをもっとも端的に象徴したものが、フォーナーも当然指摘していますが、「黒人」による政治を戯画化して否定的に描いた、映画『国民の創生』であり、それに熱狂したアメリカ「国民」であったわけです。
 フォーナーは、南北戦争における北部の勝利という一見改革を生み出すように思われた状況が、むしろネガティヴな社会状況を生み出し、それが長期的に持続したことがアメリカの歴史における現在も継続する問題であることを、厳しく批判しています。オバマ大統領が誕生した時期に、フォーナーは、歴史研究者としての立場から、アメリカ社会になお根深く存在する底流の危険性を忘れるべきではないと感じていたのだと思います。日本にもなお「根深く存在している底流」が、トランプ当選を「意外」なものから、「望ましい」ものとして受け入れていくのなら(もはやそういう流れが生じているような気がしますが)、そのことを批判することが、歴史研究者の重要な義務に今後はなっていくはずです。
# by pastandhistories | 2016-11-19 15:35 | Trackback | Comments(0)

『ビッグヒストリー』論の可能性

 デイヴィッド・クリスチャンを中心とした『ビッグヒストリー』の翻訳が出たようです。原書は国際的にもかなり売れているようで、多分「大新聞」の書評欄にも取り上げられて、日本でもかなり売れることになるかもしれません。もっとも広告を見ると、歴史研究者から推薦文はないようです。現在の歴史研究者には、こうした気宇壮大な議論にはとまどいがあるためでしょう。
 このブログでも、いくつかの海外の学会で、ビッグヒストリー論が取り上げられはじめていることを、部分的にですが紹介してきました。自分にも戸惑いがありましたが、いくつか話を聞いていてだんだんとわかったことは、その「ビッグ」な視点には、これまでの歴史学を相対化するという点に関しては、一定の利点があるということです。
 基礎的なことから指摘していくと、まずはこれまでしばしば歴史研究においては、文字の発明で前後で時期を区分し、それ以前の時代を先史時代とする考えがありました。一時期は教科書にも記されていた考え方です。もちろんこの考え方は、非文字社会を、時間のレベルにおいて、さらには同時代の空間に存在していたものでも、「人類」の歴史から排除したものとして批判されることになりました。なによりもこうした考え方は、人類の歴史をせいぜい5000年という、きわめて短かい時期に圧縮していまうという限定性がありました。さらにはそれは「人間社会」を中心とした、「孤立した」歴史でした。
 ビッグヒストリー論の一つの意味は、こうした制約を超えたことです。人類の誕生だけでなく、その射程を地球の誕生におくことによって、人間の歴史を、地球的環境や、他の生命体との関係から考えていく(そのことのなかには、に個々の人間を生来のものとして規定しているDNAが単なる個性的なものの発現を規定しているだけでなく、はるかに幅の広い要素によって形成されてきたものであるという考えも含んでいます)、そうしたことをとおして、人間中心的な歴史観への再考を促したことです。そしてその延長として、人類が住む地球自体もきわめて微小な相対的なものとして考えていく、その究極として「ビッグバン以来の歴史」ということが措定されているわけです。
 おそらくこうした歴史観は、人間中心的な歴史観すら批判的に考えていくわけですから、ましてや国家中心的な・自民族中心的な歴史観というものが如何におかしなものかを示していく、その根拠となっていくでしょう。その意味では肯定的な要素を内在させていると考えることもできます。デイヴィッド・クリスチャンはもともとはロシア史研究者ですが、はやくからこうした問題に着目し、その先駆的な主唱者となりました。彼の簡潔な主張は、その講演の内容としてネットでも見ることができます(随分と聴衆が集まっていて、またアクセス数もきわめて多いようです)。ただその内容に関しては、結局は人間中心的な、進化論的な理解にむしろとどまっているという感じが自分にはします。その点から見ても、ビッグヒストリー論についての議論が深まるのは、これからだと思います。
# by pastandhistories | 2016-11-16 10:51 | Trackback | Comments(0)

self, subject, agent,

ization という語尾を例にとって、グローバリゼーションをはじめとするいくつかの言葉が過渡的な過程を表すものであることを指摘してきました。何故そうしたことを論じたのかというかというと、それらが過渡的な過程を示すものであるなら、少なくとも現在の段階では、全体的なものでも、普遍的なものでもないということを示すためです(究極的な到達段階では全体的な・普遍的なものとなりうるとしてもです)。
 自分の基本的な思考の枠組みを構成しているのは、そうした考え方です。学生時代には『過渡期の意識』(現代思潮社)を書いた梅本克己の文章を時々読みました。梅本克己に関しては、丸山真男、佐藤昇と行った鼎談『戦後日本の革新思想』(河出書房新社)を読んだ人がいるかもしれません(佐藤昇については今では知らない人がいると思うので説明すると、岐阜経済大学の教員であったマルクス主義理論家で、構造改革論が提起されるにともなって共産党を離れ、後社会党内で構造改革論をめぐる理論闘争が生じたときに、それを推進したある人物の文章を代筆したとして、そのことが社会党内で大きな問題となったことなどで、戦後の革新運動史に一定の役割を果たした人です)。
 梅本克己が一連の執筆活動で問題としていたことは、仮に所与のものとして全体を把握した理論があるとしても、過渡的な存在である個人がどうしてそれを認識することができるのかという問題です。戦後のある時期まで、マルクス主義が全体的理論として措定されていた時代に、この問題を議論したのが文学者をまじえて行われたいわゆる主体性論争で、梅本克己の議論は、そのなかで一定の役割を果たしました。
 はたして論点が同じところにあるとしてよいのかは迷いますが、最近海外では歴史研究において、「主体」を重要な論点として設定すべきだという議論がかなり一般的になりつつあります。あえて「主体」と日本語で書きましたが、実は英語的には、self, subject (subjectivity), agent (そして agency) ということになりそうです。おそらく一般的には agent を (「構造」structure ) に対して「主体」と訳し、self を「自己」または「自我」、subject の訳し方は難しいところがありますが、subjectivity を「主観性」と訳すのでは思います。
 となると「主体性論争」の英訳は debate (controversy) on agency だったのかな思って、『岩波哲学・思想事典』(1998)を確認してみたら、なんと英訳が掲載されていませんでした。戦後からほど遠くない時期だったとはいえ、かなりの議論をよんだはずの、また国際的にも類似の議論があったはずの、「全体」と「個」に関する論争の英訳がないというのは、随分と不思議です。
 と思ってさらに『岩波哲学・思想事典』をたどっていたら、いろいろなことに気づきました。なんといっても驚いたのは、agent が項目にも、英文索引にも登場しないことです。「構造」(structure) のところでも言及がなさそうです。「主体性」は項目にありますが、この英訳が subjectivity です。だとすると「主観性」は何処に行ってしまったのかなと思って調べると、 項目として立てられておらず、「主観主義」が subjectivism とされ、これに対応するかたちで「主観」が subject とされています。 素直に subjectivity を objectivity 「客観性」に対して、「主観性」とし、agent を項目として立てた方がよかったと思うのですが、どうしてこうした項目選定が行われたのかはわかりません。
今日こうした文章を書いたのは、権威あるとされる事典のあら捜しをするためではありません。ただ膨大な知を集積した事典をみても、権威づけられた所与の知に対して、その行為・認識主体である個の側の問題は驚くほど軽視されてきたということができるかもしれません。、
# by pastandhistories | 2016-11-15 10:52 | Trackback | Comments(0)

サイモン・シャーマ

 パブリックヒストリーについての調べごとをしていたら、BBCのニュースでサイモン・シャーマが、トランプの大統領領当選について、冷静ではいられないとして激しくコメントしているのを知りました。サイモン・シャーマと言えば、最初にイメージすることは、BBCに協力してイギリス史についての長大な映像的な歴史を作成したこと。自分も購入して所有はしていますが、なかなか見る時間はありません。そのイメージもあって、イギリス人の歴史家、イギリス史についての歴史家と思われがちですが、実際には父親はリトアニア系のユダヤ人(母親もユダヤ系だと思います)、ナチスの台頭の中でイギリスに移住した両親のもとに本人自身はイギリスで出生し(1945年生まれ)、イギリスの大学を出た人です。
 日本では『風景と記憶』が翻訳されてよく知られるようになり、またオランダ美術史等の研究、そして映像的な歴史の関与ということで、歴史に対するビジュアルなあるいは心象的な要素に着目した歴史研究者というイメージがありますが、もともとはフランス革命史を専攻していた人(これについても小さな翻訳があります)であり、また自らの出自からもマイノリティに対する抑圧への批判的関心も強く、政治的には社会民主主義的立場に立っていると言ってよいでしょう。自分と関心が同じかどうかはわかりませんが、彼が歴史のヴィジュアルな側面を重視しているのは、おそらくは歴史をオーディアンスから、とりわけ一般の人々から見ていくという考えが、その基礎にあるからだと思います。そうした立場だからこそ、ポピュリズムを悪用することに対しては強い怒りがあるのでしょう。
 もちろん、ビジュアルな技術が大きく発展するようになったのは、写真の発明と映画の発明以降のことです。したがってそれ以前は、民衆的な空間における過去認識においては、voice とパーフォーマンスが大きな役割を果たしていました。サイモン・シャーマがケンブリッジ大学に招かれて行った講演では、初めに歴史的人物(アレキサンダー・ハミルトン)を扱ったラップ音楽が登場するという構成をとって、ヘロドトス以来の歴史の流れが「歴史空間」のあり方をとおして説明されています。実はこの講演の最後は、マルク・ブロックがナチスの犠牲になったことで結ばれ、また質問に答えて自分がもっとも親近感をもつ歴史家としてE・P・トムスンの名があげられていますが、そうしたことからもサイモン・シャーマの歴史研究者としての立場をうかがうことができます。
# by pastandhistories | 2016-11-14 12:35 | Trackback | Comments(0)

過程と個

 三つほど前の記事で、グローバリゼーションというのは、ization という語尾を含む、その意味では過渡的な過程であることを示す言葉であることを指摘しました。何故そのことを取り上げたのかというと、グローブと、その対象もしくは主語となる個々のこととの関係が時間的に変化している過程的な関係であるなら、そうした関係は、一般的なものとしてではなく、特殊具体的なものとして説明されるべきだからです。
 そうした分類が適切かはなお議論の余地はありますが、グローバルヒストリーには「上から」のアプローチと「下から」ののアプローチがあります。資本主義の一般化のような包括的な歴史変化を論じるようなものと、対して個々のものや地域に焦点をあて、それらがグローバルな枠組みにおいてどのように変化してきたのかということに焦点をあてるアプローチです。しかし、そのどちらにしても、過程的な変化を論じているわけですから、いきなり全体(グローブ)と個のなかに「ある種の普遍的な」相関関係が存在していたとするような議論は、議論としてはやや正確さを欠いているような気がします。
 なぜこうしたことを書くのかというと、最近はとりわけ後者的なアプローチにおいて、「個」は「全体を反映している」というような議論が多くなったように思うからです。グローバルヒストリーに限らず、最近は(下からのアプローチと親和性のある)ミクロ的アプローチが進めば進むほど、個に全体が反映されているということが、当然のように議論の前提とされています。こうした考えは、グローバルヒストリーズの会でも少し言及しましたが、「神は細部に宿る」という考えとも共通しています。
 しかし、以前書いたことがありますが、個は個自体で十分に意味があるものであって、とりたててて全体との関係がなければ、そのなかに全体との関係が反映されていなければ、意味を失うものではありません。なぜなら全体とか普遍との関係において個が初めて意味のあるものとされるならば、個が全体との関係において有意味なものと無意味なものに分類されてしまうからです。過程的な変化を問題とする「歴史」という全体との関係で、「個」が有意味なものと無意味なものに分類され、圧倒的に多くの個が歴史から捨象されてきたのはそのためです。
 グローバルヒストリーもまた歴史研究の一つの流れですから、そうした構造を当然もっています。しかし、個のなかに全体が反映されているのだから個を取り上げるのだということをあえて強調する必要はない、と自分は考えています。ミクロヒストリーについても同じです。個は過程的な変化のなかで、つねに普遍や全体からははるかにほど遠い、自らもまた過程的なものとして存在してきたものです。しかし、無意味な存在であったわけではありません。
# by pastandhistories | 2016-11-13 17:34 | Trackback | Comments(0)

グローバリゼーション論のアイロニー

globalization は ization が語尾に用いられていて、その意味で過渡的な過程を示す言葉であるということを少し書きました。つまり、modernization, civilization, commercialization, industrialization と同じように、メタナラティヴ、大きな物語を示す言葉です。もちろん大きな物語は、一方ではリオタールがそれを批判したように、批判的にも考察していくべき問題ですが、他方では、とりわけ長期的な時間的経過において生じた変化を示すにあたって有効なものとして、歴史の説明・解釈として使用されています。
  ization という言葉をもちいて歴史を説明・解釈しようとすると、説明・解釈である以上、論点の設定次第で多様な論点が生じます。まずはいつからという時期的な問題、どこから、なぜという起源の問題、ネットワーク的な相互的影響の問題、そしてそうした過程が普遍的、永続的なものなのか、それとも一時的なものにすぎないのか、という問題をめぐって様々な論争が生じるのはそのためです。
 「近代化」「文明化」「工業化」「商業化」に関してもそうした議論がありましたが(あるいはある時期から出現しはじめ、最近はとくに強調されるようになったという方が正確かもしれませんが)、グローバルヒストリーを含めてグローバル化をめぐる議論がそれまでのいくつかの ization 議論と少し異なることは、起源の多元性や、相互間のネットワーク的な依存関係がより強調されているということでしょう。これはグローバリゼーション理論が、学問的世界においては西洋中心主義批判が一般化した時期に形成されるようになったことと大きな関係があるのだと思います。
 ここにはややアイロニカルな問題があります。つまり、理論として西洋中心主義批判が一般的になっているということと、現実の問題として西洋中心主義的な枠組みが、政治的にも、経済的にもなお強い影響力を残存させているという問題は、別の問題であって、両者が併存することはアイロニカルだけど、奇妙ではないということがあるからです。これもアイロニカルな言い方ですが、そもそも西洋中心主義が本当に批判の対象になっているなら、日本でこれほどグローバリゼーション論が闊歩することはなかったはずです。
 繰り返すことになりますが、現在の日本のグローバルヒストリーをめぐる議論には、多元論的な、ネットワーク的な視点を強調する傾向が多く見られます。しかし、それが現実の社会のあり方とクロスするものになっているのかというと、その点では不足することが多いと自分は考えています。それは大きな物語、つまり ization 自体への批判意識の欠如に由来すると言ったら、それは言いすぎでしょうか。
# by pastandhistories | 2016-11-12 15:27 | Trackback | Comments(0)

民主主義とエリート的支配層

 東京市場で株が急騰、しかし株を買うより、米と水を買っておいた方がいいかもしれないというのが、正直言って自分の個人的感想です。
 全体主義、権威主義的支配、独裁というのは、「近代」国家とされるもののなかでも、むしろ一般的に繰り返されている政治形態で、その根拠がいろいろと議論されています。その根拠の一つとされるのが、対抗的なものとされる民主主義の脆弱性。それでは民主主義がなぜそれほど脆弱なのかということの根拠として自分がいつも考えていることは、エリート的社会層が自らの地位と権力保全にきわめて強く固執しつづけるという問題です。
 ナチスに対する自分の捉え方はそうしたものです。ナチスの権力掌握の根拠を、中間層の没落(とその危機意識)に置くことは古典的なテーマとして主張されたことですが、むしろ自分は伝統的な支配層(官僚・軍部・経済界あるいは特権的な知的集団)が社会的変化の中で自らの支配の根拠を失うのではないかという危機感を抱いたことが、パぺット的な集団としてナチスを権力の座につけたと考えています。このことは、ナチスの権力掌握以前と以後を比較しても、実質的な特権的な支配層の構成はほとんど変化することはなかったという研究によって証明されるはずです。
 今回のアメリカ大統領選挙の結果も基本的にはそうしたものでしょう。メディアは「没落しつつある白人中間層が」、という解釈を流していますが(その意味では有権者の支持を媒体とした民主的な変化ということになりますが)、こうした説明は、ナチスドイツの権力掌握の説明を没落中間層におくものとよく似たものです。むしろ今回のアメリカ大統領選挙の結果は、伝統的支配層の総力を挙げた反撃によるもの。現在の日本の政治状況とも同質的なものです。その意味で、「対内的」ではなく、軍事的支配を当然とする「対外的」ナショナリズムは強化され、また(まさに伝統的支配層の権力再掌握の道具であった)ネオりベラリズムへの傾向はますます強まるでしょう。株が上がるのは当然のことです。
 このブログは歴史理論の現在的あり方を中心に書いていますが、基本にあることは、歴史研究はアクチュアルな問題への関心を失ってはならないということです。このブログを読んでいる人の多くは歴史研究者か歴史への関心がある人だと思いますが、そういう人たちに聞きたいことは、「どのようなアクチュアルな関心」から、歴史への関心をもっているのですかということです。
# by pastandhistories | 2016-11-10 10:53 | Trackback | Comments(0)

worldization, globalization

 昨日書いたことに対しては、「歴史の危機」ではなく、「歴史学の危機」だという反論がありそうです。確かにそうかもしれません。ポストモダニズムの側からの歴史批判に反論したエヴァンズの In Defense of History の翻訳には「歴史の擁護」ではなく、『歴史「学」の擁護』というタイトルが付されています。オークショットの議論を借りて practical past に対比させてホワイトがもちいた historical past も、' a theoretically motivated construction, existing only in the books and articles by professional historians' とされているので、これも『思想』の特集号の翻訳でももちいられた「歴史学的過去」という訳し方は妥当だと思います。擁護する側も、批判する側も問題としているのはそうした歴史学の危機だということです。両者の違いは、前者が歴史学と歴史を区別する傾向があるのに対して、後者はその一体性をむしろ強調する点にあります。エヴァンズの本が、原書とは異なって「歴史学の擁護」とされたのは、歴史と歴史学を区別するためでしょうし、後者で「歴史学的過去」という訳語が使用されたのは、歴史と歴史学のある種の一体性をホワイトが問題としてきたことを結果的には示すものとなっています。
 昨日まで日韓・韓日歴史家会議で議論の軸になったことを三つのテーマに即して書きましたが、今日はもう一つやはりこうした会議では最近はつねに話題とならざるをえない、グローバリゼーションの歴史の関係についてついて補足的に書きます。
 このテーマは自分にとっても関心の一つであるということで、このブログでも随分と書いてきました。以前言葉の問題として、world history は複数形でもちいられることが少なくないが、global history は基本的には単数でもちいられがちであるということを指摘したことがあります。この問題とやや関わりますが、やはり言葉の問題として、world と globe を比較すると、後者には ization という語尾が付されることが一般化しているのに、前者にはないということがあります。つまり worldization と globalization という問題です。前者は辞書にはまだ登場していないかもしれません。もっともこの点についてはネットの検索機能が便利で、それを使用すると、 Yahoo では400例ほどがヒットします。基本的には二つの使用例、一つは地図作成ソフトの名称、もう一つは音楽技法のひとつです。どちらも最近の造語で、globalization のようなかたちで幅広く一般的現象を指すものとしてもちいられているわけではありません。
 このことが意味していることは、world は所与のものとして措定されているのに対して、globalization は過程的なものとして、時間的経過において捉えられているということです。このことはグローバルヒストリーというテーマを論じるさいには、前提的なこととしてきわめて重要なことだと自分は考えています。そうした問題について、また明日以降書いていく予定です。 
# by pastandhistories | 2016-11-09 10:19 | Trackback | Comments(0)

歴史の危機?

 日韓・韓日歴史家会議で提起された問題について書いてきたので、今日はその一つであった歴史の実用性について。小田中さんの報告でも論じられましたが、最近ではこの問題は人文学の危機に関連させて論じられることが少なくありません。いわく「実用性」という点について劣位にあるから、大学や研究機関において人文学は縮小される傾向がある。同じように実用性という点で劣位にある歴史にもそうした危機が生じているという議論です。
 自分はこうした議論にはやや批判的です。なぜなら「歴史」の有用性はありすぎるぐらいあったし、今でもあるからです。そのことは他に比して、「歴史」が近代国家においては、教育の場において、とりわけ小学校から高校まで重要な地位を占めてきたことからも容易に理解できます。また大河ドラマに代表されるように、「国営」放送をはじめとしたマスメディアにおいて、つねに重要な地位を占めてきたことからも理解できます。およそ「イデオロギー」とされるものの中において、そのレトリックの軸としばしばなっているのも歴史です。どんな愚鈍な政治家でも、というより例をあげませんが、最も愚鈍な政治家ほど、「歴史」という言葉を(「未来」という言葉と共に)愛用します。そうした意味では、歴史は有用なものとしてもちいられてきたものです。
 そうした歴史には、大きすぎるほどの「ネガティヴな有用性」がありました。その意味で、「実用性」という点で歴史そのものが消失するような危機はない。むしろネガティヴィな実用性をもつ歴史との共生をはかれば、歴史学もまた「大学」という場においても、「今までと同じように」根強く存在し続けていくだろうと自分は考えています。
# by pastandhistories | 2016-11-08 13:48 | Trackback | Comments(0)

パブリックな場の国民と市民

 日韓・韓日歴史家会議に参加して得た感想の一つを昨日書いたので、今日と、そして時間があれば明日その続きを書いていきます。昨日書いたことはデジタライゼーションにちなむこと。おそらく最近では「歴史の現在的問題」を議論する会でよく話題になるのは、デジタライゼーションとパブリックな場にある歴史、そして歴史の実用性という問題です。ということで今日はパブリックな場にある歴史について書いていきます。
 この点について参考になったのは、歴史民俗博物館長の久留島浩さんの「社会につながる歴史」という話です。その前に桃木至朗さんも教育の場と歴史学の関係についての報告をしていて、教育の場の歴史ももちろんパブリックな場にある歴史と考えていいと思いますが、まずは久留島さんの話についてから。
 普段から実際の展示についての議論を現場で積み重ねていて、また国内外の学会での話もしているようで、十分な経験と議論にもとづく話で説得的でした。興味深かったのは、展示に対する観客の、さらにはネットでの反応の話です。具体例としては、ナチス支配下の時代にドイツの青少年代表団が日本訪問をした時の事例と、朝鮮通信使の事例があげられ、それがコミック空間で得た知識やネット空間で流布している知識を前提としてどのような捉え方をされているかが紹介されました。とくに後者に関しては、図像的史料のトリヴィアな部分に対する恣意的な解釈が、ネット空間で一般化し、通有されているということです。
 デ・グルートの議論を紹介したときにもふれましたが、ネット空間における歴史知のあり方をどのように考えていくのかは、歴史の現在的問題を考えるにあたって重要な問題です。いろいろ考えるべき問題がありますが、その一つは久留島さんも指摘したように、「トリヴィアル」(ミクロ的と言い換えることもできると思いますが)なことが「例示される」知識として「一般化」し、そこから恣意的な歴史解釈が導き出される問題です。もはや常套的なものとなった「吉田証言」の取り上げ方もその代表的なものでしょう。おそらくこのことは逆に、「例示ー物語への嵌め込み」という歴史叙述においてとられてきた伝統的手法への疑問(もちろんポストモダニズムの立場に立つ物語論が提起した問題です)だけでなく、そもそも細部に入り込んだ例示というのが(学問的にはさらなる進歩として肯定されるけれども)どのような意味をもつのかということへの再考を促していることのような気がします。
 同時に、久留島さんの話をとおしてもう一つ感じたことは、久留島さんが批判的に紹介した展示へのリアクションは、「国民」を称する側からのものからであったということです。桃木さんの話もそうでしたが、当然のように議論の過程ではその「国民」に対して、「市民」が対置されました。しかし博物館が置かれている場は「国内」であって、教科書は「国語」で書かれているわけです。議論の過程で当然のようにスミソニアン博物館におけるヱノラ・ゲイ展示問題が言及されました。しかし、スミソニアンはアメリカ国内という「場」におかれているものです。そのようなかたちで場や言語が、現在ではなおパブリックな空間を作り出している限り、そこでの議論は知的な世界の議論とは乖離します。歴史の一つの問題として歴史研究者の側がパブリックな場にある歴史を考えることはとても重要なことですが、同時に残念ながら、パブリックな場にある歴史には驚くほど「国民」という問題が内在していることは忘れられてはならない問題だということを、久留島さんの話からはあらためて感じさせられました。
# by pastandhistories | 2016-11-07 09:59 | Trackback | Comments(0)

事実とデジタライゼーション

 昨日は第16回日韓・韓日歴史家会議に参加しました。ある人から連絡がありました。テーマが「現代社会と歴史学」ということにも理由があったのでしょうが、頭数を揃えるという意味もあったのだと思います。海外での国際会議には出るけど、日本で行われるのには参加しないというのも変なので、参加しました。レベル的にはかなりの水準。であるなら、院生や、さらには学部学生にも参加してもらい幅広く議論をした方がよいのではと思うのですが、運営にコミットする立場ではないので、そうしたことは今後に期待していきたいと思います。
 いろいろ興味深い報告がありましたが、ながでも「現代」的な歴史研究の状況についての問題提起として参考になったのが、金基鳳(京畿大学校)さんの「人口知能の時代」という報告です。タイトルにあるように、基本的にはデジタル化時代における人文学のあり方、つまりデジタルヒューマニティーズについての報告ですが、それをビッグヒストリー論と結びつけて、歴史の問題を非常に幅広い時間的スパンから論じました。このブログでいくつかのビッグヒストリー論を紹介してきましたが、ビッグヒストリー論の理解としても、今まで聞いたもののなかで最も高い水準の一つであると言ってもよいという感じがしました。
 データのデジタル化とその集積の巨大化(ビッグデータ化)によって、歴史研究がふたたび長期的な変動を問題とするようになるだろう(あるいはすべきである)という議論は、最近ではデーヴィッド・アーミティッジなどによって論じられていますが(Jo Guldi & David Armitage, The History Manifesto, 2015)、金さんはこれにくわえて、既に多くの人文学や社会科学において、さらには碁(や将棋)などにおいても見られるように、そうした巨大データの分析をコンピューター自身が行い、それが人間の能力を超えるに日が到来するのはけっしてて遠い将来ではないと予測しているようです。つまり人知を(「認識の)中心とするということに対する素朴な疑問を提示しています。ここから金さんは、ドーキンスの諸著作やY.N.Harari の Sapiens(2011) を借りて(ドーキンスは既に多くが訳されています。ハラリもおそらくは訳出されるでしょう・・・9月に河出書房新社から訳出され、新聞各紙に書評が掲載されていました。訂正しておきます)、種としての人間の限界性を認め、そこからビッグヒストリー的な議論について、示唆的に言及しました。
 しかし、今回の金さんの話で一番興味深かったのは、歴史研究のデジタル化という流れを、結論としてフィクションや想像力と結びつけたところです。実はこの部分は聞いていた人にとっては、かなり理解が難しかったようです。歴史研究者にとってみれば、デジタル化は「史料」が「豊富化」し、「整備」され、「利用」しやすくなるということですから、歴史研究の実証性を高めるものだとという理解が一般的だからです。事実多くの実証的歴史家は、デジタル化をそうしたレベルで理解し、歓迎すべきものだと論じています。それが逆になぜフィクションや想像力という議論に結びつくのか、それがにわかに理解できないことは当然のことです。
 しかしこの問題はデジタル化を、すべての情報のビット化という視点から考えれば理解することがができます。アインシュタインはすべてのものは、音や光さえもが、波長に還元できるということを論じました。普段パソコンと向かい合っていれば容易に理解できるように、コンピュータをとおしてすべての情報はビット化できます。というより、すべての情報がビット化されているがゆえに、現在では膨大な情報に対してコンピューターをとおしてアクセスすることが可能になっているわけです。そしてこれもコンピュータ使用者にとっては常識的な理解であるように、文字よりも画像、画像よりも映像の方が、はるかに大きなビット数によって構成されています。 
 このことを歴史認識の問題に当てはめると、どういう問題が見えてくるでしょうか。現在では多くの人は、歴史家がフィクションとして扱かう映画を媒体として過去を、これも歴史研究者から見ればということになりますが、想像的に理解しています(金さんもまた「歴史と映画」論を書いているようです)。しかし、たった1本の映画であっても、歴史家が「事実を推定したとする」論文1本を書くために利用する文献・史料よりも、ビット数に還元して考えるならその情報量は大きなものです。つまり現在では人々が映像をとおして(もちろんそれは映画が発明される時代の前を扱ったものであれば、すべてが一次史料ではありません)認識している歴史は、ビット量に還元すると、歴史家が事実として論じているものに対して比較できないほど膨大なものだということです。逆に歴史家が実証の根拠とする文字史料はあるいはそれに基づいて書かれた研究書論文は、現在において何らかのかたちの「歴史」として存在するもののうちの、0.1%のN乗を構成しているに過ぎません。その0.1%のN乗によって、過去の事実を再構築することができると考えるのは、逆にきわめて大きな論理の飛躍です。
 歴史研究者にとって信じたくない話なのですが、過去についての情報である歴史をデジタル的に理解すれば、こうした議論が可能です。おそらく金さんが、fact と fiction という言葉を合わせた faction という言葉をもちい、記憶と忘却という伝統的な対比法に代えて、記憶と想像という対比法を提示したのは、こうした考えを含意しているためでしょう。自分は歴史研究者として、0.1%のN乗の意味をまったく否定はしていません。しかし、それは「事実」として幅広い「歴史」という世界のなかで、圧倒的な優位にあると位置づけられるべきものでもありません。historians central な世界ではなお優位性を持っているかもしれませんが、歴史研究者がその世界に安住している限り、会でも多く議論された歴史修正主義への有効な反論をつくりだすことは、決して容易なことではないでしょう。その点で金さんの報告には参考になる点が多くありました。
# by pastandhistories | 2016-11-06 10:01 | Trackback | Comments(0)

歴史的真実、違和、不信

今日はツイッター的に。『思想」11月号にヘイドン・ホワイト「歴史的真実・違和・不信」が訳出されました。もっとも新しい論考で、訳者は上村忠男さんです。既に予告してあるように、12月23日(金)に上村忠男さんとカレ・ピヒライネンに来てもらって「ヘイドン・ホワイトの今」という会をします。明日、ピヒライネンと打ち合わせをするので、ついでに神保町で買います。なお目次を見ただけですが、今度の号はヨーロッパ中世史についての特集のようです。池上俊一さんと、以前ホワイトを訳出した那須敬さんなどが書いています。
# by pastandhistories | 2016-10-26 06:35 | Trackback | Comments(0)

Jonathon Dallimore

 今週は部屋の整理をしました。段ボールに入っていた古いノート類やメモをやっと出すことができて、少し読み直し始めました。すっかり忘れていたことも多く、その点ではやはりノートは役に立ちます。逆に最近はあまりノートをとらなくなっていて、読んだことのある本でも内容をほとんど思い出せない。そのあたりは時間との兼ね合いもあって、難しいところです。
 暇を見て今朝はネットサーフィン。たまたまですが History in Postodernity というサイトに出会いました。 Jonathon Dallimore というオ-ストラリアの若い歴史研究者(というより教員かもしれません)が作成したサイトです。30分程度ということで、それほど時間もかからないだろうということでアクセスしましたが、とてもよくまとまった議論で、論理的構成もしっかりしていて、お勧めです。
 ポストモダニズムが(歴史の)何を問題としたかを前提としながら、その〈従来の)歴史(学)に対するアプローチを、穏健なものと、極端なものに分け、前者、つまり歴史を否定するのではなく、どう変えていくのかを問題とするポストモダニズム的な歴史論を、わかりやすく説明しています。
  言語と文化への着目ー多様な史料への着目と従来の史料を新しく読み返すこと―そこから今後は、1、(個人史を含めた)ミクロヒストリー、2、文化史、3、固定されない歴史、4、刊行物以外での提示、という方向に歴史が向かっていくだろうということがその内容です。最後の部分で、学術的出版物のような査読(や検閲)を経ない歴史が,これからは意味を持つだろうとしているのは、これがネットでの発信であるという点でも、面白い(ブログをいちいち査読するなどということは本当に奇妙なことです)感じがしました。
 要するに現在にあっては、不安定性は認識対象だけの問題でなく、認識主体の問題である(これを点線をもちいた図形で示していて、とても説得的です)ということなのですが、そうした主体の不安定性、つまり主体が開かれた構造を持っていることが、対象に対する多様な認識を可能にしていくのであり、それが(歴史の、あるいはそれ以外のことに関しても)民主化(democratisation)を生み出していくという立場に立っています。ネットを見ると、最近はビッグヒストリー論で紹介されることの多いデイヴィッド・クリスチャンと多少の関係があるようです。はたして今後歴史研究者として学界に地位を占めることになるかはわかりませんが、論理的な整理・説明能力という点で、少し期待したい人物です。
 また Jonathon Dallimore はこうした視点から書かれた最近の著作として、Colin Jones, Smile Revolution, Stephan Kotkin, Magnetic Mountain, Carolyn Hobbrook, Anzac: The Unauthorised Biography, をあげています。内容はネットで確認できると思いますが、時間があれば読んでみたいと思わされました。
# by pastandhistories | 2016-10-22 11:07 | Trackback | Comments(0)

globe という言葉

 10月7日、8日のグローバルヒストリーズの会は、海外からの二人のヴィザと航空切符(発券がヴィザの有無に関係する)に関して、いろいろ手間がかかって大変でした。参加者はいつもより減りましたが、内容的にはいい議論ができたと考えています。
 既に予告してありますが、次回は12月23日(金)、タイトルは「ヘイドン・ホワイトの今」となります。議論にかなりの準備が必要なテーマなので、資料のようなものをきちんと準備して会を行う予定です。関心のある人はぜひ参加してもらえればと思います。ヘイドン・ホワイトはなお元気で、最近の姿をネットでは、バークレーで行われたルニアの Moved by the Past の公開合評会(2014年11月7日)に、ハルトゥーニアン、マーティン・ジェイ、イーサン・クラインバークらとともに元気な姿を見せているのを見ることができます。相変わらず、ホワイト節全開です。
 ということで、12月の会の準備はありますが、少しのんびりしています。と言いたいところですが、今度は原稿の計画や注文が入り始めて、あまりのんびりもできません。このブログも御無沙汰気味になっています。もっともこのブログは、自分のためのメモという部分もあるので、そうしたメモ的なことを今日は書きます。
 グローバルヒストリーズの会の時に、そのことは発言しませんでしたが、多分もともとは「丸いもの」「球状のもの」を指すグローブという言葉が、地「球」を指すものとしてもちいられるようになったのは、コロンブスやマゼランの航海によって地球が地「球」であることが発見されたためなはずです。したがってそうした意味で使用され始めたのは、16世紀になってからです。地球という日本語はいったいいつから使われたのか、たぶんこれも地球が丸いということが日本の社会に受け入れられるようになってからのはずですから、やはりどんなに早くても、16世紀以降になるはずです。もしそれ以前にこの言葉が日本語で使用されていたとしたら、日本人の対自然認識は欧米に先行していたことになってしまいます。
 これにたいして英語の Earth の語源となった言葉は、そうした知識のなかった時代から「地」「土」を意味するものとして欧米では使用されていたわけです。したがって Earth を地「球」と訳すのは誤訳だという議論がありうるかもしれません。
 地球を意味するグローブという言葉はこのように相対的には新しい言葉ですが、グローバル、さらにはグローバリゼーションという言葉の使用が世界的に一般化するのは、20世紀後半、それも1980年代後半からです。もちろんグローバルヒストリーの使用はさらに新しくなります。
 この問題については今度そのグローバルヒストリー論の翻訳の出るリン・ハントが、昨年の12月にシカゴ大学で行った Thinking Globally in Historical Studies という 講演で、つい苦笑させられるような話をしています。そのなかで彼女は、Global Publication Authorship と題して、global というタイトルのついた出版物の点数の国際的な比較をしていますが、なんと1999-2003年 について統計を作表すると、日本はアメリカについで堂々の第二位(第三位はドイツとイギリス)だったそうです(その後中国、イギリスに追い抜かれて第四位になった)。
 誇っていいのか、それとも悲しむべきか、日本の社会的状況や、文化的・思想的状況を語るような話です。逆に言うと、グローバルヒストリーというタイトルを付した会の参加者は少なかったのは、日程の重なりがあったかもしれませんが、日本の歴史研究の健全さを示しているのかもしれません。これもまた逆説的な議論ですが。
# by pastandhistories | 2016-10-14 11:13 | Trackback | Comments(0)

10月7、8日、12月23日

 海外での発表が二つ、他の人の科研での依頼講演が二つということで、4月からは随分と追われましたが、10日にそれが終わり、やっと自分の仕事ができるかと思ったら、今度はプロジェクトの準備に追われています。
 ここでもすでに多少の予告をしてありますが、一つは10月7日〈金)、8日〈土〉に予定されている「グローバルヒストリーズ」という国際ワークショップ。ドミニク・ザクサンマイヤー、張旭鵬、秋田茂さんが参加してくれます〈秋田さんは8日だけ)。今回は立教大学と併催するので、7日は東洋大学ですが、8日の会場は立教大学です。7日はややグローズドで英語だけ、8日は通訳を入れます。8日についてはすでにザクセンマイヤーからペーパーが来ていて全体で6000語をやや超えるもの。これだとかなり時間がかかるので、翻訳を事前にして当日配布ということで準備しています。詳しくは、http://www.toyo.ac.jp/site/ihs/110657.html でポスターを見られると思います。
 もう一つは12月23日(金)。休日でいろいろ重なりそうなので、早めに予告しておきます。タイトルは「ヘイドン・ホワイトの今」。現在ホワイトについては、いよいよ翻訳作業がいくつか着実に進行しているのと、海外でもさらに研究が活発化しているので、そのあたりを踏まえて会を企画しました。すでにそうした紹介作業に関わっている上村忠男さんと、ホワイト論の刊行(The Work of History: Hayden White and the Politics of Narrative Construction というタイトルで、Routledge Approaches to Historyの一つとして来年刊行されます。すでに校正段階に入っています)が予定されているカレ・ピヒライネンが参加してくれます。
 ということで、現在は10月の会の詰めの作業とザクセンマイヤーのペーパーの翻訳作業に少し時間がとられています。しかし、多少は原稿を書き直したりする時間ができ始めたので、そうした作業に合わせて日程的なことだけでなく、このブログの本来の目的である理論的なことも書けたらと考えています。
# by pastandhistories | 2016-09-20 11:27 | Trackback | Comments(0)

practicality of historical past

 ブラジルでのINTHはいい経験でした。英語にくわえて、フランス語、スペイン語、もちろんポルトガル語、さらには様々なグロービッシュが飛び交うということで、ヴァライアティが豊富〈しかし、そうした言葉の問題は、パソコンをとおしてスクリーンに英語を映すことによって、現在ではだいぶ解決されています)。そうした言葉の多様さは当然思考の多様さに反映されるということで、本当に参考になりました。随分昔のことですが、当時ヨーロッパ史研究者でもっとも期待をされていたある人が〈名前はここで挙げませんが)中南米に行って本を書いた、その当時は随分と唐突な印象を受けたけど、今考えなおしてみると、彼の問題意識は時代にかなり先んじていたのだなという気がしますs
 帰国後は新しく知り合った〈中南米の)研究者に自分の書いた英文の文章をメールで送ったら、お礼の返事が来て、その中には加藤周一さんのものが面白かったので、自分のも読んでくれると書いてありました。加藤周一さんはポルトガル語で翻訳が出ているとのことです。
 すでに紹介しましたが、会そのもののメインテーマがThe Practical Past ということだったので、Historical Past との関わりや、ヘイドン・ホワイトの議論が随分と話題になりました。この件に関して、セッションでも〈最後の総括的な会議でもほんの少し発言しましたが)、自分が主張したことは、ホワイトの議論は Practicality of Historical Past への批判を含意しているのではということです。つまり学問的歴史の実用性。それは近代国家のナショナリズムを補完し、国民統合に必要なヒエラルヒーの形成に役立ったということです。そうしたものを解体〈脱構築)していくために、ホワイトは逆説的なかたちで歴史に対する相対主義的なアプローチを主張したと自分は考えています。一見ナショナルヒストリーに対立しているかに見えるグローバルヒストリーも、そうしたヒエラルヒーを支えるものであってはならないということが、学問的装いをもって登場し始めたグローバルヒストリーのあり方に自分が批判的な理由です。
 そのグローバルヒストリーについては、ここでも少し予告してありますが、10月7日、8日にはドミニク・ザクセンマイヤーに来てもらってグローバルヒストリーについてのワークショップをします。くわえて中国と日本から代表的な研究者が来てくれます。連日メールで連絡をして最後の詰めの作業をしていますが、9月中旬にはポスター発送ができると思います。
 また続いては、これも予告したことがありますが、ヘイドン・ホワイトについてのセミナーの企画も立てています。おそらく11月にヘイドン・ホワイトの最新の論文がある雑誌に翻訳紹介され、またそれにつづいて順次海外でも国内でも彼の仕事への評価や紹介が進んでいくと思うので、それに合わせて12月頃に会を開けたらということで準備を始めました。
# by pastandhistories | 2016-09-05 10:49 | Trackback | Comments(0)

INTHブラジル⑧

 ブラジルでのINTHの記事は今日が最後になります。最終日については、デ・グルートのキースピーチと最後の総括的なパネルについては一連の記事の最初に紹介したので、今日は最終日の二つのセッションについて。 
 午前の部で参加したのは、基本的には歴史理論雑誌についての報告のセッション。Storia della Storiografia History and Theory がそれぞれ取り上げられたけど、ややが概説的紹介にとどまったところがありました。このセッションに最後に追加されていたのは、Sheila Lopes Leal Goncalves という女性研究者による、Modernity , acceleration of time and fashion in 1840s という報告。二つの新聞史料をもちいて、19世紀アルゼンチンを対象に、演劇、女性問題、教育などのあり方を紹介して、面白い部分がありました。
 午後は、オーストラリアのラ・トローブ大学のエイドリアン・ジョーンズが司会をした地元の院生の報告のセッションに参加しました。これに参加したのは、その前のデ・グルートのキースピーチの際にジョーンズと席が隣り合わせて、始まる前に随分と話し込んことと、前日病院に同行してくれた院生がここで発表したからです。普通は仲間の院生の発表ということなら、同じ院生が参加しそうな気もしますが、このセッションは最初は司会と報告者と自分だけ。ぎりぎりでリューゼンとラ・グレカが来ましたが、発表が終わると打ち合わせのため退席。2-3人が後から参加していたようですが、質疑は自分も含めて5人でということで、大学院の授業のような感じでした。しかし最初の二人(Atila Freitas と Lidia Generoso という男女の) の Gender, Sexuality and Women in Theory of History という発表は(男性が英語を話せないので、発表は女性が一人でおこなった)海外での〈つまり欧米での)フェミニズムの立場に立つ基本的な歴史論をきっちりとたどったもので、まとまりのあるものでした。また病院行きを手伝ってくれた Daniel Helene という院生の発表は、1840年から1860年に(つまり「ブラジルの歴史」の創生期に)ブラジルで歴史がどのように教育され始めたのかという話。この問題については以前ここで書いたことがありますが、そうした「ブラジルの歴史」はブラジルというspace の歴史なのか、それともブラジル人というpeople の歴史なのかという質問をしたところ、ジョーンズも同じ質問を繰り返ししていました。当然オーストラリアにも同じ問題があるということなのだと思います。
 延々と書いてきましたが、これで今回のINTHブラジルについての報告はおしまいです。実は今回は事前にアブストラクトだけではなく、ペーパー自体がオンラインに載っていたようですが〈全部ではないけど)、それを読むIDがわからなくて、事前に〈現在でも)それを読むことができませんでした。その点で記事は仮のもので気づくことがあったら修正していく予定です。なおキースピーチに関しては、多分ネットで一般公開されるのではと思います。今日現在で今回に関してはまだ確認できていませんが、前回のキースピーチは確認したらユーチューブで見ることができるようです。アルトーク、アンカースミット、リューゼン、そしてスピーゲル、クラインバーク等々、結構必見の内容だと思います。
# by pastandhistories | 2016-09-04 11:23 | Trackback | Comments(0)

INTHブラジル⑦

 三日目の朝の講演の後は、観光地といっても山の上なので、タクシーで10分ほどの病院へ。傷の手当。歯医者以外は外国での初めての病院通いなのでいい経験になりました。ここでもすべてがポルトガル語ということで大苦戦したけど、さいわい付き添ってくれた人が英語で通訳してくれてなんとか治療をすることができました。
 会場に戻ってから午後のキースピーチに参加。メキシコ大学の Guillermo Zermeno 、史学史や文化史が専門の人。このキースピーチは今回の一つの成果。中南米の歴史学の流れがわかるところがありました。基本的にはヨーロッパの歴史学と中南米の歴史学がどのように交差したかという話で、当然のことながら中南米の歴史研究者についても言及されました。その部分については自分の知識が不足していて、残念なところがありましたが、フーコー、ホワイト、セルトー、コゼレックの〈翻訳を通じての)影響がどのようなかたちで、どのような時期に広がったのかということを紹介しながら、chronological time と discursive time の違いなどを論じました。結論的にはセルトーを理論と(歴史研究の)実践を結びつけた人物であると高く評価し、歴史を書くことは確かにヨーロッパに起源があるかもしれないけれど、南には進歩主義的な見方(progressism) とは異なるものがあると論じました。温厚な語り口ながら十分に説得力のある語り口で、ポストモダニズムへの理解も安定していて、書いたものをもう少し詳しく読みたいと思わせるところがありました。
 その後はカレ・ピヒライネンが司会をした pragmatism というセッションヘ。3人の報告者。最初はダグ・ジェンセンという人。スイスの研究者のようですが、ペーパーはフランスの史学史。その流れを、リベラルロマンティック―方法論派〈セニョーボス)―アナールというように整理をしたうえで、19世紀のフランス歴史学〈ここがリベラルロマンティックになるのだと思います)についてレナン、トックヴィル、テイヌなどのそれぞれの特徴をあげて説明しました。歴史を認識論に3分割すると、erudition/philosophy/poetic truth の三角関係になるとして、それぞれを、正確さ・資料/普遍性/現象学に対応させたけど、正直言ってこの議論への判断は留保しておきます。
 次がブエノスアイレス大学のヴェロニカ・トッティ。成熟した研究者で、今回のテーマであるpractical past を historical past と対比して論じました。やはり巧みなまとめ方。historical past は experience されたものではない。professional history が living dimension を無視したという議論があるけど、historical past と practical past は同じ文化の中に存在しているもので、完全に分離されるものではないと論じました。彼女の発言で少し面白いと思ったことは、historical accounts は多様であるとして、pragmatic account という言葉をもちいて、common and popular history を説明したことです。
 このセッションの最後はエストニアのマレク・タム。彼の話を聞くのはこれで3回目か4回目ですが、いつも新しい問題提示をしてくれる研究者です。今回もプラグマティズムというセッションのテーマに沿って、当然のようにスピーチ・アクト理論、コミットメント理論、それからジョン・マクファーレンの assertion と justification についての議論を取り入れて、historical assertion はどのようにして可能なのかという話をしました。証拠・コミットメント・〈オーソリティによる〉是認によって、pragmatic approach to history は可能になりうる〈もちろん全面的にそれが保障されるわけではない) という議論だったと思いますが、そうした議論に見られるように、彼にはこの間のポストモダニズム的な議論を前提としながら、歴史への具体的なアプローチを理論的に考えているという側面があり、参考になります。
# by pastandhistories | 2016-09-03 11:15 | Trackback | Comments(0)

INTHブラジル⑥

 世界遺産と激突してけがをしたのが23日。傷の大きさからして治るのに一か月くらいだと思っていたけど、意外に回復は早くまだ少し腫れは残っているけど、傷跡そのものは消え始め化した。もっとも会の記憶も薄れ始めたので、急いで書いていきます。
 二日目の午後に出たのは、今度はハンス・ケルナーが司会をしたセッション。同じ部屋で午前ほどではないけど、ほぼ満席の状態。テーマは Gender and Queer perspectives on history というもの。全員が中南米の研究者〈ではないかと思います。報告の前に短い紹介はあるけど、今回はプログラムそのものに大学名が記されていないので正確なことが記せません)。発表者は女性が3人。男性が1人。自分からするとヴァリエーションがあって、またこうした内容の発表に多くの人が集まったということを含めて、中南米の歴史研究の状況について知ることの多いセッションでした。
 最初の報告者はPhD Candidate の女性。タイトルは History, Empathy and Gender というもので、1840年代の3冊の小説を素材に、その内容を分析し、一定の社会層の女性読者も対象としていたそれらに共通した要素としてフランス革命への批判が存在していたことを指摘しました。次の報告者はブイノスアイレス大学のマリア・イネス・ラ・グレカ。この人は理論的な分析能力を感じさせる人。フェミニズムと歴史哲学の関係を、スピーゲルやスコットの議論を批判的に紹介しながら論じました。その次の発表者である男性は、やはりPhD Candidate.タイトルは、Queer Theory Between Postmodernity and Presentism というもの。アルトークをふまえて歴史の実用性を擁護しましたが、この人が会場をわかせたのは、フェミニストの女性は結婚制度を批判するけど、自分は結婚したいと述べた時。最後がマリエナ・ソラナという女性、前日のフェリペ同様にノスタルジアの問題を、美的・認識論的・政治的側面から queer とジェンダーに結び付けて論じました。ここでも結論は前日のフェリペのものと似ていて、フェミニストの場合、ノスタルジアは過去への憧憬からではなく、Dana Luciana の主張を引用するかたちで、an age yet to come に対して成立すると論じました。ノスタルジア論は中南米ではかなり議論されているようです。
 先を急ぐと翌三日目はまずフランソワ・ドッセのキースピーチ。会った人がいるかもしれませんが、御茶ノ水博士と同じ髪型。memory laws を例に、法がなぜ歴史を支配できるのかという問題を提起、アナール派に見られるように歴史は政治との距離を置くべきかもしれない。歴史的真実と裁判による真実は、「異なる真実の制度」に基づくものである以上異なる。裁判は社会的権威によって支えられるけど、歴史はそうではなく、歴史の真実を支えるのは peers による評価だけである。にもかかわらず多くの旧ナチ裁判などで、歴史家は法廷の証言台に立った。しかし、ジェノサイドばかりでなく、奴隷制度についても現在では裁判の対象となっているという状況にどのように立ち向かうべきなのかという問題を論じました。結論は歴史家の自由に委ねるべきだというものだったと思いますが、この問題は歴史をめぐる基本的な問題として今後も論じられていくはずです。
# by pastandhistories | 2016-09-02 10:05 | Trackback | Comments(0)

INTHブラジル⑤

 今回のINTHは初日の夜にワインパーティの予定。しかし、初めての場所で南半球は今は冬。6時になると日暮れ。ということで、夕方のクリス・ロレンスのキースピーチはもう何度も話を聞いているのでこれらはパス。早めにホテルへの帰路についたのが大間違い。ホテルと会場に関しては、丘〈というよりもう小山)の頂上と麓の関係。ホテルから5分ほど下ったところで道が石畳の急坂の近道と、車がとおる緩やかな坂の迂回路に分かれている。わかりやすく説明すると〈かえってわかりにくいかもしれないけれど)、挟辺が5と12、斜辺13の直角三角形の5の辺と斜辺13の関係、もう一つの12の辺の真ん中くらいが会場。したがって緩やかな坂を使うと、先まで行ってまた戻らなければならない。もう近道を選ぶのが当然。急な下りということで行きはかなり慎重に。帰りも気を付けて登ってはいたけど、突然躓いて、急な坂だから転んだというより、もう壁にぶつかったという感じ、手を使う間もなく顔面を強打。大出血かつ、メガネを破損〈最初はどこに行ったか分からなかった)という大事故を起こしてしまいました。幸いにしてメガネは通りがかった人が見つけてくれて〈夜だったら見つからなかったでしょう)、何とか歩いてホテルへ。幸いなことにホテルの前が眼鏡屋。親切にも20分ほどかけて無料で直してくれました。
 結構腫れたけど幸い出血が止まったので様子を見ることにして、就寝。翌日も腫れはひかなかったけど、今度は遠回りして会場へ。といっても最初のキースピーチはパス。続いての午前のセッションに参加。タイトルは The Practical Past。アラン・メギルとハンス・ケルナーのペーパーということで早めに部屋に行って席をとったけど、60人以上が詰めかけ満杯。内容も十分に満足のいくものでした。最初はメギル。実はメギルは初日に会った時に、彼から今回のペーパーのプリントを自分にくれていて、結局は時間の都合でその半分もこのセッションでは読み切れなかったけど、本当に丹念にpractical pastに至る流れと現在的意味を分析、その結論はhistorical past も現在的なユーティリティを含意していたけど、practical past は現在のみならず未来へのユーティリティを包摂していたと考えることができるというものでした。 二番目の報告者はReal Fillion 。タイトルはコリングウッドからヘーゲルへという遡行的なもの。内容は、ベルベルが著書で取り上げた過去の記憶(あるいは忘却)にもとづくvengeance とreconciliation の問題。過去のについての認識の共同性が、処罰への同意を生み出すということを指摘しました。 つづいてハンス・ケルナー。以前にも紹介したけど、本当にユーモア溢れる人、同時に本質的な問題をズバッと指摘する人です。licensed professionals によって established facts が生み出され、それが教師によって伝えられている。しかしそうした中立性をよそおう historical past は practical past との類似性を持つ historical imagining なもので、時間の経過のなかでは確定的ではないという話をしました。最後はLuis Gueneau de Mussey という人。この報告は文字通りホワイトのpractical past 論についての様々な議論の紹介。メモにはコルバン的な考え方で、historical literacy の重要性を論じたとありますが、内容はよく思い出せません。
 この日はランチ後にすぐに前日とは異なりすぐに午後のセッションとなりましたが、それについてはまた明日紹介します。
# by pastandhistories | 2016-09-01 21:41 | Trackback | Comments(0)

INTHブラジル④

 西回りを使うと行きは午前発の飛行機に乗れば日本時間ではまだ深夜になる前に何とか経由地に到着する〈今回はパリ)、かつ現地時間は夕方ということでなんとか対応できるけど、今回のようにリオやサンパウロからさらに入ったところとなると、そこを出る飛行機は夕方発、乗り換えも同じで、したがって帰路は機中2泊という壮絶なスケジュール。しかし、慣れているせいか、疲れのせいか、リオからパリまではエコノミーの機中でしっかりと6時間の爆睡。寝すぎたせいかさすがにパリからはあまり眠れなかったけど、月曜日は普通の生活、昨日も夜12時就寝だったけど、今朝は4時に目が覚めてしまいました。
 今から眠るのも面倒なので昨日の続きを書くと、自分のセッションが終わった後は今度はまた午後からは二つ目のキースピーチ。スピーカーはサンジャイ・セス。以前にもここで紹介したと思いますが、インド系の人で〈奥さんは日本人のはずです)基本的には構築論的なオリエンタリズムの立場に立つ、それほど極端ではないバランスのとれた議論をする人です。そのことが逆に海外でも評価に比べて日本での紹介が少ないということの理由かむしれません。今回も歴史は確かにヨーロッパ起源と考えられる面はあるけど、南から見れば進歩主義的なものとは異なる議論があるということを、史学史な議論を交えながら説明しました。
 つづいての一般的セッションでは、エヴァ・ドマンスカが司会をした Narrativism と題されたセッションに出ました。報告者は3人、最初の二人はそれぞれPhD の取得準備中の院生、今回の会で見られた一つの方向、たとえばホワイトの議論の起源をニーチェやハイデガーへの系譜をたどり思想史的に説明するというもので、それだけなら既に繰り返し議論されていることで,果たして学位取得に至るのかなと感じるところがありましたが、最後の報告をした Eduardo Felippe はすでに学位取得を終えているということで、なるほどと思わせるところがありました。内容はhistorical fiction を素材としたノスタルジアについての議論。かなりしっかりした理論的分析のできる人物で、ノスタルジーは過去に対してだけではなく、未来に対しても抱かれるものであり、それはフィクションをとおしてみることができるとして、その例としてユトーピアなどをあげました。正直言ってこの人物のことは今回の会に参加するまでよく知りませんでしたが、今後注目してよい人物の一人のような気がします。
# by pastandhistories | 2016-08-31 05:43 | Trackback | Comments(0)

INTHブラジル③

 今日からは順番を戻して、ブラジルでのINTH(国際歴史理論ネットワーク)について、大会初日から書いていきます。会議は基本的には基調報告と各セッションで構成されていて、基調報告が9、セッションが50。基調報告についてはすべてがビデオに収められており、おそらくネットで後日公開されると思うので、基本的には自分が参加したセッションを中心にここでは紹介します。ただ今回の報告について言えることは、前回以上に発表者の国にヴァリエーションがあり、けっこうグロービッシュが聞き取りにくかったこと。たとえばある人の発表でカールとさかんにいうので、何故ここでカール・シュミットが出てくるのかと思っていたら、デイヴィッド・カーのこと〈E・Hではありません)。ようするに南米のスペイン語系の人なので、語尾のアールをきっちり発音するためです。ブラジルの人(ポルトガル語使用者)も結構いわゆる日本でいうローマ字式の発音をする。慣れ始めるとわかるのですが、最初は結構苦労しました。
 言葉の問題でいえば、自分の認識不足をあたらめて感じさせられたのは、会場に出店していた書籍販売ブース。5つくらいの出版社がきて、かなりの数の書籍を販売していました。新しい本があれば買っておこうかなと思っていたら気づいたのは、すべてがポルトガル語なこと。当たり前です。ブラジルの出版社なわけですから。自分にとっては、買っても読めない。と思いつつ眺めていたら、その多くが翻訳で、日本で出されているものと随分と共通していることに気づきました。これも当たり前で、人口は日本を超えていて、ポルトガル語には日本語以上のマーケットがあるからです。そしてさらに残念に思ったのは、そうした大きなマーケットに対して日本の研究者の仕事はほとんど翻訳されていないということです。グローバルというのなら、英語だけでなくそうしたマーケットに対しても通用する議論が本当は必要なはずです。
 さて具体的な議論について話を進めると、最初のキースピーカーはストックホルム大学のハンス・ルイン。包括的なホワイトのPractical past 論に至るまでの哲学史で、今回は基調報告だけではなく、セッションでもそうしたものが多かったようですが、彼が強調したことは、歴史はnecropoliticsであるという議論。要するに死者を取り扱う議論だということです。今回の会に関してそれほど多くはなかった実際の歴史研究者の感想は、歴史哲学者の議論に、実際の歴史研究との接点への問題意識が少ないということが共通していましたが、正直言ってルインの議論にもそうしたことを感じました。
 逆に、自分がルインの基調報告に次いで行われたセッションで提示したのは、言語論的転回が歴史研究に具体的にどうかかわるのかという問題、それを今年書いた、「チャーティスト運動の物語方、分析の仕方」で議論したことをふまえて発表しました。7つのセッションが重なり〈翌日の朝は13ものセッションが重なった)、参加者は多くありませんでしたが、逆に自分に関して関心のある研究者と新しく知りあうことができました。国際会議の意味は、そうした点にもあります。
# by pastandhistories | 2016-08-30 12:11 | Trackback | Comments(0)

INTHブラジル②

 朝6時にホテルを出て、自宅についたのが今朝10時。全部で40時間を超える長旅。行きもほぼ同じ時間。「行きたしと思へど、あまりに遠し」はヨーロッパではなく、今ではブラジル。さらに開催地は、リオデジャネイロから遠く離れた山の中、世界文化遺産のオウロプレト。石畳の急な坂道が続く場所。今回はその文化遺産に頭をぶつけて負傷(急坂で躓いて転んで)。そんなアクシデントもありましたが、「有」事帰着しました。
 しかし会では大きな成果がありました。大会のテーマは既に記した The Practical Past に On the advantages and disadvantages of history for life という副題がついたもの。日本でも既に翻訳があるヘイドン・ホワイトの「実用的歴史」に即して、歴史の理論的問題を考察することがその意図。会の中心的組織者だったのはベルベル・ビーヴェルナージュと地元のマルセロ・デ・メロ・ランゲルです。キーノートのスピーチの司会はその多くをベルベルが担当しました。
 流れを最初からの順番でクロノロジカルにそったかたちでも良かったのです、今日もまた時間の都合で、かつ記憶の新しいところということで、やはりベルベルが司会した26日午後の総括的な最終的総会を紹介すると、この会のパネリストは、エステヴェオ・マルタン、マリア・イネス・ラ・グレカ、アラン・メギル、イーサン・クラインバークの4人でした。それぞれは5分ということで、会の内容を総括。
 エステヴェオは現在歴史が多様な方向に向かっていることを前提に、それらを本当に網羅的に羅列。羅列の中に思想性を感じさせるところもありましたが、そうしたことにあえてこうした場で踏み込まないのが彼の個性なのだと思います。次のマリアは包括的な問題提起、ネットワークの可能性や、ディシプリンとフレームワークを超える歴史研究の必要をしました。非常にアクティヴな議論をする女性研究者です。上記二人に対してアラン・メギルは会議の個々のセッションでは多くの発言者が基本的な前提としていたhistorical past, practical past はミスコンセプションであると批判。一つ一つの問題を厳密に考えたうえで議論を次に進めるべきだとする彼らしい問題提起。イーサンもやはり議論を聞いて、practical past ということを明確には理解できないところがあったとして、会議のなかで安易な比較論的議論があったのではということを問題としました。
 ということで最後の全体総括はそうした批判的問題提起をふまえて次に進むと思ったのですが、いざフロアーからの発言を求めると、儀礼的、図式的、自己アピール的な発言が続いて議論は発展せず、イーサンが壇上から再度現在学問的な、あるいは一般の人々の間に起きている歴史への自覚が必要だという問題提起をしたのですが、これも広がらず。前回の会を紹介したときに書きましたが、前回は最終日は大荒れ、キース・ジェンキンズやサンディー・コーエンがフロアから発言し、同じくイエルン・リュ-ゼンがフロアから長々反論したためですが、その前回とは異なった穏やかな終幕でした。
 この前回の最終日の議論は、他のキーノートスピーチとともにネットでオンライン化され、一時期は見られるようになっていたので、もし今回もそうしたかたちをとるのなら、ここでの詳しい紹介は不要になりそうですが、そうしたことを踏まえながら、明日からはセッションの照会を含むかたちで、今回の会を紹介していきます。
# by pastandhistories | 2016-08-29 22:24 | Trackback | Comments(0)

INTHブラジル①

 これから朝6時のバスで、延々2時間かけてぺロオリゾンテの飛行場へ行かなければならないので、時間的に十分書ききれるかわかりませんが、今回のINTHについての報告を書いていきます。一言でいえば貴重な経験でした。なんといっても普段は接触する機会がほとんどない南米の歴史研究者、ブラジルをはじめ、アルゼンチン、チリ、メキシコなどの中南米の歴史研究者の状況を本当に部分的ではあるけれど知る機会を得ることができたことです。会そのものは、タイトル に The Practical Past という言葉が取り入れられているように、言語論的転回「以降」の歴史研究についての問題を議論していくもので、ホワイトの議論にとらわれすぎたものも多く、やや飽きるところもあったけど、後半になると議論が煮詰まって興味深い問題提起もありました。
 その一つが順番は逆になるけど、デ・グルートが行った最後のキースピーチです。これは彼のパフォーマンス能力を含めて圧巻でした。簡単に言えば遺伝子工学を歴史に取り入れることをテーマとしたものです。放射性炭素による年代測定が歴史研究では常識化しているように、技術的な発展を歴史研究に利用することは当然で、DNA分析も当然一つの有力な方法です。残されている割合の多い王侯貴族の遺体からDNAを分析すればいろいろなことがわかる。すでにそうしたことがリチャード3世をはじめとした多くの人物について取り入れられている。血統的なことだけでなく、肉体的特徴、あるいは精神的気質も読み取れることができるかもしれない。そのことによって文書的史料に依存した仮説を再検討することができる(もちろん死体の取り扱われかたに関しては、別のキースピーカーが話題にした問題で、この点はまた後で記します)。 
 これだけならある意味では当たり前の発想ですが、デ・グルートはこれをさらに広げて、遺伝子工学を含む科学的研究を媒体とした種としての人間分析をさまざまな形で取り入れていくことが、歴史研究に大きな変化をもたらすだろうことを指摘しました。主観的な、文書的史料の分析しがちであった歴史研究への批判としてです。あるいは言語論への批判としてです。
 さらに会場を沸かせたのは、デ・グルートが自分の遺伝子分析を提示したことです。名付けて De Groot Ethnicity 。そしてそれを地図のうえに明示しました。以前このブログでアリスン・ライトのファミリーヒストリー論にふれて自分の祖先を世界史地図のピンで打っていくと、ナショナルヒストリーとは全く異なった、パーソナルヒストリーを図示できるということを紹介しましたが、それと同じ議論です。この問題をデ・グルートはさまざまな概念を示しながら、きわめて論理的に論じました。もう時間がないので、それらのすべてをここで紹介できませんが、個性的なアイディに満ち溢れた議論でした。

# by pastandhistories | 2016-08-27 17:24 | Trackback | Comments(0)

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