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行間を読む想像力

 今日からは23日の会に備えてヘイドン・ホワイトのもちいている言葉について本当に基本的なことを二、三メモ的に書いていく予定だったのですが、昨日渡辺賢一郎さんと見市雅俊さんが「歴史とマンガ」についての報告をした「歴史と人間」研究会に参加したので、それへのコメントを書いておきます。
 まず会でしたコメントについての補足と訂正。『少年マガジン』『少年サンデー』がオリンピックと共に刊行されたというコメントがあったので、それは1959年だということを発言しました。実はこの経緯は一週間ほどの『朝日新聞』の特集記事でも丁寧に書かれています(この記事には、一時期450万部を超えていた『少年マガジン』ンも発行部数は現在では100万部前後、『少年サンデー』は35万部前後だという興味深い事実も書かれていました。なお『少年マガジン』の発行部数が100万部を超えたのは、大学生を読者層にした1960年代後半です)。
 その時、女性の歴史家と同じように女性漫画家は当時はいなかったと述べましたが、これは誤り。長谷川町子さんがいたからです。あるいはそれ以前には上田とし子さんという漫画家もいたはずです(『あんみつ姫』は倉金章介という男性作家でした。訂正しておきます)。しかし、現在のように多くの女性漫画家がいなかったのは事実。渡辺さんの報告にもあったように、花の49年代といわれる女性漫画家が輩出するようになったのは、これはコメントでふれましたが雑誌『COM』(1967~1971)の新人賞への公募者の中から、竹宮恵子さんをはじめとする漫画家が育ったからです。その審査員の一人だったのが水野英子さんだったと思います。水野さんはトキワ荘グループの一人で、手塚治虫との関係が深く、画風も似ていた人です。
 これもコメントでも話しましたが、当時は仕事のない新人が少女漫画を描くということがありました。その代表が、赤塚不二夫が『秘密のアッコちゃん』を描いたことです。それ以外にも大物男性漫画家が少女漫画を描いた例があります。いうまでもなく手塚治虫の『リボンの騎士』、横山光輝の『魔法使いサリー』です。こうしたことが起きたのは、やはり既にふれたように、女性漫画家が少なかったこと、そしてなによりも少女漫画というジャンルがそれほどの読者層を持っていなかったからです。新人が少女漫画を描いたのは原稿料を安く書かせることができたから、著名漫画家が描いたのは、少女向け漫画雑誌の部数を拡大するための出版社の政策によるものです。
 なぜこうしたこと、つまり女性漫画家が少なかったのか、というとそれは簡単な話です。なお差別の対象下にあった女性歴史家の場合とは違って、女性漫画家の場合は、なんといっても「少女」の読者層が少なかったからです。一般の家庭の「女の子」はあまり漫画を読まなかったからです。実は「中産階級以上」の「男の子」も。ここから先はシァルティエにならって行われていくはずの漫画の「読書空間」の研究が明らかにしていくでしょうが、上・中層の家庭、いわゆる教育ママのいる家庭では漫画はあまり読まれていませんでした。エロ本と同じ悪書で、一部家庭では買ったりしたのが見つかると、大弾圧を受けました(幸いにして我が家は手塚治虫を発見したことで知られる有名な編集者であった加藤謙一さんの近所で、息子さんが中学・高校で同窓であったので・・・大学に合格したときには、翌日夫婦でお祝いにきてくれました・・・そういうことがなく漫画を読むことができました)。実は昨日帰宅後40年来の同居人に確認したところ、同居人は地方の労働者の家庭の出身ですが、大学に入るまで漫画を読んだことがなかったと言っていました。漫画は「悪書」だったからです。事実PTAを中心とした漫画追放運動が行われ、そのなかには子供から取り上げた漫画を学校に持ち寄り校庭で焼却するなどということすらありました。
 なぜ漫画が悪書だったのかというと、その論拠の一つは、文章とは違って、漫画は子供の「想像力」を育てないからというものです。文章であれば、具象化されていませんから、行間にある「事実」を想像する力を養うことができる。しかし、具象的な表現である漫画にはそれがないので、子供の知的発展を妨げるということです。このロジックをそのまま歴史に採用すると、文章によって構成された歴史(多くの歴史研究者が使用している手法)は、過去への想像力を育てるがゆえに優れているということになってしまいます。随分と奇妙な議論です。想像力にもとづくものにより意味があるというのは、多くの歴史家が嫌うヘイドン・ホワイトの議論と同じになってしまうからです。しかし、こうした議論のあり方は、ふだんそれほど疑問なく用いられ、社会的にも実体化することもあるロジックが、いかに厳密性を欠くのかということ一つの例証でしょう。漫画はこうした批判を潜り抜けて1960年代後半には、社会に大きく定着することになります。女性も読める漫画、女性が描ける漫画へとおおきく飛躍し、少女漫画、さらには女性漫画というジャンルが明確に確立したわけですが、ここいらのことは渡辺賢一郎さんの方が、はるかに詳しいでしょう。
 長くなりましたが、最後に渡辺さんの結論、歴史の多元化・パーソナライズに対して出された疑問と、見市さんが話した「日本」の歴史的まとまりということについて少し作品の例をとって補足しておきます。手塚治虫の『火の鳥』はライフワークとしてあまりに有名な作品ですが、その初期の作品である「ヤマト篇」は、歴史の本来的多様性がその一つのテーマになっています。それはこの物語が、確立期のヤマト朝廷の王子(オグナ)が大王から命じられて、ヤマトが作り上げようとしてしている歴史(『COM』に連載された最初の作品では、大王が歴史編纂を命じたさいに部下がタイトルはどのようなものにしたらよいかと尋ねると、『古事記(こじき)』でも『ヒッピー』でよいと答える個所がありましたが、この部分は後の単行本では削除されています)とは異なる歴史を書き残そうとしているクマソの王、川上タケルを征伐に行くというところから話が始まっているからです。ここに示されているのは、歴史の本来的多様性と、そうしたものを暴力的に解体することによって共同化された物語が構築されたという問題です。
 ヴィジュアルな媒体と歴史については、オーディアンスやその技術的形式を含めて本当に緻密な議論が必要でしょう。その一歩として昨日の話には興味深いポイントがありました。

# by pastandhistories | 2016-12-19 08:36 | Trackback | Comments(0)

マルクス主義と実存主義

 ヘイドン・ホワイトをヘルマン・ポウルが、社会変革への意思、実存主義からの影響という点から論じていることを紹介しましたが、実はそのことはホワイト自らが語っていることです。今日はそのことが自身によって明確に語られた文章を紹介します。 Literary & History (Spring 1998) に掲載されたキース・ジェンキンズとのインタビューの最初の方の部分です。英文そのままでもいいのですが、簡単に日本語に直しておきます。
「労働者階級として、私はつねにマルクス主義・社会主義の伝統に共鳴していました。デトロイトで私の父は流れ作業で働きました(もともとはテネシーに住んでいてホワイトはそこで生まれたが、大不況で父親が職を求めてデトロイトに移った・・・訳注)。私自身も工場で働きました。私たちは皆労働組合(labor union)の人間でした。しかし、あなたも知っているように、アメリカの労働組合は、イングランドの労働組合のようなものではありませんでした。大学にいた時、私は『ニュー・ステーツマン』を読んでいました。そしてイギリスの社会民主主義の影響を受けていました。しかし、強力な共産党はなかったので、マルクス主義は大学の学問的な世界のなかにおいてだけ影響を保っていました。私にはそう思えたし、今でもそう思っていますが、マルクス主義はそのなかで人々が彼らの意味を見出し、生涯それを貫くまとまった実践として歴史について考えるもっとも重要な試みであったし、いまでもそうしたものとしてとどまりつづけています。このことが弁証法的唯物論の弁証法的側面だと私には思えます。さて、(私の)実存主義的な要素については、これは世代的なことです。私が17歳の時に戦争が終わり、突然カミュとサルトルの著作が合衆国に溢れだしはじめました。このことは、18歳から19歳の学部学生にとっては大きな興奮を引き起こすものでした。この要素は異なったものでした。私は当時哲学に興味がありました。しかし、合衆国の哲学のすべては、論理的実証主義か分析的哲学のどちらかであって、このことは私にはあまりに退屈なものでした。社会的な、道徳的な問題を扱うことはできないと思えました。そこで私は、マルクス主義を実存主義的に解釈することへと向かったのです。あなたも知っているように、私はマルクス主義が社会についての本当の科学を打ち立てたとはけっして考えませんでした。マルクス主義の主要な力は、その労働者階級のために正義への要求、倫理的な社会主義への要求にあると私には思えました。そしてそれゆえ(自らの自身の)選択と責任に強調を置く実存主義が私にアピールしたのです。」
 きわめて明確な説明です。実はこのインタビュー全体をとおしてホワイトは、自分が「大学」などとはほど遠い労働者階級の出身であって、海軍をへて、兵役経験者の優先枠で地方の小さな大学(ウェイン州立大学)に入ることができたこと、このことが自分の立場の基本的な出発点であることを述べています。既に何度か指摘しましたが、こうした出自と世代的経験がホワイトの思考の原点です。およそ「ファシズム」とはほど遠いものです。そのことはこうしたホワイトの思想的出発点からも理解できるはずです。

# by pastandhistories | 2016-12-15 22:14 | Trackback | Comments(0)

1960年代の意味

 ヘイドン・ホワイトは1928年生まれですから1960年代は彼がほぼ30代の時期ということになります。すでに学生の時期は終えていたわけですが、'The Burden of History' が1966年、Metahistory は1973年に刊行されているわけですから、やはりこの時期がホワイトの歴史家としての転換点となったと考えてよいでしょう。
 1960年代の運動は広く文化的な要素を考え合わせれば実に多様な内容を含んでいたわけですが、政治的なレベルに焦点を当てれば、公民権運動やフェミニズムのように差別されていたものへの「権利」付与の要求、そしてヴェトナム戦争に対する反戦運動がその軸となります。さらに大学の問題に焦点を絞れば、学問の中立性や客観性をたてまえに制度化された研究・教育に生じていた権力的なものとの癒着、それを支えたものの一つが専門化と、専門化をとおしての学問的世界の階層秩序化であったわけですが、そうしたものへの批判でした。
 このように考えればホワイトの議論が、1960年代に多くの若者が受け入れた political engagement を継承し、そうした立場から「学問の中立性や客観性をたてまえに制度化された研究・教育に生じていた権力的なものとの癒着、それを支えたものの一つが専門化と、専門家をとおしての学問的世界の階層秩序化」を批判するものとして進められた、時代の情況にきわめて対応したものであったと考えることができます。それがなぜ日本では受け入れられる事が少なかったのか、それは日本の歴史研究が、もちろん「下から歴史」として一部では女性史研究の活発化、あるいは一時的には社会運動史の活性化のような進展を示したにもかかわらず、その多くが「既存の進歩主義的思考」をそのまま無批判に継承するかたちで、実証に沈潜化していったためでしょう。カーが受け入れられつづけ、ホワイトの問題提起がほとんど議論の対象ともならなかったのはそのためだと自分は考えています。
 ホワイトがこうした現状に強い批判意識を抱いていることは、最近ではpractical past 論をとおして、'history, practice left out' を強く批判していることからも理解できます。ヘルマン・ポウルはこうした理解からホワイトを論じているわけです。自分もまたそうした立場から、ホワイトの提起した問題を歴史研究者はもう少しきちんと議論していくべきだと考えています。

# by pastandhistories | 2016-12-13 18:07 | Trackback | Comments(0)

liberation historiography

 ヘルマン・ポウルのヘイドン・ホワイト論の紹介の続きを書くと、この本の大きな特徴の一つは以前も紹介したことがあるように、ホワイトに対するカミュやサルトルなどの実存主義の影響を重視していることです。時代的にはこのことは別にそれほどおかしなことでありません。1960年前後にはカミュ、サルトル的な実存主義がリベラルな思想や批判的マルクス主義と結び合うかたちで、世界的に様々な領域で影響を与えていました。日本でも、たとえば丸山真男はサルトルの戯曲を素材にした政治論を書いていますし、やや揶揄的な響きをありましたが、「マル存主義」という言葉も語られていました。個人の意志的自由を何よりも重んじる立場から、ホワイトもまたそうした立場に立っていたととポウルは考えているわけです。こうした理解から、ポウルは「解放の神学」(liberation theology) をもじって、「解放の歴史学・歴史叙述」(liberation historiography) がホワイトの目指したものであったと繰り返しています。
 またポウルは、もともとはヨーロッパ中世史の研究者でありマックス・ウェーバーの考えを取り入れてその分析をしていたホワイトが次第に歴史理論に関心を移して行く過程のなかで、彼に大きな影響を与えた歴史家としてクローチェの名をあげています。さらにはコリングウッドの名をあげています。さらにはアメリカの歴史家であるベッカーヤビアードの名前も挙がっていますが、同じように彼らの影響を受けた歴史家の代表的人物と言えば、もちろんE・H・カーです。
 その意味ではホワイトとカーは同じ系譜上に位置していると考えることができます。随分と意外感を感じさせる話です。なぜならカーの『歴史とは何か』にいまだに日本の大学で20世紀後半を代表する歴史研究の入門書として取り上げられているように、多くの歴史家に「肯定的」に受け入れられているからです。ホワイトの理解のされ方とは随分と異なります。
 ポウルがホワイトの考えを liberation historiography と呼んでいるように、ホワイトの考えは現状への批判を内在させた、ある意味では「進歩的」なものです。にもかかわらず、なぜ日本ではホワイトとカーとの間にこれほど大きな受け入れられ方の違いが生じているのだろうかという問題はきわめて興味深い問題ですが、この問題についてはまた明日書きます。

# by pastandhistories | 2016-12-12 22:50 | Trackback | Comments(0)

社会変革への夢

 11月は海外に行ったわけでもないのに、久しぶりに随分と記事を書きました。12月はこれまでのところ、12月23日の会、「ヘイドン・ホワイトの今」について書いた程度ですが、随分とアクセスがあります。その反応に対応するかたちで会への参加者が多いことを期待していますが、それ以上に質の高い議論ができればと考えています。その準備としてホワイトについて、会の予想される内容にそう記事を事前に二、三書いていくつもりです。最初は、単著のホワイト論としては現在の段階では評価されてよいヘルマン・ポウルの White (2011) の紹介からと思います。今日はこれから昼過ぎに会合が一つ、それが終わるとピヒライネンとの打ち合わせ(報告内容の確認など)があるので、その前に先週報告したことに関係させながら簡単に書いていきます。
 先週の報告のタイトルはもともとは「下からの歴史の今」というものでした。話の内容を準備していた時にディペシュ・チャクラバルティが昨年行った Scale of History という話の内容を知ることができたので、それをベースに予定を少し変えてマクロヒストリーとミクロヒストリーに関わることを論じてみました。
 そこでも触れましたが、一方ではデイヴィッド・クリスチャンらのビッグヒストリー論、他方ではギンズブルグの論文集が翻訳され、そのそれぞれが新聞の書評欄で紹介されているように、マクロヒストリーとミクロヒストリーをめぐる議論は、現在の歴史研究の一つのトレンドです。もっともチャクラバルティはこうしたかたちで議論を整理することにやや批判的です。その理由は、両者が結局はいずれも「欧米的な歴史研究」における議論だと彼は考えているからです。こうした批判に対しては当然のことながら現在の新しい流れは、欧米中心的な視点を反省し、それぞれ、よりマクロ的な、あるいはよりミクロ的なパースペクティヴを持つものである、という批判がでそうです。しかし、チャクラバルティの立場はそうした予想される批判をふまえるかたちで、それらに対して agency の問題を対置し、あくまでも社会を変革する可能性のある歴史学という視点から議論を進めています。そのさいにそうした立場を支える議論としてあげているのが、E・P・トムスンとヘイドン・ホワイトです。
 日本ではそうした議論が受け入れられることはあまりありませんが、ポストコロニアルな歴史論の代表者であるチャクラバルティのこうした認識にあるように、ポストコロニアリスムと批判的マルクス主義、そして言語論的転回はきわめて親和的なものです。実はヘルマン・ポウルのホワイト論の結論の一つは、White showed his continued indebtedness to a 1960s New Left kind of Marxism ・・・ White did not stop believing that history ought to inspire dreams of social change (p.149) というものです。そうした社会変革の主体を、構造化された歴史認識の内部に置くのでなく、より幅広い人々であると考え、下から、あるいは周辺から歴史に関わる問題を考えていくということが、チャクラバルティ、トムスン、ホワイトに共通していることです。違いはホワイトがもっとも強く個人という問題を前面に出しているということです。
 ホワイトの歴史論というのは、個人を単位としたきわめてミクロ的なものです。ギンズブルグとの違いは、ホワイトの力点が歴史を認識する側に、つまり「現在」の、パーソナルな、historical consciousness におかれているのに対して、 ギンズブルグの力点は「過去」に生きたミクロ的な存在に対する認識に置かれているという点です。過去の事実を実証するということが歴史学の目的なら、歴史学という場においてはギンズブルグは優位にあります。逆に実証的な歴史家として出発したホワイトがなぜ研究対象を理論的な問題へと移していったのかというと、それはヘルマン・ポウルの指摘にしたがえば、ホワイトが1960年代の経験を前提に、現状への強い批判意識、社会変革の可能性への夢を生涯持ち続けた研究者であったからです。
# by pastandhistories | 2016-12-10 07:43 | Trackback | Comments(0)

ホワイトからのメッセージ

 12月23日の会に対して、ホワイトに可能であれば short message を送ってほしいと依頼したところ、さっそく以下のようなメッセージを送ってくれました。やや個人的な内容も含まれていますが、「会」へメッセージとして頼んだものですので、ここに公開しておきます。23日は多くの人の参加を期待しています。

  Thanks you for your kind note. It is a great honor that your colleagues are holding a conference on my humble work. I am also pleased to learn that your colleagues are translating certain of my works. I hope that this work is not already outdated. Anyway, I am honored and pleased to know of your interest in the topics on which we are working. I think that globalization has eroded much of the basis of traditional Western historiography as a foundation of national identity. I will be much interested to know of the outcome of current work of historical theory in Japan. Please convey my thanks to your colleagues; and thank you as ever for your friendship in our common work. Sincerely, Hayden White
# by pastandhistories | 2016-12-05 09:51 | Trackback | Comments(0)

12月23日

 すでにここで予告してあった12月23日(金)に関して、先週半ばからこれまでの参加者や各方面へのポスターの配布をしました。すでにペーパーの一部は届いていますが、当日の討論を十分に期待できるものです。以下、その通知内容を貼っておきます。なお開始時間は13:30(開場13;00)、場所は東洋大学白山校舎2号館、16階スカイホールです。

  東洋大学人間科学総合研究所の招きに応じてヘイドン・ホワイトが来日して以来、7年がたちました。以後もヘンドン・ホワイト自身は積極的な著作活動をつづけ、その成果を2014年に刊行された最新論文集 The Practical Past や、『思想』2016年11月号において訳出された「歴史的真実、違和、不信」などをとおして明らかにしています。海外でのホワイトに対する評価も活発で、欧米を代表する歴史理論研究者のホワイト論を集めた Philosophy of History : After Hayden White, edited by Robert Doran が2013年に刊行され、また単著としては、Herman Paul, White が2011年に刊行されました。また2014年65-1号のStoria della Storiografia においても、ヘイドン・ホワイトについての特集が組まれています。
2009年の来日講演、さらに翌年刊行された『思想』特集号(「ヘイドン・ホワイト的問題と歴史学」2010年8月号)は、歴史研究者を刺激することが多く少なからぬ反響を生みだすことができました。今回東洋大学人間科学総合研究所は、平成28年度井上記念大型研究助成プロジェクト「歴史研究の新展開とグローバルシティズンシップ」の一環として、「歴史的真実、違和、不信」の訳者であり、またホワイトの代表的論文、’The Burden of History’, ‘The Historical Text as Literary Artifact’ などを集めて来年3月に作品社から刊行される予定のホワイト論文集『歴史の喩法』の訳者でもある上村忠男氏、Storia della Storiografia のホワイト特集号の編集者であり、来年8月にホワイト論の刊行がラトリッジ社から予定されているカレ・ピヒライネン氏を招き、「ヘイドン・ホワイトの今」と題した公開セミナーを同封のポスターの内容で開催することとなりました。議論を充実したものとするために、賛否を含めてヘイドン・ホワイトが提起した問題に関心のある多くの方々の参加をお待ちしております。
なお本研究所では、プロジェクト「歴史研究の新展開とグローバルシティズンシップ」の今年度最後の試みとして、2017年2月23日(木)、25日(土)の両日に、第二次大戦後の都市建築史の研究者であり、同時にヒストリーワークショップ運動の新しい担い手として期待されている若手研究者ニック・ビーチ氏(クイーンメアリー大学)を招いての公開研究会を予定しております。詳細は後日となりますが、この機会にあわせてお知らせする次第です。


# by pastandhistories | 2016-12-03 18:54 | Trackback | Comments(0)

トランスナショナルヒストリー

 この間グローバルヒストリーの言語的意味について少し書きました。この言葉は本当に盛んに使用されるようになっています。他方トランスナショナルヒストリーという言葉の使用は、むしろ下火になっているようです。インターナショナルという言葉と同じく、「ナショナル」という枠組みが前提とされるからでしょう。
 実は自分は運営していたプロジェクトには「トランスナショナル」という言葉を使用していました。グローバルヒストリーという言葉を個人的に使用したことがありますが、それは批判的な意味内容においてです。
 トランスナショナルはカタカナ語ですから、どう訳すのかを考えたことがあります。色々な訳し方を探していたところ、「越」国家的という訳に出会いました。厳密にこの訳が適合的かは今後議論があるでしょうが(といっても、実際にはトランスナショナルという「訳語」がそれほど議論なく受け継がれていくと思いますが)、この訳し方は、トランスナショナルという言葉をもちいて今、何を議論していくべきかを示唆しているところがあります。
 グローバルヒストリーをナショナルヒストリーに対して図式的に用いるのは、「現実」との関係を考えれば、大きな論理の飛躍があります。グローバルという言葉をもちいたからといって、いきなりそうした枠組みに、個人の存在や思考が全面的に移行するわけはないからです。
 たとえば研究者の多くは、なおナショナルな枠組み、自分を取り巻く社会的・文化的環境の中で、日本語を媒体として思考を組み立てています。ときおり英語で文章を書くからといっても、それは自分を拘束していたものを「越えて」他の座標軸をもつ場に多少の移行を試みたにすぎません。そのようなかたちでナショナルな枠組みを「越えた」としても、いきなり普遍的な場に入れるわけではありません。
 現在では多くの外国史研究者は留学というかたちで、国境を「越えて」います。その期間は、1年、3年、5年、あるいはそれ以上かもしれません。しかし、それでもなお、長い研究生活において「数量的な評価をすれば」、ナショナルな枠組みを一時的に「越えた」に過ぎません。そのわずかな経験が、自らをグローバルな存在とさせていると論ずるなら、そこにも論理の飛躍があります。実際には、自分が研究対象とした「ナショナル」な枠組みと、自分の出自である日本というナショナルな枠組をあわせた、かつ後者になお力点が置かれたトランスナショナルな場に、自らが位置するようになったということでしかないからです。
 別に研究者に限らず、個々の人間とグローバルなものとの関係は、個人個人が少しづつナショナルな枠組みを「越える」経験をするなかでで成立しているものです。人々は、いきなりグローバルなものに全面的に対峙しているわけではありません。その意味では、トランスナショナルヒストリーという考え方は、グローバルヒストリーより地についたところがあります。ナショナルヒストリーの現在的意味、そしてそれがドどのようなかたちで、相互的に交錯し始めているのかということを、問題として取り上げるることができるからです。もちろん、現在ではグローバルヒストリーとして総称されるようになったものも、実際にはナショナルのものの、比較(comparison )と結合(coneection)をその議論の前提としていることも事実ですが。
# by pastandhistories | 2016-12-02 11:00 | Trackback | Comments(0)

グローバルヒストリーの言語論的意味

 言語論的転回の意義は、言語が指示する対象(あるいは事実とされるもの)を必ずしも忠実に表すものでなく、その言葉が使用されるコンテクストや使用する人々の意識によって規定されたものであることを明らかにしたことです。
 たとえばこのことは、昨日も少し触れた global history の訳され方でも理解できます(というよりほとんどの言葉の訳され方にも共通しているかもしれません)。 global history はグローバルヒストリーと訳す(?)のが定訳化しましたが、中国語では全球史と訳されています。つまり日本語で地球史と訳すこともできます。地球は日本語を理解できる人なら誰でも知っている言葉ですから、むしろ地球史と訳したほうがいいかもしれません。グローバルヒストリーではそれを理解できる人は少なくとも高校生以上に、一般には大学生以上に限定されます。その意味ではグローバルヒストリーはあえて対象を限定した言葉です。
 グローバルヒストリーは対象を限定しているばかりでなく、実は意味内容を限定しています。地球史であれば、本来 global history が含意していた、地球の歴史、たとえば環境や気候の歴史、他の生命体との関係の歴史といったニュアンスが前景化し、逆に政治史・経済史的要素は後景化します。後者の問題は world history (世界史)としてこれまでも十分に論じられてきたことだからです。それをあえて global history として論じる必要は本来はあまりないからです。
 昨日も書きましたが、そうしたなかで world history に代えてあえて global history がもちいられ始めたのは、自己中心的な傾向のあった world history (欧米においては当然西洋中心主義的な世界史観)に代えて global な、つまり「地球」の歴史という言葉をもちいて、自らを相対化しようという意識が欧米の歴史研究者に生じ、それが一般的にも受け入れられるようになったからです。欧米のglobal history の研究者の少なくない人々が、本来はアジア研究者’であったり、イスラーム研究者であるのはそのためです。日本でもグローバルヒストリーの論者に、(英語のできる)アジア研究者、イスラーム研究者、さらにはアジア地域の世界経済における役割を強調する研究者が多いのも、そうした欧米側からの関心とマッチするところがあるからでしょう。
 しかし、現在の日本における global history 論におけるアイロニーは、それがグローバルヒストリーとして語られることが定着したことです。より以上に定着しているグローバリゼーションという言葉が、現在の日本の社会というコンテクストの中でどのように用いられているのかを考えれば容易に理解できるように、カタカナ語であるグローバル、グローバリゼーションという言葉は、欧米的なものへの同調を含意しています。たとえば「大学のグローバル化」は、英語授業を50%にすべきだとか、教員採用は英語での講義能力を条件とすべきだというような拙劣な議論(というよりそれがすでに実行されていること)と結びついています。つまり、 global history がグローバルヒストリーとして定訳化されるようになったことには、欧米的なものを前景化し、地球的なものがものを後景化するという、現在の日本の歴史研究者の意識が映しだされています。
 これは global history が本来意図していたものとは異なっています。その意味ではグローバルヒストリーは誤訳であるかもしれません、しかし、同時にグローバルヒストリーという言葉は、そうした言葉が一般化するようになった現在の日本の社会というコンテクストや、それを使用する歴史研究者の意識を反映するものとなっていると言ってよいかもしれません。だからこそ、この言葉を使用したほうが、本を売りやすいし、研究費も取りやすいわけです。残念なことですが自戒を込めて。
# by pastandhistories | 2016-11-29 09:37 | Trackback | Comments(0)

グローバルヒストリーという言葉の連れ合い

 先日「グローバルヒストリーズ」の会合に参加してくれたドミンクザクセンマイヤーに指摘によると、グロ―バルヒストリーという言葉の初出は、1962年のハンス・コーンによるものです(Dominic Sachsenmaier, Global Perspectives on Global History, p.68)。グローバリゼーションはより一般的な言葉で、現在の意味内容とは異なる意味で早くからもちいられていたという例を指摘できますが、一般的にもちいられ始めたのは1960年代、その使用が本格化するのは1980年代から1990年代にかけて、グローバルヒストリーという言葉の使用はもっと遅くてその使用が一般化するのは1990年代、本格化は2000年代としてよいでしょう。何度か書いてきたように、新しい言葉です。その意味では新しい「状況」に対応したものです。
 グローバリゼーションとかグローバルヒストリーという言葉は、これらと同じ時期に使用され始めた新しい言葉は何であったのかということを考えると、その言葉が内包している問題を理解することができます。ほぼ同じ時期に用いられ始め、その使用が一般化した言葉は、意外と普段は気づきませんが、オリエンタリズム、ポストコロニアリズムという言葉です。このことが意味していることは、グローバリゼーションとかグローバルヒストリーという言葉は、(それが英語であることからも分かるように)欧米の側が、西洋中心主義な視点を内在的に批判するものとしてもちいはじめたものであるということです。
 したがってグローバリゼーションという言葉と同様に、グローバルヒストリーはその本来の言葉の意味として、西洋的な視点だけではなく、非西洋的視点を歴史理解に取り入れようとする視座を含むものです。ザクセンマーヤーが、グローバルヒストリー論にも内在するハイアラキカルな不平等性を問題としたり、言語論的なアプローチをとるグローバルヒストリーの論者が、グローバルヒストリー研究を英語に一元化したり、あるいは翻訳にある不平等を問題とするのも、そうした流れがグローバルヒストリーがその立脚点としたものとは乖離する方向にあることに批判的だからです。
 実は早い時期にグローバリゼーションに関する教科書的な本を翻訳したときに、最初の原稿ではそのすべてを地球化と訳しました(したがって最初のゲラはそうなっていました)。地球化と訳せば、日本語ですから個別性、つまり globalization という言葉が前提的に内在させている多様性をそこに含意できる、グローバリゼーションでは結局は西洋中心主義的な思考への同化を含意することになってしまうと考えたからです。しかし、日本社会のあり方から考えて、結局は圧倒的に(かつ無批判的に)定訳化するであろうというグローバリゼーションという訳語には逆らえないだろうと判断して、最終的にはそれを採用することにしました。
 このことはグローバルヒストリーについても同じです。グローバルヒストリーを論じるさいには、この言葉が出発点においてもっていた意味、つまり西洋中心的な世界理解、アカデミックラダーへの批判を持ち続けることが必要だと思います。「世界史」に代えてどうしてもグローバルヒストリーという言葉をもちいたいのなら、そのことは最低限の前提です。
# by pastandhistories | 2016-11-28 12:34 | Trackback | Comments(0)

歴史の地位

 おととい歴史研究に関する小さな会合があり、少人数ということで気楽に色々なことを話しました。その時話題として提示したことの一つは、歴史(学)の地位という問題です。
 ヘイドン・ホワイトの初期の有名な論文は「歴史の重荷」(The burden of history・・・「歴史の負荷」と訳してもよいかもしれませんが)) というタイトルです。このタイトルは、この論文が書かれた頃(1966)に歴史が人々の「重荷」であるほどの高い地位にあったことを示唆しています。ちょうどこの頃自分は学生で、学友会という名称であったサークル連合の仕事を手伝っていました。9人の理事によって運営され、サークル連合の組織ということですから、文化系サークルから3人、運動部系から3人、くわえて一般学生からの代表ということで各クラスから選挙人を選び、その選挙人によって選ばれる3人、のあわせて9人が理事です。完全学生自治の時代ですから、各サークルに分配される予算の作成権やサークルが使用する施設の利用割り当てなど、現在の大学では考えられないような強い権限が、わずか9人の学生によって構成される理事会にありました。
 実はこの理事に関して、文科系サークルから選ばれる理事の3人のうち2人は、歴史学研究会と社会科学研究会からということがなかば恒常化していました。運動部も一つは、これは伝統もあり、予算がかかるということで、ボート部からの選出が慣例となっていました。それくらい「歴史学」と名のつくものは、権威があったということです。当然のことのように、各大学(さらには各高校)の「歴史学研究会」「社会科学研究会」の集合体である「全国歴研」「全国社研」という組織もあったはずで(今はもうないかもしれませんが)、そのの知的権威はかなりのものであったはずです。
 これはその当時の政治運動にも反映されていました。このブログで法学部学生であった山田洋次監督が学生時代には歴史学研究会に所属していたことに触れたことがありますが(本人自らが時々語っています)、また同じくこのブログで触れたことのある『されど我らが日々』も作者の柴田翔さんは文学研究者ですが、扱われているのは歴史学研究会です。なによりも歴史学研究会は、たとえば東大ではそこから運動の実質的な最高指導者(その当時では共産党学生細胞の指導者)が輩出する組織でした。ここでは名前を上げることを避けますが、その中から後に高名な歴史研究者となった人もいます。したがって学生歴研での議論の対立は、しばしば左翼的運動の分裂の契機ともなりました。それくらい歴史学には権威があったわけです。そうした権威を支えるために、歴史学は「全世界の発展法則」を問題とせざるをえませんでした。同時に歴史学は文化的領域の中では、そうしたビッグテーマを議論しようとする、あるいはすることのできるもっとも優秀な人材が競い合う場所でした。
 はたして現在の歴史学がそういうものものであるかというと、そうではないと断言できます。歴史学が人文的分野で占める地位はおおきく後退しました。正直言って中堅若手研究者に関しては、社会学分野の方がはるかに優秀な人材を要しています。彼らがそれなりの対社会的発言権を確保しているのに対して、現在の歴史研究者の役割は、個別的な事件に対してせいぜいエピソディックな解説を加えることだけでしょう。こうしたなかで、「歴史学」の歴史のなかで占める地位も後退しています。そのことは教科書問題などをとおしても明確です。
 自らを権威化することは必ずしも望ましいことではありません。しかし、歴史に関わる人々は、やはり社会の中における自らの地位の後退にもう少し自覚的であるべきでしょう。そしてそうした後退が、自らに内因したものかどうかを考え、もしそれが自らに内因しているものなら、その克服する方法を考えていくべきです。
# by pastandhistories | 2016-11-27 10:22 | Trackback | Comments(0)

超歴史

 可視性というテーマをこの間書いているのは、それと歴史との関係を考えるためです。土地問題を例にあげて説明したように、不平等は可視的なものです。したがって「現実」の社会の批判、変革を求める意識や運動の重要な契機です。しかし、可視的なものにもとづく主張がなぜ認められないのかというと、それは「現実」が歴史に根拠をおくもとされるからです。たとえば土地をめぐる不平等は、起源においてはその多くが暴力的な関係によって形成されたものであっても、その所有関係を記録した過去の文書をとおして正当化されつづけました。逆に言えば、そうした過去の記録を廃棄することによって、現実の不平等は初めて解決されたわけです。その意味では記録にもとづく歴史は、現実の不平等を正当化するものでもあったわけです。
 「自然に還れ」いう主張にも典型的なように、ラディカルな主張が記録にもとづく歴史を否定する、その意味では「超歴史的」なものをその前提としたのはそのためです。あるいはユトーピアといったような想像的なものをその根拠としたのもそのためでしょう。こうした考えでは、時間的な根拠は原始とか未来といった、それまで根拠のあるものとされてきた歴史(宗教的意識を含む)の外側に置かれました(宗教との関係についてはもう少し緻密な議論が必要ですが、今回は省きます)。いずれにせよ、こうした主張の根拠にあったことは、歴史を根拠として正当化されてきた現実を、そうした歴史をさらに超える時間軸を設定し、そこから可視的な現実の不平等を批判するという考え方であったということになります。
# by pastandhistories | 2016-11-26 12:22 | Trackback | Comments(0)

ネイション・可視性・変革

ジェームズ・ヴァーノンのイギリス近現代史についての講義を閲覧し終えました。1851年、1951年、そして2000年の博覧会を巧みに話の展開に取り入れながら、自由主義―社会民主主義―新自由主義という流れで、イギリス近現代史を説明しています。流れから最後は新自由主義批判で終わるのかなと予想していたら、そうしたことは直截には語られず、講義では社会が変化をしてきたのを説明してきたのだから、今の新自由主義的な社会もまた(永久的なものではなく)必ず変化していくであろうということを、軽く示唆して話を終えています。逆にそのことに強いメッセージを感じる部分があります。
 一つのテーマとなっていることは社会民主主義の後退という問題で、そのことのいくつかの理由が挙げられていますが、その一つとして興味深いのは、労働党によって推進された社会福祉政策を主唱したのはaristocratic intellectuals である、という指摘を繰り返していることです。意外と言えば意外な主張です。おそらくこれは事実の問題というより、新自由主義と一体化したポピュリズムへ対抗するための考え方の一つとしてヴァーノンは提示してような気がします。つまり新自由主義と一体化したポピュリズムを「反知性主義」として片付けるのではなく、社会民主主義の一つの限界が上からの改革にあったという点に立って、自らを知的アリストクラシーとは別の場に位置させること、それが反知性主義への有効な批判の契機となるのではないのか、ということなのだと思います。
 もちろんイギリス史を例にとれば、労働党の社会福祉政策が基本的にはナショナルなものを枠組みをしていたことが、グローバリズムに根拠をおく新自由主義の台頭を許したということも、社会民主主義の後退の理由として論じられています。この問題は現代政治のパラドクスの一つです。何回か指摘してきたように、グローバリズムに根拠をおくとする新自由主義は、実はナショナリズムと強い一体性を持つものです。逆に移民受け入れ問題に象徴されるように、実際にはナショナルな枠組みでの制度的改革を基本とする社会民主主義は、たてまえとしてはインターナショナルな、あるいはコスモポリタンな志向性を持っています。そうしたパラドクスが、世界的に左派の後退、右派の伸長という問題を引き起こしています。
 ナショナリズムと結びついたレイシズムがなぜ影響を維持、さらには拡大しているのかという問題は、前々回書いた「可視性」の問題と関係しています。多くの迫害や差別をともなうレイシズムは「可視的」なものを媒体として行われます。ナショナリズムも近代国民国家の形成以降、様々なかたちで可視化されていきますが、nation が本来どれほど可視的であったのかというと、それについては議論が必要です。たとえば言葉の問題、このブログではチャーティスト運動というのは「ナショナル」という言葉が一般的なものとしてもちいられるようになった運動であり、その言葉をフランス革命の影響を受けてイギリスの運動にもちこんだ指導者の一人がブロンテール・オブライエンであることを紹介してきました。
 そのオブラインが主張したことの一つが「土地の国有化」、 nationalization of land です。しかし、この主張は、ロバート・オウエンの主張や、オブライエンと対立したオコナーの土地入植運動ほどの支持は得ませんでした。おそらくその理由は、19世紀の半ばにはまだ人々にとっては nation が可視的なものではなかったからです。あるいは二月革命で ateliers nationaux が失敗したように、この時期には国家がなお実体的ではなかったからだと自分は考えています(逆に実体化した20世紀には、社会民主主義は一時的に成果を上げたわけです)。
話が少しずれたところがありますが、とりわけ19世紀以降は国家的な枠組みとの関係によって、変革的な運動は大きく規定されてきました。そうした問題を考えることは、一見オルタナティヴが失われたように見える社会においてもきわめて重要なことです。ヴァーノンが結論しているように、つねに社会は変化していくものだからです。
# by pastandhistories | 2016-11-24 21:39 | Trackback | Comments(0)

可視的なもの、不可視的なもの

 今日はこれからプロジェクトの今後の打ち合わせに出かけます。今年度の予定としては、以前予告したように、12月23日に一つ、それから来年の2月23日と25日に会を行おうということで計画が進んでいるので、その最終的な確認を行うためです。12月23日については、今日その内容の決定が最終的にできれば、来週初めにポスターを発送する予定です。
 ということであまり時間がないのですが、この間書いていたこととは少しテーマを変えて書いていきます。表題にあるように、可視性について。以前ジョン・ボールの「アダムが耕しイブが紡いだとき、だれが領主だったか」という言葉を例に、この言葉が再帰的なものであること、つまりボールは自分が聖書についての知識を教えた民衆に対して、彼らが持っているそうした知識の上に自分の主張を重ねるかたちで民衆を指導したということを書いたことがあります。聖書は「過去」についての言及ですから、民衆にとっては不可視的なものです。しかし、この言葉が説得力をもちえた理由は、それが「領主」という可視的ものに結び付けられたからです。同じく可視的な「土地」をめぐる問題と結び付けられたからといってよいかもしれません。
 このことからもわかるように、不可視的なものと可視的なものとの結合は、民衆の結合にとっては重要な要素であって、とりわけ人々は可視的なものを根拠として、過去であっても、未来であっても、不可視的なものに関わる言説を取り入れていきます。「可視的」であった土地をめぐる問題が、19世紀まで民衆運動にとって重要な役割を果たしたのはそのためです。多くの農民にとって、可視的な土地制度を土地の再分配や所有形態の変更によって解決することは大きな関心でしたし、あるいは既に都市労働者となっていた社会層にとっても、共同村への入植をとおして土地を再保有することが関心の対象となります。またこうした可視的な土地問題への関心は、20世紀に入ってもロシア革命や中国革命、あるいはその他の地域の変革にとってもなお重要な役割を果たすことになります。
 自分の専門は本来は19世紀の民衆運動史、社会思想史ですが、この時代の史料を読んでいて感じることは、なお「土地」が可視的なものとして重要な役割を果たしていた時代に、マルクスはそれほど可視的ではなかった「資本」の問題を論じたということです。もちろんエンゲルスの『イギリス労働者階級の状態』がマルクスの考えの起点の一つであったように、彼の議論が都市労働者の貧困という可視的な事実を根拠としていたことは事実です。しかし、それはまだ世界的には部分的な現象でした。その意味では、マルクスの議論の先駆性はやはり評価されていいでしょう(自分はマルクスの議論を金科玉条のように扱うことには批判的ですが)。
 もう時間がなくなりはじめましたが、今日こうしたことを書いたのは、「「土地」と比較すると、「資本」はきわめて不可視的だということです。おそらくそのことが「土地」制度の変革を媒体とした政治的変革が19世紀から20世紀には生じたのに対して、「資本」批判を媒体とした変革が困難となっている理由でしょう。しかし、不可視的であるがゆえにこそ、民衆からの批判を直接受けることが少なく、またそうであるがゆえに全世界的に普遍化したこの問題を解決していくことが、現代の世界にとってはきわめて重要な問題だと考えていくべきでしょう。
# by pastandhistories | 2016-11-23 10:21 | Trackback | Comments(0)

労働者文化と大衆文化

 最近は大学の講義のオンライン化が進んでいます。もっとも日本の大学のものは、長くても1時間程度の紹介的なものにとどまっているようですが、欧米の大学のものの中には1学期分の講義を丸ごとオンライン化するものも出てきました。歴史関連でいえば、通史や思想史などについて、そうしたものを現在ではネットで閲覧することができます。
 この間、そのうちの一つ、バークレーでのジェームズ・ヴァーノンによるイギリス近現代史を閲覧しています。1時間程度の講義が全部で21回(24回のヴァージョンもあるようです)。随分と役に立つところがあります。もちろん本人(およびバークレー)の了解が必要でしょうが、サブテキスト的なものとして、日本の大学での授業に利用することができれば、学生にも役に立ちそうです。
 かなりの量だけど、時間の空いたときに閲覧していて、今日は第18回目。20世紀後半の「労働者階級」がテーマとして論じられていました。その中で紹介されたものの一つがリチャード・ホガートの『読み書き能力の効用』(The Uses of Literacy, 1957)です。カルチュラルスタディーズの嚆矢になった書物として日本でも知られています。ということですが、量的な問題もあって、また叙述も労働者の生活・文化のかなり細かい点に及んでいるので、翻訳でも読むのには結構苦労する本です。
 この本をヴァーノンが取り上げているのは、もちろんカルチュラルスタディーズとの関連もありますが、もう一つは、「読み書き能力」、つまり労働者の知的能力の向上が、一方では労働者階級としての自己認識を強めるものであったものであるのと同時に、消費的な大衆文化の受容、それへの同調をも促し、そのことが結果的には労働者階級という枠組みにあった人々の意識的分化を生み出していった。そのことが労働党政権の崩壊を受けたサッチャリズム、そしてニューレイバーという流れを生み出す一つの要素ともなったと考えているからだと思います。
 まだ見ていないので、19回目以降そうしたかたちで話が進むかはわかりません。しかし、伝統的な労働者文化と、大衆消費文化の関係、そしてマスメディアの発達と変容による人々の意識変化の問題をどう考えていくのかは、きわめて重要な問題です。そのことに、現在のアクチュアルな問題を考察していくための重要な鍵があるからです。
 ヴァ―ノンはまたこの時期のイギリス社会を象徴する(原作は戯曲だったり、小説である)いくつかの映画を取り上げています。「怒れる若者たち」の時代の作品。その一つがアルバート・フィニーが主演した『土曜の夜と日曜の朝』。その予告編の映像が紹介されています。そのなかでアルバート・フィニーはマーロン・ブランドになぞらえられているようです。もっとも髪型はどちらかというとジェームズ・ディーン。にもかかわらずブランドになぞらえられたのは、ジェームズ・ディーンの作品は、反抗をテーマにしていても「労働者」的な家庭の話でも「労働者」の話でもないのに対して、ブランドの『波止場』のような作品は、明確に労働者の日常をテーマにしていたからでしょう。
 この話は一度書いたことがあるかもしれませんが、自分がイギリスに滞在していたさいにテレビを見ていてもっとも印象に残った番組の一つは、たぶん2000年(21世紀に入る前・・・イギリスでは日本と違って、2001年が21世紀の始まりです)の、つまり20世紀の最後のクリスマスに、BBCでポール・マッカートニーが第九の指揮をした番組です。その時、マッカートニーはなぜ自分が「ベートーベンなどぶっ飛ばせ」という立場に立っていたのかを、自分は「労働者階級の出身」だからという言葉で説明しました。彼の口から「労働者階級」という言葉が「21世紀にさしかかろうという」時期に飛び出したことが、本当に印象として残っています。
 もっともさかのぼれば、本来ビートルズは労働者階級的な文化と消費的な大衆的文化がなお混在していた時に生じたものであることは、彼らがリヴァプール出身であったことや、その歌詞からも理解できます。今日紹介したような作品のやや後にビートルズは生まれたわけです。しかし、彼らはより大衆的なものとして全世界で消費されていくことになります。そしてその時期は、独自の労働者文化が後退していく時期と重なり合っていくことともなります。
# by pastandhistories | 2016-11-20 18:33 | Trackback | Comments(0)

エリック・フォーナー

 何日か前に、アメリカ大統領選挙の結果について少し書きました。メディアの事前報道のせいもあるのでしょうが、トランプ当選を意外だと感じている、あるいはそう論じる人が少なくないようです(意外だと感じ、そう論じれば、現在の社会にある問題について免責されるわけではないと思いますが)。その大きな理由は、オバマ大統領というアメリカの歴史を大きく変えた流れとは、随分と異質な人物が当選したということにあるのでしょう。
 その意味では意外ですが、しかし、むしろそれは、アメリカ社会に内在するもう一つの底流に起因していたものと言えるかもしれません。似たような問題が、南北戦争以後のアメリカの歴史に生じ、それがむしろその後のアメリカ社会を大きく規定するものとして連綿と継続してきた、と論じることができるからです。
 この問題に参考になるのが、アメリカの近現代史研究者を代表する人物の一人であるエリック・フォーナーの議論です。彼が、2009年にオバマが大統領選挙に勝利し、就任する前後の時期に行った講演では、そうした問題がわかりやすく、今回の状況を預言していたかのように説明されています。
 その中で例として示されていることは、アメリカの上院でアフリカ系アメリカ人の議員が初めて誕生したのは南北戦争後の1870年、ミシシッピーにおいてであって(現在のような直接選挙によってではありません)、それ以来アフリカ系アメリカ人の上院議員は150年ほど(アメリカ独立以来ということになると、240年ほど)の間に僅か5人、その一人がオバマ大統領であったということです。
 南北戦争は奴隷解放をめぐって行われたと教科書では、アメリカでも日本でも、説明されます。しかし、それに続いた再建期において、一時的には「黒人」とされる人々の権利が認められ、南部においても(むしろ南部だからこそというべきかもしれませんが)政治的参加も可能にはなったものの、「再建」「統一」を掲げたその後のアメリカ社会では、結局は南部の白人支配層への妥協が図られていく。そして結局は「黒人」とされる人々は「混血」の人々を含めて、ふたたび偏見と差別のもとにおかれていったわけです。そうした流れをもっとも端的に象徴したものが、フォーナーも当然指摘していますが、「黒人」による政治を戯画化して否定的に描いた、映画『国民の創生』であり、それに熱狂したアメリカ「国民」であったわけです。
 フォーナーは、南北戦争における北部の勝利という一見改革を生み出すように思われた状況が、むしろネガティヴな社会状況を生み出し、それが長期的に持続したことがアメリカの歴史における現在も継続する問題であることを、厳しく批判しています。オバマ大統領が誕生した時期に、フォーナーは、歴史研究者としての立場から、アメリカ社会になお根深く存在する底流の危険性を忘れるべきではないと感じていたのだと思います。日本にもなお「根深く存在している底流」が、トランプ当選を「意外」なものから、「望ましい」ものとして受け入れていくのなら(もはやそういう流れが生じているような気がしますが)、そのことを批判することが、歴史研究者の重要な義務に今後はなっていくはずです。
# by pastandhistories | 2016-11-19 15:35 | Trackback | Comments(0)

『ビッグヒストリー』論の可能性

 デイヴィッド・クリスチャンを中心とした『ビッグヒストリー』の翻訳が出たようです。原書は国際的にもかなり売れているようで、多分「大新聞」の書評欄にも取り上げられて、日本でもかなり売れることになるかもしれません。もっとも広告を見ると、歴史研究者から推薦文はないようです。現在の歴史研究者には、こうした気宇壮大な議論にはとまどいがあるためでしょう。
 このブログでも、いくつかの海外の学会で、ビッグヒストリー論が取り上げられはじめていることを、部分的にですが紹介してきました。自分にも戸惑いがありましたが、いくつか話を聞いていてだんだんとわかったことは、その「ビッグ」な視点には、これまでの歴史学を相対化するという点に関しては、一定の利点があるということです。
 基礎的なことから指摘していくと、まずはこれまでしばしば歴史研究においては、文字の発明で前後で時期を区分し、それ以前の時代を先史時代とする考えがありました。一時期は教科書にも記されていた考え方です。もちろんこの考え方は、非文字社会を、時間のレベルにおいて、さらには同時代の空間に存在していたものでも、「人類」の歴史から排除したものとして批判されることになりました。なによりもこうした考え方は、人類の歴史をせいぜい5000年という、きわめて短かい時期に圧縮していまうという限定性がありました。さらにはそれは「人間社会」を中心とした、「孤立した」歴史でした。
 ビッグヒストリー論の一つの意味は、こうした制約を超えたことです。人類の誕生だけでなく、その射程を地球の誕生におくことによって、人間の歴史を、地球的環境や、他の生命体との関係から考えていく(そのことのなかには、に個々の人間を生来のものとして規定しているDNAが単なる個性的なものの発現を規定しているだけでなく、はるかに幅の広い要素によって形成されてきたものであるという考えも含んでいます)、そうしたことをとおして、人間中心的な歴史観への再考を促したことです。そしてその延長として、人類が住む地球自体もきわめて微小な相対的なものとして考えていく、その究極として「ビッグバン以来の歴史」ということが措定されているわけです。
 おそらくこうした歴史観は、人間中心的な歴史観すら批判的に考えていくわけですから、ましてや国家中心的な・自民族中心的な歴史観というものが如何におかしなものかを示していく、その根拠となっていくでしょう。その意味では肯定的な要素を内在させていると考えることもできます。デイヴィッド・クリスチャンはもともとはロシア史研究者ですが、はやくからこうした問題に着目し、その先駆的な主唱者となりました。彼の簡潔な主張は、その講演の内容としてネットでも見ることができます(随分と聴衆が集まっていて、またアクセス数もきわめて多いようです)。ただその内容に関しては、結局は人間中心的な、進化論的な理解にむしろとどまっているという感じが自分にはします。その点から見ても、ビッグヒストリー論についての議論が深まるのは、これからだと思います。
# by pastandhistories | 2016-11-16 10:51 | Trackback | Comments(0)

self, subject, agent,

ization という語尾を例にとって、グローバリゼーションをはじめとするいくつかの言葉が過渡的な過程を表すものであることを指摘してきました。何故そうしたことを論じたのかというかというと、それらが過渡的な過程を示すものであるなら、少なくとも現在の段階では、全体的なものでも、普遍的なものでもないということを示すためです(究極的な到達段階では全体的な・普遍的なものとなりうるとしてもです)。
 自分の基本的な思考の枠組みを構成しているのは、そうした考え方です。学生時代には『過渡期の意識』(現代思潮社)を書いた梅本克己の文章を時々読みました。梅本克己に関しては、丸山真男、佐藤昇と行った鼎談『戦後日本の革新思想』(河出書房新社)を読んだ人がいるかもしれません(佐藤昇については今では知らない人がいると思うので説明すると、岐阜経済大学の教員であったマルクス主義理論家で、構造改革論が提起されるにともなって共産党を離れ、後社会党内で構造改革論をめぐる理論闘争が生じたときに、それを推進したある人物の文章を代筆したとして、そのことが社会党内で大きな問題となったことなどで、戦後の革新運動史に一定の役割を果たした人です)。
 梅本克己が一連の執筆活動で問題としていたことは、仮に所与のものとして全体を把握した理論があるとしても、過渡的な存在である個人がどうしてそれを認識することができるのかという問題です。戦後のある時期まで、マルクス主義が全体的理論として措定されていた時代に、この問題を議論したのが文学者をまじえて行われたいわゆる主体性論争で、梅本克己の議論は、そのなかで一定の役割を果たしました。
 はたして論点が同じところにあるとしてよいのかは迷いますが、最近海外では歴史研究において、「主体」を重要な論点として設定すべきだという議論がかなり一般的になりつつあります。あえて「主体」と日本語で書きましたが、実は英語的には、self, subject (subjectivity), agent (そして agency) ということになりそうです。おそらく一般的には agent を (「構造」structure ) に対して「主体」と訳し、self を「自己」または「自我」、subject の訳し方は難しいところがありますが、subjectivity を「主観性」と訳すのでは思います。
 となると「主体性論争」の英訳は debate (controversy) on agency だったのかな思って、『岩波哲学・思想事典』(1998)を確認してみたら、なんと英訳が掲載されていませんでした。戦後からほど遠くない時期だったとはいえ、かなりの議論をよんだはずの、また国際的にも類似の議論があったはずの、「全体」と「個」に関する論争の英訳がないというのは、随分と不思議です。
 と思ってさらに『岩波哲学・思想事典』をたどっていたら、いろいろなことに気づきました。なんといっても驚いたのは、agent が項目にも、英文索引にも登場しないことです。「構造」(structure) のところでも言及がなさそうです。「主体性」は項目にありますが、この英訳が subjectivity です。だとすると「主観性」は何処に行ってしまったのかなと思って調べると、 項目として立てられておらず、「主観主義」が subjectivism とされ、これに対応するかたちで「主観」が subject とされています。 素直に subjectivity を objectivity 「客観性」に対して、「主観性」とし、agent を項目として立てた方がよかったと思うのですが、どうしてこうした項目選定が行われたのかはわかりません。
今日こうした文章を書いたのは、権威あるとされる事典のあら捜しをするためではありません。ただ膨大な知を集積した事典をみても、権威づけられた所与の知に対して、その行為・認識主体である個の側の問題は驚くほど軽視されてきたということができるかもしれません。、
# by pastandhistories | 2016-11-15 10:52 | Trackback | Comments(0)

サイモン・シャーマ

 パブリックヒストリーについての調べごとをしていたら、BBCのニュースでサイモン・シャーマが、トランプの大統領領当選について、冷静ではいられないとして激しくコメントしているのを知りました。サイモン・シャーマと言えば、最初にイメージすることは、BBCに協力してイギリス史についての長大な映像的な歴史を作成したこと。自分も購入して所有はしていますが、なかなか見る時間はありません。そのイメージもあって、イギリス人の歴史家、イギリス史についての歴史家と思われがちですが、実際には父親はリトアニア系のユダヤ人(母親もユダヤ系だと思います)、ナチスの台頭の中でイギリスに移住した両親のもとに本人自身はイギリスで出生し(1945年生まれ)、イギリスの大学を出た人です。
 日本では『風景と記憶』が翻訳されてよく知られるようになり、またオランダ美術史等の研究、そして映像的な歴史の関与ということで、歴史に対するビジュアルなあるいは心象的な要素に着目した歴史研究者というイメージがありますが、もともとはフランス革命史を専攻していた人(これについても小さな翻訳があります)であり、また自らの出自からもマイノリティに対する抑圧への批判的関心も強く、政治的には社会民主主義的立場に立っていると言ってよいでしょう。自分と関心が同じかどうかはわかりませんが、彼が歴史のヴィジュアルな側面を重視しているのは、おそらくは歴史をオーディアンスから、とりわけ一般の人々から見ていくという考えが、その基礎にあるからだと思います。そうした立場だからこそ、ポピュリズムを悪用することに対しては強い怒りがあるのでしょう。
 もちろん、ビジュアルな技術が大きく発展するようになったのは、写真の発明と映画の発明以降のことです。したがってそれ以前は、民衆的な空間における過去認識においては、voice とパーフォーマンスが大きな役割を果たしていました。サイモン・シャーマがケンブリッジ大学に招かれて行った講演では、初めに歴史的人物(アレキサンダー・ハミルトン)を扱ったラップ音楽が登場するという構成をとって、ヘロドトス以来の歴史の流れが「歴史空間」のあり方をとおして説明されています。実はこの講演の最後は、マルク・ブロックがナチスの犠牲になったことで結ばれ、また質問に答えて自分がもっとも親近感をもつ歴史家としてE・P・トムスンの名があげられていますが、そうしたことからもサイモン・シャーマの歴史研究者としての立場をうかがうことができます。
# by pastandhistories | 2016-11-14 12:35 | Trackback | Comments(0)

過程と個

 三つほど前の記事で、グローバリゼーションというのは、ization という語尾を含む、その意味では過渡的な過程であることを示す言葉であることを指摘しました。何故そのことを取り上げたのかというと、グローブと、その対象もしくは主語となる個々のこととの関係が時間的に変化している過程的な関係であるなら、そうした関係は、一般的なものとしてではなく、特殊具体的なものとして説明されるべきだからです。
 そうした分類が適切かはなお議論の余地はありますが、グローバルヒストリーには「上から」のアプローチと「下から」ののアプローチがあります。資本主義の一般化のような包括的な歴史変化を論じるようなものと、対して個々のものや地域に焦点をあて、それらがグローバルな枠組みにおいてどのように変化してきたのかということに焦点をあてるアプローチです。しかし、そのどちらにしても、過程的な変化を論じているわけですから、いきなり全体(グローブ)と個のなかに「ある種の普遍的な」相関関係が存在していたとするような議論は、議論としてはやや正確さを欠いているような気がします。
 なぜこうしたことを書くのかというと、最近はとりわけ後者的なアプローチにおいて、「個」は「全体を反映している」というような議論が多くなったように思うからです。グローバルヒストリーに限らず、最近は(下からのアプローチと親和性のある)ミクロ的アプローチが進めば進むほど、個に全体が反映されているということが、当然のように議論の前提とされています。こうした考えは、グローバルヒストリーズの会でも少し言及しましたが、「神は細部に宿る」という考えとも共通しています。
 しかし、以前書いたことがありますが、個は個自体で十分に意味があるものであって、とりたててて全体との関係がなければ、そのなかに全体との関係が反映されていなければ、意味を失うものではありません。なぜなら全体とか普遍との関係において個が初めて意味のあるものとされるならば、個が全体との関係において有意味なものと無意味なものに分類されてしまうからです。過程的な変化を問題とする「歴史」という全体との関係で、「個」が有意味なものと無意味なものに分類され、圧倒的に多くの個が歴史から捨象されてきたのはそのためです。
 グローバルヒストリーもまた歴史研究の一つの流れですから、そうした構造を当然もっています。しかし、個のなかに全体が反映されているのだから個を取り上げるのだということをあえて強調する必要はない、と自分は考えています。ミクロヒストリーについても同じです。個は過程的な変化のなかで、つねに普遍や全体からははるかにほど遠い、自らもまた過程的なものとして存在してきたものです。しかし、無意味な存在であったわけではありません。
# by pastandhistories | 2016-11-13 17:34 | Trackback | Comments(0)

グローバリゼーション論のアイロニー

globalization は ization が語尾に用いられていて、その意味で過渡的な過程を示す言葉であるということを少し書きました。つまり、modernization, civilization, commercialization, industrialization と同じように、メタナラティヴ、大きな物語を示す言葉です。もちろん大きな物語は、一方ではリオタールがそれを批判したように、批判的にも考察していくべき問題ですが、他方では、とりわけ長期的な時間的経過において生じた変化を示すにあたって有効なものとして、歴史の説明・解釈として使用されています。
  ization という言葉をもちいて歴史を説明・解釈しようとすると、説明・解釈である以上、論点の設定次第で多様な論点が生じます。まずはいつからという時期的な問題、どこから、なぜという起源の問題、ネットワーク的な相互的影響の問題、そしてそうした過程が普遍的、永続的なものなのか、それとも一時的なものにすぎないのか、という問題をめぐって様々な論争が生じるのはそのためです。
 「近代化」「文明化」「工業化」「商業化」に関してもそうした議論がありましたが(あるいはある時期から出現しはじめ、最近はとくに強調されるようになったという方が正確かもしれませんが)、グローバルヒストリーを含めてグローバル化をめぐる議論がそれまでのいくつかの ization 議論と少し異なることは、起源の多元性や、相互間のネットワーク的な依存関係がより強調されているということでしょう。これはグローバリゼーション理論が、学問的世界においては西洋中心主義批判が一般化した時期に形成されるようになったことと大きな関係があるのだと思います。
 ここにはややアイロニカルな問題があります。つまり、理論として西洋中心主義批判が一般的になっているということと、現実の問題として西洋中心主義的な枠組みが、政治的にも、経済的にもなお強い影響力を残存させているという問題は、別の問題であって、両者が併存することはアイロニカルだけど、奇妙ではないということがあるからです。これもアイロニカルな言い方ですが、そもそも西洋中心主義が本当に批判の対象になっているなら、日本でこれほどグローバリゼーション論が闊歩することはなかったはずです。
 繰り返すことになりますが、現在の日本のグローバルヒストリーをめぐる議論には、多元論的な、ネットワーク的な視点を強調する傾向が多く見られます。しかし、それが現実の社会のあり方とクロスするものになっているのかというと、その点では不足することが多いと自分は考えています。それは大きな物語、つまり ization 自体への批判意識の欠如に由来すると言ったら、それは言いすぎでしょうか。
# by pastandhistories | 2016-11-12 15:27 | Trackback | Comments(0)

民主主義とエリート的支配層

 東京市場で株が急騰、しかし株を買うより、米と水を買っておいた方がいいかもしれないというのが、正直言って自分の個人的感想です。
 全体主義、権威主義的支配、独裁というのは、「近代」国家とされるもののなかでも、むしろ一般的に繰り返されている政治形態で、その根拠がいろいろと議論されています。その根拠の一つとされるのが、対抗的なものとされる民主主義の脆弱性。それでは民主主義がなぜそれほど脆弱なのかということの根拠として自分がいつも考えていることは、エリート的社会層が自らの地位と権力保全にきわめて強く固執しつづけるという問題です。
 ナチスに対する自分の捉え方はそうしたものです。ナチスの権力掌握の根拠を、中間層の没落(とその危機意識)に置くことは古典的なテーマとして主張されたことですが、むしろ自分は伝統的な支配層(官僚・軍部・経済界あるいは特権的な知的集団)が社会的変化の中で自らの支配の根拠を失うのではないかという危機感を抱いたことが、パぺット的な集団としてナチスを権力の座につけたと考えています。このことは、ナチスの権力掌握以前と以後を比較しても、実質的な特権的な支配層の構成はほとんど変化することはなかったという研究によって証明されるはずです。
 今回のアメリカ大統領選挙の結果も基本的にはそうしたものでしょう。メディアは「没落しつつある白人中間層が」、という解釈を流していますが(その意味では有権者の支持を媒体とした民主的な変化ということになりますが)、こうした説明は、ナチスドイツの権力掌握の説明を没落中間層におくものとよく似たものです。むしろ今回のアメリカ大統領選挙の結果は、伝統的支配層の総力を挙げた反撃によるもの。現在の日本の政治状況とも同質的なものです。その意味で、「対内的」ではなく、軍事的支配を当然とする「対外的」ナショナリズムは強化され、また(まさに伝統的支配層の権力再掌握の道具であった)ネオりベラリズムへの傾向はますます強まるでしょう。株が上がるのは当然のことです。
 このブログは歴史理論の現在的あり方を中心に書いていますが、基本にあることは、歴史研究はアクチュアルな問題への関心を失ってはならないということです。このブログを読んでいる人の多くは歴史研究者か歴史への関心がある人だと思いますが、そういう人たちに聞きたいことは、「どのようなアクチュアルな関心」から、歴史への関心をもっているのですかということです。
# by pastandhistories | 2016-11-10 10:53 | Trackback | Comments(0)

worldization, globalization

 昨日書いたことに対しては、「歴史の危機」ではなく、「歴史学の危機」だという反論がありそうです。確かにそうかもしれません。ポストモダニズムの側からの歴史批判に反論したエヴァンズの In Defense of History の翻訳には「歴史の擁護」ではなく、『歴史「学」の擁護』というタイトルが付されています。オークショットの議論を借りて practical past に対比させてホワイトがもちいた historical past も、' a theoretically motivated construction, existing only in the books and articles by professional historians' とされているので、これも『思想』の特集号の翻訳でももちいられた「歴史学的過去」という訳し方は妥当だと思います。擁護する側も、批判する側も問題としているのはそうした歴史学の危機だということです。両者の違いは、前者が歴史学と歴史を区別する傾向があるのに対して、後者はその一体性をむしろ強調する点にあります。エヴァンズの本が、原書とは異なって「歴史学の擁護」とされたのは、歴史と歴史学を区別するためでしょうし、後者で「歴史学的過去」という訳語が使用されたのは、歴史と歴史学のある種の一体性をホワイトが問題としてきたことを結果的には示すものとなっています。
 昨日まで日韓・韓日歴史家会議で議論の軸になったことを三つのテーマに即して書きましたが、今日はもう一つやはりこうした会議では最近はつねに話題とならざるをえない、グローバリゼーションの歴史の関係についてついて補足的に書きます。
 このテーマは自分にとっても関心の一つであるということで、このブログでも随分と書いてきました。以前言葉の問題として、world history は複数形でもちいられることが少なくないが、global history は基本的には単数でもちいられがちであるということを指摘したことがあります。この問題とやや関わりますが、やはり言葉の問題として、world と globe を比較すると、後者には ization という語尾が付されることが一般化しているのに、前者にはないということがあります。つまり worldization と globalization という問題です。前者は辞書にはまだ登場していないかもしれません。もっともこの点についてはネットの検索機能が便利で、それを使用すると、 Yahoo では400例ほどがヒットします。基本的には二つの使用例、一つは地図作成ソフトの名称、もう一つは音楽技法のひとつです。どちらも最近の造語で、globalization のようなかたちで幅広く一般的現象を指すものとしてもちいられているわけではありません。
 このことが意味していることは、world は所与のものとして措定されているのに対して、globalization は過程的なものとして、時間的経過において捉えられているということです。このことはグローバルヒストリーというテーマを論じるさいには、前提的なこととしてきわめて重要なことだと自分は考えています。そうした問題について、また明日以降書いていく予定です。 
# by pastandhistories | 2016-11-09 10:19 | Trackback | Comments(0)

歴史の危機?

 日韓・韓日歴史家会議で提起された問題について書いてきたので、今日はその一つであった歴史の実用性について。小田中さんの報告でも論じられましたが、最近ではこの問題は人文学の危機に関連させて論じられることが少なくありません。いわく「実用性」という点について劣位にあるから、大学や研究機関において人文学は縮小される傾向がある。同じように実用性という点で劣位にある歴史にもそうした危機が生じているという議論です。
 自分はこうした議論にはやや批判的です。なぜなら「歴史」の有用性はありすぎるぐらいあったし、今でもあるからです。そのことは他に比して、「歴史」が近代国家においては、教育の場において、とりわけ小学校から高校まで重要な地位を占めてきたことからも容易に理解できます。また大河ドラマに代表されるように、「国営」放送をはじめとしたマスメディアにおいて、つねに重要な地位を占めてきたことからも理解できます。およそ「イデオロギー」とされるものの中において、そのレトリックの軸としばしばなっているのも歴史です。どんな愚鈍な政治家でも、というより例をあげませんが、最も愚鈍な政治家ほど、「歴史」という言葉を(「未来」という言葉と共に)愛用します。そうした意味では、歴史は有用なものとしてもちいられてきたものです。
 そうした歴史には、大きすぎるほどの「ネガティヴな有用性」がありました。その意味で、「実用性」という点で歴史そのものが消失するような危機はない。むしろネガティヴィな実用性をもつ歴史との共生をはかれば、歴史学もまた「大学」という場においても、「今までと同じように」根強く存在し続けていくだろうと自分は考えています。
# by pastandhistories | 2016-11-08 13:48 | Trackback | Comments(0)

パブリックな場の国民と市民

 日韓・韓日歴史家会議に参加して得た感想の一つを昨日書いたので、今日と、そして時間があれば明日その続きを書いていきます。昨日書いたことはデジタライゼーションにちなむこと。おそらく最近では「歴史の現在的問題」を議論する会でよく話題になるのは、デジタライゼーションとパブリックな場にある歴史、そして歴史の実用性という問題です。ということで今日はパブリックな場にある歴史について書いていきます。
 この点について参考になったのは、歴史民俗博物館長の久留島浩さんの「社会につながる歴史」という話です。その前に桃木至朗さんも教育の場と歴史学の関係についての報告をしていて、教育の場の歴史ももちろんパブリックな場にある歴史と考えていいと思いますが、まずは久留島さんの話についてから。
 普段から実際の展示についての議論を現場で積み重ねていて、また国内外の学会での話もしているようで、十分な経験と議論にもとづく話で説得的でした。興味深かったのは、展示に対する観客の、さらにはネットでの反応の話です。具体例としては、ナチス支配下の時代にドイツの青少年代表団が日本訪問をした時の事例と、朝鮮通信使の事例があげられ、それがコミック空間で得た知識やネット空間で流布している知識を前提としてどのような捉え方をされているかが紹介されました。とくに後者に関しては、図像的史料のトリヴィアな部分に対する恣意的な解釈が、ネット空間で一般化し、通有されているということです。
 デ・グルートの議論を紹介したときにもふれましたが、ネット空間における歴史知のあり方をどのように考えていくのかは、歴史の現在的問題を考えるにあたって重要な問題です。いろいろ考えるべき問題がありますが、その一つは久留島さんも指摘したように、「トリヴィアル」(ミクロ的と言い換えることもできると思いますが)なことが「例示される」知識として「一般化」し、そこから恣意的な歴史解釈が導き出される問題です。もはや常套的なものとなった「吉田証言」の取り上げ方もその代表的なものでしょう。おそらくこのことは逆に、「例示ー物語への嵌め込み」という歴史叙述においてとられてきた伝統的手法への疑問(もちろんポストモダニズムの立場に立つ物語論が提起した問題です)だけでなく、そもそも細部に入り込んだ例示というのが(学問的にはさらなる進歩として肯定されるけれども)どのような意味をもつのかということへの再考を促していることのような気がします。
 同時に、久留島さんの話をとおしてもう一つ感じたことは、久留島さんが批判的に紹介した展示へのリアクションは、「国民」を称する側からのものからであったということです。桃木さんの話もそうでしたが、当然のように議論の過程ではその「国民」に対して、「市民」が対置されました。しかし博物館が置かれている場は「国内」であって、教科書は「国語」で書かれているわけです。議論の過程で当然のようにスミソニアン博物館におけるヱノラ・ゲイ展示問題が言及されました。しかし、スミソニアンはアメリカ国内という「場」におかれているものです。そのようなかたちで場や言語が、現在ではなおパブリックな空間を作り出している限り、そこでの議論は知的な世界の議論とは乖離します。歴史の一つの問題として歴史研究者の側がパブリックな場にある歴史を考えることはとても重要なことですが、同時に残念ながら、パブリックな場にある歴史には驚くほど「国民」という問題が内在していることは忘れられてはならない問題だということを、久留島さんの話からはあらためて感じさせられました。
# by pastandhistories | 2016-11-07 09:59 | Trackback | Comments(0)

事実とデジタライゼーション

 昨日は第16回日韓・韓日歴史家会議に参加しました。ある人から連絡がありました。テーマが「現代社会と歴史学」ということにも理由があったのでしょうが、頭数を揃えるという意味もあったのだと思います。海外での国際会議には出るけど、日本で行われるのには参加しないというのも変なので、参加しました。レベル的にはかなりの水準。であるなら、院生や、さらには学部学生にも参加してもらい幅広く議論をした方がよいのではと思うのですが、運営にコミットする立場ではないので、そうしたことは今後に期待していきたいと思います。
 いろいろ興味深い報告がありましたが、ながでも「現代」的な歴史研究の状況についての問題提起として参考になったのが、金基鳳(京畿大学校)さんの「人口知能の時代」という報告です。タイトルにあるように、基本的にはデジタル化時代における人文学のあり方、つまりデジタルヒューマニティーズについての報告ですが、それをビッグヒストリー論と結びつけて、歴史の問題を非常に幅広い時間的スパンから論じました。このブログでいくつかのビッグヒストリー論を紹介してきましたが、ビッグヒストリー論の理解としても、今まで聞いたもののなかで最も高い水準の一つであると言ってもよいという感じがしました。
 データのデジタル化とその集積の巨大化(ビッグデータ化)によって、歴史研究がふたたび長期的な変動を問題とするようになるだろう(あるいはすべきである)という議論は、最近ではデーヴィッド・アーミティッジなどによって論じられていますが(Jo Guldi & David Armitage, The History Manifesto, 2015)、金さんはこれにくわえて、既に多くの人文学や社会科学において、さらには碁(や将棋)などにおいても見られるように、そうした巨大データの分析をコンピューター自身が行い、それが人間の能力を超えるに日が到来するのはけっしてて遠い将来ではないと予測しているようです。つまり人知を(「認識の)中心とするということに対する素朴な疑問を提示しています。ここから金さんは、ドーキンスの諸著作やY.N.Harari の Sapiens(2011) を借りて(ドーキンスは既に多くが訳されています。ハラリもおそらくは訳出されるでしょう・・・9月に河出書房新社から訳出され、新聞各紙に書評が掲載されていました。訂正しておきます)、種としての人間の限界性を認め、そこからビッグヒストリー的な議論について、示唆的に言及しました。
 しかし、今回の金さんの話で一番興味深かったのは、歴史研究のデジタル化という流れを、結論としてフィクションや想像力と結びつけたところです。実はこの部分は聞いていた人にとっては、かなり理解が難しかったようです。歴史研究者にとってみれば、デジタル化は「史料」が「豊富化」し、「整備」され、「利用」しやすくなるということですから、歴史研究の実証性を高めるものだとという理解が一般的だからです。事実多くの実証的歴史家は、デジタル化をそうしたレベルで理解し、歓迎すべきものだと論じています。それが逆になぜフィクションや想像力という議論に結びつくのか、それがにわかに理解できないことは当然のことです。
 しかしこの問題はデジタル化を、すべての情報のビット化という視点から考えれば理解することがができます。アインシュタインはすべてのものは、音や光さえもが、波長に還元できるということを論じました。普段パソコンと向かい合っていれば容易に理解できるように、コンピュータをとおしてすべての情報はビット化できます。というより、すべての情報がビット化されているがゆえに、現在では膨大な情報に対してコンピューターをとおしてアクセスすることが可能になっているわけです。そしてこれもコンピュータ使用者にとっては常識的な理解であるように、文字よりも画像、画像よりも映像の方が、はるかに大きなビット数によって構成されています。 
 このことを歴史認識の問題に当てはめると、どういう問題が見えてくるでしょうか。現在では多くの人は、歴史家がフィクションとして扱かう映画を媒体として過去を、これも歴史研究者から見ればということになりますが、想像的に理解しています(金さんもまた「歴史と映画」論を書いているようです)。しかし、たった1本の映画であっても、歴史家が「事実を推定したとする」論文1本を書くために利用する文献・史料よりも、ビット数に還元して考えるならその情報量は大きなものです。つまり現在では人々が映像をとおして(もちろんそれは映画が発明される時代の前を扱ったものであれば、すべてが一次史料ではありません)認識している歴史は、ビット量に還元すると、歴史家が事実として論じているものに対して比較できないほど膨大なものだということです。逆に歴史家が実証の根拠とする文字史料はあるいはそれに基づいて書かれた研究書論文は、現在において何らかのかたちの「歴史」として存在するもののうちの、0.1%のN乗を構成しているに過ぎません。その0.1%のN乗によって、過去の事実を再構築することができると考えるのは、逆にきわめて大きな論理の飛躍です。
 歴史研究者にとって信じたくない話なのですが、過去についての情報である歴史をデジタル的に理解すれば、こうした議論が可能です。おそらく金さんが、fact と fiction という言葉を合わせた faction という言葉をもちい、記憶と忘却という伝統的な対比法に代えて、記憶と想像という対比法を提示したのは、こうした考えを含意しているためでしょう。自分は歴史研究者として、0.1%のN乗の意味をまったく否定はしていません。しかし、それは「事実」として幅広い「歴史」という世界のなかで、圧倒的な優位にあると位置づけられるべきものでもありません。historians central な世界ではなお優位性を持っているかもしれませんが、歴史研究者がその世界に安住している限り、会でも多く議論された歴史修正主義への有効な反論をつくりだすことは、決して容易なことではないでしょう。その点で金さんの報告には参考になる点が多くありました。
# by pastandhistories | 2016-11-06 10:01 | Trackback | Comments(0)

歴史的真実、違和、不信

今日はツイッター的に。『思想」11月号にヘイドン・ホワイト「歴史的真実・違和・不信」が訳出されました。もっとも新しい論考で、訳者は上村忠男さんです。既に予告してあるように、12月23日(金)に上村忠男さんとカレ・ピヒライネンに来てもらって「ヘイドン・ホワイトの今」という会をします。明日、ピヒライネンと打ち合わせをするので、ついでに神保町で買います。なお目次を見ただけですが、今度の号はヨーロッパ中世史についての特集のようです。池上俊一さんと、以前ホワイトを訳出した那須敬さんなどが書いています。
# by pastandhistories | 2016-10-26 06:35 | Trackback | Comments(0)

Jonathon Dallimore

 今週は部屋の整理をしました。段ボールに入っていた古いノート類やメモをやっと出すことができて、少し読み直し始めました。すっかり忘れていたことも多く、その点ではやはりノートは役に立ちます。逆に最近はあまりノートをとらなくなっていて、読んだことのある本でも内容をほとんど思い出せない。そのあたりは時間との兼ね合いもあって、難しいところです。
 暇を見て今朝はネットサーフィン。たまたまですが History in Postodernity というサイトに出会いました。 Jonathon Dallimore というオ-ストラリアの若い歴史研究者(というより教員かもしれません)が作成したサイトです。30分程度ということで、それほど時間もかからないだろうということでアクセスしましたが、とてもよくまとまった議論で、論理的構成もしっかりしていて、お勧めです。
 ポストモダニズムが(歴史の)何を問題としたかを前提としながら、その〈従来の)歴史(学)に対するアプローチを、穏健なものと、極端なものに分け、前者、つまり歴史を否定するのではなく、どう変えていくのかを問題とするポストモダニズム的な歴史論を、わかりやすく説明しています。
  言語と文化への着目ー多様な史料への着目と従来の史料を新しく読み返すこと―そこから今後は、1、(個人史を含めた)ミクロヒストリー、2、文化史、3、固定されない歴史、4、刊行物以外での提示、という方向に歴史が向かっていくだろうということがその内容です。最後の部分で、学術的出版物のような査読(や検閲)を経ない歴史が,これからは意味を持つだろうとしているのは、これがネットでの発信であるという点でも、面白い(ブログをいちいち査読するなどということは本当に奇妙なことです)感じがしました。
 要するに現在にあっては、不安定性は認識対象だけの問題でなく、認識主体の問題である(これを点線をもちいた図形で示していて、とても説得的です)ということなのですが、そうした主体の不安定性、つまり主体が開かれた構造を持っていることが、対象に対する多様な認識を可能にしていくのであり、それが(歴史の、あるいはそれ以外のことに関しても)民主化(democratisation)を生み出していくという立場に立っています。ネットを見ると、最近はビッグヒストリー論で紹介されることの多いデイヴィッド・クリスチャンと多少の関係があるようです。はたして今後歴史研究者として学界に地位を占めることになるかはわかりませんが、論理的な整理・説明能力という点で、少し期待したい人物です。
 また Jonathon Dallimore はこうした視点から書かれた最近の著作として、Colin Jones, Smile Revolution, Stephan Kotkin, Magnetic Mountain, Carolyn Hobbrook, Anzac: The Unauthorised Biography, をあげています。内容はネットで確認できると思いますが、時間があれば読んでみたいと思わされました。
# by pastandhistories | 2016-10-22 11:07 | Trackback | Comments(0)

globe という言葉

 10月7日、8日のグローバルヒストリーズの会は、海外からの二人のヴィザと航空切符(発券がヴィザの有無に関係する)に関して、いろいろ手間がかかって大変でした。参加者はいつもより減りましたが、内容的にはいい議論ができたと考えています。
 既に予告してありますが、次回は12月23日(金)、タイトルは「ヘイドン・ホワイトの今」となります。議論にかなりの準備が必要なテーマなので、資料のようなものをきちんと準備して会を行う予定です。関心のある人はぜひ参加してもらえればと思います。ヘイドン・ホワイトはなお元気で、最近の姿をネットでは、バークレーで行われたルニアの Moved by the Past の公開合評会(2014年11月7日)に、ハルトゥーニアン、マーティン・ジェイ、イーサン・クラインバークらとともに元気な姿を見せているのを見ることができます。相変わらず、ホワイト節全開です。
 ということで、12月の会の準備はありますが、少しのんびりしています。と言いたいところですが、今度は原稿の計画や注文が入り始めて、あまりのんびりもできません。このブログも御無沙汰気味になっています。もっともこのブログは、自分のためのメモという部分もあるので、そうしたメモ的なことを今日は書きます。
 グローバルヒストリーズの会の時に、そのことは発言しませんでしたが、多分もともとは「丸いもの」「球状のもの」を指すグローブという言葉が、地「球」を指すものとしてもちいられるようになったのは、コロンブスやマゼランの航海によって地球が地「球」であることが発見されたためなはずです。したがってそうした意味で使用され始めたのは、16世紀になってからです。地球という日本語はいったいいつから使われたのか、たぶんこれも地球が丸いということが日本の社会に受け入れられるようになってからのはずですから、やはりどんなに早くても、16世紀以降になるはずです。もしそれ以前にこの言葉が日本語で使用されていたとしたら、日本人の対自然認識は欧米に先行していたことになってしまいます。
 これにたいして英語の Earth の語源となった言葉は、そうした知識のなかった時代から「地」「土」を意味するものとして欧米では使用されていたわけです。したがって Earth を地「球」と訳すのは誤訳だという議論がありうるかもしれません。
 地球を意味するグローブという言葉はこのように相対的には新しい言葉ですが、グローバル、さらにはグローバリゼーションという言葉の使用が世界的に一般化するのは、20世紀後半、それも1980年代後半からです。もちろんグローバルヒストリーの使用はさらに新しくなります。
 この問題については今度そのグローバルヒストリー論の翻訳の出るリン・ハントが、昨年の12月にシカゴ大学で行った Thinking Globally in Historical Studies という 講演で、つい苦笑させられるような話をしています。そのなかで彼女は、Global Publication Authorship と題して、global というタイトルのついた出版物の点数の国際的な比較をしていますが、なんと1999-2003年 について統計を作表すると、日本はアメリカについで堂々の第二位(第三位はドイツとイギリス)だったそうです(その後中国、イギリスに追い抜かれて第四位になった)。
 誇っていいのか、それとも悲しむべきか、日本の社会的状況や、文化的・思想的状況を語るような話です。逆に言うと、グローバルヒストリーというタイトルを付した会の参加者は少なかったのは、日程の重なりがあったかもしれませんが、日本の歴史研究の健全さを示しているのかもしれません。これもまた逆説的な議論ですが。
# by pastandhistories | 2016-10-14 11:13 | Trackback | Comments(0)

10月7、8日、12月23日

 海外での発表が二つ、他の人の科研での依頼講演が二つということで、4月からは随分と追われましたが、10日にそれが終わり、やっと自分の仕事ができるかと思ったら、今度はプロジェクトの準備に追われています。
 ここでもすでに多少の予告をしてありますが、一つは10月7日〈金)、8日〈土〉に予定されている「グローバルヒストリーズ」という国際ワークショップ。ドミニク・ザクサンマイヤー、張旭鵬、秋田茂さんが参加してくれます〈秋田さんは8日だけ)。今回は立教大学と併催するので、7日は東洋大学ですが、8日の会場は立教大学です。7日はややグローズドで英語だけ、8日は通訳を入れます。8日についてはすでにザクセンマイヤーからペーパーが来ていて全体で6000語をやや超えるもの。これだとかなり時間がかかるので、翻訳を事前にして当日配布ということで準備しています。詳しくは、http://www.toyo.ac.jp/site/ihs/110657.html でポスターを見られると思います。
 もう一つは12月23日(金)。休日でいろいろ重なりそうなので、早めに予告しておきます。タイトルは「ヘイドン・ホワイトの今」。現在ホワイトについては、いよいよ翻訳作業がいくつか着実に進行しているのと、海外でもさらに研究が活発化しているので、そのあたりを踏まえて会を企画しました。すでにそうした紹介作業に関わっている上村忠男さんと、ホワイト論の刊行(The Work of History: Hayden White and the Politics of Narrative Construction というタイトルで、Routledge Approaches to Historyの一つとして来年刊行されます。すでに校正段階に入っています)が予定されているカレ・ピヒライネンが参加してくれます。
 ということで、現在は10月の会の詰めの作業とザクセンマイヤーのペーパーの翻訳作業に少し時間がとられています。しかし、多少は原稿を書き直したりする時間ができ始めたので、そうした作業に合わせて日程的なことだけでなく、このブログの本来の目的である理論的なことも書けたらと考えています。
# by pastandhistories | 2016-09-20 11:27 | Trackback | Comments(0)

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