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歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

グローバル・パブリックコミュニケーション

 この間はパブリックヒストリーに関する個別論文をずっと紹介してきたけど、今日は少し話題を変えて一般的なこと。何日か前に送られてきたプロヴァイダーからの宣伝にちなんで。内容は同時通訳ソフト。
 必ず実現するだろうとは思っていたけど、これほど早いとは思っていませんでした。ZOOMなどをとおしてのコミュニケーションについて、74か国語の同時通訳をしてくれるというものです。精度はまだ不明だけど、他言語使用者とのコミュニケーションが大きく改善されるでしょう。たとえば、これまで中国や韓国の研究者とコミュニケーションをとる場合に用いられていたのは英語。それが今後は英語を媒介とせずそれぞれが母国語をもちいてよいということになります。対ロシア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、etc の場合でも同じです。
 実は「国際パブリックヒストリー研究会」(IFPH)の準機関誌的役割を果たしている International Public History (2018~)に関しては、発刊当時から掲載論文は英文ではなくて母国語でもよいという話がありました。その方が執筆者はその論旨を明快に展開できるし、またいずれ高い精度の翻訳ソフトがされるようになれば、書かれた論文は誰にでも読めるようになるだろうという議論があったからです。そもそもパブリックヒストリーなわけですから、英語での議論ができるという限られた知的社会層だけのコミュニケーション媒体であってはならないという考えに基づいていました。
 高い精度の同時翻訳ソフトは、(とりわけ英語が話すことができない)普通の人々、パブリックの間のコミュニ―ケーションを可能なものとします。そのことは、そうした人々のグローバルなつながりばかりでなく、人文知のあり方にも飛躍的な変化をもたらしていくはずです。
 以前書いたかもしれませんが、「現在の日本の学問的世界」というコンテクストの中では、海外の研究者(英米語圏だけではなく、アジアやアフリカの研究者も含める)とのコミュニケーション能力をもつために、一定の英語能力(執筆能力、プレゼンテーション能力)を持つことは研究者にとっての必須の義務です。また今後もそうした能力を保持していくことは、研究者のモラルであり続けるでしょう。しかし、時代は着実に変化していきます。特定の一部の社会層ではなく、すべての人々がグローバルなかたちでコミュニケーション能力を持つようになれば、世界のあり方は大きく変容していくことになるでしょう。Provincializing Europe が確実に進行していくはずです。人文知も、歴史学もまた大きく変容していくことになります。そうした変化に研究者が対応すべき日が必ず来るはずです。そのような時代において研究者にとって必要になることは、英語のプレゼンテーション能力や欧米起源の思考を理解できるという能力ではなく、グローバルな世界の中で生きている多種多様な人々が理解できるような明確な思考を(母国語であっても)伝えていく能力になるでしょう。
 ソフトの方はまだ価格が3万円台なので、個人的な購入はしばらく控えますが、海外の研究者とのZOOM研究会などでは実験的に使用してみようかなとも考えています。

# by pastandhistories | 2024-01-12 10:35 | Trackback | Comments(0)

Exhibiting (4)

 今日は Exhibiting the Past の Exhibiting の部分の最後の論文二つの紹介。最初は、Christine Mayor, "Exhibiting the Past: Women in Art and Design in the Nineteenth and Early Twentieth Centuries" 二ついて。
 この論文は第一次世界大戦後の1919年に設立され、美術・建築に関わる学校として、モダニズム的芸術の実用化に大きな役割を果たしたバウハウスの設立100年を記念する展示が各地で開かれたものにちなむもの。と言っても大きなテーマは、バウハウスよりも女性が工芸教育やその終了後にどのように位置づけられていたかという問題です。まず前提として、19世紀後半ごろからドイツの工芸教育の流れが説明されています。触れられていることは、女性にこの時期全く工芸教育を受ける機会が与えられていなかったわけではないが、そこで得た技能を利用して生活を維持することができるような就業機会は乏しかったことが指摘されています。
 第一次世界大戦後ワイマール共和国という状況のなかで前衛的な事業として進められたバウハウスには、こうした状況を革新していく可能性はあり、一部では女性の工芸教育、さらには登用の試みは増大したわけですが、それでも実際には才能などを理由に厳しい選抜が行われ、結局は織物デザインなどにおける進出はあったものの、建築分野ではその場を得ることができなかったということを、この論文は指摘しています。いわゆる gender division 。またそのことがと事実であったということより、現在の展示においても女性の果たした役割が排除されているのではないかとも、この論文は指摘しています。またこの論文に関して興味深く読めるのは、才能の欠如を理由に女性を排除したこうした考えは、エドモンド・バーク、カント、フンボルトなどの啓蒙主義思想にも起因しているのではないかと述べられてところです。
 もう一つ紹介するのは、Innes Dussel, "Picturing School Architecture: Monumentalization and Modernist Angles in the Photographs of School Spaces, 1880-1920" です。この論文は面白く読めます。タイトルからもわかるように、写真を史料としたビジュアル・ヒストリー。19世紀半ばに用いられ始めた写真技術はこの時期さらに大きな発展をするわけですが、それが同じ時期の教育の発展と巧みに重ね合わされて説明されています。対象は1880-1920年のアルゼンチン。さらにこの時期を3つに分けて議論を展開しています。
 最初は1880年に始まる時期。この時期の学校写真は、プロの写真家が建物を偉大さを示すために、正面から撮影したものが多かった(技術的にもそうした写真しか撮れなかった)。それは国家の偉大さとヨーロッパと比肩するような社会であることを示すためだったからだと筆者はしています。対して世紀の転換期の学校写真は、前者と比較すると簡素であったが、階段や廊下などの構内を写したものが含まれるようになり、社会の発展を示すものとなっていた。また撮影者はプロではなく、教師や幅広いパブリックによってみられるものであったとされています。対してこの論文では最後の時期とされていますが、1920年に至る時期について残されている写真には、建築過程やその後の学校の内部のあり方を示すものとして建築家や技師が残した写真が多く、そこでは採光・給排水・換気などの学校の改善を示すものが映し出されていると筆者は指摘しています。
 このように、写真の技術的変化・進歩が、学校教育のあり方の変化・進歩と絡み合っていたこと、また写真は決してそのニュートラルな史料ではなく、それがあるものを映し出したことには、必ずある意図(rhetoric)があったということがこの論文の結論です。

# by pastandhistories | 2024-01-08 21:37 | Trackback | Comments(0)

exhibiting (3)

 今日は少し調子が出てきたので、Exhibiting the Past  の Exhibiting に所収されている論文二つをまとめて紹介します。最初に紹介するのは、Joyce Goodman, "Conserving the Past, Learning from the Past: Art, Science and London's National Gallery"。過去の遺物の展示は当然経年劣化を伴うけど、それをそのまま展示するか、修復を加えて過去にあった状態を復元するかは議論のある所です。とりわけ現在では、過去が実際にどのようなものであったのかを認識したり、さらには復元したりすることに必要な科学技術は着実に進歩しているわけで、それをどのように利用していくかは、かなり重要な問題です。ここで扱われているのはとりわけ美術品(絵画)の復元をめぐるそうした問題。
 タイトルはナショナル・ギャラリーとなっているけど、この場所だけではなく多くの美術館での絵画の修復に大きな役割を果たしたヘルムート・ルーマン(ナチスの迫害を避けて1933年にイギリスにわたって、ナショナル・ギャラリーを中心に活動した)の活動、特に彼がいくつかの教育機関をとおして後継者育成に果たした役割と、彼の教育を受け、女性としてその後継者となったローザ・ブランソンの経歴をたどり、科学的な復元の役割を評価した内容です。いくつか興味深く読めるところがあって、一つはローザが結局はその道を選ぶことになったのは、芸術の世界になお根強いジェンダー差別があったためとされている点です。またこの点は少し説明が不十分なような気がしますが、informal education, informal learning という概念を用いて、ローザが母親と6歳の時に美術館を訪れたことがその生涯にわたる関心の動機となったと論じられているところです。
 二つ目に紹介する Ian Grosvenor & Sian Roberts, "Art, Anti-fascism, and the Evolution of a 'Propaganda of the Imagination': The Artist International Association 1933-45" は、タイトル通り The Artist International Association (AIA) の歴史、というより対象時期の活動内容をたどった論文です。ファシズムの台頭に対応してイギリスで(後に国際的な連携も進めた)結成された組織。初期のスペイン内乱にともなうゲルニカの展示活動に始まり、亡命者芸術家への支援・連帯を意図して、各地で芸術作品を展示し、反ファシズム、反帝国主義、反植民地を訴えたその内容が紹介されています。政治と芸術の結合は当然のことながら批判がありえますが、筆者たちの視点は反芸術的なファシズムが台頭していた時期には必要だったということです。というより、筆者たちは、現在の新自由主義とグローバル資本主義が支配的な世界においては、ファシズム的なものがポストファシズムとも呼ぶべきものに継承されていて、そうした流れは過去を忘却する歴史修正主義を生んでいる。つまり過去と同じ問題が現在にも起きていて、その意味でAIAが行ったような行動が現在では必要ではないかと結論しています。

# by pastandhistories | 2024-01-06 21:45 | Trackback | Comments(0)

Exhibiting (2)

今日は、Karin Priem and Ian Grosvenor, 'Future Pasts: Web Archives and Public History as Challenges for Historians of Education in Times of COVID-19'  という論文の紹介。一つずつ紹介すると果てきりなくて、いつまでも終わらないけど、論文紹介は久しぶりなので、ペースがでてくるまでということで今日も上記論文一つを紹介しておきます。
この論文もタイトルから判断できるように、COVID-19を機にどのような変化が生じたのかを、ウエブの利用とパブリックヒストリーという観点から論じています。基本的論点は3つ。①ウェブアーカイブの基本的特徴と歴史家への影響、②アーカイブへのアクセスの異なった様式とそれが過去についての現在の考え方にどのように影響しているか、③ウェブアーカイブとパブリックヒストリーとの関係です。
①については、ウェブをとおして提供される情報(born digital and digitized documents) は、伝統的なアーカイヴズとは違って、様々な場から生み出されていて、それゆえ多元的であること、また従来のように immobile なものではないこと、しかし、その一方で、provenance, authencity に留意する必要があることを指摘しています。また史料の物理的なあり方(bits and bytes) の違いを指摘しています。
②については spatiality という問題、発信者に関しても受容者に関しても、その場所が特定されていない。そのことが従来の歴史にあったような、過去・現在・未来というような、時間的連続観を失わせている(ここはマレク・タムの議論を援用しています)と論じています。
③については、COVID-19 をめぐってその経験がウェブで集められた。クラウドソーシング、デジタル技術がパブリックの日常的経験を(歴史)資料化することを可能にしたことを論じています。それに続けて例として、筆者が関与した試み(International Standing Conference for the History of Education による the Education and Pandemic Archive) の経緯と活動内容を紹介しています。
結論的には、ウエブ空間は情報の送り手や受け手をIT専門家の協力を受けて(これまでのナショナルな枠組みを超えた)一方では日常的なものへ、他方ではグローバルなものへと転化させた。ウェブアーカイブは collaborative, user-friendly, flexible なものであることを強調されています。またCOVID-19を機とした試みをめぐって書かれた論文ですが、様々な疫病の流行にも広く目を向けるべⓀだと論じています。

# by pastandhistories | 2024-01-04 10:51 | Trackback | Comments(0)

Exhibiting(1)

 今日からは、ずっと書いていた新しい主要論文集に所収されている個別論文の紹介に戻ります。といってもこれは昨年8月末まで書き続けていたもの。論文の執筆(3月に刊行されます)を終え、今度は海外渡航や各研究会の準備などに追われてしばらく手つかずになっていました。今日から再開。ある程度まとめて書かないと、終わりそうもないけど、今日は3部構成になっている Exhibiting the Past  の Exhibiting の最初の論文である Jeroen J. H. Dekker, 'Story Telling through Fine Art: Public Histories of Childhood and Education in Exhibitions in the Netherlands and Belgium c.1980-c.2020'  を紹介します。
 サブタイトルが長いけど、ほぼその通りの内容。この40年ほどに、ベルギーとオランダで行われた子供を扱った絵画(および子供にまつわるモノ)の6つの展示について論じた論文です。勘のいい人は、アリエスの議論を踏まえたものだということに気づくかもしれません。その通りの内容です。と言っても一般的な結論を引き出しているわけではなく、それぞれを比較し、その差異をむしろ強調しています。中世から現在に至るまでを扱ったそれぞれの展示は、その間の全期間にわたるものから。19ー20世紀、時期を16-17世紀、19世紀と言った特定の時期に限定したものと多様ですが、面白く読めるのは、子供の貧困さを描き、そのケアーの必要を促す内容のものがあった一方で、富裕な社会層が彼らの誇りを示すために、立派な衣服を子供にまとわせてそれを描かさせたものがあったということが、子供についての認識の差異として指摘されていることです。
 子供が 「miniature adult」 であったことから、「子供の誕生」という変化がいつごろからどのようにして生じたかは、これからも議論となっていくでしょうが、絵画をとおして(両親や社会から見た)子供の位置を知ることができるということが、現在における展示とその教育的機能という観点からこの論文では論じられています。

# by pastandhistories | 2024-01-02 15:28 | Trackback | Comments(0)

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