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歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

類似と差異

 26日の最後の報告者は粟飯原友子さん。アフリカ文学研究者として十分なキャリアに支えれられた報告でした。アフリカ文学を素材にオーストラリア先住民の歴史との関連性を論じたわけですが、主要な論点の一つは、文学研究者として当然な歴史とフィクションの関係。もう一つは、アフリカ文学には固有な地域言語を使用して自らを語るという試みのあることです。前者については、オーストラリアでも随分と議論となっていて、ここでも紹介したケイト・グレンヴィルの『シークレット・リヴァ―』をめぐる議論や、保苅とも関係の深いカーソイ、ドカーズの議論がオーストラリアでも行われています。しかし、これは祖先が白人入植者である人たちの議論。この点でアフリカ文学との差異を感じました。
 粟飯原さんの議論に関して発言したことは、truth と truthfulness の違い。truthfulness はテッサ・モーリス=スズキの『過去は死なない』(The Past within Us) では「真摯さ」と訳されていて(おそらくスズキはこの訳語に同意した)、チャクラバルティはスズキが同書の中で、truth と truthfulness を区別していることを指摘しています( Chakrabarty, The Calling of History, p.33・・同ページにある Historical Research and writing was a way of preparing oneself for a truth that was beyond partisan interests. という文章に付された注です)。partisan interests を超えた真実ということですから、イデオロギー的な偏見を排した真実を求める歴史研究・記述ということで、「真摯さ」がその訳語として充てられているわけです。
 正直英語の専門家ではないのですが、relation と relationship の違いのように、接尾語がつくとニュアンスが曖昧化し意味内容がやや広がるというイメージが自分にはあります。ポストモダン的解釈かもしれませんが、自分は一つの確定的真実である truth は容易には見いだせない、したがって必ずしも絶対的な真実とは言えないかもしれないけど、やはり限りなく真実に近いものを求めていくことという意味するものとして truthfulness という言葉を理解しています。

# by pastandhistories | 2023-12-31 22:36 | Trackback | Comments(0)

cross culturalizing, deep history

 26日の3番目の報告者のの徳原拓哉は、高原さん、是澤さんと同じに、実践という視点からパブリックヒストリーを論じました。(高校生への歴史教育という)実践を通した場合、パブリックヒストリーが提示している問題はどのように考えることができるのかが、報告の主旨です。報告内容はほぼ二つの視点から。一つは、保苅を素材としたパブリックヒストリーの理解、もう一つは、歴史教育の場で徳原さんが実際に突き当たった問題です。
 前者は、保苅が論じたcross-cultualizing history の意味について。要するに人々はそれぞれに置かれた文化の枠組みの中で「歴史を行っている」わけですから、近代歴史学とアボリジニの歴史は違う。また保苅の歴史に対する理解もやはり違う。そうした立場をクロスしていく歴史とは、ありうるとすれば(ないかもしれませんが)どのようなものかということです。またそうした問題に対する考え方のヒントとして、deep history を地層(の変化)を例にして取り上げました。地層は平面的に見れば逐次積み重なっているもののように見えがちだが、例えば隆起などによって、より古いものが表面に浮き出ている場合があるように、単純な時間性を反映しているわけではない。歴史として現在に現れている過去においては、そのような古層が、逆に重要であることもあるということです。
 後者は、このような歴史の多元性は、教室という現場ではどのような問題を抱えているのかということです。その一つの例としてパレスティナ問題に関して家族の間での意見の異なりという場に置かれたが生徒とどのように向かい合っているのかということを、自らの経験として徳原さんは報告しました。これもまたなかなか解決のない問題。それゆえ大事な問題提起でした。
 これらに加えて徳原さんは、保苅をオーストラリアの歴史というコンテクストから考えていくという問題を提示しました。実際以前ここでも少し触れましたが、グレグ・デニングとディペシュ・チャクラバルティが彼の論文の指導教員、もちろんテッサ・モーリス=スズキの影響も大きいわけで、この点は今後とも議論になっていくはずです。

# by pastandhistories | 2023-12-30 11:12 | Trackback | Comments(0)

博物館員という立場

26日の二番目の発表者は少数民族論をテーマとして現在はウポポイ国立アイヌ民族博物館の運営に参加している是澤櫻子さんの報告。博物館が抱えている問題の核心突いた報告でした。(現在では統合された日本というネイションに属している)自分たちが、どうして先住民にある当時者性を自らのものにできるのか(保苅はそのことを行ったと評することができるのか]という革新的な問題を投げかけました。是澤さん自身の日々の体験として、訪問者である「日本人」の先住民への認識の不足、あるいはそれを取り立てて展示することへの無理解には随分と残念に思わせられるけど、では先住民ではない自分の立場性はどのようなものと考えればよいのか、やはりきちんとした説明は必要ではないか、という問題です。
 保苅も述べているし、自分もまた論じたことがありますが、他者は他者であることによって意味があるわけで、全体に包摂されてしまえば他者性を失う。先住民の歴史を「国立博物館」に組み込むということは、結局はそれらを断片化することになるし、別個の博物館として保護しても、結局は同様の意味内容を生み出しがちなことは否定できない。そもそもそのような展示は、先住民によってのみ営まれるべきなのか。であるとしたら、(どうしても全体的な視点を抱いていてそれを訪問者に説明するという言説の生産者で)是澤さんのような立場は、(というより多くの研究者の立場は)どうなるのかという問題です。
 この問題は本当に難しい問題であって、なかなか答えを見いだせないような気がします。研究者に不可避的にあるポジショナリティが当事者性を持ちうるのか。歴史研究者は避けがたく現在に身を置いている、つまりはモダニティとナショナリティに拘束されているわけですから、その立場から現在においては周縁化されている、あるいは不在化しているものと同じ当事者性を持ちうるのかということが問題とされるわけですが。

# by pastandhistories | 2023-12-29 21:31 | Trackback | Comments(0)

歴史ウォーク

 26日の会の最初の発表者の高原太一さんは、砂川ウォークの中心となってくれた人。砂川闘争は今では忘れさられつつあるかもしれないけれど、60年安保闘争の序奏とも言うべき事件で、「心に杭は打てない」という言葉でも知られているものです。パブリックヒストリーという観点からは、リエナクトメント( reenactment)に当たるかもしれません。といってもリエナクトメントにもいくつかの形態があります。ポピュラーなものの一つは、南北戦争のゲティスバーグの戦いや、第二次世界大戦のノルマンディー上陸の際の戦闘を当時のような武器、服装を伴うかたちで追体験するもので、これはトゥーリズムと結びつくかたちで、実行されています。
 これらもパブリックヒストリーとして位置づけてもいいわけですが、近年パブリックヒストリーでさかんに試みられているのは、高原さんが論じてくれたような「場所の記憶」「モノの記憶」そして「身体の記憶」をフィールドワークを通じて追体験し、議論するという試みです。砂川闘争に関しては関係した人々が存命していて、そうした人々との交流をとおしても記憶は継承されるということなのですが、別の言い方をすると過去に「歴史をしていた人」と、現在にあって「歴史をしている人」の、対話ということなのかもしれません。 
 ゲティスバーグの戦いやノルマンディー上陸がナショナルな枠組みでのコメモレーション(したがって現在ではトゥーリズムと結びついてしまっている)となっていることに対して、マイナーな運動史的視点からの追体験行為を取り上げたという点で、パブリックヒストリーの現在の論点の一つを的確に伝えてくれた報告でした。

# by pastandhistories | 2023-12-28 20:52 | Trackback | Comments(0)

「歴史家である」こと

 昨日のパブリックヒストリー研究会で議論の一つとなったのは、(保苅のアプローチは人類学的なものに近いとも言えるのに)なぜ保苅は歴史家であるということを、強調し続けたのかということです。
おそらくその理由は、彼がジミー爺さんをはじめとするグリンジの人々を歴史する人々、歴史家であると考えていたからです。このことはジミー爺さんを人類学者、民俗学者と呼ぶことができるだろうかという問いを立てるとわかります。おそらくそう呼ぶことはできません。欧米において近代的な学問分野(discipline)として確立された人類学、民俗学の担い手であると彼らを位置づけるのはきわめて奇妙だからです。
もちろん歴史学、というより近代的歴史学は、しばしばランケに起源があるとされるように、近代社会の成立に伴って、欧米において学問分野として確立されたものです。そうした歴史学からはジミー爺さんの歴史実践は排除されます。しかし、歴史を広義に考えればジミー爺さんの歴史実践もその中に含みこむことができ、したがってジミー爺さんも立派な歴史家でありえます。ジミー爺さんは歴史家である。したがって、自分もまた同様な存在としての歴史家であると保苅は語ったわけです。

# by pastandhistories | 2023-12-27 09:57 | Trackback | Comments(0)

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