歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


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altered past

昨日本屋によって新刊書を何冊かを購入しました。セバスチャン・コンラートのWhat is global history?と、ジェローム・デ・グロートのRemaking Historyなど。これも昔と違って現在ではあまり意味のない作業。日本国内からでもアマゾンを使えば翌日配達されるわけで、わざわざ荷物をふやして持ち帰る必要もありません。とはいえ、いずれも自分が期待している研究者による2016年の新著。読むのが楽しみです。前者には、ベッカート、ザクセンマイヤーらの、後者にはローゼンストーンの推薦文が付けられています。
本といえば、今回は機内で読むために、Richard Evans の Altered Past: Counterfactuals in History (2014) を持ってきました。出発直前に「ゲームと歴史」「ギャンブルと歴史」という文章を書き、その中でイフヒストリーが学問的な世界でもきちんとした論争の対象となっていると書いたので、そのことを補足しようと思ったからです。
まだ半分ほどですが、予想していた通り議論に「ズレ」があるような気がします。カウンターファクチュアルヒスリーに対する歴史研究という立場からの批判の最大の根拠は、それが「資料」に基づいていない、つまり歴史研究の基本的出発点を踏まえていないということです。起きたことのうちにも資料を残してない物は多くあり、したがって歴史研究に想像的要素が介入することは確かだけど、起きなかったがゆえに資料を残していないことを想像することは、歴史研究の基本から大きく逸脱するものであるということです・
たぶんこの批判は正しいかもしれません。しかしこの批判は、おそらくpastology と history の区別を見落としているのではと思います。archaeology は history と学問的には区別されることがあります。歴史には考古学的な手法とは異なる広義な要素が含まれるからです。そうした要素を批判的に考えていくという「禁欲的な」アイディアが、逆に「想像力」をめぐる議論を生み出していると自分は考えています。そのあたりのことを、また帰りがけにエヴァンズの本を読んで考えてみたいと思います。
# by pastandhistories | 2016-02-19 20:36 | Trackback | Comments(0)

パブリックな空間とジャーゴン的空間

今イギリスです。といっても一週間くらい。前回のホブズボーム記念集会と同じです。最近はこういう短い滞在が普通。しかし今回が異なるのは、学会参加ではなく、資料・文献調査であること。しかし、それでもこの滞在期間は長いかもしれません。グローバルなデジタルネットワークの急速な進行で、以前は主要な仕事であった資料の閲覧や本の購入、論文のコピーといった作業は不必要。というより直接来たほうが不便な部分すらあるという事態も生じているようです。
その意味では専門家同士の連携化が進行しているわけで、それは望ましいことかもしれないけれど、そのことがかえって学問的世界を限られた人間によるジャーゴン的世界にし始めているのではという気もします。学問的な専門化、細分化が進めば進むほど、研究者も少数化するけど、一方でのグローバルなコミュニケーション世界の広がりによってそのことがかえって意識しにくい。そんなことが生じているかもしれません。
そんななかで、あらためて考えさせらるるのは、学問的な成果が投げ出されるパブリックな空間とはどのようなものであるべきかということ。閉鎖的なナショナルな空間ではないことはもちろんだとしても、啓蒙に根拠を置いたモダニティといったような、メタ的なものでないのだとしたら、一体それはなになのか。
さいわいにして自分が今関心をもっている歴史理論や社会運動史は議論が投げ出されうるパブリックな空間がまだ可視的なものとして見えるところがあるけど、この問題はデジタルグローバリゼーションの進行の中で、人文的な学問にとって重要な問題になってきたような気がします。
# by pastandhistories | 2016-02-18 16:06 | Trackback | Comments(0)

ギャンブルと歴史

 説得力のある議論ができるかわからないけど、予告したので、「ギャンブルと歴史」というテーマで書きます。素材とするのは、おとといのレスター対マンチェスターシティ戦です。なぜこのテーマを取り上げるのかというと、ギャンブルを例にとると、歴史の説明において重要な役割を果たしている因果関係の問題について理解しやすい側面があるからです。
 おとといの試合の直前のオッズが具体的にどうであったかは知りませんが、レスターに関してはここ3戦、つまり実力的には上回るとされるリヴァプール、マンチェスターシティ、そしてアーセナル戦、とくに強豪チームとアウェイで戦うマンチェスターシティ戦とアーセナル戦がプレミア初優勝の鍵であるといわれていました。3連敗する可能性もある。そうなれば、「本来の実力通り」優勝戦線から後退していく契機となるだろうと予想されていました。色々な要素を前提に考察すれば、そうした結果がある程度の蓋然性をもって出現するであろうということです。しかし、結果はまったく異なったものでした。
 「いろいろな要素」、別の言い方をすれば起きるであろう出来事の「原因」とされる諸要素、あるいは変数といってもいいのですが、そうしたものを考え合わせれば、もともとレスターに関しては優勝どころか、クリスマスまで首位に居ることは予想されていませんでした。したがってそうした結果に賭けた人に対しては、既に6000倍以上の配当が支払われています。つまり合理的な前提とされる諸要素・変数を組み合わせても結果は予想できなかった。それが結果を対象としたギャンブルが成立してきた根拠です。いくら合理的だとされる思考を重ね合わせても結果が予想できない。その理由はなぜか。単純に言えば(?)、人間の行為の結果であるスポーツの試合の結果は、きわめて複雑な諸要素・変数が組み合わされて生ずる結果、いわゆる複雑系(?)に属しているからです。
 だとすると、議論を逆転させると起きた結果をその原因となった諸要素に還元して因果的に説明することは、論理的にはけっして正確な説明ではないということになります。そんなことができるなら、諸原因となる要素を見出せば、結果は確実に予想できる、したがってギャンブルの対象とはならなくなってしまうからです。
 実はこの議論には反論があり得ます。つまり、そうはいっても出来事が起きうる確率はある程度予想しうる。というよりも、どの程度の人が、どのような予想をもっとも合理的だと考えたかはオッズの予想順位に反映されている。そして多くの場合結果的にはオッズの予想順位にしたがったかたちで結果は生じているのではないかという主張です。
 多分この主張は正しいでしょう。しかし再びギャンブルに例えると、そうした順当な予想にしたがって投資し続けるのと、今回のレスターの優勝(まだ決まってはいませんが)に賭けるのと、どちらが長いスパンから見た場合最終的な利益をもたらすのか、もし後者だとしたら、予想に基づく行動としては後者の方に合理性があります。再び比喩的に言えば、マイノリティに立つ選択の方が、あるいは特異な思考が、より合理的な決断でありうる可能性があるということです。やや飛躍した議論だとは思いますが、因果関係から歴史を考えるさいには、こうした思考もまた重要かもしれません。
# by pastandhistories | 2016-02-09 21:43 | Trackback | Comments(0)

ゲームと歴史

 昨日は主宰者に誘われて、遊戯史研究会に参加しました。ゲームと歴史について、ゲーム製作者、歴史研究者、その両方を兼ねる人、さらには多くのゲームプレイヤーが参加して、けっこう楽しい、そして重大な議論がありました。
 参加者のヴァリエーションを反映して議論は多岐にわたりましたが、議論の一つの中心となったことは、歴史を素材としたシミレーションゲームの場合、最初の前提を事実に置くとしても、ゲームの進行の中で「歴史的事実」ではなかったことが、ゲーム上の「事実」として組み込まれ、結果が事実と大きく異なってしまってよいのかということです。もちろんゲームとしてはかまわないわけで、またそうでなければゲームとしての面白さを保てない。しかし、ゲームを何らかの歴史認識の媒体として、あるいは歴史教育の教材として用いる場合、そうしたことはどの程度まで許容されるのかということが議論されました。ゲームと歴史をまったく別のものとすれば、もうそれ以上の議論の必要はない。しかし、両者を関係づけようとすると、議論はそれなりに難しくなります。
 この問題はイフヒストリーの問題と関連します。というのは、シミレーションゲームは、ゲームの進行の過程で、その都度プレイヤーに与えられた選択肢からの選択を迫るわけですが、プレーヤーが過去に実際に選択されたものと別の選択肢を選べば、その結果は過去に起きた事実とは異なるものになリうるからです(絶対に異なるものとなるかは、ゲーム作成者が設定した条件により異なりますが)。そのことがゲームは歴史とは親和性を持たないという議論の根拠になります。
 しかし、この議論はおかしいですね。というのは、過去を歴史内在的に考えるというのなら、実際のアクターはゲームプレイヤーと同じように、というよりゲームという条件の中には組み入れることができないようなきわめて多くの選択肢を前にして行動していたからです。その後に起きた事実を、「絶対に起きる事実」であることを前提に行動していたわけではないからです。歴史に内在するというのはそういうことです。起きた事実に対する研究方法の一つ、実証的考証が歴史研究であるということが強調されることが多いために、「歴史の事実」の問題については歴史研究者の中にも、一般にも大きな錯覚がありますが、歴史の内在的事実というのは、はるかに多様性を持つものです。会議では発言できませんでしたが、イフヒストリーやカウンターファクチュアルヒストリーがきちんとした学問的場で問題となるようになったのもそのためです。
 シミレーションゲームの問題は、むしろプレイヤーに与えられる選択肢が、進行過程で起きていく事件の過程を複雑化させないために、選択肢を限定していることです。アイロニカルなことに、そうした選択肢が、学問的世界でもちいられてきた、そしてそうした手続きをへて一般化している「単純化」された因果関係を前提としたものが多いということです。そのために因果論的な議論を前提とした歴史がクリアーすぎるものとして提示されている。そのことがゲームの結末が実際に起きた事実と異なっていると、大きな違和感を感じさせてしまうということです。歴史ケームは意外なほど、常識的な、学問的な歴史観に基づいています。それはプレーヤーが学校で学んだ、あるいはパブリックプレースにある歴史を共有しているからであり、そうしたプレイヤーを対象として作成されることが多いからだと思います。
 ・・・・・・・実は今日はこんなことを書く予定ではなく、おととい2時間にわたって中継を見たプレミアリーグのレスター対マンチェスターシティ戦を素材に「ギャンブルと歴史」というタイトルで書く予定だったのですが、その前提的文章が長くなってしまいました。「ギャンブルと歴史」については、明日書くようにします。
# by pastandhistories | 2016-02-08 11:48 | Trackback | Comments(0)

イリーの議論

 昨日紹介したイリーの本の内容を少し補足しておきます。実はイリー自身は本のタイトルが示すように、社会史から文化史へという直線的な発展論を論じているわけではなく、結論としてはやや折衷的な議論をしています。しかし内容的には、彼の議論は、社会史と文化史の相互的な関係、たとえば社会史からいわゆる「新しい文化史」といったものなどへの流れをどう理解していくのかという点について参考になるところが多くあります。
 イリーは自らが研究者としての基盤を作り出していった時代、その中で自分が影響を受けたものを、ほぼ三つに、具体的には、フランスのアナール派、イギリスの批判的マルクス主義、そしてドイツの日常生活の歴史、という基本的には広義の意味での社会史の流れに属するものであったとしています。くわえてカルチュラルスタディーズの系譜や、モダニティーへの批判、そして自らが研究者としては属することになったアメリカにおける学際化の流れが、そうした基本的要素と混淆しあうかたちで自らに影響を与えたと論じています。こうしたものを網羅的に論じているという点で、イリーの本はこの時期の学問的な流れをたどった研究史として便利です。と同時にイリーが重視するのは、こうした「学問的流れ」に対して、学問的世界の周辺にあったもの、あるいはその外部にあったものの果たした役割です。トムスンやスティードマンがその点から高く評価されていて、同様にヒストリーワークショップもまた「外部」から大きな流れを生み出したものとして高い評価が与えられています。
 そのヒストリーワークショップについて、自分が何よりも面白く読めた部分は、ヒストリーワークショップと社会史・社会運動史・言語論的転回・そして女性史がどのように関係しているのかということについての叙述です。そのことは51頁の叙述に端的に集約されています。内容は要約すると「トムスンの影響を受けて・・・1965年から1974年にかけてオックスフォードでSocial History Group が組織された。そのメンバーは、マルクス主義者であったギャレス・ステッドマン・ジョーンズ、・・・やや年長の熱烈な新左翼であったラファエル・サミュエルだった。・・・ラファエル・サミュエルは History Workshops を組織し、彼の学生たちは来たるべき時期の社会史の重要な推進者となった。1967年の A Day with the Chartists に始まった会合は、1968年の政治的急進主義によって勢いを与えられ、国際的な参加者をもえて発展した。そうした中で最初の労働史のいくつかのテーマに代わって、歴史における子供、女性という社会史的テーマが目立つようになった。」
 実はこの後の52頁に、こうしたラファエルが領導した ヒストリーワークショップの試みがそれまでの Official and National Past に代わるものとして、小説・映画・風刺をも含みこんだ、そして主観性の問題を取り入れた個人史にたいする問題関心を生み出したという文章が続きます。しかし、何と言っても興味深いのは、こうした流れにおいて言語論的転回をチャーティスト運動研究にもちこんだギャレスが初期的には重要な役割を果たしていたということ、そしてチャーティスト運動への関心もまたその出発点において重要な役割を果たしていたことが触れられていることです。
 言うまでもなくイリーも本全体で強調していますが、ヒストリーワークショップの運動は、レイモンド・ウィリアウムズやスチュアート・ホールに代表されるカルチュラルスタディーズに触発された、同様の思想的起源をもつものです。ギャレスの議論もまたそうした同じ系譜の中において生じたものだということが、イリーの本の中にもうかがうことができます。
# by pastandhistories | 2016-01-30 13:07 | Trackback | Comments(0)

1940年代生まれの歴史家

 昨日入力に失敗したことを思い出しながら書いていきます。書いたことは、16日に行った話の内容についての補足。この日の集まりは、自分が赴任した1989年以降の大学への入学者を中心にしたもの。つまり東欧社会主義国家の崩壊の時期以降 に大学に入った人たちとなります。その人たちを対象に、現在なぜ「立憲主義」(constitutionalism) という言葉が問題になっているのかということについて、「民主主義」(democracy)という言葉との関係をまじえて話すことを試みました。
 しかし、こうした話題を1970年以降に生まれた人たちに、説得的に語るのは本当に難しい。その大きな理由は、その前提として必要な、なぜある時期までマルクス主義が学問的な世界、とりわけ歴史学において大きな影響力を持っていたのかということや、そればかりでなく広い知的空間、さらにはパブリックな空間で影響をもちえていたのかを理解してもらうのが難しいからです。
 この前提がわからないと、いわゆる「擬制」としての「民主主義」、「議会制」民主主義とか、さらには「ブルジョワ」民主主義に対する批判が上述のような思想的な流れにおいては常識的なものとされていて、社会民主主義はそうした括弧つき「民主主義」を補完するものとして批判されていたことや、「戦後民主主義」が保守的な立場からだけでなく批判の対象となっていたことが理解できない、さらには「民主主義」擁護に代わって「立憲主義」擁護という言葉が語られるようになっていることの意味、その問題の深刻さが理解できないからです。そしてイギリス社会運動史の最大の研究テーマであるチャーティスト運動研究史の中で、なぜ言語論的転回という議論が、「立憲主義」や「急進主義」という言葉をキータームの一つとして用いるかたちで登場したのかを理解できないからです。
 本当に大雑把なかたちで結論的に言えば、こうしたマルクス主義の影響の大きな根拠となったことは、もちろんマルクスの思想にそうしたものが内在していたこともその一つですが、具体的には第一次大戦期に「社会民主主義的」な運動の思想の多くがナショナリズムと結合したこと、そして大戦後、既存の国家機構にかわる対抗的な過渡的権力の行使を主張したロシア革命が革命権力の維持という点では成功し、対して社会民主党の指導の下にこれと異なる道を選んだドイツ革命が、結果的にはナチスの支配を生み出したということにあったとしてよいでしょう。実際、1930年代以前に生まれた「左翼的」な、あるいは「批判的」な思想家、研究者の多くはそうした立場から、マルクス主義のフェロウトラヴェラーであったわけです。Past and Present がマルクス主義にシンパシーを抱く研究者によって組織されたのは、その代表的な事例です。そしてこの流れは、1956年のスターリン批判・ハンガリー事件まで継続しました。
 対して自分もそうですが、1940年代生まれの世代の人々は、これとは少し異なるものを自らの思想的出発点とします。中でも大事なことは、マルクス主義の思想的影響を受けたとしても、それは正統マルクス主義ではなく批判的マルクス主義であったということ、さらには1960年代の運動の経験です。そうした人々を例示していくと、チャーティスト運動研究に言語論的な議論を取り入れたギャレス・ステッドマン・ジョーンズ(1942年生まれ)、すでに紹介したことのあるジェイムズ・エプシュタイン(1945年生まれ)、ギャレスの議論を継承して言語論的な立場から「階級」論を重視した歴史理解へ疑問を提示したパトリック・ジョイス(同じ1945年生まれ)、そして言語論的転回を歴史の脱構築論を結びつけたキース・ジェンキンズ(1943年生まれ)とアラン・マンズロウ(1947年生まれ)、そして女性史研究に言語論を取り入れたジョーン・スコット(1941年生まれ)、それを個人史的方法へと発展させたキャロライン・スティードマン(1947年生まれ)、同じ女性歴史研究者であるリン・ハント[1945年生まれ)、さらには実証史家であると同時に歴史理論への考察を行っているゲイブリエル・スピーゲルも多分同じような年だと思います。晩年の著作が「社会民主主義的」な視点に立つとして翻訳・紹介されたトニー・ジャットも1948年生まれです。
 以上のような1940年代生まれの歴史家が、歴史研究の流れのなかで、どのような役割を果たしたのかを同世代の歴史家として記録しているのが、ジェフ・イリー(1949年生まれ)の、A Crooked Line: From Cultural History to the History of Society (2005) です。タイトルにあるように、文化史への、文化史からの流れを中心に現在の歴史研究の問題を論じたもの。History of Society という言葉は1971年の発表された有名な論文のタイトルとしてホブズボームがもちいたものであって(本文の結論部では、histories という複数形がもちいられています・・p.203)、そのことからもわかるように、歴史研究の「発展」の流れを、単純に直線的に論じたものではありません。しかし、この本からはギャレスの議論がなぜ社会運動史研究と交錯するかたち(というよりギャレスはもともとは社会史的な立場に立つ研究者でした)で生じてきたのかという問題や、社会史と文化史の関係がわかるところがあります。少し長くなりすぎたので、そのことはまた次の記事で紹介します。
# by pastandhistories | 2016-01-29 10:36 | Trackback | Comments(1)

3月20日

 今月が1回、先月が2回(といっても一回は日程の予告なので実質は1回)、先々月が1回だけしか記事を書いていないのに、本当に多くのアクセスがあり、少し申し訳ない感じです。ということで今朝は頑張ってかなりの長文の記事を書いたのですが、最後の入力のさいに間違ったキーを押してしまいあえなくパー。内容は覚えているので、気力が回復すれば明日また書きますが、今日のところは日程の予告だけにします。
 デ・グロートを招聘しての3月のセミナーですが、日程が変更されて20日になりました。美術館と映画というテーマで、グローバリゼーションが進行する中でのパプリックヒストリーについての報告を準備してくれているようです。詳細が決まりましたら、また内容を伝えるようにしますので、関心のある人は日程を開けておいてください。
# by pastandhistories | 2016-01-28 12:13 | Trackback | Comments(0)

初仕事

 何年か前までは正月は毎年アメリカ歴史学会に参加していたのですが、今年は1月の日程が詰まっているので行きませんでした。もっとも1月の日程が詰まっているのは毎年のこと。ただ今年は最後なので、きちんと納めの仕事をしたいというのも、理由の一つです。その一つが原稿書き。年末に今年の海外での仕事のアブストラクトを書いたので、それを含めていくつかまとめていくのが今年の目標。ということで元旦から原稿書きと思ったのですが、まずは仕事始めは読書からとなりました。
 何を読むかは迷ったけど、結局は3年前のアメリカ歴史学会で久しぶりに会ったジェイムズ・エプシュタインの In Practice (2003)、サブタイトルは、Studies in the Language and Culture of Popular Politics in Modern Britain になりました。E. P. トムスンに自分の書物の推薦を頼んだら、エプシュタインがもちいている「立憲主義というイディオム」(constitutional idiom)への批判の手紙(1989)がトムスンからあったということの紹介とその引用から序文が始まるこの論文集は、もともとは ドロシー・トムスンのもとで学位を取り、彼女と共に『チャーティストの経験』(Chartist Experience, 1982) の編集の任にあたったエプシュタインが、その巻頭に掲載されたギャレス・ステッドマン・ジョーンズの「チャーティズムの言語」(The Language of Chartism)などによって社会運動史に持ち込まれた言語論的転回をどう考えたのかを示す、とても参考になる内容となっています。
 エプシュタインには、指導する側と指導される間の関係を、象徴や言語というその媒体に注目して論じた優れた実証研究がありますが(その代表的なものが、チャーティスト運動の最大の指導者であったファーガス・オコナーをとりあげた単著)、エドワードからその主張への疑問が寄せられたように、彼の考えは言語論的転回にはやや批判的であると同時に、その問題意識には理解を示すというものです。その点からギャレスの議論を評価しています。
 一番参考になるのは、ギャレスの議論がとりわけ1970年代以降、かつての「労働」とか「階級」という言葉を媒体として、資本主義(的な政治)に対するオルタナティヴと考えられていたものが後退したことへの危機意識に基盤をおくもので、その起源をギャレスは19世紀の運動のあり方に求めたのではという議論(これはギャレス理解さらには言語論的転回理解の重要なポイントです)をしていることです。また労働者(階級)がもっていた(現在も持っている)文化的異質性は、必ずしも支配との政治的異質性を生み出すものでないという問題意識が、ギャレスの考えの背景にあったとしてしていることです。
 話が少し変わりますが、昨夜は『相棒スペシャル』を見ました。官房長官が殺されてしまう。二時間ドラマをはじめとして大衆的な文化空間にあるディスコースの一つとして、「政治家」は「ある種の正義」によって排除されるべき存在としてしばしば描かれます。しかしそうした文化的な枠組みが、本当に対抗的な変革への政治的エネルギーを生み出すものであるかといえば、それは否です。むしろ圧倒的に「保守的な」「疑似革新的な」政治の媒体となることの方が多い。エプシュタインは、ギャレスが論じたそうした問題を取り上げています。たとえ労働者や民衆と呼ばれる人々のあいだに支配的な層が持つものとは異なる文化意識が存在していたとしても、それは政治的な変革を生み出すようなもの、資本主義に対するオルタナティヴを提示するものとは決して同一なものではない。それが1970年代以降明確に問題化してくる。そうしたアクチュアルな問題意識が、言語論的転回を媒体とした「学問的な流れ」にあったことがエプシュタインの議論からはわかるところがあります。
# by pastandhistories | 2016-01-02 11:02 | Trackback | Comments(0)

ディスコースとイディオム

 1月16日と3月21日について告知した記事以来です。この記事には1日で630ものアクセスがありました。誰かがツイッターか何かに貼ったためだと思いますが、この場を借りて感謝します。そのうち1月16日については詳細は、[日時:1月16日(土) 午後1時半~午後3時、場所:東洋大学白山校舎6号館6309教室]で、内容的には「歴史に対する考え方」みたいなものを中心にするつもりです。なおこの後、16時から18時ということで、東洋大学白山校舎二号館16階スカイホールというところで所属学科主催で懇親会をしてくれるようです。最終講義はもちろんタダですが、こちらは参加費が八千円(記念品代等込み)とのことで、準備のために事前申し込みが、 メールアドレス  toyo.univ.seiyoushi@gmail.com もしくは FAX 03-3945-7380 までに1月8日締め切りで、必要だとのことです。基本的には学科の主催で、西洋史で担当した卒業生以外には通知をしておらず、それ以外には年賀状のやり取りのある人はそれに添え書きでもして、と考えていたのですが欠礼ということになりましたので、ここにデータを記しておきます。
 ということなのですが、今年の授業は非常勤を含めて昨日で終わり、いろいろの原稿の片づけということで、さっそく11月のチャーティスト運動についての講演のまとめの下書きをほぼ片付けました。講演用のメモがあったので、それをもとに一気に書きました。研究史の全体を俯瞰したので、問題は多岐にわたっていますが、結論的に書いたことの一つは、現在話題になっている立憲主義と民主主義の問題。これに関しては、Gurney (2014)の議論をまとめにもってきました。この論文は、democratic discourse と constitutional idiom からチャーティスト運動理解を整理したもの。タイトルが示しているように、言語論的な議論を踏まえたものです。しかし、内容的には後者に力点をおいたギャレス・ステッドマン・ジョーンズ、マイルズ・テイラー、ジェームズ・ヴァーノンらを批判し、前者の視点からチャーティスト運動を捉えています。
 Gurneyの議論は,当時はネガティヴな意味内容を持っていた、とりわけ支配層は嫌悪していたデモクラシーという言葉をチャーティストがもちいた、かつそれは労働者世界の ritual や symbolism と結びつくかたちで、かつまた自らの組織のプラクティスとしてももちいらていたということの意味を論じてています。つまりチャーティスト運動をデモクラシーというディスコースに媒体とした人々の結合のなかから捉えることをとおして、その表面的イデオロギーが議会改革であったことを根拠にconstitutionalism という枠組みから捉えることを批判するというのが、gurney の論旨です。実はこの後19世紀後半からデモクラシーという言葉がどのようなものとして機能(さらには変容)していくのか、そして20世紀にはそれがどうであったのか、という大変に重要な問題があるわけで、その点を踏まえた(Gurney もまたそのことを議論しています)、きわめてアクチュアルな問題意識に支えられた議論です。
 もちろんギャレスの議論は、ある意味ではそれ以上にアクチュアルな問題意識に支えられた議論であったと自分は考えています。こうした問題は、なぜ現在立憲主義(民主主義という言葉が中心であった60年安保とは異なって)という言葉が現在もち出されているのかという問題と深くかかわるわけで、興味深いテーマです。 
# by pastandhistories | 2015-12-25 06:55 | Trackback | Comments(0)

1月16日、3月21日

 「貧乏暇なし」というより、「不勉強暇なし」という感じ。それでもやっと本は読めるような状態になりつつありますが、この二日は私用が入り完全につぶれました。もっともこの間いくつかのことが進行。
 その一つは、最終講義の日程が固まったこと。1月16日の午後になりました。センター入試の日ですが、別に他意はなく、もともと今年は土曜日が授業日だったからです。今日アレンジをしている人にタイトルを聞かれ、「講義だから講義題目(歴史の諸問題)以外には別にない」と答えたのですが、シラバスを見たら、「ひとりの人間として歴史を考える」という講義を行う日になっていました。そんな内容になるかもしれません。
 もう一つは今年度の招聘セミナーの最後の招聘者と日程が本人からの受諾メールがあってほぼ固まったこと。来日を引き受けてくれたのはマンチェスター大学の Jerome de Groot, 日時は3月21日(月)午後となります。ベルベル・ビーヴェルナージュ同様若い研究者。といっても実証的な著作と共に、Consuming History や The Historical Novels といった著作を出していて、様々な商業的(メディア)空間にある歴史をめぐる問題や、文学と歴史の関係を論じている将来を期待されている研究者です。参加して損はない会になると思います。今後まだ若干の変更があるかもしれませんが、比較的長く日本に滞在してくれるようなので、関心のある人は連絡してもらえれば別の会をアレンジすることができるかもしれません。
# by pastandhistories | 2015-12-09 21:49 | Trackback | Comments(0)

チャーティスト運動はどう物語れるか

 久しぶりの記事です。昨日は所属する大学の学会で、「チャーティスト運動はどのように物語れるのか」というタイトルで講演をしました。このブログにメモ的な記事を書き、問題点を整理しながら準備していくことを考えたのですが、そうなると内容が膨らみすぎていくだろうとも考えたので、それはしませんでした。またこのブログをそうしたかたちで使用すれば、関心のある人の告知になるとも考えたのですが、その場合果たして関心を持ってくれる人の期待に応えられる内容のものを準備できるだろうかという気持ちがあったので、それもしませんでした。伝え聞いてわざわざ参加してくれた人には大変感謝しています。
 一般的な聴衆を対象とする場合によくあるように、ポイントを思い切り絞って、「講演」らしく要領よくまとめることも考えましたが、学会ということで参加する人は圧倒的に歴史研究者であり、かつ今回の場合は専門がまったく異なる人が圧倒的多数ということで、それならということで網羅的な話をして、聞くそれぞれの人に多少なりとも部分的なヒントを提供するものがいいだろうと考えたのですが、そのかたちだとかなりの時間が必要。圧倒的に時間が足りませんでした。
 いちおう準備したプリントでは、Labour History Review の2009年、2013年の特集、それ以外の最近の研究、さらにはデジタル化やネット空間での作業の紹介も視野に入れてはいたのですが、その部分はほとんど触れることはなく申し訳ないところがありました。またかなり急いだので、いくつかの説明を落としてしまいました。まずはプリントに掲載されていた英語で書かれてた基本的な論文集の紹介。これはStephen Roberts が彼のサイトで、それぞれの著作の要約として書いているものですが(その紹介がやや偏っている事例としてとりあげる予定だったのですが、その点をまったく説明できませんでした。時間の問題もあったので、最初にプリントにその旨書いて置くべきで、参加者には自分の文章だという誤解を与えたかもしれません)、その説明を落としました。
 それから話としては、ステーブン・ロバーツも含めたドロシー・トムスンの弟子たちが作り出している流れと(ロバート・ファイスン、そしてジェイムズ・エプスタイン、オウエン・アシュトン)を基本とし、エイサ・ブリッグズやJ・F・C・ハリスンの流れ(ジョン・ベルチェム、アイリーン・ヨウ、マルコム・チェイズ、そしてローハン・マクウィリアムズ)、それからギャレス・ステッドマン・ジョーンズとパトリック・ジョイス、ヴァーノンらの言語論的転回派、言語論的転回を取り入れながらも微妙な立ち位置のマイルズ・テイラー、以上の研究者とはやや異なる立場から重要な議論を提示したポウル・ピカリング、そしてアメリカのおける研究、たとえばゴドフリー、さらにはメーザーからパイににいたる治安システムに注目した近代国家形成から捉えていく方法(それに対するサヴィルの議論)といった議論の大きな枠組みを前提としながら、
 最近の研究において注目してよいこととして、
 1)言語論的転回提起した問題を緻密化した議論、さらにはそれに対する緻密化された反論。たとえばきわめて盛んになっている詩をはじめとする文学的表現についての研究。語彙やイディオムの研究。言語的表現と非言語的な表現との関係、労働者の日常的文化、くわえて感情などとされるものとその言語化との間の関係、そうしたものが「階級」論との関係でどう展開されているのか、とくに運動を「労働者」や「階級」を単位とするものと考える立場からもどのように緻密化されているのかという問題。くわえて言語論的な視点を継承するものとして、constitution,democracy といった「言語」はどのようなものとして分析されているのか、という問題、
 2)「当局」や指導者が残した資料ではなく、普通の労働者が残したT自伝」などの資料の発掘に伴って、そうした「主観的」な資料から歴史を捉えていくという視点がどのようなかたちで議論されているのか、という問題
 3)情報や交通のナショナライゼーションが運動の全国化、それ以上に統治する側の全国化をどのような内容のものとして生み出していったのか、その相互的関係が19世紀後半のイギリス社会をどう構成していったのか、といった問題、
を説明したかったのですが、さすがにテーマが大きすぎました。それでも1時間ほど話してみて、その準備も含めてある程度の枠組みができたので、それはまたの機会にまとめていければと考えています。
 とにかく時間がなくて急いだ。そのためにドロシーがはじめはリーズでエイサ・ブリッグズに教わり、そのテーマがアーネスト・ジョーンズであったということ。そしてマルクスとの個人的接点から評価されてきたアーネスト・ジョーンズについての一面的な理解を疑問視し、非労働者的な社会層出身の文学的ボヘミアンであったという点を指摘したのがマイルズ・テイラーであったこと(そのことを彼がバーミンガムでのチャーティスト・コンフェランスで論した時に自分は参加していました)、こうした流れから同じ時期に台頭した近似性をもった指導者としてレナルズへの評価が進んだこと(同じくバーミンガムで開催されたレナルズ研究集会で興味深い発表をしたのが、運動と詩の問題を取り上げたイアン・ヘイウッドと日本でも翻訳がでたローハン・マクウィリアムです)といったようなエピソード的だけど重要なことも話す予定でいたのですが、そうしたことも落としてしまいました。ということで、この場を借りて記しておくことにします。
# by pastandhistories | 2015-11-29 07:55 | Trackback | Comments(0)

186万部

 家人が出かけて、いま家には誰もいません。のんびり過ごしながら、ノートを見直しています。ということで滅多にないことですが、同じ日で二本目の記事となります。
 昨夜は懇親会、二次会で話が弾んで、最後にもう一軒ということになりましたが、それほど飲むメンバーでもなく、店も開いていないということで、行った先はマグドナルドの二階。もういい年齢なのに、かなりの人が200円也のソフトクリームを注文し、時間をつぶしました。
 雑談も多かったけど、その時出た話の一つが学生時代に関わること。自分は大学祭実行委員会の三役、事務局長をしたことがあって、そのことには色々なエピソードや思い出があるのですが、昨日の参加者の一人は委員長経験者であったということ。少し差をつけられてしまいました(将来彼は学長になるのかな?なるかもしれないですね)。
 その大学祭にちなんで。自分が大学祭委員の企画として立てたものの一つがゲストを呼んでの後援会。大学入学時に学生の間で最も話題となっていたことの一つが、その年の芥川賞受賞作。橋本忍脚本で映画にもなった柴田翔『されどわれらが日々』です。ということで自分が講演会を企画・提案。ちょうど柴田翔さんはドイツから帰国したばかりでしたが、電話をしたら自宅に招いてくれて、「話すのは本当に苦手」ということで最初は断られ気味でしたが、そこを何とかお願いして講演を了承してもらいました。
 大学祭当日は700人収容の大教室が超満員(当時の駒場は教室の部屋番号が大体収容人員に見合っていて、700番教室は700人、代議員大会がよく開催された600番教室は600人・・学生7人に1人が代議員なので、つねに400~500人が参加していたと思います)となりました。
 本人が話は苦手だと言っていましたが、それだけの大聴衆での講演ということで、やはり難しいところがあったとも思いますが、自分が印象に残っているのは話が、柴田さんが大学に入学したときに、教室の座席に座ったらそこに落書きがあったということから始まったことです。書かれていたのは、中原中也の「汚れちまった悲しみに」。自分はそうした「汚れちまった」という落書きのある場所に来てしまったのか、という感慨をいだいたということです。
 自分の学生時代の心象にあったことを伝えたかったのだと思いますが、『されどわれらが日々』について印象に残っていることは(今手元に本があるわけではないので、正確な記憶かはわかりませんが)、たしか主人公が本屋の棚にある本を眺めながら、やがて自分が物を書くことになれば、その本もまたこうした形で棚に並べられる、しかし、やがては本もその内容も人々から忘れられていくだろうという感想を抱くところです。
 あるいは別の作品に書かれていたことで記憶違いかもしれませんが、自分には大学院に残る頃(柴田さんは当時大学の助手だったのではと思いますが)から、つねにこうした思いがありました。おそらくは大学の地位につけば自分は通過儀礼として二つの本を出すだろう。「箱入り」の論文集と、専門領域についての通史的叙述。つまり「分析」と「物語」です。・・・しかし、そのことにはどのような意味が本当にはあるのだろうか?。・・・それは自分にとっての意味なのか、それとも読み手にとっての意味なのか。そんなことを今度の講演では話せればと思っています。
 それはともかくとして、このことともほんの少しだけ関連しますが、今回の芥川賞の又吉直樹さんの『火花』は130万部近くがすでに刷られたそうです。この記事を書くにあたって確認してみたら『されどわれらが日々』は186万部。ビートルズとAKBについて、ビートルズが50年後にも記憶にとどめられているように、AKBも50年後に記憶にとどめられているだろうかという記事を書いたことがありますが、『されどわれらが日々』と『火花』についてどんな議論がありうるのでしょうか。
# by pastandhistories | 2015-10-25 18:21 | Trackback | Comments(0)

分析と物語

 『歴史を射つ』の公開合評会は無事終わりました。会場負けするのではということを心配していましたが、多くの人が参加してくれて、内容的にもそれなりの意図は果たせました。とにかく本の内容が多岐にわたっていて、量的にもかなりのものなので、細かく内容を「書評」するには時間的な制約があり、そうしたところにまで議論がいくのは難しかったのは仕方ありませんでしたが、基本的な議論・問題の提示はできたのではと思います。
 ひな壇対フロアという関係になると、どうしても議論が一方通行的になりやすいので、今回はコメンテーターと編集者が左右に分かれて対座するというかたちをとってみました。そうした工夫もあってある程度はそれぞれの考えにある差異が会場に伝えられたのではと考えています。今回で一番意外だったことの一つは、多くの参加者がすでに本を所有していたことです。書評会ですから当然と言えば当然ですが、高額な本なので事前購入は難しいと思っていたので、そのことには驚きました。逆に用意してあった本があまり売却できなかったのは残念でしたが。
 さてこれで昨年来の仕事が一段落しました。個人的には次の仕事は来月末の所属大学の学会での講演となります。すでにタイトルは決まっていて、「チャーティスト運動はどのように物語れるか」というものです。もちろんモノグラフィカルな研究には、大別すれば分析と物語的叙述という二つの方向があります。というより多くは、基本的にはこの二つを組み合わせて行われます。あえて「物語れるか」としたのは、すこしタイトルを刺激的にした方が関心を引きやすいと思ったから。実際には双方の側面からチャーティスト運動研究についての考え方を説明する予定です。大量なノートがあるので、その再読・点検に入っています。とても一か月では準備は間に合いそうもありませんが、この間重きを置いていた歴史理論についての関心をふまえて、個別的なテーマに対する研究の仕方・表象のしかたを説明する予定です。
# by pastandhistories | 2015-10-25 11:47 | Trackback | Comments(0)

24日のこと

 今日はこれから3コマの授業があります。春学期は夜まで他大学出講を含めて4コマでしたが、さすがに大変なので、秋からは時間割を変更してもらいました。個人的には大きな仕事だった『歴史を射つ』関連の仕事が一段落したので、いまは本来の自分の専門であるチャーティスト運動のノートの見直しを中心に週の予定を組んでいます。また理論関係の仕事に関しては、『歴史を射つ』に対する反応を見ながら、それを参考に次の段階に入っていこうというところです。
 その『歴史を射つ』ですが、やっと書店やネット販売に現物が出揃ったようです。その進み方がやや遅く、24日の会まで間に合うか心配していたのですが、何とかなるかもしれません。逆に24日の会を合評に限定してしまうのは、考え直してみたら参加者を限定してしまうことにもなるので、本のない人にも参加できるようなかたちで、議論の流れを少し工夫してみるつもりです。基本的には合評で本の内容をたどりますが、さいわいコメンテーターをお願いした成田さんも小田中さんも幅広い立場から議論のできる人ですので、多分そうしたかたちで進行できるのではと思います。
 ということですので、あまり形式的内容は気にすることなく、多くの人に参加していただき、今後の参考にしていただければと考えています。
# by pastandhistories | 2015-10-15 08:05 | Trackback | Comments(0)

『歴史を射つ』の販売状態について

 『歴史を射つ』については、なかなか入手しづらい状態になっているようで申し訳ありません。9月15日の記事は出版社に納品された現物を確認して書いたものですが、その後取次店から書店やネット販売に配本されるに際して品薄になっていたようです。幸い新しく印刷・製本された納本(増刷ではありません)が昨日あり、今日から本格配本が始まるようです。それでも書店やネット販売業者に上手に行き渡るかはわからないところがあるとのことですが、合評会は予定通り10月24日に行いますので、関心のある方は是非参加していただければと思います。
# by pastandhistories | 2015-10-02 06:03 | Trackback | Comments(0)

植民地体験

 暦の上では連休ですが、大学の授業はすでに始まっています。幸いにして今年は週前半を授業日とはしていなかったので、多少の時間が取れました。久しぶりの墓参りなど。もっとも明日からの授業準備にだいぶ時間をとられていますが、それでも先週末から今週にかけては、『歴史を射つ』が刊行されたということもあり、ややのんびりできました。ということで久しぶりにテレビで映画の鑑賞。ちょうどBSで放映していた山田洋次監督の初期作品である『馬鹿まるだし』と『馬鹿が戦車でやってくる』(多分『いいかげん馬鹿』もやっていたのでしょうが、これは見落としました)。
 いずれも一部では今でも高い評価を得ている作品ですが、これらの作品で読み取れるのは、山田洋次監督にある奔放なアナキスティックな精神。『男はつらいよ』にも(とりわけ初期作品には)底流として流れているものですが、なんといってもそれが生き生きと示されたのが『馬鹿が戦車でやってくる』。今回見直してもそのことを強く感じました。
 そうした山田監督の志向がよく示された作品が、なべおさみが主演した『吹けば飛ぶよな男だが』という作品です。いわゆるチンピラやくざを扱った作品。今ではまずは見られないと思っていたら、DVD化されているようです。この作品で面白いのは主人公の母親役がミヤコ蝶々であること。つまり寅さんと同じ、『男はつらいよ』の原点の一つがこの作品にはあります。山田監督がその後有名になったということもあるかもしれませんが、DVD化されたということは一部に高い評価があるからなのでしょう。見て損のない作品です。
 時々思うことは、こうした山田監督のある種のアナーキーさは、やはり少年期の植民地体験と引き揚げ体験に求められるのではということです。安部公房や、赤塚不二夫の作品にも共通するものがあります。作品的にはやや異質かもしれませんが、初期作品に「非行」少年を素材とした作品の多い藤田敏八も同種の体験をもった監督です。そして前回の記事で書いた西川長夫さんも。もちろん戦後の文化は色々な要素から構成されましたが、その中で重要な、そして良質な役割を果たしたのは、(とりわけ少年期の)植民地経験とそれへの批判的意識だっただったと自分は考えています。
 少し時間があったので、今日は息抜き的なことを書きました。このブログは個々の記事への累積アクセス数が出る機能がありますが、『歴史を射つ』の目次を紹介した「本の編集」という記事には770ものアクセスがありました。連休ということでやや手間取りましたが(版元は完全な休みでした)、すでに本は完成しているので、明日の連休明けからは実際の配本が行われ始めるでしょう。期待に応えられるような評価が出るか不安もありますが、このブログで書いてきたようなことを基本として編集された本です。実物を手に取って内容を確認してもらえたらと思います。
# by pastandhistories | 2015-09-23 05:31 | Trackback | Comments(0)

西川長夫さんへ

 『歴史を射つ』はすでに完成していて、書店などへの配本はまだのようですが、版元には納本されています。昨日は直接受け取ったものを海外へと送りました。書籍送付用のA5封筒にきっちり入れるのが大変で結構手間取りました。送本先の住所確認メールをそれぞれに事前に入れたところ、ほぼ全員からすぐに返事がありました。ホワイトは元気なようです。バークはいま Colombia にいるので、本はケンブリッジに送ってほしいという連絡がきました。ニューヨークのコロンビア大学か、それとも中南米のコロンビアにいるのかそれはわかりません(スペルからは後者のような気がしますが)。ピヒライネンはビーヴェルナージュに招かれてゲントで三か月ほど教えるようです。
 なんといっても日本語なので、イムやワンを除けば全体を直接読むことはできないでしょうが、それぞれ日本語のわかる知人が周辺にいるようで、ある程度内容は理解してくれるようです。本の送付といえば、今度の本は西川長夫さんに読んでもらいたいところがありました。西川さんには大学院時代から関心がありました。そもそも自分の卒論のテーマはフランス史(「フランス人民戦線内閣へのフランス共産党の参加問題」)で、大学院入試で今後の課題を聞かれて答えたのが、「ボナパルティズム―ナポレオン3世と選挙」というテーマだったからです。以前このブログに書きましたが、自分にとって譲ることができないことは、「民主主義によって選出された」とする人間が、「民主主義をもっとも憎悪する」、ということへの怒りです。これは「民衆の意思を代表するとして革命権力を打ち立てたとする指導者が、民衆の意思をもっとも憎悪する」という言葉に置き換えてもいいかもしれません。
 おそらく19世紀以降の民主主義の最大の問題はこの点にあって、それを端的に予示した歴史的事件がナポレオン3世の統治であり、その20世紀における具体化がファシズムに代表される権威主義的統治であり、そして現在の日本で生じている(あるいは戦後一貫して継続されている・・・成田龍一さんにしたがえば大正デモクラシー以来の)政治的状況であり、さらには同種の問題がミクロ的には大学においても現在生じていると、自分は考えています。その一つの媒体がナショナリズム。その意味で歴史はナショナリズムとの接点に批判的であらねばならないというのが、西川さんの戦後歴史学への批判の根拠だったのだと思います。
 そうした関心はあったのですが、京都と東京ということで、西川さんと本当に長く話をする機会を得ることができたのは、立命館がアラン・コルバンを集中講義に招いたときに、その予備講義を行うよう3人ほどの歴史研究者が東京から京都へ招かれ、その一人に自分がなった時が初めてです。その際に最初に書いた本を送ることになりました。
 その後亡くなる1年ほど前だったと思いますが、別用で京都に行ったときに京都にいると連絡をしたら、夜中にホテルに連絡があり、食事の誘いがありました。翌日同志社の近くのフランス料理屋で4時間ほどいろんな話をしました。その時は全然異常を感じなかったのですが、翌年新著を送ったら、自分もそこに書かれているようなことをぜひ書きたいけど、難しいかもしれないので残念だという手紙がきました。
 以上のような感じで、直接深い付き合いがあったというわけではありませんが、完成にあたって改めて『歴史を射つ』をぱらぱらとめくっていると、この本は西川さんにはぜひ読んでもらいたかったという思いがします。
# by pastandhistories | 2015-09-18 10:59 | Trackback | Comments(0)

『歴史を射つ』刊行されました

 今日は我が家には誰もいませんが、一足先に帰宅しました。多くの人に関心を寄せてもらった『歴史を射つ』(御茶の水書房)は今日完成しました。さっそく版元で配本の手配に入ったようです。休み明けの24日にはきちんと店頭やネット販売の場に出そうろうだろうとのことです。価格的にはもう少し抑えたかったのですが、それなりに立派な本になっています。評価は読み手に委ねますが、それなりに色々な問題提起や、今後の歴史研究にとってヒントとなるようなことが、含みこまれた本になっているのではと思います。
 この本に関しては、おととい[9月13日)の記事にあるように10月24日に公開合評会を予定していますので、内容について議論したいという人は、ぜひ参加してください。また同じ記事の末尾にあるように、多少の割引で直接購入する方法もありますので、希望のある人は問い合わせていただければと思います。
# by pastandhistories | 2015-09-15 20:06 | Trackback | Comments(0)

『歴史を射つ』出版と公開合評会

 昨日まで済南でのCISHについての記事はあまりうまくかけないところがありました。5年前のアムステルダムでの会に比べると、自分の中にあまり高揚感がなかった。色々忙しく、準備不足も大きかったと思います。その理由。学務と出版、それから招聘セミナーの最終準備。シュテファン・バーガーとエルヴェ・アングルベールを招いての招聘セミナーも終わり、学務からも解放され(その間は体調不良でどうなるかと思いました)、そして出版は15日に完成することになりました。書店などへの配本の時期については自分にはわかりませんが、多分予告より早まってその前後に行われるのではと思います。
 ということで昨日は、すでに企画してあった公開合評会のポスター作成をしました。内容をここに書くと
 日時 10月24日(土)13時半より、 場所 東洋大学白山キャンパス8号館125記念ホール 
 (司会) 道重一郎 (コメンテーター) 成田龍一・小田中直樹 
 (応答) 岡本充弘・鹿島徹・長谷川貴彦・渡辺賢一郎、他執筆者

となります。いつもと同じラウンドテーブルでフリーディスカッション形式にしますので、多くの人の参加を期待しています。

以前の記事と重複しますが、『歴史を射つ』の内容は、
第一部 歴史を問いなおす
ヘイドン・ホワイト
 「歴史的な出来事」
ピーター・バーク
 「歴史記述における関わりと切り離し」
ロバート・ローゼンストーン
 「映画製作者が歴史家として歴史に対して行っていることについての諸考察」
シュテファン・バーガー、ビル・ニーヴン
 「国民の記憶の歴史を書く」
イム・ジヒョン
 「グローバルに連鎖するナショナルヒストリーに現れた東洋と西洋」
エドワード・ワン
 「世界のなかのアジアを理解しなおす―東アジアにおけるグローバルヒストリーの出現」
ペニー・コーフィールド
 「歴史家と大きな歴史像への回帰」
カレ・ピヒライネン
 「構築論と最近の歴史の欲求について―実在の果てしない回帰」
第二部 言説としての歴史、表象としての歴史
鹿島徹
 「日本社会における歴史基礎論の動向 二〇〇四―二〇一四」   
長谷川貴彦
 「言語論的転回と西洋史研究―受容のコンテクスト」
平井雄一郎
 「伝記叙述の「型」と未遂の「他者」―たとえば「渋沢栄一伝」は水戸天狗党に躓く」     
北原敦   
 「映画表現における現実と歴史―ネオレアリズモをめぐって」
渡辺賢一郎
 「少女マンガの表現技法と歴史叙述としてのマンガ」
池尻良平
 「学習者から捉え直した歴史の可能性」          
内田力
 「社会史にみる世界史の歴史研究と言説―国際的な史学史の叙述をめぐって」
長野壮一
 「現代歴史学の出発点― 社会運動史における「主体性」と「全体性」」
岡本充弘
 「転回する歴史のなかで」
となります。出版事情から価格設定が高くなっていますが、執筆者枠で多少の割引購入も可能ですので、ご希望の方は、okamoto.toyo.university@gmail.com に問い合わせていただければと思います。
# by pastandhistories | 2015-09-13 11:05 | Trackback | Comments(0)

CISH⑥

 今回の国際歴史学会議の正式の最終日は次期開催地(結局はポーランドになったようです)などを決定する総会がある29日でしたが、実質的な最終日は28日。この日は朝から会議に合わせて個別的な会合をアフィリエーションとして開いたそれぞれの国際学会の総会が開催されました。
 国際歴史学会議の運営実態については自分は直接関与したことはないのでよく知らないのですが、基本的にはナショナルな代表組織と、個別的な国際研究組織の二本立てになっているようです。ナショナルな単位を代表する組織といってもそれがそれぞれにおいてどのようなかたちで組織化され運営されているのは国によってどうも違うようで、そのあたりが今回の会合がそれぞれを代表するような研究者を欠いた理由だったのかもしれません。いっぽう、国際的な個別的研究組織についても、その総会にいくつかを選んで参加してみて、多少の問題を感じるところがありました。
 28日の午後にまず参加したのは、国際社会史学会の会合です。集まったのはメンバーではない自分を含めて10人程度。とにかく人数が少なく、その中で次期の役員や計画を決定しようということなのですが、具体案はなかなかでず、議論が前後してしまうところがありました。一言も発言しなかったのに会議が終了したら呼び止められて、 newsletter の editor になってくれないかという話。 いくらが人が足りないとは言っても、無理な話です。これはその後に参加した国際史学史歴史理論学会でも同じ。参加者はやはり10人程度。なんとかエヴァ・ドマンスカとシュテファン・バーガーを次期執行部に決めましたが、今後についての議論はなかなかまとまりませんでした。
 こうしたことの理由は厳しく言えば、アフィリエーションとして参加した組織の多くがが歴史的には蓄積があるものもありますが、中心メンバーが次第に高齢化し、活動力を失っているためのようです。あるいは新しい国際組織も多少思いつき的に作られて、独自の活動力がなく、国際歴史学会議に合わせてアフィリエーションとして会合を開いているためのようです。
 逆に言うと、国際文化史学会や歴史とメディア国際学会、国際歴史理論ネットワークといった新しい問題意識に基礎を置いた組織・運動体は、独自に国際学会をそれなりの規模で開催する能力があるので、別に国際歴史学会議を利用する必要がない。そのためにそうした新しい問題意識が、国際歴史学会議には反映されにくいといった問題を今回は感じました。もっともこれはアフィリエーションが中心となった後半の会議に参加した印象で、大会自体が設定したテーマが議論された前半には面白そうな内容も並んでいたので、それに参加できなかったのは残念でした。
 最後になりますが、会議の討議の最後を締めたのは、多分イム・ジヒョンが中心になって組織した History and Ethics というセッション。マティウス・ミデルが冒頭にテーマに沿って大会を振り返る報告を行い、それにシュテファン・バーガー、パトリック・マニング、そして小田中直樹さんらがコメントを加えるという形式。その内容については小田中さんが今後紹介すると思うので、それに譲ろうと思います。ただここで印象的だったことは、やはりシュテファンの整理の巧みさ。それからユルゲン・コッカがフロアから発言してすでに紹介したpartial synthesis という主張を繰り返したことでした。
 海外の学会を素材に最近の研究の流れを紹介することの多いこのブログの基本的方針は、同席した日本人研究者には言及しないこと。プライヴァシーもあるし、それぞれが自分なりのメディアをとおして報告するだろうと思うからです。実は今回参加したセッションには、今までとは異なって、基本的には一人か二人だけでしたが、つねに日本人研究者が数名同席していました。そうした人たちの報告もまた参考にするとよいでしょう。
# by pastandhistories | 2015-09-12 09:09 | Trackback | Comments(0)

CISH⑤

 遅れて参加したため、CISH は参加三日目が早くも最終日、午前中は Themes and Methods : Trends an Innovations というセッションに出ました。多分名称は国際社会史研究会でよいのではと思いますが、基本的にはアムステルダムの国際社会史研究所のメンバーなどを中心とした会合。最初の報告の記録がないのですが、それを除くと報告者は3人、時間は3時間以上ですから、報告者数に対してこのくらい時間をとると十分な議論ができるし、今回自分が参加したセッションの中では報告の質も議論の内容も安定したものでした。にもかかわらず、ここでも参加者は10人少し。大会最終日にくわえて後で記すような事情があるにせよ、国際会議としては残念でした。
 報告はアムステルダムの国際社会史研究所から二人、そしてユルゲン・コッカ。なんといっても安定した研究の蓄積の上に立って行われた報告で、その意味でも説得力がありました。最初の報告者はカリン・ホフミースター、タイトルは e-Humanities and Social History 、内容はタイトル通りデジタル化の時代における社会史について。 なお(文化的なものより)社会的、経済的データに偏る傾向があるとはいえ、デジタル化に伴いデータが巨大化しつつあることを前提に、それがどう扱われるべきかを論じました。といっても総花的ではなく、国際社会史研究所のスタッフらしく労働の問題にかなり問題を集約しての議論。
 つづいてマルセル・ファン・デア・リンデンが New Themes in Social History というタイトルで報告。これは本当に網羅的で、すべてを書ききれませんが20世紀以降の社会史のながれについて、人類学的・文化史的方向性や体や心の問題への流れを丁寧にたどったうえで(ここまでは日本でもよく行われた社会史論の紹介と同じですが、本当に多くの著作の紹介があり参考になりました)、さらにはmoneyの問題についての社会史、そしてホフミースター同様、労働の社会史について論じました。
 ここで少し問題にされたのは、奴隷労働と賃金労働との関係を含めての free labour の問題、さらには労働の自由化に伴って生じた precariousness of employment という問題です。precariousness という考え方は、固定的な社会関係と流動的な社会関係をどう考えていくのかという問題と関係しますが、(たとえば Precariousness will give both male and female more free sexual relation というように) 、労働にしても、婚姻にしても、制度がもたらす安定性との関係でどう考えていくべきかには、議論に差異が生じる問題のような気がします。
 このセッションの最後は、Social History: substantive and methodological prospects というコッカの総括的な話。これもきわめて整理されたもの。まずは、社会史が当初はクリティカルな内容を伴う魅力的なものとして、1.伝統的な政治史への批判、2.事件から構造へ、3.研究の断片化、特殊化への批判(全体史よりもミドルレンジの統合を目指した) というものとして、マルクス主義やマックス・ヴェーバーの影響をうけながら、社会改革への志向を含むものとして形成されたことを論じました。しかし、それが成功したのかというと、同時に失望も生じているというのが、コッカの総括です。もちろんのミクロヒストリーや日常生活史、文化史的な転回、ジェンダーや環境への着目自体は否定されるべきではないけど、コッカは歴史研究を取り囲む現在的傾向として1、グローバリゼーション、2.歴史知識の断片化、3.社会経済史の後退をあげ、そのことに懸念を示しました。一言でいえば、彼の主張は、歴史研究はやはり現在的な問題、たとえば不平等などへの関心を失うべきではないということです。同時にたとえば断片化が進行することによって全体的な理解への可能性が後退したとしても、部分的な総合化(partial synthesis)への努力までも放棄すべきではないというものです。
 以上、このセッションはある意味では常識的な議論が基本でそれほど目あたらしさがあったわけではありませんが、報告の安定性という点では随分と参考になった会でした。
# by pastandhistories | 2015-09-11 09:13 | Trackback | Comments(0)

CISH④

 涼しいのはいいけど秋の長雨。さすがに憂鬱です。昨日はセバスチャン・コンラートを招いての会があったようですが、自分は退任する学務の引き継ぎ。これでやっと平常に戻ることができます。自分がもはや関与することではないけど、この半年あらためて感じたのは大学の置かれた深刻な状態。ここで何度か繰り返して書いてきましたが、「30年前よりはるかに自由が失われた大学」で、自分の研究だけが「30年前の水準よりおおきく発展した」と考えているのだとしたら、それはあまりに自省を欠いた考えでしょう。
 さてCISHの報告に戻ると、参加2日目の午後は、Cross-Regional Counters and Global History というセッションに出ました。これはマティウス・ミデルなどが中心となった Network on Global and World History Organization のメンバーを中心とする会合。司会はパトリック・マニング。ミハエル・リプキン、ドミニク・ザクセンマイアー、イム・ジヒュン、ロクハヤ・フォールんの4人が報告しました。参加者はあまり多くなく20人を欠けるくらい。
 リプキンの報告はロシアの各地で歴史研究の違いを説明したうえで、世界史の刊行計画についての話。ザクセンマイアーは彼らしく歴史家が自らをコンテクストの中に置いて考えることの必要性を指摘したうえで、グローバルな統合はフラットの世界を生み出したわけではなく、その中にも差異があること、とりわけ知識がグローバルな枠組みの中で階層化していることを主張しました。彼が一貫して主張している問題です。イムはグローバルヒストリーについて、アジアにおけるグロ-バルヒストリー論はヨーロッパ研究者から始まったこと、その根拠にナショナルヒスオリーへの批判があることを要領よく説明しました。海域史などの紹介もするなど、要点をついた巧みなプレゼンテーション。フォールは今回自分が出たセッションでは珍しいアフリカ(セネガル)からの報告。フランス語での報告でマニングが英語で要約したのですが、聞き取れない部分があって残念でした。
 参加者も比較的少なく時間もあったので、ほとんどの参加者が質問をするということで議論は活発でしたが、ファールには質問がほとんどなく、自分はマルク・フェローに紹介されているセネガルの少女のエピソードを彼女に質問しようと思ったのですが、デンマークの女性研究者が質問をしてくれたので、内容が報告と食い違ってもと思い、質問はしませんでした。全体としては出席者の半分くらいが既知のメンバーで、議論の内容も自分が聞きなれたものが少なくありませんでしたが、その分新味に乏しいところがありました。そのあたりが国際的な会議に参加した際に会議を選ぶ難しさです。
 この会の終了後、夜はエドワード・ワンと二人で山東師範大学史学科の招待で、中華料理店のディナーレセプションに出席。エドワードを除けば初対面の人ばかり。さらにはナマコに鳩を人生で「初めて」食べることになります。
# by pastandhistories | 2015-09-10 12:05 | Trackback | Comments(0)

CISH③

 参加2日目朝はHistory Wars: History Education between Politics, Scholarship, and the Media というセッションに出ました。組織者はシモーヌ・レーシックですが、ディスカッサントを務めたのはルイギ・カヤーニで、この人物はシドニーの大会で西川正雄さんが報告をしたセッションでたしか総括的な話をした人物。その時の西川さんの話は、自分で書いた教科書と『日本国民の歴史』を対比させながら、イデオロギー的な歴史教育を学問的歴史の立場から批判するものでした。結局はこのセッションの基本的なコンテクストもそうしたもの。しかし、サブタイトルにあるように、教科書だけではなく、メディアの問題からも問題が論じられました。
 国際歴史学会議についての報告をした際に書いたことがありますが、「科学」を論ずる場であるなら、「ロシア」ではとか「中国」ではとか、「日本」ではというように、議論の単位としてナショナルな枠組みが枕詞として用いられるのは本当はおかしい。にもかかわらず教育の場にある歴史、あるいはパブリックな場にある歴史を論じる時は、それが当然のことのように前提とされ、その前提からの紹介・比較が行われる。このセッションの議論はまさにそうしたもの。歴史がいかにナショナル・プレースと関係が深いのかを端的に示したセッションでした。
 逆にこうした問題はきわめて明確な対比的な例示がしやすい。その意味で議論にはわかりやすいところがありました。それぞれを「国別」に紹介すると、Bartal (イスラエル)は、2000年に起きたことを事例に文部大臣の言明、メディアの影響と集合記憶の関連、それに対する学問的歴史の問題を説明、Bentorvato (所属はドイツ)は、ルワンダとブルンジを例に民族的少数派との間でどのような交渉と譲歩があるのか、Koren (ウクライナ)は様々な記憶の単位やコメモレーションについて、Shnrelman(ロシア) はソ連、ロシアでタタールの扱いがどう変化したのかという問題、Wassermann(南アフリカ) は、アパルトヘイト後の1994年以降の南アフリカの教科書について、楊彪(中国)日中の教科書の違いをフランス革命や日露戦争の扱いを例に、最後にPingel (ドイツ)がマンチェスター、ドレスデン、北京、南京、広島、靖国などの博物館のあり方を比較しました。
 それぞれ例示された内容はいい意味での図式性があってわかりやすかったのですが、自分としては最後のPingel のものが、それぞれの博物館の特徴をうまくとらえているところがあり、面白く感じました。ただ全体として感じたことは、具体的なのはいいのですが、ある意味ではこの議論は、教科書などを通じた恣意的な共同化へのクリティカルな批判を繰り返している部分があって、またそのアンティテーゼとしてなんらかのトランスナショナル化(あるいはその困難さ)を図式的に対置する傾向があって、メディアの問題を意識的に取り上げたという新しさはありますが、それでも同じ議論の繰り返しという部分を今回も感じました。
 History Wars にとって大事なことは、「国」際的な場で学問的歴史の優位性を確認することではなく、個々のナショナルな場で、政治の場でもパブリックな場でも優位性を持つナショナルヒストリーをどのようにして打ち破っていくか、そのための必要な議論はどのようなものかを考えることだと自分はいつも考えています。そこまでは今回も議論はいかなかったという感じがしました。
# by pastandhistories | 2015-09-08 13:34 | Trackback | Comments(0)

CISH②

今回の国際歴史学会への参加で、やや重点を置いたことは、ユニヴァーサルヒストリー、グローバルヒストリー、ワールドヒストリー、ナショナヒストリー、トランスナショナルヒストリーといったことが、どのように議論としては整理されるのかということ。しかし、人によってさまざまに論じられていて、結論的にはよくわからなかったという感じです。
 参加初日の午後に出たWhat World for World History でもそんな感じ。このセッションの司会は、エドアルド・トルタロロ、さらにはセバスチャン・コンラート、そしてアムステルダムで同じセッションで報告したポール・デュエダールなどが報告ということで、勇んで出かけたところ、なんとセッションの参加者は自分を含めて10人少し。地元(とは言っても南京師範大学)からの発表者もいたのでボランティアの中国人学生はいたけど、それにしても少ない参加者でした。まずトルタロロが4点ほどに論点を整理。彼の議論でなんとなくわかったことは、ユニヴァーサルヒストリーには、たとえばprovidential なもの実現といった、普遍的な方向性へのイメージがあることです。南京師範大学の女子院生の発表とデュエダールの発表は、前者が異なった地域の古代史にあるイメージの共通性、 後者がユネスコによる歴史の共同化の試みを中国との関係から論じてそれぞれ面白いところがありましたが、やはりこのセッションでの注目は、コンラートがどんな主張をするのかということです。
 彼の考えは自分に近いところもあり、自分に引き付けて聞いてしまうので、果たして以下が正確な紹介になるかはわかりませんが、コンラートもユニヴァーサルヒストリーはたとえば文明といったような一つの統合的な目的を持つものと考えているようで、そうしたものと現在のグローバルヒストリーは区別されるべきもの(断絶のあるもの)と考えるべきだとしているようです。
 メモではここで、現在のグローバリゼーションというシンクロ二シティが現在のグローバルヒストリーを作りだしているとあって、これが彼の主張だったのか、自分のメモだったのかは正確には思い出せません。しかし、彼の主張は20世紀半ば(までの)の頃とは異なって、現代の歴史家は新しい統一的な方向を見いだせないというところにあるようです。コカコーラライゼーションという言葉をもちいましたが、グローバリゼーションがそうした統合性を生み出したことは事実ですが、同時にそうした共同化は衝突を生み出し、また西洋中心的なグローバライゼーションに対してパティキュラライゼーションも生み出しているとも彼は主張しました。
 コンラートの優れたところは、議論をつねにきちんと整理された整序的なものとして展開していくところです。グローバルヒストリーをこれまでの歴史理解の統一性を志向した様々な世界史論は異なるものとして拡散的な見方を生み出すものとして理解していこうとするのは、無理のない理解です。ただ少し気になったのは、彼も最後にそうしたことをほのめかしましたが、そうしたグローバルヒストリーの方向がミクロ的研究と共通するという考え方です。確かにこのように「論理化」することはできるのですが、本来はかなり異なる内容をそれぞれが伴っているわけで、それを抜きにして安易に二つを結合してよいのかは議論です。大きな「法則」と個別的な「実証」が結合するという議論は、古い歴史学においてもつねに論じられていたことなわけですから。
# by pastandhistories | 2015-09-07 20:28 | Trackback | Comments(0)

CISH①

 今回の国際歴史学会議(CISH)は参加が遅れたこともあり、また近いということで日本からも80人近くが参加していたということなので、具体的な内容はそうした人たちがやがて書くものをとおして明らかになるはずです。自分は参加できなかったけど、会議が前半で中心的に取り上げたテーマはかなりアップ・トゥー・デートなもので、その意味では国際会議の役割を果たしていたところがありました。自分が残念に感じたのは、中国で行われたにも関わらず、中東やアフリカからの参加者が目立たなかったことと、日本からの若い研究者の参加者が少なかったことです。会議の性質からしていろいろな議論が持ち寄られるわけで、旅費滞在費もあまりかからないわけだから、こうしたチャンスを生かしてほしかったと思うところがありました。
 自分の参加は三日目から。今回は直後で招聘セミナーが控えていたので、関連するテーマがどのように議論されるのかという関心からセッションを選んで参加しました。したがってテーマとして、ユニヴァーサルヒストリー、グローバルヒストリー、ワールドヒストリー、ナショナヒストリー、トランスナショナルヒストリーといったことが議論された場ということになります。
 こうした観点から参加初日午前に参加したのは、アントニス・リアコスとクリス・ロレンツが組織した Crisis and Social Representations of History in the Post-1989 Era というセッション。要するに 1989以降歴史のあり方がどう変化したのかを議論しようということなのですが、これに参加したのはカレ・ピヒライネンが報告する予定だったから。しかし80人収容程度の会場が満席になってもいつまでも現れない、要するに飛行機が満席で乗れなかったということです。「1989年」以降歴史への考え方が変わったということはもう耳タコの事柄。常套的な枕詞。しかし、このことについていつも思うことは、自分がそうした変化をどのように主体的に捉えるのかという発想をまったく欠いた議論の多いこと。一応リアコスの冒頭の報告は聞いてみましたが、同じような議論が繰り返されそうな気がしたので、シュテファン・バーガーが組織したWriting History in Exiles というセッションに移りました。
 これは収穫がありました。ここでも紹介したことがある マレク・タム の報告は、戦後編纂された13巻のエストニア史に亡命者の影響があったことを指摘、エドアルド・トルタロロは、中世史研究者であり社会主義者であったGaetano Salbemni (1925年にパリに亡命し、のちシカゴ大学で教えた)を取り上げて報告しました。もっともトルタロロが指摘したことは、ファッシスト政権はアカデミズムとの妥協を図ったので彼の事例は例外的であったということです。
 しかしここで何と言っても面白かったのは、最後の9点にわたる整理。歴史家が自らの根拠を置く場が「強制的」に変化したことが、歴史家自身に、彼らが作り出した歴史にどのような影響を与えたのかということ。歴史家が本来根拠を置いていたナショナルな場から離れ、それとは異なる場に自らを置いて歴史研究を持続することによって、歴史家や歴史にどういう側面が生じたのかということが以下のような視点から議論されるべきだと指摘されました。
 ここから先はメモは英語でそのまま書いた方がより正確だとは思いますが、日本語化すると、それは1)亡命者を受け入れる制度の存在、2)亡命者に生じた利益と精神的トラウマ、3)新しい環境の中での文化的資本、4)伝統的ナショナリズムや全体主義的ナショナリズムへの対応、5)トランスナショナルなブリッジ・ビルダーとしての活躍、6)ポストコロニアリズムとの関係、7)スペースの変化による時間の観念をどう考えたのか、8)祖国と亡命先についての記憶の問題、9)亡命歴史家のパーソナルヒストリー、といったような問題です。
 実はこの問題、「歴史家の場の移動」という問題は、もうすぐ出版される『歴史を射つ』でもピーター・バークが取り上げています。問題はそうした移動が自発的なものであった場合と強制的なものであった場合にはどのような違いがあるのかということ。このことを質問しようと思っていたら、トルタロロだった思いますが、自発的な移動と異なって、亡命は元の場に戻れないという大きな違いがあるという明確な答えを議論の過程で示してくれました。
# by pastandhistories | 2015-09-05 21:20 | Trackback | Comments(0)

グローバルヒストリーと科学的歴史

 作日書いたように行きの電車切符の確保で大苦労。帰国日の飛行機は13時発ということで電車を3時間とみると飛行機に間に合うのは1~2本。どうやってそれを確保するかが大心配。ところが幸いに大会会場に旅行会社の人がデスクを設けて切符の販売をしていることがわかりました。朝6時発を確保、宿を5時に出てタクシーで駅に向かい、さらに青島北駅から再びタクシーで飛行場にたどりつき無事帰国しました。
 実はこうしたトラブルは他の参加者も。セミナーに参加していたバーガーはソウル乗換。なんとこの便は他国経由の国際便なのに、乗り換え時間がわずか50分。同じ便を使用した日本人研究者も、バーガーも飛行場内を走って出発5分前にやっと搭乗口にたどりついたようです。
 そのシュテファン・バーガーとエルヴェ・アングルベールを迎えての二日間のセミナーは夏休みということもあって参加者は多くはありませんでしたが、内容的には成功したと評価していいのではと思っています。今回のコンセプトは、いわゆる実際的な実証的な歴史家が方法論的な問題をどう考えているかということ。それを近現代史(比較労働運動史)とローマ史の研究者に、異なる立場からグローバルヒストリー論を対抗軸に考えてもらうというものです。
 グローバルヒストリーの問題点の一つは、それ自体としては批判の対象とはされにくい問題設定が大前提とされているために、容易に個別的なミクロ的実証に研究が入り込むことす。その意味ではかつての「科学的」歴史と類似した論理構造を持っています。「ナショナルヒストリー」を批判の対象とすることによって、自らを「学問的」に権威づける、その点でも共通しています。とりわけバーガーが関心を示しているrことは、歴史のグローバル化やトランスナショナル化が一つの方向だとしても、まずは近代以降の多くの歴史がその枠内にあったナショナルヒストリーを徹底的に検討するということです。正直言って、この後の国際歴史学会議の報告に関しても少し書く予定ですが、ユニヴァーサルヒストリー論についてはよくわからないところもありますが、いい意味でのイデオロギー性があり、その点でそのことが自覚的に議論されうるということをアングルベールの議論には感じました。いずれにせよこの二人は、今後も多くの国際会議で活躍すると思いますし、再び日本に来るという意志もあるようなので、ぜひ交流を深めてもらえればと感じました。
 話は変わりますが、『歴史を射つ』の刊行時期と内容が具体的に明らかにされて以来、このブログのアクセス数は急激に増大していました。ところが、8月30日はある時間を過ぎたら全くアクセスがなくなりました。このブログの読み手が、30日の行動に参加した人たちと共通しているからだと思います。繰り返し書いてきましたが、歴史研究にとって大事なことの一つは、それがどういうオーディアンスによって読まれるかということだと思います。自分にとってはとても嬉しく感じたことです。
# by pastandhistories | 2015-09-02 20:33 | Trackback | Comments(0)

帰国

 済南で開催されていた第22回国際歴史学会議から昨日帰国しました。滞在中は例によって後述するようなトラブルからネットにはほとんどアクセスしないでいたのですが、このブログにまた大きな反響のあった事を知りました。出国直前に書き残した7日の記事、『歴史を射つ』に関して、誰かの紹介があったからのようです。なかにはビギナーの人がいて、ついでに以前の記事も遡って読んでくれているようです。
 このブログはもともとは第21回の国際歴史学会議の準備のためにイギリスに滞在していたときに、歴史についてそれまで考えていたことをメモ的に連続して書いたのがきっかけです。初期の記事のほうが第21回大会の報告を含めて整理されているところもあるので、関心をもたれた人はそのあたりの記事を中心に読んでもらえればと思います。それ以上に関心をもってもらいたいのは、21日の記事にある明日からのセミナーです。こちらの方は『歴史を射つ』に比較して関心はいまいちのようですが、会場では『歴史を射つ』の予約を送料込み2割引で受付けつける予定です。
 昨日はその報告者であるシュテファン・バーガー、エルヴェ・アングルベールも別々の便で来日しました。今は同じホテルにいて、今朝食事をしながら明日、明後日の打ち合わせをします。とにかく招聘セミナーは確実に来日することと事前打ち合わせが大事なので、ほっとしています。
 この会に加えてその他の学務でスケジュールはいっぱいですが、第22回国際歴史学会議の内容も、いろいろのヒントも得たので、順次書いていきます。まずはトラブル続きの行き当たりばったりの旅につぃて。最大のトラブルの原因は、70周年記念行事や世界陸上を避けて青島経由としたこと。参加してみたら多くの日本人研究者はソウル経由で済南に入ったようです。
 これが正解です。青島もそうですが、飛行場に行くと、中国北部行き飛行機は圧倒的に韓国経由が多い。中国北部と韓国の経済的関係が本当に密接化していることがわかります。かつては朝鮮半島をめぐる争いで日清戦争が行われ、中国北部をめぐって日露戦争があったわけですが、いまやその地域は中国と韓国が親密に結合している場だということです(帝国主義的な進出論や侵略戦争が地域の自然な実態を無視した歴史的にはいかに空虚な議論であったのかが、こうした現実からもわかります)。
 出発の日にその青島から電車に乗るのに戸惑ったのが最初のトラブルです。飛行機は12時過ぎにつく予定だったので、済南への時間を3時間と見て夕方には着くだろうと考えたのが大間違い。まずは自動販売機が外国人旅行者には利用できない(と思いました)。延々と列に並んで、やっと入手した切符は最終の前の6時過ぎ発。夜中の十時過ぎにやっと済南に着きました。そこからまた延延たるタクシーの行列(割り込みができないように、驚くような工夫がしてありましたが、このことは書きません)。そしてホテルへ。これは驚くようなゴージャスなホテル(そこが会場です)。しかし例によってパソコンはつながらない。そこから初日が始まりました。
# by pastandhistories | 2015-08-30 05:48 | Trackback | Comments(0)

8月7日・21日の記事

 今日は午前中に会議が一つ、その終了後8月7日の記事に書いた本の本当に最終的な作業(表紙の確認、白焼きをもとにした校正の確認)を出版社でしました。広告が出るのはそれより早くなりそうですが、奥付は9月15日前後、正式の刊行もほぼその時期になるようです。
 後は明日からの国際歴史学会議に参加するので、その出発の準備、場所が済南ということで今度は電車への乗り換えがあります。海外で意外に苦労するのが中国と韓国。英語が意外と通じない。その点少し心配だけど、いつも通り行き当たりばったりの旅です。
 29日帰国すると、今度は21日の記事のような研究会。中国行はその打ち合わせも兼ねています。宣伝になりますが、以上の詳しい内容については、8月7日と21日の記事を見てくれればと思います。
# by pastandhistories | 2015-08-24 21:24 | Trackback | Comments(0)

8月31日・9月1日

昨日の夕方に電話があって、今日のオープン・キャンパスで同じ時間に別の場所で話をすることになっているという連絡がありました。いわゆるダブルブッキングです。本来は夏休みというのにスケジュールが重なり合う、本当に時間がありません。ということであまり準備もできなかったのですが、7月のベルベル・ビーヴェルナージュに続いて、今度は8月31日、9月1日に以下のような会を行います。
 タイトルは「ユニヴァーサルヒストリー・ナショナルヒストリー」、前者はこのブログでも書いたENIUGHでももちいられているもので、エルヴェ・アングルベールはその会でとても明快な報告をした研究者で、今回の会に招きました。Le Monde L'Hsitoire (PUF) という本を書いています。本来はローマ史研究者ですが、現代にまで視野を広げている人物です。
 シュテファン・バーガーはこのブログでも何度か紹介しましたが、ヨーロッパにおける近現代史研究の、とりわけナショナルヒストリー、歴史のナショナライゼーションにかんしての、もっとも中心的な研究者の一人です。この二人には、下旬の国際歴史学会議で落ち合いますので、そこでさらに打ち合わせをする予定ですが、基本的には31日が二人から簡単に議論を導入してもらう形のフリーディスカッション、1日が二人からペーパーを読んでもらってそれを議論するかたちになります。コメントは西山暁義さんにお願いしてあります。
 夏休みということですが、逆に多くの人が海外などに出払っている時で、また連絡も付きにくい時期ですが、日本における今後の西洋史研究にとってぜひコンタクトをとっておくべき研究者だと思いますので、特に若い人たちが連絡を取り合って参加してもらえればと考えています。
 

8/31(月)13:30~
〈討論会〉
報告者
シュテファン・バーガー Stefan Berger
(ボーフム・ルール大学Ruhr-Universität Bochum)
エルヴェ・アングルベール Hervé Inglebert
(パリ第10大学Université de Paris X-Nanterre)

1(火)10:30~
〈国際公開セミナー〉
第1部 10:30~12:00
シュテファン・バーガー (ボーフム・ルール大学)
第2部 13:00~14:30
エルヴェ・アングルベール (パリ第10大学)
コメント・質疑応答 15:00~17:30
西山暁義(共立女子大学教授)

両日とも
(通訳) 松原俊文 (司会) 道重一郎・ 岡本充弘
会場 東洋大学白山キャンパス2号館16階スカイホール
主催 東洋大学人間科学総合研究所
# by pastandhistories | 2015-08-21 06:35 | Trackback | Comments(0)

御用学者

 この間の政治状況について、知人に以下のような記事をメールで教えたら、すぐに反応がありました。現代的な響きを持つ言葉だからでしょう。ウキペディアで紹介されているものですが、今日はそれをそのまま転載します。

 「山下奉文は、処刑前に教誨師の森田正覚に日本人へ向けた遺言を残した。彼が最後に伝えたかったことは、戦時中の彼の行いに対する自責の念と自由を尊び平和を追求する新しい日本に対する理想であった。(遺言の全文は『山下奉文の追憶:三十年祭に際して』(山下九三夫 1976.2)に掲載されており、奈良県立図書情報館などで閲覧できる。)
彼は、「新日本建設には、私達のような過去の遺物に過ぎない職業軍人或は阿諛追随せる無節操なる政治家、侵略戦争に合理的基礎を与えんとした御用学者等を断じて参加させてはなりません。」と言明し、日本再建の方向性について、「丁独戦争によって豊沃なるスレスリッヒ、ホルスタイン両州を奪はれたデンマークが再び武を用いる事を断念し不毛の国土を世界に冠たる欧州随一の文化国家に作り上げたように建設されるであろう事を信じて疑いません。」と述べた上で、第二次世界大戦の廃墟の中から日本が立ち直っていくときの4つの要素を示した。
1つ目は、日本人が倫理的判断に基づいた個人の義務履行。
この倫理観の欠如が、日本が世界からの信用を失ってしまった根本的な原因だと主張した。さらに日本人が間もなく得る自由が、この義務の観念を気づかせるのを難しくさせてしまうかもしれないと予測した。
「自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人としての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。此の倫理性の欠除という事が信を世界に失ひ醜を萬世に残すに至った戦犯容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。
此の人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。
諸君は、今他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人と雖も此の責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶ事は許されないのであります。こゝに於いてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。」
2つ目は、科学教育の振興。
彼は優れた科学が優れた兵器を生み出すことを認めながらも、核戦争の不安材料を恐れ、破壊よりも科学の平和的発展を主張した。
「敗戦の将の胸をぞくぞくと打つ悲しい思い出は我に優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、たとへ破れたりとはいへ斯くも多数の将兵を殺さずに平和の光輝く祖国へ再建の礎石として送還することが出来たであらうといふ事であります。私がこの期に臨んで申し上げる科学とは人類を破壊に導く為の科学ではなく未利用資源の開発或は生存を豊富にすることが平和的な意味に於て人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての科学であります。」
3つ目は、女子の教育。
日本人の女性は、新しい自由と地位を尊び、世界の女性と共に平和の代弁者として団結しなければならないということ。「従順と貞節、これは日本婦人の最高道徳であり、日本軍人のそれと何等変る所のものではありませんでした。この虚勢された徳を具現して自己を主張しない人を貞女と呼び忠勇なる軍人と讃美してきました。そこには何等行動の自由或は自律性を持ったものではありませんでした。皆さんは旧殻を速かに脱し、より高い教養を身に付け従来の婦徳の一部を内に含んで、然も自ら行動し得る新しい日本婦人となって頂き度いと思うのであります。平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新に獲得されました自由を有効適切に発揮して下さい。自由は誰からも犯され奪はれるものではありません。皆さんがそれを捨てようとする時にのみ消滅するのであります。皆さんは自由なる婦人として、世界の婦人と手を繋いで婦人独自の能力を発揮して下さい。もしそうでないならば与えられたすべての特権は無意味なものと化するに違いありません。」
4つ目は、次代の人間教育への母としての責任。
「私のいう教育は幼稚園或は小学校入学時をもって始まるのではありません。可愛い赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始の時を以て始められなければならないのであります。愛児をしっかりと抱きしめ乳房を哺ませた時何者も味う事の出来ない感情は母親のみの味いうる特権であります。愛児の生命の泉としてこの母親はすべての愛情を惜しみなく与えなければなりません。単なる乳房は他の女でも与えられようし又動物でも与えられようし代用品を以ってしても代えられます。然し、母の愛に代わるものは無いのであります。
母は子供の生命を保持することを考へるだけでは十分ではないのであります。
子供が大人となった時自己の生命を保持しあらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、協調を愛し人類に寄与する強い意志を持った人間に育成しなければならないのであります。
………これが皆さんの子供を奪った私の最後の言葉であります。」

 本当に真摯な言葉です。こうした言葉が、いわゆる最高級の「職業軍人」によって発せられていたことについて、「阿諛追随せる無節操なる政治家、侵略戦争に合理的基礎を与えんとしている御用学者」は自らを恥じることはないのでしょうか。
# by pastandhistories | 2015-08-19 22:41 | Trackback | Comments(0)

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