記録と記憶
記録と記憶、どちらがより事実に近いか、と問われると、歴史研究者は記録であると答えがちです。しかし、意外なことですが、そうは答えられないという問題もあります。たとえば日本が戦争中に残した記録。公文書や大新聞はもちろんで、そこに当時「記されていたこと」の多くは、(戦後から見れば)事実とは異なるものであったわけです。子供時代に、家に残っていた色々なものを眼にする機会がありました。その一つが、女性向け雑誌に掲載された兵隊の現地からの文章です。あるいは戦死した兵士の戦死時の状況や家族による思い出です。文字通り、「同時代」資料です。しかし、それは戦争を美化し、肯定するものでした。
対して同じことを扱った文章は戦後は多く書かれました。これは「後時代」の記憶によるものです。そのどちらが事実に近いのか。戦後の社会のある時期までは、後者であるとされていました。記憶が記録を修正するということが、歴史の重要な要素でもあるからです。戦没学生の手記を集めた「聞け、わだつみの声」について、批判が生じたことがありました。戦争反対に合致するような都合の良いものだけを集めたのではないか、あるいは同じような目的で改竄が加えられたのではないかという批判です。
しかし、間違いなく言えることは、同時代に記されたことが、すべて信用しうる、評価してよいということはもちろんありません。後時代の記憶の方が、歴史を伝える際には、望ましということもあります。記憶は、同時代に文書化された史料への批判として有用な役割を果たすことがあります。歴史研究者は、記録を記憶に対して優先したいと思いがちなのですが。
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by pastandhistories
| 2024-09-06 10:12
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現在から見た歴史と記憶
フリッシュはオーラルヒストリーを重視した。オーラルヒストリーは現在に残されている記憶を元に、過去の事実を類推していくという方法です。そこにはしばしば記憶違いが存在するとして歴史研究者は批判します。しかし、E・H・カーやクローチェの言葉を借りるまでもなく歴史もまた現在が過去の事実を類推するという行為です。その意味では同じではないかということがフリッシュの考えにはあります。
ではなぜ歴史研究者は記憶の誤りを批判し、自らがより正しい事実を述べていると主張するのか、それは「現在「の記憶の誤りを正すことができる、「当時」の文書史料があるからです。しかし、この議論は本当に正確なものでしょうか。自分の「経験」からそのことへの疑問を述べていきましょう。たとえばデモで警官隊と衝突をして、自分も含めてデモ隊に多くの負傷者を出した時の経験です。翌日の新聞には、警官隊とデモ隊の負傷者の数はほぼ同数と記されていました。しかし、これは間違いなく事実とはかけ離れたものです。警官隊はたとえ、あえて言えばかすり傷程度の軽傷であっても申請すれば手当も出るでしょうから申請します。しかし、デモ隊の負傷者は余程の重症でなければ(自分も病院に担ぎ込まれたことがあるのですが)病院には行きません。氏名が割れて逮捕されることもあるからです。自分も場合でも二度と病院にはいかず、抜糸は自分でやりました。
(社会運動の)研究者が当時の文書史料をもとに、どちらの負傷者も同数であったと書くなら、それは明らかに誤りです。つまり記憶の方にむしろそうした文書史料を媒介とした「歴史」の誤りを正す力があるということです。もちろん記憶の方がすべて正しいということではありません。しかし、オーラルヒストリーの意味は、公式の『歴史」を普通の人々の記憶や経験から正していくための有効な方法の一つだということにもあります。オーラルヒストリーには、文書化された史料を絶対化しがちな「歴史」をただすという機能があるからです。
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by pastandhistories
| 2024-09-04 09:04
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transcription
マイケル・フィリッシュに話を戻すと、彼は基本的には都市史、労働史の研究者です。オーラル・ヒストリーという手法をとれば、とりわけ現代史のテーマとして都市史、労働史を選択すれば、実際の経験をした人物に聞き取り調査を行うことが、基本的なものとなります。当然彼もそうしたアプローチをとった。そこで気づいた問題が、聞き取られた証言がそのまま、今度は記されることになるのかということ、つまり転記(transcription )が生み出す問題です。これについて自らの経験を踏まえて、彼が問題としたことが二つ。一つは自分の聞き取り調査がさらに第三者によって編集し直されるという問題です。この例として彼があげるのは、大恐慌期についての調査を『ニューヨークタイムズ』の依頼を受けて行った際に、その記事内容が編集によって手を加えられ、当初のものとは異なったものとなったということです。もう一つは、ストライキ参加者への自らの聞き取りが、結果的には自分の編集によって、当初の証言とは細かい点で差異のあるものとなったことです。
つまり「転記」は本来の証言をそのまま伝えるものではなく、author である、編集者や歴史家によって手を加えられたものになる。歴史が事実をそのまま示すというものであるなら、オーラルヒストリーの調査の対象となった人、つまり interviewees もまた author であるべきだ、それが彼が shared authority という考えを論じた理由です。この考えが、history with the public、つまりそれまで歴史の客体として扱われがちであった、普通の人々を歴史を共に作る主体, author(著者、あるいは権限を有する人) であるという考えを生み出していくことになります。
それからもう一つ重要なことは、そもそも語られたことは、文章資料として転記することは(そのことに歴史家は従来ほとんど疑問をいだくことはなかったわけですが)、実際には事実を大きく損なうものではないか、という疑問を生み出していくことになります。
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by pastandhistories
| 2024-09-02 09:48
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everyone his own historian
近代歴史学の成立が、一般の人々の間にある歴史と学問的歴史を切り離したということはすでに書きました。このことを批判したものとしてしばしば引用されるのは、1931年にアメリカ歴史学会の会長だったカール・ベッカーが大会に寄せた基調報告で述べた、every one ( is ) his own historian という言葉です。his own とありますが、もちろん男性に限っているわけでなく、現在的には their own という意味であって(ある時期からそれまでしばしば使用されていた、he/she, his/her に代わって、they, their が単数形として、例えば they is というようなかたちでもちいられています。he/she, his/herだと、男性代名詞、女性代名詞のどちらを先に置くかが問題になるからです。たとえば「男女」か「女男」、「夫妻」か「妻夫」かというように)、もちろん女性を含むすべての人が自らの歴史家であるという意味です。
ベッカーのこの言葉の意味は、それが専門化した歴史家の集まり、すなわち「学会」で、専門的な研究者によって発せられたことにあります。歴史は専門家である私たちだけが行うものではない。すべての人が歴史家であってよいとするこの主張は、現在のパブリックヒストリーの先駆をなしたものとして、最近ではしばしば引用されています。
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by pastandhistories
| 2024-09-01 08:47
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パブリックヒストリーの始まり
パブリックヒストリーにつながると言える過去認識、歴史研究・実践へのアプローチ、さらにはパブリックヒストリーという言葉自体も「昔からあった」というのは既に述べたとおりですが、現在もちいられているような意味でもちいられ始めたのは、これもいくつかの機会に指摘したように、カリフォルニア大学のロバート・ケリーに始まるとされています。ケリーは環境史家であって、歴史が実際的な usability, applicability を持つべきだと主張しました。彼の考えは歴史教育・研究の限界を感じていた人々の共感を呼び、1978年には雑誌 Public Historian が、翌年の1979年にはアメリカで the National Council on Public History が結成された(共に現在も継続中)が、パブリックヒストリーという考えを一般化した。
大事なことはこうした考えが、大学の史学科卒業者(つまり広義の意味での historians)が、大学を出ても就職がない( job crisis) という状況の一つの解決策として提示されたことです。史学科の卒業生の就職先として考えられるのは、現在の日本でもそうですが、研究者、教員、博物館員、文書館員、史跡の保存・説明員が考えられる。しかし、それらは限られている。であるなら、政府や自治体、民間会社、番組やゲームの製作者、など幅広い領域に対して usable , applicable な知識を提供しうるものでなければならないというのが、ケリーの考えでした。
この考えにもっとも強い反応を示したのが、博物館や史跡などの仕事に従事している人たちで、彼らは一般の人々に正確な知識を与えるのはどのような方法がいいのかということからパブリックヒストリーを論じ始めることになります(この辺はケリーの問題意識とは少しずれがあるのですが、逆に言えばこの時点では実際に大学などで学んだ歴史を実際的なものとして生かすという職業は、博物館などに限られていたためでしょう。というより、歴史をどうパブリックに伝えるかは、ずっと歴史教育論で議論されてきたことですし、博物館員や史跡に従事する人たちもずっと議論してきたことであって、そうした立場から1970年代後半におけるパブリックヒストリーの始まりという考えを批判している論者もいます)。
この辺りは、ずっと行われてきた歴史教育をめぐる議論とパブリックヒストリーの関係はどう考えるべきかという問題にもつながるわけですが、そうした問題はさておいて、パブリックヒストリーを総括的に論じた最近の概説書の多くは、ケリーの立論がパブリックヒストリーの始まりだとしています。
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by pastandhistories
| 2024-08-31 09:16
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