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経験の強制

 目次の作成が終わったので、今度はブログ全体の整理を始めました。まずはいったんファイルに全部を移す作業。これが終わったので、次はそのファイルを整理し、それをもとにオンライン上にあるブログを大幅に削除・整理していくという作業をしています。単純な作業で飽きやすいので、ながら作業。その際にテレビを野球を見ながらというのは便利です。間の多いスポーツなので、ながら作業に便利です。
 見ているのはメジャーリーグ。実は高校野球は昔からたまによさそうな投手がいる時にその投球だけを見たりするけど、それ以外はまったく見ません。正直好きになれないところが多すぎます。昔ながらの坊主頭の「自主的」強制。他のスポーツでは最近問題になっているわけですが、いつまでも改められそうにもない監督やコーチの絶対性。そして精神主義の横行。非合理的な長時間練習。
 問題はこのことの弊害の大きさ。本来スポーツは趣味的なものだし、生涯にわたる健全な肉体を作るためのものだけど、かつて運動部員だった友人たちの多くは、過度のトレーニングの結果の障害に今は苦しんでいます。国体レベルの選手だったのが、今は後遺症で腰を痛めて車椅子の生活。最近サッカーのヘッディングを未成年では禁止すべき(認知症の原因の一つとなっていることが指摘されるようになった)という議論が随分と話題になり始めていますが、自分がサッカーをしなかったのも「頭」を使用するスポーツには納得のいかないものを感じたからです(土埃が髪の毛や眼や顔にかかるのも嫌でした)。
 こんな話をこのブログで書いたのは、自分が批判的なのは、そうした非合理なことであっても、自分が経験したことだからということだけを理由に、後の世代にも押し付ける、そうした社会的な枠組みに批判的だからです。学問の世界にも随分とそうしたことがあるような気がするからです。たしかに学問の世界にも、スポーツの世界と同じように、単純な継続性やストイシズムが必要な部分は随分とあります。しかし自分がいつも思うことは、芥川龍之介が描いた「杜子春」の世界です。たしかに「仙人」になるためには、社会一般とは異なる世界に生きていくこと、ある種の禁欲性が不可欠かも知れません。しかし、そこには自分を見失わせるという問題だけではなく、他人をも強制するという問題があります。失われるのは自分の人格だけでなく、他人の人格でもあるということです。
 現在西洋史研究者にとって長期の海外留学、学位取得は、ますます困難になってきた就職を確保するために不可欠なものとなってきました。何度も書いてきましたが、そのことを絶対的に否定するつもりはありません。しかし最近思うことは、海外で「仙人」の学位を取得するために、失われているものも決して少なくはないということです。歴史的に見てスポーツも学問の世界においても、ある種のストイシズム、自己犠牲によって一定のレベルの技能の取得が可能になってきたこと、それは確かです。しかし、そのことによって、失われたもの、見落とされてしまうもの、しまったものも、決して少なくはありません。だとしたら、自己の限られた経験の強制が、逆に新しい発展の可能性を阻害することにもなります。そう考えれば、自分が犠牲にしたのと同じように、他人もまた青春を犠牲にすべきだと主張することには、つねに留保が必要ではないでしょうか。

# by pastandhistories | 2018-08-10 12:11 | Trackback | Comments(0)

ミクロとマクロ

 いちおう目次を作りました。あまり役に立ちそうもないもので、申し訳ありません。目次を作ったのは、新しい記事よりも、古い記事を参照してくれる人が随分と多いようなので、その参考になればと思ったからです。同時に総計するとかなりの分量になるし、研究会や本の内容などの告知的なこと、あるいは私的な日記的なものも多いので、それらを一挙に整理しようと考えたからです。といってもこの作業も大変そうなので、まずは目次を作ってから、その作業をしていきます。 
 目次を作成して改めて気づいたのは、全体の分量。400字詰め原稿に換算して3000枚分ほどありそうです。新書に換算すると、おそらくは7~8冊分。8年間ですから、一年に1冊書いていた勘定になります。これをただネットに置いていても意味はないので、何らかの整理は必要でしょう。
 仕事の方は以前書いたように、11月にある研究会で発表する予定です。来年2月に海外である会はペーパーがアクセプトされたようなので、今月末までに正式な手続きをします。あと一つ書評の依頼が、10月末締め切りでありました。それぞれが少し関連しているので、順を追って準備作業をしています。
 そんな日常ですが、先週は前任校で研究会があったので参加しました。そこでもまたミクロストリアとグローバルヒストリーの関連が話題になりました。自分は発言はしませんでしたが、この問題についていつも思うことは、議論を行うにあたって現在的に重要なことは、「ミクロなアプローチとグローバルなアプローチは結合している」という「一般的」主張を安易にすべきではないということです。ミクロ的な実証研究がその精度を深化させてきていること、そのことは事実であって、否定する必要はありません。しかし、「グローバルなものとの結びつき」を論ずるなら、その際持ち出される「グローバル」は一般的なものではなく、それもまた理論的な精度を高めたものでなければならないはずです。自分が「グローバルヒストリー」を論ずるなら、その理論的精度を急速に高めている「グローバリゼーション理論」への関心や理解が必要だと主張しているのはそのためです。関連を論ずるなら、双方への理解が必要で、「ミクロ的なものをとおしてグローブが見える」というだけで、「グローブ」の内容が明らかなものでなければ、その結びつきを論じたことにはならないだろうと、自分は考えています。

# by pastandhistories | 2018-08-08 22:09 | Trackback | Comments(0)

目次⑨

目次[2018-08-03]目次[08-03]目次[08-01]目次[07-31]目次[07-29]目次[07-28]トレンドの基底にある個人のエトス[07-26]グローブの単一性・固定性[07-24]上からの視点とその相対化[07-13]mono-democracy[06-29]今後の予定[06-25]表象されているもの、いないもの[06-17]対峙と回収[06-10]1968年と2018[06-02]ベストテン入り[05-25]オンライン化と注の付け方[05-23]近代化、グローバル化[05-17]国際化の貧困[05-12]機械とグローバル[05-01]二つの仕事[04-25]遺稿[03-11] アマゾン[03-09]訃報[03-07]いくつか[03-02]反動[02-21]個人・事実[02-18]『思想』特集号[02-09]historygoes public[02-07]ウィリー・トムスン[02-02]『過去と歴史―「国家」と「近代」を遠く離れて』目次[01-25]『過去と歴史―「国家」と「近代」を遠く離れて』[01-24]下からの修正[01-15]InternationalPublic History[01-14]デヴィッド・ディーン[01-10]パブリックヒストリーセミナー 1月13[01-09]マンガの優位性[01-04]モブの描き方[2017-12-29]目次[12-14]目次[12 -05]エピソード[11-12]短期主義への批判[11-05]1月13[11-02]二時間ドラマの構造[10-25]政治指導者の理性[10-22]praciticality[10-19]19世紀的な形式[10-10]歴史の一部[10-09]昨日について[10-08]10月7[10-04]政治の逆説的転回[10-02]ロジックとゲバルト[09-26]デジタライゼーションの30年間[09-19]ENIUGH補遺[09-17]ENIUGH-4[09-16]9月13日、14[09-12]eniugh5-[09-08]eniugh5-5[09-03]eniugh5-2[09 -02]eniugh5-1[09-01]時間の均質性[8-23]lookat, look into[8-18]ボーダースタディーズ[8-09]今週の予定、今後の予定[8-02]プロフィール[07-30]比較史[07-25]周縁と歴史[07-19]セミ・グローバリゼーション[07-15 ]未来の歴史[07-14]いくつか[07-07]7周年[07-02]newbrave history[06-25]言語論的転回を超えて[06-24]パブリックヒストリーについてのメモ[06-23]パブリックヒストリーについてのメモ[06-22]パブリックヒストリーについてのメモ[06-21]パブリックヒストリーについてのメモ[06-20]パブリックヒストリーについてのメモ[06-19]科・学[06-18]IFPH[06-16]IFPH[06-15]IFPH[06-14]IFPH[06-12]IFPH[06-09]IFPH[06-09]IFPH[06-08]IFPH[06-07]IFPH[06-06]IFPH[06-06]あったことをなかったとは言えない[06-02]
# by pastandhistories | 2018-08-04 12:06 | Trackback | Comments(0)

目次⑧

数量的データに裏付けられた結論[05-31]比較史[05-27]政治と知[05-20]史学科の区分方法[05-15]世界史の「研究」へ[05-14]未来のイメージとしての過去[05-13]根拠としての歴史[05-09]プロフェショナリズム[05-08]事実のレベル[05-02]日本の歴史理論、史学史[05-01]墓場にはもっていけない[04-24]日本にあるだろうか[04-11]ネットの情報管理[03-08]パブリックな場の歴史とのかかわり[02-26]大きな歴史と小さな歴史[02-23]ファミリーヒストリーとグローバルヒストリー[02-16]ファミリーヒストリーについての誤解[02-13]ファミリーヒストリー[02-11]キャサリン・ホジキン[02-09]2月23日、25日[02-08]壁のない教室[02-02]世代[01-25]1917~19年のイフ[01-23]革命記念日[01-19]壁の厚さ[01-15]繁忙期?[01-05]言葉の恣意性[2016-12-29]二つのホワイト論[12-26]practical, ethics,politics[12-24]figure[12-21]「喩」について[12-21]行間を読む想像力[12-19]マルクス主義と実存主義[12-15]1960年代の意味[12-13]liberationhistoriography[12-12]社会変革への夢[12-10]ホワイトからのメッセージ[12-05]12月23[12-03]トランスナショナルヒストリー[12-02]グローバルヒストリーの言語論的意味[11-29]グローバルヒストリーという言葉の連れ合い[11-28]歴史の地位[11-27]超歴史[11-26]ネイション・可視性・変革[11-24]可視的なもの、不可視的なもの[11-23]労働者文化と大衆文化[11-20]エリック・フォーナー[11-19]『ビッグヒストリー』論の可能性[11-16]self, subject, agent,[11-15]サイモン・シャーマ[11-14]過程と個[11-13]グローバリゼーション論のアイロニー[11-12]民主主義とエリート的支配層[11-10]worldization,globalization[11-09]歴史の危機?[11-08]パブリックな場の国民と市民[11-07]事実とデジタライゼーション[11-06]歴史的真実、違和、不信[10-26]Jonathon Dallimore[10-22]globe という言葉[10-14]10月7、8日、12月23[09-20]practicality ofhistorical past[09-05]INTHブラジル[09-04]INTHブラジル[09-03]INTHブラジル[09-02]INTHブラジル[09-01]INTHブラジル[08-31]INTHブラジル[08-30]INTHブラジル[08-29]INTHブラジル[08-27]空中都市[08-25]時間・個人・記憶[08-19]10月上旬[08-15]
# by pastandhistories | 2018-08-03 23:28 | Trackback | Comments(0)

目次⑦

昨日は目次作成に失敗。ファイルをこわしてしまいました。後2回ほどで完了すると思います。
目次⑦
7月30
[ 2016-07-25 ] プレセンスという問題[ 2016-07-12 ]歴史と物語[ 2016-07 -11 ]HistoricalNarrative[ 2016-07-09 ]蚊との共生[ 2016-07-06 ]議論の進め方[ 2016-07-04 ]歴史研究の競争的独占[ 2016-07-03 ]radicalhistories/histories of Radicalism[ 2016-07-02]7月30[ 2016-07-01 ]デジタル化とその後[ 2016-06-18 ]ツーリストインダストリー[ 2016-06-16 ]チャーティズムデイ[ 2016-06-12 ]現状と予定[ 2016-06-07 ]落語家の目線[ 2016-05-23 ]people'shistory[ 2016-05-22 ]時の流れ[ 2016-05-19 ]internationalmiddle class[ 2016-05-13 ]事実と偶然性[ 2016-05 -11 ]Doinghistory[ 2016-05-10 ]オバマ大統領は最初の黒人大統領?[ 2016-05 -09 ]多様化への背理[ 2016-05-08 ]Writingthe Nation[ 2016-04-26 ]二時間ドラマの構造[ 2016-04-21 ]許容されているもの、許容されていないもの[ 2016-04-20 ]オーディアンスの問題[ 2016-04-19 ]ローカル・ナショナル・リージョナル・グローバルヒストリー[ 2016-04-18 ]複雑系の考え方[ 2016-04-17 ]グローバリゼーションとパブリックヒストリー[ 2016-03-29 ]alteredpast[ 2016-02-19 ]パブリックな空間とジャーゴン的空間[ 2016-02-18 ]ギャンブルと歴史[ 2016-02-09 ]ゲームと歴史[ 2016-02-08 ]イリーの議論[ 2016-01-30 ]1940年代生まれの歴史家[ 2016-01 -29 ]3月20日[ 2016-01-28 ]初仕事[ 2016-01-02 ]ディスコースとイディオム[ 2015-12-25 ]1月16日、3月21[ 2015-12-09 ]チャーティスト運動はどう物語れるか[ 2015-11-29]186万部[ 2015-10-25 ]分析と物語[ 2015-10-25 ]24日のこと[ 2015-10-15 ]『歴史を射つ』の販売状態について[ 2015-10 -02 ]植民地体験[ 2015-09-23 ]西川長夫さんへ[ 2015-09-18 ]『歴史を射つ』刊行されました[ 2015-09-15 ]『歴史を射つ』出版と公開合評会[ 2015-09-13 ]ISH[ 2015-09-12 ]CISH[ 2015-09-11]CISH[ 2015-09-10 ]CISH[ 2015-09-08 ]CISH[ 2015-09-07 ]CISH[ 2015-09-05 ]グローバルヒストリーと科学的歴史[ 2015-09-02 ]帰国[ 2015-08-30 ]8月7日・21日の記事[ 2015-08 -24 ]8月31日・9月1日[ 2015-08-21 ]御用学者[ 2015-08-19 ]叙述と分析[ 2015-08 -15 ]本の編集[ 2015-08-07 ]休日[ 2015-07-18 ]無事来日[ 2015-07-10 ]国際招聘研究会[ 2015-07-02 ]去認識とその媒体[ 2015-06-23 ]TAMHIST(4)[ 2015-06-21 ]IAMHIST(3)[ 2015-06-20 ]IAMHIST(2)[ 2015-06-20 ]IAMHIST[ 2015-06-19 ]研究会の再開[ 2015-06-08 ]苦学生[ 2015-04-18 ]新しい言葉[ 2015-04-05 ]今年の予定[ 2015-04-02 ]論理の審級[ 2015-03-07 ]言語論的転回と社会運動史[ 2015-03-06 ]一か月ぶり[ 2015-03-04 ]海賊と帝王[ 2015-02-02 ]啓蒙と物理的強制[ 2015-01-27 ]世界史とグローバルヒストリーはどこが違うのか?[ 2015-01-26 ]明示性と構築性の違い[ 2015-01-25 ]遺伝子の不平等[ 2015-01-01 ]afterology[ 2014-12-16 ]新着[ 2014-11-23]民主主義への憎悪[ 2014-11-06 ]


# by pastandhistories | 2018-08-03 10:36 | Trackback | Comments(0)

目次⑥

目次はこれで半分ほどになりました。一気に作成してしまう予定です。

universal history
[ 2014-09 -22 ]ENIUGH[ 2014-09 -19 ]ENIUGH[ 2014-09 -18 ]ENIUGH[ 2014-09 -16 ]ENIUGH[ 2014-09 -15 ]ENIUGH[ 2014-09 -14 ]ENIUGH[ 2014-09 -13 ]ENIUGH[ 2014-09 -12 ]ENIUGH[ 2014-09 -10 ]想像力とリアリティ[ 2014-09 -03 ]想像する[ 2014-08 -31 ]来月から[ 2014-07 -29 ]ナショナリズムとレイシズム[ 2014-07 -05 ]イギリス史とアメリカ史[ 2014-07 -03 ]アメリカに歴史はない?[ 2014-06 -26 ]「ヨーロッパ中心主義」再論[ 2014-06 -24 ]ジェンダーとヨーロッパ中心主義[ 2014-06 -22 ]プロジェクト後始末[ 2014-06 -09 ]ビートルズとAKB[ 2014-05 -25 ]アフター・ホブズボームジャズとビートルズ[ 2014-05 -24 ]アフター・ホブズボームlabor history[ 2014-05 -12 ]アフター・ホブズボーム短い20世紀、長い21世紀[ 2014-05 -10 ]アフター・ホブズボームー世代的な当然さ[ 2014-05 -08 ]アフター・ホブズボーム1917年生まれ[ 2014-05 -06 ]アフター・ホブズボームーファミリー・ヒストリー[ 2014-05 -04 ]アフター ホブズボーム[ 2014-05 -03 ]雨のメーデ-[ 2014-05 -01 ]三日前に独立[ 2014-04 -28 ]明日出発[ 2014-04 -27 ]悪い冗談[ 2014-04 -25 ]記憶の権利[ 2014-04 -11 ]記憶の集合性、想起の個人性[ 2014-03 -23 ]過去認識の諸類型[ 2014-03 -21 ]経験と認識[ 2014-03 -20 ]経験をめぐる問題[ 2014-03 -19 ]構築論を生み出したもの[ 2014-03 -15 ]最後のプロジェクト、カーレ・ピハライネン[ 2014-03 -02 ]最後のプロジェクト;カーレ・ピハライネン[ 2014-02 -16 ]因果関係と論証の手続き[ 2014-02 -10 ]子供の大人化[ 2014-01 -27 ]文化史についてのメモイデオロギーとしてのリアリティ[ 2014-01 -16 ]文化史についてのメモ社会史とパラダイムの転換[ 2014-01 -11 ]文化史についてのメモ社会経済史ボケ[ 2014-01 -04 ]文化史についてのメモ狭義の文化史[ 2014-01 -03 ]文化史についてのメモpolitics left out[ 2014-01 -02]文化についての記憶[ 2013-12 -31 ]文化史についてのメモ曖昧さ[ 2013-12 -30 ]最後のプロジェクト[ 2013-12 -29 ]グローバリゼーションとナショナリズム[ 2013-12 -11 ]ネガティヴな状況の中で[ 2013-12 -07 ]補遺[ 2013-12 -02 ]歴史の個人化、記憶の共同化[ 2013-12 -01 ]歴史の個人化、記憶の共同化[ 2013-11 -29 ]歴史の個人化、記憶の共同化[ 2013-11 -26 ]歴史の個人化、記憶の共同化[ 2013-11 -24 ]歴史の個人化、記憶の共同化[ 2013-11 -23 ]歴史の個人化、記憶の共同化[ 2013-11 -22 ]歴史の個人化、記憶の共同化[ 2013-11 -21 ]歴史の個人化、記憶の共同化[ 2013-11 -19 ]本質的なこと、現実的なこと[ 2013-11 -18 12:15 ]歴史の個人化、記憶の共同化 [ 2013-11 -18 ]敗戦投手の弁[ 2013-11 -17 ]ISCH[ 2013-11 -11 ]ISCH[ 2013-11 -10 ]ISCH[ 2013-10 -21 ]ISCH[2013-10 -20 ]ISCH[ 2013-10 -13]関係史の問題[ 2013-10 -07 ]ISCH[ 2013-10 -04 ]バークとホワイト[ 2013-10 -03 ]ボーフム[ 2013-09 -22 ]ISCH[ 2013-09 -20 ]ISCH[ 2013-09 -19 ]ISCH[ 2013-09 -18 ]イスタンブール[ 2013-09 -17 ]休み[ 2013-08 -16 ]今年の夏[ 2013-08 -03]
# by pastandhistories | 2018-08-01 08:00 | Trackback | Comments(0)

目次⑤

 昨日目次を作成していて、このブログの制限字数が2000字であることを初めて知りました。ということのようなので完成には大分時間がかかりそうです。今日は2013年の7月までの分です。

歴史を敵に回す
[ 2013-07 -28 ]INTH[ 2013-07 -24 ]INTH[ 2013-07 -23 ]無事(?)終了[ 2013-07 -22 ]INTH[ 2013-07 -21 ]INTH[ 2013-07 -20 ]INTH[ 2013-07 -19 ]INTH[ 2013-07 -14 ]INTH[ 2013-07 -13 ]INTH[ 2013-07 -12 ]INTH[ 2013-07 -11 ]7月21日のプログラム[ 2013-07 -06 ]言語の単一化・複数化[ 2013-06 -29 ]オーラルヒストリーについて[ 2013-06 -28 ]「現在」という時間の空間性[ 2013-06 -23 ]7月21[ 2013-06 -16 ]6月15日のラインアップ[ 2013-05 -24 ]『歴史として、記憶として』刊行[ 2013-05 -20 ]二元論とgradation[ 2013-05 -16 ]『歴史として、記憶として』[ 2013-04 -26 ]連続性による拘束・無限遠からの視点[ 2013-03 -26 ]COM[ 2013-03 -20 ]ジェット推進十万馬力[ 2013-03 -14 ]モノグラフ論再び・3月18[ 2013-03 -03 ]歴史研究の根拠(?)としてのモノグラフ[ 2013-02 -24 ]これから[ 2013-02 -02 ]AHA[ 2013-01 -24 ]AHA[ 2013-01 -23 ]AHA[ 2013-01 -22 ]AHA[ 2013-01 -20 ]ほぼまる一日[ 2013-01 -10 ]明日出発[ 2013-01 -01 ]リアリティと想像力[ 2012-12 -29 ]本の読み方[ 2012-12 -24 ]歴史とテレビ[ 2012-12 -09 ]レトリックと事実への想像力[ 2012-12 -03 ]月の終わり[ 2012-11 -25 ]月の半ば[ 2012-11 -16 ]月の初め[ 2012-11 -01 ]another meeting[ 2012-10 -21 ]情報に伴う問題[ 2012-10 -18 ]無事終了[ 2012-10 -15 ]末席[ 2012-10 -05 ]バーク来日時のスケジュール[ 2012-10 -02 ]ITHその2[ 2012-09 -21 ]ITHその1[ 2012-09 -16 ]ITH[ 2012-09 -14 ]最初のグローバル[ 2012-09 -13 ]身辺雑記[ 2012-09 -06 ]『野ばら』[ 2012-09 -02 ]ネガティヴな実用性[ 2012-08 -27 ]国家の過剰[ 2012-08 -26 ]reality effectにある問題点[ 2012-08 -20 ]10月14[ 2012-08 -16 ]政治・経済・社会・文化[ 2012-08 -12 ]アトムは二度死ぬ[ 2012-08 -10 ]映像資料と文字による説明・解釈[ 2012-08 -05 ]
# by pastandhistories | 2018-07-31 12:10 | Trackback | Comments(0)

目次④

 久しぶりに目次を作成して、このブログで最初に public history について書いたのは、2011年の5月だったことに気づきました。興味深いのはその次の記事は「社会学と歴史学」。このブログでは記事別アクセスの統計を日単位、月単位で知ることができますが、それによると通算して最もアクセスの多い記事の一つ。その直前だったということです。しかし、「社会学と歴史学」と比較すると、public history へのアクセスは記録上はきわめて少ないようです。記録の仕方のメカニズムのためかもしれませんが、この対照には少し驚かされました。

目次④

 
グローバルな視点から見たグローバルヒストリー[ 2012-07 -27 ]夏の予定[ 2012-07 -21 ]相対主義のパラドクス[ 2012-07 -15 ]二本立てへの疑問[ 2012-07 -08 ]日本は、日本では、日本でも[ 2012-07 -05 ]教科書のアジア[ 2012-06 -24 ]ロシアでは、ロシアは[ 2012-06 -23 ]疑問[ 2012-06 -21 ]「は」「が」と「では」[ 2012-06 -19 ]コンテクスト的理解[ 2012-06 -10 ]暴力と抵抗[ 2012-06 -04 ]土曜日[ 2012-06 -03 ]パーソナルなナラティヴ[ 2012-05 -31 ]立ちすくむ歴史[ 2012-05 -26 ]chronozoom[ 2012-05 -13 ]二つの会の予定[ 2012-05 -06 ]シンクロニカルな結合と歴史[ 2012-05 -04 ]proto-modernities[ 2012-05 -03 ]modernity,modernities[ 2012-05 -02 ]コンセプトと利用法[ 2012-04 -26 ]社会史と社会運動史[ 2012-04 -15 ]PopularizingNational Pasts[ 2012-04 -08 ]自らの対象化[ 2012-04 -03 ]social,public[ 2012-03 -22 ]境界の形成・越境者の増大[ 2012-03 -20 ]人種主義[ 2012-03 -19 ]いくつか[ 2012-03 -14 ]記憶の絶対性[ 2012-03 -08 ]言葉なき民[ 2012-03 -04 ]もう一つのセミナー[ 2012-02 -28 ]文化という視点[ 2012-02 -27 ]文化史・プロジェクト詳細[ 2012-02 -23 ]社会史「から」文化史「へ」?[ 2012-02 -20 ]culturalmemory[ 2012-02 -11 ]memoryとhistory[ 2012-02 -10 ]ドストエフスキー的体験[ 2012-02 -02 ]繁忙期の中断[ 2012-01 -15 ]1994年[ 2012-01 -09 ]bighistory[ 2012-01 -08 ]TheOxford History of Historical Writing[ 2012-01 -07 ]ベッカートとバーク[ 2012-01 -06 ]シカゴ[ 2012-01 -05 ]言語の共同性[ 2012-01 -02 ]コミュニケーション的転回[ 2012-01 -01 ]茶色の意味[ 2011-12 -24 ]subjectivity,emotions[ 2011-12 -23 ]偶然発見されたフィルム[ 2011-12 -18 ]大きな反響[ 2011-12 -15 ]セミナーの内容[ 2011-12 -12 ]戦後史学と社会運動史[ 2011-12 -11 ]補助科学[ 2011-12 -08 ]記憶の自由[ 2011-12 -02 ]レトリック[ 2011-12 -01 ]茶色の意味[ 2011-12 -24 ]subjectivity,emotions[ 2011-12 -23 ]偶然発見されたフィルム[ 2011-12 -18 ] 大きな反響[ 2011-12 -15 ]セミナーの内容[ 2011-12 -12 ]戦後史学と社会運動史[ 2011-12 -11 ]補助科学[ 2011-12 -08 ]記憶の自由[ 2011-12 -02 ]レトリック[ 2011-12 -01 ]作られた記憶?[ 2011-11 -27 ]拡大家族[ 2011-11 -26 ]坂の上と坂の下[ 2011-11 -25 ]選択[ 2011-11 -24 ]中国化という視点[ 2011-11 -23 ]トラウマ的記憶[ 2011-11 -21 ] 1945年生まれ[ 2011-11 -20 ]出生地 [2011-11 -19 ]防空壕[ 2011-11 -18 ]ポリフォニックな記憶の表象[ 2011-11 -17 ]来年3[ 2011-11 -06 ]HermanPaul, 'White'[ 2011-11 -03 ]プロジェクトの会[ 2011-11 -02 ]コミュニケーションとしての歴史[ 2011-10 -26 ]死者の声[ 2011-10 -25 ]onlyone witness[ 2011-10 -24 ]narrativeと歴史[ 2011-10 -23 ]オンとオフ[ 2011-10 -22 ]KallePihlainen[ 2011-10 -21 ]ステファン・バーガー[ 2011-10 -15 ]今日の日記[ 2011-10 -13 ]秋の予定[ 2011-10 -07 ]夏休みの終わり[ 2011-10 -02 ]パラドクス[