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過去ではなく現在の肯定

あるタレントが、オリンピック開会式の音楽担当者が「過去」に起こしたいじめ問題について、それは「過去」の「コンテクスト」の中で行われたことで、改めて「現在」において取り上げることではないと発言したようです。過去を正当化するためにしばしばもちいられるレトリックです。これに対して10年ほど以前に書いた記事を今日はここにあげなおしておきます。

アナクロニズムという言葉は、歴史学では通常は現代的な基準を過去に過剰に持ち込むことへの批判として、否定的な意味合いで使用されます。しかしアナクロニズムにはもう一つの意味があって、現代においてもなお過去の価値に固執することへの批判としても使用されます。
 前者的な立場から歴史にかんしてしばしば論じられることは、過去を内在的に捉えるという視点です。別の言い方をすればコンテクストに即して過去の人々のあり方や考え方を理解していくということです。
 その通りといえばその通りですが、こうした議論に立つと織田信長の比叡山焼き打ちのような残虐な行為はあまり批判されなくなります。織田信長がナショナルヒストリーにおけるgreat manであり続けているのはこのためでしょう。織田信長ばかりでなくこうしたコンテクスト的理解は、多くの国におけるナショナルヒストリーの重要な要素となっています。さらに言えばヨーロッパの世界的な進出を肯定するものとしてもコンテクスト的理解は便利です。コロンブスをはじめとする多くのgreatmenがこうした歴史の中では役割を与え続けられてきました。
 コンテクスト的理解にとって重要なことは、コンテクストそのものへの批判性です。16世紀のヨーロッパの進出への批判的視点を持てば、当然コロンブスは批判の対象となります。戦国時代も当然そうです。あれだけの殺戮と暴力的支配が一般化していた時代に批判的なことは、別にアナクロニズムとして批判されるようなことではありません。当然の歴史理解のあり方です。白土三平は『カムイ伝』や『忍者武芸帳』という漫画をとおして、過去の時代に内在するかたちで、殺戮と暴力的支配を批判しました。それ以上にコンテクスト的理解にとって重要なことは、現在の自らを規定するコンテクストに対しての批判を留保し続けることです。」

お分かりでしょうか。コンテクスト的理解というのは、「過去」だけを正当化しているのではなく、実は「現在」にもなお執拗に存在している「過去の遺制、不正義、不合理」を正当化しようとするために用いられているレトリックです。「保守主義者」がしきりに援用するのはそのためです。「過去にも戦争による膨大な殺人があった、だから現在でも戦争をとおして膨大な殺人を行うのは当然だ」という議論です。逆に言えば、現在でも風俗(売春)はある。したがって過去に従軍「慰安婦」がいたのは当然だという議論ともなります。要するにイジメは現在もある。だから過去のイジメをいまさら問題とすべきではないということです。しかし、現在においては、戦争による大量殺人も売春もイジメも立派な犯罪行為です。そのことを犯罪とはみなそうとはしない非理性的な立場が、実は過去をコンテクスト的に理解すべきだという議論の背景にあるものです。

# by pastandhistories | 2021-07-19 06:22 | Trackback | Comments(0)

結成100年

 歴史に関するブログなので、政治に関することはあまりストレートには書かないけれど、政治と歴史が切り離されえないことはやはり否定できません。この間のテレビや新聞の報道で大々的に報じられていることは、中国共産党結成100年という事実。でも「これだけを」大きく取り上げるのは変ですね。多くの国の共産党は、そのすべてがほぼ結成100年だからです。当たり前の話です。ロシア革命を受けてコミンテルンが結成され、最初から共産党として代表を送って国もあったけど、多くは1920年の第二回コミンテルン大会で決議されたコミンテルン加入の21か条の条件を受け入れるものとして結成され、加入が認められた後に、コミンテルン支部としての各国共産党となったからです。これが1920年から1921年にかけての出来事。日本共産党の場合は、一年遅れて結成と正式加盟は1922年のはずです。したがって多くの国の共産党は、現存する場合はほとんどが結成100年となります。テレビや新聞を見ていると本当に勘違いしてしまいそうですが、中国共産党だけが結成100年になるわけではありません。
 もちろんその後共産主義運動がそのように変化し、各国の共産党が中国共産党を含めてどのように変化してきたかは、別の問題です。言えることは、現在の共産党は多くの国で「21か条の加入条件」とは、大きくかけ離れた立場に立っていることです。コミンテルン自体が存在せず、中国などを別として、ソ連を中心とする社会主義国家群が存在しなくなったわけですから、当たり前と言えば当たり前ですが、そうした新しい立場を正当化しようとするなら、コミンテルン結成当時にそれまでの社会民主主義運動と自らを峻別したことの理論的総括をきちんと行うべきでしょう。そのことはもちろんマルクスやレーニンの主張への批判的な議論を含意することになるはずです。つまりは、議会への理解ばかりでなく、「党」そのものについての理論的な再考察を求められるということです。

# by pastandhistories | 2021-07-02 09:34 | Trackback | Comments(0)

歴史の身体化、土着性


  1. 昨日は金曜日ということで、パブリックヒストリー・ウェビナー。7月16日にゲスト参加してくれるデイヴィッド・ディーンのテクストを素材に、自分が報告者となって「歴史と演劇」というテーマを議論しました。先週のオリヴァー・ストーンを素材とした「歴史と映画」というテーマに引き続く議論。どちらも議論は果てないところがあって面白いところががありました。ただ「パフォーマティヴ・ターン」に関心を寄せているディーンの議論の一つの核である、「歴史の身体化」という議論については、十分伝わらなかったような気がします。図式的に言えば「歴史の言語化」に対置されているもの。言語をとおして過去が現在に生きる人の精神の中に reenactment とされていると考えたコリングウッドに対して、パフォーマンスによって
    過去が身体をとおして reenactment されることをテーマとするものです。
    演劇もその一つ、他にも living history などの体験的歴史があります。このように「言語化されたもの」「身体化されたもの」の多くは結局はオーディアンスとの関係において成り立っている、そこから歴史として認識される、あるいは体験される過去の意味を考えていくということが、ディーンなどが問題として取り上げていることです。なかなか説明しづらい、とりわけ文字的史料を中心とし、それを素材にして歴史を書いてきた歴史研究者には伝わりにくいところがありますが、興味深いアプローチだと自分は考えています。
  2. 文字的歴史と言えば、その一年の集成と言える『史学雑誌・回顧と展望』が出ました。もちろん資料的には既に図像的、映像的、あるいは音声的史料の意義が取り上げられるようになっていますが、その実際的な表現は文字的言語化。それがいかに膨大で、毎年蓄積されているかがよくわかります。そうした作業の積み重ねを否定する必要はありません。しかし、ここに紹介された業績はすべてがアカデミズムによるものではありません。アカデミズムという言葉は語源的にはプラトンに由来されているとされますが、ネット辞書で確認すると、1.a place of study or training in a special field.", a police academy", 2.a society or institution of distinguished scholars and artists or scientists that aims to promote and maintain standards in its particular field という意味があげられています。という意味とは少しずれるのではということです。これだけ幅広い成果が生みだされているのは、歴史研究が狭い空間に限定されたものではないということを示しています。そしてとりわけ日本史関係について言えることは、歴史研究はきわめて indigenous な側面があるということです。自らを取りまく直接的なものへの関心から行われているということです。その意味ではナショナルなものとの結合性がどうしても強いわけですが(日本史なのですから当たり前なのですが)、それをナショナルなものとして一般化するより、とりわけ非アカデミズムの歴史の土着性という問題としてもう少し考えたほうがいいのではというのが自分の考えです。このことを出発点とすれば、コミュニティの歴史という問題や、ナショナルなものを経てのグローバルなものとの関係、外国史の今後の方向性というものも議論していけるのではないかというのが、『回顧と展望』から今回感じたことです。

# by pastandhistories | 2021-06-26 09:24 | Trackback | Comments(0)

映像の構築性

 記事を書き入れる機会が減ってきていますが、その理由はやや大きめの仕事が入っているから。一つは書き下ろし、これは下書きが300枚を超えました。うまくいけば今月いっぱい、最悪でも7月末には終わると思うので、後は見直しながら年末までに完成できればということで作業します。
 もう一つは、ここでも紹介した De Gruyter 社からの出版が予定されている、Western Historiography in Asia: Circulation, Critique, and Comparison という論文集。昨年12月末までにひとまず全部の原稿を入れてほしいという依頼があってそれを送付、6月に編集側から第一次のチェック原稿が送られてきました。それに伴って巻末に執筆者リストをまとめることになり、その下書きを各執筆者に依頼、どうしても形式が不統一になるので、不統一な部分については多少の修正を依頼し、それにもとづく原稿をほぼ作成し終えました。海外からの出版はなかなか連絡が来ないと思ていると、突然急速に進んだりで戸惑うところがあるけど、年内に編集者の再チェック、校正などを含めた作業が進めば、後は販売上のラインアップに従って刊行されていくのではと思います。
 それからやはり忙しいのが、基本は週一回の英文講読だったパブリックヒストリー・セミナー。さすがに息切れしてきたので、隔週にして、かつ先月は実際には休みました。昨日は「歴史と映画」というテーマを設定し、オリヴァー・ストーンについてのフリートーク。ドキュメンタリーと劇映画、さらには彼のインタビューを素材に議論しました。対象が膨大なので、それぞれが参照したものについての考えを述べてもらうという形式。盛り沢山でとても短時間では議論しきれないけど、ずいぶんと参考になりました。
 自分が議論したことは、以前もここで書いたけど、「映画はリアリティを伝えない」ということ。それから「ドキュメンタリーは事実で、劇映画はフィクションである」という整理には疑問があり、「ドキュメンタリー」もまた構築的なものであるということ。多くのドキュメンタリーは当時のニュース映像を再編集しているけれど、ニュースもまたニュースという「ジャンル」にある「形式」に基づいて構築されたものであるということです。したがって、そうしたニュース映像を再編集してドキュメンタリーを作成しても、その中にはむしろ二重の構築性があるということです。
 さらに大きな問題は、私たちの日常的な意識、その中には歴史意識もまた含まれていますが、そうした意識が一方ではニュースを見たり聞いたりすることによって作り出され、同時に映画やテレビ、小説・漫画などのフィクションによって作り出されていることです。つまり、「事実とされるもの」と「フィクションとされるもの」が「二身一体」のものとして私たちの意識を作り上げていることです。逆の言い方をすると。私たちの精神の中で、「フィクションとされるものと事実とされるものが切り離され、区分されることによって」、むしろある種の錯覚が「構築」されていることです。歴史研究者はしばしば「事実」と「フィクション」を自分は見分けていることを強調しがちですが、そのこと自体がある種の錯覚ではないかという自問も必要ではないかと自分は考えています。

# by pastandhistories | 2021-06-19 09:59 | Trackback | Comments(0)

久しぶりです

 タイトル通りで久しぶりです。先ほど確認したら、前回書いたのは4月21日、ほぼ50日ほどお休みしていました。調べ直したわけではありませんが、こんなに長期にわたって書かなかったのは初めてかもしれません。休みが長くて再開した時の枕詞は「別に体調が悪かったわけではありません」ですが、今回も同じで、体調は普通です。といっても事実上の軟禁状態、精神的なストレスがあるのはいずこも同じでしょう。
 ということでそれを利用して書き下ろしの下書きに挑戦し始めています。一日400字詰め換算で3~5枚程度。つまりそれに時間と神経を取られてブログは休みだったということです。1万1千字くらい書き終えました。400字換算で250枚少しです。後150枚くらいかな。これだと長すぎるでしょうから、書き終えたら削っていく予定です。後はパブリックヒストリー研究会関係がかなり忙しい。来週がオリヴァー・ストーンなので、『もう一つのアメリカ史』を先週は全部見ました。今週は主要な劇映画を見る予定。これも結構大変な作業です。その後はデビッド・ディーンとロバート・ローゼンストーンにゲスト参加してもらう予定なので、その準備もしなければなりません。
 以上が現状です。今日は少しまだ時間があるので雑文。東京五輪で思い出したけど、在職中はスポーツ推薦選手向けの入試問題を作成するという仕事がありました。小文のテーマの提示。しかし、スポーツ推薦なので答えやすい問題がいい。ということで五輪招致が決まった頃に、「東京五輪の意義を述べなさい」という問題を出題したことがありました。もちろん答案も読みました。結構きちんと書いてあって、「東洋の魔女、へ―シング、アベベに感激した」というレベルのものではなかったですね。それがコロナにどう対応するのかという国会の質疑の中で飛び出したのは、さすがに驚かされました。

# by pastandhistories | 2021-06-10 22:41 | Trackback | Comments(0)

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