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歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

言語論的転回と社会運動史

 今日は入試、その後は教授会など多分夜まで会議、ということで何もできない一日になりそうですが、早く起きて今は多少時間があるので、あまり間を置かないで久しぶりに記事を書きます。書き癖をつけないとブログの維持は難しい。日常の変化とか、政治へのコメントなら毎日書くこともそれほど難しくはないだろうけど、それなりにあるテーマについてまとまったことを書こうと思うと、やはり書き癖は重要です。といっても仕事場にまだネット環境を構築できていないので、本が今は手元になく、今日はあくまでも自分の記憶の範囲でということになりますが。
 自分がほかの研究者からどういう目で見られるかというと、たぶんE・P・トムスンのパートナーのドロシー・トムスンのチャーティスト運動研究の決定的労作の『チャーティスト』の翻訳者、ということになります。実際イギリスに行く時は彼女と会うことは多かったし、家に招待され宿泊したこともあります。エピソード的に書くと、トムスン家では『インデペンデント』を読んでいて、朝食の時にたまたまその日の記事に「ゴルフは中国で始まった」という記事が載っていたのをエドワードが話題にしたことがあります。エドワードとゴルフの関係が唐突で、強く印象にあります。
 それが現在では言語論的な議論をかなり紹介するようになった。日本では奇妙に感じられるようですが(自分は思想的な変化は好まないタイプで、たとえば政治的なことへの考え方は学生時代とほとんど変わっていません)、海外では、とりわけイギリスの研究者にこうしたことを自己紹介しても、不思議に思われることはあまりありません。その理由は、イギリスでは言語論的転回は社会運動史研究、とりわけチャーティスト運動研究の流れの中で重要な意味を持っているからです。このことは、最近出ているチャーティズム研究の中の研究史を読んでもよくわかります。多くの研究は、ギャレス・ステッドマン・ジョーンズの「チャーティズムの言語」を研究の決定的転換点として挙げています。
 その代表例がNail Pye の The Home Office and the Suppression of Chartism in the West Riding,Merlin Press (2011) です。チャーティスト運動くらい研究が積み重ねられているとどうしても研究史が長くなる。とりわけ博士論文をベースにするとそうなる。この本も本文は180 頁弱だけど、研究史だけで30頁近くあります。 ほぼ三つに分けられていて、1960年代以降の実証研究の本格化、とりわけそれを集成していったドロシー(グループ)の研究とは異なる地平を提起することになったのがチャーティズム研究に言論的な視点を導入したギャレスの論文とされ(結局のこの流れはドロシーグループの影響力の大きさ、さらにはこの流れが関心をチャーティズム研究以外にも向けていったのでチャーティスト運動研究には決定的な影響力を持てなかったのですが)、さらには2000年以降に新しい展開が生じているとされています。
 そうした流れの一つとしてデジタル化(ネットをつうじての情報の拾いだし、その提示など)が あげられ、それが family history と結びつくことによって社会運動史の捉え方に新しい側面を開いたことが指摘されているのもこの本の研究史で注目していいことですが、この本が自分の関心と一致するところは、近代国家の権力整備(とりわけ社会運動の抑制システム)から社会運動の興隆・衰退をとらえているところです。とくに面白いのは、たとえば鉄道の発展が、新聞や指導者を地方に輸送することを通して運動を全国化したけど、同時にそれは警察や軍隊、そして世論誘導のための支配的なメディア(その代表がタイムズです)を全国化し、後者の流れの方が強力であったことが、同じように全国化して一時的には大きな力を抱くようになった運動の側を抑制し、チャーテスト運動を衰退させたということが議論の大きな柱となっていることです。
 議論としてはチャーティスト運動を治安維持システムの問題との関連からいち早く取り上げたメーザーの議論(Public Order in the Age of Chartism) と、言語論的転回を媒体にチャーティスト運動の「衰退」を論じたギャレスの議論(ギャレスの議論に関して大事なことは、彼の議論が19世紀後半からイギリスの民衆運動はなぜ後退したのかという問題意識から生じていることです。そしてこの問題意識は、1970年以降なぜ左派的な思想、運動が後退し始めたのかという問題への危機感からも生じたものです)を受けついだジェームズ・ヴァーノン(People and the Politics)の議論をある程度踏まえたものです。
 こうした例からも理解してほしいことは、言語論的な議論は実証的な具体的な歴史研究のあり方と、社会運動という領域でも深い関係があるということです。
 
by pastandhistories | 2015-03-06 07:12 | Trackback | Comments(0)

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