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歴史のトランスナショナル化への疑問

 日本は12時だと思いますが、相変わらず時差には苦しめられています。物価も高く、ネットの接続代と食事代は大変です。といっても参加者名簿は、個人情報保護の話などお構いなしに参加者のメールアドレスを本人の同意なく掲載していて、それを利用すれば互いに連絡しあえるということで、ネット接続はどうしても必要です。食事はホテルの朝食代は30ユーロ、小さな店で飲み物とパンとバナナを買って節約しても10ユーロです。200ユーロしか用意してきませんでしたので、帰りの電車代もなくなってしまいそうです。
 ところでラウンドテーブルで話した内容ですが、比較史を批判したのは、比較史には、日本というナショナリティが前提とされていて、それでいてグローバルスタンダード(二国の比較ぐらいでそうなるという発想自体に既に大きな問題もありますが)を持ち出すことによって、イソップ物語のこうもりのような都合のいい二重性があると自分は考えているからです。そうした二重性は、実はかつての歴史学にあったポリティカルなプラクティカリティ(ホワイトの今度のペーパーはそのことを指摘しています)を遺棄し、グローバリティというナショナリティより包括的なスタンダードを持ち出すことによって、そうした包括性が保護する科学性なるものをとおして自らをアイデンティフィケーションしていくという構造を持っているということです。実はそのことは表面的な対立性とは異なって近代国民国家によって保護されていたという意味で、さらにはもっと深刻な意味ではそもそも日本というものを単位としたナショナルヒストリーという共同性によって自らがアイデンテフィケーションされているということに対する自覚はほとんど意識しないかたちで維持されてきたこれまでの歴史学と、構造的には同一性を持っているということです。
 またそうしたことへの解決の方向はけっして安易なグローバルヒストリーには求めることはできないということが、もう一つの話したことです。たとえば今回は英語でペーパーを読んだわけですが、そんなものが通じない社会が世界の半分以上です。English speaking の世界に自らを同化させて、そこで語られるglobal historyへの同化を無批判的に語るのは、まさに「近代」国民国家としての日本にあった発想のその延長にあるものでしかありません。
 と書くとこうした議論自体が「日本」という場を土台としているのでは反論されそうです。しかし、自分が話したのは、あくまでも自分の歴史家としての、というより近代という場に生まれた人間の個人としてのpersonal experienceのなかで考えてきたことです。歴史家とは限らずそれぞれの個人がそれぞれの時間や空間のなかで、過去をどのようなかたちで個人的に認識しているのかということが、歴史の問題を考えていく際に最も重要なことだというのが、自分の考えです。そうした考えに組織者であったグルヌイヨーは関心をもって、彼とはこれまでまったく面識はありませんでしたが、発言の場を与えてくれました。
by pastandhistories | 2010-08-24 12:57 | Trackback | Comments(0)

ラウンドテーブル

 国際歴史学会議のラウンドテーブルが終わりました。会場が他の会場とは異なった離れた場所での午前中のセッション、折り悪しく雨も降っていて、また昨日の開会式の人出も悪かったのでそれほど人は集まらないと思ったのですが、40人ほどの部屋ですがほぼ満席になって、また場所が離れていたことが幸いしてか出入りもほとんどなく、3時間休み無しのぶっとおしの会でした。
 松浦義弘さんがわざわざ参加してくれたのをはじめ、日本からも何人かが参加していたので、評価はそうした人たちに語ってもらったほうが良いと思いますが、多少の後悔もありますが(ホワイトのように折角の参加者の写真をこちら側から撮らなかったというような)、自分では話したことの内容については十分納得しています。前列にアフリカ系の人が一列に座っていて、その一人がフランス語でこちらに質問してきたのは戸惑いましたが、リン・ハントも最後に質問してくれましたし、賛否を含めて会場からの反応があったので、それなりにこちらの話は伝わったようです。
 4人のパネリストは自分を除けばそれぞれ身長が2メートル近く、パフォーマンスも堂々としていて、話もまとまっていました。とくにスベン・ベッカートは何のペーパーも用意していないというので、何を話すかと思ったのですが、こちらのぺ-パーをきちんと読んでくれていて、話がつながるように議論をもっていってくれて本当に助かりました。とにかく司会をしたグルヌイヨーも含めてメンバーに恵まれ、また発言者が4人で3時間の会ということで、自分としてはいい会だったと思います。
 話したことは、グローバルヒストリーやトランスナショナルヒストリー、あるいは比較史への批判ということです。これだけではいったい何のことかわかないと思いますが、具体的な内容については、時間を見て説明をしていくつもりです。終わった後は松浦さんと簡単な食事をして、宿に戻って着替えてから「歴史と人権」のセッションに出ました。アルメニア問題に言及したことがきっかけになってトルコ人研究者と司会の間で大紛糾、教室担当の学生が会議を終わらせようと合図したところ、「発言」という人間の基本的権利を無視するのかという野次が出たりして、混乱の中で終わりました。
 
by pastandhistories | 2010-08-24 02:43 | Trackback | Comments(0)

great men と common persons

 今夜中の2時半です。時差もありますが、それ以上に1日の使用料が15ユーロなのに、昼間はなかなかパソコンがネットにつながらないということで、いまネットをチェックしています。国際歴史学会議での自分のラウンドテーブルは今日の朝からということで、メンバーで昨日の夕方打ち合わせをしました。初対面でしたが、フランクでいいメンバーです。もっともハーヴァードのスヴェン・ベッカートは、自分はフリー・ディスカッションの方が好きだということでぺーパーの用意はないのですが、オープンな人物ですからパネリストの間ではなく、会場とやりあってくれると思います。
 パネルの話は終わってからということでそのくらいにして、昨日最後に書いたマクロ的なものとミクロ的なものの相互関係、というよりも great events や great men と無名のミクロ的な存在である unknown persons, common persons がどのようなかたちで象徴的に表象されているかという問題について、少し補足しておきます。
 昨日も書きましたが、無名の存在を representation し、ある時代や空間を象徴するのがミクロヒストリーの一つのあり方ですが(そこでは直接的にではありませんが、従来の歴史との対比という意味で、 Great men が対比的に前提とされています)、このことは物語の形式としてはかなり一般的なもので、新しいものではありません。多くの物語にはそうした構造があります。それをもっとも典型化し、類型化したものが、「変身」や「すりかえ」話です。「市井の一市民」が「偉大なヒーロー」となるというのは、スーパーマン(もちろんそれ以前からも)から延々と繰り返されているものですし、great men と common, unknown persons が入れ替わるのも、『 王子と乞食』から延々と続く(これもまたもちろんそれ以前からも続く)物語の基本的なプロットです。
 後者が物語としてはより歴史的な枠組みを設定したものが、「影武者」物語です。黒澤明の『影武者』はこの点からはあまり上手にできてはいませんが(その理由はアイロニカルなことに、武田信玄という実在の人物をプロットの中に置いたためです)、これに対して架空の大名を設定した井上梅次監督の、市川雷蔵が二役を演じた『第三の影武者』は、雷蔵の熱演もあってこのあたりが上手に示されています。要するにこうした「物語」の基本とされていることは、無名の、普通の人々を Great men と対比するという構造です。繰り返しますが、こうした構造は文学や映画においては基本的とも言えるもので、最近の歴史学の発達が発明したものではないということです。
by pastandhistories | 2010-08-23 10:20 | Trackback | Comments(0)

歴史のミクロ化

 時差で夜中に起きてしまったのでパソコンの作動を確認して、また寝たらうまく6時に起きられました。今日からは人に会う仕事もあって夜は忙しいので、時間通りの生活になるでしょう。さっそく今日はドリンクパーティとラウンドテーブルの打ち合わせが6時からあります。少し場所が違っていてそれが心配です。
 といっても司会をするGrenouilleauが、彼の質問の流れをも含む大体の案を丁寧に作ってくれました。自分には「歴史の個人化」は、「科学としての歴史と乖離するのではないか」、という質問をするようです。グローバルヒストリーを含めた「共有化された歴史」の脱構築という議論に対しての疑問としてです。
 うまい説明になるかどうかわかりませんが、これに対する答えは以前から用意されています。というより、そうしたことへの問題意識が自分の議論の一つの出発点です。それは歴史のミクロ化をどう考えるのかという問題です。
 本当に簡単に整理すると、歴史のミクロ化は、認識対象のミクロ化と、認識主体のミクロ化という二つに分けることができます。前者は、現在では歴史研究の中できわめて評価の高いギンズブルグやN・Z・デーヴィスに代表されるいわゆるミクロヒストリーの流れです。後者はradical historians やポストモダニスト的な歴史論によって主張されているものです。やや図式的に言えば、前者は専門的は歴史研究者からは、科学的な歴史をさらに精緻化していくものとして評価され、Grenoilleauの例のように、後者は科学的な歴史に対峙するものとして懸念されています。
 しかし前者のような考え方にはいくつかの疑問が成り立ちえます。一つはたとえば歴史の因果性(ヘンペルを持ち出すまでもなく歴史を科学的に説明する重要な要素と考えられてきたものです)ということを考えれば、伝統的な歴史が取り上げてきたgreat eventsやgreat menのほうが、言い換えればマクロ的なものが、ミクロ的なものよりより大きな影響を与えてことは否定できません。たとえば、ヒトラーと自分の祖父は同じ年に生まれましたが、現代における重要な事件の生起に原因となるより大きな役割を果たしたのはヒトラーのほうです。自分の祖父に対するミクロヒストリーを学問的な歴史が手がけないのはこのためです。マルタン・ゲールももちろん当時の王侯貴族ほどには、その後の事件の原因となるような行為をしたわけではありません。「因果性」を歴史を科学的に説明する重要な要素と考えるならば、マクロ的なものの方がミクロ的なものより重視されるのは当然のことです。その意味では認識対象のミクロ化も、認識主体のミクロ化と同様に歴史を科学から遠ざけるという批判も成り立ちます。
 しかしより重要なことは、マルタン・ゲールの映画化に象徴されるように、認識対象のミクロ化、つまりミクロな歴史は、実は歴史の映画や文学との共通した要素を示すものともいえるということです。普段はそのことに慣れてしまってあまり気づきませんが、映画や小説の、とりわけ映画が持つ基本的構造は、それによって表象されているものが(たとえ全体としては事件が描かれていても)、ミクロ的な主体としての(とりわけ映画の場合は複数の)個人であるということです。それぞれの場面で登場人物がその意識や感情の表現する主体となっているのもそのためです。専門的な映画監督や文学者が自分の祖父を主人公とする作品を、自分の祖父をある時代や場を歴史的に象徴する人物として描いても、歴史研究者が同じことを行うのと異なって(ロ-ゼンストンはこうした試みを行いましたが、高い評価を得たわけではありません)批判されることはありません。というより映画や文学が過去を素材として(あるいは現代でもそうなのですが)もちいている手法は、多くがミクロ的な個人をある空間や場を象徴するものとして描く(前衛的な手法ではそうしたこともまた否定的に扱われていますが)というものです。ミクロ的な歴史との違いは、それが事実であるということに根拠を置いているかです(?)。
 こうしたことは、ある事件を歴史として象徴化するということはどのような意味をもっているのかとか、そのようなかたちの象徴的真実とは何かとか、そもそもミクロ的な歴史の真実性は何かいったような興味深いことと関連しているのですが、そうしたことへの答えはとてもここでは書ききれません。実は国際歴史学会議ではミクロヒストリーをめぐっては、「伝記とヒストリー」というセッションがあります。ジョバンニ・レーヴィが組織者なのですが、時間が自分のものと重なって残念ながら出られません。
by pastandhistories | 2010-08-22 13:52 | Trackback | Comments(0)

パソコン不調

 アムステルダムに着きました。ということで昨晩すぐに簡単な記事を書いて送信したら、パソコンの接続が切れて3時間修復を試みましたが、結局駄目でした。夜中に2時過ぎに起きてしまい、今やったらつながりました。送信に成功するようでしたら、時間を見て今日から記事を書きます。
by pastandhistories | 2010-08-22 09:38 | Trackback | Comments(0)

Globalization and its Discontents

 少し早く起きました。準備もあるからですが、どうせ今日は一日飛行機の中ですから、時間はたっぷりあります。逆に出発前ということで今はあまり時間はありませんので、簡単なことを書いておきます。
 国際歴史学会で参加するのは「グローバルヒストリー」のラウンドテーブルです。現在ではあまりにもポピュラーなテーマで、この問題については多くの人が論じているわけですから、自分がパネリストとして選出されることはまったく予想していませんでした。駄目もとでペーパーを送ったのですが、まったく面識のなかった議長予定者のパリ政治学院の Olivier Grenouilleau が自分の考えに関心をもってパネルに加えてくれました。最初は discussant ということだったのですが、結局は簡単なペーパーを読みます。グローバル化と歴史というテーマについて、他とは異なるユニークな視点があると判断してくれたのだと思います。
 このことについて思い出だすのは、Globalization and its Discontent (1997)という本です。左翼的な本を出版する Maspero から出されたもので、The Rise of Postmodern Socialisms という副題がつけられています。この本は既に紹介したロンドンの Hausmans で入手しました。 Roger Burbach, Orland Nunez (後でスペルは直します), Boris Kagarlitsky という3人の共著です。共著者の名前から気づくところがありますが、後者の二人は中南米、ロシアの出身者で、それぞれニカラグアのサンディニスタ内閣の一員、ゴルバチェフ派でエリツィン時代に投獄された人物となります。主著者の Burbach はバークレーの南北アメリカ研究所所長を務めた人物です。内容はタイトルからも想像できるように、反グローバル化という視点に立って、社会主義的な思想を時代に合わせたものとして復権していくということを目指したものです。
 ということで、内容は大変興味深く、出版当時すぐに最初の2章ほどを翻訳してみて、当時懇意にしていた編集者に翻訳出版を相談したことがあります。その時の返事は「いまどき反グローバリゼーションなどはやりませんよ」というものでした。結果的には評判となった(よく売れた?)金子勝さんの「反グローバリゼーション」が出版されたのはその後の話で、だったら金子さんには申し訳ありませんが、こちらの方が面白かったのではと思ったことがあります。それ後「グローバリズム」を批判する本は「流行として」出版されるようになり、グローバリゼーションは「学問的」には批判的な立場から論ずるのが、むしろ当然のようになりました。
 「進歩」とか「新しさ」をキータームとして座標軸をずらしながら結局は時代に対応して、自らの立場をイデオロギー的にも(もちろん最近は非イデオロギー的といったほうがよいでしょうが),あるいは学問的にも正当化していく、しかしそこには本当の意味での実践的な視野がものの見事に欠けている、そんなことへの疑問が自分にはあります。それがポストモダニズム的な歴史理論に関心を持った大きな理由です。
 わかりにくいことがあるとは思いますが、ポストモダニズムやグローバリゼーションへの関心は、自分の中にあるそうした問題意識にむしろ基づくものです。「歴史のグローバル化」を擁護する論者が圧倒的に多い中で、そうしたものとは異質のものがあるということを Grenouilleau は評価し、関心をもってくれたのだと思います。
by pastandhistories | 2010-08-21 06:48 | Trackback | Comments(0)

History, Science, and Practicality

 ヘイドン・ホワイトから国際歴史学会議の際に読むペーパーが送られてきました。正確に言うと、既に8月10日に送られてきていたのですが、普段使用するパソコンがこの添付をリジェクトしていて、昨日別のアドレスのパソコンでメールを開けたところ添付されていたことに気づきました(ということで大事な時は、彼は二通りのアドレスにメールしてくるようです)。佐藤正幸さんとアンカースミットが中心となって組織した27日のICHTHの会で読む予定のものですが、他のほとんどの報告者はまだアブストラクトしかネットの大会プログラムにあげていないにもかかわらず、今確認したらホワイトは全文を既にあげていますので、ネットを通して誰でも読むことができます。題名は Politics, History, and the Practical Past というものです。『思想』でも訳されたPractical Past論を、ここでもまた議論の対象としています。
 当然のようにさかんに使用される practical という言葉とともに、この文章では science, scientific という言葉が文章を展開していくにあたって盛んに用いられています。でもこれをいっかんして「科学」「科学的」と訳すとコンテクストのなかでは意味がとりにくくなる部分があります。「知」とか「学」とか、あるいは「科学」というように、用いられているコンテクストに応じて訳し分けていった方が、はるかに理解しやすくなります。
 「歴史は科学」であるという言葉は歴史研究者の間では常套句として用いられているものです。歴史研究会の規約の最初の文章も「科学的な歴史」を称揚していたはずで、おそらくそれに対応する英語は scientific になります。しかし、逆に science をどう訳すかは、かなり難しい問題です。国際歴史学会議というのも実際には International Conference of Historical Science ですから、国際歴史科学会議と訳してもいいのですが、最近は国際歴史学会議と訳されています。この組織が成立したのが20世紀の冒頭ということですから、この時期にはまだ歴史は「科学」ではなく「学」であったという考えればそう訳せますし、逆にこの時期に歴史は近代「科学」との親和性を主張するようになっていたとすれば、「科学」と訳したほうがよい部分があります。
 この問題についていえることは、歴史が自らを「知」や「学」としてではなく、「科学」と主張するようになったのは、「科学」とされるものが一般にも認められるような高い影響力をもつ言説空間が近代以降成立したためだということです。そうした言説空間のなかで、歴史もまた自らを「科学」であるとすることを通してそのポジションを確立したということです。とりわけ近代以後の大学という「学問的」空間の中で、自らの地位を確保するためには、そのことが必要でした。それがそうしたことを必要ともしなかったし、求めなかったアートとしての文学(言語学や文芸理論は別にして)違いです。さらにいえば、学としての「科学的」歴史と、アートや習俗としての「日常的」なパブリックな場にある歴史が分離したのもこのためです。
 しかし、この問題で重要なことは、それでは近代以後「科学」が高い影響力をもつ言説空間がなぜ生じたのかということです。おそらくその理由は、「科学」が人間生活の様々な領域において、practical な役割を果たしたためです。「科学的」とされる知識が生み出した生産力の上昇から寿命の延長をはじめとする様々な領域での実際的な成果が、そうした言説空間を作り出したということです。それが「大学」とともに、「科学」を権威化しました。歴史学研究会の規約にも「科学」が権威であることが含意されていたはずです。しかし、こうした practicality は、ホワイトの今回の文章が指摘しているような、それまでの人文的な知にあった practicality とはやや異なったものです。そのことが、「歴史学」とか「歴史科学」とその時によって訳し分けられるように、「歴史」の立ち位置を現代の社会において曖昧なものとしている理由です。
by pastandhistories | 2010-08-20 10:15 | Trackback | Comments(0)

自閉性と国際性

 ロンドン大学の歴史学研究所(IHR)の現所長であるマイルズ・テイラーからメールが来ました。彼はもともとはイギリスの急進的運動やチャーティスト運動の指導者の一人であるアーネスト・ジョウンズを研究していた人物ですが、その後イギリス帝国の問題からイギリス史を理解するという方向に研究を発展させています。
 彼と知り合うきっかけになったのは彼がまだKing's Collegeにいた頃です。当時何度か彼と会う機会がありましたが、ある時彼がチャーティスト運動についてのドロシー・トムスンなどが編集した最初の包括的な文献目録集に掲載されていた古賀秀男さんが書いた日本語のジョウンズ論を手に入れて、その内容についての質問をしてきたことがありました。実はこの文献目録は刊行される以前に、自分の所にも古賀さんをつうじて自分の書いた論文のリストを送ってほしいとの連絡がありました。といっても多くは「日本人」の読者を対象に「日本語」で書かれたものですし、その意味で内容的にも不満足で、そうしたものを文献目録に掲載してもらうことにはためらいがあり、自分のものについては連絡を1点だけにとどめました。これに対して古賀さんが当時執筆していたものはこの文献目録には多くが掲載されています。それを参考にしてマイルズは古賀さんのジョウンズ論を入手していたということです。とくに彼が当時は見ていなかった史料を古賀さんが用いているということで、関心を持ち古賀さんの論文の内容を知りたいと思ったようです。ということなら自分が説明するより、古賀さんと直接やりとりするほうが早いだろうということで、彼に古賀さんとの連絡方法を教えました。
 このことについて感心したのは、研究に対する貪欲さです。少しでも自分の研究していることについて参考になることならコミュニケーションをとりたいという姿勢です。また別の意味で感じたことは、日本語で書かれているからといって、それが研究として発表されたものである以上誰からも読まれれうるものであるということを前提としなければならないということです。「日本語」で書いたことをこれ幸いとして、自閉的なものになってはいけないということです。
 それから20年もたっていませんが、その間日本の歴史研究は一部では大きな変化がありました。やはりそれは研究の国際化の水準がこれも一部の分野ではですが一挙に高まったということです。マイルズから連絡も、9月10日にロンドン大学で博士課程の在学中の日本のイギリス史研究者と、イギリスの日本研究者それぞれの4人のジョイントの発表会を開催する(詳しくはIHRのホームページに掲載されていると思います)のでそれに参加してほしいというものです。今年の夏はこれに参加するとヨーロッパと日本をひと夏で3往復することになりますので、参加は難しいと事前に連絡してあったのですが、会自体の内容には関心もあり、困ったというのが現在の正直なところです。
 実はずっと考えてきた歴史のグローバル化やトランスナショナル化への批判が国際歴史学会議でのペ-パーの内容なのですが、そのことは歴史研究のこうした国際化とは別に矛盾するわけではありません。などと言うとまさに矛盾した議論だという批判を浴びそうですが、そんなことはありません。ということの理由を書くことも、このブログを書き始めた理由です。
by pastandhistories | 2010-08-19 10:50 | Trackback | Comments(0)

フランス革命の歴史化

 クラシカルなものとナショナルなものが歴史として言説化されるという話をチャーティスト運動を例にとって説明してきましたが、チャーティスト運動の中で言説化されて重要な役割を果たしたのが、フランス革命です。チャーティスト運動は一般には1830年代後半に始まったとされますから、フランス革命はほぼ40年ほど以前の他国での出来事です。
 比較的近い時代の他国の出来事が(規範として模倣すべき)歴史として言説化されるということは、戦後の日本でもありました。国と国の文化的な、距離的な親近性にはかなり差がありますし、それを伝える媒体となったもの、たとえばメディアの発達形態には時代的に見て大きな差がありますが、ロシア革命です。戦後の日本からすれば30年~ほど前の他国の出来事が、とりわけ当時の学生を中心とした左翼的な運動の中では、歴史として言説化されました。レーニンの主張した前衛主義的な運動論や国家論・革命論がそうした人々の中で受容されたのはそのためでした。
 フランス革命がイギリスの急進的運動の中で、あるいはそれを支持するようになった人々の中で、どのようなかたちで言説化されたのかという問題は、歴史研究のテーマとして今後も議論されていくと思いますが、一般的には対仏戦争期のイギリスにおいてはフランス革命に対する拒否感は強く、またヨーロッパにおいても7月革命期まではフランス革命はテロルを象徴するものとして否定的に捉えられていたと考えることができます。
 チャーティスト運動の中にはこうしたフランス革命へのネガティヴな理解を否定し、ポジティヴな歴史として言説化するという流れが強くありました。そうした流れを推進した人物の一人が、運動の理論的指導者の一人であったブロンテール・オブライエンです。彼は『バブーフの陰謀』を翻訳し、ロベスピエールの伝記を執筆し、フランス革命史の執筆を試み、イギリスの急進的運動をフランス革命に接合していきます。オブライエン一人がこうした主張をしたというわけではもちろんなく、こうのような考えが生み出されていた状況のなかで、フランス革命はイギリスの急進的運動の中で歴史として言説化されていた、そのことがチャーティスト運動の中で、National Conventionとか、National Assemblyという言葉が用いられたり、マラーにちなんだfriend of the peopleという言葉が用いられたり、三色帽子が自由を示す、フランス革命との親近性を示すの象徴として用いられた理由です。
 ここから先の議論は批判があるかもしれませんが、日本でもある時期まで「前衛性」とか「先駆性」という言葉が、さらには「革命的」「マルクス主義」さらには「レーニン主義」そしてこれらを批判するものとして「トロツキー」といったような、言葉が(あるいは人物が)ある言説空間のなかで有効性を持つ象徴として機能していたのも、近過去の他国の歴史が言説化された例です。
 異他的なこうした出来事が共有の歴史として言説化されていく時に用いられたのが、peopleとかhuman,さらには歴史の必然性とか法則性といったような包括性・普遍性を持つ「言語的象徴」です。もちろん、そうした言語的象徴を用いているからといって、それはそうした言語によって指示されるものを内在させているわけではないという疑問が、言語論的転回という議論が生まれる根拠となりました。イギリスでチャーティスト運動研究から言語論的な議論が生じたのもそのためです。
by pastandhistories | 2010-08-18 09:06 | Trackback | Comments(0)

nationalという言葉の象徴化、nationalなものの象徴化

 自宅の部屋は狭く、もともと部屋に本箱を置くのは好きでないので実際の文献を確認しながら文章を書くことはできませんが、あくまでもブログですので、メモ的に書いていきます。 
 昨日はクラシカルなものの象徴化ということを書きましたが、今日は national なもの、というより national という言葉の象徴化というテーマについてです。本当は national なものがどのように象徴化されるようになってきたのかという問題を考えていくべきでしょうが、大問題ですし、すでに色々な考察もありますから、ここでは national という言葉に議論を絞ることにします。
 もちろんこのこともまた大きなテーマであって、色々な確認のうえで書かなければならないことですが、歴史教科書的には nation とか national という言葉が登場するのは、アダム・スミスの Wealth of Nations と、フランス革命の時の国民議会 Assemblee Nationale、国民公会 Convention Nationale ということになります。 
 この二つの使用例がそもそも意味において同じなのか、またそもそも national という言葉がいったいいつ頃からこのような意味で使用され始めたのかはここでは論じないことにすると、やはり結論的に言えることはこの言葉は近代国民国家が成立していくという流れの中で、ある象徴性をもったものとして一般化したということです。そもそも日本語では national という言葉は「国家」「国民」そして「全国」と訳し分けられます。この言葉にどのような象徴的意味を付与するか、あるいは具体的な意味が内在しているのか、という考え方の違いが、訳し方が異なる理由です。しかし、いずれにせよ「国家」とか、「国民」とか、あるいは「全国」というものが具体性を持つものとして登場するようになった時期から、この言葉の使用はかなり一般化しました(ここで重要なことは言うまでもなく、そうしたものがある時期から具体的なかたちをとるようになったからといって、過去がそうしたものとして具体的に存在していたということではないことです。つまり日本という国家が存在するようになり、日本史が構築されるようになったからといって、過去に日本なるものが存在していたわけではありません)。
 19世紀のイギリス史をみてもそのことは理解できます。たとえばチャーティスト運動では national という言葉はある面では運動を支えたキータームとなります。運動をまとめあげた請願は National Petition ですし、代表者たちの集まりはフランス革命に倣って National Convention と呼ばれます。さらには後期の運動の結集体となった組織は National Charter Association でしたし、理論的指導者の一人であったオブライエンは National Reform という言葉を好み、それを自らが中心となった組織や急進的な新聞の名称として用いました。Nationalization of Land という主張も、そうした中で運動の中では唱えれるようになりました。
 急進的な運動の中でこのようなかたちで national という言葉が象徴的な機能を果たしたのは、やはりフランス革命の影響があったと考えてよいと思いますが(この点についてはまたあらためて書きます)、やはりもう一つの理由はイギリスでは19世紀前半に進行した政治上の諸改革や交通網の整備、あるいはそれに伴うメディアの発達によって、nationalizaton 、別の言い方をすれば「近代国民国家」の成立が進行していためだと考えることができると思います。そのようなかたちで国家や社会がnationalize されていくにともない、それに対する対抗的運動もまた nationalize され、national という言葉を象徴化するようになったということです。
 もちろん national という言葉が象徴化されたことは、それに伴う様々なものまた象徴化されていったということを意味していました。たとえば national な過去が急進的な運動の中にも作りだされ、人々の結合を推進していくことになりました。チャーティスト運動の中の言説に、そのようなかたちで構築されたナショナルな過去への言及もまた多く見出すことができます。
by pastandhistories | 2010-08-16 11:25 | Trackback | Comments(0)

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