歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

プロフィールを見る
画像一覧
通知を受け取る

<   2011年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧

博物館

 原稿の一つは大体の下書きが終わりました。一気に書いたので結論が問題提起というより大分過激になってしまったような感じがするので、時間をかけて修正していきます。締め切りは12月で、刊行は4月で随分先の話ですが、一つ仕事が片付いたということです。ということでオスロの国際文化史学会(ISCH)の話の続きに戻ります。
 オスロで最初に聞いたのはトニー・ベネット(西シドニー大学)の基調報告です。ベネットはイギリスのオープンユニヴァーシティに長く在籍していた人で、植民地支配問題や博物館論などをテーマとしている人、ポストモダニスト的なカルチュラルスタディーズに属するとされることのある人物です。報告のタイトルは、Time, Habit , Memory and Colonial Governmentarities(というものだったと思います)。内容は、フェリックス・ラヴェッソン、テオデュール・リボー、ベルグソンらの本能論、記憶論、習慣論、意志論などをふまえて(ここでは条件反射的(本能)なものと、一定の時間を経ての反応である意志や習慣が議論として区別されたことや、逆に自発的な運動が習慣によって本能的な運動へと変化するという議論があることが紹介されました)、それがJ・S・ミルやウォルター・バジョットらの自由主義的な思想家の政治理論や、文化人類学者であるエドワード・バーネット・タイラーのprehistoryとかsavageの理解の仕方にどう関連しているのかが説明されました。正直言って論理的に組み立てられているといえばそうなのですが、このあたりをきちんと読んでいないと難しい部分がありました。さらにこれが自由主義的な思想と植民地統治の関係、さらにはアボリジニに対する対処のありかたと関連させるかたちで批判的に論じられたのですが、具体的な統治のありかたへの言及は少なく、そうした問題を特定の思想家の議論だけを選んで議論されてもというところもありました。ベネットをはじめとする大会での一連の基調講演は、参加者には映像がメールで送られてきていて(2週間くらいで消すようです)、それを見直してみても意図はわかるのですが、議論に少し無理があるような感じがしました。
 ただ彼の報告に関連して言えることは、これはアテネでもそうした傾向がありましたが、他の基調報告者や大会の参加者に博物館(学)関係の人が随分と多いなという印象があったことです。このことは大学を中心とした活字での歴史の記述から、歴史(研究や表象)の流れが、そうしたものに確実に移りつつあるということを示しているのだと思います。
 歴史の目的が、過去の実在の表象、というよりその再現前化にあるのなら、それがより具象的なものを目指すのは当然のことです。その意味では「展示」という表象のあり方は、「記述」という表象より、歴史の目的に合致している。しかし、学問としての歴史というヒエラルヒーにおいては、なぜか大学に所属するhistoriographersが上位に位置している、これは本当は奇妙なことです。
 なぜそうした現象が起きるのかというと、その一つの理由は、実際には博物館がたとえ過去の事実の忠実な再現前化を行っていても、費用の問題や、公的施設であるという制約から、きわめて限定された「展示」を観覧者の認識を共同にするかたちで行っているからです。これに対して歴史記述を主とする歴史研究者は、実際には個々によって大きく異なる過去の再現前化を試みているからでしょう。
 ここにあることは、記述的歴史はそれぞれが異なったものであるがゆえに、その「事実性?」をむしろ学問的に評価されているという逆説です。この問題は歴史にあるかなり重要な問題を指し示しています。もちろん、事実性を重んじた「展示」を主とする歴史研究者が、しばしば構築性が大きく内在する「記述」を主とする歴史研究者に対して「学問的」な地位がはるかに低いという問題は、それはそれとして問題とされていかなければならないことなのですが。
by pastandhistories | 2011-08-19 16:25 | Trackback | Comments(0)

オスロ着

 オスロの会は実質的には3日の2時からということで、アテネの出発は乗換え便の都合で朝の5時、飛行場へは3時までということにもかかわらずタクシーはストライキ続行、夜中でもバスはあるのですがバス停まで歩いて深夜に待つのは大変。ということでホテルが手配してくれた白タクで夜中の2時に空港へ、80ユーロという散財。アムステルダムで乗り換えてオスロに。
 珍しく事前にしっかりと調査して得ていた情報では、飛行場からは街中に便利なエクスプレスがあるということ。安心しきって切符売り場へ。ところがなんと途中は工事中で不通。夏のピークに工事、しかし代替バスがあるから乗りつけばよいという話。ところがアテネでパソコンがネットにつながらなかったので、ホテルの正確な位置がわからない。日本で得ていた情報では、なにやら覚えにくいカタカナ名の駅。早速そのカタカナを発音してみたけど、まったく通用しない。徹夜ということもあってやはりホテルの名前を伝えてタクシーの方が便利だろうということで、代替バスには乗らず、不通箇所からタクシーへ、これが500クローネ。また散財。ついたホテルは別の場所。そこからまたタクシーでやっとホテルへ。なんとオスロ中央駅の真ん前、日本で言えば中央郵便局みたいな場所。ようするに変なカタカナはノルウェーの地元の呼び方。それなら最初からセントラルステーションという言葉をつかってくれれば間違えない。地元の人も外国人にはほとんどそう呼んでいる。これって日本の翻訳によくある話。分かりやすく訳せばいいのをもったいぶって難しい言葉をもちいて読み手を混乱させる。それと同じです。
 ともかくやっとのことでホテルについて、会場へ。場所はオスロ大学。これも事前に調べた情報では駅から歩いて15分。つまりホテルから15分。徹夜で疲れていたけど参加登録くらいはと思い大学へ、大学は立派な建物、そこには文化史博物館というこれもまた立派な建物。ここだと思い受付に、ところがそんなものは行われていないという話。受付のパソコンを開いててもらい確認したら要するに別のキャンパス。地下鉄で15分でいけるという。しかし、ここで体力・気力は限界。セッションも初日は一つということで、ホテルに戻り休むことにしました。結局は夜中までパソコンと格闘することになったのですが。
 ということでISCHの会は翌日から参加することになりました。でも苦労して参加した分だけこの会は参考になる部分が随分ありました。いくつか興味深い話もあり、新鮮なテーマもありました。全部を紹介するのは大変ですが、明日からいくつかに参考になりそうなものを紹介していこうと思います。ただあまりこの会のことだけを続けると、書く側も読む側も単調になると思うので、他のテーマも混ぜながら少しづつ紹介していきます。
by pastandhistories | 2011-08-12 10:37 | Trackback | Comments(0)

政治と世俗のレトリック

 パソコンがアテネで動かなかったせいか、このブログは「三日後れの便り」みたいなタイムラグが生じてしまいました。海外での出来事ばかりを書いても飽きるところがあるので、今日は別のことを書いておきます。
 それは自分が日本にいない間に日本経済新聞に掲載された原発事故にともなう吉本隆明に対するインターヴュー記事です。ネットなどでも一部でだいぶ話題になっているようです。一応確認するとその内容は、
「この事故によってによって原発廃絶論が出ているが。―
原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬いものを透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いに安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防禦装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」
というものです。
 こうした言説が今回の原発事故にともなって必ず出てくるだろうということは、このブログでは早い段階から予想していました。4月12日に、このブログの読み手にとっては意外に思われるところもある「科学と知」という文章を書いたのは、やがて登場するであろうそうした言説への批判を前もって行っておくためでした。この文章自体は、その二日前に書かれた「専門的研究と世俗的なレトリックが強い一体性を持っていて、本当は政治的なものと密接にかかわっている」(「欲望と復讐」)という文章を受けて書かれたものです。
 吉本隆明にはいろいろな読み方が可能でしょう。しかし自分にとって忘れられないのは、自分が大学に入った直後(1964年)に当時「ノンポリ」(ノンセクトではありません)と呼ばれていた立場に立つややシニカルな友人が語っていた、「吉本は闘う前から、闘いが終わった時に日和る口実を説明している」という言葉です。
 いずれにせよこうした主張は知識人とされる誰かがするだろうと考えていました。それが吉本であったということは、意外な感じもしますが、また「政治と世俗的なレトリックの一体性」を見事に語るものであるような気もします。
 
by pastandhistories | 2011-08-11 09:44 | Trackback | Comments(0)

ATENER④

 約10日間で6回飛行機に乗って、便の都合で実質的には徹夜に近い状態が3回。年齢を考えると無茶苦茶なスケジュールですが、昨日の朝戻りました。夜10時に寝て、今朝は7時に起床、通常通りの生活です。というより、今回は変な日程のためだったせいか、滞在中は夜は11時ごろ寝て6時に起きるという時差ボケのない生活、今も普通の感じです。
 と思ったのですが、今違った場所をクリックしてしまったらしく、最初の記事が送信されてしまったようです。アテネの会の様子について残りの部分を書くと、前回紹介したもの以外で中心的だったのは、若手の研究者の報告、そののなかにはテーマ設定もあって非西欧的地域の研究者によるものも少なくありませんでした。順を追ってその中のいくつかのものを紹介していくと、古代のフェミニシティを扱ったもの(T.Howe, St.Olaf College), インドにおける女性教育、とくに科学教育を論じたもの(R.Chaklabourty, University of Calucatta、この人は教授なのでそこほど若くはないと思います)、中世以降の心理学の歴史の紹介(C.Bartolucci, University of Rome), やはり女性教育を論じたもの(Y,Ahmed, UAE University この人も教授です)、ユダヤ人の科学・哲学の形成をアトテレスやイスラームとの関係で論じたもの(Professor, University of Haifa ), インドのポリガミーの歴史を7世紀から13世紀にかけて論じたもの(A.Verma, NSCBM Govt. Degree College), communalism という観点からガンディーを論じ、ムスリムの分離主義への批判的な議論を紹介したもの (A.K.Bortakur, Tinskia College), 南アフリカを対象にメディアガ歴史のコメモレーションにどう影響しているのかを論じたもの(professor, North=west Universtiy, South Africa) などがありました。会の雰囲気では一部の参加者同志は知り合いらしいところがありましが、自分には初対面の人ばかりで、評価については口頭の発表だけでは即断できませんが、普段は接することのない話が多く、その意味では参考になる部分もありました。
 またこの他にも会では建築物や図像分析に関する報告も多くありました。場所柄考古学的なテーマが少なくなかったこともありますが、なんといってもパワーポイントでそうした報告がしやすいということのためです。しかし、あまり知らないものをスライドショーされても、正直言ってわかりにくい。歴史研究の大事な方向性ですが、同時にこうした研究を本当に説得的に議論することは難しいとも思うところがありました。
 自分は二日目の Historiography というセッションで発表しました。最初の発表者は入れ替わりましたが、自分は予定通り二番目、S.Miles (Ph.D. Student , Glasgow University ), R.Abadia ( Researcher, University of Lisbon )という人たちの組み合わせになりました。予定通りアムステルダムの続きを発表、ペーパーは読みきれないので、ハード化したものを配り、要旨をパワーポイントで読み上げましたが、場慣れしてきたせいか、うまくできたと思います。後をひきついだMilesが、自分の報告は前の発表者の考え方と基本的に類似するものだと受けてくれて、この点も助かりました。その Miles はツーリズムなどにも関心があり、現在では博物館での歴史の展示や歴史のheritage化の問題点をテーマにしている人物。出身はウェールズらしく、その彼は現在での歴史のコメモレーションの問題を、いくつかの事例を例に記憶の共同性の単位を示して説明しました。Abadiaもまたブラジル出身で、現在はポルトガルにいるという人物。彼女も地方博物館を例に地域的なアンデンティティの形成を話しましたが、この二人に共通していることは、自らが移動をとおして多重的なアイデンティティをもっているということ、そうした立場から地域を単位とした歴史の共同性への問題意識を持っているということです。この二人と組めたことにはよい部分がありました。
 質問は真っ先にグレバーゾン(カナダのヨーク大学)がしてくれました。彼の発言は質問というより、総括的なもの。OKAMOTOの問題提起はとても大事だ、そうしたことをもっときちんと議論していくべきだという趣旨の発言をかなりの時間を使ってしました。そのせいか自分への直接的な具体的な質問はなく、時間がなかったせいもありますが、セッションは無事終わりました。全体の会が終わってロビーに出たらそこにいたインド人の研究者が(名前は聞きませんでしたが)、the best presentation と声をかけてくれました。社交的なニュアンスもあると思いますが、やはり嬉しいところがありました。
 大会はexcursionを含めて4日間予定されていたようですが、二日目のセッションが終わるとあっという間には参加者は急減(当然のことですが)、自分はディナーには出ましたが参加者は少なく、その日の深夜にオスロへと向かうことになりました。
by pastandhistories | 2011-08-10 10:17 | Trackback | Comments(0)

ATINER(3)

 こうした会に参加したのは初めてでしたが、ATINERについていえることは、多分これは最近の多くの(国際)学会にも言えるのではと思いますが、参加者が基本的にはかなりの年齢に達した人物と、準教授や博士論文提出予定者といった若い人たちによって構成されていることです。おそらくその理由は、エイジフリーでも毎年業績評価はあるわけですからそれに対する業績が必要であることと、まだテニュアや学位が確保できていない若手研究者にとってはの一定の会での業績が必要であるということのようです。加えて必ずしも英語圏とは限りませんが、(今回の自分もそうですが)非欧米圏の研究者の英語での発表の場としても利用されているようです。
すでに紹介したように、一部は今後刊行、もしくはネットで公表されていくようなので詳しくはそれで見られるようになると思いますが、そのいくつかを簡単に紹介していくと、第一の部類いに入るのが、Gleberzon(York University), Tolmacheva(Washington State University), Pretorious(University of Pretoria), Harrison(University of Louisville)といった人たちの報告で、それぞれ知識人の役割の変化、アメリカにおけるアフリカ史研究の流れ、古代社会から現代に至るアフリカ認識、アメリカの外交政策を支えた自己意識といったようなテーマを論じましたが、やはり一定のキャリアを持っていることもあって、話の内容はそれぞれまとまっていました。とくにトルマチェワのアメリカにおけるアフリカ研究史の整理は、いわゆる50年ほど前の独立国家が叢生するようになったアフリカの時代から、冷戦とその解消を経た今日までの状況を手際よく説明してた明快なものでした。またプレトリアスの報告は、ヨーロッパから見たアフリカは、その主たるものである地中海諸国と北アフリカという関係と、とりわけ近代以降に南アフリカがイギリス帝国の支配下に置かれるというふたつの地域的要素からみらレルことを指摘しましたが、南アフリカはすでにヘロドトスによっても認識されていたことをかなり強調しました。またハリソンはいかにも老学者という話し方をする人ですが、アメリカの外交政策とそれを支えたナショナルアイデンティティはたとえばマニフェストデスティニーのようなMYTHに支えられていて、記憶・人種・神の定め・例外的国家というある種の宗教的なアイディアに支えられたものであることを要領よく話しました。
 それぞれに印象とは違った結構批判的な内容があって、ディナーでもその話がでましたが、アメリカのリベラルという言葉が、もちろんこれはニューリベラルではなく(この言葉はコンサーヴァティヴをさす言葉であると何人の人が言っていました)、ジャッドについても書きましたが社会民主主義的な方向性で使われていて、それを支えている1960年代世代の強固さを「老教授」たちの話は感じさせるところがありました。
 しかしもちろんより新鮮な視点があったのは、若い研究者や非欧米からの参加者の話の方です。
by pastandhistories | 2011-08-08 06:15 | Trackback | Comments(0)

ATINER(2)

 今回の訪問地はアテネとオスロ、日本での報道によればヨーロッパでも問題のあるところ(現在ではロンドンが問題地の一つに加わりましたが)、普段はしないホテルの位置などの確認を事前にきちんとして、これもまた普段は改めて加入することのない旅行保険に入って、万全の体制で現地へ、と向かったつもりだったのですが、空港についたらいきなり大事件。二ヶ所を周遊しなければいけないということで入手したKLMのチケットはアムステルダムで6時間も待ち合わせたしたうえで、深夜の12時過ぎに空港へ到着するというもの、それでもタクシー代は50ユーロ程度であり、またホテルも人生初めての5つ星ホテルであるという事前情報をしっかり得ていたので、安心して入国出口へ。さてタクシーに乗ろうと思ったら黄色い車はあれど運転手はいない、大ストライキの真最中。日本時間に換算すればもう完全な徹夜状態の後ということで立っていても眠ってしまいそうな状況。インフォーメーションに聞いたら、「安心してよい。バスは24時間動いている。ヒルトンホテルの近くの停車場で降りてそこから15分ほど歩けばつく」ということ。慌てて超満員のバスにとび乗って、指定された停車場へ。問題はここから、問題のホテルは幹線沿いではなく、はるかに小高い丘の上。次の日に気づいたけど、昼間でもすぐにはたどり着けないようなところ。悪戦苦闘して夜中の2時にホテルに到着(と思ったのは間違いで、アムステルダムで時計を現地時間に合わせていたので、アテネは実際にはそれより1時間後の3時だったということです)。日本の現在では考えられないエアコンの温度が15度に設定してあっ部屋でそのままバタンキュー。
 翌日(1日)は9時からのセッションということで余裕をもって指定された部屋にいったらもうとっくに発表は始まっている。もう書いたように時差に気づかなかったということ。その理由の一つは部屋には時計がなく、またテレビはどこを回しても朝でも時間表示がない。とにかくここはアテネ。悠久の時間の経過する場所。それも気を取り直してプログラムを確認。事前にも伝えられていたけど、発表者は36人。ということで、セッションは分かれず、基本的にはローマ史、ギリシャ史、思想史、アフリカ史、中近世地中海史、古代近東史、一般、インド史、歴史理論、宗教史という順番で、自分は二日目の歴史理論で発表するということになっていました。結局その二番目のセッションから自分は本格的に参加することになりました。 
by pastandhistories | 2011-08-07 17:00 | Trackback | Comments(0)

ATINER

 ISCHの大会は今日が最終日、移動日だったので大会初日の3日には参加できず実質3日ということですが、内容的には面白いところがありました。結構大事な報告や問題提起もあって、帰国してからそうしたものについてきちんと紹介していくつもりですが、歴史研究の新しいトレンドを作ろうとしている若い研究者の報告を聞けたのは、間違いなく収穫でした。
 今夏の来欧の最大の目的はここでしたが、一ヶ所だけではせっかくの旅費がもったいないということで、事前にアテネで行われた 9th Annual International Conference on History: From Ancient to Modern なる会議にも参加しました。名前はすごいですが、あえて言えば最近増えてきた「観光的学会」、そうした学会がイスタンブールやシンガポールなどでも開催されているようですが、要するに毎年社会科学、人文科学、自然科学のいろいろな学会が、世界から研究者を集めて特定の都市で開催されているというものです。アテネの場合は、ATINER(Athens Institute for Education and Research)という組織が運営組織となっています。昨年のCISHの続きをどこかで報告をして、それをつなげて一つの英文論文にしたいということもあってペーパーを送ったところで報告してよいというので参加しました。オスロと応募が同じで時期で、オスロには記憶の集団化について、アテネにはアムステルダムの続きを送ったのですが、題名を取り違えたりして結局オスロは不採用、アテネだけでペーパーを読むことになりました。二つ書くのは大変で、実際には一つだけでよかったのかもしれません。アテネはタイトルでもわかるようにかなり包括的な会で、また場所柄古代史研究者の比率が高く、参加者の問題意識やパネルの内容が自分の現在考えていることとかなり一致していたオスロで発表できなかったのは,少し残念なところが残りました。
 もっともアテネも結構収穫がありました。その一つは7月はじめのWHAや、ISCHと異なった地域の歴史研究者に会えたことです。アメリカと中国が中心だったWHA、北欧、東欧が中心のISCHに対してATINERはインドやアフリカといった地域の歴史研究者が参加していて、ある意味では歴史のグローバリゼーションを論じるのに適した部分があったことです。自分の報告にもそれなりの反響がありました。またいくつか興味深い報告もあったので、それについてはここで紹介していきます。
 実をいうと、昨日メールがあって早速報告を(審査のうえ)出版するので、原稿を送ってほしいという連絡がありました。英文論文の活字化という点では助かりますが、最初にも書いたように今回のペーパーは、もう一つのものと合わせて一つにしたいので、それについては掲載場所も含めて少し判断を留保していくつもりです。
 今回はパソコンを含めて結構楽しいトラブルもありました。ISCHも終わりに近づき少し落ち着いたので、この間の出来事やいくつかの議論を順をおって紹介していきます。
by pastandhistories | 2011-08-06 16:22 | Trackback | Comments(0)

ISCH

 今回オスロに来たのは、International Society for Cultural History(ISCH)の大会に参加するためです。ピーター・バークの呼びかけによって結成されたもので、2008年からベルギー(GHENT)、オーストラリア(BRISBANE)、フィンランド(TURK)で会を開いていて今回が4回目、現在雑誌の刊行が予定されていて、もうすぐ刊行されるはずです。とくに今回のテーマは History-memory-myth: Re-presenting the past という興味深いものに設定されていましたし、また自分が今年から始めたプロジェクト(「トランスナショナルカルチュラルヒストリーの今後」)にも近く、幸いにして日程も夏休みということで参加しました。どうせ参加するならペーパーもと思いアブストラクト(250語)を送ったのですがそれは採用されず、参加に少し迷いもでましたが、プロジェクトで日本に呼べるような人がいれば直接交渉できるという利点もあるので、参加してみました。
 会は基本的には知名度の高い基調報告者(トニー・ベネット、フランソワ・アルツォークら5人)、とかなり思い切って中堅若手を報告者としているセッションから構成されています。詳しい内容はおいおい紹介していきますが、テーマとなっていることは(周縁ではなく)緩衝しあう場(というよりすべてが本来はそうした場であるわけで、周縁というのはある種の中心を前提していて、その意味では批判の対象となるということです)にある歴史とか、記憶の集団化、というよりそもそも記憶を歴史にすること自体への疑問、(社会史の一セクションとして学問的歴史の場に地位を得た)ミクロヒストリーの問題性、さらには歴史の表象(展示)といったようなことです。それが古典的なpresentismを超えたところで議論されています。
 開催地からもわかるところがありますが、参加者も北欧や東欧が中心、この手の会議としては皮肉を込めていえばG8からの参加者は意外と少なくて、そのことが議論の内容をさらに興味深いものにしているという部分があります(これも皮肉を込めて言えば、G8の歴史研究や理論のみを取り上げて自らをアイデンティフィケーションしてきた日本の西洋史学は、そのことだけでも問題意識を大きく欠如したものであったということです)。
 日本からも自分も含めて3人、昨日はその一人の人と食事をしました。気がついている人もあると思いますが、このブログでは海外の報告に関しては、よほど親しい人以外は日本人については実名を書いていません。プライバシーの問題もありますし、それぞれの人がそれなりかたちで日本の読み手に対しては自分で書くと考えているからです。こう書くと昨日食事をした人は「親しくない」ということになってしまうのですが、そういうわけではもちろんありません。ただ二人の感想は、とくに昨日の発表は(結局同じ会場を選ぶことになりました)充分面白かったというものです。
 結構多岐にわたることが議論されているので、具体的なことは時間をみて丁寧に書いていくつもりです。
by pastandhistories | 2011-08-05 13:51 | Trackback(1) | Comments(0)

カテゴリ

全体
未分類

以前の記事

2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 06月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 01月

フォロー中のブログ

最新のコメント

『思想』の3月号ですか。..
by 川島祐一 at 23:39
先生は、「「民主主義」擁..
by 伊豆川 at 19:57
先生は、「歴史が科学であ..
by 伊豆川 at 17:18
『開かれた歴史へ 脱構築..
by 伊豆川 at 13:28
3月18日の会に参加させ..
by 伊豆川 at 08:33
セミナーで配布・訳読され..
by 伊豆川 at 14:44
先生の議論には、大筋で同..
by 伊豆川 at 17:10
私も今回のセミナーに参加..
by 伊豆川 at 18:55
先生が制度化された「真実..
by 伊豆川 at 00:29
先日、ヘイドン・ホワイト..
by 伊豆川 at 20:53

メモ帳

最新のトラックバック

「変化する可能性」
from 右近の日々是好日。
プラグマティズム
from 哲学はなぜ間違うのか?

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

現代史研究会での報告
at 2018-10-08 11:56
海外での学会報告のファイル化
at 2018-09-04 10:23
パブリックヒストリーについて..
at 2018-08-31 09:02
INTHに続き
at 2018-08-27 01:02
今回のINTH
at 2018-08-26 03:58

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

歴史
哲学・思想

画像一覧