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ロジックとゲバルト

 大学では最近クリティカルシンキングという議論が話題となることがある。授業の目的の一つとして、議論されることが多い。欧米の大学での試みを取り入れようということらしい。しかし、欧米での流行だからそれを導入するというのでは、まさにアンクリティカルな思考だろう。といっても、物を考えることを生業とするのなら、クリティカルな思考は大事。現状肯定的な思考はどうしても、イロジカルなものとなりがちだからである。
 その大きな理由は、現状は基本的にはゲバルトによって支えられているからである。欧米中心的な現在の世界のあり方は、歴史的には数多くのゲバルトによって生み出されてきた。したがって、現状肯定的な多くの思想もまた、その背景にあるのはゲバルトが生み出した力関係である。したがって、いくら非論理的であっても、その存在は許容されている。それどころか、しばしば、多数派として勝者の地位にある。しかし、いくら勝者の地位にあるからと言って、純粋に論理的に考えることを生涯の道として選んだのなら、そうした場に身を寄せることは虚しい。
 専攻の選択の時に、結局は西洋史を選んだのはそんな理由からだったかもしれない。ここでも何度か書いてきたように、実証というレベルであれば、日本史の方が歴史研究者の進むべき道であり、さらには人文学を科学として考えるならば、歴史学より社会学を選ぶのが、より確かな道であることを否定することは難しい(絶対に否定しえないというわけではないが)。しかし、自分が欧米の研究を選んだのは、圧倒的なゲバルトに裏付けられた欧米の思考的枠組みを批判し、解体していくためには(それは近代以降の日本を批判し、解体することにもなるはずだが)、欧米に内在化してそれをロジカルに批判する必要があるだろうと考えたから。
 歴史批判にもそうした問題がある。歴史批判には大別すると二つの立場がある。外在的批判と内在的批判。外在的批判というのは、たとえばテキスト論・言語論のような議論を媒介として、歴史哲学的な立場から歴史学や歴史叙述を批判するものである。厳密な批判も多く、議論としては優れているものもある。しかし、この批判は実際の歴史家からはほとんど無視されている。対して内在的批判というのは、具体的な歴史研究や歴史叙述をとおしての批判ということになる。自らを同じ立場においての批判ということになる。
 この両者では内在的批判の方が、歴史家に対しては有効性があるかもしれない。それは欧米に対する批判としても、内在的批判のほうがそれを論理的に批判しうる可能性を持つのと似ている。しかし、残念ながらその可能性は実際には限りなく小さい。それは歴史にしても、欧米にしても、それらがある種の暴力的関係によって生み出され、そして支えられているものだからである。しかし、だからこそ、それを内部から論理的にも、実際的にも打ち破っていく方向性を考えていくことは「楽しい」。
(このブログはなるべくやさしい文体を心がけていますが、時々文章の流れで別人のものみたいな文体になってしまうことがあります。今日はそんな感じかな)。

by pastandhistories | 2017-09-26 16:55 | Trackback | Comments(0)

デジタライゼーションの30年間

 デジタル技術の発達について、自分の経験にもとづいて前回の記事に少し補足して書いておきます。歴史研究者、とりわけ西洋史研究者は、元号表記に好意的ではないけれど、現在のように世代的な変化を示す場合は多少便利なところもあります。平成も来年でおしまい。30年が一つの区切り。
 ではこの30年で起きた大きな変化、それはパソコン使用の急速な拡大です。オアシスの親指ソフトと言っても、もう若い研究者は何の事だかわからないかもしれません。同じように88シリーズも。しかしすぐに消え去るこれらが出現したのは今からわずか30年前。平成元年の頃の話です。この年は、自分が地方の国立大学から、東京の私立大学へ移った年。経済的にはバブルがつぶれ始めた年。
 実は自分は地方の国立大学でずっと(教授会の選挙で選ばれて)学部の予算委員をしていました。予算の分配案の作成と特別予算の申請が主たる仕事。何か特別に予算を請求する名目はないかということで考えたのが、教員定員48人の文系学部の教員の全研究室にパソコンを配備するという文部省への特別予算請求。当時1台100万円で総額4800万、当時学部全体に配布される予算が、事務経費など一切を含めて年間4000万円だったので、それを超える額。したがって1年に16台づつ配置して、3年で計画完了というもの。これが確か平成63年の話です。
 普通はこうした予算請求は絶対に通らない。たかをくくっていたところ、なんとモデルケースとして満額承認。それからが大変。今では考えられないけど、最初の年度の16台の使用者が集められない。使ったことがないから。あるいはそんなものは不要と言い張る人も多かったから。仕方がないので、経済学科を中心に本当に何とか頼み込んで、やっと使用者を確保しました。30年前は、研究者とパソコンの関係は、そうした状況であったわけです。
 さらに予算付与につけられた条件にも困りました。何かデータベースを作成するということだったからです。ところが送られてきたすでに全国の大学の文系学部で作られているデータベースの一覧もまた今では考えられないもの。全部で200程度。それも初歩的な文献目録も含めて。当時のデジタル技術の利用状況は本当にそんな程度だったわけです。翻訳技術の発展はそれほど遠くない将来に、それぞれの母国語でのコミュニケーションを可能にするだろうと書いたのも、そうした変化の急速さを本当に毎年のように経験してきたからです。
 このことに関連して思い出すもう一つのことは、コピー技術の発達。院生時代に研究室に当時100万円程度のジェット噴射式のコピーが入った時のことです。たまたま自分が毎日使用していたマイクロリーダーの横に置かれた。ということで、なぜか教員の前でメーカーの技術者とともに、自分が最初のコピーをトライアルさせられました。その時にある教員が発言したことは今でも忘れられません。「これで学生はますます勉強しなくなりますね」。文献や資料の筆写が基本的な勉強の一つと考えられていたからです。もちろんより重要なことは、処理する情報量の拡大。いまどき雑誌論文を筆者することなどありえないでしょう。文書館に行っても、デジカメではいおしまいです。あるいはオンライン化で文書館に行く必要もかなり減ってきました。
 今日はここまでにしておきます。考えなければならない問題は山ほどあるのですが。 

by pastandhistories | 2017-09-19 22:58 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH補遺

 ENIUGH については、あまり目新しいことは書けませんでしたが、自分が驚いたことは二つ。今日はそのことを補遺として書き、それにかかわることを少し書き足します。
 その一つは、以前このブログで紹介したホブズボームの対談者であったマイケル・イグナティーエフが三日目からの会場であった中央ヨーロッパ大学の学長になっていたことです。もう一つは、そのヨーロッパ中央大学の建物は、昨年完成したもののようですが、それぞれの部屋にプロジェクターはなく、その代わりに黒板ほどの大きさの大型液晶ディスプレイが置かれていて、それにメモリースティックさえ差し込めば、そのまま指タッチで操作できたことです(つまりタブロイドが超大型化したと考えればよいでしょう)。携帯やパソコンでも同じことができるわけだから、原理的にはそれを超大型化すればいいだけ。ただそれだけのことですが、これは本当に便利。デジタル的なシステムの変化の速さには本当に驚かされました。
 このことに関連して思ったのは、グローバルヒストリーのあり方です。というより国際的な学会のあり方、そして日本の[というよりそれぞれの国や社会の)人文的な学問の向かう方向性です。
 グローバルヒストリーと限らず、国際的な歴史学会で最近つねに議論されることは、欧米中心主義、それをどう克服していくのかということです。しかし、そうした議論はますます英語だけで行われるようになっている。それでは欧米中心主義が克服できるわけはない。あまりにも自明なことです。たしかにアジアを含めて「研究者」は英語ができる。しかし、そのアジアでは国や地方で違いがあると言っても、学問的な会議で厳密な議論を不自由なく英語でできるのは人口のわずかな部分であって、一般の人がそうしたの能力を持っているわけではありません。それどころか、日本の日本史研究者でそうした能力を持つのは、現在でも限られた人でしょう。こうした状況で、グローバルな歴史、下からの歴史、普通の人の歴史と言っても、その議論自体はかなり空虚なものです。その一方で、グローバル化がもたらした留学機会の増大から、研究者の英語能力が上昇したことも確かで、そうした意味での「国際化」[というより欧米への同調志向)は、急速に進行しています。
 何度も書きてきましたが、自分はそのこと自体は「現在の段階では」専門的研究者の職業的・倫理的義務であると考えていて、一概には否定はしません。個人的なことを言えば、もう20年度ほど前になりますが、研究室人事を委ねられた時に、自分が建てた基本的方針は「海外での学位取得者」ということでした。日本の西洋史研究はおそらく将来はそのことが基本となるだろうと考えたからです。しかし、この人事には本当に苦労しました。時代を限定すると、海外での学位取得者は当時はほとんどいなかったからです。そこで多少強引な引き抜きをして、その事後処理でいろいろ苦労することになりました。
 ただ最近の海外学位の絶対化や英語主義には多少の疑問も感じています。それはおそらくそうした流れはデジタル的技術の進展の中では、一時的なことかもしれないと考えているからです。その理由は以下のようなことにあります。それは中学時代の数学の教師に教えられたことです。
 この数学教師は本当に厳しい人でした。途中までできていても最後に計算ミスなどがあると絶対に点をくれない。0点です。しかし、同時にこの教師は、つねに「ちからわざ」に頼る生徒は必ず伸びが止まるとも言っていました。つまり受験勉強の蓄積から高い筆算や暗算の能力を持ち、それが数学的能力だと思っている生徒は必ず限界にぶつかるということです。なぜ。「そんなものは計算機」が「より早く、正確に」「将来は(この当時からはですが)」はやってくれるだろうからです。したがって、この教師が何よりも力説したことは、足し算より引き算、掛け算より割り算の重要性ということです。なぜなら前者が数を大きくするのに対して、後者は数を小さくするからです。後者の方が圧倒的に誰にでも処理しやすい。こうした考えからこの教師は、数学にとって重要なのは、素数や因数であり、また「代数」は物事をやさしく考えるための方法であるとして、力技に頼る「算数」から抜け出ることの必要を教えてくれました。中学生当時は理解できなかったのですが、大学受験の時期にこの教師から教わった考え方は、本当に自分の助けになりました。
 なぜこんなことを今日は書いたのか。それはパソコンの翻訳能力を笑う人がいるけど、おそらくそれはあと数十年、長くて100年のことだと思うからです。デジタル技術がさらに進展すれば、それぞれがそれぞれの言語を話して国際会議をしても、それを機械が正確に翻訳してくれる時代が来るでしょう。いくら自分の語学能力が「他人」より少し優れていると言っても、それぞれが天才であるわけがありません。本当に数少ない限られた「天才」の能力を、碁や将棋ではすでにパソコンが乗り越えています。「語学」でもそうした時代が来るはずです。そしてそうした時代にこそ、本当のグローバルヒストリーや人文学の研究の国際化が生じていくでしょう。誰もが国際会議で、というよりも誰もが、普通の人々が、自分の歴史理解を平等なものとしてグローバルな世界に提示できるからです。
 こう考えれば、自分たちの中にある錯覚に気づくことができるはずです。今の国際化の中にある歪みにも。そして本当に目指さなければならないものは何かということを改めて考えることができるのではと思います。
 

by pastandhistories | 2017-09-17 21:32 | Trackback | Comments(0)

ENIUGH-4

13,14日のイーサン・クラインバーグを招いての会は無事終わりました。日本の研究者の日本語での報告を、外国研究者が英語でコメントをするという試みで心配したのですが、それぞれの発表内容にヴァリエーションがあって、それにイーサンが本当に丁寧に対応してくれたので十分な成果があったと思います。ただ時間配分が難しく、さらにまた通訳の不在ということで即席の対応になったことも重なり、初日は十分な質疑時間が取れませんでした。
 初日が質疑時間が少なかったので、二日目は思い切って質疑にかなりの時間をとりました。そのためにイーサンの報告の後半の翻訳紹介がかなりはしょられましたが、質疑はそれなりだったと思います。イーサンの良さを引き出すのは、一方的な講演より質疑に時間を割いた方がいいと考えたからです。合計まる十時間も(二次会を含めると二十時間近く)付き合ってくれたイーサンには本当に感謝しています。参加した人は理解してくれたと思いますが、本当にシャープな議論ができる人です。忙しい人ですが、ぜひまた日本に来たいとも言っていたので、そういう機会があればと思います。
 さて中断していた ENIUGH に関してですが、かなり記憶も薄れてきましたが、最後に自分が一番期待していた、三日目の というラウンドテーブルのことを紹介しておきます。World History and Global History- Next Step to Go? というもの。期待は同じであったらしく、今回の会では珍しく、満席で立ち見状態でした。参加したのは、この会の事実上の創始者であるマテイアス・ミデル、それからスヴェン・ベッカート、アムステルダムからマルセル・ファン・デア・リンデン、それから地元の女性研究者であるスーザン・ツィムマーマンなどです。
 スーザンが女性研究者の立場からジェンダーを取り入れたグローバルヒストリーという主張を論じ、マルセルはやや図式的にグローバルヒストリーをたとえば、比較・相互関係・統合というようなかたちで論じたけれど、なんといっても会を圧倒したのはベッカート、とりわけ後半の質疑は彼の独壇場でした。いろいろ興味深い議論提示があったけど、印象的だったのは、グローバルヒストリーは結局は研究者間の協同が必要になるだろうという議論に対し、歴史研究はあくまでも個人の視点という要素があると論じたこと、およびネオリベ的なものを補佐するものであってはいけないと論じたことです。自分とも考えが近く、共感させられました。ミデルは非常にバランスのとれた思考をする人で、会場から出される議論にはあまり深入りせず、今後の他の地域における同種の組織活動との連携を提案していました。

by pastandhistories | 2017-09-16 22:12 | Trackback | Comments(0)

9月13日、14日

 本来は ENIUGH の続きを書かなければいけないのですが、今日は明日・明後日の会の告知。今頃になってということもありますが、帰国後はその準備(主としてペーパーの翻訳)に追われていました。コメント並びに報告をしてくれるイーサン・クラインバーグとは昨日会いました。大変シャープな人物で、期待できると思います。会の内容は以下の通りです。

【公開セミナー】

日時  2017913日(水)13時~17時半

場所  東洋大学白山キャンパス5号館5104教室(奥の側の正門から入って、坂を上がった正面の建物)

報告

長野 壮一(フランス社会科学高等研究院) 「二人の革命史家、網野善彦とフランソワ・フュレ」

山野 弘樹(東京大学)  「過去」を物語り直すということ

池田 智文(龍谷大学)   近代「国史学」の展開と歴史理論

中西 恭子(東京大学)   歴史と文藝のはざまで

コメント: イーサン・クラインバーグ(History and Theory 編集長)

会:道重 一郎(東洋大学) 岡本 充弘(東洋大学)

【公開シンポジウム】

日時  2017914日(木) 13時~17時半

場所  東洋大学白山キャンパス5号館5104教室 

報告  イーサン・クラインバーグ(History and Theory 編集長)

歴史理論・史学史の現在的問題 ※通訳あり

会:道重 一郎(東洋大学) 岡本 充弘(東洋大学)



by pastandhistories | 2017-09-12 13:46 | Trackback | Comments(0)

eniugh5-3

ブダペストでの第5回 ENIUGH に参加して、フィンランドでカレ・ピヒライネンのところにより、昨日帰国しました。飛行機の中で少し寝られたので、昨日は12時に寝て、今朝は5時過ぎに起きました。多分時差の問題は、今日で解消するでしょう。
 ENIUGH のことはブダペストに滞在中いくつか書きました。フィンランドではカレといろいろ話をするのに忙しく、書く時間がありませんでした。ブダペストで書いた最後の記事は(ー5)となっていますが、これは(-3)を入力し間違えたもので、(-3)、(-4)が削除されたわけではありません。そこで今日は(-3)として記事を書きます。そこで第三日のベッカートを中心としたラウンドテーブルの話は後(-6の予定)にして、今日はENIUGHについて、少し一般的な話を補足しておきます。
 まず今回気づいたことは、タイトルが Fifth European Congress on World and Global History となっていたことです。前回が同じタイトルとなっていたかは、見落としていましたが、組織の正式名称に取り入れられている Universal History がここからは消えています。組織の正式名称は、the European Network in Universal and Global History だからです。したがってその略称が、ENIUGH なわけです。
 Universal History という考えは、最近の日本ではあまり論じられていないので、その点が自分には少しわかりにくいところがありました。それが、そうしたテーマで本を書いている Herve Inglebert に、前回大会後日本に来てもらった理由でした。そのユニヴァーサルヒストリーではなく、ワールドヒストリーが今回のタイトルには採用されていたわけです。
 だとすると、グローバルを含めてこれらのヒストリーズの違いは何なのかということは当然議論されるべきですが、そのあたりは十分には議論されていない感じでした。ワールドヒストリーに傾斜しつつあるのは、ラウンドテーブルでこの組織の実際の生みの親の一人であるマティウス・ミデルが言っていましたが、同じワールドヒストリーという名称を付けた付けた組織が、アメリカ、アジア、さらにはアフリカなどでも進行しているので、その協力関係を作っていきたいという方向があるからのようです。世界歴史家会議と訳されているCISHに対抗するというわけではないかもしれませんが、各地域でのワールドヒストリーの組織化を前提に全世界的な組織化を可能であれば推進したいということのようです。CISHの現状にやや不満があるのかもしれません。
 そのCISHは、実は組織の名称に、scientific という言葉が入っています。そもそもこれはフランス語からの略称で、最近はISHC(the International Scientific Historians Congress)という言葉の方が、だんだんと一般化しているようです。実はそうしたことは大会の流れにもあって、2000年のシドニーの時は、マグレブを中心としたフランス語圏からの参加者も多く、フランス語が公用言語の一つとなっていて、同時通訳がありました。アムステルダムでも自分がパネルをしたラウンドテーブルでもアフリカ系の研究者から直接フランス語で質問されました。しかし、前回の済南ではほぼ英語に一般化されていて、アジアでの開催なのに、アフリカからの参加者は残念なことに、あまり目立ちませんでした。なおCISHと同じ scientific という言葉を付けた国際的な歴史家の会議で最大のものは、毎年4月ごろローロッパで開催されているものです。参加者の質も良く、これは現在の国際的な歴史家の会議ではかなり高い評価を受けているようです。
 世界史学会には、北京開催の時と、昨年のゲントに参加してみました。この組織は世界史論(あるいは世界史教育)とともに、エリアスタディーズ、言い換えるとアメリカにおける外国研究の流れも引いていて、現在は会長がデヴィッド・クリスチャンの協力者であるクレイグ・ベンジャミンなので、世界史論の一つとしてビッグヒストリーへの流れも取り入れていますが、日本でいう「外国史研究」、あるいは「外国史教育」についての、各国の研究者を組織し始めている感じです。
 こうした国際的な歴史研究の流れが、どのような形で折り合っていくかが、これからの歴史研究のあり方を決めていく感じです。

by pastandhistories | 2017-09-08 06:23 | Trackback | Comments(0)

eniugh5-5

ひょっとすると雨が降るかもしれないので、今急いで宿に戻ったけど、たぶん日本は深夜ということだと思います。三日目の今日は午前は「長い1960年代」というパネルに。こうした表現はこのブログでも一つの考えとして大事だと書いたことがあるけど、会でもそうしたパネルがあるということで参加してみました。 多くのパネルと同じように、ここも参加者は報告者を含めて10人程度。しかし自分としては十分楽しめました。
母体はライプチヒ大学のプロジェクトのようで、司会はライプチヒ。報告者もまずはライプチヒから二人。ミハエル・エッシュ(ドイツ人だとすればミハエルのはずですが、皆はミッシュルと呼んでいたのでフランス系の人かもしれません)が音楽史的視点からの報告。ジャズ・ロックの変容が1960年代にどのように行われたかについて。もう一人のディートリント・ヒューハッカーという女性はフェミニストの視点から、キンゼイ報告などの影響を受けた性的な問題についての変化を論じました。質疑では共通しているのは、ミュージックインダストリーやセックスインダストリーによる商品化からの離脱が現象したというところで議論がまとめられたけど、この辺りはやや図式的な感じ。出来事が「歴史化」されることに伴う問題です。
誰も知らないベイルート大学の女性研究者の報告は本人が欠席。代読されたけど、そのテーマはアフリカの解放運動における女性の表象。かなりの数のポスターを映し出して、女性が(銃を持つ)ミリタントとして表象される一方で、他方では同じ女性が赤ん坊を抱いた形でも表象されたという二面性の指摘。こうした表象化はスペイン内乱、レジスタンスにもあったということもあわせて報告されました。ヴィジュアルヒストリーで分かりやすく、興味を引く内容です。ただし、「銃後の女性」という表象は、ドイツにも日本にもあったわけで、というより全世界的にも見られるわけで、そのあたりはかなり難しい問題もありそうです。
最後はイギリスの大学(ブルッカーとセントアンドリューズ)に勤めている男女のインド系研究者によるジョイントの報告。その理由は、男性が運動の参加者、女性がその運動がどのように表象されているのかということの研究者だからです。これは面白かったですね。正直言って、ライプチヒの二人は、1960年代の継続性を主張はしたけど、長髪でもないし、ミニスカートも履いていない。あまりプロテスト感はなかったのに対し、この二人は一人はマオイストであった(現在はアナキストに近いのかもしれません)ことを堂々と主張、女性のほうも会が終って道路に出ると煙草を吸い始めるということで、結構アクティヴ。しかしそのことよりはるかに関心を持たされたのはサンジタ・センという女性の発表内容。1960年代を取り上げた映画を紹介するものだったからです。なんといっても驚かされたのは、セミドキュメンタリーを含めて実に多くの作品が作られていること。かつ運動にシンパシーも持ったものも少なくないこと。日本との違いに本当に驚かされました。
午後は総括的なパネルでいよいよスヴェン・ベッカートが登場。午前の会の人たちから食事に誘われてレストランまでいったけど、午後のパネルは混むと思ったので、結局注文はしないで早めに予定された部屋に言って席を確保。これが正解で、最初は席が足りなくなり、立ち見もでることになりました。この会については、次回に書きます。、

by pastandhistories | 2017-09-03 02:01 | Trackback | Comments(0)

eniugh5-2

昨日は二日目。パネルの数が多すぎて、どれに参加していいか迷う。しかし、そのこともあって参加者数はパネルによってかなりのばらつきがあります。結果的には参加したのは、いずれもそれほど参加者の多くなかったパネル。
最初は、初期的な資本主義形成の比較を世界史的に論じたパネルということだったのですが、発表者の一人とし手予定されていたドミンク・ザクセンマイヤーは風邪で休み。もう一人も不参加で結局発表者は二人。ノルベルト・ファビアンという人が司会兼発表者。ボーフム大学の人で何度もあ会ったがあります。実は一昨日に少し話をして、その時名前のとおり漸進主義者だと冗談をいったのですが、基本的には封建制から資本主義への移行はその両者を折衷した形で漸進的に進んだという考え方です。混合経済論。ここでは書きませんが、それを5つに整理した説明を試みました。もう一人の発表者は、現在はリューベックに属している台湾出身のアンジェラ・ヒュアンという人、名前の通り台湾出身でハイブリッドの人のようです。ハンザ同盟を素材にプロト資本主義を論じました。このあたりは自分の専門ではないのですが、レベル的に安定した感じでした。
その次に参加したのは、囚人の植民地への移動がどのような役割を果たしたのかというパネル。これは前回のパリでもあって、その時はレスター大学のプロジェクト。同じものかはわかりませんが、やはりレスター大学から何人かが参加。前回の発表が面白かったので、今回も参加しました。今回はアンダマン諸島、北海道、そしてフィリッピン(アメリカによる植民地化のあと)についての発表。最もテーマに即していたのは、アンダマンの事例。囚人労働の問題や、土着民への対応と、植民地支配の関係がわかりやすいテーマだからだと思います。北海道の話は日本人研究者によるもの。やや設定テーマに合わせすぎた感じはしたけど、その分だけ日本ではあまり行われていない「北海道」の説明の仕方で、興味を引くところがありました。
最後はイム・ジヒョンが司会をし、秋田茂さんがコメントをしたアジア系研究者による比較史的なグローバルヒストリー。中国系・韓国系の研究者が、ビルマ、資本主義、中国系移民というそれぞれのテーマを論じました。コンセプトはいずれも欧米の大学での教育経験があるということのようです。欧米系の学生や研究者を対象に研究成果を発信する場合は、どのような形で行われているのかという点で、「日本人」研究者も今後参照すべき議論なのかもしれません。


by pastandhistories | 2017-09-02 13:42 | Trackback | Comments(0)

eniugh5-1

今ブダペストです。最近ではウィキペディアなどでもブダペシュトと表記されていますが、現地に来るとハンガリーの研究者もブダペストと発音しているのでb、ブダペストと書いておきます。
以前パリで大会があったことをここで紹介したことのある、ヨーロッパ・グローバル・アンド・ユニヴァーサル・ヒストリー学会に参加するため。前回が面白かったので、今回も来てみました。パリだったということもあって、それなりにメンバーの揃った前回ほどではないけど、今回もかなりの人が参加。初日は午後からで、パラレルパネルとレセプションとキースピーチ。キースピーチがレーニン論であるというのには驚かされましたが、たぶんロシア革命百年にちなんだのだと思います。その紹介はいずれとして、パネルはボーダーランド論についてのものに出ました。
発表者は4人。うち3人が論文提出予定者。アイデンティティという視点からボーダーランドを分析するちう手法。対象は、ラトガル、バッサラビア、セクラーランド。それぞれ丁寧に言語・宗教・文化を取り上げ、帰属する国家の変化に対して、どのような地域的なアイデンティティがあったのかを説明しました。
感想としては、アイデンティティという形で論じると、逆に視点が固定的になるということです。性格的にボーダーランドは、地理的には固定されていても、人々の流出入のフロウは大きく、またハイブリッド化も進行しがちという地域でもあるからです。そのあたりが逆に論じられないということを感じました。もう一つは、ナショナルな枠組みへの囲い込みの中でマジョリティ化が進行する中で、マイノリティをどう論じるかということはわかるけど、そこから先の問題をどう立てるのかという重要な問題の議論の仕方が、それほど鮮明でないということです。
もう一人はスティーヴン・シーゲルという人。ベラルーシの地理学者でもあったスモーリッチ(1931年逮捕、1937年粛清)を取り上げ、地理学がナショナルな枠組みを作り出す、またそれに保護された学問であることを論じました。地理的境界や、経済的文化的枠組みに国民を位置させるという志向を持つわけだから、当然そうした性格を持つわけです。そのことがベラルーシとソ連という二つの枠組みの間にスモーリッチを置き、彼を粛清の対象に追いやったということです。この発表は問題設定が明確で、力量を感じさせました。歴史学も同様なわけで、そのことは近代的学問を理解するときに重要なことです。
このパネルに参加していて気づいたことは、征夷大将軍というのはもともとはボーダーランドを軍事的に管轄する役割であったということ。それがいつの間にか、中央の統治者になった。つまり関東地方はもともとはボーダーランドであったということです。それが中央になったということになります。ボーダーと中央はそのような形で歴史的に変移してきたわけです。

by pastandhistories | 2017-09-01 13:19 | Trackback | Comments(0)

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