歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

プロフィールを見る
画像一覧
通知を受け取る

<   2018年 01月 ( 7 )   > この月の画像一覧

『過去と歴史―「国家」と「近代」を遠く離れて』目次

 昨日紹介した書き下ろしの目次は以下の通りです・

(まえがき)
(序章)
(第1章 歴史の事実?)
 アウシュヴィッツ・南京・広島・長崎、疑うことのできる事実・疑うことのできない事実、知らない事実・存在していなかった事実、歴史認識の相対性
(第2章 記憶と歴史をめぐる闘い)
 歴史をめぐる戦い、ホロコーストの実在?、非実在論の論拠、過ぎ去ろうとしない過去、ナチスの相対化論、相対化論への批判、南京虐殺事件、捕虜と民間人の殺害、象徴としての数、数の認識の恣意性、忘却の穴・忘却の海、表象の相対性、ジャストワンウィットネス、様々な証言・様々な歴史
(第3章 ポストモダニズムが論じたこと)
 モダニズムとその批判、記号表現・記号内容、通時的・共時的、作者の死、差異と差延、表象、テクスト論、言葉の支配、エピステーメー、再記述
(第4章 歴史のかたち)
 学問としての歴史、歴史の構築論、マルクス主義とアナール派、歴史の物語論、形式分析、比喩、個々と全体、遡及的な因果的説明への批判、モダニストイヴェント、制度のなかの歴史学
(第5章 記憶と物語)
 記憶の役割、過去の制作、ストーリーとナラティヴ、物語の共同化、集合的記憶論、記憶の他者性、言語の対他者性・共同性、実在を構築するもの、日常性とアイデンティティ、構築されたものの相対性、身体的記憶、文化的記憶、記憶の場
第6章 異なる視座)
 近代歴史学への問い、歴史を保守する、植民地支配の擁護、歴史はフィクションか、ジェノサイドとホロコースト、歴史学の擁護、ヴァーチュアルなリアリティ、サブカルチャーのなかの過去、統合への疑問
第7章 私たちの歴史、私の歴史)
 ファミリーヒストリー、パブリックヒストリー、ビッグヒストリー、コンピューター時代の歴史、共同性についての補遺―和解、ナショナリティとモダニティを越えて、結論として
(あとがき)

それなりに現在的なテーマについて、これまでの議論をふまえながら書いてみました。なお小見出しだけ紹介してありますが、章はそれぞれ節に分かれています。

by pastandhistories | 2018-01-25 09:49 | Trackback | Comments(0)

『過去と歴史―「国家」と「近代」を遠く離れて』

 このブログで何度か書いていた書き下ろしの校正が終わり、印刷・製本の準備に入ったようです。出版は2月中旬か、あるいはその少し後のようですが、出版社のホームページに予告が出ました。 

 内容(目次)は明日また書きますが、タイトルと宣伝文句はこんな感じです。

 『過去と歴史―「国家」と「近代」を遠く離れて』御茶の水書房、本文267頁(2,800円、税抜き)

 情報を伝える主たる場がネット空間へと移動した時代に生じたことは、真偽の区別の曖昧化である。ポスト真実の時代と呼ばれる状況において、歴史はさらに不可知性を高めている。その問題をどう考えていくべきかというきわめて現在的な問いに、言語論的転回やポストモダニズムが提示した問題をふまえ、歴史研究者が切り込んだのが本書である。本書を読了した時に読者は、従来の歴史研究に欠落していたものを見出し、現在の政治的状況において跳梁跋扈する歴史修正主義に対する鮮やかな批判を見出すだろう。ヘイドン・ホワイトの訳書が相次いで刊行され、ポストモダニズムが提示した議論への関心が再び高まっている現在にあって、本書はそうした関心にこたえる絶好の書である。

 ネットを見ていると、ホワイトへの関心も高いようですし、それ以上に歴史修正主義への批判的なコメントが驚くほど多いようです。現在の思想状況や政治状況への関心が強いからだと思います。その意味ではタイムリーな出版ではと自分では考えています。ということなのですが、昨年末以来校正と内容点検に追われていたので、今はほっとしています。少し落ち着いたので、この間は途中で中断していたノートが随分とあるので、まずはその整理を始めました。そうした作業を通して気づいたことをこれからも書いていければと考えています。

by pastandhistories | 2018-01-24 16:23 | Trackback | Comments(0)

下からの修正

 パブリックヒストリーをめぐる会で議論されたいくつかのことについて、気づいたことを書きます。一つは歴史修正主義の問題。歴史修正主義というと、ナショナリズムに支えられた権力的なものがどうしても前面化します。かつそれが相対主義的な議論に支えられているとして、進歩主義的な歴史に立つ立場からは、相対主義への批判としてもちいられることが少なくありません。しかし、この議論が見落としがちなことは、実は歴史の修正という問題は、下からのいわゆるボトムアップ的なものとして提起されたという面のあることです。
 たとえばアメリカインディアンと呼ばれた人たちや、アボリジニなどの先住民の問題。1960年代までの西部劇を見れば一目瞭然のように、彼らはナショナルナラティヴの敵対者として扱われ、排除され、あるいは無視されてきました。しかし、1960年代の様々なラディカルな運動を通して、従来のナショナルナラティヴとしての歴史が批判され、逆にそれまで無視されてきた人たちの扱いはパブリックな場でも、アカデミックな場でも劇的に変化しました。黒人や女性、さらには様々な少数派の人々もまたナショナルナラティヴにその位置を占めるようになった。つまり下からの歴史修正が行われたわけです。
 従軍慰安婦の問題もその一つです。ある時期まではその存在は当然のものとして、パブリックな場でも(多くの戦争映画を見ればそのことは理解できます)、さらには学問的な場でさえもナショナルナラティヴに無批判的に組み入れられていました。あるいは無視されていました。それが1980年代になってようやくにして、異なる民族の人々を含めてその掘り起しが行われたわけです。それに付随するかたちで、従来の学問的な手法が排除しがちであった記憶や語りの意義、あるいはテキスト的な証拠以外のパブリックな空間にある過去が、たとえ相対的なものであるにせよそれを歴史に取り入れるべきだという考えが生じたいうことです。いわば「下からの」歴史修正です。それをある意味では極点まで進めたのが、アボリジニ自身にある歴史を「歴史実践」と呼んだ保苅実さんです。
 もちろんこのことが従来のナショナルナラティヴを維持しようとする保守派の強い反発を生み出し、その後の大きな問題となり、そうした保守派の主張が学問的世界の側から、あるいは一般的にも「歴史修正主義」と呼ばれるようになっているわけですが、逆にそれだからこそ、古いナショナルな枠組みにとらわれた歴史を修正することが現在ではますます必要なわけです。
 パブリックヒストリーという考えが重要なのは、歴史を下から修正する可能性をもつものだからです。そのことは、パブリックヒストリーが形成されてきた経緯を知れば理解できるはずです。

by pastandhistories | 2018-01-15 11:09 | Trackback | Comments(0)

International Public History

 センター入試などとぶつかって残念ながら参加者は少なかったけど、デヴィッド・ディーンのパブリックヒストリーのセミナーは、その後の懇親会での交流も含めて内容的にはとてもよかったと思います。表現は少し悪いけど、「鬼の居ぬ間に洗濯ジャブジャブ」。歴史研究の新しいトレンドの意味が、それが生み出された背景とともにわかるところがありました。事前宣伝のさいの説明不足があったのは自分の責任でもあるような気がするけど、ケンブリッジ大学で学位をとっていて本来は世代的にもヒストリーワークショップ運動の流れの中にいた歴史研究者。最後のコメントでも少し紹介しましたが、パブリックヒストリーとポストモダニズムの関係が意外なほど近いことも聞いていてわかる部分がありました。ヘイドン・ホワイトがにわかブームみたいだけど、このあたりのことを視野に入れていないでいて、老婆心ながら本当に大丈夫かなと思います。
 ディーンもそうですが、正直言ってパブリックヒストリーはその現在の組織者たちの能力がかなり揃っている。その点でもかなり発展力のある流れだと自分は思っています。そうした中でいよいよ国際的な組織(International Federation for Public History - IFPH) の機関誌として雑誌(International Public History)が今年の6月から年2回発行されます。その共同編集者の一人がディーンです。オンラインジャーナルで基本的にはレフリー制をとって「英語」というかたちになりますが、これまで他の言語で発表されたものも掲載可、さらにはこのウェブサイトでは他言語のものでもそれを紹介していこうという方向もあるようです。歴史をパブリックなものにするなら当たり前のことかもしれません。英語のみとすれば、英語圏以外の読者は特権的な知的(?)社会層に限られてしまうからです。でも英語以外で書かれたものを誰が読むのかという質問が当然出そうです。もちろんその言語を読める人と、機械翻訳によってです。
 という話をすると、機械翻訳なんて正確ではないから、厳密な読み方にはならないから歴史研究にはそぐわないという意見が当然出てきそうです。しかし、この意見は一体いつごろまで有効でしょうか。永久にでしょうか。そんなことはないはずです。ネットを見ていればわかるように、欧米語系同士の言語であれば、すでに多くのものが機械翻訳でかなりの精度をもって読めます。英語さえ読めれば、本来はフランス語のものでもロシア語のものでもある程度読むことができます。逆にフランス語ができれば、英語が読めなくてもある程度のことを機械翻訳されたかたちで読むことができます。そしてこうしたサポートはわずかこの20年間に急速に進歩しました。あと100年と言わず、50年もたてば、それが何語で書かれていても、ネット上の情報はすべての人に読むことができるものになっていくでしょう。そう考えれば、オンライン上の知的コミュニケーションは、仮にそれが高度の知的内容(?)を伴うものであっても、それぞれの独自の言語で書かれていてもいいというわけです。
 はたしてそうした状況に本当に向かうのか、さらにはそうした技術的進歩があっても厳密な正確さという点では問題が残り続けますが(でもそんなことを言ったら、「有名学者」が訳した海外の文献の翻訳は厳密にはほとんど役立たないし、さらには誰もが自分がふだん外国語文献を厳密に正確に読んでいるかを反省すべきでしょう)、それでも本当の国際化、グローバル化というのは、むしろそうした流れの中にあると自分は考えています。ふつうの人々、つまりそれぞれの場にいるパブリックス(一般の人々)の誰もが本当に知的な交流を平等にできるからです。
 現在の段階ではそれほど容易なことではなく、IFPHの試みもまた紆余曲折していくはずですが、歴史へのアプローチとしてこうしたアイディアがパブリックヒストリー論という流れの中から生み出されつつあるのは注目してよいと自分では考えています。

by pastandhistories | 2018-01-14 20:58 | Trackback | Comments(0)

デヴィッド・ディーン

 13日(土)にパブリックヒストリーについて話してくれるデヴィッド・ディーンが無事日本につきました。多分直行としては日本便で一番長時間にわたる13時間強のフライト。ということですが、食事をしながら多少の打ち合わせをしました。非常にわかりやすい議論の仕方をする人で、13日の会の質疑もきちんと対応してくれそうです。
 残念なのは、勤務先の大学の都合でセンター入試と日程がバッティングしたこと。それなりに反響はあるようなのですが、センターとぶつかると多くの大学関係者は時間の都合がつきにくい。博物館関係の人も正月休み明けの土曜日ですので、都合のつかない人が多いようです。
 本人も日本には多少の好印象を持ってくれたようです。なんといってもカナダより暖かい。ではカナダは今何度くらいかと聞いたら、マイナス30度という返事。聞き違えたのかと思ってネットで確認したら今年の冬のオタワは昨年の12月下旬から1月上旬にかけて、ほぼ毎日最低気温がマイナス25度、最高気温でもマイナス10度くらいが平均。確かに1月1日の最低気温はマイナス30度だったようです。こうなるといったん凍った自動車を解凍して動かすには、超大型のオーブントースターがいりそう。そうしたなかで無事到着ということでほっとしました。
 色々面白い話(カナダでの熊であった時の対応など)もしましたが、少し驚かされたのはパブリックヒストリーの国際大会の開催地。今年の夏はおととしのボコタについで南米のサンパウロということは既に決定していますが、来年はなんとネパールで開催されそうだということです。正直ネパールでの国際学会というのはあまり聞いたことがないですね。このことは逆にパブリックヒストリーの国際化が欧米を基準とはしていないということ、別の言い方をするとある意味ではパブリックヒストリーには本当の国際的思考があるということが示されているのかもしれません。

by pastandhistories | 2018-01-10 22:49 | Trackback | Comments(0)

パブリックヒストリーセミナー 1月13日

 既に何度か予告したけど、1月13日(土)に以下のような内容でセミナーを行います。

招聘するのは、Blackwell から今年3月に刊行予定のパブリックヒストリーのアンソロジー(Companion to Public History)の編集者である David Dean (カナダ・カールトン大学教授)です。タイトルは「パブリックヒストリー:過去・現在・未来」、日時は2018113日(土)13時半~17時半、場所は東洋大学白山キャンパス5号館5104教室(※一部ポスターに「5014教室」とありますが、正しくは「5104教室」)となります。

ということで、今日はペーパーの一部の和訳を宣伝がてら掲載しておきます。

パブリックヒストリーに従事する人々は、記憶の政治、社会と諸個人がいかに想起するのか、歴史遺産と保存、共同記憶化などについての議論の前線にとどまり続けてきた。パブリックヒストリーに従事する人々は記憶のブローカーである。したがって彼らがその仕事において、文化地理学者、社会科学者、社会理論家の仕事に対してとりわけ敏感であったのは、驚くことではない。「記憶の場」(ピエール・ノラ)、「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)、「日常生活の実践」(ミシェル・ドゥ・セルトー)、「集合的記憶」(アルヴァクス)などは、パブリックヒストリーのなかで共通の語彙となった他の学問分野からの洞察のほんの一部の例である。読者はこの本(Companion to History)の諸頁において、より多くの理論的な洞察に出会うことになるだろう。

一般の人々からの感情的な反応を生み出す歴史を表象することを任務とすることはまた、感情史、感覚史を考えるにあたってパブリックヒストリーに従事する人々に指導的な役割を果たさせることになった。実際の環境とその身体化に焦点を当てる感情史、聴覚、視覚、臭覚、味覚、触覚に注意を払う感覚史は、パブリックヒストリーにおいて、もっとも中心的な領域となった。部分的にはそれがパブリックヒストリーを実践するものだからである。歴史解釈を受け入れ、博物館の展示や映画や舞台による歴史にある感覚を自分のものとし、博物館、テレビの歴史再現番組、歴史のシミレーションゲームの登場人物を実在のように思うことは、新しい洞察に帰結した。「感情論的転回」に対応し、パブリックヒストリーに従事する人々は、さらにまた人文科学における「パフォーマティヴターン」の前線に位置することになった。日常生活の実践、あるいは劇、音楽、映画、舞踏といったより形式化された枠づけの実践のどちらと考えるにせよ、あらゆる人間の諸活動は身体化された表象として遂行されているという立場から出発することをとおして、パフォーマンスとパフォーマティヴィティは、パブリックヒストリーについて考える価値のある方法となった。感情史、感覚史、パフォ-マンスをとおしての身体史は、パブリックヒストリーという分野の制度化の以前から行われている表象の諸形式を含みこんでいる。それらはつねに一般の人々のいかに過去とかかわっているか、歴史が地球でいかに遂行されているかということの重要な要素であった。」

いかがでしょうか。日本ではまだパブリックヒストリーという言葉自体なじみがないので、どれほど関心をもってもらえるかわかりませんが、今後の歴史研究、というより歴史全体をどう考えていくのかということに関して、かなり重要なことだと自分では考えています。

by pastandhistories | 2018-01-09 17:16 | Trackback | Comments(0)

マンガの優位性

 昨年末は近刊書の校正に最後まで追われたけど、一応は終え今年の正月はいい休みになりました。もっとも別の雑誌論文の校正と、1月13日の会のデビッド・ディーンのペーパーの訳が年初めの仕事として入っています。そのうち後者は一応の粗訳を終えました。テーマ(パブリックヒストリー)は基本的には一般の人々向けの歴史ということで、英語的にもやさしいのですが、意外なほどの苦戦。どうしてかなと思ったら、一般向けの平易な内容の歴史についての文章であるがゆえに、使用されている言葉に適切な定訳がないことに気づきました。というより定訳を使用すると、かえって理解しにくくなってしまう部分が随分とでてしまうということです。それだけ日本の歴史研究のあり方には偏りがあったということかもしれません。明日からもう一度手を入れて当日までに間に合わせるつもりです。
 少し時間があるので今日は昨年末の手塚治虫についての記事の補足を書きます。マンガのコマと映画のカットの違い。マンガのコマをそのまま映画にすることは難しいと書いたけど、そのことは実験的なかたちで、大島渚監督が白土三平の『忍者武芸帳』を使って行なっています。マンガに動きを入れず、原画をスティル画として映し出すという手法で興味深い試みなのですが、ストーリーの「時間的流れ」を音声セリフで補ったために、かえって中途半端なものになってしまったところは否定することができない作品です。そのために漫画における異なるコマの同時性という長所、いってみればポリフォニックな側面が逆に表現されていないからです。
 マンガのモブシーンの意味についても書いたけど、漫画にある表現方法の一つの優位性は、シマルテイニアスなかたちで多声性が表現できることです。手塚治虫のモブシーンもそうですが、同じ時間におこなわれていることを、別々のコマで伸縮自在な形で描けるということです(飛雄馬が球を投げる瞬間とそれを待ち構える花形、あるいはジョーと力石が互いにカウンターを打とういう瞬間が、他の人たちのものも含めて、同じ瞬間の感情やセリフが別々のコマで表現されます。『明日のジョー』はその典型ですが、極端な場合には、同じ瞬間の出来事が数ページにわたって描かれたりします)。
 手塚治虫があれほどまでに執念をもってアニメを追い求めたのは、本人の説明によると基本的には二つです。一つは、静止しているものに動きを与えることは、命を与えることだということ(アニメイトの本来的意味)。もう一つは、マンガに動きをともなわせることによって、言語的な壁を越えられるのではと考えたため。しかし、逆説的なことに、アニメは時間性と言語性をむしろ拡大してしまったという部分があります。つまり登場人物の言語的な表現を通して、時間の流れとともにストーリーが進行することがその基本的形式となったということです。
 今日もまた結論はやや飛躍するけど、物語性は個別性や多声性を排除する。あれほど内容的にも深さがあり、面白さもある手塚治虫の漫画が、アニメとしてほとんど失敗しているのは、アニメ化にともなって個別性や多声性が排除されてしまっているからかもしれません。逆に言うと、しばしばストーリーマンガの創始者と言われるように、そのストーリー性で高い評価を得ている手塚治虫は、ストーリーの書き手であったのではなく、個別性や多声性を何よりも尊重していた作家なのかもしれません。

by pastandhistories | 2018-01-04 21:48 | Trackback | Comments(0)

カテゴリ

全体
未分類

以前の記事

2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 06月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 01月

フォロー中のブログ

最新のコメント

『思想』の3月号ですか。..
by 川島祐一 at 23:39
先生は、「「民主主義」擁..
by 伊豆川 at 19:57
先生は、「歴史が科学であ..
by 伊豆川 at 17:18
『開かれた歴史へ 脱構築..
by 伊豆川 at 13:28
3月18日の会に参加させ..
by 伊豆川 at 08:33
セミナーで配布・訳読され..
by 伊豆川 at 14:44
先生の議論には、大筋で同..
by 伊豆川 at 17:10
私も今回のセミナーに参加..
by 伊豆川 at 18:55
先生が制度化された「真実..
by 伊豆川 at 00:29
先日、ヘイドン・ホワイト..
by 伊豆川 at 20:53

メモ帳

最新のトラックバック

「変化する可能性」
from 右近の日々是好日。
プラグマティズム
from 哲学はなぜ間違うのか?

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

現代史研究会での報告
at 2018-10-08 11:56
海外での学会報告のファイル化
at 2018-09-04 10:23
パブリックヒストリーについて..
at 2018-08-31 09:02
INTHに続き
at 2018-08-27 01:02
今回のINTH
at 2018-08-26 03:58

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

歴史
哲学・思想

画像一覧