人気ブログランキング | 話題のタグを見る


歴史についてこれまで考えてきたことを書いています


by pastandhistories

ユーザビリティ、アプリカビリティ、

 「続パブリックヒストリー研究序論」という原稿を書いてから、ほぼ一か月ほど個別のパブリックヒストリー関連論文の紹介が止まっています。その理由はもう1本論文を書いていたことや、海外研究者をゲストとして招いているZOOMでののウェビナーの準備に時間をとられていた(今日午後本人たちと打ち合わせをZOOMでします)ことにもありますが、大きな理由は、少しノートをまとめてから連続的に紹介した方がよさそうなので、その作業をしているためです。これはもう少し時間がかかりそうです。
 パブリックヒストリーと言えば、それが生み出された根拠の一つは、歴史のユーザビリティ、アプリカビリティです。それが不足しているのではと疑問からです。しかし、自分はあまりそういう考えはしていません。ウクライナ問題でも、パレスティナ問題でも、さらには中国問題でも、歴史研究者は随分とメディアに登場しています。メディアにとっては、ユーザブルな存在だからです。批判的に言えば、その背後にある権力にとっても。でなければ、自分たちがその時々の必要に応じて「選択される」わけがないからです。
 かつて「近代の超克」という議論がありました。西欧近代への批判としてです。今もそうした批判が繰り返され、さらに言えば今だからこそ強調されるようになっているように、批判自体が知的判断としてまったく間違っていたわけでも、いないわけでもありません。しかし、この議論は当時の政治権力が大衆統合の手段として用いた「鬼畜米英」とオーヴァ―ラップし、戦争の媒体となりました。参加者の多くが、太平洋戦争への快哉を叫んだのはよくく知られているとおりです。
 自らの考えをパブリックへと伝える手段としては、メディアに登場することが絶対悪とは言いきれません。しかし、自分の主張が戦争を進めるためにユーザブルなものとなって、アプライされてはいないかと問うことを、歴史研究者は忘れるべきではありません。

# by pastandhistories | 2023-10-12 10:21 | Trackback | Comments(0)

歴史を教えるということ

 歴史の脱構築論から派生した議論に、個々人の過去認識(past mindedness)は、学校などで教えられるしばしば国家を単位とした歴史とは異なって多様だという主張があります。このことは実際にもオーラルヒストリーの手法をもちいてそれを確認したローゼンツヴァイク、セーレンの指摘、それを継承したアシュトン、ハミルトン、さらにはクラークらの研究をとおして明らかにされています。教えられる歴史と、人々の日常にある歴史は異なるということです。
 では歴史を教えるということはどういうことなのか、という議論は「歴史総合」の導入と関わるかたちで随分と盛んになりました。そうした議論のなかで気になることは、「歴史は因果性」を教えるという議論がけっこう論じられていることです。この議論は少しおかしい。そのことは他の教科、たとえば理科系の生物、化学などと比較するとわかります。確かに理科系の学科にとっても因果性は大事です。しかし、それらを教えることの目的は、因果性を教えることではなく、生物とか化学の実際のあり方であって、あくまでも因果性は副次的なことです。歴史についても同じです。大事なことは事実を教えることで、因果性はその説明の際に副次的にもちいられているにすぎません。またとりわけ歴史に関しては、厳密なものではありません。たとえば、「フランス革命の原因を、大事なものを順番に三つあげよ」という問いは、正しいというより、好ましい問いでしょうか。そうした問いに対する答えを学ぶことが、因果性なるものを学ぶことになるのでしょうか。そんなことはありません。そもそも「因果性」という近代科学の原理を厳密に考えれば、このようなかたちで「因果性」が学ばれるのは「因果性」に対する間違った理解を生み出します。そのことはネットなどでもっともらしく論じられていることの多くが、「因果性」を根拠としていることからもわかります。
 歴史を教えることにとって一義的なことは、歴史の事実を教えることです。出来事にはたしかに「因果性」がありますが、だからと言って「因果性」を教えたり、学んだりすることには、歴史は残念ながら理科系の学科ほどには適してはいません。

# by pastandhistories | 2023-10-03 05:11 | Trackback | Comments(0)

共産主義博物館

 カナダの下院をゼレンスキーが訪問した際に、反ロシアの英雄としてスタンディング・オヴェーションを受けた老人が、実はナチス突撃隊のメンバーであったことが発覚し、ポーランド政府やユダヤ人団体の抗議を受けて、下院議長が辞任を迫られたという報道がありました。このことで思い出したのは、ラヴェンナで開催された国際パブリックヒストリー連盟の大会でのパネルでの報告です。
 たしかこのパネルの報告内容は、このブログで紹介した記憶があります。その一つは、パウル・ハミルトンの日本における歴史修正主義への批判。海外では日本の歴史修正主義は当然のように強い批判の下にあるということを改めて考えさせられましたが、同じパネルでのデヴィッド・ディーンの報告も印象深いものでした。それはカナダの「共産主義博物館」についての報告だったからです。「ロシアをはじめとした」旧社会主義国であるなら、それほど不思議でなく現在では各国でそのような博物館は作られていますし、ブリュッセルのヨーロッパ共同博物館でもスターリン時代のソヴィエトについての展示は行われています。しかし、なぜカナダで?と意外な感じがしたのですが、今回の件でその理由の一端がわかりました。カナダには旧東欧からの移住者が多かったからです。
 今回のことで思うことは博物館のもつ機能への評価の難しさです。ホロコーストや原爆の記念館など戦争の災禍を明示する博物館は確かに必要でしょう。旧体制の問題点を指摘する博物館も。しかし、後者は新しい体制の擁護という高い政治的機能を持つ。博物館は記念碑などよりもさらにナショナリティや政治的イデオロギーと結びつきがちな建造物です。博物館に関しては、つねにそうした問題が付随しています。 

# by pastandhistories | 2023-09-28 12:33 | Trackback | Comments(0)

上向、下向

 前回書いてからまた2週間がたってしまいました。もう一つの原稿の手直し中。提出済みの原稿との重複部分を書き直しているのですが、はかどりません。これが終わらないと次の仕事ができない。ということでこのブログも止まってしまいました。
 今日は新しい原稿に書き入れようとしたのですが、うまくはまりそうもないので、そのことを書きます。テーマは史料・想像力・事実。歴史学は史料をもとに過去の事実への近似化を試みる。それは当たり前のことです。しかし過去は既に実在していないのですから史料をいくら積み重ねても、最後は想像力が介入します。しかし、史料をもとに過去の事実への近接を目指して上向していく。それが歴史学の基本です。
 対して歴史学からはなぜ歴史小説・映画・マンガがフィクションとして批判されるのか。その根拠は簡単です。歴史小説・映画・マンガも史料をもちいますし、少なくとも過去の事実として共有されているものをベースとはしています。問題はそこから。歴史小説・映画・マンガはエンターテインメントとしてより大きなオーディエンスの関心を引き付けるため、同じく想像力を駆使してフィクションへ下向していくとみなされています。
 そうなると、「歴史は事実にもとづく」という基本的命題に基づけば、歴史学>歴史小説・映画・マンガという構図が成り立ちます。当たり前すぎる話なのですが、この問題に別の考え方はあるのでしょうか。

# by pastandhistories | 2023-09-27 20:53 | Trackback | Comments(0)

原稿書き

 また2週間ほど止まってしまいましたが、理由はソロソロ締め切りの原稿書き。後3つほど注を付けて全体の見直しが最後の仕事。多分明日には終わります。この間貯めてしまったものの片づけなどがあるので、果たしてこのブログの再開が明日からになるかはわからないけど、さしあたっては一段落。実はとっくの昔に提出した原稿の書き直しの必要が少しあって(今回との重複部の修正)原稿書きの仕事は続くけど、こちらは時間がかからないでしょう。とにかく膨大なノートやメモの見直しが大変でした。ほとんど忘れていたから。
 でもやっぱりノートを残していくのは必要ですね。そうしないと読み直しが必要で、二度手間、三度手間になってします。特に論文書きには必要かもしれません。基本的には本は頭の中に残っていたことだけを書くのを基本としていたけど(その方が文章が整理されるし、自分が本当に大事だと思っていたことだけを書くので、読み手も読みやすいい)、論文は少し違うところがあります。でも頭の中に残っていないことを、ノートを引っ張り出して書くことが本当にいいのか、今回もまたそんなことを感じました。

# by pastandhistories | 2023-09-11 15:35 | Trackback | Comments(0)

カテゴリ

全体
未分類

以前の記事

2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 11月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 06月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 10月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 01月

フォロー中のブログ

最新のコメント

恐れ入ります。いつも勉強..
by とくはら at 14:37
『思想』の3月号ですか。..
by 川島祐一 at 23:39
先生は、「「民主主義」擁..
by 伊豆川 at 19:57
先生は、「歴史が科学であ..
by 伊豆川 at 17:18
セミナーで配布・訳読され..
by 伊豆川 at 14:44
私も今回のセミナーに参加..
by 伊豆川 at 18:55

メモ帳

最新のトラックバック

ライフログ

検索

タグ

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

ディジトリー
at 2024-03-28 15:45
アームチェアー「パブリックヒ..
at 2024-03-17 21:04
MFSC
at 2024-03-11 10:43
何を問うのか
at 2024-03-01 10:45
待ってろ、辰史
at 2024-02-27 08:46

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧